僕は詩人だ(散文詩集「青き血、銀の精」より)

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 幾たびも、肉の底より燃ゆる焔、黒々と轟く虎の紋様うねりうねって、殺意に淀み、腸から湧く牙迫るが如く、鎖千切れる筋力で、いざ放たれんと躍り昇っては、どっとなべての肉揺るがして、頬さえぞっと戦慄かせるは、野獣譲りの青い鮮血()と、下腹部より沸く銀の精液。

   *

 それに気付いて以来だが、僕、注意ぶかく生きざるをえぬ、何故といい、先天的に、罪人宿すの僕だから。罪状、さながら、わが内部にあるようだ。わが脳髄を、憎しみの儘砕くが如く、思うが儘に暴行したのだ、むろん、夥しい瑕回復不能、しかも理想に、縫い合わせるのも能わなかった。
 それにより、僕がえたのは躁がしき悪酒(アブサン)、憂いに沈む悪臭のバーボン、くわえて地獄に咲いてた花なのだった、赤きアブサン煽りもしてから、ペンと紙とり、僕いつだって、地獄の華を素描(デッサン)できる、サイケ詩人の僕にあっては、極上の贈物なのである。
 凶暴極まる脳髄の問題、或いはもしや、血に受け継いだ、肉に負わすそれなのかも知れぬ。確定を、留保しようか。わが欠陥を、血筋()に負わし決定するのは、勇気のない証だ。生涯、わが責任を捜索せよ。翳の塵這入りこむ、脈さながらの魂の瑕、ゆび伝い辿り、電流のような痛みに耐え、ただ理詰めで悔恨せよ。さればわが身を痛めよ、痛めるのだ。そして苦しめ。
 宣言。
 僕、なるたけ悉くを決定しない。「韻」とし言葉・信念の手前に佇んで、変わり往く現実の複雑さの裡に耐えつづける、霞みて視えぬ蒼穹へ、欲しがりな腕必至で降るは、それ、歌うの「律動」で、そが複雑と晦渋の、視力意味せぬ曖昧模糊な深海にて、混濁に煙り、躁がしく、アッパーな乱痴気騒ぎの儘にうごめき、まるでVillonが、酔いどれ心地に身を委ね、司教を殺害したようにして、暗みの焔を矢と放つ如くに、Psychedelicに歌うのだ──清マレタ眸ヲ欲スノダ。
 信念持たぬが君の信念、ンな反駁がなんだと云うのだ、判断するのは文脈だ。
 僕、絶対を拒み狼吠える原始の夜へ、良識掻き分け疲れた貌で後退りながら、腕、在るかも判らぬ絶対へ、狂ったように降りつづけるのだった。僕、さながらシオマネキ。片恋の情念、夢の風船と吹き飛ばしては、月と重装。触れることすらできぬ距離、肉欲火に鎮められ、そらへ投げ遣りに放たれるのは、銀に燦くメダルにすぎぬ。
 僕がなにを云いたいかって? つまりはね、先ずもって、無垢へ剥き、重装せよ。重装せよ。三重構造ではまだ足りぬ。無限に装飾重ねられ、しゃんと多重の銀の硬き音色曳きながら、重たく重たく沈みながらも、上へ上へと翼の筋力鍛えもし、すればそらへと舞いあがれ! ──陶酔。それか? 判らない。
 信念の決定、そいつ、自我のみに適用。
 襤褸の賤しき衣装を纏って、実質背には、死の翳うつろう雪の衣装、貴族趣味なるドレスシューズ、履いては滑稽極るステップ、ひとびとへ、自虐と自罰のパフォーマンスに興じては、終えるとどっと切なくて、独りぼっちで泣きじゃくる、捻じ曲がりもした嫌われ者の、わが偉大なる相克の賤しきダンディズム、僕、しかもAquoibonistでもあるようだ。ゲンズブール、わが友よ。
 然り。我を縛り定義づける条件、これに決定。

 ・ 僕は、詩人だ。

 報われずとも、認められずとも、詩作の才能なぞ勘定にいれぬ、嗚、誇り貴くも才なくて、唯毀れ堕ちるよりほかのない、撰ばれし、秩序にとって不快な欠陥のみがある、瑕負う魂、断末魔の息零すがように、光と音楽、歌う衝動已められぬ──すれば僕、先ずもって、詩人として立てたと云えるのだ。ドロップアウト──魂と知性、乃至言葉の問題。
 生涯を賭け、純粋な詩人へ、わが睡る水晶、剥きつづけるのがわが生活。それ実現不可能、遥か頭上に沈む、厳然たる城郭への到達として。であるから僕、そいつを為るのだ、否、為る気にもなるのだった。
 たとい浮浪者になろうとも、葉の裏に瑕と詩篇書き付ける、刹那葉の、昆虫の体液散るような透明な血飛沫、そいつに切なる詩性享けもする、そうでなければ不可ないのだ。裏返しの虚栄心、そいつ、しっかりとわが掌中で裏がえしなおされる、然り、優しい心配は御無用だ。僕には傲慢さが、背骨に有るから。
 かの自己韜晦野郎、Charles Baudelaireじゃないけれど、雨降る暴言・軽蔑は、僕にはきちんと早起できた、真面目きわまる幼児(おさなご)の、黎明の真白の陽にも似る。然り、爽快、努力の証。賤民ダンディ、それで在りたいのが僕なんだ。
 僕、云うなれば──知性の意味なんかじゃない──「わたし」という器に這入りきれぬもの等、どうしようもなく、夥しい質量で抱え込んでいるのだった、然り、それ等かならずや、化学変化させねばならぬのだ。瑕、血に負わせて逃げるのは、倫理の意味において賤民だ。歌による化学変化の意志、そういうものが、僕いわく、詩人的倫理というものだ。
「セカイは我が表象である」、ハッ、身も蓋もないものは糞でも喰らえ、僕はロマン派ギライであって、しかも生粋のロマン派だ、愚かな夢みるひとをしか、愛せないのが僕なんだ。そんな命題(もの)なぞ唾棄・(うず)めよ。
「世界は我が氷晶である」、かの壮麗な硝子盤に、深くふかく美意識を打たれよ、すれば其が絶対美へ剥かれた風景美、幻の翳の義母に泣き、めざめる不在と抱き・竦めよ。
 僕にとり、ぞっと現実宿ってるのは、ただ、わが裡にめざめる淋しさであるのだった。

   *

 こいつは青津亮という、エゴイスティックな凶暴性をもてあました、病的に内気な人間の、一個の生の方法論であり、それ哲学にならぬ、むろん人生論の如き善い代物にもならぬ、されどまたそれをも包含し冒涜し破壊しズタズタに砕きニヒルの火を放ち果ては澄む硝子へと化学変化させんとつとめ──して、それ等総てにおいて敗北し失墜しつづける僕の、眼窩でちかと燦めく「死への憧れ」とも重装して了った、拙き散文詩の一纏めだ。

僕は詩人だ(散文詩集「青き血、銀の精」より)

僕は詩人だ(散文詩集「青き血、銀の精」より)

  • 自由詩
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-03-15

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