組織の終焉

入社当初、私は上司を尊敬していた。何事にも公正で包容力があり、合理的だった。
困っているときはそれを察して助けてくれ、頼りになる存在だった。
会社が傾き始めた時も、彼の対応は同じだった。
会社の工場では、何ヶ月かに一度、設備の大移動が行われた。
西の設備を東に、東の設備を西に移動する。それは何日もかかる作業で、社員総出で行われた。
配線のやり直しや設定の調整など、多くの労力が費やされた。
毎回、移動の前に綿密な計画書が作成され、作業の遅れに対しては、厳しく責任が追及された。
しかし、何のためにそんな大がかりな移動をしなければならないのかは誰も知らなかった。
会社の経営が厳しくなるにつれて、その移動の頻度は増えていき、いつしか二週間に
一回は設備の移動をするようになった。
ある時私は得心がいった。これは一つの儀式なのだと。いわばご神体の遷移なのだ。
会社で不都合な事態が起こると、社員たちはまず機械の場所が悪いのだと考える。
その穢れを晴らすために、設備の移動が行われる。
工場は、何度も設備の移動を繰り返したため、動線は寸断され、
二台の巨大な溶接機を中心とした、渦巻きのような設備の集積が出来上がっていた。
会社の業績はますます悪化し、今では、商品の製造に費やす時間より、設備の移動に費やす
時間のほうが多くなっていた。
私は機械の配線を任されていたのだが、生産をほとんど停止し、
人の話し声がむなしく響く工場で、黙々と配線をした。
こんな状況であっても上司は相変わらず移動の計画について冷静な指示を出し、
私の作業が遅れると厳しく叱責し、どうしようもないときは手伝ってくれた。
しかし、何のためにこんな大がかりな移動を繰り返すのかという
疑問に対してはなにも答えてくれなかった。
一度思い切って聞いてみたのだが、「そんなことより作業は終わったのか?」と一蹴されてしまった。
会社の経営の悪化と反比例して熱意が増していく設備移動を冷ややかに眺めながら、
私はこの会社も長くはないだろうと思った。
しばらくして私は会社を辞めた。
風の便りに、その会社が倒産してしまったことを知った。
工場が人手にわたり、解体業者がこの工場に足を踏み入れると、
その内部はまっすぐ歩くのも難しいほど機械が不規則に並び、
中央の巨大な溶接機は、無人の中稼働を続けていたらしい。
私は会社にいたころ、いろいろ嫌な目にもあったが、
会社という人間集団の終焉をこの目で見ることができたことは得難い収穫であったと思う。

組織の終焉

組織の終焉

会社というのは、やはり人間の集団なので、合理的でなく、 ひとつの生き物のような奇妙なところがあります。 これは私が前の会社で経験した、ほぼ実話です。

  • 小説
  • 掌編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-30

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