奇想詩『帰ってきたロスト・イン・ウルトラ・トランスレーション』

奇想詩『帰ってきたロスト・イン・ウルトラ・トランスレーション』

「本当に強い人間はね、戦うときかすかに笑うと思うんですよ」
(「美の巨人たち」成田亨『MANの立像』)

このホテルで銀色の人に出逢ったのは


もうずいぶんと昔のことだ


私はここで一度


人生を変えようとした


いや 変えようとしたというよりも


すべてを投げ捨ててしまおうとした


と言ったほうがいくらか正確かもしれない


けれどもその試みはうまくいかなかった


あるいはあれはただの中年の危機


というやつだったのかもしれない


思えば私はずいぶんと平凡な人生を歩んできた


男と結婚して子どもを産んで仕事に復帰してやがて離婚した


そこには特筆すべきものなんて何もない


私の生い立ちや人生を


デヴィッド・カッパーフィールドのように語ったところで


何も得られるものはないし


ハーレクイン小説でも読んでいたほうが


よっぽどか腹の足しになる


けれどもそんな味気のない人生のなかで


ちょうど浜辺で輝くガラス玉のように


唯一鮮やかな記憶がこのホテルにはある


けれども記憶はあくまで記憶であって


それ以上でもそれ以下でもない


実際のホテルはすっかり寂れて


当時のような華やかさはもうここにはない


バーラウンジには


くたびれたジャズバンドがいて


くたびれた演奏をしていた


非常ベルが鳴っても


まるで時報でも聞いているかのように


誰も驚くこともなければ


ぞろぞろと避難する人々もいなかった


すべてはすでに過ぎ去ってしまったあとだった


一晩泊まって翌朝のチェックアウトの時に


外のロータリーで見覚えのある姿を目にした


銀色の人だった


ヘアッ!


彼はあの時とまったく変わっていなかった


どうしていいのかわからないまま


私が立ちつくしていると


彼はおもむろに自分の胸についているものを外し


私の胸の中心にそれをそっと押し当てた


それと同時に彼が抱えてきた


永遠に近いような長さの記憶を


私は一瞬で共有した


彼は仏のようにかすかに笑っていた


私は泣いていた


私が泣いているのではなく


その記憶が泣いていた


記憶は涙を流せない


記憶が私に涙を流させた


私にはそれがわかった


ピコン、ピコン、ピコン……


私の胸が赤く点滅していた

奇想詩『帰ってきたロスト・イン・ウルトラ・トランスレーション』

〈あとがき〉
『ロスト・イン・ウルトラ・トランスレーション』の続編です。
やっぱりウルトラマンは帰ってこなくちゃね。

奇想詩『帰ってきたロスト・イン・ウルトラ・トランスレーション』

  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-03-16

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