太陽と拒絶

 二十二歳くらいに、「一人の男を巡る、四人の女性を主人公とした四短編の連作」にしようと書きだしました。しかし女心というものを知らないために挫折し、なげだした記憶があります。確かにそういう内容で、文体もぎごちないです。一作目のみ完結していたので、それに「太陽と拒絶」というタイトルを今になってつけ、載せます。二作目はすぐ投げだしています。
 僕はどうも、何歳でなにを書いたというのに固執しているようです。数字や数値に執着を示すところが元々あります。
 読み返してみて、「女性性」的心理と僕の心理の重なる領域を描きたかったのかな?と想いました。この頃はいまよりもさらに女性と交際・交友した経験が少ないのにくわえ、明らかに幼稚なミソジニーの見方があります。そういった女性観がおおく発見されますが、敢えて、殆どそのままにして載せます。ところどころ粗を修正する加筆は行っています。
 或いはこの小説、女性性ではなく、男女関係のない「奴隷性」「自己無化への妄念」というものを書きたかったのかもしれません。これ等への意欲は二十九の今であっても枯れるどころか、燃えあがるばかりです。

 わが身を愛さない男への信頼という私のそれ、拒絶を享けたことによる身を捩らせる歓び、果して、これ等は奇異な感情といえるのだろうか?
 確かに、私はかの男に棄てられたのだ。
 しかし後悔はない。あんなにも美しい男に利用されたこと、私はこれをこころから誇りにおもっている。それはこれからもきっとそうだろう。私は、かの男に愛されていないことを知りながらすべてを委ね、すべてを与え、そしてそのなかにあってもなお、私の幸福は絶頂であった。これをひとはふしぎに思うだろうか? 男たちによって設定された「女の幸福」など、私はここで顧みる気はない。が、こればかりは言えるのだ。多くの女のこころに秘められた恋愛欲求の一つとして、愛し、そして信頼する男に、心と心を結い委ねたいというものがあると。亦おなじことを書くが、愛されていないのに信頼するというのは、果たして奇異なことだろうか? いや、愛を受けることと信頼することには、私にはまったくもって関連がない。まさしく彼は、信頼に足る男だった。なぜというに、彼は美しかったから。完全だったから。
 あたかも彼は太陽だ。彼の美貌には、失われた太陽が復活したかのような壮麗さがあったのだ。それの証拠は彼の眉だ。眼だ。額だ。鼻だ。唇だ。肢体すべてだ。彼の肉体は行為のためにあり、その体は意志の傀儡であり、その事実はすべて彼の表面に形式として現れ出ていた。彼の腕は女をぐいと力強く誘拐し、彼の観念は私たちを抱きすくめ、私たちはそれに、あまやかな幸福のなかで、身を委すほかはないのである。そのとき私たちの脳裏にめざめるのは、絡まり合ったかれとみずからの美しき絵画であり、その主体はむろん私なのである。私はかれに求められる私をみつめ、陶然とし、躰をしずめる。
 おびただしい女たちが彼に夢中になるのは、一言で説明がつく。そのすべてが。それはけっして、美しいからではなかった。すなわち、彼は、強かったのだ。彼の有する美は、単に強さの表出に過ぎぬ。それは深淵までも透明な湖が、さざなみの陰影に美のしたたりをほうっと浮びあがらせるのと同様である。私たちはそれに引きつけられ、がんじがらめになり、たなびく絹のような藍いろの海藻にからまった小魚のように、もはや身うごきが取れなくなる。

 彼は冷たい。彼に媚などない。高貴なる猫のように、私たちの心の愛撫を断固拒絶する。けだしその拒絶が、私たちに悦楽を与える。私は甘さにはやがて飽き果てて了う。冷酷に振りまわれることを望むことがある。そこに実は愛があれば、私にはなお、好ましかったのだが。
 彼は学生だった。そして芸術家だった。女を翻弄させる、美貌のピアニスト。この、あたかもロマンスに描かれていそうな美青年は、決してそんな甘ったるい幸福を与えてくれる人間ではなかった。私たちを精力的に破滅にみちびく、危険にして自己本位な男にほかならなかった。
 才能の乏しい私がその名門の音大に入れたのは、ひとえに父親の経済的権力ゆえだった。私はそれを、あとから知った。しかし私は己惚れていたのだった。私の歌は、人魚のそれのようにひとの神経を狂わせ、官能を叩き、甘美なる破滅にみちびくようになるだろうと確信していたのだった。その己惚れは入学後、すぐに破壊された。私の歌は、その場所でまったくといっていいほど通用しなかった。私の自尊心は崩壊し、やがては自己憐憫にばかりひたるようになり、とにもかくにも男を作って、慰められたいという弱気なこころに支配されるようになった。
 そんな、落ち込んで庭園のベンチに座り込んでいた私に、夢のような美青年が話しかけてきたのだ。長身から見下ろされた私のこころが浮かれたのも、無理はないだろう。
「失礼。図書館はどこですか?」
 その声は丁寧に折りたたまれたように折目正しい発音だった、けだし女性に好かれそうな声色・口調。だが、洞窟から沈み寄るような印象のぞっとするほど低い音程で響くようなのだった。高校以来フランス文学にかぶれていた私は、この声で「ノン」と言われた日には、身をよじるほどに悦ぶのではないかと想像した。
「東の門をくぐった先の、一階で…、講義室Bの…」
「ごめんなさい。解りにくいですね」
「あ…ごめんな…」
「よかったら、そこまで案内してくれませんか?」
 なんて不躾な申し出だろう。しかしそのわるぎのなさそうで優しい言い方に、ふしぎと悪い気をまったく起こさなかったのだった。
 歩いている間、彼は一言も口を利かなかった。しかし私は、無口な男は嫌いではない。むしろ唇を閉ざした横顔を見つめられるので好都合だ。ためいきの出るような造形美。酷薄な印象をあたえるその薄い唇は、なぜこんなにも赤いのだろう。どんな花に口づけをしたら、こんなにも魅惑的な赤さに染まるのだろう。
 一度、彼は私のほうを振り向いた。
「どうしたの?」
「ごめんなさい」
 丁寧語を辞めるのが早すぎる。幾らなんでも。男はすぐに前を向きなおした。彼はみずからの美貌に興味を示していない様子だった。癖のつよい黒髪が、気だるげに目元にかかっている。ときおり、周囲を軽蔑したように目をほそめる。その表情は、なにか艶めかしい。
「ここです」
「ああ、ここか」
 お礼を言わない。私はここで、すこし苛立った。
 無言でなかに入る。私はそこで去るべきかと考えた。私が一緒に入る理由があろうか? そして彼の雰囲気からして、決して彼はそれを望んじゃいない。男は私を拒絶するだろう。私は容貌に少々の自信はあったが、こんなにも美しい人の興味を起こさせることはできないだろう。
 その場を去ろうとした。
「なんで行くの?」
 その声はやさしげであり、さながら甘やかな香気を私の官能に絡むように絞めつける私好みの響きであったが、どことなしに支配する者の残虐さがあるようなのだった。いまにも私の手首をつかんで、私の体を打ち、虐げるのではないかという恐怖を感じさせるものがあった。
「え…」
 おののきながら、私は立ち止まる。
「本を探しているんだよね。手伝ってくれない?」
「い、いいけど…」
 彼に頼られるということ。それは私に淡いよろこびをもたらした。このひと、可愛いところがあるんだ。私のこころは甘いきもちにみたされ、そわそわと浮わついた。
 図書館で、彼は先程の怖さが嘘であるかのように優しかった。さりげない気遣いに満ち、寛ぎのそれとはとてもいえずとも、私を穏やかな高揚へと導いた。私は彼のしなやかで優美な身振、なによりも細くしろいゆびさきの繊細なうごきをちらちらと垣間見て、終始どぎまぎとしていたのだった。

  *

 それから私たちは何度か逢瀬を重ねた。たびたび私は、自分たちは恋人同士ではなかろうかとうたがった。そのたびに私は彼の時々みせる冷たい眼差しを想い起こし、そうであるわけがないと自分にいいきかせていたのだった。男というものはいったいに、愛するひとにあんな視線を投げたりするものだろうか? 彼の眼差しはいつも、氷のように冷たい。それはなぜかしら、私にぞくぞくするような快感をもたらす。
 やがて彼は私の家で暮らすようになった。帰ってくると、彼がいる。猫のように美しい彼がいる。帰ってきても、優しくほほ笑むことさえせずに、ひたすらピアノを弾いている。冷たい横顔の裏には、芸術への情熱が秘められているのだろう。そんな横顔を見ると、私は決してヒモを養っているのではないという確信をもつ。彼は駄目な、弱い男ではない。彼の意志は、一心に芸術へとむかっている。命を、一滴一滴鍵盤にそそぎこみ、その光彩陸離とした音色は天上へと捧げられる。彼が周囲を軽蔑しているのも、無理はないだろう。
 とはいえ、私たちが肉体関係をもったのは、同居する以前からである。普段優しいこの美しい男は、そのときばかりは私を一身に求め、私だけを欲し、私以外のなにもかもを放り、そして私を征服し尽くした。あんなにも美しい共同の行為を、私はこれからさき、二度と経験することはないであろう。
 私は彼にすべての生活費を与え、欲しがるものを悉く与えたのだった。むろんそれは肉体でさえも同様で、私は彼が欲しがるときに、欲しがるだけ与えた。元来私にはそういった嗜好はなかったのだけれども、たとえば首を絞めさせるなんて当然であった。そして、やがて私はそれを求めるようになった。
 彼に抱かれたあと、毎度私はもしや彼に愛されているのではないかしらと訝るのだった。というよりも、彼に抱かれている刹那刹那、私の魂は彼に愛されているという錯覚に覆われているのだ。愛されている。私だけを求めてくれている。私は彼にとって、特別なのだ。穿たれ墜落したような現実に月影のように浮ぶ美しく愛にあたいする絵画、陥没した現実から浮き昇る金と薄紅いろの愛の到着点、そこへ幾度もいくども寄せ放たれる私に愛された特別な男は所詮は背景の花々であり、そんなイメージにまるで頭がいっぱいであったのだった。こんな、わたしが陥りがちな勘違いにつけこんだ男に騙されたことは、実は、彼と交際する以前にも何度かあった。それは私にいつも後悔をもたらした。が、彼だけは、現在の私にさえも、いっさいの悔恨を与えない。それはつまり、彼が女を幸福にさせる稀有な男であるということの証明となりえる。
 しかも私は、彼に愛されていたのではないかと、いまでも疑うことさえあるのだった。あの生活、夢のような逸楽、あれはもしやすると、喪われた美しいロマンスではなかったか?

 彼は私を何かにさそうとき、さながら誘拐者のような強引さがあった。そんな時、わたしはわが存在すべてを彼に委ねているような幸福に打ち震えた。彼はどこへだって連れていってくれる。私はそう確信していた。たとい、そこが月であろうと。あんなにも私を構わない彼にそんなことを感じるなんて、自分でも理由がわからなかった。これが恋ではなかろうかと考えた。それは決して幸福な恋ではなかった。不幸なそれであった。しかしこの世のどんな恋よりも甘美で、美しい恋であった。私は不幸をいとわない。幸福をのぞまない。ただ美を欲し、その背後にはなにかを砕くような強さがある。
 ピアノを弾いている彼の背中を、そっと、彼が気づかないように抱いたことがある。あまりのいとしさに耐えかねて。情事の際をのぞき、そこではじめて、彼は、私を打った。硝子のような冷酷な眼差しで。その暴力に、おそらく激情なぞはなかった。彼は、冷静な心的状況のなかで、淡々と私を打つことができた。しかるに私の魂は、彼であれば暴力でさえもあまやかな感覚を得たのである。彼の思うがままになることこそが、私の悦びの本質であったのだ。
 おそらくやそれは、私が名門の音大で自尊心が砕け擦り減ったことに由来しているのであり、みずからの才能に平伏していた私がその対象を喪って、魅惑的なかれの自己本位に委ねたいという心理によるものであると想われる。強調しておきたいのは、発露の仕方はちがえども、そういった心のうごきに男女の差はあるまいというのが私の考えというものである。

 彼がコンクールで優勝した。私は自分が、彼を男として育て上げたという自負をもった。礼装に身をつつんだ長身痩躯には、夢の流星が曳くような曲線、私をなんとなしに、そして強烈に引きつける香りの予兆をただよわす美麗な線が見いだされた。こんなときであっても、彼は決して視線をうろつかせたりしない。その沈静な、雄々しき眼差しには、周囲への軽蔑と、そして自己の仕事への誇りが見られる。彼はまるでみずからだけを尊敬しているような男だ。高貴。そうであるような。私は彼に駆け寄り、祝いの言葉をかけようとした。
「おめでとう」
 すると彼は、こう言ったのである。
「誰だ、君は」
 私は、いましがた自分に投げられた言葉の意味を、にわかには解せなかった。
 彼は私を乱暴に手で押しのけ、セレブリティたちの群れへ消えていった。そして、ある社長令嬢の手を、小鳥が果実をそっとついばむように優しく、いとおしげに握り、美しい微笑を淡い光のように彼女の頬へ降らせた。…

  *

 その刹那の私の心理、拒絶のエロティシズムともいおうか、これをいったい、なんに例えたらよかろう。私は、それを歓んだのだった。彼に拒まれる卑しきわが身を絵画のように脳裏に掲げられ、その美しき不幸をいつくしんだのだった。届かないものへの憧れ、彼に許容されないことに対する身を折るような快楽。もしやすると、これは不埒な神秘家が神へ感じる、禁忌のエロティシズムではなかったか? 私は彼を欲しいと思ったのみでなく、彼に一致したいと、しらずしらずのうちに思っていたのではなかったか?

太陽と拒絶

 僕は本質的にミサンドリスト且ミソジニストなのだと想いますし、その主題を、ある種の悲願をこめて書きつづけています。つまりはそれを憎みながら追究していて、愛すべき領域をみつけようとしつづける、それくらいに男性性・女性性をそれぞれ趣味的に愛好しているのだろうと推測されます。
 ちなみに、僕は流行の性的少数者の問題に関しては、ポリセクシュアルの立場をとっています。男性にも女性性があり、女性にも男性性があり、性(セックス)はすべてグレー、十人十色といいましょうか、そのひと固有の性がそれぞれにあると想っています。

太陽と拒絶

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2023-04-01

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