ハル子さんのステキな隣人
書店で働くハル子さんはもう8年間も一人暮らしを続けています。ハル子さんは書店のみなさんからとても良い人だとよく褒められていますが、お仕事の場以外でハル子さんがみなさん方と交流することはありません。お仕事の間もハル子さんはテキパキとお仕事の指示をするだけでお昼だって一人で食べています。ですが、ハル子さんは寂しくありません。折角のお手製サンドイッチですから、誰にも邪魔されずしっかりと味わって食べなくっちゃ勿体ないですから、誰かとお話している暇なんてありません。お食事の後の少しの時間も、おしゃべりで世話好きな田辺聖子さんから危険な恋のお話を聞かなくってはいけませんから、ハル子さんはちっとも寂しくないのです。
お家に帰ったハル子さんは、真っ先に大貫妙子さんを起こします。そして彼女からたくさんのメルヘンを教えてもらいながら、ハル子さんはお米を研いだり、ジャガイモの皮を剥いたり、楽しく手を動かします。お料理の後は、お気に入りの入浴剤でたくさん泡立ったお風呂にゆっくり浸かります。お湯上りのハル子さんは長い髪をまとめることも、ドライヤーに当てて乾かすこともしません。だってそんなごうごうと音を出してしまっては、せっかくのヨーヨーマさんのご機嫌な音色が聞こえなくなってしまいますから。ポトスライムの優しい葉に触れ、音色が途絶えるまで身を任せている間に、髪はすっかり乾いているのです。その後は、何度訪れたか分からない高野文子さんのリッチなデパートでちょっとお転婆なショッピングをするのです。ハル子さんにはたくさんのステキな隣人がいるのです。彼女は一人暮らしですが、決して一人きりではないのです。だから、ハル子さんは少しも寂しくないのでした。
眠る時間になると、ハル子さんは歯磨きを済ませ、愉快な気の合う隣人たちとお別れをします。ようやくハル子さんは一人になるのです。この時、ハル子さんは飾りっけのない毛抜きを手にして、それを鼻に入れるのです。おかしいでしょう?でも、ハル子さんはもう5年間もこうして夜を迎えているのです。鼻の中で毛抜きを2、3度動かして閉じた状態で思い切り引き抜きます。意外と、毛抜きは空を掴んでいて何も感触のないままハル子さんの孤独な儀は終わりを迎えるのですが、ごく稀に、しっかりと鼻毛を掴んでいた毛抜きがその働きを見せ、ハル子さんに鋭い刺激を与えてくれるのです。この間だけは、聖子さんも妙子さんも口を閉じて、ヨーヨーマさんはチェロを離して、文子さんのお店は閉まっています。
ハル子さんの隣人は多くいますが、お休みの日には河原の周りをお散歩したりと眠る前でも一人の時間を大切にします。綿毛を飛ばしたり、普段は気にも留めない草花の名前を考えたり、やはりとても充実しています。そして満足して家に帰ると、またステキなみなさんがお出迎えしてくれるのです。恋のお話を聞かせて?聖子さん。夢の世界へ連れて行って?妙子さん。そうこうしているうちに、もうハル子さんはお休みの時間です。お休みの前には決まってすることがあります。それは毛抜きを鼻に入れ、引き抜くことです。痛い思いをするか、しないか。ハル子さんはこの少しの刺激と緊張が好きでした。とてもわずかな未知の結末への期待を膨らませながら、ハル子さんが抜いた毛抜きの先には、真っ白い毛が付いていました。今まで見たこともない毛です。おまけに何かが引っ掛かっているのに、痛みも刺激もありませんでした。そして、よく見てみて、その白い毛は今朝吹いたタンポポの綿毛であることが分かるのです。鼻の奥まで入って今の今に器用に掴んで抜けた事実に、ハル子さんは何とも可笑しい気がして、まじまじと獲物を見るのです。暗い部屋の中でハル子さんと綿毛だけが浮かんでいます。ステキな隣人たちは何も声をかけてくれません。
こんな時、ハル子さんは自分の一人を実感し、少し寂しく思うのです。
ハル子さんのステキな隣人
特に参考にした作品
漫画「Logic?」カネコアツシ……『Atomic?』(エンターブレイン) ※作品のテーマ、これに高野文子作品をミックスしたものでイメージ
漫画「超妄想A子の憂鬱と現実」浅野いにお……『世界の終わりと夜明け前』(小学館) ※オチ