mellow night / daydream
mellow night / daydream (ニ) midnight all alone.
夜の繁華街。
夜の空間に、浮き上がる様に輝く華やかなネオンや街灯。賑わう時間帯の大通りを行き交う人の流れ。何処に行くのか、慌しく行き交う車のヘッドライトや赤いテールランプ。
その雑踏を避ける様に、小さい路地を入ったところにBARsaudadeはある。
彼は、BARのドアの前まで歩いて行くと立ち止まって全体を眺めた。
金属製のドアのシルバーが、夜の光に鈍く光っている。スクエアの取手もシルバーだ。
そして、ドアの上の壁にはネオンのロゴが見える。そのロゴは、Bar saudadeとブルーネオンで綴ってある。夜の空間に浮き上がる様にブルーのネオンは光っている。
相沢幸樹は、取手を押して中へ入った。
ドアの呼び鈴が鳴った。
静かにジャズが流れる店内は、照明を暗く落としてある。空調が心地よく落ち着いたムードだ。バーカウンター7席と向かいにローテーブル席が3つの小さなスペースだ。
店内のバーカウンターのスツールに座った麻生リナと鈴木薫はドアの方を見た。
リナが彼を見るなり、嬉しそうな笑顔でスツールから飛び跳ねる様に降りて彼に駆け寄った。
「コオ。来てくれたの?嬉しい」
「あぁ。たまにはここで飲みたいし」
「さあ、座って座って」
彼女は、カウンター席へエスコートした。
鈴木薫は、スツールを降りてカウンターの中へ入って行き微笑して彼を迎えた。
「いらっしゃいませ。コオくん久しぶりじゃない」
「ええ。よく車でリナを迎えにくるけど車だから外で待つんですよ」
「あら、そうなんだ。中で待ってもいいのに」
「店に入ると酒が飲みたくなるから」
「何飲む?」
「じゃあ。ギムレット」
「わかったわ。シェイクとステアどっちにする」
「シェイクで」
「了解」
鈴木薫は、背後にある酒やリキュールの瓶からドライジンの瓶をとった。
冷蔵庫からライムを取り出し、ハーフカットしてライムジュースを絞った。
シェイカーを取り出して、中に氷とジンとライムジュースを入れ蓋を閉めてシェイクし始める。
シェイカーの音が店内に響く。
「今夜は、車で来てない」
右隣で擦り寄る様に密着するリナに言った。
「えぇ?嫌だ。私を誘ってるの?」
「いや、酒が飲みたくなっただけだ」
「嘘ばっか。私に逢いに来たんでしょ」
「終電には帰る」
「えぇー、嫌だ。朝まで飲みましょうよ」
「睡眠時間は必要だ」
「嫌だ。私をホテルに誘ってるの?」
「別に君と寝たって構わない。眠るだけだし」
コオは素っ気なく言った。
「釣れないのね。他のおじさんだったら、すぐ鼻の下伸ばして好色な目つきに変わるのに」
拗ねた表情のリナの言葉に、コオは短く笑った。
鈴木薫は、シェイクを終え手前に置いたカクテルグラスにシェイカーからギムレットを注いだ。
燻んだ淡いグリーンの液をカクテルグラスに満たすと彼の前へ差し出した。
「はい、お待たせしました。ギムレット」
「ありがとう」
彼は、そのカクテルグラスを持って半分ほど飲んだ。
冷たいギムレットが喉を越えて流れ込む。
その後、焼ける様な感覚が喉から食道を辿る。
ライムの爽やかな余韻が、気分を良くさせる。
「そういえば、リナとは何処でどう知り合ったの」
鈴木薫が、ミックスナッツの小皿を彼に差し出しながら聞いた。
そこへリナが割って入った。
「話せば長くなるけどね。ほら、彼がBAR saudadeに最初に来た時の事を覚えてる?」
「えぇ。リナと二人で来たよね」
「その日、偶然の再会だったのよ」
「あら、そうなの?」
「私達は、中学と高校も一緒だったのよ」
「何処に通ってたの」
「桜ヶ丘中学と聖林高校」
「へぇ。進学校じゃない。意外」
「えっ。失礼しちゃう。私達、こう見えて優等生だったのよ。コオなんか高校の頃は主席で卒業したんだから。生徒会長やってたし。ねぇコオ」
「コオくん、モテたでしょ」
「もう大変。女子にモテモテで、休み時間は彼の周りを女子が取り囲んで離さないの」
鈴木薫は、呆れた様に笑った。
「桜ヶ丘中学の時に、リナは途中で転校したんだ。だから中学は三年一緒ではなかった」
コオがそう言った。
「まぁ、人生は色々ありますから」
リナは少し誤魔化す様なニュアンスでつぶやいた。
「その後、また高校で同じクラスに」
「そうなの、知らなかったからびっくりしたのよ」
リナは瞳を輝かせてコオに密着した。
「ねぇ。最初にBAR saudadeに来た時の事を聞きたいなぁ」
そう鈴木薫は言った。
*
彼は高速道路のインターチェンジ付近を歩いている。
殺風景な灰色の往復四車線の道路は、オレンジの照明灯に染まる。
時折、自動車が疾走して行く。まるで、人生を急いでいるかの様に。
彼は、疾走する自動車のスピードを感じながら舗道を歩いた。
心も身体も疲れ果ていた。
今は、週末の真夜中に向かって夜の闇が深くなって行く時間。
昨日、梅雨入りしたとニュースの天気予報で見た。
明日は、朝から雨が降るとニュースの天気予報は伝えていた。
今夜は肌寒い。梅雨の頃の、不快な湿度の蒸し暑さはなかった。
白いTシャツの、袖から出ている二の腕が少し冷たい。
色褪せたブルージーンズのポケットに手を突っ込んで歩いた。
吹いてくる風は涼しい。
彼は、風の音に耳を澄ました。
柔らかな風は、彼の頬に触れると雨の予感を残して去っていく。
まるで、彼女の様だ。
彼女は、風なのだ。
ふと、彼は彼女の事を考えた。
今夜は、彼女とは逢えない。
メールもLINEも送っても反応がない。
「はい、高崎です。只今、電話に出ることが出来ません。発信音の後に、お名前とご用件をお願いします……」
彼女に何度も電話をかけた。
しかし、留守電の録音された彼女の声が虚しく繰り返されるだけだった。
彼は発信音の前にがっかりして電話を切った。
喪失感を抱えて、独りで夜を歩く。
彼女と出逢ってから、切ない気持ちを知った。
逢いたいのに、なかなか逢えない。
切ない気持ちで夜を歩く。
後方からヘッドライトが照らされると、瞬く間に三台の自動車が彼を置き去りにして疾走して行く。
「ほら、人生は短い。周りを見ずにみんな突っ走れよ。走る先には何も残ってはいない」
彼は、意味のわからない戯言を一人で呟いた。
そして、何事も無かったかの様に夜の静寂が訪れる。
オレンジ色に染まる夜の黒い舗道を当てもなく歩いた。
彼は夜に包まれる。
いつもは、独りの部屋に帰って熱いシャワーを浴びた後、真夜中のラジオでも聴きながらビールでも飲んでいる時間だ。
そうしているうちに、いつの間にか眠ってしまい。いつもの多忙な朝を迎える事になる。
今夜は、そんなルーティンな過ごし方が嫌だった。
そんな風な自分を否定するように、心の何処かに抵抗があった。
何か満たされない気持ちが、何かを求めて夜の闇へと虚しく引き込まれている。
彼は、遠くまで均等に並ぶオレンジの道路灯を見た。点滅する黄色い信号が並ぶ。
この辺に、深夜まで営業しているコーヒーショップがある。
コーヒーが飲みたい。
とびっきり深煎りのいい香りのする苦いコーヒーを飲みたい。
マグカップにタップリと入れたエスプレッソを注文してもいい。
真夜中になるまでに、コーヒーを一杯だけ飲みたい。と、彼は思った。
ただ、独りで飲みたくなかった。
誰かと飲みたい。
出来れば、若い女性とコーヒーが飲みたかった。
今夜は、高崎凛には逢えない。さて、どうしたらいいだろうか。
彼は、腕時計を見た。
時計の針は、二十二時を少しだけ回った辺りだった。
携帯を取り出すと連絡先を眺めた。
佐山恭子の名前が、まず目に止まった。
彼女は、高校からの女友達だった。
結構、仲がいいのだが恋人同士にはならなかった関係だ。今でも、たまに食事や酒を飲みに付き合ってくれる人だ。
彼女は、近寄りがたい雰囲気のキャリアウーマン。
定刻には帰れず。いつも、遅くまで電話は留守電になっている。
もう、もうそろそろ帰っているかもしれない。
彼は、さっそく佐山恭子の電話番号にかけた。
ホーンが五回鳴った後、留守電の彼女の声に切り替わった。
「はい、佐山です。只今、電話に出ることが出来ません。発信音の後に、お名前とご用件をお願いします……」
彼は発信音の後、手短にメッセージを残した。
「お久しぶりです。相沢幸樹です。また、電話します」
彼は、メッセージを伝えて電話を切った。
どうやら佐山恭子は留守の様だ。週末だから、何処かで素敵な夜を楽しんでいるのだろうか…。それとも寝ているのか…。
いや違うな。多分、閑散としたオフィスの机に座りパソコンに何か入力しているような気がした。
オフィスの窓に見える夜景は、東京の摩天楼の様なビル群だ。
やれやれ、今夜は佐山恭子に逢えないような気がしてきた。
彼は、再び携帯を見た。
*
次に、目に止まったのは、大沢 沙也香だった。彼女は、職場にアルバイトでくる女子大生だ。都内の大学に通う。
若く可愛い雰囲気の気さくな女性だ。
昼食に何度か誘って二人で食事をした。
彼女は、会話が上手く一緒にいると楽しい。
そうだ、彼女に電話してみよう。
彼は、大沢沙也香の電話番号に電話をかけた。
ホーンが七回鳴った後、彼女が電話に出た。
「はい、大沢です」
彼女は、明るい感じで応えた。
「こんばんわ。相沢です。今、大丈夫」
「あ、相沢さん。どうしたんですか。こんな時間に」
外にいるのだろうか。人の声が聞こえる。
「今、外にいるの」
「ええ、合コンですよ」
彼女が明るく応えた。
「あ、合コンなんだ。何時ごろ終わるの」
「わからないです。真夜中には終わると思います」
彼は、落胆した。コーヒーショップの閉店の時間だ。
「そっか。コーヒーを一緒に飲みたかったんだけど……。また、誘うよ」
「せっかく誘ってくれたのに。ごめんなさい」
「あ、気にしないで。また誘うから」
「今度は、前日までに誘ってくださいね。最近、予定が多くて忙しいんです」
「うん。そうする」
電話は、そこで終わった。
彼は、淋しい気持ちで一杯になった。
再び時計を見た。時計の針は二十二時三十分を過ぎていた。
真夜中まで、あと一時間半しかない。
真夜中に向かって、時間は過ぎて行く。
彼は、少し焦りを感じていた。
インターチェンジに合流する交差点まで歩いてきた。
渡りたい方向の信号は赤だった。
彼は、立ち止まった。
時折、行き交う自動車の紅いテールランプを静かに眺めた。
真夜中に向かう時間が経過していくにつれて、自動車の流れは少なくなってきた。
彼は、一刻も早く誰かとコーヒーが飲みたくなってきた。
もう、知っている女性なら誰でもよかった。
誰かとコーヒーを飲んで、どうしょうもない淋しさを癒したかった。
そう、深煎りのいい香りのする苦いコーヒーを一杯だけ飲みたい。
絶対、コーヒーが飲みたい。
そして、一緒にコーヒーを飲んでくれる素敵な女性の笑顔が絶対必要だ。
信号は、既に青になっている。彼は、携帯を持って立ったままだ。
携帯のアドレスを見ていくうちに、青信号が点滅し始めた。
彼は、携帯のアドレスの欄にある
山咲 麻衣の名前を見た。
そうだ、彼女なら時間が空いているかもしれない。
彼は、そう思った。
彼女は、アパレル関係の店舗に勤めている。
彼は、よくその店舗に買い物にいく。
何度も、彼女が担当して服を買った。
何度も行くうちに親しくなった女性だ。人当たりのいい感じの美人で、接客が丁重で素敵な女性だった。何度も食事に誘い付き合ってくれる。いつも快く承諾してくれる女性の一人だ。
多分、男性客の多くは彼女のファンに違いない。
プライベートで会える男性客はほぼいない。
前に公私混同する男性客が、店頭で迷惑な振る舞いをして嫌な思いをしたと彼女は言っていた。
それ以来、食事をする男性は厳選採用する。と、なかば冗談混じりで笑っていた。
二十時には閉店になるはずだ。その後、集計や片付けをしたとしても、もう帰っている時間だと思った。
彼は、彼女に電話をかけた。
12回のコールのあと、彼女が電話に出た。
「はい、山咲です」
いつも通りの落ち着いた雰囲気の彼女の声だった。
「こんばんわ、相沢です」
彼女は、彼の名前を聞いて先程よりも明るい雰囲気の声にかわった。
「あ、相沢さん。お元気ですか」
「ええ。僕は元気です」
「最近、いらっしゃらないので心配してたのよ」
「そうですね。服をしばらく買ってないですね。もう夏のSALEになるし、秋冬物が欲しいから秋には行きますよ」
「SALEが終わって、八月の下旬には、入荷してくるのよ」
「うん。今年は、コートを買いたいと思って……」
「コート。そうね……。九月末には入荷予定ね」
「意外に早いね。十月になるかと思った」
「ここ数年は、早めに入荷してるの。遅いと、冬のSALEまで売れ残るのよ」
「出来れば上質のウールコートが欲しい。丈の長いシルエットで、クラシックな雰囲気。無地かヘリンボーン柄がいいかな」
「お客様。ご来店までにお勧めのコート何点かご用意させていただきます」
彼女は、店に居る時の様な接客態度で応えた。
その後、しばらく間を置いて彼女は手短に笑った。
「じゃあ、お願いしょうかな。それを何着か試着してみて決めよう」
「ご希望の色は?」
「無地ならキャメル。ヘリボーンならグレー」
「そのようでございます」
「はい、そのようです……」
二人は、申し合わせたように笑った。
「お客様、営業時間外のようでございますが。いかがなされました」
「あ、要件をすっかり忘れていた」
「はい」
彼女は、明るく返事をした。
「どのようなご用件でしょうか」
「うーん。夜分に恐れ入ります。もしよろしければ、今からコーヒーを飲んでいただけませんか」
コオは、彼女に哀願する様な口調で言った。
「え、このような時間にコーヒーを飲むんですか」
「ええ」
「只今、二十三時に十分前ですよ」
「ダメですか……」
「せっかく誘ってくださるのは、嬉しいわ」
「ぜひ、貴女と二人でコーヒーが飲みたいんです」
彼は哀願するような雰囲気で応えた。
「せっかくのお誘いは嬉しいのよ。真夜中に貴方と二人でコーヒーを飲むなんて素敵な事ね。でも、もう寝ないといけないの」
「そうか……」
「明日、仕事の早朝ミーテングなの」
「あ、早朝ミーティングですか……」
「ごめんなさい」
「こんな時間に誘った僕が悪い。また今度にしょう」
「ごめんなさい。貴方にコーヒーを誘っていただけるなんて思ってもみなかったわ。光栄だわ」
「うん。また、改めて誘うよ」
「ぜひ」
「また」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
電話は、そこで終わった。
彼は、終わった電話を眺めた。
何ともしがたい淋しさが込み上げてきた。
*
夜の乾いた風に吹かれながら、彼は歩いた。
あれから、知り合いの若い女性に三人ほど電話した。
一人は、留守電。後の二人は、友好的にやんわりと拒否された。
彼は、なんともし難い淋しさと虚無感を抱えて夜の闇を彷徨う様に歩いた。まるで、失恋した中学生のような気持で勢い無く虚ろに歩いた。
視界に映る夜の幹線道路の沿道にコーヒーショップの看板が見える。
彼は時計を見た。
今は、二十三時四十分だ。
女性達は、誰も会ってくれない。
彼は女性を誘うのを諦めて、一人でテイクアウトコーヒーを楽しむことにした。
コーヒーショップの前まで来ると、閉店前にもかかわらず沢山の人が入っていた。楽しそうに会話をしている人ばかりだ。店内は、笑顔で満ち溢れている。
これぽっちも淋しそうな人はいない。
彼は、自動ドアを開けて中に入った。
カウンターにいた女性が、こちらを見て微笑した。
「今晩わ」
彼は、微笑でこたえて落ち着いた足取りでカウンターまで歩いた。
彼は、カウンターの前で立ち止まった。
「いらっしゃいませ。ご注文をお伺いいたします」
カウンターの向こう側の若い女性は微笑した。
「エスプレッソコーヒー。ショートサイズで」
「エスプレッソですか?」
「はい」
「エスプレッソは、シングルとダブルはエスプレッソのカップでお出しできます。それ以上の量はシングルのショット価格を追加できます。よろしいですか」
「レギュラーコーヒーのショートサイズのカップにお願いします」
「はい」
彼が注文すると、彼女は手際よくテイクアウト用のカップに入ったエスプレッソコーヒーを用意した。
「軽食は、よろしかったですか」
「エスプレッソコーヒーだけで」
「はい。それでは、エスプレッソ一点…」
誰が見ても癒される様な笑顔で、若い女性は対応してくれた。
彼は現金を支払いながら少し気持ちが和らいだ。
「ありがとうございました」
彼は彼女の笑顔に応えて微笑すると、エスプレッソコーヒーの入ったカップを受け取りドアの外に出ようとした。
「相沢くん?もしかして、相沢幸樹くんじゃない」
すれ違いに、先程まで彼の後ろに並んでいた若い女性が声をかけた。
振り返ると面識のない女性だった。
それも、とびっきりの美人だ。
「やっぱり、相沢くんじゃない。久しぶり。懐かしいわ」
「あ、えっと失礼ですが......」
「えっ。わからないの。私よ」
「何処かでお会いしましたか」
「えぇ。忘れちゃったの」
「いゃ。貴女の様な綺麗な女性と一度でも会ってたら忘れないはずですけど......」
彼女は、少し嬉しそうな表情をした。
「いやぁね。もう、忘れちゃったの。馬鹿ね。じゃあ、これでどうかしら。ハッハッハッ。僕だよ。僕、理だよ。麻生理」
彼女は、急に男性の様な声色に変わった。それも、高校と中学校の頃に仲の良かった男性の友人の名前を名乗って......。
近くに座っていた女性二人が彼女を驚いた表情で見た。
慌てて彼女は口元を掌で隠して辺りを伺った。
「えぇ?麻生くん…きみが?」
「ヤダわ。声が大きわよ」
「あぁ。ごめん。君が、あの麻生理?」
彼は、騙された様な顔をして小さい声で問い返した。
「そうよ。理だよ」
「本当に?」
「あぁ、間違いなく麻生理だよ。今は、理に名前の名をつけて麻生リナなの。よろしね」
彼女は、若い女子高生の様な雰囲気で愛想をふりまいた。
「えぇ。麻生くんか?えっ、いつから女性になったんだ。えっ、ちょっと......待って......。えぇっ。君が......」
彼は、狐に化かされたような表情をして大きな声で言った。
「ちょっと!声が、大きいしぃ。ほら、みんなまた見てる。静かに喋ってよ。もう、やぁね」
彼女は、とびきり愛嬌のある微笑でわざとらしく周囲を伺った。
「だってなぁ。普通びっくりするだろ」
「まあ、無理もないわぁ。あ、ねぇ。今、一人なの」
「あぁ。一人だけど」
「車かしら」
「歩いてきた」
「よかった。時間ある」
「週末だからあるよ」
「よかったわ。私もコーヒー飲みたかったのよ。よかったら、私の車でコーヒー飲まない」
彼は、何か淋しさから救われた気持ちになった。
「いいよ。さっきから誰かとコーヒーが飲みたかったんだ」
「じゃあ、待ってて」
彼女は、カウンターに行くとテイクアウトのコーヒーを注文して現金を支払い受け取った。
「お待たせ。じゃあ行きましょう」
テイクアウトのコーヒーカップを持った彼女は彼に微笑した。
*
コーヒーショップを出ると二人は並んで歩いた。
「偶然ねぇ」
「そうだね。君が麻生くんだとはわからなかった」
「やだわ。今は、リナて呼ばれてるのよ。私のこと、リナて呼んで」
「リナという名前は?」
「理て発音が古臭くて嫌じゃない。いい名前ないかな。なんて考えてて。理の名前を書きだしたんだけど思い浮かばないし。紙に書いた理の名前をみてそのまま理名にしてみたの。以外といいでしよ」
「少なくとも今の君を見た時、名前に違和感は無いね。それにしても、アレだ。綺麗になったな。こんな言い方は変だけど......」
「やだわ。恥ずかしい」
「最初、美人の女性がいるな......。て、思ってたほどだから」
「やだ、もう」
「本当にそう思った」
「もう。相沢くんは、いつからそんなに女性を口説く台詞が言えるようになったのかしら」
「随分、大人になったから」
リナは、あっけらかんと笑った。
二人はしばらく歩いた後、平凡な色のクーペの前で立ち止まった。
「この車に乗ってるの」
「うん。これは、仕事先の人に借りてるの」
「今夜、車を返しに行こうと思って乗って来たの」
「そうなんだ」
「よかったら、まだ時間あるしドライブしない」
「コーヒーとナイトドライヴィングかいいね」
「ナイトドライヴィングが好きなの」
「わかった。そうしよう」
「最初は、首都高なんて怖くて緊張して乗ってたのよ。けど、今は慣れちゃった。特にナイトドライヴィングが楽しいのよ」
「さぁ乗って。首都高走るけど大丈夫かしら」
「大丈夫だけど。車は、どうするの」
「ドライブした後、返しに行くから」
「終電に間に合わないよ」
「その時は、何処かで泊まればいいでしょう」
「週末だし…。そうしよう」
二人は、車のドアを開けて車に乗った。
ドリンクホルダーにコーヒーカップを置いて。シートベルトを着用した。
運転席のリナは、ハイヒールからシンプルなスニーカーに履き替えた。ハイヒールは、靴箱に入れて後ろの狭い収納スペースに入れた。
エンジンをスタートさせるとサイドブレーキを解除して発進した。
駐車場をゆっくり徐行して迂回すると出口で停止した。
深夜に近い三車線の幹線道路は空いていた。
二人の乗ったクーペは、車のヘッドライトの流れが途切れたタイミングで道路に合流し加速した。
しばらく走行した後、高速道路への入り口を見つけて侵入して更に加速した。
吹っ飛んでいく自動車の光の流れへ加速していき合流するとスピードの流れに身を任せた。
均等に設置してあるオレンジの道路灯が後方へ吹っ飛んでいく。夜の空間にそびえ立つ高層ビル群を縫う様に高速道路が夜に伸びていく。暗い車内をオレンジ灯か染める。ヘッドライトや街の灯りが時折交差する。
麻生リナは、ラジオのスイッチを前方を見ながらチューニングした。
*
Welcome to the midnight lounge. Ocean Bay FM.
街の灯りも消えて、星の輝きが満ちてくる時間です。
今日と明日が出逢う時。
皆さんこんばんわ。葉月 夏緒です。
真夜中の時間いかがお過ごしでしょうか?今夜の曲はGrover Washington Jr Winelight
*
Grover Washington Jr Winelight
グローバーワシントンJrの名盤。
ビル・ウィザーズのヴォーカルをフィーチャーしたアーバン・メロウな大ヒット曲「クリスタルの恋人たち/Just the tow of us」を
含むAORの歴史的傑作。1980年作品です。
*
関東地方は、やっと梅雨入りしました。
昨年は、五月から梅雨入りしたのですが…。今年は遅い様ですね。
沖縄付近の海上に停滞していた梅雨前線は、明日の朝までに北上する見込みです。
関東地方は、明日の朝から雨。
西日本は、30℃近い暑さになりますが、日中の気温が高いことに加え、上空に寒気が流れ込むため、大気の状態が非常に不安定で、午後は一時的に激しい雷雨になる予想です。
東日本は雨が降ったり止んだりで、雷を伴う所もあるでしょう。
今年の梅雨前半は梅雨寒だそうです。日中は暑いですが夜は以外に肌寒く感じますね。
私はブラウスやシャツで通勤していますが、カーディガンをいつも持っています。
夏になってもカーディガンを常に持ってますね。
冷房の効いた部屋は、身体が冷えすぎて苦手です。
気軽に羽織れるカーディガンは重宝しています。
*
波の音とともに一日が終わろうとしています。
静かな夜のしじまのひと時が穏やかに過ぎていきます。
それでは、今夜はこの辺で。
お相手は、葉月夏緒でした。
Also some night. good night.
*
二人は、midnight loungeが終わった後もラジオを聴いていた。
次の番組は、crossover 25 日付変更線の向こう側という番組だった。
選曲した後、アルバムの情報やエピソードを手短に語り紹介するシンプルな構成だ。
今夜は、モータウンサウンドの特集だった。
「あっ。懐かしい。私、この曲好きだったの」
懐かしいヒット曲がかかる度に、リナはそう言って曲に合わせて歌った。
リナは、昔から物凄く歌がうまかった。
女性のような声で、端正に歌い上げていく。
伸びやかな高い声域から低い声域まで自在にメロディーラインに沿って歌い上げる。
あまりのうまさに僕は、聞き惚れてしまった。
「相変わらず歌が上手いんだな」
「そお?歌うのが好きなだけよ」
「お母さんが音楽の先生だったよね」
「母は、音大出て小学校の教員になったのよ」
「お父さんも音楽関係の仕事だっけ」
「一応、売れないスタジオミュージシャン。売れないから音楽の雑誌の仕事したりホールやライブハウスの音響の仕事も掛け持ちでしてたの」
「音楽一家だね」
「私の本名は理でしょう。名前がちょっとダサイでしょ?」
「そお?」
彼女は嫌悪した表情を浮かべた。
「両親がね。我が子に悟りを開いてもらいたいて真理の理を取ったのよ」
「へぇ」
「理をおさむにしてね。キラキラネームも真っ青な期待を私に託したのよ」
うんざりした顔で呟いた。
「みんなが、私の事をおさむ君て呼ぶと機嫌悪くなるのを知ってて気を使うのよ。
だから、小学生から大学生までリー君てあだ名で呼ばれてたのよ。
なんかカンフーのアクションスターみたいでしょ?
私はマッチョじゃないのにね。なんか違和感を感じてたのよ」
「君とは、高校まで一緒だったけど大学は?」
「一応、そこそこの大学を卒業したんだけどね。
在学中から内緒でニューハーフの店で働いてたのよ」
「へぇ、そうなんだ」
「名前は、ニューハーフの店に応募した時に決めたの。最初は、迷って紙に名前リストを書いても思い浮かばないし。何気なくリスト見たら理の名前と書いてるじゃない。理名ていいわ、カタカナでリナ。あーいい感じて、即決で決めたわ」
「いい名前だ」
「だから私のことをおさむ君とかリー君じゃなくてリナて呼んでね。そうじゃないと嫌だから」
「リナ」
「はい」
「こんな感じでいいかい?」
「とてもいいわ。ねぇ、もう一度言ってもらっていいかしら」
「リナ」
彼は彼女の方を見て再び言った。
「やだ、そんなに見つめて言わないでよ。好きになっちゃうじゃない」
彼はうつむいて短く笑った。
「卒業してから就職は?」
「一応、適当に会社を選んで、女性と偽て勤務したの」
「よくバレなかったね」
「でもね、付き合っていたイケメンの同僚にバラされて二年で退社…。仕方なくバイトで続けていたニューハーフの店にフル勤務して生活していたのよ」
「紆余曲折な人生だね」
「たまたまニューハーフの店に遊びに来ていた女性と意気投合して今の仕事に誘われたのよ」
「その女性が、今からいくBARのオーナーなわけだ」
「この車を借りてる女性。今から車返しに行くから付き合ってよ」
「いいよ。彼女の名前は?」
「鈴木薫」
*
車を駐車場に置いて
繁華街を二人で歩いた。
深夜を随分と過ぎた大通りは、閑散として人も疎だった。
しばらく通りを歩いた後、小さい路地に入っていき
二人は、BARのドアの前に立った。
「ここなの」
リナは、愛想を振りまく様に微笑して
金属製のドアのスクエアの取手に手を添えた。
ドアの上の壁にBar saudadeのブルーのネオンで綴ってある。夜の空間に浮き上がる様にブルーのネオンが光っている。
重いドアを開けて中へ二人は入った。
ドアの呼び鈴が鳴った。
静かにジャズが流れる店内は、照明を暗く落としてある。空調が心地よく落ち着いたムードだ。バーカウンター7席と向かいにローテーブル席が3つの小さなスペースだ。
バーカウンターの中にいた鈴木薫は、ドアの方を見た。
「いらっしゃいませ。あら、リナちゃん、こんな時間にどうしたの」
「車、返しに来たの」
リナは車のキーをカウンターの上に置いた。
リナの後にコオが続いた。
「今晩わ」
穏やかな口調でコオは言った。
「いらっしゃいませ」
薫は、微笑して応えた。
「ねぇ。まだお酒飲んでもいいかしら」
「まだ大丈夫だけど終電過ぎたわ」
「大丈夫、今夜は何処か泊まるから」
「彼は?」
「あぁ。大丈夫です」
「そう。それじゃどうぞ」
二人は、カウンターの席に並んで座った。
これが、BAR saudadeに最初に行った記憶だ。
mellow night / daydream