猫股

 Wordからのコピーアンドペーストの為、一部読みにくい箇所があるかもしれません。申し訳ないです。

 朝目覚めてベッドの中でシーツに身をこする。布団をはねのけ上体を起こし、アキオはエロ雑誌を手に取りながら、ベッドの端に腰掛け、両足を空に出す。エロ雑誌の中では不思議と気品を漂わせるほど煽情的なポーズで、半裸の美女がアキオを見つめている。
 アキオは眠気ナマコで美女と見つめあい、無気力な表情をそのままに自慰を行った。美女は三日で飽きる。彼女に魅力を感じるわけでもない。性的興奮を覚えているわけでもない。それでもアキオは自身のペニスを毛の生えた指で包み、上下にこすり続けた。アキオは下宿に越した日から、これを欠かしたことがなかった。いわゆるモーニングルーティーンである。寝坊をした日も、ひどい二日酔いに襲われていた日も、自慰だけは欠かさなかった。
 
 夏になるたびアキオはうだるような暑さに布団の中で身悶えていた。しかし悶えれば悶える程、どうしようもなく体は熱を帯び、垢の混じった汗を出し続けた。もとより皮膚の弱いアキオは、悶えると同時に全身をひどくかきむしった。汗疹は次第に、ジュクジュクに爛れて、痛々しい無花果色に化ける。夏の暑さ、夜の長さ、体の痒み、それならいっそ布団など取っ払ってしまえばいいのだろうが、アキオは布団だけは意地でも身から離さず、終始無言で夜通し身悶えていた。
 そんなわけで、夏になるとアキオの身体は真っ赤に変色し、関節部分にもなれば、二目と見れない程に無残な姿になっていた。それはアキオのペニスもまたしかりである。そもそも局部という場所は、デリケートゾーンなどと言うくせに、何とも痒みを覚えやすい構造にあるのである。しかしアキオの場合は局部の被害よりもその周辺の太ももから付け根にかけての被害が甚大で、毒草ばかりが茂った沼地の如く荒れていた。それでもアキオは朝の習慣をやめなかった。痛みや、それに伴う不快感を覚えながらも、なるべくパートナーを傷めないよう配慮して手を動かした。もはや自慰とは名ばかりである。
 しかしそんなアキオも自身の身体に危機感を覚えていないわけではなく、ハイツの管理人や他の住人などとの日常会話の中に混ぜ込むなどで治療法の情報収集を図った。収集の対象年齢が高すぎたからか、結果的にアキオが勧められたのは見るからに怪しい漢方屋であった。
 漢方屋の中は使い古されたレコードのような、甘い何かが焦げた匂いがした。アキオは「ごめんください」と普段ならまず口にしないであろう入店の挨拶を投げて、反応をうかがうことにした。奥から出てきたのは小型の枝切ばさみを手にした小型の老婆であった。染みだらけのちゃんちゃんこにくるまり腰を丸めたその姿は、さながら使い古された湯たんぽのようである。アキオは冷めた気分でいそいそと何か作業をしている老婆を見守っていた。
 しばらく客を無視して戸棚のあっちこっちをいじくっていた老婆だったが、どうやら一段落着いたらしく煮干し程の細い目でアキオを見つめた。二人は初めて目が合ったが、今度はアキオの方が何故か慌てて目を逸らした。
「あい、あいすいませんで。お客様なぞ随分長い間、見てないんでな、ちいと支度に手が回っちまってお待たせしてしまいましたねえ。ほんとに。」
 老婆は見た目とは裏腹に、なかなかの愛想を見せた。アキオは少し安心して、老婆に用を伝えた。
 「はいはい。ちむぽが、はい、はいですな。いいえ恥ずかしがることではありませんぞ。殿方には大変、よくあることでございますな。ええ、ええ。今まで何度も聞いた話であります。しかしよくある話であればあるほど、良薬がある。これが薬学の常でごぜえます。御安心なさい。熱帯夜こそ続きますが、もう少し過ごうしやすい快適な夜になりますで。はい。それではですな。はい。触診いたすんではい。まんず…はい、はい、よござんす、はい。奥に、ええ、椅子があるんで、あ、あ、あ、よろしいか?はい。いえ、けっこうで、あ、あ、あ、大変。あ~あ~あ~。あんた、あ~、なんでまた、こんなになるまでほうておいたんですか。」
 アキオは我が身のことでありながら、そこまで自身のペニスが痛ましい現状であるとは思わなかった。自分以外のペニスはもっと穢れていてカスがたまって、浅ましく常あるごとに勃起し続けるものであると、何の根拠もなしにそう考え、逆に自分のペニスには魔法がかかったような高潔さをどこか感じていた。だからこそこんな老婆に、いじられて、眉を顰められるペニスの現状浴びせられている恥辱に我慢ならなかった。かといってどうこうできるわけでもなく、ただアキオのポテンシャルだけが著しく下落した。
 「これはもう…。はい、はいですね、これは、もう。はい。打つべき手を打たんといかんです。秘薬ですな。間違ってもそこいらのドラッグストアアにおいてある三級品では元も子もありませぬ。傷を治そうにもあんた、お客様はねぇ、あなた、搔きむしるでしょう。クシャクシャに。わかるんですよ。いえ、お客さんを攻めてるわけではござんせん。ここまでひどくなる人は稀ですが、大概ねえ、治んない人は薬を塗ってもその晩には掻きむしってしまうもんなんですわ、はい。私に手ぇがありますで、お任せください。ええ、怪しい物ではございませんとも、きっちり当店で調合した秘薬でございます。これ「猫舌」と申します。」
 老婆は入店時に見せたごたつきを微塵も感じさせないほどに、スムーズに棚から薬瓶を取り出した。やけに気味の悪い茶色の薬だなと思うアキオだったが、よくよく見ると瓶にこびりついた埃が赤黒くかびている色であった。
 「警戒なさらなくてもよろしいですよ、お客様。ええ、しかしですな。まあ……。動揺する気持ちはわかりますで、お客様なんぞは近辺のドラッグストアなんぞを贔屓にしているのでしょう。ええ、そうでしょう。普段などは。ま、ま、ま、それが常識というか、世の流れでございますな。ええ、しかしですな。はい、この秘薬は、秘密の秘を冠しているのでございますから、当然、名に見合うほどの得能がありますんです。「猫舌」いいます。はい、動物の。はい、庭先なんぞでよくあくびなんぞしている、はい、あの猫でございまする。何故そんな名前が付けられたかですと?それは、このように……。はい、あ、はい、塗り薬ですな。軟膏です。はい、よ、はい。これ、人差し指の第一関節程まで乗せてください。はい、これが一回分です。あ、それでですな。この色でございます。まるで猫の下のように赤いような、ピンク色のような…。でしょう?そこからですな。名は「猫舌」と申します。ちょうど、手に取ってしまいましたねえ。一度使ってみましょうか。ほい、これに、沁みますで、はい。」
 老婆はしわくちゃの手でアキオの股を抑え、付け根に指を這わせた。「猫舌」なる奇妙な薬はアキオのまたぐらに奇妙な清涼感と響くような痛みを与え、患部に浸透した。アキオは何の根拠もないが絶対的な安心感に包まれた。老婆の長台詞と年季の入った瓶がなせる業である。
 
 まさか断るわけにもいかずアキオは「猫舌」を購入した。不精なアキオは寝起きの自慰行為以外とんと習慣というものが根付いたことはなかったが、「猫舌」を塗る事だけは欠かさなかった。生まれて初めて自身の身体をいたわる経験が彼に満足感を与えたこともあるが、何よりも「猫舌」の効果が甚大であったことが大きかった。内腿にまで広がった爛れはジンジンと痛むが、痛みが勝り痒みが消えたというより、以前まであったぬめぬめとした感触の悪さが消え、常に清風をかけられているような解放感があった。蒸し暑くあれ程アキオを苦しめた布団の中も局部一つひんやりするだけで、信じられない程快適な空間に変わったのだ。
 順調に回復していく日々の中で唯一アキオを悩ませたのは、爛れていた内股に隙間なく行きわたった瘡蓋がおよそ皮膚では想像もつかない硬さに固まっていることである。ざらざらでこぼこと不統一で歪な瘡蓋は強靭な硬さを維持したまま、どれだけ月日が経っても取れることはなく、感覚そのものがなくなってしまったかのように、それ特有のむず痒さを引き起こすこともなく、まるで海岸にこびりつくフジツボのようである。呑気なアキオも流石に自分の身体に起こっている異常に恐怖を覚え、お湯にあてふやかしてみようだとか、ピンセットで無理やりはがしてみようかなど試みたものの、どれ一つ効果はなく瘡蓋は相も変わらない硬度を維持し股座を支配していた。その硬度たるや自慰行為の際に誤って瘡蓋に手が当たると、すりむくような傷を負ったほどである。
 あんまりにも瘡蓋が硬いと歩くにも大変である。ただでさえ替えの少ないジーンズは次々内股が破れる。もともと運動などは嫌いなアキオだが、走る飛ぶなどの脚を使った動きも大幅に制限されてしまう。股ぐらだけでなく、膝裏の荒れにも猫舌を使おうかと何度か思ったが、万が一使っているといよいよ膝が固まり、曲げられないブリキの足になっていたところである。
 ここまであからさまな変化が起きると普通ならば例の漢方屋に直撃するものだが、アキオは不便なトラブルに舌打ちこそすれ、面倒が勝り、あの老婆に会いに行くことはなかった。ところが、猫舌を使用してから大体一ヶ月が経過した折、無精なアキオが再び漢方屋を訪れた。薬がきれたわけではない。瘡蓋が硬いなどとは比べ物にならない身体の異常が起きたのである。
 アキオが再び漢方屋に訪れたその日の朝、アキオは目が覚めてすぐにいつものルーティンを行うべく、ズボンを脱ぎ、自分はまだ夢の中にいたのだと錯覚した。
 それも無理のないことである。瘡蓋に挟まれ、窮屈そうに縮こまっていたはずのアキオの陰茎が、猫の頭になっているのである。おまけにこすられ続けるアキオの目を見て、ニャーン。猫なで声。見下げる構図のせいで陰茎すべてが猫の頭になっているように見えていたが、よくよく見ると頭になっているのは所謂亀頭の部分で、その付根は滾っている際の彼のそれである。そこまで立派なイチモツをアキオが所持しているわけではないが、雰囲気的にはろくろ首のようである。辛うじて見覚えのある部分を撫でると、うっすら人間のそれではない毛が生えている。玉の部分にもビッシリ生えている。そして何より触れているはずなのに、陰茎に微塵も触れられている感覚がない。まあ、これは夢なのだからと、あいも変わらず現実逃避に走ろうとするアキオの抑制心は、無遠慮に玉を撫でている手に、ガブリと猫頭が噛みつくことで崩れ去った。痛みもあれば、手には敏感すぎるほどの感覚がある。これは紛うことなき現実なのだ。
 錯覚が解けて間もなく、アキオは噴出するように下宿を飛び出し漢方屋に走ったわけであるが、信じられないことに店は開いていたが老婆はいなかった。半狂乱で老婆を呼び続けながら、店中を探し回っていると、触診を受けた際に老婆が椅子代わりにしていた棚台の中に「猫舌について」という明らかに年代物の書物があった。中はくずし字で書かれているので、上手く解読することはできなかったが、挿絵で何となく内容を知ることが出来た。
 一つ目の挿絵は竹細工の籠の中に大量の猫が入れられている見る人が見れば癒やされそうなものである。その横では煙管を吹いた江戸っ子が何だかいやらしい笑みを浮かべている。
 二つ目の挿絵はその猫が褌姿の男に抑え込まれ、舌を引き抜かれ殺されている様子が描かれている。死屍累々という言葉が似合う横たわってグテンと伸びた猫の姿は見る人が見れば卒倒しそうなものがある。
 そして最後に当たる三つ目の挿絵は先程採取したであろう猫舌を鍋に入れコトコト煮詰めている様子である。名前も知らない薬草などを入れ、女に混ぜられている鍋の周囲には、パッチワークのように並べられた猫の亡骸がある。ダークな北斎漫画を見ているような気分に一瞬浸るが、とどのつまり何故自分の陰茎が猫になっているのかは結局わからない。老婆もいよいよ最後まで顔を出すことなく、アキオは諦めて帰路についた。股の異常に関しては、もう猫の祟りとでも思う他ないではないか。
 結局、老婆とはそれから会えていない。ひょっとするとあのときは偶然席を外していただけで、今は何食わぬ顔で店番しているのかもしれないが、そこは無精が勝るアキオである。
 しかし無精により、諦めの窮地に達したところで、猫との奇妙な共生が終わるわけではない。猫は隙あらば鳴き声を上げ、周囲から注目される上に、ポロポロ毛を落とす。パンツの中は猫毛まみれになって、これが中々取れない。洗濯すると他の衣類にも混じってしまう。これが猫毛の特性なのかは猫を飼ったことがないアキオには分からないが、抜けている茶色の抜け毛はクリンクリンと丸まっていて、確かによく絡みつきそうである。
 そして猫はよく噛みつく、猫の可動域は例の瘡蓋に守られ、傷つくことはないが生身である瘡蓋の付け根がジンジン痛んで集中できない。  
 できないといえば、彼のルーティンワークである。そもそも陰茎に感覚がないのだから幾ら性的欲求を放棄した行為とはいえ、虚しすぎる。当然、いくら擦っても射精することはない。行為中、猫頭はフギャンと不貞腐れたような声を上げ、しばらくは宿主であるアキオの手の中でグニングニン揺れていたが、ふとした瞬間に突然噛み付いてくる。どうも所謂「殺す」ゾーンを撫でてしまったようである。
 手を絆創膏まみれにしてまで、虚しい行為を続ける道理はない。アキオのルーティンは遂に途切れた。途切れアキアは廃人と化した。痒みと共に生気まで消えてしまったのだ。毎日夕方まで寝て、朝方まで起きる。ティッシュまみれだったゴミ箱はスーパーの割引惣菜のから箱まみれになった。テレビもネットもしていない。廃人となったアキオは布団に包まる猫袋である。近づけばニャンとうっすら聞こえてくる。臭くて暑苦しい猫袋。
 しかし猫袋である前に廃人なわけで、廃人といえど人間なわけで、糞尿の処理は欠かせない。アキオは隈まみれの目を擦りながら、尿をする。これがまた、猫頭持ちには中々面倒な習慣で、まず放尿する部分が金玉の裏なのだ。玉裏にはミシン針で開けたほどの小さな菊穴があり、そこから何とも間抜けな音を立てて、尿が出てくる。
 猫はその時、ティヤーと鳴く。猫袋と化したアキオは、徹底して猫の介護に尽くしている自身を憐れみ、袋にある2つの穴から汚汁を垂らす。
 愛玩動物とはすごいもので、全く猫に興味のなかったアキオにすら、股ぐらの猫頭を労らさせるほど、寄生的性質に長けている。こんな身でありながら、アキオは猫頭を恨んだことはない。老婆には再会すれば惨殺しかねないほど煮え滾る怒りを覚えているが、猫頭に関しては寧ろ、人生において縁がない者と考えていた我が子のようにすら思い、アキオは懸命な労いを費やした。
 ただし、いくら我が子でも辛抱ならない時はある。アキオにとってのそれは日に日に回数を増してくる噛みつきである。瘡蓋の付根がシクシク痛む時もあれば、体勢によっては生身(瘡蓋も生身なのだが)を噛まれてしまい悲鳴を上げるときだって少なくない。例の放尿中に噛みつかれ部屋中に尿が撒き散った時など、本気で切り離してやろうかと考えたほどである。
 ある日、隣に住む豚のような女がアキオ宅のインターフォンを鳴らした。ヌードショーレディである女は、尋常じゃないほどの厚化粧に包まれた頬を歪まして、アキオに「ニーハオ」と小声で挨拶をした。断っておくが、この豚は純粋国産種である。
 アキオは自分がデブであるため太った女が嫌いだが、この女に関しては好いていた。時折エロ雑誌を差し入れてくれるからである。しかし猫袋にもはや性欲刺激物は必要がない。さっさと追い払ってしまおうかと思うが、チープな指輪の他に何も持っていない事から察して、どうも今回はなんの用意もしていないようである。
 「アキオくん」
 女はわざとらしい仕草で静粛な雰囲気を演出し、秘密の話を装う。
 「猫。飼ってるでしょ?‥あなた」
 返事のかわりにアキオは、鼻で笑った。なぜか鼻をついて出たのであって、しらばっくれる気も女を小馬鹿にする意図もない。女はそんなアキオの反応を気にもとめず、ツラツラと続けた。
 「分かるのよ。声が聞こえるんだもの。アン、アンアンアン‥いやね。見くびらないでよ。確かに下宿はペット禁止だけど、大家に密告するほどアタシ野暮天じゃないわよん。それに、捨て猫ちゃんでしょう?アキオくんにもそんな優しさがあったって、嬉しんだぁ〜‥オネエさん」
 豚は五十代前半である。
 「え?‥捨て猫って?違うの?だって声が弱ってるんだもの‥お腹空いちゃってるのにご飯食べないんでしょう?あるあるよあるある。そういうときはね、削節をあげるといいわよ。それかミルクね。いいのいいよ。お礼なんて。ね、独り身に猫は効くわよ。アタシしってんだもん。ね。ナイショ、ね。大家にバレたら、ね。殺されちゃうわよ。舌切雀みたいに、ね」
 女はナイショナイショと芋虫のような指を何度も、どす黒いルージュの口に添え、去っていった。アキオは布団の中には戻らず、パンツの中の猫頭を見た。猫頭はアキオを見るとニャーンと猫なで声を上げた。腹が減ったのかと聞いてやると、猫頭は返事のかわりに雁首をペロリと舐めた。アキオは鰹節と牛乳を買いに行った。
 しかしその結果は無惨なものだった。鰹節をやろうとすると、指が千切れるのではないかというほど手を噛みつかれ、牛乳は飲もうとすらしない。胴体が棒状のため、上からモノをやらないと呑み込めないのだ。しかし、だからといって自分の指を差し出すことはできない。
 困り果てていた際に、再びインターフォンが鳴った。鳴らしたのはまたも豚女である。今度は手ぶらではなく、手にはくすんだ茶色の塊を握っている。
 「あのね、これね。鰹節の原木。これ、削って上げたらネ。ネコちゃんにもいいと思うの。市販品はね、ホラ、確証もないけど、何か混じってそうじゃない?だからこれ、ね」
 アキオは惚けた顔で、原木を受け取る。しかし、削る道具がないと困る。
 「あ〜‥ねぇ‥。それはね、申し訳ないけれども、自前で用意して頂戴。あの、これはネ‥食用でないというか、アタシの中にちょっと‥ぶっコンじゃったもんなのよ。ブホホホホ」
 女が笑う。とんでもないものが混じっているではないか。
 手には女陰を泳いだ鰹の亡骸、股には江戸から続く怨念の化身。どうにかしてこれを削ったところで、どうせ餌付けることはできない。しかし、せっかく手にしたのだから何とかして食わせてやりたい母体心。近づけて見ると、猫頭は夢中で首を伸ばそうとする。女陰か鰹か、何に反応を示しているのかは分からないが、まちがい無く食いたがっている。カリカリペロペロ猫頭が原木を嫐るが、憐れなことに削るほどの力はないようである。まどろっこしくてたまらないのか、猫頭は途中で大きく首を震わし、勢いよく瘡蓋に噛みつく。力が入っている分、いつもより一層、鈍い痛みが響く。一方で、やはり瘡蓋には傷一つ付いていない。噛まれたところを慎重にさすり、相変わらず鑢のように危ういざらつきを体感して、アキオはふと閃いた。これで原木を削ってみてはどうだろうか。思い立ったが吉日。何故か深呼吸をして、アキオは猫頭をじっと見つめながら、自分の内股に原木を沿わせる。するとシャアーと、か細い音を立て、一筋の鉋屑が猫頭の近くに音もなく落下した。アキオは思わずキャッと声を上げる。信じられない程目論見は上手くいった。猫頭は頬ずりするように鉋屑もとい鰹節を舐め上げると、舌鼓を打ちながらニャーンと鳴いた。アキオはその瞬間、言いようもなく幸福になった。
 

 男根とは欲求の権化だ。性欲と睡眠欲。この二つの渇きを訴え、屹立するように、猫頭もまた、空腹の時だけその存在をアピールするようになるようだ。実際、あれだけ世話を焼かせていた猫頭は、ほんの少し鰹節を食わせてやるだけで眠り、強引にゆすりでもしない限り、起きることは無くなった。別に腹が減ったとて、猫頭に胃は無いのだから、餓死することは無いだろうが、それでも膨らんだ欲求はどこかで埋めてやらねばいかんのだ。
 男共が朝に勃たせるのと同じで、猫頭の空腹は決まって早朝である。アキオはカリカリという内股の痺れで目を覚まし、気だるげに布団を蹴とばす。そしてベッドの縁で両足を空に投げ出し、脇に置いてある鰹節の原木を手に取る。それを包み込むようによく握り、片手で脱いだパンツの奥で愛らしく鳴く猫頭に先を向けて、内股の瘡蓋の先から付け根にかけてまでゆっくり原木をこする。そして一定のペースでそれを繰り返す。猫頭は原木の先から出る鰹節にありつく。アキオはそれを見て言葉にならない満足感や安心感を覚える。しばらくは原木を擦る音と、ピチャピチャという猫頭の咀嚼音だけが部屋に響き渡る。ある程度で、猫頭は食事を止め、大きく雁首を逸らし、低い声で唸ったかと思うと、ペッとクシャクシャに丸められた鰹節の塊を吐き出す。アキオはそれをゴミ箱に投げ捨て、清々しい気分でベッドを後にする。長い人生、紆余曲折あれど、アキオはこれだけは欠かしたことが無かった。いわゆるモーニングルーティーンなのである。

猫股

特に参考にした作品
漫画「猫又」水木しげる……『猫又』(朝日ソノラマ) ※体から猫が生えるという現象 タイトル

猫股

皮膚が弱く、夏場はひどいカブレと蕁麻疹に襲われるズボラな成年アキオ。特に股座は二目と見れない程にひどく荒れていたが、自慰中毒でもあるアキオはどれだけ幹部が痛んでも欠かさず行為にふけっていた。それでもやはり体の不調を改善したいと考えているアキオは、小耳に挟んで訪ねてみた古い漢方屋から怪しい軟膏「猫舌」を手渡される。これが画期的なほど効力を見せるのだが、改善と同時に、アキオは世にも恐ろしい身体異常に苦しまされることになるのであった……

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 成人向け
更新日
登録日
2023-03-10

Public Domain
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