臨淵

1.

 大家が兄の遺品を引き取ってほしいというので、私はこのアパートに来ていた。
 兄は突然自ら命を絶った。一枚の絵を描き上げたあとに。遺品というのはその絵、即ち兄の遺作である。
 大家から鍵を受け取り、私は兄の部屋へ向かった。
 扉を開けた途端、私は思わず後ずさった。部屋の真ん中に、歪んだ蜘蛛のような黒い影が根を下ろしていた。全く実体を持つ影であった。キャンバスがイーゼルに立て掛けられているのだと気付き、私は少し安堵した。兄がこの部屋で自殺したという先入観が、ただ人のいぬだけの部屋を、怪奇を湛えた静謐へと塗り替えていた。少し手が震えるのを意識しながら、私は照明のスイッチを押した。この薄暗さがいけないと思ったのだ。
 急な明るさの変化に思わず顔をしかめると、同時に目の奥がぎゅう、と締め付けられる感じがした。眼球が光の量を調節し終え、私はようやくそれがキャンバスであると確認できた。
 キャンバスの中には、違う世界があった。
 照明を点ける前、そこは黒くくり抜かれていた。しかし、そこには今、幻想的な風景が貼り付けられている。
 断崖に佇む青年が海に臨み、水平線から顔を出したばかりの旭光を浴びている。
 私には芸術的素養がない。だからその構図が誰かのオマージュであっても気付かないし、描画技術の巧拙も分からない。ただ純粋な風景として、その絵を美しいと思った。
 目を衝くように、それでいてまろやかに輝く旭日。濃紺の空を淡く滲みながら蝕む橙の陽光。暁闇を抱えたまま緩やかに弛む水面、そこに落ちる内側へ湾曲した辺を持つ光の菱形。そしてそれらを真正面から眺める青年。全てが清々しく、新鮮な美で以て私を迎えた。私は時が経つのも忘れ、暫し感動に凭れた。
 やがてその感動も惰性になった頃、ようやく私はここへ来た目的を思い出した。私は、この絵を持ち帰らねばならない。
 私はイーゼルからキャンバスを取り外した。すると、一冊の手帳が零れ落ちた。キャンバスの裏側に置かれていたようだ。
 私はそれを拾い上げた。表紙、裏表紙ともに何も書かれていないため、何を書き留めたものなのか見当がつかない。少し逡巡したが、私は手帳を開いた。中を見なければならないような気がしたのだ。
 手帳の中身は果たして兄の日記だった。日付と、その日あったであろう事柄、それに対する所感、作品の進捗、述懐、エトセトラ、とにかくなんでも書いてあった。文量は日毎にまちまちで、二、三行の日もあれば、半ページ、見開きが埋まる日もあった。暫く読んで発見したが、文章が長い時は決まって作品の進捗が芳しくないようだった。重苦しく長々と綴られる等身大の苦悩や葛藤はあまりに悲痛で、所々文字が滲んでいた。兄の嘗めた辛酸がインクに溶け、文字から染み出している。その痛さに堪えかね、私はやがて泣いていた。
 しかし、兄の文章はある日を堺に一変する。自殺する二ヶ月程前からである。それまでの陰鬱で惨憺たる筆致とは裏腹に、途端に潑剌とした様子である。
 以降、「これ以上のものが描けない」という文言が多用されていた。とてつもない着想を得たのだと、繰り返し綴られていた。文章中の記述から、その着想を結実させたのがこの遺作であり、また、タイトルが「臨淵」であると知れた。日記の最後の日付は、兄の自殺する前日だった。
 私は再度、「臨淵」をまじまじと見た。これは兄の遺作であり、最高傑作であるというわけだ。そして兄はこれを完成させて死んだ。文字通りの全身全霊を注ぎ込んだのだろう。それを知らせるために、兄の日記は私を駆り立てたのだろう。
 だが、これが兄の遺作だからといって、また、兄の生涯を懸けた最高傑作だからといって、はたまたこれが兄の表現の極致であるからといって、私は「臨淵」の意図するところを計りかねていた。言い換えるなら、私はこの絵を十分に理解し得ていないと感じていた。ただ風景を描いたものではないのだろうが、その裏に潜む兄の本意が見えてこなかった。とはいえ、このままずっと茫洋と眺めていたところで何かが変わるわけでもない、と私が絵へ一歩踏み出したのと同時に、部屋の扉が開き、その陰から大家が顔を出した。様子を見に来たらしい。どうやら私が思っていたより随分と時間が経っていたようだ。私は挨拶を適当に済ませ、そそくさとその場を後にした。

2.

 後日、私の家に1人の友人が来ていた。彼は矢田といい、私とは大学時代からの付き合いである。
 私の部屋へ足を踏み入れるなり矢田は静止した。彼の目線は部屋の隅へ注がれている。その先には「臨淵」があった。
 「臨淵」を持ち帰った後、私はそれを額縁へ飾ろうと思っていたのだが、採寸やら何やらが億劫で、結局兄の部屋にあったのと同様にイーゼルへ立て掛けたまま半ば放置状態となっていた。
「君にこんな趣味があるなんて知らなかったよ」
 矢田は嘲笑とも感嘆ともとれる曖昧な声色で言った。
 この時、私はふと思った。
 矢田にこの「臨淵」について考察してもらおうじゃないか。
 というのも、矢田は大学時代日本文学を専攻しており、その分野といったら専ら作品への考察が主である。矢田自身、教授たちからその種の能力を随分買われていたらしい(本人談)。実際彼と話していると、その類の才、つまり限られた材料から思考を広げ独自の論理を展開する能力の警抜を感じることがままある。だから、彼ならこの「臨淵」について何か彼なりに論じられるのではないかと、思い至ったのである。私は矢田に、「臨淵」の経緯を説明し、兄の日記を手渡した。
「僕は芸術に明るくはないぞ」
 片方だけ眉をしかめて矢田は言った。
「構わないよ。それに、これが兄の遺作だからと気負う必要もない。酒肴程度に講釈を垂れてほしいだけなんだ」
 矢田は私の顔を暫し見つめ、君がそう言うなら、と不承不承兄の日記を開いた。初めこそ無機質にページを繰っていた彼だが、やがて没頭し始めた。怪訝そうな表情をしたかと思うと急に目を見開いたり、かと思えば真顔に戻ったりと、様々に変化する表情を見ながら、私は彼がどの辺りを読んでいるのか推察するのを楽しんだ。
 一時間程経った頃、一通り読み終わったのであろう、矢田はページを繰り戻し、日記と「臨淵」との間で目線を往復させ始めた。その動作を15分程続けると、今度は「臨淵」を凝視し、暫くして日記を閉じた。
「……僕が思うに」
 唇を嘗めてから矢田は呟いた。
「君の兄は本当に表現の極致を見たんじゃないかな」
 矢田の目はまだ「臨淵」を見ていた。
「どうしてそう思う?」
 私は急かすように尋ねた。
「……まず、作品のタイトルだ。何故「臨淵」なのか。絵だけを見れば「断崖」でもいいし「日の出」であっても不自然じゃない。だがタイトルは「臨淵」、つまりタイトルが「臨淵」でなければいけない理由があるということだ。淵に臨む……僕はこの「淵」を絶望の淵、そして生死の淵であると見る。君の兄はもしかしたらこれを描く前にも、自殺を試みたのかもしれない。理由は日記にもある通り、画家として鳴かず飛ばずだったからだろう。そんな自分に絶望し、自殺を考える……その結果君の兄は海へ、その絵の題材となった場所へ赴いたのだろう。しかし、そこで出会ったのだ。「臨淵」という天啓に。海に身を投げようと断崖に臨み初めて見えた、昇りゆく朝日……それはきっと、彼の心理状況とピッタリ重なったはずだ。陽光は海面を照らすに留まらず、彼の心にまで射し込み、活力を与えた」
 矢田はそこまで語ると、グラスを傾けた。まだ言葉を継ぐようだ。
「もし彼が絶望したままだったのなら、深夜の暗い海、あるいは大荒れの海を描いただろう。もし彼が日の出を描きたかったのなら、山頂でも船上でも、日のよく見える場所であればどこでもよかっただろう。そして彼がただ風景を描きたかったのなら、そこに人物はいらなかっただろう。そこに描かれている人物は彼自身だと僕は思う。今話したような理由でなければ、「臨淵」は「臨淵」たり得ない」
 1つ息を吐いてから、矢田はそれにしても、と続け、
「さっきも言ったが、僕は芸術に関してはよく分からない。だけどね、この日記は読み物として面白いよ。小説家としてなら、存外大成していたんじゃないかな」
 そう括った。
「とまあ、君の注文通りに講釈を垂れてみたけれど、どうだい?」
「とても面白かった。……けど、1ついいか?」
 矢田が敢えて明言を避けたのか、思案の末結論を出せなかったのか、ないしはただ失念していたのか、いずれにしても1つ抜けている気がした。
「君は、どうして兄は自殺したと思う?君の言う通り「臨淵」が兄の絶望した際に見た光のようなものの表現だとして、ならば自殺する必要はないんじゃないか?」
 矢田は再び「臨淵」を見た。
「そこから見えたのが光……希望だったのだとしても、立っている場所が淵であることに変わりはなかったんだろう。君の兄は日を見て光を浴びただけで、温かさを感じたわけじゃなかったのかもしれない。それに、日記にも再三再四「これ以上のものが描けない」と書かれている。芸術家として致命的なんじゃないのか、作品を生み出す気力が起こらないというのは」
 私もまた、「臨淵」へ目を遣った。
 兄の部屋で初めて見た時、それは鮮烈な美しさを放っていた。対して、矢田の考察を聞いた今、それは染み渡るような、琴線に優しく触れ、そこから沁み入り、心に馴染んでいくような味わい深い美をその姿態の内に留めている。
「いい絵だな」
 矢田は場の雰囲気に調和する声で言った。
 私は即刻額縁を購入した。そして部屋の壁に飾った。億劫がっていた自らの愚を後悔する程に、「臨淵」は額縁の中で映えた。

3.
 数週間後、私の部屋にまた客人があった。宮永という高校時代の友人である。大学入学を機にこの街を出て行った彼が帰省してきているというので、私から声を掛け今回の場を設けたのだ。酒を飲める歳になってから会うのは初めてであり、当然それも楽しみではあったのだが、私には1つ魂胆があった。私は宮永に「臨淵」を見せるつもりでいた。彼が地元を離れ入学したのは美大、それも油絵専攻である。つまり、矢田のような文学的考察ではなく、油絵と4年向き合った者からの、技術や知識に基づく分析―言うなればテキスト論的考察―が聞けることを私は期待していた。
 矢田の考察を聞いてから後、私は彼の言葉を噛み締めるうちに、何かが足りないように感じた。彼の話したのは、いわば肉の部分ではないのか。だとすれば、根幹に確と通るべき骨があってようやく、「臨淵」は私の中で完成するのではないか。そう思い始めた所に、丁度宮永の帰省を知ったのである。宮永の意見はきっと、「臨淵」の骨となってくれるだろう。
 また私は、兄が遺した傑作をただ誰かに見てもらいたいという欲求を抱えていた。私は「臨淵」を壁から外し、机上に置いた。宮永の目につきやすくするためであった。

「久し振りだな、お前の部屋も」
 宮永は高校時代から随分と変わっていた。やや口調が軽薄になり、あけすけに物を言うようになった。
 宮永は私の部屋に入り、机上を一瞥しただけですぐ座卓に着いた。「臨淵」に気付きはしたが何も言わなかったように見えた。私は少し落胆した。彼は「臨淵」に対して何も思わなかったのだろうか、という不安が生じた。
 私達はそれから1時間程飲んだが、私は少しも酔えなかった。宮永の「臨淵」への挙動に起因する一抹の不安が、酒の回りを妨げていた。対照的に、宮永は既に酔っていた。歯に衣着せぬ口吻に毒が混じり始めた。私「臨淵」を宮永へ見せるか否か迷い始めた。彼の痛罵や嘲笑の下に「臨淵」が晒されるのを想像し、戦慄した。次第に赤くなっていく宮永の顔を見て、私はいよいよ葛藤した。そしてとうとう、「臨淵」を見せない方へ舵を切ろうとした時だった。
「そういや、机の上の絵、お前が描いたのか?」
 宮永がにやけながら言った。私は面食らいながらも、
「いや、兄の絵だよ」
 と返した。
「無理矢理押し付けられたのか?」
「どうしてそう思うんだ?」
「あんまり下手だからさ」
 私は思わず立ち上がったが、即座に止まった。宮永へ掴み掛かりそうになったのを、寸前で理性が制止したのだ。私は「臨淵」と兄の日記を机上から取り、再び座してから、空の缶やつまみの袋をどけ、そこに「臨淵」を置いた。
「この絵は「臨淵」といい、兄の遺作だ」
 言いながら日記を宮永へ寄越した。
「そこに、これの生まれた経緯が書いてある。読んでくれ」
 宮永は、不快そうな顔をしながらも甘んじて受け入れ、日記を開いた。その表情は日記を読む間も微動だにせず、また、矢田よりも遥かに早く読み終えた。20分も要さなかった。
「……で?」
 宮永は全く不遜であった。
「これを読んだとて、その絵が下手だということに変わりはねえよ。いいか、よく見ろ。海の色、地面の色、空の色、あらゆる色が不安定だ。これは明らかに塗りムラとしか言い様がない。どこもかしこもそうだ。あと、最も違和感があるのは、遠近感だ。太陽のサイズ、水平線から崖までの距離、それらと立ってる人間のサイズが不釣り合いで調和していないのは一目瞭然だろうが。下手な合成写真みたいだぜ」
 私は返答に窮した。
「お前の兄は、別に美大に通ってたとか、高名な画家に師事してたとかじゃねえんだろ?俺には、その絵は毛も生えてない素人の手遊びだとしか思えねえよ」
「……この絵は」
 気付けば私は、矢田の考察を捲し立てていた。震える口とは裏腹に、それらの文言は驚く程淀みなく滑り出た。宮永に語るというよりは、自らに言い聞かせるようだった。私の中で崩れそうな「臨淵」のヒビを糊塗せんがための。
 私は内省した。私の中で「臨淵」を「臨淵」たらしめていたのは、それを初めて見た際の衝撃と、兄の遺作であるという事実、そして矢田の考察というひどく主観的でしかない要素のみであった。この瞬間まで、私はそれらへの疑心など毛頭程も抱いていなかったのである。
 打ちひしがれる私など気にも留めずに宮永は笑った。
「はっ。その矢田とかいう奴の話は聞く分には面白いが、これを前にしちゃあ説得力はねえ。故人にとやかく言うのも何だが、お前の兄がその日記を書き、わざわざ目につくような所へ置いといたのは、紛れもなく「読ませるため」だろうさ。キャンバスの裏だろ?日記があったのは。俺が死ぬのは自らの才能に絶望したわけでも、芸術家を諦めたからでもありませんとでも言いたげじゃねえか。芸術家としての本懐を遂げたから死にますという、死後の自分が憐れまれないための演出じゃねえか。凝らされた細工が、全部白々しいぜ。それでも、遺した絵が真に傑作なら、名演出かもしれねえ。だが、結果遺ってるのはこれだ。凡作、という言葉すら世辞になるくらいのもんだ。それじゃ、その日記に書かれてることや、その他の思惑は全て、二流、三流、いや、」

「芸術家気取りだ」

 その言葉で以て、私の中の「臨淵」は崩壊した。失意、落胆、その他把握しきれない数多の感情による奔流は涙腺という堰を盛大に破壊し、勢いそのままに流れ出た。
「泣くんじゃねえよ、大の大人が」
 いかにも鬱陶しげな顔で宮永は吐き捨てた。
「居心地悪いったらありゃしねえ」
 宮永はさっと立ち上がり、私を残して去った。
 私は卓上の「臨淵」を見た。旭日を眺める青年同様、私もその場に蟠った。時間までもが、石膏で固められたように森閑だった。硬質な空間に、宮永の「芸術家気取り」が反響していた。
 石膏はやがて剥がれた。同時に、「臨淵」の纏っていた神秘、傑作の感も剥げ落ち、陳腐な駄作へと凋落した。宮永の指摘した拙い箇所が浮き彫りになって見えた。
 私は兄の日記を開いた。私を泣かせた苦悩の吐露、痛々しい葛藤、一転して着想を得てからの希望に満ちた筆致、そのどれもが「芸術家気取り」の前では、見るに堪えない、滑稽にも及ばない戯言の連続でしかなくなった。死に際の醜い足掻きが透けて見えた。
 私はまた、矢田との会話を思い出した。兄が希望を見たのなら、自殺することはなかったのではないか。その疑問はやはり正しかったのだ。兄は希望など見てはいなかった。それを憐れまれたくないがために、下らない演出を自らの死に施したのだ。その演出に関しては、兄は少々秀でていたと言えよう。少なくとも私や矢田といった素人を騙すくらいの小手先はあったのだから。
 私は「臨淵」を裏返した。これは人間の醜さの結晶だ。兄は、虚栄心とエゴを絵の具に溶いて塗りたくったのだ。
 何も描かれていないキャンバスの裏側は妙に清々しかった。

4.
 私は「臨淵」を部屋に置いたままだった。目につく場所には置かなかったが、それは確かに私の部屋にあった。鑑賞対象としての価値は失っても、兄の遺品としての価値を認めているのだろう、と無理矢理に納得していた。
 しかし、「臨淵」は私を散漫にさせた。部屋の中にあれがある、という意識は薄れなかった。「臨淵」は私の中に全く盤踞していた。
 やがて私は居た堪れなくなった。私を苛むのは兄の亡霊などではなく、たった1枚の下手な絵である。あれを捨てさえすれば。
 とはいえ、あれが兄の遺品、大仰に言えば兄の形見というのも事実ではある。葬るならば後腐れのないように、徹底的にやらねばならない。
 思案の末、私は思い至った。

5.
 夜明け前の海はいやに凪いでいた。膜を張ったような水面が万頃と、半ば退屈な程に続いている。あの水平線の先に広がる世界などなく、あそこが果てなのではないかとすら思えてくる。明るくはないが、暗澹ともしていない。空も海も全て、一様にのっぺりとした紺色であった。
 私は崖際から数メートル程離れた位置に腰を下ろした。私の手には「臨淵」があった。
 兄も、この景色を見たのだろうか。
 私は「臨淵」を目の前へ持ってきた。夜と朝の狭間、曖昧な世界で尚、それはくすんでいた。
 この絵が何を表現したかったのか、兄は何を思ってこれを描いたのか、そんなことは最早どうでもよかった。私はこれを、ここから捨てるために来たのだから。
 正当な理由も、真っ当な理屈もない。ただ、これはここへ捨てるべきだと、「臨淵」の生まれた地へ「臨淵」は葬られなければならないと、私の直感が私を突き動かしただけである。
 拙い絵だ、と思った。それ以外の何かを惹起させる力などこの絵にはない。踏ん切りがついた、などと明確な契機もなく、私は徐ろに立ち上がった。
 夜が明け始めていた。世界の果てかと思えた水平線の上に、薄い橙の帯ができている。そこから少し上へいくと白いベールが滲み、更に上へ、清澄な群青へとグラデーションで繋がっている。早朝特有の冷気と相まって、私はえも言われぬ爽快を感じた。
 空は滞ることなく様相を変えていく。橙は濃くなり、白いベールは群青の域を侵してその色を淡くさせる。私は大きく息を吸った。その瞬間だった。
 水平線と空の境が強烈に白んだ。煌々と太陽が顔を出したのである。まだ半分も見えていないというのに、私の見ている景色は急速に鮮やかさを得た。
 太陽はやがてその全貌を露わにした。黄色い紡錘形の中に白球が鎮座する様子は、人の目を想起させた。眩しさに顔をしかめながら、私は世界を照らす目と相対した。
 私は心中で何度も尋ねた。「この絵は何だ」、と。しかし、返ってくるのは落莫とした静寂のみであった。自ずと私は自問自答を始めたが、思考は頭に「堂々」を冠しながら巡り続けた。
 いつの間にか太陽は、見上げる位置まで昇っていた。先程まで太陽のあった場所には橙の残滓が散乱するばかりであった。私はそこに当て嵌めるように「臨淵」を掲げた。
 青年が断崖に立ち、水平線から昇る旭日に臨む絵である。
 少なくともそれだけが確かだと悟った。

臨淵

臨淵

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-03-23

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