社内の美女の転職。アランドロン・オードリー・ヘプバーン登場。

社内の美女の転職。アランドロン・オードリー・ヘプバーン登場。

社内の美女。

  部員の今川香織は、管理課・審査課を問わず、また、写真が社内報にも載る程の美女として、良く知られている存在。
 全国に散らばっている支店・営業所に於いても、殊(こと)に若い社員で知らない者はいないだろう。
 彼女は仕事も出来るなど、美しいだけにあらぬ独特の魅力を持ち合わせているのだから、衆目一致する憧れの的(まと)と言えそう。
 その彼女、何号かの社内報での記事の中で、自らの趣味・好みなどを述べているのだが。
「私の、好みの男性はアランドロンなんです」
 此れを見た社員からは様々な反応が。
「俳優を引退したおじさんが?」
 かと思えば、何方かと言えば年輩の男女からは、彼女の発言に対し、さして違和感を感じさせない感想が。
「昔であれば其れも当然の事。何と言っても二枚目の代名詞だし、其れは其れは・・恰好が良かった」
 


 1935年11月8日Paris郊外のオー=ド=セーヌ県ソーで生まれる。
 父は小さな映画館を経営、母は後に結婚するナタリーの雰囲気に似た美人、且つ薬剤師の資格も持っていた。
 4歳で両親が離婚。母方に預けられるも、母が再婚したシャルキュトリ(French)の義父と合わなかったこと。
 そして母親は、新たに生まれた娘(エディット)だけを可愛がったためにアランはのけ者とされる。
 更に実父も再婚し、息子ジャン=フランソワ(後にアランの映画の製作に参加)が生まれていた。
 此の家庭不和による愛情不足の為、彼は女子生徒と度々問題を起こし寄宿学校を転々とした。
 アランはその後14歳より食品店で働き始める。
 身長180センチのアランはFrance海軍へ志願。未成年者には保護者の承諾が必要だったが、母は義父の言うがままに承諾をした。
 この一件で、アランは母に不信感を持つ。17歳で入隊し、マルセイユより貨物船に乗せられ、第一次インドシナ戦争へ従軍することになった。
 1955年、休戦協定により20歳で無事除隊後はUSAとメキシコを放浪。
 1956年に帰国後はParisのモンマルトルなど方々を転々とした後、サン=ジェルマン=デ=プレに落ち着く。
 その後、さまざまな職業を転々とするが、其の経験は後の俳優人生にプラスに働いた。
 銃の扱いに慣れているのはもっともで、映画中で銃を持つsceneを何回も披露している。
 翌1957年の夏、女優のブリジット・オベール(英語読み)から、
「カンヌで映画祭が催されるから行ってみたら。あなたほどの美貌なら、監督の誰かから声が掛かるかも知れないわ」
 と言われた。
 それがきっかけで、Parisで知り合ったジャン=クロード・ブリアリと2人で、カンヌを歩いてみると、過去にロック・ハドソンを発掘したhollywoodの一流エージェントであるヘンリー・ウィルスンに、
「君はいい体をしている…」
 とスカウトされた。
 その3日後、ローマのチネチッタ撮影所にて、映画『武器よさらば』撮影中のデヴィッド・O・セルズニックのスクリーンテストを受け合格。
 USAでの成功に太鼓判を押され、英語の習得を条件に7年間の契約を持ちかけられる。
 しかし、
「私はフランス人なので、まずはFranceで勝負をしたい」 と保留。
 女優エステラ・ブランの紹介で、イヴ・アレグレ監督の『女が事件にからむ時』(共演:ジャン=ポール・ベルモンド)でデビューした。
 女性遍歴は言わずもがな。各国の有名な女優達、その間に産まれた子供も何人か。
 1963年、ナタリー・バルテルミー(本名はフランシス・カサノヴァ後ナタリー・ドロン)と出会う。
 ナタリーはモロッコのカサブランカ出身で、育った境遇が似ていたことや、人生経験豊かなところに惹かれ、親しくなった。
 1964年にナタリーと結婚し、息子アントワーヌ(後にアントニー・ドロンの名でデビュー。)が生まれる。
 この年には家族三人でUSAのビバリーヒルズに滞在。いくつかの映画に出演したり、アカデミー賞のプレゼンターにも立った。
 ナタリー・ドロンは後に映画『個人教授~La leçon particulière)は1968年のフランス映画』に出演した。
 ほろ苦く切ない恋を綴った青春ラブロマンス映画の名作。高校生の少年が年上の女性に恋をする物語。
 美少年ルノー・ヴェルレーはこの映画で、日本では大変な人気者となりTV番組にも出たと思う。
 1966年Franceに帰国。映画『サムライ』に出演したことにより、女優を続けたいと願うナタリーと対立し、やがて離婚。
 17年に引退、オードリーヘップバーンの死後、彼女の墓を尋ねた事も知られている。
 では、世界の美しい男女と言えば、此の人も・・。
 オードリーヘップバーン。
 肌が美しかった彼女はすっぴんでも美しさを披露している。
 確かに色が白く、若い頃チョコレートのコマーシャルに出ているが、素晴らしい少女で肌が真っ白。YouTubeで見れると思う。
 また、いろいろな事が言われている。
・オードリー・ヘプバーンはセカンドチョイスが多い女優だった?Secondchoiceとは、二番目の選択肢などの意味。
 例えば。
『ティファニーで朝食を』(1961)の原作者トルーマン・カポティーはホリー役にマリリン・モンローを希望していた。
『ローマの休日』アン王女役もエリザベス・テイラーがファー ストチョイスだったと言われている。
 彼女は5歳の時にバレエのレッスンを始め、バレリーナ―になることを夢見ていたが、身長の高さや身体の弱さがバレリーナ―としての成功を妨げ、バレエの世界でトップになることを断念した。
 しかし、女優の道へと進んだ彼女は『パリの恋人』などでダンスの才能を発揮した。
 ヘプバーンの父ジョセフはボヘミア生まれの英国人、母親はオランダ貴族、ヘプバーンは英語とオランダ語を流暢に話すことが出来たばかりでなく、海外に出るチャンスが多かったため、スペイン語・イタリア語・フランス語まで話すことが出来たと言われている。
 第二次大戦当時は、オランダのレジスタンスに協力していたとも。
 ヘプバーンは「げん」をかつぐ女優だった。楽屋番号は55番をリクエストしていた(彼女のラッキーナンバー)。
『ローマの休日』で使用したドレスをラッキードレスと名付け授賞式で着用。
『緑の館』で登場した小鹿を飼っていた。
 晩年の趣味はガーデニング。
 ユニセフを38年支援続けた(ユニセフの親善大使)。
 あまり歌は得意ではなかった。
 彼女は多くのコンプレックスを抱えていた(大きな鼻・大きな足・貧乳・角ばった肩)。
 ところが、実は彼女がコンプレックスに思っていた部分や不完全さは欠点ではなく魅力となっている。
 驚くべきことに、彼女は”私みたいな顔で映画にでられるとは思っていなかったわ”と、言っていた。
(本名)オードリー・キャスリーン・ラストン 1929.5.4 ― 1993.1.20(満63歳没)身長170cm 女優。
(主な作品)
・ローマの休日
・ティファニーで朝食を
・マイ・フェア・レディ
 彼女の残した言葉から・・二つ。
「If I get married, I want to be very married.~もし結婚するなら、どっぷりと結婚していたいの」
「Opportunities don’t often come along. So, when they do, you have to grab them.~チャンスなんて、そうたびたびめぐってくるものではないわ。だから、いざめぐってきたら、とにかく自分のものにすることよ」
 しかし、こんな言葉も。
「いばる男の人って、要するにまだ一流でないってことなのよ」
 此れは面白い。
 まあ、どういう事なのか・・誰の事なのかは分からない・・。
 一つの解釈とし、彼女は欧州育ちで、USAの様な何でも一番で無ければ気が済まず威張る国や役者に抵抗感を感じた。
 此れは、現在の世界情勢でも同じ態度が見られるという事。



 
 
 光は何時ものように、未決裁案件のケースを空にすると、デスクの「不在 直帰」の灯りを点灯させる。
 Elevatorが降りて来、ドアが開くと加賀京子が。
 「開く」のボタンを押しながら。
「ちょっと待ってあげて・・」
 ヒールの足音が・・香織だ。
「お待たせしました」
 三人が乗ると、京子が光の背に背文字の「S」を。新宿で待ち合わせの意なのだが、今回は京子も伴い三名一緒に出掛ける。
 香織が其れを見。
「子供の遊びみたいですね・・くすぐったく無いですか?」
 三人は銀座通りから地下鉄の改札を抜け、ホームに滑り込んできた車両の座席に並んで座る。
 光が一応確認と。
「淑子には、何て言ってあるの?」
 香織を挟んで座っている京子が。
「ニューフェイスのオーディション・・という事になっているけれど?逆スカウトのようよ」
 局に着いてから、警備員は笑顔で三人を通してくれた。既に、連絡がされている。
 スタッフや監督が一瞬此方を振り向いたのは、丁度休憩中だった一同の中で、京子を見て或る女優がサインを送ったから。
 京子の親友である、という事は光の親友でもある三上淑子は、スタッフに目配せをし此方へ。
 三田のキャンパスで行われたミスコンで優勝した加賀恭子が業界入りは辞退し、二位に選ばれた三上淑子が代わりに業界入りしたという経緯がある。
「いらっしゃい。お二人共相変わらずね。この前会った時・・あら、此の女性がその方ね。五階の部屋で一応オーディションという事になっているから・・スカウトの手間が省けただけ。まあ、間違いは無いでしょうけれど」
 淑子はもう一度香織の顔を見てから、何処に行けば良いかが、簡単に書かれた局内の案内図を渡す。 
 休憩時間が終わりカメラが動き出す。一段と明るくなった照明の下で照明係が持っているレフ(屋外location用の照明反射板)を操作する。
 何か意図があるのだろう。
 かぶって(同時に喋ったり、カメラに重なってしまった事。)しまったようで、一旦やり直しになった。
 京子が光の目に視線を移しながら。
「今日は、けつかっちん(終了時間の制約。)という事で伝えてあるらしいし、何かあれば「巻く」~早回しのような意味~んじゃないかしら?」
 五階のオーディションではいろいろな質問がされていたようだが、一通りの事が終わり席がばらけた時、脚本家の滝田陽が顔を出した。
「アラン・ドロンが好きなんです。子供の頃からの憧れで」
 香織の呟きに、うん?と思った者もいたが陽が笑顔で。
「此の国にはアランのような役者はいないよ?白人は寅さんseriesや、其れなりの目論見が無ければ出演は無い。白人主義かい?」(実は、白人なら良いと考える女性が多いのだが、Parisなどで所謂パリジェンヌと呼ばれる美人を見掛ける事はあるが、やはり、此の国と同じで女優とは比較にならない。此れは小国やRussiaにも言える事。其れに、白人女性と黒人のCoupleは見られるが、黄色人種とのCoupleを見た事は無い。
 逆に電車の中で一度、此の国の奥さんが、懐かしい・・と叫んで隣に座りいろいろ親切にしてくれたことはあるのだが、おそらく、元はAirFranceのC・Cだったのかも知れない。)
 陽が、どうしてもというのであれば・・と。
「特別、アランとはいかないまでも、僕が書いているものを、登場人物を変え、それでも・・役者は無理だね。海外とは全く作り方も違うし、海外ロケで失敗した作品もあるしね」
 オードリーヘップバーンはアランに似ている面もあり、「最も偉大な女優50選」では第3位にrankされ、international・best・dresserにも殿堂入りした。
 hollywood俳優の彼女が、海外locationで、Paris其れもChamps Élysée(シャンゼリゼの事。水色の地下鉄13号線でセーヌ川の手前の駅になる。尚、歌で有名なオ―シャンゼリゼと連呼されるので、EnglishのOHの様な感嘆詞と間違うのかも知れないが、auxChamps Élyséeとなり、フランス語のauxとはEnglishの前置詞atに該当するので、オ―シャンゼリゼとは、シャンゼリゼ通り「で」と訳す。)などで多く撮られたものもあるし、彼女の作品では、「ローマの休日」は、当時の大物であるElizabethTailorなどを押しのける様に、初めに主役として務めた作品はITALYlocation。
 此の選択を、後にウィリアム・ワイラーは、
「彼女(ヘプバーン)は私がアン王女役に求めていた魅力、無邪気さ、才能をすべて備えていた。さらに彼女にはユーモアがあった。すっかり彼女に魅了された我々は「この娘だ!と叫んだ」
 と言っている。
 彼女は純粋なhollywood女優では無いから、あれだけ数々の作品をこなす事が出来たんだと思われる。
 例えば、「マイフェアレディー」などは、ジュリー・アンドリュース(サウンドオブミュージックの主役。)にスクリーン・テストを持ちかけたところ、アンドリュースは、
「スクリーン・テストですって?私があの役を立派にやれることを知っているはずよ」
 と拒否している。
 彼女の血の中には、幼少の頃からeuropeで苦労した事が生きて流れているから。
 父がNazisに傾向し、お手伝いの女性と家を出て行った時の彼女は、どんな気持ちでいたのだろう。
 其れからも、国籍を誤魔化す為に母が名前を変えたりしたこともきっと覚えている事と思う。
 最後はUSAに落ち着いた彼女の本当の心の故郷はeuropeにあるのかも知れない・・USAが最後の死に場所と言った彼女の言葉があるが・・どうだろう?
 アランはアランでParisが好きだった。同じ様に、国によって当然、映画作りも役者も異なるのは仕方がない。
 何れ、香織も容姿や天性の才能で・・此の国の大物女優に慣れるのかも知れないが。
 彼女が降りて来るのを待っていたかのように、二人の目の前の撮影も終了した。
 淑子もマネージャーに話をしてある。
 香織の結論はまだだが、問題は無いだろう。
 スタッフや監督・脚本家になどに挨拶をし、淑子と三人を乗せた車は新宿まで。
 



 ホテルのレストランで四人はテーブルを挟んで、料理やワインなどを戴きながら、話を始めた。
 淑子が乾杯の音頭を取り。
「此れで役者は三人という事になるわね。京子もグランプリを取ってから業界に入っていれば、おそらく美人女優としてやっていたでしょう・・誰かさんにかどわかされ無ければ?」
 香織は、その言葉に、光の顔に目を遣る。
「・・アランは格好良かったけれど・・『サムライ』の頃が最も魅力的だったと思います。その頃、ナタリーが犬を連れて、彼をスタジオまで迎えに来ていたようで、とても仲睦まじい様子だったらしい・・」。
 アランのエピソードは尽きないが、例えば同時代のUSA映画のスターであり、同じく戦場の経験があるスティーブ・マックイーンとともに、銃を扱う芝居の上手さは素晴らしかった、『ル・ジタン』では、3気筒のバイクに乗り、警官隊に囲まれた自宅から門を開けるとともにウィリー走行で脱出する姿を見せ、観客を感心させたり。
 1993年、スイスで行われたオードリー・ヘプバーンの葬儀に参列。それまで交流があったことは一切報じられておらず、また、此の国では長年人気投票の外国男優・外国女優部門の1位を獲得してきた人気俳優同士だった。
 彼は「僕は彼女を尊敬していた」と交流を語ったとか・・。 2007年10月、フジテレビの番組にゲスト出演した際、出演した理由を「50年経ったし~第二次世界大戦からの意味で、USAの様に勝利してから居座った国では無い国民は、それだけ大東亜戦争の悲劇を感じ取っている事になるが、特に世界で有名なのは原子爆弾が投下された事などで、USAの無差別殺戮を指示したカーチス・ルメイ自身が「もし我が国がこの戦争に敗北していたら、私は戦争犯罪人として処罰されていただろう。幸運なことに、我々は勝者になった」と語っている。
 他にも、少なからず人種差別的感情に起因すると見られる日本兵に対する猟奇行為(切断や一部の持ち帰りなど遺体のトロフィー化)や虐殺(わざと捕虜にせず攻撃を加えるなど)が太平洋戦争では珍しくなかった。さらに、ベトナム戦争においては、非戦闘員の虐殺、捕虜虐待などがアメリカ国内でも問題にされたほどであった。その後もイラク戦争などにおいても、非戦闘員を巻き込む戦闘行動や捕虜虐待など戦争犯罪と疑われるべき行為が報告されている。此れは過去の事だが国際法に時効は無いので、戦争犯罪人は免れない。また、NATOは現在小国にミグ二機を供与しているが、実は、NATOもコソボ攻撃で78日間に亘り空襲を繰り返し同じ様な戦争犯罪を繰り返し行って来た。NATO支援の名目で核兵器の供与や、大きな基地をeuropeに築いたのも、如何にもUSAらしい謀略だったと言える。 ~、そろそろ日本に来てもいいかな、と思って」「(此の国には)昼飯を食べるためだけに来た。」とユーモア(此れは面白いがパリっ子がjokeがキツイのは行けば感じる事。)たっぷりに語り、前日の夜に到着し、撮影日の午後9時に帰途に発つ、という強行スケジュールだった。
 光が。
「数々の女性と浮名を流した色男は、しかし、離婚後も元妻との親交を続け、今回の訃報(ナタリー69歳で脳卒中で死去。)に際しても、こんなコメントが。
〈愛した人が世を去るのは常につらい。ナタリーは最初の妻で唯一のドロン夫人だった〉
 そんなアランも一昨年、脳卒中で倒れた。
 アランは美貌というだけでなく、女性の扱いが上手い。エピソードとして、Parisの女性ライターが「“私なんて8回すっぽかされて・・でも、9回目に会えたの!と目を輝かせながら。
 アランに、
「ごめんね。一番いい状態で君のインタビューに応じたかったんだ・・」
 と言われて抱き寄せられたんだけれど・・女性の魂を掴むような魅力に・・」
 彼はパリの病院に3週間入院した後、スイスに移り、現地に住む娘に見守られながら療養生活を送った。
 ちなみに、この“娘”は31歳年下のオランダ人モデルとの間に生まれた婚外子でね・・子どもたちのSNSにはたびたびアランの近影が掲載されていて・・白髪を撫で上げ、顔には年相応の皺が刻まれるが、常にチャーミングな笑みを絶やさなかったそうだ。
 直近の写真で、クリスマスに撮影されたものなんだが、パリの自宅と思しきリビングで寛ぐアランの脇には杖が置かれ、傍らではナタリーが微笑んでいる。
 誰よりも女に愛された俳優は“唯一の妻”の死に何を想うのだろうか・・?」
 其の話が終わる頃香織は、光が良く自分の為にそこまで調べたと感心の余り。
「・・もうお別れですね・・」
 香織はそういうと、グラスに口をつけ・・ワインを飲み干し。
「そう思えば、結構光さんにも・・案外・・アランのような優しいところが・・?」
 京子は香織の空になったグラスに赤いワインを注ぎながら・・。
「・・貴女・・駄目よ、此れから二枚目役者が大勢いる・・業界で活躍し・・その中でも・・和製ヘップバーンの再来かと言われているんだから・・うっかりおかしな男性に同情しては?」
 淑子は、京子のその言葉に思わず笑いながら・・。
「あら?貴女だって業界入り間違い無かったのに?何処かの男性に・・どうしたのかな・・?」
 光は、香織の活躍を期待し、其れがそういう話に繋がるとは?と思い、今度は淑子のご機嫌を窺がうように。
「淑子は同じ様に思っているの?」
 淑子は上半身を揺らすように笑い、紅の唇を掌の裏で覆うと。
「案外、光って、アランじゃないけれど、京子と別れた後も、愛した最後の妻・・なんて・・同じ様な事を言ったりして?」
 今度は京子が。
「あら?私と別れるって?最後も最初も私しか女性はいないじゃない?」
 どうやら、話はとんでもない方向に。
 香織も思わず。
「アランは単なる憧れ・・私も業界で頑張らなければ、ねえ、淑子さん?」
 淑子は空になっている、皆のグラスにワインを注ぎながら。
「そうよ?私も貴女は、応援するからね。業界一に慣れる様にって・・ね?」



 夜空や夜景は、世界中何処に行っても見る事は出来る。
 其の夜空を見ながら、それぞれの業界で、皆、日夜、女優として頑張っている。
 そんな事が言えそうな宵だった・・。 



「すっぴんとはね、君、女性の真剣勝負の世界だよ。夏目漱石」

「 人間の心には、互いに矛盾したふたつの感情がある。誰でも他人の不幸に同情しないものはない。ところが、その不幸を切り抜けてよくなると、なんとなく物足りなくて、少し誇張して言えば、もう一度同じ不幸に陥れてみたいような気持になる。芥川龍之介」

「自分に才能を与えてくれるなら、寿命を縮めてもいい。志賀直哉」




「by europe123 」

https://youtu.be/K2baVzlE3to

社内の美女の転職。アランドロン・オードリー・ヘプバーン登場。

転職するって?

社内の美女の転職。アランドロン・オードリー・ヘプバーン登場。

ええ?女優? 道理で・・人気があった訳だ・・。 其の女性が好きだったのが・・アランドロン・・。 更に話題は・・ベルギーのBrussels(EU/NATO本部所在地)生まれのオードリーヘップバーンの・・すっぴんで肌が綺麗だった・・事まで・・。 やはり・・男女を問わず・・元が美貌なら・・どう見ても・・美しいのだろう・・。 残念・・無念・・。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-03-26

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