邦題 禁断の果実

 邦題 禁断の果実

不況と人類。

 世界的な不景気到来で、給与収入に期待する事が難しくなった。(此れは、約二年前に書いておいたものです。何故?)
 今のところは、この先インフレになりさえしなければだが、少なかろうが微々たる利息にしか課税されない貯蓄に頼るしかない。
 池の上秀作は、不本意にも拘わらず、経営困難に陥った会社を解雇された。
 忙しかった毎日が遥か遠くの記憶となり、長く感じられる日々を過ごすうち、暇潰しがきっかけとなり物書きを始めた。
 華々しさが目立っていた業界でさえ、観客動員数減少の煽りを受け映像作品その他を大幅に削減した。
 従来からの大物はまだしも、大部屋の役者などを初めとし引退に追い込まれたり、他の職に転向する者も少なくないご時世が到来。
 秀作は職業作家では無いから収入は無い。辛うじて聊かの蓄えがあったので其れに頼る日常が待ち受けていた。
 或る日の事、以前映画に出演していた女優達が、元は宝塚歌劇団で活躍していたという事を知り、思い切って宝塚まで見に行った。 歌劇を見るなどは初めての経験であり、詳しい事も知らず仕舞だったが、いざ舞台上の団員を見る段となってからは、案外面白いものだと感じる様になっていた。
 団員と言ってしまえば、まるでサーカスの様な表現と非難されるだろうが、全員が女性であると同時に男女役に分かれた単純な名称の組に所属しながら歌劇を演じている。
 以前の会社にいる時に、何か歌劇団を熱烈に支持するというファンクラブの存在も小耳に挟んでいたが、目の前で繰り広げられるさまを見るうちに、其れも納得できそうな気がしている。
 演技については女性だけであるから、テレビや映画での役者の演技とは異なるものを感じる。
 其れに見入るうちに、男性役のうちの一人の女性に興味を持っていた。顔立ちが好みのせいか不思議な魅力を感じる。
 現在此の国ならぬ世界に於いても、LGBTなどの言葉が使用される事が多くなり、良くも悪くも兎角巷(ちまた)を賑わしているようだが、彼女達には無縁であるのかも知れない。
 男性役が敢えて太い声を発し、恰も男性の様に見せかけているのだが、其れには違和感のようなものを感ぜざるを得ない。
 女性の素地の姿が見たいと思ったりもしたが、此処の歌劇とはそんなものなのだろう。
 結構、退団後に業界人として女優になったり、将又(はたまた)modelとして活躍する者もいるという事は多少なりとも知っている。
 その様な銀幕の大先輩としては八千草薫や阿井美千子その他などが挙げられるのだろうが、鼻筋が通った代表的な美人顔で、全く男性役だったとは感じさせぬ大変身と言っても良いだろう。
 二人共昭和の大映の女優だが、八千草は映画監督と結ばれおしどり夫婦と呼ばれた後も、先に亡くなった監督の命日にあたる日に亡くなった事で、正におしどりだとの評も聞かれた。
 其の八千草は何方かと言えば丸顔だが、秀作が先程気になった男性役は細面(ほそおもて)でやはり端正な顔立ちと言えそうだ。
 



 そのだいぶ後、街のカフェで、ラックから取り出した古い週刊誌を眺めていたら、あの時の男性役が業界入りしたという記事が載っていた。
 其の写真を見て驚いたのだが、今度はスーツなどでは無く和服姿を披露している。
 どうやら既にデビュー作品も決まっている様で、姫役では無く芸者役のようだが、そんな事は委細構わぬというのか、着物姿が良く似合っているのには再度感心をさせられた。
 本来の女性としての艶が窺え、以前よりふっくらとして見える。突然スマフォが鳴ると、脚本家の知人からで、
「撮影現場を見に行かないか?」
 とは、偶然にして・・たった今見ていた彼女の出演する作品の事のようだ。
 となれば、彼女は歌劇を演じていたのだから、映画の演技もこなせるのだろう。
 撮影見学の日がやって来た。
 知人は業界でも顔が広いようで、局の関係者と思われる人達が知人を見ては挨拶をしていく。
 秀作としては折角の機会であるから、何か書き物のネタにならないかなどばかりを、撮影の終了時まであれこれ考えていた。
 やがて撮影も終わり、freeになった役者やスタッフ等が二人が見学していたFloorに上がって来た。
 其処でまた偶然が。
 脇を通り過ぎ知人に挨拶をしていく人達の中に混じり・・何と彼女の姿が。
 知人と秀作の二人に挨拶をしていくのだから、秀作としては何かこっぱずしさを感じる。
 おそらくは、まだ業界の人となってから日が浅い芝駒子は、知人と共にいる輩(やから)を同じ類(たぐい)ではと、大いなる勘違いをしたのでは無いだろうか。
 知人はプロデューサー・監督・staff等と話を交わしていたが、其の話の結末は、皆で食事を・・という事になったようだ。
 秀作は当然ながら身分違いであると気がひけたので、其処で帰ろうと思ったのだが、知人がどうせなら一緒にいいじゃないか・・と。
 其の時、場違いの事であるからとの心情が、素早く衣替えをしていた。居直れば何とかなるだろうとの思い迄付け加えられ。
 さて、会食の場。最初は周囲の様子を窺ってはいたのだが、此のまま時間が経てば終わるだろうなど考える秀作。
 ちょっとした宴会の様にビールや酒を注ぎに来る女性達はコンパニオンだろう・・。
 と・・事もあろうに、秀作にも酌をと軽く会釈をしながら正面に腰を下ろした様に思えた女性のネガ。
 其れ迄俯(うつむ)き加減だった秀作が、少しばかり顔を上げ手にしたグラスを差し出すと、途端にネガがくっきりcolorfulに現像された。
 目の前の駒子が、瞳を輝かせながらグラスに酌をと・・名乗る。
「初めまし・・芝駒子と申します。何か脚本でお世話になるそうで、私まだなり立てで気が利きませんが、どうか宜しくお願い致します。おひとつ・・」
 まるで、芸者のようでもあるがやはり違う。真白き素肌なのに艶が窺える。撮影終了後に衣装を代えて来たようだが、新たな着物姿。
 知人はそんな秀作を見て笑っているのだが、本物は余裕があるのだろう。其れでこんな事を言う。
「君もそろそろ脚本でも書いてみたらどうかね?案外向いているかも知れないという気がするんだが?」
 秀作は、冗談?と思ったが、暫くし気が変りだし、虎穴に入らずんば。彼が言う事なのだからやってみようか、何とかなる、など思ったりも。
 ようやく周囲に目が慣れるに連れ。何より、此れだけの役者達に存分に演技して貰えるのなら、やり甲斐があるだろう。
 




 其れから暫くした頃だった。知人の脚本を見せて貰っていたのだが、知人が言うには其の続きを考えてみないかと。
 先ずは、テストか?と思ったのだが、秀作は先日の役者達を頭に浮かべながら、知人のストーリーと突合(とつごう)し始める。
 純文学では無く今風のストーリーのみだから、続く筋書きさえ面白く出来上がれば良いなど思う。
 時代ものでも現代ものでもなく、その中間あたりで時代考証。(時代考証~主としてディレクターの業務の主要なものとしては、事前にシナリオをチェックすることや、撮影中に現場からの疑問や質問に答えることが挙げられ、「ドラマの時代考証とは、番組で取り上げられる史実・時代背景・美術・小道具等をチェック。)
(以下、簡単に。原案と原作の違い。原作を参考にしたとしても、ストーリー性をガラリと変えていれば、その作品はオリジナルと見なされる。業界では、原作になると使用料が発生することになっている。原作と原案の違いによって、法的な処置も変わってくる。脚本とは、柱書き、台詞、ト書きだけで構成されているため、シーンごとに主人公の感情を表現する小説とは書き方が異なる。脚本はシナリオを重視して書かれたテキストであるため、スタッフが物語の流れを掴めれば良い。脚本と演出の違い。文章に書かれた状態か実際の映像として行われた内容かの違い。脚本と小説の違い。読む者が誰かで、脚本は舞台や番組のスタッフに見せるシナリオ。小説は読者。当然文字数も違ってくる。脚本と台本の違い。台本は役者が読む。台詞は脚本にもあるが、映像をどのように取るかが目的で、登場人物の立ち位置やセットがどのように映るかなども細かく記す。最後に、視聴率を気にしなければならないから、人気の原作を映像化が良い。監督から見れば脚本家も原作者も『先生』と呼ぶ相手。) 
 摸擬テストのような事になったが、出来上がったものを知人に修正して貰おうと思う。
 知人はページを捲りながら、まあ、なかなかいいじゃないと褒めてくれた。
 知人が筆を加え、何とか出来上がったと言う事にしてくれたのか、此れでも演技可能かなど考える。
 幾つかのポイントはクリアーしている様だが、やはり、脚本の小説より現実的な部分は結構骨が折れた。
 知人は何も言わなかったのだが、一か所だけ変更した箇所がある。
 濡れ場が出て来るのだが、其処を配役の変更を想定し、且つ、その様に思わせる的にあっさりと。
 要はあまりRealで無く、その様な事があったようなマスキングをかけたように変えた。
 配役は本来は駒子だったが、ベテランの女優に変更を提案。知人は兎も角、監督はどうしてかという顔をするが。
 秀作の小説には、そういう絡みは出て来ない。其れに、女性の裸体は興味が無いせいか、演技上もピンと来ない。
 問題は、そういうsceneが無くて視聴者がどう感じるかだが、純文学的な鑑賞をしてくれれば助かるがと思う。
 いざ、撮影という事になるが、あまり、出来栄えに期待はしていない。
 岩下志麻のような絡みが上手い女優なら似合うかもしれないが、駒子には何か不自然な気がする。
 撮影はどうにか終了し、staff一同が一度集まってから散っていく。カメラも何も皆proなのだから、映像の美学は充分。
 八千草は生涯で濡れ場は無かった。僅かに、多摩川の氾濫をモチーフにしたTVドラマに出演した時。
 「岸辺のアルバム」というTitleは大人しいがストーリーは現実的だ。ドラマの中に不倫があるのだが、僅かに下着が透ける程度の撮影に終わっている。
 そういう意味では、八千草は変わった美人だったとも言える。駒子の将来がどんなものになるのかは分からないが。
 其の後、小説を書く事が多かったが、時々、脚本も手掛けてみた。
 知人と会うときくらい以外は、家などに籠って小説を書く事が殆どだ。
 何方かと言えば流行のスタイルには程遠いのかも知れない。文字が描く文章が美しいと言われるのが最高だ。
 久し振りに、知人と会いドラマの見学をした時、駒子に会った。久し振りにしては、秀作は勿論だが、駒子も秀作の事を覚えていた様だ。
 脚本家としては、まだ未熟だ。実際に役者を動かすよりは、頭の中で動かした方が筆がスムーズなタイプなのかも知れない。
 知人の勧めで、三人で食事がてら酒を飲んだりした。知人は自分の作品の中で、一部のみ変更した事を覚えているようだ。
 其れが駒子に関係あると気がついているのかも知れない。其れに、駒子はそんな事を知らない筈なのだが、役者の変更を知っていた。





 其れがきっかけで駒子とは何度も食事をしたりするようになった。
「あの、宝塚での君の男優姿が、どうも、頭に残っていてね。和服の君とは全く雰囲気も違うんだが、美しい女性であるという現実にボーイッシュなイメージが加わってくる様な気がするんで、其れでもいいんじゃないかな何て思ったりしてね。だから、濡れ場は、僕の場合は君には文章の中でもさせたくないんだな」
 駒子は、そんな事を言うといつも笑う。
「禁断の?そんな感じね?」
 其れから暫くし、秀作は駒子と二人で結婚の話を。勿論、秀作には何も異存はなく、あの、八千草だって子供を産んでいるのは当然なのだが・・?
 生活は、この不景気では、何方かと言えば、秀作の収入よりは遥かに駒子のギャラの方が高収入。
 秀作が足りない分は貯蓄を取り崩し、と言えば、駒子は、そうなるまでは私のギャラでやりませんかと言う。
 其れで、秀作も特に其れには拘りを感じていない。まあ、其れは兎も角、駒子は結婚するからには、秀作が駒子の事を愛しているのだとは思っているし、秀作も十分に駒子を愛している。
「僕は物書きだから、現実の君を愛しているのは勿論なのだけれど、其れに加え、僕の小説で恋愛ものには、必ず君が登場するんだ。其処でも君を愛しているんだ。どちらも君を愛してばかりいると言う訳、おかしいだろう?」
 駒子は微笑みながら。
「其れは嬉しいわ。でも、禁断の・・はお話の中では?では、現実の世界では?」
  
 
 


 

 秀作にとり、駒子は特別な存在の女性で、男優では無いと言う事は当然なのだが。
 何か、汚したく無い、真白いままのキャンバスのような気がするのも事実。 
 まあ、信じられない程の二人の生活が始まる。



「君の喜びは、同時に僕の喜び。そう言う事」
 二人は、手を繋ぎながら、多摩川堤を歩いている。多摩川が氾濫したあの事件、八千草薫の演技。
 其れが次第に遠のいていく。
 既に駒子の着物姿に変わっているのが、とても愉快であるような気がした。
 秀作は、そっと駒子の真白いふくよかな頬に唇を合わせ。
「美しい不思議な化身のような、君は禁断の果実」
 秀作が一つ拘った事があるが。
「なるべく素顔でいて欲しい。素顔が美しい君なのだから化粧もMaskも同じ事で必要無いと思う」
 此れは女性にはきつい事。其れでも、其処が駒子の極め付きでもあるのも事実・・。
 更に言えば、二人の気があった原因は、実は、同じ出身だったことしかないのだが、信じられないだろう・・。



「俺の進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて心を安んずることができるでしょう。夏目漱石」

「天才の悲劇は「小ぢんまりした、居心地のよい名声」を与えられることである。芥川龍之介」

「金は食っていけさえすればいい程度にとり、喜びを自分の仕事の中に求めるようにすべきだ。志賀直哉」



「by europe123 」


https://youtu.be/ItfFsmBmeOE

 邦題 禁断の果実

物書きになった秀作。

 邦題 禁断の果実

宝塚で秀作が見つけた宝物は。 脚本も手掛けるが・・小説との大きな違いとは・・? 駒子というものは、禁断の果実。 人類には・・理解が出来ない・・。 素肌とは・・どういう事なのか?

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-04-01

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