ふたつ陽の国で

1.共和国7年 双日期

 革命は終わった!

 静粛に! 諸君! 革命は終わった!
 議場の扉がけたたましく開け放たれる。
 物々しい軍服を着た兵隊が共和国の中枢である、
 今や神聖とも呼べるであろう議場の中に次々と駆け込んでいく。
 これでおしまい?
 おそらくは少女のであろう。可憐な声が議場に響いた。
 そう、革命は終わったのだ!
 もう一度高らかと叫ぶ声の方向に、
 少女は一瞬邪魔者を見るような視線を送る。
 すぐに明後日の方を見て、また可憐な声を茫洋と響かせる。
 みんな、お腹いっぱいになれたのかな?
 ……そっか。ならいいや。
 もう、飽きたんだね。夢にも……血にも。
 じゃあ、これがいい。もう。終わりにしよう。そうしよう。
 最後は噛みしめるように言うと、
 血の河のような赤い髪の少女は、
 幕を引くかのように髪を靡かせ、
 スカーレットのスカートを引き摺り、
 恍惚としたままで議場を後にした。

 結末はあっけないものだった。
 革命政府が貴族と戦うために組織した革命軍は、最後は政府に牙を剥く。
 ふたつ日がまたひとつになるのを待たず、
 ズオン将軍のクーデターにより、ペンタバーロの第一共和政は終わった。

2.共和国8年 単日期

 ペンタバーロの内戦は王党派のクーデターにより終わった。峻厳な革命政府は、より穏健な政府へと生まれ変わる。
 この国を照らすひとつの太陽は、どんな未来への標となるのだろう。


「ええと、議場はどっちかな……」
 シャルロッテ・ルイーズ・ペンタバーロが、慣れない大宮殿の中を右往左往しながら、かつて劇場だった場所、今は議場を目指して、わかりやすく道に迷っていた。
 10年ぶりの大宮殿。ようやくここに還ってきたのだと、調度類のひとつひとつを見ながらロッテは感慨に耽る。
 しまった。
 過去の空想に浸ってる場合ではなかった。自分は寝坊して遅刻寸前の身。じきに議会が開く時間になる。
「こっちかな……」
「そっちは中庭だよ。お姫様」
 十字の通路を目的地と反対側に走って行こうとしたロッテの手を引いたのは眼鏡の女性だった。
 肩くらいの赤毛を三つ編みに編んで、優しそうな眼差しの奥に針のような鋭さがどこかにあって、シャツの襟を開けて首に直に黒いネクタイを変に結んでいる。
 髪よりも鮮やかな真紅の上着に、白黒チェック柄の膝上というより股下で長さを図った方がいいスカート。脚を見せつけるようなタイツスタイル。
 これが自由というものなら、自分はもう少し不自由な世の中でもいいな。コルセットがなくなるくらいがちょうどいいや。とロッテは思った。見てるだけで父のように自由に殺されそうな気がする。
 不審がるロッテをよそに、赤毛の女性は彼女の手を引いて議場に誘う。
「私もそうだったけど、みんな最初は右も左もわかんないものさ。議場はこっち」
「ご親切にありがとうございます。私。寝坊しちゃって。フソウにもおいてかれて、慌てて出てきて……」
 赤毛の女性は笑う。
「ふふ。家来に愛想着かされちゃったか、かわいそうに。そうだ。控室には行った? お姫様が良ければ今日の議事が終わったら案内してあげるよ。今日は議長を決めて、明日から何を話し合うか決めるだけだから。時間は十分にあるよ」
「いいんですか?」
「構わないとも。同じ議会に集まったもの同士、仲良くしようよ」
 赤毛の女性が、劇場の扉を開いた。恭しくロッテに、どちらに王党派がいるか導く。
「さて、ここが議場になります。お姫様。王党派は向かって左。右翼席でございます」
「間に合った……。何から何までありがとうございます。ええと……そうです。大変失礼ですが、お名前をお伺いしていませんでした」
 赤毛の女性は首を傾げた。
「名前? そっか。なりが変わってるから、わからなかったんだ」
 彼女は微笑みを崩さずに恭しく一礼し、自分が何者であるかを名乗る。
「はじめまして。私はマリア・ベラスカ。実は故郷に帰って、どこか遠い国にでも行こうとしてたんだ。でも不思議なことも起きるもんだね。届け出も出してなかった選挙に通ったからポルトベラスコからとんぼ返りすることになったんだ。お姫様はご存知ないかもしれないけど、私はこの国で執政をさせてもらったこともあるんだよ。……私が誰かわかった?」
 ロッテの顔から、血の気が引いていく。
 マリア・ベラスカ。
 10年前。ポルトベラスコの寺院から炊き出しの為にペンタバーロにやってきた少女。
 鍋が空になってもまだ列を作っていた人を見るに堪えず、白い旗を振り突き動かされたように人民をソレイユの小宮殿に導いた少女。
 小宮殿で撃たれた人民の血で旗を染めて王宮の中に入り、透き通る声で何度も王を呼び続けた少女。
 小宮殿に侵入して国王を拉致し、ペンタバーロの市庁舎に拘禁。議会召集を譲歩させた少女。
 革命の旗幟そのものとなり、王国議会に議員として選出された少女。
 そして、
 群衆を焚きつけて民兵で大宮殿を囲み、自分に従うかペンタバーロが滅ぶかを突き付けた少女。
 国王を国民議会で告発し、自害に追い込んだ少女。
 王妃も同様に告発し、絞首刑ではなくて斬首にした少女。
 民兵を人民の軍隊に仕立て上げて、農地改革に反対する貴族を片っ端から絞首刑にしていった少女……。
「生きているの……。どうして……?」
 ロッテは唖然としてマリア・ベラスカを見る。彼女はやや心外だったようだ。
「人を幽霊みたいな目で見ないで欲しいな。足はまだついてるよ。地に足がつかなくなったのはズオンの方さ」
 親指で窓の外を見る気もなく指さす。先に吊るされているのは、双日期にクーデターを起こして彼女を排除した男の残骸が吊るされている姿だった。
「ただ人を撃つだけの男、神輿も担げないような男に、人民が喝采を送ることはない。ああなるのは当然なんだよ」
 眼鏡の奥の更に奥。眼差しの底にある人を刺すような峻厳さは、革命家の眼……。


「やれやれ。嫌われたかな?」
 マリア・ベラスカはロッテが逃げるように王党派の席に向かって走っていくのを眺める。
「ああいう子は、私は嫌いになれないタイプなんだけどな。人民にも好かれそうだ。……今のところは」
 着席するように声がかかる中、彼女は左翼中段の、執政になるまで座っていた自分の席とも呼べる場所に腰を下ろした。
「如何に深い業を抱えていたとしても、お姫様の首をくくるようなことはしたくないな」
 左翼中段の席からはロッテが座る王党派のやや後ろ側の席が良く見えた。

 ロッテは息を切らせて王党派の集まる右翼席に駆け込む。
「フソウ! 酷いよ。私……!」
 フソウと呼ばれた男は、笏を持ち、独特の上着にズボン。長い髪は纏めて冠の中に収めていた。彼の生国で高位の官吏がする服装らしい。
 彼は特にロッテに対して心配した様子はなかった。
「ちゃんと一人で来れたじゃねえか」
「怖かったの!」
「ま、それも経験よ。何事も経験してみないとわからねぇこともある。お姫様。冒険はいかがでしたでしょうか」
「いじわる!」
 議会に来ても右も左もわからない。周りの人が自分に対して異常なまでに恭しくするのに、助けてはくれない。親切だったのはよりにもよって両親を殺したマリア・ベラスカだけ。
 ここは王党派の集まりだと聞いていたが、革命前もこうだったのだろうか?
 聞き慣れた声が聞こえる。
「あら、王女殿下。生きていらしたのね。嬉しいわ」
 ロッテが声のする方に眼をやるとそこに立っていたのは流れる黒髪に愛くるしい顔、瞳に星虹が輝く豊満な体躯の女性。アンリエット・ダリコーン。

 植民地コートダリコンからやってきて、かつて母の侍女をしていた女。自分の子守をしていた女。
 革命の進行とともに両親を裏切り、共和派に鞍替えして母を絞首刑ではなく華々しく斬首にしましょうと提案した女。
 王位請求者である叔父の一人を議場の三階から投擲して暗殺した女。
 母の死刑の際には満面の笑みで、執行人に剣や斧ではなく鋸を渡した女。
 そして、私をー。

 呼吸が止まらない。ロッテはその場に蹲り、痙攣するような動作を繰り返す。
 それは彼女の愉悦だろうか。アンリエットはロッテから視線を動かさない。ただ微笑みを湛えて眺めている。
「婆さん。あんまりロッテを脅すんじゃねえよ」
 フソウがアンリエットに釘を刺す。アンリエットは微笑みを湛えたまま、自らの若く美しい見た目を誇るように尋ねる。
「婆さん? 酷いわフソウ。私のどこがお婆さんなのかしら」
「お前さんは俺の婆さんより年上じゃねえか。立派な婆さんだぜ。もちろん俺ぁ敬老の精神というのも忘れねえけどな」
 悪態をつくフソウに、アンリエットは少し忌々しげな顔をするが、直ぐにまた微笑みを湛える。
「言ってくれますわね。まぁいいでしょう。それよりも、今日は本当に私を執政に選んでくださるのよね?」
「いつまで続くかはわかんねぇけどな。今日のところは勘弁しといてやるよ」
「嬉しいわ」
 アンリエットは満面の笑みで、王党派の議員に向かい合う。
「皆様、本日は革命の終わった記念すべき日になります。我々は再びあの華々しい宮廷を取り戻し、美しいペンタバーロを再建いたししましょう!」
 お追従の歓声と拍手になりそうな雰囲気は、強い2拍で打ち消された。
「それくらいにしておくんだな」
 透き通る声の主は先代国王の庶子、ウルトラ公ジロー。なおジローは母の姓である。ウルトラ公を始めとする王党派の一部は、マリア・ベラスカの失脚までペンタバーロ各地で革命政府に抵抗を続け、アンリエットの工作で有利な選挙制度を勝ち取るまで戦っていたのである。
 貴公子然とした銀髪の青年である彼は、冷たい視線をアンリエットに向ける。
「まるで自分一人で全て成し遂げたような態度は謹んだほうがいい」
 水を指したウルトラ公にアンリエットは動じない。
「そうね。かわいいかわいい王子様。王子様も大変なご苦労をなさいましたものね」
 愚弄するような物言いに、ウルトラ公はたじろぐ。通常ならばここで怒り、切り返すところだが、そうはいかない。
 かわいいかわいい王子様。とは、王国時代にウルトラ公の母親が先代国王の寵愛を嵩に懸けて王子ではない自分の息子を王子呼びしていたことに由来する。
 なおアンリエットは王妃の……当時は王太子妃の侍従として衆目の前でウルトラ公の母親に制裁を加えて、喧嘩を買った少年の頃のウルトラ公と決闘したこともある。このときの煽り文句も、かわいいかわいい王子様。であった。
 勝負は一言で無様と言わざるを得なかった。
 剣を得物としたウルトラ公は、アンリエットの心臓を一撃で突いた……。はずが、装甲を仕込んだコルセットに剣は弾かれた。そのまま素手の間合いに近寄られて小手投げを決められる。結局少年期のウルトラ公は、王太子妃の生意気な侍従が死ぬところを見に来た観客の前で腕をへし折られた上に降参するまで尻を叩かれ続けることになった。
 衆目に恥を晒し、泣き出す彼をアンリエットは勝利を誇示するかのように優しく抱きしめ、頭を撫でて言った。
 かわいいかわいい王子様。ご苦労をなさいましたね。と……。
 決闘の後アンリエットはウルトラ公に、自分は素手で熊を投げたことがあると教え、指で銀貨を曲げてみせた。
 実際、王国議会時代に彼女を暗殺しようとした王弟の一人とその徒党を、アンリエットはロッテを庇いながら素手で迎え撃ち、二人を殴り殺し王弟本人を3階の客席から二つ巴が円を描くように投擲したこともあるのだ。
 その時の彼女は、しまったと呟いた後で3階から下に向けて叫んだ。
「王弟殿下! 私が貴方を投げてしまっては、飛んでいく貴方を私が観られないじゃありませんの! 殿下! 演り直しはできませんの?」
 このときは王女を庇っていた体となったため、お咎めなしであったが、誰もが彼女の愛らしい外見からは考えられない蛮勇に恐怖することとなったのだ。

 恐怖の追想。解離した光景にウルトラ公の端麗な顔が青ざめる。アンリエットは口角を吊り上げる。
「でしたら、私と貴方。今回だけの特別に。次の執政を決闘で決めても構いませんのよ? かわいいかわいい王子様。貴方がお相手なら大歓迎ですわ。あちらの舞台上で華々しく、どちらが共和国の執政に相応しいか、議員の皆様にご覧になっていただくのも素晴らしい催し物になると思いますの」
 ウルトラ公は絶句する。アンリエットは笑顔を崩さないまま、声色を変える。
「今は我々が相争っている場合ではありませんわ。ご賢明な閣下はご存知でお戯れをなさっていらっしゃるの。私は重々承知していますの。ですから閣下のお戯れに、昔のように甘えてしまいましたけれども……」
 ウルトラ公に近寄ってドレスを持ち上げて先に一礼して、手を差し出す。
「公。執政の一件に関しましては、私にしばらくのご後援をいただけませんこと……?」
 ウルトラ公は恐る恐るアンリエットの手を取り、口を付けて応えた。
 
 アンリエットとウルトラ公のやり取りを傍目にロッテはフソウに抱えられて席に着く。
「大丈夫か、ロッテ」
 えづきながら涙目でアンリエットを睨みつける。
「アンリエット……。許さないんだから……。絶対に……」

 ペンタバーロの国民議会は先ず、すべての議員に共和国への宣誓を要求した。
 選挙の結果、王党派が4割を占めるようになり、王政が復古する兆しが見え始めていた。
 それでもこの国は共和国であり、一度最後の国王に礼節を尽くして王政の葬列を行っているのである。
 執政として内定しているアンリエットが、先の執政であるマリア・ベラスカに宣誓の順番を譲った。マリア・ベラスカは一度遠慮したが、アンリエットか近づき遠慮するその手を掴んで抱き寄せる。そのまま頬に口づけると、目を合わせて、議場全てに響く高らかな声でもう一度宣誓を譲る。
「私の素敵な護国卿様。人民の人、革命の先達として、共和国への宣誓の模範を見せていただけませんか」
 護国卿とは酷い言われようだが、ここまで言われれば一番に壇上に立たざるを得ない。
「執政を追われた身ながら。皆に先駆けて宣誓をいたします。私、ベラスコの人マリアは、ペンタバーロの共和政がとこしえにあるように、共和国がただ人民とともに歩むように、ただ国家の繁栄と人民の幸福の為のみこの職位を全うすることを誓います」
 ここに右翼席から指笛が鳴らされ
「いいぞ! 革命家!」
「王殺し! 刑場は空いてるぞ!」
 などのヤジが跳ばされる。
 マリア・ベラスカはしてやられたとアンリエットを見る。アンリエットは口を抑えて笑っている。
 入れ代わりアンリエットが宣誓する。
「私アンリエットは、アリコン出ずる海岸より、この遠きペンタバーロに来たりました。遥か彼方の民なれど、いち国民、いち議員として国民より国家を信託された身として革命の成果、憲法、共和国の全ての国民を護り、擁護いたします」
 選挙制度を貴族と土地所有者に限り、これから憲法を修正しようとする王党派に再転向した身の上での宣誓であったため、この宣誓は失笑が漏れた。
 後に続く王党派の宣誓は祖国への忠義を誓う簡素な素っ気ないものであったが、先代国王の庶子であるウルトラ公の宣誓により宣誓はまた盛り上がることになった。
「私は議員の職位に対し、この身体に流れる血、父より受けた爵位、そして身命全てを懸けて天地神明に宣誓する。我が祖国に繁栄を、すべての民の擁護者としてあることを! 遍く恩恵をもたらさんことを!」
 まるで自分が国王であるかのような物言いに、今度は左翼席の少数の議員から
「僭称者!お前も国王のように腹を切れ!」
 という野次が飛んだ。
 やがて、ロッテに順番が回る。
 共和国を愛するマリア・ベラスカや、革命も反革命もお祭りとしか考えていないアンリエット。現状を自分の王位への踏み台にしか捉えていないウルトラ公と、自分は違う。
 両親を殺され、華やかなソレイユから薄汚れたペンタバーロに連れてこられ、厄介者から政治のコマとして扱われ続けたロッテからすれば、共和国はボウフラの湧く吹き溜まりにしか見えない。
 自分もこの吹き溜まりのボウフラの一匹と大差なくなるのね。と。ここに来て腹の底からの怒りと軽蔑がまた込み上げてくる。
 反吐は飲み込め。報復の日までは。
 ロッテは、宣誓する。
「……共和国の市民、シャルロッテ・ルイーズ・ペンタバーロ。私は……。私は……」
 言い淀む。野次は飛ばない。恐らく、言い淀む事を想定していなかったのだろう。
 心にもない宣誓に魂が汚れる。この汚濁を乗り越えなければ、父の無念を晴らすことも、母の受けた刑をやり返すこともできない。
 私が両親の仇を討つことも出来ないのなら、ペンタバーロの5千年の王政とは何なのだろうか?
 そう信じなければ、こんな宣誓をすることを許すことはできない。
 もう一度歯を食いしばって、口を開く。
「私は選ばれた議員の職制を全うし、共和国の繁栄の為に粉骨砕身。魂の一片まで祖国に尽くすことをここに宣誓します」
 アンリエットが拍手をする。他の議員も倣う。
 マリア・ベラスカは拍手はせずに腕を組み、眼鏡の向こうから冷ややかな視線をロッテに向けていた。

 宣誓が終わり、アンリエットが壇上に立つ。
「仮の議長をお引き受けいたします身として、まだ、執政として立候補するにあたり、改めて自己紹介をいたします」
 まず出自を述べる。
「私アンリエット・ダリコーンは共和国の海外保護領コートダリコンに生まれました。現在保護領を統べるアリコン公の長子であり、公継嗣でございます」
 続いて、これまでの履歴を述べる。
「20年前にペンタバーロにやってきた私は宮廷に出仕し、程なく王妃の侍従としてソレイユにお部屋をいただく厚遇を受けました。王女の養育係も務めました。議員としての職責は、国民議会のアリコン代表として、国民議会発足より議員を務めております。私は革命によって混沌としていた当時のペンタバーロにおいて、融和を旨とし8年の職責を確かに全うしたと自負しております。また、派遣議員を2年、自治大臣を2年、保安委員を2年務めさせていただきました」
 自治大臣とは、植民地の開発と植民地軍を統括する組織で、彼女は大臣として実家の保護領コートダリコンに最大限貢献していた。
 最後に、対抗馬の立候補を促す。
「私の他に立候補なさる方がいらっしゃるのでしたら、壇上にお願いいたします」
 立候補はない。アンリエットは左翼中段に流し目を遣る。
 マリア・ベラスカが興味なさげに眼鏡を拭いているのを見て、一瞬だけ眉を寄せる。
「私の他に立候補がなければ投票ではなく、賛意を確認する拍手のみといたしましょう」
 拍手が直ぐに議場を覆う。
「賛意をありがたく頂戴いたします。では、続いて執政として各部大臣の指名をいたしましょう」
 アンリエットは予め準備されていた大臣の名簿を読み上げ、これも拍手で受け入れられた。
 この面々が今回の政変の黒幕であり、軍部を抱き込んでマリア・ベラスカを拘禁する一方で、掌を返して用済みになったズオンを第一共和政に対する反逆で絞首刑にしたのだ。

 マリア・ベラスカは苦い顔をしつつも、黙って拍手をしている。
 クーデターで自分は絞首刑になるはずが、議員としてお膳立てまでしてもらって再び議場にいる。気味の悪さと、野次を飛ばされて再び鉄火場に引き戻された熱気に当てられている自分に嫌悪感すら抱いていた。アンリエットを吊るしてやろうという意気はしばらく戻ってこないだろう。
「革命が終わっても、世界は続いていくんだな……。今日のところはいいや。アンリエットには、精々地に足の付いた政治とやらをしてもらおう。……頼むよ」

 議長を兼ねる執政の指名を以て、第一共和政最後の議会の幕が上がる。
 壇上のアンリエットが抱負を述べる。
「革命は終わりました。いえ、終わらせなければいけません。これ以上、お題目を掲げて美辞麗句の名の下に、国民を死なせ続けることは為政者の成すことではありません。これからは政治をいたしましょう。経世済民を為しましょう。国民のために革命の成果を無に帰さないために」
 この抱負には王党派からブーイングが出た。アンリエットは睨みつけこそしなかったものの、瞳の奥の星虹は不満げに輝く。
 なおアンリエットは最後に、マリア・ベラスカに野次を飛ばした議員の中で、自分の台本になかった下品な野次を不適切発言として懲罰する動議を提出した。


 マリア・ベラスカが右翼席にやって来た。
 王政を廃し、先のペンタバーロ国王を自害に追い込んだ彼女に、王党派の面々は当然のことながら軽蔑の視線を向ける。
 なお、王妃の斬首に関しては正反対であり、この王党派の議員たちの中でも国民議会に籍を残したものたちの大半は賛成に投じたばかりか、アンリエットの他にも死刑方法を数百年行われていない斬首にしようと積極的に働きかけた議員もいる。
 ロッテはふるふる。と震えながらフソウの後ろに隠れる。
「なんだ、お姫様。マリア・ベラスカは噛みついたりしないぞ?」
「フソウ、あなたは怖くないの?」
 ロッテにはらフソウがアンリエットやマリア・ベラスカのような怪物と正対して平然としているのが不思議でならない。
「俺は護国卿サマやアンリエットには小銭を貸してるからな。小銭を踏み倒すために俺の首を括ったりしたら、もう誰にも金を貸して貰えなくなるって寸法よ」
 フソウの冗談も、恐怖には全然通じることはなかった。
「こんな人にお金を貸さないでよ。地獄に落ちるわよ」
 フソウはため息をつく。
「お姫様。言っとくけどな、お姫様もお姫様の言う「こんな人」の一人だからな」
 ロッテは自分がフソウに養われている身であることを改めて思い知らされる。自分はペンタバーロの名前だけで議席に座る飾り物でしかないのだ。
 こんなことなら母の実家のファンシュハイクに送ってもらえればよかった。ファンシュハイクなら、私はきっとお姫様でいられたのに。
 ロッテはマリア・ベラスカから視線を逸らすように、忌々しげに議場を眺める。
「酷い言われようだね。お姫様」
 マリア・ベラスカが、ロッテに声をかける。
 無視するロッテを見かねて、フソウがマリア・ベラスカに声をかける。
「よう護国卿サマ。今朝うちのお姫様を、さんざ脅かしたみてえだな。嫌われてるぞ」
「自己紹介しただけだよ。あと、護国卿って言うのはやめろよ。執政になったことはあっても、護国卿になった覚えはない」
「そんで、なんの用だ? 革命裁判所はお休みだろ?」
「本当に君は口が悪いな。いいかい? 私は目に付いた人間を片っ端から告発したりしてないぞ。アンリエットだって生きてただろ? お姫様に控室の案内をする約束をしていたから、声を掛けに来たんだ」
 フソウは思いがけない提案に喜ぶ。
「お、そりゃいい。俺の手間が省ける。頼むぜ」
「フソウ、あなたも……」
 フソウはロッテについてきて、とは言わせなかった。
「お姫様。何事も経験だ。二人で行って来い」

 マリア・ベラスカは朝の約束どおりに大宮殿を案内する。ロッテの想像よりもマリア・ベラスカははるかに親切で、議員が使わないような部屋なり通路なりをまずは案内してくれた。
 ロッテもほとんど立ち入ったことのない部屋がいくつもあり、そこは感心して話を聞いていた。また、国民議会の職員もマリア・ベラスカを知っていたので咎めることはなかった。職員との間柄は峻厳で高圧的な執政のイメージではなく、昔からの友人のように見えた。
 二人は密談に使われる議員の控室に入る。
「昔は、この部屋は何に使われていたのかしら」
「ここは談話室だよ。観劇が始まるまでとか、休憩時間、あと終わってから寛ぐための場所だったんだ」
「それは華やかだったのでしょうね……」
 ロッテはまた昔に思いを馳せる。
「今は控室だったり、相談事をするのにつかわれているよ。お姫様は過去に想いを馳せるのが好きなんだね」
 マリア・ベラスカはロッテが思いを馳せる度に今の話をして水を差す。ロッテは不機嫌そうに返す。
「いけませんか?」
「気分を害したなら謝るよ」
「……いいですか、私はあなたのせいで、ソレイユの小宮殿からペンタバーロに連れてこられて、そこからも追い出された……。私は今日、やっとペンタバーロの大宮殿に帰ってきたんです。私はソレイユに帰りたい。もとに戻して欲しいだけなんです……」
 涙ぐむロッテに、マリア・ベラスカは困惑する。
「今日は政治の話をするつもりはなかったんだけど、それはできない相談だね。君の希望は人民の声とはかけ離れているんだ。あの時私は人民の声を聞いて、国王の葬儀を出した。王政を葬って共和政を始めたんだ。今更死体を墓から掘り起こすわけにもいかないだろ?」
「なら、私はそのお墓から掘り起こされた生きる死体よ……。私はあなたに両親を殺されているのよ? あなたも木の股から生まれたわけじゃあないでしょう?」
 マリア・ベラスカは苦笑せざるを得なかった。
「私に両親はいないよ。物心ついたときには両親は私を捨てたか死んだか。その時にアンリエットがベラスコにたまたまやって来て、出会った私を気まぐれに寺院に放り込んだりしなかったら、そのまま野垂れ死んでたかも……。もしかしたら、私は本当に木の股から生まれたかも知れないな」
 マリア・ベラスカは冗談のつもりだったが、ロッテの顔は引きつっていた。
 親がいないなら、人の親を殺しても良心の呵責なんかないの?
 いえ、流石にそんな人ではないのはわかるけど、でも、共和派の考えなら、革命の為ならこんな人が誰でも平気で殺せるようになるのかしら……。
 ロッテはマリア・ベラスカとの決して交じり合わない部分をはっきりと自覚することになった。
 その自覚には恐怖も嫌悪もなかった。
 ただ親のためではなくて、自分がソレイユに帰る為にはこの人を倒さないといけないのだと。
 ロッテは去り際にマリア・ベラスカに捨て台詞を吐く。
「今日はありがとう。あなたが悪い人じゃないのはわかりましたし、不幸なのは私だけじゃないのもわかりました。……それでも、私はあなたを絶対に許さない。そのうちにあなたがお母様にしたように、鋸で頭を落としてあげるから。期待してて」

 マリア・ベラスカは去っていくロッテを見送る。
 むき出しの敵意を予想していなかったと言えば噓になる。それでも、議員としてやって来てソレイユに帰りたいだの、ただ私怨のためにあなたを絶対に許さないと面と向かって言ってくるとは思わなかったのは、自分の甘えだろうか?
「革命裁判所がなくなっていて、本当によかったな」
 消すか消されるか、相手が王女で自分が革命の旗手。これが革命の絶頂期なら、本当に絞首刑にせざるを得なかったはずだ。
 通路で憮然とするマリア・ベラスカの前に、鼻歌交じりに通り掛かる白い影。
 黒髪を靡かせ、瞳の星虹を煌めかせ、ドレスの裾を持ち上げて一礼したのはアンリエット。
「ごきげんよう。マリア・ベラスカ」
 マリア・ベラスカも一礼を返す。
「ごきげんよう執政」
 アンリエットはマリア・ベラスカに、自分が失脚させた相手とは思えないような態度をとる。
「貴女。しばらく見ないうちに垢抜けたわね。かわいいわ。眼鏡も素敵ですこと、貴女ったら、目が悪くなっているのに眼鏡も作らないから、ずっと目を細めてしかめっ面をしていらしたものね」
「本当にゴキゲンだね。……あのとき、いっそ私に止めを刺さなくてよかったのかい?」
「あら。私がそんな薄情な女に見えて?」
 マリア・ベラスカはアンリエットが王妃を鋸で頭を落としたのを思い出した。
「王妃は刑場でそう思ったかもね」
 アンリエットはせせら笑う。
「王妃さま? あぁ、あれはね。お追従を真に受けて有頂天になるようなお馬鹿さんに、最高の晴れ舞台を用意してあげたのよ。あなたも、十字架か火あぶりになっていたらとても素敵だったでしょうね」
「でも君はそうしなかった。私を捕まえたとき、私を好きにできただろ?」
 アンリエットは人差し指でマリア・ベラスカの鼻先に触れる。
「嫌よ。だって、まだまだ貴女で楽しんでいませんもの」
 マリア・ベラスカは面食らった。そうだ、この女はただ楽しくて革命を弄んでいたのだ。
 アンリエットは歌うように聞く。
「ねえ、どうして? 貴女はまだここにいるの? 革命は終わったのに、何もかも終わったのに。見ればわかるわ。目は疲れて、背中は煤けて。本当はもう限界じゃないかしら。あなたのやってきたことは、本当は無駄じゃなかったの? これからアリコンに連れて行こうかしら、貴女を飼ってあげるわ」
 マリア・ベラスカ首を横に振る。
「革命はまだ終わってないよ。君こそ、アリコンに帰ったほうがいい。アリコンにも未来がある。自分の国の未来は、君も楽しみだろ? 私よりも、ペンタバーロよりも、自分の国を大事にしなよ」
「そうはおっしゃるけど……。アリコンの独立を蹴ったのは、他ならない貴女でしょう?」
 コートダリコンの独立に関してはアンリエットも自治大臣のころに念入りに準備をしていたのだが、マリア・ベラスカにコーヒーとチョコレートの苗木を渡され、この樹がコートダリコンに根を張る頃にと諭されて破談となった。元はユニコーンの角と奴隷が交易品であったコートダリコンの経済基盤を考えれば、最もな理由ではあったのだが。
「お母様は大喜びだったみたいだけれども……」
 渋い顔になるマリア・ベラスカの答えを待たず、アンリエットは続ける。
「そんな顔をしないで。別に、私は気にしていないのよ? あんな田舎に未練はないし……。それよりも、私はこの狂乱の国で、永遠にお姫様でありたいの。王妃が望んだように、これは女の子みんなの夢でしょう?」
「それこそ人それぞれだよ。君が本当はどういう嗜好かは知ってる。お互いもう付き合いは長いんだから」
「あら? 私にはそうは見えないけれど。だって、私が貴女をどう思っているか、本当のところをもし知ったら……。貴女、きっと驚きますわ?」
「なかなかおぞましい話だね。ぞっとするよ」
 マリア・ベラスカの辟易するような顔を見て満足したアンリエットは、かつて王妃から下賜された懐中時計を見遣り時間を確認した。
「あらもうこんな時間。本当はもっとお喋りをしていたいけれども、他の田舎から出てきたおのぼりのおじさま達にペンタバーロを案内しないといけないの。……今日はマリア・ベラスカを倒した女に、マリア・ベラスカが恐れた女。素敵な二つ名をいただけそうで嬉しいわ。それではごきげんよう。また明日からもよろしくお願いしますわ」
 マリア・ベラスカは洋々と去っていくアンリエットの後ろ姿に
「手強いなぁ……」
 と半ば呆れて言う他なかった。
 間違いなくこの国で一番曲者の政治家と向かい合うのは、革命の体現者と化した彼女からしても簡単ではない。
 何かきっかけが……。いや、きっかけなんて本当は無くていいんじゃないか? 自分を倒してあっという間に混乱を収拾したアンリエットなら、口ではああ露悪的に振る舞っているけれども、本当はうまくペンタバーロを操縦できるのではないか。
 マリア・ベラスカはそう信じたいほど疲れ果てていた。


 翌日から議事の進行が始まった。議長はアンリエット。
「本当ならば憲法の改正を本旨と致したいのですが、まず。目下の懸念としてファンシュハイクとの戦争を如何様にするか、これを議題といたしたく申します。昨日も申し上げましたが、革命は終わりました。ですがファンシュハイクを含めた他国は、まだ私どもを未だに危険な革命勢力の一派だと見なしています。できればお話をして終わらせたいのですけれども、それは通らないみたいですの。だって……」
 アンリエットは瞳の奥の星虹を輝かせる。
「革命は終わった。でも、革命政府が手に入れた領土や権益は何も捨てない。当然でしょう? 革命が領土や権益を勝ち取ったわけではありませんわ。ペンタバーロの国益は、ペンタバーロすべての国民の流した血によって得られたものなのですから。ファンシュハイクに国民政府を打ち立てようだなんて愚かなことは致しません。でも、いただくものはいただきましょう」
 革命の対外不拡大方針と革命戦争の終結、現状の戦線での国境で講和を目指す方針がアンリエットより提示され、まず革命の不拡大方針は圧倒的多数により支持された。
 マリア・ベラスカが壇上に立つ。
「革命はまだ終わってはいない。この議場に集まる議員は、貴族か大土地所有者によって選ばれた人々だ。もちろん私もその一員だ。だが、それは人民によって選ばれた正統な政府とは……」
 御高説をやめろ! 戦争の話をしろ! と野次が飛ぶ。
 マリア・ベラスカは妥協する。
「失礼。……私も戦争の継続には反対する。未だにこのペンタバーロですら理想的な国家足り得ないのに、世界にどのような理想を広めようというのか? 革命戦争は終わらせるべきだし、戦争につぎ込んでいる資材はより有為に用いられ、戦争に投じられている人命はよりよく生きるべきなのだから」
 彼女でさえ、革命の意義と継続について壇上で苦言を呈したものの、これ以上世界をペンタバーロを荒らすことを望まなかった。
 そのため、後段は野次ではなく拍手で応えられた。マリア・ベラスカが戦争の継続を願い、ペンタバーロの市民を扇動するならば戦争の終結は議会の問題ではなくなるからだ。
 戦争は終結する。終結させるとして、論争になったのはどこまで国境を拡げるがだった。戦争に負ければ革命が起きるだとか王政が復活するだとか、そんな夢物語は起こり得ないことを、左右の両翼は同じ夢を見て肯定していた。我々はこの議場を征する。そして王党派はペンタバーロが、共和派は革命が、それぞれ外国に勝利しなければならない。
 アンリエットは現状でよいとしたが、進むならどこまで、引くならばどこまでといくつもの案が出る。特にわかりやすかったのは自然国境説や同じ言語系の人民を統合する大ペンタバーロ案、幾何学的な国境線を引けとする「ペンタバーロの五角形」案などが提示された。
 最終的には不利にならなければ講和優先、条件は外相一任として粛々と進められた。王党派から選ばれた外相は急ぎ前線へ赴く。
 また、ペンタバーロはファンシュハイク方面に25万の兵力を派遣しているが、内戦で戦っていた王党派共和派の両派の将兵合わせて50万の増派も決定した。これは当該方面のファンシュハイク軍に対して、10倍の兵力に相当する。
 荒れた議題は封建地代の補償案と、来る第二共和政の憲法だった。
 壇上に立つのはウルトラ公。彼は開口一番に断言する。
「革命とは、つまるところ暴力による秩序の破壊に他ならなかった」
 そして、廃止された封建的特権への補償を求める。
「革命によって人民に付与された権利だけではなく、奪われた権利もある。正当な権利に、正当な補償を求めるのは、なんら間違った行いではない」
 入れ替わりマリア・ベラスカが壇上に立った。
「復古とはなんだろうか、正当な権利とはなんだろうか。ペンタバーロの貴族制ははるか昔、王に従士として付き従った人々が、ペンタバーロの各地に各々の土地を与えられた結果生まれたものだ。では、いまやその貴族に与えられた特権とは何を指すのか、もう一度確認しよう」
 中間派に視線を遣り、右手を掲げて共感を求める。
「この議場にいる人たちの中にもいるだろう。領主に地代を納めたことのある人、賦役として領主の館で働いたことのある人、森の動物を追い立てるために勢子をさせられた人。ウルトラ公が望んでいるのは、あなた方に再び地代や、家事の奉仕や、狩りの勢子を求め、でなければ国家から金銭を要求しようというのだ。このようなさもしい行いが貴族の行いだというのなら、蛮族とでも名乗るがいい。私はこれらの回復にも、国家による金銭の補償にも、断固反対する」
 王党派の席から「悪魔め!」と野次が響く。恐らく生活の糧を奪われた貴族の声であろう、その声には迫力があった。
 
 アンリエットはマリア・ベラスカを物足りなさそうな目で見つめる。
 彼女はかつてマリア・ベラスカが執政をしていた時期に封建的特権の無償撤廃に反対しようとして、自分は全く対象外だったので何もできなかったことがある。
 あぁ、故郷と同じ要領で自分で畑なんかやるのではありませんでしたわ……。と漏らし、マリア・ベラスカの耳に入って呆れられていた。
 とりあえず他に持論がある議員がいないか、適当な法学者あたりに話を振ることにした。

 さらに荒れたのは憲法の改正案である。元首の存在に関して、王党派と共和派は真っ向から対決する。ウルトラ公は壇上で吠える。
「10年前。この国には王が居た。10年前。我らにはすべてがあった。今はない。全ては共和主義者の横暴によるものだ。あの3階の貴賓席を見てほしい。そこに座っていた国王は腹を切り、ペンタバーロにもはや太陽はない」
 共和政に対する非難を続ける。
「共和主義者により、ペンタバーロの太陽は沈み、暗闇の中我々はもがき、苦しんでいる。今、すべてを巻き戻さなければならない。この国には、かつて王がいた。王と貴族による秩序を、この国に取り戻さなければならないのだ」
 と、王政の必要性を語りかける。
 マリア・ベラスカは真っ向から立ち向かう。
「白々しい。誰が王冠を被りたいのか、野心が明白な陰謀に加担するわけにはいかない。共和国に元首は必要ない。革命を終わらせるのなら、議会独裁も止めるべきだ。可能な限り権力分立を図り、どうしても元首を立てる必要があるというのであれば、全国民による直接選挙の上で任期を制限するべきだ。ペンタバーロにもう王は居ないし、改めて王を立てる必要はない!」
 ウルトラ公は元首の直接選挙についてマリア・ベラスカが口にすると。
「無分別だ!」
 と野次を飛ばした。アンリエットは発言は壇上でするように注意する。
 マリア・ベラスカは不利ながらも王党派と向かい合っている。
 ただし正直なところ、この議会では王党派の意のままにという訳にはいかない。
 王党派は400議席超を得て、アンリエットを支える与党を形成している。一方共和派は100議席を割り込んでおり、最早抵抗すらできないのではないかと思われる。
 しかし、議会の半数以上はどちらにも与しない中間派で形成されているのだ。彼らの構成は声のでかいところとしては立憲君主制や共和制の御高説をだらだらと述べたがる学者や弁護士、宣伝として出張ってきた宗教家、専門には長けるがありとあらゆることに自分の教養をひけらかしたがる様々な分野の学者、革命戦争で名を馳せたものの傷病や政府との折り合い悪く退役した軍人など、面倒な連中が並んでいる。
 だが、彼らは中間派の中では多数派ではない。中間派の中の多数派は、革命によって耕作権を根拠に土地を取得した大口小作人や、投資先として土地証券を買い漁っていたら選挙権がおまけでついてきた商人や銀行家、貴族が革命政府に抵抗した結果処刑されてしまい止む無く村から代表を出さざるを得なかった農民の代表などで構成されている。
 このような中間派からは議会独裁や革命裁判所などを特徴とする急進的な第一共和政憲法からの、保守的な憲法改正にはある程度賛意を得られても、封建地代の復活や補償などありえないのだ。
 王政への復古。これは逆に可能性があった。彼らは正直なところ政治に全く興味がないため、自分たちの権利を擁護してくれる庇護者がいればそれで構わない。面倒な政治などに関わるくらいなら、自らの田圃を耕していたいのだ。
 異変が起きたのは数日後。王党派と共和派が互いに憲法改正の案をならべて、議員であった学者や弁護士が一言述べたいと申し出て、一通り意見の出たその後だった。
 壇上に立つウルトラ公が啖呵を切ったのだ。
「真実をお伝えしよう。なぜ復古が遅々として進まないのか。なぜ正義が回復されないのか。それはこの議場に喜劇の花形を気取る人物が一人いるからに他ならない! 我々は道化を廃し、真っ当な政治を取り戻さなければならないのだ! 誰もが薄々気がついているが、私は明確に提示しよう」
 ウルトラ公の発言に議場は唖然とした。彼は誰を除こうというのか。
 革命裁判所は最早廃止されている。それに、マリア・ベラスカならば一度アンリエットに赦されている。蜂起を扇動したならまだしも、議場での態度だけでは反逆で訴えることはできないだろう。
 ウルトラ公の次の発言は驚くべきものだった。
「ここに私は、諸悪の根源として、アリコン公継嗣アンリエットを弾劾する! 彼女は造反者だ!」

 マリア・ベラスカは左翼中段から、目を丸くして壇上のウルトラ公を見る。
「なるほど。議事に頼らず神に向けてサイコロを振るのか。私の王子様も面白いことを考えるじゃないか」
 朝から何も入れていない胃が一瞬締まるような感覚を覚える。
 そして「声」が聞こえる。
「これは……。革命の再開だな」
 目を細めて議長席のアンリエットを見つめ直した。唇を読んで失笑する。
「酷いな。王子様を早漏呼ばわりか」
 とにかく、自分も立たなければならない。これは勝ち負けではない。
 王党派が2つに割れたとしても、今は勝算がない。
 しかし、
 負けるとわかっていても、戦わなければいけないときはある。


 ペンタバーロの革命政権では、常に誰かを倒すときにだけ他の党派が結束する。国王の暴力に対して貴族と共和派が結束して抵抗したし、マリア・ベラスカの排除の際は王党派は当然一致して、なおかつ中間派や粛清を恐れる共和派の一部も賛同した。今度の倒閣でも左右両翼が協調するだろう。
 革命裁判所はマリア・ベラスカの失脚に伴い廃止が決定されていたから、保守派の面々は当面はそこまで過酷な粛清を行うつもりも名分もなくなっていた。

 アンリエットには抵抗するつもりは全く無かった。採決を待たずに大人しく辞表を出す。彼女はふてぶてしく
「でも、次の執政が決まるまでは私が執政ですわ」
 豪語したものの。ウルトラ公に後ろから撃たれた身、王党派は分裂し自分には有力な後押しもないのでクーデターを仕掛ける余裕はない。
 今度はどんな遊びをしましょうか、かわいいかわいい王子様。左翼にはマリア・ベラスカも控えている。この二人を出し抜けるような都合のいい舞台装置と小道具を揃えないと。
 アンリエットは議場を眺め、使い古した丁度いい玩具と新品の玩具を大量に仕入れていたのを思い出した。

 誰が次の執政になるかによって、第二共和政での執政の選出方法や封建的特権の復活、王政の復古にも繋がっていくだろう。
 王党派からすれば全国民による直接選挙による大統領制など馬鹿げている。理想は共和政を終わらせる。王党派の名の通り、国王を立てて貴族院と地主の二院。世界はそれぞれの階級で分かたれるべきというわかりやすい世界観がある。中間派にしても、自分たちの権利を擁護する国王ならば歓迎するだろう。
 しかし、ペンタバーロに王はいない。
 いくら正統の王朝を謳おうとも、正統な継承者なき王権の根拠に血統を求めることが出来るのだろうか?
 国王には男子の子供はなく、ペンタバーロには女王の前例がなく、嫡出の兄弟も全員マリア・ベラスカに処刑されたか、アンリエット・ダリコーンとの闘争の結果サーベルを握った手の袖を片腕で捕まれて劇場の三階から投擲され死亡していた。
 もし王政を復古させるとすれば、国王の候補になるのは先王の非嫡出子のウルトラ公か、女子のシャルロッテ。
 王党派はこの二人のどちらかを国王に据えて、王政を復古させるつもりなのだろうか?
 そもそも王党派の中でもウルトラ公の支持は決して強くはないのだ。他に候補が現れれば、間違いなく王党派も割れる。

 夜が短くなり、この星に2つの太陽が代わる代わる昇っていく季節が始まるのがわかる。2つの太陽が1つに戻るとき、この国の政体はどうなっているのだろう。

3.王国歴4988年 双日期

 ほんの少し前まで、ペンタバーロの王権は揺るぎなく、華美で、儀式的で、退屈な繁栄を享受していた。
 この退屈な日はいつまで続いていくのだろう? ふとした問いの答えはいつも空に浮かんでいた。
 暦はいつも、ふたつの日が巡る季節が来ることを示しているのだから。


 アンリエット・ダリコーンは、王国議会の開会に王妃のお付きとして物陰で控えていた。王妃の不人気は相当なもので、アンリエットも君側の奸一号呼ばわりをされている。
 国王が拉致され、餓死をちらつかされて譲歩を引き出されて、王室の皆はソレイユの小宮殿からペンタバーロの大宮殿に移り住むことになる。お付きのアンリエットもこの大宮殿の大劇場に初めてやってきた。少数の廷臣達だけで特権のように演劇を楽しむ作りの小宮殿の劇場と異なり、大宮殿の劇場は背が高く3階にある貴賓席の見晴らしは良い。声もよく響く。
 議会という文化がかつてなかったペンタバーロにおいて議会を開くなどと開くなどということは国王にとって天地開闢以来の屈辱に他ならず。国王はままごとなどすぐにやめさせようと息巻いている。
 青筋を立てる国王、不機嫌な王妃、両親の機嫌が悪いことに不安にかられて泣く王女。それらを宥めるのはアンリエットにとって面倒ではあるが、革命が起きてこの方不思議と苦痛に思ったことはない。
 あの日以来、アンリエットは退屈から解放されているのだから。

 アンリエットは返す返す反芻するように思い出す。単日期の終わりの、日と日が入れ替わるまでの短い夜のこと。王妃が逢引に使う秘密の通路の出入り口を見張るために、短い夜を寝ずに番をしていたとき。
 あの日まで、自分はソレイユの宮廷暮らしに飽き飽きしていて、アリコンの田舎に帰ろうか、本当に思いつめていた。子守と不倫の手引きをして機械時計を下賜してもらうのが、田舎に飽いてペンタバーロに来た自分の愉しみだったのだろうかとため息を吐いていた。
 ソレイユに群衆が食糧を寄越せと押し寄せていた時を思い出して退屈を紛らわせる。
 自分が悪戯で花火に火を着けたところ、爆弾を投げ込まれたのかと慌てた近衛兵が発砲して暴力沙汰になったのが退屈しのぎとして丁度よかった。
 何よりも宮殿の門の前で、赤い髪の少女が撃たれた男を抱えて血に塗れて絶叫していたのが、当たりの歌劇でもなかなかお目にかかれない名演技だったのだ。
 噛み締めるように昨日の余韻に浸っていると、目の前を通り過ぎる一団に出会った。
 報復として国王を拉致する一団。
 それが別の陰謀ではないことは、先頭にいた少女の顔を見ればわかる。
 あの時に顔を見られていただろうか。
 自分が凄い笑顔をしていたであろうことも、不意に指を口に当てていたことも、目があったかもしれないことも。
 あの赤い髪の少女は今でも覚えているだろうか、現場に自分がいた事を、顔を合わせたことも、目があったことも覚えていないかも知れない。
 物語の続きがあまりにも鮮烈過ぎて、子供の頃に稲妻に撃たれたときのように、いやそれ以上の衝撃に、鼓動が止まることはない。いや止まったら死んでしまうのだがそういう意味ではない。
 やがて王妃の不倫相手が遅れてやってきたので、平静を装って何事もないように、いつも通り密会の部屋まで案内した。国王が拉致されていることを、自分が居合わせたことにも気付かせてはいけなかった。
 でないと面白いことにならないのだから。
 その日は眠れなかった。
 アリコンにいた子供の頃。初めて召使いの首をその手で締めて処分したときよりも激しい衝動に、成人の儀式で豚を素手で殴り殺したときよりも肌に伝わる血の感覚を感じていたのだから。
 これからペンタバーロでは天命が動く。革命が起きる。主役は間違いなく名前も知らない赤い髪のあの少女!
 アンリエットは怯える王女を抱きよせ、貴賓席の影から、議場を覗く。緞帳のようなドレスがはためき、王国に宣誓をする赤い髪が見える。名前が呼ばれた! マリア・ベラスカ!
 小宮殿の庭で聞いたあの声が議場に響き、オペラグラスの向こうの赤い瞳はあの夜に見た目よりも昏く輝いている。きっと物語の続きが始まるのだと、アンリエットの瞳の星虹は輝き心は躍る。王女をより強く抱き寄せる。
 ふと、アンリエットの脳裏にひとつのアイデアが浮かんだ。
 このままでは自分は桟敷の客の一人、下手をすればただの処刑される貴族の一人として終わってしまう。歌劇のような革命を最後まで見ずに、おめおめとアリコンに逃げ帰るべきなのだろうか?
 ありえない。この物語を最後まで生き抜いて、舞台のフィナーレの余韻まで見届ける。そのために生きて、死んでやる。
 そもそも、自分はアリコンの公継嗣なのだから、王妃に取り入ったように立ち回り次第では貴族として議員になれる。なれるのならば、あの劇場一階の客席から彼女が舞台上で演説するのを見れるのではないだろうか?
 そうなったら、赤毛の少女マリア・ベラスカは歌うような声で席に座す自分を糾弾するのだろうか? それとも逆に、自分が彼女を刑場に送り出し、磔なり火炙りなりにできるのではないだろうか?
 そうだ! 議員なら、自分だってあの壇上に立てるのだ!
 肚を決めた。
 もしこの夢を叶えるならば、もう少し時計の針を進めて、この革命を止揚させなければならない。マリア・ベラスカが主役、自分が敵役の大芝居を打つには、筋書きはより洗練され不要な役者は尽く消えなければならないのだから。

4.共和国8年 双日期

 ペンタバーロはふたつ日が代わる代わる昇る季節に入った。
 再び天に太陽が一つ昇るまで、この国の日はどちらが天の光となるのか相争うことになるのだろう。


 辞職したとはいえ、アンリエットは未だにペンタバーロの執政である。新たな執政を決める日程を決め、選挙方法や立候補の受付を行う一方で、議長としての務めも普段通り行う。
 そして今日も議題を読み上げる。
「ンナメナ……。失礼しました」
 アンリエットの様子がおかしい。普段ならば読み違えなどしないし、謝ったりもしない。
 そんなに悔しかったか! と飛ばされた野次に、アンリエットは机を叩いて応えた。
 続く報告は野次を飛ばした議員も驚く内容だった。
「エンヌアメ将軍がファンシュハイクの帝都を攻略しましたわ。将軍は帝権の象徴である緑の帷幕と蟷螂の軍旗、翡翠の伝国璽を手にしたそうですの。曰く、千年の王国はここに解体され。革命の勝利は決定的なものとなるであろう。と」
 ファンシュハイク降伏。
 エンヌアメ将軍には50万の増援も停戦交渉の主役となる外相も不要だった。自分が無能だと誹られぬよう、増援が来る前に決着をつけるべく敵軍の5倍の戦力で損害も顧みない攻勢に出た。結果ファンシュハイクの帝都を攻め落とし、帝室の主要な継承者を捕縛している。
 アンリエットは続ける。
「エンヌアメ将軍は帝室を廃し、ファンシュハイクを構成する各領主に改めての封建を提案していますわ……。自分とともに戦った将兵に褒賞したいとも」
 議場のざわめきは止まらなかった。右翼席からはペンタバーロ万歳。左翼席からは共和国万歳を叫ぶ声も響く。
 革命戦争は終わった。ペンタバーロの輝かしい勝利によって、革命の勝利によって。問題はそこではない。今はエンヌアメ将軍と彼の軍団が何を考えているかわからない。今や彼は、緑の帷幕と蟷螂の軍旗、伝国璽という帝権の象徴を持っている。
 彼を今無下にすれば、彼は現地で皇帝となるだろう。戦勝の意味は失われる。
 凱旋を認めて召還するか? ならば彼が帰還するまでに共和国の体制を確固たるものとしなければならない。間違いなく共和国の破壊者となるエンヌアメ将軍を凱旋の場で捕縛、死刑にするか少なくとも世界の反対に連れて行くのだ。さもなくば待っているのはクーデター……。
 いよいよ本格的に革命を終わらせなければならない。
 現時点では立候補しているのはウルトラ公とマリア・ベラスカの二人。この一騎打ちならば400名の王党派の支持を受けるはずのウルトラ公の勝ちは揺るがない。
 何も手を打たなければ、議長を選ぶ選挙は茶番と化すだろう。
「癪に障りますわ。私を貶めたウルトラ公が勝つのも、私がわざわざマリア・ベラスカを勝たせるのも」
 忌々しげに、忌々しげに吐いた後でアンリエットは笑う。瞳の星虹が輝き、紅の唇は未来のタピスリを紡ぐ。
「なら、第三の道を往きましょう。そういえば、ちょうどいい玩具がありましたわね」

 アンリエットはフソウに会いに行く。
「フソウ。あなたにご相談があるのだけれども……」
 フソウは面倒臭そうに応じる。アンリエットに関わるとろくなことにならない。
 アンリエットの瞳の星は光速の虹を作る。
「わかった。話半分なら聞いてやるよ」
 フソウも命は惜しい。
 ロッテ抜きの二人で控室に入る。早速本題を切り出した。
「あなたのお姫様を執政にしようと思うの。……マリア・ベラスカと2位、3位連合を組みません?」
 フソウはその突拍子もない提案に驚く。アンリエットが報復になりふり構わなくなっているように見えたのだ。
「王党派を切り崩してマリア・ベラスカに票を入れろってか?」
 アンリエットはフソウを嘲笑する。
「私がそんな下らないことを考えると思いますの? 例えば、私がお姫様に票を廻しお姫様を2位にすれば……。マリア・ベラスカは、決選投票でお姫様に投票することになるのよ?」
 7年間共和国と対峙してきたウルトラ公と比べれば幽閉されていたお姫様。ぽっと出の一議員でしかないロッテを執政にする。使いやすいから。その交渉役としてアンリエットはフソウを買っている。何しろお姫様だというだけでロッテを議員として選挙に担ぎ出す向こう見ずな度胸があるのだから。
 フソウは飛躍の機会を差し出され、飛びつきそうになる。
 しかし、話がうますぎる。
「とはいえ、俺やロッテがマリア・ベラスカと話は付けられん。お前さんが話を持ってって、マリア・ベラスカが乗るか?」
 アンリエットは得意げに笑う。
「そこは心配していただかなくても構いませんわ」
「自信満々だねぇ」
「私とあの子はもう10年の付き合いになりますのよ。……あの子は革命家ですわ。万に一つも勝ち目が生まれるなら、乗るに決まっているじゃない」
「それにしてもお前さん。ロッテには興味ねぇのな」
 アンリエットは瞳の星虹を引き絞り、露骨に見下すような顔をする。
「私。主演女優の配役には煩いの。あんなキンキン声のお子様が、この国を差配する? 馬鹿げていますわ。そんなお芝居の台本を私が書くと思いますの?」
 フソウは呆れた。
「その内ロッテに殺されるぞ」
 アンリエットは嘲笑で返す。
「できるものなら、ね。あなたこそ、奇貨を居いた商人の末路をご存じでしょう?」
 フソウは目を細めて嘆息する。
「アンリエット様は、実に故事に精通してあらせられますなぁ」

 次にアンリエットはマリア・ベラスカと接触した。彼女は控室に行くこともなく、二つ返事だった。恐らく誰かが聞いているのを期待しているのだろう。
「2、3位連合か……。いいよ。仮に王妃の娘が執政になったとしても、私の王子様が執政に選ばれるより遥かにマシだ」
 ただし、念を押した。
「私が2位になったら、王党派も本当に私を支持してくれるんだろうね?」
 アンリエットは両手でマリア・ベラスカの手を固く握る。
「ええ、もちろん。間違いありませんわ!」

 そして、議長を選ぶ選挙当日の朝。アンリエットはウルトラ公に接触する。
「ウルトラ公。大変なことになりましたわ」
 あまりにも白々しいアンリエットの態度に、ウルトラ公は端正な顔を歪める。
「私があなたと話をすることより、大変なことがあるのかな」
「ええ。あの王妃の娘、シャルロッテ・ルイーズ・ペンタバーロが王党派から100程度の票を固めて、マリア・ベラスカと2、3位連合を組みましたわ。決選投票に持ち込まれると、マリア・ベラスカに王党派の票が流れてしまう可能性がありますの」
 シャルロッテが王党派全体から4分の1の票を集めた。ウルトラ公には俄に信じ難い。
「吹かしじゃないのか?」
 アンリエットは邪悪な笑みを浮かべた。子供の頃のウルトラ公を制裁した時のように。彼は身震いする。
 アンリエットはただ一言返す。蚊の鳴くような声で。
「お好きになさったら?」
「私は何をすればいい? アンリエット」
 アンリエットはウルトラ公の手を取る。手は暖かく、声は甘い。
「そこでですわ。公には執政の選出から辞退していただきたいの」
「……どういうつもりだ?」
 アンリエットは笑う。星虹は煌めく。
「いい? かわいいかわいい王子様。決選投票に持ち込ませるから不利になるのですわ。投票を1回で決めましょう。王党派が結束して王妃の娘を推せば。2、3位連合はそもそも成り立たなくなりますわ」
 決めかねるウルトラ公に、アンリエットは念を押す。
「あんな小娘。どうにでもできるのではありませんの? 私を引きずり降ろしたときのように、隙を見て後ろから弾劾してしまえば、おしまい。何なら、公が私を弾劾した時のように、私が弾劾してもよろしくてよ?」
 ウルトラ公は辞退する意図を決めたようだ。
「まったくもって頼もしいお言葉だ。嘘でなければ嬉しいが。にしても何故そこまでしようと言ってくれるのかな。そこまでご足労いただかなくても……」
「あら? 公はご存知なくて?」
 アンリエットはまた人の悪い笑みを浮かべる。
「私、マリア・ベラスカが悔しがる顔を見るために生きていますのよ」
 ウルトラ公は背筋を凍らせながら、嫌味を言うしかなかった。
「なるほど。それはマリア・ベラスカもやりがいがありそうだ。俺には到底理解できない女同士の情念だろうが。とにかくそんなものには巻き込まれたくないから、さっさと退かせてもらう」

 ウルトラ公が立候補を辞退したのは投票直前だった。
「私を推戴する予定であった諸君。大変残念な報告をしなければならなくなった。私はペンタバーロの王統を堅持する愛国者全員を一丸として、この国をあるべき姿に戻そうと奮闘してきた。何も誤りはないと自負しているつもりだ。しかし、私は知った。共和主義者による陰謀により、我々は分かたれ、各個撃破の対象となっているのだ。かかる事態を私は憂慮し、我らが党派一丸となってこの国難にあたるべく。執政として立つことを、立つことを……」
 壇上のウルトラ公から嗚咽が漏れる。
「ここに辞退する……」
 ウルトラ公が泣き顔で執政への立候補を辞退すると、堰が切られたかのように中間派の議員たちが立ち上がり始めた。
「んじゃ、センセ。酒でも飲んべ」
「君も今は先生だろう、まぁ今日は堅いことなしで、ひとつ」
「ガハハ!先生同士無礼講じゃ、無礼講じゃ!」
 それは、異様な光景だった。100人を越える議員たちがなんの未練もなく議会から退出していく。中にはアンリエットに手を振るものもいた。
 議長席に居座っていたアンリエットは得意気な顔で彼らを見つめ、振られた手にキスを投げる。
 アンリエットは中間派の議員の票の掘り起こしに誰よりも熱心だった。
 議会の中で、まず田舎から出てきた初当選の議員に饗応を行い、単純に彼らの手持ちの金だけで遊べるような手解きをした上で、本当に金が必要になる遊びをさせる時にはある時払いで金を貸す。
 大口小作人や産業資本家の議員には、ウルトラ公を落選させる方法があると持ちかけ、王党派を切り崩す資金と称して金を出させると同時にウルトラ公が辞退したタイミングで退出するように頼み込んでいた。
 もしウルトラ公が辞退しなければロッテに票を入れさせ、決選投票でロッテを執政に据えることもできた。
 アンリエットは退席した議員の数を数えていたところ、150人くらいしか買収していなかったのに数が全く合わないので首を傾げる。
 250人を越えたところでもう笑うしかなくなっていた。なぜなら、買収されるはずのない学者や弁護士が大量に混じっているから。
 お堅い学者連中や真面目そうな弁護士には手を回していなかったのだが、どうやらアンリエットが「村の代議士センセイ」達に渡していた金で相当遊んでいたらしく、アンリエットは学者たちに一度も話をしていないのに彼らも喜んで退出していく。その中にはアンリエットを新聞で「君側の奸第一号」と書いたジャーナリストも混ざっていた。
 もし唇を読めたなら、アンリエットがこう言っているのがわかっただろう。
「素直じゃない人。私と遊びたかったのなら、おっしゃっていただくだけで一緒に遊んでさしあげましたのに……」

 全体の4分の1の議員が議長の選出を棄権する異例の事態となったが、アンリエットの指図で投票は決行された。
「さぁ、マリア・ベラスカさん。底力を見せていただけませんこと……? うふふ……」
 ここまで工作をしたのだ、マリア・ベラスカの得票は100を割るのではないか。悔しがる彼女の顔を思い浮かべてアンリエットはほくそ笑む。
 1人ずつ壇上に上り、誰が執政に相応しいか口頭で宣言していく。
 王党派は当然割れなかったので、右翼側の投票が終わった時点でロッテの得票は400超。当選は確実となる。
 続いて中間派の投票。
 そこに奔流が起こった。
 右翼席に隣接し、立憲君主制を推していたはずの学者が壇上で宣言した。
「右翼席の諸君! 忠勤では並ぶもののない愛国者諸君! 忠誠を捧げる相手を誤るな! 君たちが党派の理論で支持しているのは、あのファンシュハイクからやってきた王妃の娘だぞ! 議長! 今からでも遅くはない、もう一度ウルトラ公へ、私から公へ投票させてくれ! さもなくば、このような不当な選挙を私は認めるわけにはいかない。カマキリ女の娘を支持するくらいなら、私はマリア・ベラスカを支持する! マリア・ベラスカに投票!」
 衝撃的な発言だった。
 アンリエットは慌てて不規則発言を咎め、壇上から下ろして次の議員に投票させるように促した。
 革命戦争の初期。派遣議員だったマリア・ベラスカを殴って刑務所にいた元将軍が、杖付きながら壇上に上がった。半分が散弾で破壊された顔の、開ききらない口を開けて吠える。
「ふざけるなアンリエット! この国は貴様の玩具ではないぞ!」
 不具の将軍は無許可で演説を始めた。戦傷と収監により白髪が目立ち、ひげもまともに整えておらず。外見は実際の年齢よりも数十歳は老けて見える。
「軍は何をしているのだ。今すぐこの国を救え! マリア・ベラスカ! 立て! 尻で椅子を、手で眼鏡を拭いている場合ではない。お前は無能なだけではなく、共和国を滅ぼすつもりか! 決起だ! 決起! 早く決起しろ!」
 杖を振り回し、体のバランスを崩し、転倒する。倒れ、壇上から下ろされながら、投票を思い出し誰に投票するか告げた。
「マリア・ベラスカに投票する!」
 残った中間派の議員が一気に場の空気に飲まれ始めた。
 今、これら票を入れる左側に座っている議員は、共和派に共鳴しているのではなく、マリア・ベラスカを支持しているのでもない。
 ウルトラ公を下ろした議会外の工作に対して、買収によって議場を去った議員への純粋な怒りを発露する象徴として、マリア・ベラスカを偶像として崇拝しているのだ。
 マリア・ベラスカに投票! 共和国万歳!
 マリア・ベラスカに投票! 王妃の娘に票を入れられるか!
 マリア・ベラスカに投票!
 アンリエットは慌てて票読みを始める。既に出席議員の過半数は抑えているが、どこまでマリア・ベラスカが票を伸ばすかは予想できなくなっていた。
 結果、現在の議員数1031のうち、執政を選出する投票に加わった議員は771議席。
 内訳は以下の通りである。
 シャルロッテ・ルイーゼ・ペンタバーロ 486
 マリア・ベラスカ 282
 無効票(自分に投票など) 3
 ロッテが王党派以外の表をほとんどを取れず、マリア・ベラスカが取った282票は王党派全員に衝撃を与えた。残った中間派知識人や軍人の殆どが、マリア・ベラスカの再選に票を投じたことになる。
 マリア・ベラスカが徐ろに立ち上がり、議場に登る。ロッテも慌てて自分の席を立つ。
 演台で語り始めたのはマリア・ベラスカ。
「まず。私に投票していただいた議員の諸君に最大限の謝辞を申し上げる」
 ここに左翼席から野次が飛ぶ。
 マリア・ベラスカ!
 決起! 決起! 決起! 決起!
 執政万歳! 共和国万歳!
 今にも8年前の共和国演説を始めるのではないかという雰囲気に、今度は王党派から野次が飛ぶ。
 やめろ! また内戦をするつもりか!
 悪魔め! 国王弑逆者!
 マリア・ベラスカは決起を促す声を制する。
「やめよう! 私は敗れたんだ! 私に投票してくれたみんな、今日の敗北は潔く認めよう! でなければ、この議会は破壊され、我々はなんのために戦ってきたのかわからなくなってしまうだろう! かかる暴挙を、私は許すことはできない!」
 野次が止まる。
 マリア・ベラスカは議場を収めるために敗北宣言を行う。
「皆、新しい執政を祝福しよう。たかが議長の選出によって、国家が分かたれることがあってはならない。我々は、相争うことがいかに愚かであるか、過去十年の歴史において、血によって命によって経験したじゃないか。今日の我々は皆、共和国に宣誓した共和国の同胞であって、敵ではない。私は新たなる議長の下で共和国が導かれることを、心より祝福する」
 追いついてきたロッテに、マリア・ベラスカは手を差し出す。議会の融和を示すための仕草だ。
 ロッテは手を差し出すマリア・ベラスカを無視して、壇上で議長就任の演説を始める。
「議長として選出されたことを……」
 声は遮られる。
 カマキリ女め! 議会の融和を守れ!
 ウルトラ公の勝利を盗むな! 僭称者め!
 アンリエットの傀儡! 操り糸が見えるぞ!
 今度はマリア・ベラスカに票を入れた議員からロッテに野次が次々飛んでいく。いや、王党派からも野次が飛んでいる。
 ロッテの執政就任演説はかき消され、議場には響かなかった。


「というわけで、私の政権復帰プランは見事達成できましたわ」
「最悪の結果じゃねえか」
 自慢気に胸を張るアンリエットにフソウは冷たい視線を向ける。アンリエットはキレる。
「我々が担ぎ出したお姫様が議長になれたのですから、最高の結果に決まっていますわ!」
「んで、大臣を決めんのか。ロッテは呼ばなくてよかったんだな」
「あーたーりーまーえーですわ。私があれだけお膳立てをいたしましたのに、マリア・ベラスカにしてやられるなんて想像を下回る体たらくというしかありませんわ。発言を認めるわけにはいかないでしょう?」
「しゃあねえな。で、婆さんはどの大臣を御所望なんだ?」
 アンリエットはフソウに黙って平手打ちを食らわせる。脇を閉めスナップを十分に聞かせた一撃は、軽妙な破裂音を響かせた。防音がしっかりしていなければ、人はポン菓子を買いに外に出たであろう。
「二度目は許しませんわ。……次は本気で張りますわよ」
 彼女は持っていたハンカチでフソウの鼻血を優しく拭き取りながら、問いに答える。
「私は別に、どの大臣になるつもりもありませんの。でも、私が指名した各大臣はそのまま留任させていただきたいのですわ。……もちろん、フソウがなりたい大臣を除いて。蔵相? それとも商務相? お好きな大臣職をお選びなさいな」
 フソウは謙虚だった。別に暴力に屈したわけではない。
「格は一段落ちるが、筆頭書記官をやらせてもらう。ロッテに執政ができるわけないだろ」
 大臣の大半は当面留任させるしかない。ロッテが取ったであろう票よりも、アンリエットに促されて退出した議員やマリア・ベラスカに投票した議員のほうが多いのだ。
 そもそも、半ば担がれて執政に立候補したロッテに何ができるというのか。
「私の指し示すとおりになるのですから、悪いようにはいたしませんわ。フソウ。あなたも本物の貴族になりたいのでしょう?」
「あぁ、貴族になるなら。王様を担がねえとな」
 アンリエットは勝った。執政を辞してなお、右翼席に座したまま政府に残した大臣を使ってペンタバーロの舵取りをすることができる。王党派に加えて、中間派の議員のうち200名近くが与党として機能することもわかっている。
 ただ、そんなことの何が面白いのか。全て思い通りになり万能感に浸ってそれで満足などと言うのは、幼児でもなければ鋸で落とされた王妃の頭の中だけで十分。沈まない太陽などあるはずがないし、ふたつの日が巡るからこそ、この世界は面白いのだ。


 ペンタバーロの星の巡りには、巡るふたつの太陽が共に大地を照らすときもある。ひとつの陽として重なっている時は気が付かないのだが、この双日期に置いてはそのコアビタシオンが一際目立つことになる。
 ここにも両極の奇妙なコアビタシオンが成立していた。
「やった! 今日はコルネットだ!」
 朝、議場が開くまでに明るく日当たりの良い一席で、マリア・ベラスカがウルトラ公の持ってきたパンを頬張り、紅茶を飲んでいる。
「いつも思うが、王党派のパンをよく食べられるな」
 ウルトラ公の言葉に、マリア・ベラスカは睨み返す。そのまま膨らませた口から手にパンを吐き出すと、ウルトラ公に言い返す。
「いいか? これは人民の労働によって作られた、人民のパンだ」
 マリア・ベラスカは一度口から掌に出したパンを再び口に押し込むと、もう一度うまそうに咀嚼して、飲み込んで言う。
「人民の労働を、無下にするわけにはいかない。このパンの味は全ての人民が、やがて口にするべきものだ。それとも、私の王子様。君は貧乏人は永遠に貧乏のままがいいとでも言うかな?」
「いや、そうとは言っていないが……」
「素晴らしい。私は私の王子様と意見の一致を見たわけだ。これ、歴史的快挙じゃない?」
 ウルトラ公は舌打ちで答えた。
「政治的妥協だ」
 そういいつつも、ちゃんと紅茶を入れてマリア・ベラスカに手渡す。
 紅茶も堂々と口にするマリア・ベラスカに、ウルトラ公は嫌味を言う。
「毒でも入れてないか疑わないんだな」
「それは心配ない」
「ほう」
 空になったバスケットに目を落としたまま、マリア・ベラスカは微笑む。
「君は自分の作ったものを穢すような真似はとてもできないだろうからね。私は君の人間性以上に、君の自負を信じている」
「それは……」
 マリア・ベラスカは誰がこのパンを焼いているのか理解した上で、賞賛し、吐き出し、また喜んで食べているのではないだろうか?
 マリア・ベラスカが手を丁寧に拭く。
「あー。今度はスフレが食べたいなぁ。ねぇ、私の王子様。君の優秀なシェフに伝えておいてよ」
 マリア・ベラスカの厚かましい要求に、ウルトラ公はそっぽを向く。
「……スフレは焼きたてでないと駄目だ。今は使われていないとはいえ、大宮殿の厨房で勝手にオーブンまで使うわけにもいかないだろう」
「だから、コーヒーを入れてこないのか」
 ウルトラ公は水筒に麦茶か紅茶を入れてきている。やむなく湯で薄めて飲む。
「そう。コーヒーも淹れたてでないと、地獄のように熱くも、恋のように甘くもならない。できそこないを君に供するわけにはいかない」
 マリア・ベラスカは鼻歌交じりに笑う。
「恋のように甘い。なかなか含蓄のある言葉だ」
「だろう? 今は時期が悪い。少なくとも今は」
 ウルトラ公が口角を釣ったのを見て、今度驚いたのはマリア・ベラスカの方だった。
「君。笑うんだな」
 ウルトラ公はまたしかめ面に戻る。陽の角度も変わり、議事に議員を呼ぶ声が響く。
「人をなんだと思っているんだ……。さて、時間だ、赤い仇敵。今日の議題は何だ」
「不勉強だね、私の王子様。今日は地方行政だよ。知事をどう置くか憲法にどう書くかだよ」
「それなら、執政の選出方法よりは荒れないだろうな」
 自信げに語るウルトラ公に、マリア・ベラスカは首を傾げる。
「そうか?」
「君の大好きな選挙ならな。俺の領土で、俺以外が首長に選ばれるわけがないだろう? そういうことだ」
「大した自信だな」
「だが、紛れもない事実だ」
 別に選挙権を広げて選挙をすれば共和派が勝てるわけでもない。ウルトラ公が突きつけた事実に今度はマリア・ベラスカが苦虫を噛み潰したような顔になった。
「また意見の一致を見たな。今日は酷い一日になりそうだ」
 今日のコアビタシオンは苦々しく、ふたつ日は両翼の席に分かれていく。


 中道派政府と言えば聞こえはいいが、その実は左右両翼が攻めあぐねていて、辛うじて生かされているだけ。与党を構成する議員も、なんとなく付いているだけ。
 革命以降最も脆弱な政府は、風に吹かれて左右に流されていく。
 封建的特権と基本的人権は左翼と中間派によって堅持され、右派を一蹴。
 補償案すら正式に否決され、封建的特権は無償撤廃となった。
 選挙権は右翼から中間派までが財産制で合意。
 地方制度は圧倒的集権体制の現状に対して超王党派の大貴族・フルール公が壇上に立った。
 彼は当院している大貴族の中でも最年長であるが、外見はそれ程老人には見えなかった。低い背に褐色の髪、意志の強さを感じさせる双眸。
 彼はその容姿と、革命戦争での戦い振りから百舌鳥公爵と呼ばれて畏怖される反革命の大物の一人だった。
 超王党派である彼はこの議会で初めて議会の最右翼の席に座り、それでも議事や議論に興味を持たず。腕を組んで壇上を睨み続けていた。
 その彼が、地方制度についてついに処女演説を行う。
「今。この国の主が誰かという話を棚に上げる。棚に上げる以上、これからの発言はこの議会に融和を目的として集まった反革命などという声を挙げられられないと私は信じる。はっきり申し上げる。国王が喪われたのは、私の目から見れば大いなる喪失であった」
 野次は飛ばない。議員も聴衆も、フルール公が百舌鳥公爵と呼ばれるような男であると知っている。
「革命に際し、我がフルールには実害があった。私個人の封建的特権の廃止の話ではない。この地域では革命が進んでいないなどと寝言を言い、フルールの実情を無視した蛮行を行い、ペンタバーロから派遣されたと主張する、議員などと自称する薄汚い手の素性もわからない野蛮人。私が彼をどのように処遇したかは、知らないものは居ないであろう」
 その語りは百舌鳥公爵の二つ名の通り。 
「忠誠を誓う国王が自害し後継無きと知った時点で、私はただ父より受け継いだフルールの主のみの存在となった。私は我が領地と人民を、いかに我が子に受け継ぐか、そのためだけに腐心してきた。七年の戦争も、この議会に出たのも、我が家と我が領地フルールのためであり、諸君らの人権だの王権だのという言葉遊びに付き合うためでは毛頭ない」
 まだ、野次は起きない。
「然るになんだ。この議会は私の期待外れだ。私は我が領地フルールの安寧を第一としたい。私の周囲に座る他の貴族も、志を同じくしているだろう。いいか諸君。諸君らがペンタバーロを愛するのと同じように、私はフルールを愛しているし、私の領民を愛している。私の控えめな要求を、この政府に対する最低限の希望を伝えよう。今話している憲法とやらから、まるで自分が王であるかのように振る舞う卑しい不逞の輩や、懐を満たそうとする徴税官や徴兵担当者をペンタバーロから送り込むのをやめるように書いてくれ」
 言い放ち、壇上を降りてしまった。議場は唖然としている。
 右翼席のアンリエットは手を合わせて、目を輝かせて、絶対に見られない筈の劇を鑑賞できることにただ感激している。
 地方自治においては、右翼席から中間派を積極的に抱き込む動きが初めて見られた。共和派は地方政策で戦時体制であるからと議員を派遣し、中央統制の下で革命を推進した。実質的な知事の派遣による中央からの統制。これを否定するため、極右、保守、中間派によって、議場で強硬に推進された革命に修正が加えられることとなるのだ。
 ペンタバーロの共和政府は、共和派が革命後の地方単位である県に大幅に権限を移譲する上に、知事の選任も第1回は執政の選出方法に合致させた上で、第2回からは各県の選出方法に委ねることになった。
 ウルトラ公やフルール公を始めとする最右翼の大貴族達は第2回からは選挙人制度を導入して選挙人を保守派で固めてしまおうとすでに協議を進めている。
 ただし大貴族が一方的に勝利を掴んだわけではない。共和派も中間派に巻き返すように工作を行い、まず県議会の設置で合意。さらにフルールのような一小国を構成できるような大州は複数県に分割。飛び地の御料が複数あるウルトラ公領は隣接県に併合。
 さらに大貴族が州知事として権勢を振るわないように県と大都市の上位の地方単位を置かないようにした。

 これら左右の駆け引きに現政権は全く関与できなかった。ロッテは中央政府の権限が強いほうがいいか弱いほうがいいか判断がつかなかったし、フソウは筆頭書記官として政府機能を維持することに必死だった。
「王党派は王政復古は先送りにして、執政の選出は議会で、選挙権の方は土地選挙から財産選挙に譲る形で中間派を切り崩すみたいですわねぇ……」
 アンリエットは気だるそうに流す。
「なんにもしねえのか?」
「私がその場にいないと思いましたの? 審議打ち切り、強行採決をおすすめしましたわ。私のお友達も賛成すると教えて差し上げましたもの」
「見てるだけ、つうのもなんというか気持ち悪いな。どうにか」
「あら、それも一興じゃありませんこと?」
 アンリエットは日々変わる情勢をただ眺めて、時折右派の集会でそれとなく示唆をするだけ。彼女は単に中間派と馬鹿騒ぎをするが、しかし一方で議会では隠然と、マリア・ベラスカには決して圧倒されないように憲法の方向を巧みに誘導していた。
「……しかしな、あんたが執政をやってたら、もっとすんなり憲法でも何でも決まったんじゃねえのか?」
「お断りですわ。私はこの国の女王様でも、護国卿でも、護民官を気取った女の子でもありませんの。私はこの劇場で行われているお芝居が見たいだけ。ただの椅子にしがみついて、自分を誇示して。その椅子に座ることだけが自分の生きた証だなんて、それが玉座でも御免被りますわ」
 アンリエットはせせら笑い手紙の封を開ける。顔が固まる。
「手を伸ばしたそのもう少し先は、もうふたつ陽の光の届かない夜の帳で、運命はその暗闇からやってきて、どうすることもできないのね……。フソウ。あなたのおっしゃる通りかも知れませんわ。ひとつ日がふたつに別れるように、終わりは唐突に来て、名残だけが残るのですわ……。ねぇフソウ。あなた、アリコンへいらっしゃらない?」
「いきなり詩を詠みだしたかと思ったら、今度はどういう風の吹き回しだ?」
 アンリエットは苦虫を噛み潰したような顔で手紙をひらひら。
「大蔵大臣どころか銀行家すらいない田舎の国から、いわゆる動員令ですわ。……さようなら! 私の夢のような、刹那の二十年。この手紙によると、お母様からアリコンに帰って来いと来ましたの。アリコンはペンタバーロの植民地軍を使って、ユニコーン海岸以外に砂金海岸と珊瑚海岸、あとはファンシュハイク領の金鉱と塩田を制圧したみたいですの。鉱山技師と塩田の技術者が最優先ですけど、アリコンは大蔵大臣のなり手もいない国ですのよ。あと、あなたはお国では農家もされていたのですわよね? アリコンで財政と農政をお任せしますから、私とともにアリコンにいらっしゃいませんこと? もちろん、銀行も開いてよろしいですわ!」
 まくし立てるアンリエットをフソウは袖にする。
「遠慮しとく」
「アリコンの貴族にもして差し上げますのに! どうして?」
 フソウは苦笑い。
「夢のような条件だよ。ロッテを担ぐ前なら、相手があんたでも喜んで手を取っただろうね。しかしな、俺には一旦神輿を担いだら、それがどんなに軽くても、途中で放り出す真似なんてできやしねえのさ」
「難儀なお人ですわね……」
アンリエットは目を細めて、フソウの性分を嘆いた。あなたくらいの人材の、代わりを見つけるのは大変なんですのよ。と。

 アンリエットはマリア・ベラスカを探した。大宮殿の廊下で、今の彼女の気配を探ればすぐに見つけることができる。
「マリア・ベラスカさん。ご機嫌よう」
「おや、今日はご機嫌ななめだね。朝の茹で卵からひよこでもでてきたのかな」
 マリア・ベラスカの冗談に、アンリエットはつれない。
「貴女と一緒にしないで。実は私、議員を辞めて故郷へ帰ることになりましたの」
 急な帰国にマリア・ベラスカは訝しむ。
「また何か企んでいるのかな。それとも私の王子様にでも殺されそうなの? 後者なら自業自得とはいえ、死ななくて済むように努力してみるけど。多分今なら力づくじゃなくても、説得できると思う」
 アンリエットは首を振る。
「違いますわ。お母様から手紙が来て、アリコンに呼び出されましたの。ペンタバーロがファンシュハイクに勝ったから、アリコンが管理する植民地が拡大され過ぎて、うちの廷臣たちでは運営できないー、とか書いてありましたわ。お母様。お前には砂金海岸と珊瑚海岸を任せるから、使えそうな人材をつれて帰って来いとかおっしゃるんですのよ。本当にお母様は人使いが荒すぎますわ」
「20年もふらふらしてて勘当もされずにいたんだから、いいお母さんじゃないか。羨ましい。これからはオール公になるの? それともコアイユ公?」
 アンリエットは唇を噛む。
「私は悔しいの」
 そして、彼女はマリア・ベラスカの耳元でそっと囁いた。
「貴女がまたペンタバーロの市民を蜂起させて、議場でもう一度共和政演説をするところを特等席で見たかったのに……」
 マリア・ベラスカは舌打ちする。
「本当に君は嫌な人だな。感づいてたのか」
「当然ですわ。ウルトラ公もきっと気付いていますわよ。もしかしたらフソウも。でも大丈夫。警察大臣を留任させてあげましたから。彼、自分の身の安全と引き換えに貴女には目を瞑っていてくれるそうですわ。今回も楽勝ですわね」
 楽しそうにこれからの話をしていくアンリエットに、マリア・ベラスカは遠くを見て応じた。
「ねえ、じゃあさ。私が本当は、もう血も革命にも飽きているって知ったら。君はがっかりするかな」
 アンリエットは笑う。
「まさか、それで手を止めているの? おばかさん。貴女から革命を取ったら、何が残っていらっしゃるのかしら。お笑いですわ」
「私だって一人の人間だよ。人民の代行者でも、革命の化身でもない。人間らしく生きたくなる」
 アンリエットは大きくため息をひとつ。
「退屈な暮らしがお望みなら、アリコンにいらっしゃいな。この間は意地悪をしてしまいましたけど、悪いようにはいたしませんわ。あ、でもアリコンに議会を設置するのはお止めになって。あくまでもお客様として歓迎いたしますわ。例えば、貴女の家として、ヌーベルペンタバーロにお城を建てて差し上げますの」
「ぬ、ヌーベルペンタバーロってなに」
 耳慣れない単語に首を傾げるマリア・ベラスカに、アンリエットは皮肉めいた真相を語る。
「アリコンの沖にある小島ですわ。漁師の避難所にしかなってないから私の好きにできますのよ。あの島、今は本当に何もありませんの」
 マリア・ベラスカは呆れた。
「それは体の良い島流しだよ」
「そんなことを言わないで。支配するものもされるものもいない、貴女がお望みの真に平等な国家を建設できますわよ? それに今は漁師の避難小屋に使われている建物は、アリコンが保護領になる前は領事館として使われていましたの。私も当時の総督閣下と素敵な恋を……」
 アンリエットが40年かもしかしたら50年以上の昔語りをし始めたが、マリア・ベラスカは制する。
「総督……。まさか、昔アリコンでお会いしました縁で! とか言って、君が無理矢理私の保証人にしたあの爺さんのことかな」
「あら、ヌーベルペンタバーロ総督をご存知でしたの! 素敵な縁ですわ。総督閣下に生きている間にお会いできましたのね」
 アンリエットが意外そうな反応をしたのにマリア・ベラスカは首を傾げて聞く。
「ねぇ、確認するけどさ。アンリエット、君が私と知り合ったのは、いつ?」
 アンリエットは恍惚として答える。
「絶対に忘れませんわ。王国歴4988年の国王拉致事件の当日。私、貴女のおかげで生きる愉しみを思い出しましたの」
「あぁ、そっか。君は私に出会った日を、国王を拐った日だと思ってたのか」
 マリア・ベラスカは微笑む。
「じゃあ、本当のところを教えてあげようかな」
 今度は彼女がアンリエットの耳元で囁く。アンリエットという名前を王妃から賜る前の名前を。アリコンの古い言葉で、黒い陽を意味する名前を。
「あなたがベラスコの港で赤い髪の女の子に会っていることを覚えているなら。私とあなたが出会ったのは20年前のベラスコの港だよ。ヌーベルペンタバーロ総督とも3人で会ってる。俺は新しいペンタバーロを見つけた功績で、この岬の見える丘と樽一杯の酒を王様に賜ったのだ。ただし酒は逆さ吊りで頭から漬けられて飲むことになったがな。だっけ」
 アンリエットは呆然として、まばたきを2回。ぽかんと口を開けて慌てて口を引き締める。
「……物乞いの先輩! 立派になられましたわね!」
「おかげさまでね。……ああそう、言っておくけどね、私はあなたがソレイユに出仕してると知って何回も手紙を書いたよ! あなたは一回も返事くれなかったけど!」
 恐らく、これは過去10年の間でマリア・ベラスカからアンリエットになされた糾弾の中で最も手厳しいものだっただろう。王党派と内通していたのがバレそうになって革命裁判所に告発される手前まで行った時も、今日ほどアンリエットを追い詰めることはなかった。
「その、私としたことが、ソレイユに行くのに頭がいっぱいで貴女の名前も確認してなくて、手紙が来ても誰これでしたわ。捨ててはいないはずだから、今から急いで探しませんと」
「今更封を開けて、意味あるの?」
 首をかしげるマリア・ベラスカに、アンリエットは顔を真っ赤にして反論した。
「勿論ですわ! だって、マリア・ベラスカは、10年どころか20年。ずっと私の傍に居てくれていたのでしょう?」
「別に側にいたわけじゃないけどね」
「いつになるかわからないけど、お互い生きてたらまた会いましょう。またその時に今日の話の続きを聞かせて頂戴」
「あなたのことだ。どうせ行かなかったら、来るように仕向けるんだろう?」
「それは、神様にでもお伺いなさって?」
「ねぇ、もうひとつ教えてほしいんだけど」
「あら、何かしら?」
「もし、君がこのまま勝ち続けたら。それとも、私が共和国をひっくり返したら、君はどんな悪趣味な遊びをするつもりだったんだい?」
 アンリエットはそっと耳打ちする。マリア・ベラスカは、あまりにも突飛な話に目を丸くする。
「あぁそっか。「新しいペンタバーロには、王様が必要」か……。君は義理堅いなぁ。やられたら絶対に許さないんだ。わかった。じゃあ、ご要望にお応えしようか、アリコンのお嬢様。それなら私一人でもやってみせるよ」
 マリア・ベラスカは微笑む。ただ、落胆もする。
 アンリエットが見ている私は、「マリア・ベラスカ」だったんだな。と。

 アンリエット・ダリコーンはペンタバーロを発つ。
 母親のアリコン公に頼まれた人材を速やかに集め、行きがけの駄賃にペンタバーロに住んでいるウルトラ公の母親を誘拐し、ベラスコで20年前の鬱憤を晴らしてアリコンに帰らなければならない。行きは密航者として入り込んだためパンセポンセを2人で分けたくらいで、他はとても食べには行けなかった。しかし今や元執政。帰りは誰にもはばかることはない。食べ歩きのクレープ屋。牡蠣小屋。割烹で鱈ちり鍋。ビール酒場で魚と芋のフライを酢につけて流し込む。締め括りにはラーメンの屋台……。ベラスコにあるありとあらゆる大衆料理を食い荒らして書き残してからアリコンに帰るのだ。そうだ、二十年前に裏手で食事をさせてもらった小料理屋の店主の子供が大きくなっているだろうから、泣き落としてアリコンについていってもらおう、アリコンにはご飯に大根おろしをかけるくらいしか料理がないなどと適当なことを言って泣き落としを掛ければ容易く引き抜けるはずだ。
 そして船出の日は、そう、マリア・ベラスカが蜂起する日と決めていた。

 アンリエットが共和国軍を味方につけて反革命のクーデターを起こしたとき、議会に共和派は最低でも400人は数えた。彼らはどうなったのか?
 首を締められたのはクーデターを実行したズオン将軍ただ一人であり、共和主義者の彼等は単純に選挙資格を剥奪されたり、選挙制度が改められた結果落選していた。
 そして、生粋の共和主義者、天性の革命家達は野に放たれて大人しく逼塞しているはずもない。
 ましてや王女が執政となり、王政の復古に動こうとしていると聞いて立ち上がらないなどということはありえない。
 マリア・ベラスカの出身母体、ポルトベラスコの修道会ベラスコ会はペンタバーロ支部にその総力を傾け始めていた。
 契機は終戦に遡る。
 マリア・ベラスカは手始めに共和派の将軍と連絡を取り、ペンタバーロに終結できる古参兵の動員を優先的に解除して帰郷を急がせる。
 一方、共和派と異なり王党派の将兵は大半が地元に帰郷してしまうため、ペンタバーロに動かすことはできない。
 続いてペンタバーロ市の市長と町区長を共和派に再び挿げ替える。
 彼らは革命委員の側面を持ち、町区からペンタバーロを掌握する準備を進めていた。
 今のペンタバーロの防衛司令官はアンリエットが指名した王党派であるため、最終的にペンタバーロの防衛軍の縮小と司令官の挿げ替えも予定されている。
 マリア・ベラスカの頭の中を除いて、誰も全容を知り得ない革命計画は、時を経るごとにペンタバーロをカンバスに下地が描かれていく。
 そして、カンバスは最後には赤く塗りつぶされる運命にある……!


 フソウが革命の兆候を察した時には、政府は日和見を始めていた。主任の大臣達は、来る革命に備えて既に王党派、共和派それぞれと交渉を始めている。
「まずい」
「なにかあったの? フソウ」
「ペンタバーロで赤の染料が売り切れてるらしい」 
 未だに状況を理解しないロッテは、呑気に尋ねた。
「あら、今年のトレンドは赤色?」
「馬鹿。決起の準備だ。ペンタバーロの市民が手当たり次第に布を赤く染めてんのさ」
 決起に参加するための腕章なのか、共和派支持を主張するために家の門前に掲げる赤旗の為か、とにかく共和派の決起の際に乗じて革命に流れる血の色、マリア・ベラスカの髪の色である赤を掲げようと、ペンタバーロ市民は我先にと赤色を求めている。
 急ぎ警察大臣に掛け合っても暖簾に腕押し。
 大臣を交代すれば国民議会で狙い撃ちに遭うだろうし、すげ替えようとももう警察も動かないだろう。形勢を入れ替えるなら王党派で市民軍を編成するしかない。
 そんな強硬手段に出られる最右翼の超王党派を抑えているのはウルトラ公で、ロッテの呼び掛けに応えるわけがない。
「こりゃ、死んだか……」
 近日中にウルトラ公かマリア・ベラスカが決起する。積み木細工のようなこの政権はひとたまりもないだろう。

 重なっていたふたつの日は日を追うごとに離れ、そして、離れたはずの日はまたもうひとつの日を追いかけて夜を呼ぶ。ペンタバーロの双日期は、夜が始まりふたつの日が重なって終わる。
 議事は煮詰まり、結論は出ず。ふたり座る席も、ただ、陽光が眩しいだけの席になりつつある。
 マリア・ベラスカは黙ってパンを取る。どれだけ議事が荒れても、この関係はまだ崩れてはいなかった。
 数日間沈黙があった中で、ウルトラ公は口を開いた。
「なぁ。この間約束した焼きたてのスフレを御馳走するから、うちに来ないか?」
 マリア・ベラスカは快諾する。残る議事は執政の決定方法など、あと僅か。審議打ち切りとなってから、始めての会話だった。
「いいよ。予定を開ける。……今日かな?」
 目を合わせようとしたマリア・ベラスカにウルトラ公は横を向いて目を逸らす。
「もう、時間はないだろうからな」
 間違いない、ウルトラ公は蜂起に気がついている。
「そうだ、前から気になっていたことがまだある」
「どうやったら人民の声が聞こえるのかとでも聞くかい? 君がその耳をふさいでいるのを止めればいいだけだろ?」
 マリア・ベラスカは吐き捨てるように言う。
「違う。俺だって領民の声くらいは聞こうとしているさ。 君は人民の声が聞こえるんだろ? もし、人民が俺の兄である国王の死を求めたように、君の死を要求したら。君は喜んで死ぬのかな。人の気持ちは移り気なものじゃないか」
 厭らしい質問。目を逸らした政治家全てを葬る問いを、ここに来てどうして投げかけるのか。
 私が人民に求められていないとでも言うの?
 それとも。
「君は食後にコーヒーを飲むのが本当に好きなようだね。口に入れたパンが苦くなるような話だ。これだから食事中に政治の話は嫌いなんだ」
 ウルトラ公はマリア・ベラスカと再び目を合わせる。
「君には無価値な質問だったかも知れなかったかな」
 ただ、私が何者か、気になっているだけにも見えるけど。でも、真正面を向くのなら、私も彼と向かい合おう。
 マリア・ベラスカははっきりと口を開いた。
「いや、向き合わないといけない質問だ。菓子パンを苦いと言われるのは、私の王子様も辛いだろうけど。確かに向き合わないといけない。……私は死にたくはないけれども、逃げられるのならば逃げたいけれども、それでも。必要なら、死なないといけない。そうか、今日はコーヒーも淹れて貰えるのかな、恋のように甘いやつ」
「恋のように甘いコーヒーか。なるほど」
 ウルトラ公が滅多に見せないような顔を作った。厳しくも嘲笑するようでもなく、優しく笑った。
「君が望むなら。俺が手ずから淹れてあげよう」
「もちろん。望むところだ」
 君は人民が望むなら、人民のために死ねるのか。ウルトラ公がその問いを再び投げかけるということは。
 私の王子様は、明日は私が動くのをわかっているはず。……いっそ今日殺してくれるのなら、それでもいいかな。
 ウルトラ公の淹れるコーヒーは、さぞや苦いだろうな。と。先程まで菓子パンを食べていた口の中は苦々しさで満ちていった。

 翌日。マリア・ベラスカは日が昇る頃に議場にやってきた。新聞記者に昨日何があったか聞かれると
「ウルトラ公は確かに腹を切った。彼は一晩だけこの国の王として振る舞い、王として死んだ」
 天を仰いで、新聞記者に向き直る。
「そして、人としては生きていた。奇跡というやつだね」
 あなたは刺されたりはしなかったのですか。との問いには、苦笑い。
「勘がいいね。昨日は滅多刺しだったよ」
 驚く記者をからかうように笑う。
「いい話し合いだった。彼の言葉に心打たれる事もあった。話し合う、気脈を通じ合わせるというのはそういうことだろう?」
 昨晩。王党派はウルトラ公を擁立してクーデターを仕掛けたのだが、当のウルトラ公が呼びに来た王党派の貴族の前で腹を切ってしまった。担ぐ神輿を失った王党派はそのまま解散してしまうが、切腹自体は狂言で、ウルトラ公は今日も登院している。
 今日は議事の開始よりもだいぶ早く着いてしまったが、ここで少し休まないと。
 コーヒーが切れてきたかも知れない。
 いつもの左翼中段の席で目を閉じて昨晩を思い出す。
 彼は昨晩。迎えに来た王党派の面々の前で腹を切り、解散を促す。
 王党派の面々が去り、呆然とする自分の前でいきなり立ち上がって腹の代わりに切った羊の臓物と血を捨て、赤ワインと羊の血をしこたま吐いた口を拭く。
 俺と犠牲の羊の区別もつかないような連中に、別に命を掛けなくていいだろ?
 マリア・ベラスカが
 ありがとう。公のおかげで、血が流れずに済んだ。
 そう言うと、ウルトラ公は怒る。
 政治家みたいなこと言うなよ。俺は君にこう言って欲しかったんだ。生きててよかったって。
 昨日、ウルトラ公が何故私に声を掛けたのか、何故わざわざ私の前で、狂言とはいえ腹を切ったのか。
 革命の終わる姿を見せたかったのだろう。
 人民の声を聞いて、革命の体現者を気取って。どこまでも闘い続けて、そしてどこへ行くのか。
 不調の理由がわかった。いや、ここ数年は目を逸らし続けてきただけ。
 やはり、私はもういらない。いてはいけない。
 でも、私がいる限りは革命は終わらないだろう。人民の声は希望や未来よりも、私を求めるようになりつつある。
 王政が終わるために国王が腹を切らざるを得なかったなら、革命を終わらせるためには私が腹を切らないといけないのかな。昨日の私の王子様のように。
 嫌。絶対に嫌。私は彼のようにはなれない。
 国王を攫ったとき、躊躇いがなかったのは許せなかったから。
 共和国演説をしたのも、王国では未来がないのはわかっていたから。
 どれだけ血が流れても、そうしないといけないと思うことができたから。
 今日も太陽が入れ替わる前に、ペンタバーロの防衛司令官をこの手で殺している。
 覚悟を決めて、万に一つも勝ち目がなくても、力尽きて倒れるならまだいい。
 「犠牲」に自分が含まれるのも、もう仕方がなかった。
 でも、もう革命は終わるのに……?
 私はこれ以上流さなくていい血をまだ流して、人はアンリエットの遊びのように、私に偉大な指導者の理想を重ねて、あり得ないものを求めるの……?
 ウルトラ公の声が追い打ちをかける。
 俺は君にこう言って欲しかったんだ。生きててよかったって。
 そう惜しげもなく言える人は、私にも同じように言ってくれるのかな? ねぇ、私の王子様?
 床につける木靴から、遠雷のような唸りと地響きが伝わってくる。
 目を開ける。天井の絵画を見つめる。天使は集まる議員皆を祝福している。
 マリア・ベラスカは天井の天使に、救いを求めるように手を伸ばす。
 革命は終わった。本当に、終わってしまった。
 ウルトラ公の淹れてくれたコーヒーは確かに恋のように甘かったし、彼が焼いてくれるからパンもスフレも美味しいのだと痛感した。
 私は革命家なんて、まして政治家なんて器じゃなかった。とマリア・ベラスカは唇を強く噛む。
 でも、やらなければよかったかという問いには否と答えよう。私の王子様もそんなことは言わなかったし、それにまだやらないといけないことがある。……これで最後にしよう。
 時が来た。
 議事が始まる。しかし、議長から為される開会の呼びかけは聞こえない。
 声をかき消すのは大宮殿を囲む群衆の掛け声。
 決起! 決起! 決起! 決起!
 マリア・ベラスカ! マリア・ベラスカ!
 決起! 決起! 決起! 決起!
 マリア・ベラスカ! マリア・ベラスカ!
 議場が、大宮殿が震えているのがわかる。
 外から聞こえる決起の声に、ロッテは議長席の下に潜り込んで震えている。
 王党派と中間派の議員が数名、慌てて議場の外に飛び出す。7年前を知らないのか、マリア・ベラスカを見くびっているのか、まだ逃げられると思ったのだろうか。
 この逃亡は犠牲の選定となった。事ここに至って議場から逃げる議員は共和国への反逆者以外の何物でもない。
 最右翼のウルトラ公は平然としている。周囲の超王党派は笑っている。
 ここを墓標に定めたか。
 マリア・ベラスカはロッテに発言を求める。
「議長。発言を……! 議長! 議長! ……聞こえないなら、構わず行くよ」
 彼女は左翼中段の席を立ち、壇上に向かう。
 さぁ、始めよう。これが正真正銘。本当の終わりの始まり。

 ウルトラ公は壇上のマリア・ベラスカを見る。アンリエットが夢見た、ウルトラ公には忌々しさしかない二度目の共和国演説。
「議員諸君。聞こえているだろうか。王国議会の経験のある議員や大宮殿にいた貴族は、この声に覚えがあるだろう。これが人民の声だ。……ペンタバーロの人民は、我々に失望している! 融和を掲げた議会に融和なく、国民を掲げた議会に国民なく、ただ私利私欲のため、ペンタバーロだけではなく世界を、輝かしい人類の未来すら弄び続けている!」
 議場の外の掛け声が、マリア・ベラスカの背中を押す。
「私は、今ここに正当な人民の政府を打ち立てる。そして、不当な政府を代表する議長は、相応しくない椅子から降りなけれはならない!」
 ロッテは負けじと、議長席でなけなしの勇気を振り絞り言い返す。
「も、もう一度内戦をしますか? マリア・ベラスカ……」
 ロッテの声は震えている。
 マリア・ベラスカは動じない。
「ここで君を捕まえて、表へ吊るすこともできる」
 ロッテは歯を食いしばる。奥歯が音を立てる。
「人民は、人民は私を街頭に吊るすことを望んでいない。違いますか。マリア・ベラスカ」
 もう一度言い返す。マリア・ベラスカはその態度に怒る。
「今はね。でも、その態度でバルコニーに出るなよ。人民の声を聞かないくせに、人民の声を騙るな。人民の前でそんなことをしたら最後、君は吊るされるよ。……歴史の檜舞台から引きずり降ろされるまで、毅然と傲慢の違いがわからないなら。君は王妃と変わらないさ!」
 議場の扉が開き、赤いケピを被った兵隊が押し入ってくる。共和国の軍人や民兵で、赤いケピを被れるのは革命初期からの古参兵のみ。人民に先駆けて議場を占拠したのは、マリア・ベラスカの老近衛兵。
 彼らが担いできたのは、先程逃げた議員だった死体。
 赤いケピの軍人が、間に合いませんでした。と苦い顔で告げる。彼らは猟犬であって、血に飢えた狼ではないのだ。ただし、扇動された群衆はそうではない。
 マリア・ベラスカは犠牲者を指して、議場に語る。
「血は、流されてしまった」
 彼女は赤ケピにロッテを引きずり下ろすように指示すると、空いた議長席には就かず壇上のまま。改めて臨時政府が打ち立てられたことを宣言する。
「臨時政府の方針を発表する。まず、警察大臣と陸軍大臣を改める。それから憲法の改正を行う。最後に、重大な提案を行う」
 マリア・ベラスカは警察大臣と陸軍大臣を共和派に挿げ替えた以外は各部大臣の入れ替えは行わなかった。外務大臣は講和全権のまま、エンヌアメ将軍とともにファンシュハイクの新政府の建設に勤める。また共和派から監督のための議員をファンシュハイクに派遣することを一方的に宣言する。
 独裁者! 護民官気取りの護国卿め! と野次を飛ばした議員を、マリア・ベラスカは一瞥で黙らせる。
「不規則発言は認められない!」
 暫定的な対応を取った後で、マリア・ベラスカは第二共和政の憲法草案を読み上げていく。
 憲法の改正については、既に半年以上の議事で折り合っていた部分を覆すことはなかった。特に第一共和政の派遣議員が知事を務める制度に代わり、王党派が逆に要求していた各県への権限移譲に基づいた知事公選、県議会設置はそのまま残した。
 そして、
 王党派が優位の状況では決して認められなかった、議会の普通選挙、大統領の直接選挙・任期10年再任無しを通そうとする。これが通るならば、現状ならばマリア・ベラスカが確実に大統領として10年登極するだろう。
 大統領の直接選挙と議会からの決別。それは国民議会での議会統治から委員会統治へ、マリア・ベラスカが執政になって以来の執政が大臣を選出する流れ。行政権と立法権を分立させるために、旧来の王権方式の行政権への転化として結実することとなる。
「採決は起立とする」
 票決は王党派の中でも最右翼の20人程度を除く全員の起立によって可決。ウルトラ公の周囲に座る最右翼の貴族たちは、それぞれ百舌公爵、アナトミエ伯爵、ノコギリ男爵、ギロチン元帥、駐悪魔島大使などと呼ばれ、共和国どころか世界の半分にその名を轟かせている大貴族と将帥の集まりだった。彼らはその名に恥じず革命戦争で5倍の共和国軍と自領で7年間戦って勝ち続けた生き残り。昨日クーデターを起こそうとしたのも彼らであるし、もう一度内戦をするなら受けて立とう、勝って当然だとも思っている。
 なお彼らの間で暗黒大酋長と呼ばれている人物がいるが、残念ながらアリコンに帰郷してしまっている。
 彼らには大宮殿を囲む群衆も、議場を制圧する赤いケピも恐ろしくないのだろう、笑ったまま座っていた。
「起立多数! 憲法は改正された! 私、マリア・ベラスカは新たな大統領と議長が選出されるまでの間。暫定的に大統領と議長を兼ねる」
 憲法が改正され、第二共和政が始まる。
 第二共和政最初の仕事は、議会の解散。普通選挙で選ばれる正当な議会の召集と、正当な政府の選出。
 そうはならなかった。
「さて、解散と言いたいところだが、あとひとつ重大な決議をしなければならない。ウルトラ公の処遇だ」
 マリア・ベラスカはここでウルトラ公に焦点を当てた。
 革命裁判所だ! ウルトラ公に死を!
 左翼席から、革命裁判所を要求する声が響く。
 ウルトラ公も野次を飛ばす。
 やってみろ! 俺をもう一度王として殺してみろ。マリア・ベラスカ!
 これらは咎められなかった。
 代わりに、マリア・ベラスカは追悼演説の様式でウルトラ公の紹介を始めた。過去7年の間用いられた革命裁判所に告発する際の、主文を後回しにする様式だ。
「ウルトラ公。君は王国歴4970年にこのペンタバーロの大宮殿で生を受けた。正当な婚姻の下でない生まれではあったが、愛に溢れるものであったと聞いている。君は庶子という立場を恨まず、妬まず。それでも国王の兄弟として認められるほどの人だった。88年の革命の際には、君は最も忠誠心の熱い王党派であった。89年の王権停止の際には君はいち早く王領に走り、反革命の狼煙を上げて、そこから7年間の長い戦いを始めた。君の戦いに、理がないとは言えない。君の戦いに、情がないとも言えない。君の戦いに、正義がなかったとも言えない。それはこの議会の諸君らも十分に存じているところだろう。私から見た君は強敵だった。革命軍は君に1日に3度の会戦を挑み、3度破れたこともあった。君の居る堡塁に、三日三晩再三攻め寄せた事もあった。しかし、7年の闘争の果てに、ついぞ君を戦場で打ち負かすことはできなかった。君は戦場で敗れることはなかったのだ。我々は、7年の不毛な抗争をやめ、君は融和を目的とした議会に始めて参加した。この議会で、君に得るものはなかったかと聞かれたら、私は答えよう。ウルトラ公はただ、名誉を得たと」
 ここからが本題。
「しかし、君に罪がないとも言えない。君は王として生きようとし、さもなくば王として死のうとした。このペンタバーロで、人は王として生きることは許されない」
 両翼の期待と、動悸止まらない正面の中間派を背景に、マリア・ベラスカは壇上で淡々と話し続ける。
「ここで少し話をしよう。アリコンの沖に小さな島がある。周囲は歩いて1日もかからない小さな島で、漁師が偶に立ち寄る以外は定住する人もいない無人島だ。すぐ近くには鳥の糞でできた海鳥の繁殖地もある。この2つの島を、我が国ではヌーベルペンタバーロとヌーベルソレイユと呼ぶんだ。当然ながらこの名前を付けた探検家はウルトラ公の父親であることの、先代国王の怒りを買って酒樽に頭から叩き込まれたという逸話もある」
 何が言いたい! と右翼席からかかる声に、マリア・ベラスカは応える。
「もう、こんなくだらない理由で人を殺すのはやめよう。共和国は君を赦すわけにはいかないが、君を殺すのも革命より10年経った今、最早適当ではない。なら、話は簡単だ。君をペンタバーロから追放する。そして、餞別として君を他国の王として認めたい。……私は臨時政府の大統領として議会に要求する。ウルトラ公の、王になりたいというその、浅はかで! 愚かで! 身の程を知らない! この共和国にふさわしくない望みに応えて、ヌーベル(新しい)ペンタバーロの王。そう、先程述べた小島2つの王として認めようじゃないか。もちろん、王は共和国には不要だ。ウルトラ公の市民権を剝奪し、居場所のない彼をヌーベルペンタバーロの王として遇する。大使はアリコンの植民地軍司令官と兼任とする。……素敵でしょう、私の王子様」
 騒然とする議場に注意を入れる。
「静粛に、採決は起立とする」
 まず、中間派が立った。マリア・ベラスカの予想よりも、早すぎる。
 今回マリア・ベラスカは中間派に手を回していない。囲まれて恐怖しているからではなく、恐らく予めアンリエットに指図されていたのだろう。
「マリア・ベラスカは、俺をペンタバーロ最後の王として殺してはくれないらしい。兄らは腹を切り、あの壇上から飛び、ここで革命裁判所に絞首刑を言い渡されたのにな。生き恥もいいところだ……。ははは……」
 ウルトラ公が王党派の中から初めて、苦笑いしながら立った。
「みんな、立って欲しい。一国の王としてペンタバーロから消える俺を祝福して欲しいんだ。……さぁ!」
 王党派がひとり、ふたり、ウルトラ公に促されて、彼を遠島へ追放する決議に賛成する。
 ウルトラ公個人の説得から始まったからか、最右翼から順に起立していく様は異様だった。
 私らは告訴されんらしいな。と軽口を叩いた最右翼に座るフルール公に、隣の貴族が笑いながら指を立てて口の前に立てる。めったに、めったにと。
 すでに過半数。
「さて、ウルトラ公も観念したよ? 革命は我々の勝利で終わったんだ。もう、これ以上血を流すのは止めにしよう」
 最後に、マリア・ベラスカに説得されて共和派の議員たちが順番に渋々立ち上がっていく。
 左翼席の議員の一人が、ウルトラ公と、反革命の徒党を断罪すべきだ! 憲法改正に最後まで立たなかった最右翼の諸氏を断罪するために、革命裁判所の開廷を要求する! と声を上げたが、マリア・ベラスカは一蹴する。
「何度も言わせないで。第二共和政では革命裁判所は廃止。今のうちに慣れて欲しいな」
 ウルトラ公のヌーベルペンタバーロへの封建は、圧倒的多数の起立によって決議された。
「それでは、ウルトラ公には共和国の市民として、最後の演説をしてもらおうか。壇上へどうぞ、私の王子様」
 マリア・ベラスカは、今日始めて議長席に退く。
 代わって登壇したウルトラ公が、ペンタバーロの国民として最後の演説を始めた。
「まず、全てのペンタバーロ国民に。ペンタバーロは共和政を選択したようだが、それでも王の庶子としての私への惻隠の情と、ペンタバーロの王室への敬愛を形として示して貰ったことを感謝する。私は票決にも自ら起立した通り、ヌーベルペンタバーロとヌーベルソレイユの王として擁立されることを誇りに思う。私は喜んでこの国を去ろう。次に、私を擁立し、私のために戦ってくれた真の王党派の諸君に。ペンタバーロの正統なる王統は私のこの体に流れる血によって残される。行く先でも私は王であり、私の系譜は新しいペンタバーロの王統として続いていくだろう。我々が戦い、勝ち取ったものを喜び分かち合いたい。最後に親愛なる宿敵へ。君には用意していた台詞も、仕草も最早格好がつかない。本当はこういうつもりだった。思いあがるなよマリア・ベラスカ。次は君の番だ……。言いたかったが、これだと君も王になってしまうな。結末は変わったのだから、言葉を変えよう」
 ウルトラ公は議長席を向き、手を差し出し、この議場で一度も見せたことのない笑顔で、甘い声で、マリア・ベラスカに最後の言葉を紡いだ。
「この国が落ち着いたら、大統領なんて業の深い仕事は辞めて新しいペンタバーロに来い。ヌーベルペンタバーロでは、日当たりのいいところにテラスを作るから、俺と2人でアリコンのコーヒーを飲もう。悪魔のように黒く、 地獄のように熱く、 天使のように清く……」
 マリア・ベラスカは手で顔を覆う。恋のように甘くと締めるのに耐えられなかった。
「やめて。もういい! わかった。必ず行くから! やめて!」
 ウルトラ公は笑う。
「議長に発言を止めるように言われたのでここまでとしておく。さて、最後に一度だけ、あのマリア・ベラスカを参らせる事ができた。この勝利を俺のウルトラ公としての、この国に残す最後の栄光としたい。ありがとう」
「ペンタバーロは共和国だ、国王万歳はふさわしくない。ヌーベルペンタバーロの国王に、万歳に代えて拍手を。ウルトラ公の門出を祝う声は、皆の良心に替えてもらう」
 マリア・ベラスカは拍手を促し、拍手が続く。
「それでは、第一共和政の残滓たる国民議会はここで解散される。喫緊の議事ない限り、選挙が終わるまでは招集されることはないだろう」
 議会の解散が宣言され、議員だった人々はただの市井の人々に戻っていく。
 ロッテは解散早々、フソウの手を取って自分が大統領になると宣言していたが、王党派の面々は憲法と大統領選挙への棄権を決めているらしく苦戦しそうだ。
 大宮殿を出る足取りもそれぞれだった。
 先頭を切ったのはマリア・ベラスカ。彼女はバルコニーで勝利を宣言し、群衆と勝利を分かち合い、祭りの開始を宣言しなければならない。
 共和派は群衆と勝利を祝うために足早に、王党派は決起の熱意に、もしかしたら熱意ではなく酒に酔った群衆に絡まれぬようにゆっくりと、議場を立ち、大宮殿を後にしていく。

 真ん中の前の方の席で、舞台を齧りつくように眺めていた議員が名残惜しそうに立ち上がる。
 彼から見ればアンリエットはびっくりするほど綺麗だったし、マリア・ベラスカは噂に聞くよりも恰好が良かった。ウルトラ公だって、不器用だったが顔も声も良かった。あの笑顔にあの声でああされれば、マリア・ベラスカでさえ惚れ込む光景を最前列で見れたのは一生ものの思い出だろう。 
 ウルトラ公が議長への立候補を辞退した日も、すぐに飲みに行ってしまったが、あの後も今日のように大騒ぎになっていたと知って、彼は酒を持って残って見ていた方が楽しかったのではないかと後悔したクチだった。
「しっかし、国民議会なんて御大層なこと言っておきながら。やってるこたぁ村の寄り合いと変わんねえや。誰が見回りの当番、今年の勢子は誰、大臣つっても村方の役目みたいなもん。難しいこと考えることねえな。役者が一流なだけってことよ。俺でもなんとか務まんだから」
 議会が解散されてただの農民に戻った男は、マリア・ベラスカがバルコニーから民衆に対して行う勝利演説を肴に、懐から強い酒を取り出してひとくち。
「マリア・ベラスカに乾杯! 新たなペンタバーロの国王陛下万歳!」
 彼は別にどちらを支持しているわけでもなく、むしろおっかなくて仕方がないのだが、このお祭り気分に対しては、祝いたくて仕方がなかった。そして、万歳をすると彼を途端に虚しさが襲う。
 そう、お祭りは終わり。また農民としての日々が彼には待っている。鮮烈な革命は終わったし、もうただの農民の自分は、農民として生きて死んでいくのだろう。別の自分として生きるには、自作農は土地に縛られすぎているのだ。
「楽しかったナァ……」
「楽しかった? そりゃまぁ、結構なことだね」
 バルコニーから遠く聞こえてきていた声が、すぐ近くから聞こえた。
 農民の男は、マリア・ベラスカに声を掛けられたのだ。
 慌てて酒をしまう。
「あ、執政サマ。いや大統領閣下でしたか。こりゃ不謹慎でした」
「いや、いいよ。議会が楽しいに越したことはないさ。むしろ、どうだったか感想を聞きたいな」
 朗らかに、遠い目をして笑う彼女に、農民の男は素朴な感想を述べた。
「へぇ、なんというか。お祭りみたいで」
「お祭りか……。アンリエットもそんなことを言ってたな。ここは劇場、貴女は主演女優、演目は大革命、貴女はどんな話を演るの……? って」
 マリア・ベラスカは舞台に上がる。運命の気まぐれでしばらく議員をしていただけの、農民の男一人のためのアンコールが始まるのだ。
「本当はね。ここはみんなの夢を叶える場所なんだよ。今のところ、夢を叶えたのはウルトラ公だけかも知れないけど」
「閣下の夢は?」
「叶わなかったよ。私の夢はね。私がしたことは、全てこの国に必要だったのかも知れないけれど、人民ははっきりと望んだけれども。でも。私は、王様に死んでほしくはなかったし、王妃の頭も鋸で落としたりしたくなかった」
 マリア・ベラスカは3階の桟敷席を指差す。
「あの桟敷の席から人が飛ぶのを止めることが出来なかった!」
 窓の外を指さす。
「宮殿の庭に、反革命の名のもとに、人が吊るされることを止めることができなかった! そう。私が成し遂げたことは、精々この程度のことさ」
 自嘲。マリア・ベラスカは頬を震わせて、唇を噛む。
 農民の男は思わず手を叩いた。彼は日頃アンリエットが熱く語っていた、マリア・ベラスカの白熱の弁舌を独占している。
「……私は使命を果たさざるを得なかった。でも、それは私の夢じゃなかったんだ」
 彼女に語れる夢はもうなく、成し遂げたことと、成し遂げたくなかったこと、成し遂げられなかったことのみを舞台上で語る。空虚で寂しく、それでいてなお、それは人を殺す力のある演説。
「……やめよう。こんな話は。全ては成し遂げられた。革命は終わったんだ。ここは終わった話をする場所じゃない、夢を叶える場所だ。夢を見るなら未来の話をしよう。ねぇ、君の夢は?」
「私の?」
「そう! 君の夢だ。夢も持たないのに、こんなところに来れるはずはないさ」
 農民の男は顔をしかめる。
「こんな小さな話をしていいかわかりゃしませんがね」
「いいよ、聞こう! ……壇上へ上がって。これが君の処女演説だ」
 農民の男は渋々壇上に上がった。彼女のようにうまくは行かないだろうが、これも最後の思い出だと考えた。
「閣下ほどうまくはいきゃしませんよ……。うちの村はね、駅馬車が通った時に駅から外れて、そっから寂れる一方でね。革命がどうの、人権がどうのなんて言われても。ぴんと来なくて、領主様はけちくさい男で、村の祭りに金も出さずにただ酒を飲みに来るだけの人でね。吊るされてせいせいしてたら、代わりに誰か議会に寄越せって言われて俺らがここに来ることになったんでさぁ。だから、今回の議会でも、ここが夢を叶えに来る場所だなんざ、そんなこと思いもつかなかった。今、閣下が閣下の言うように、ここが夢を叶えるところだって言うなら。恰好をつけて言わしてもらえれば、もし夢が叶うなら、駅馬車の駅を俺らの村に置きてえんでさぁ」
 マリア・ベラスカは口笛を吹いて彼を讃える。
「道に駅馬車か……。それはいい夢だよ。次の選挙も出るといい。君の夢は、間違いなく君をここまで連れてきた人民の夢だ。ただ、橋や駅馬車なら、新しい憲法だと知事や県議会の方が夢には近いかも知れないけど……」
 彼女は舞台から降りる。手を振って、さよならと言って、ウルトラ公と朝食を摂っていた中庭のテラスの方に去って行った。
 農民の男は首を傾げる。
 大統領として当選確実の彼女にも、大宮殿に名残があるのだろうか?

 農民の男はマリア・ベラスカと出くわさないように大宮殿の廊下を外へ向けて歩く。
 民衆も赤いケピももういない。お祭りは大宮殿から市内に移ったようだ。
 大宮殿の門を振り返る。ここに来るのも、もう最後になるだろう。
「緞帳さんも呑気なもんよ。次も出りゃいいって、簡単に言ってくれらぁ。こっちはこれ以上ペンタバーロにいるだけで借金まみれになるっつーのに。選挙に狂って、井戸の塀だけ子供に残してもしゃあねえや。ま、最後に緞帳さんと話できたのは悪かなかったな、俺の人生も捨てたもんじゃなかったってことで……」
「そうとも、思えませんよ」
 農民の彼に声を掛けたのは、彼もまた一人の議員。紡績と織機屋の息子で、大学を出てペンタバーロでふらふらしていた風采の上がらない軟弱な男。彼は徴兵明けでやることもなかったので、土地証券を買った父親の名代として議員に選出されていた。金があり、アンリエットに魅了されて唆されるがまま金を出していたのだが、やがてアンリエットが集めてきた他の議員と政治クラブを立ち上げていた。農民の男もこの男の金で酒を飲んだことは何度もある。
「あんたが金を出して、俺に議員を続けさせてくれるっての?」
 織機屋の息子は指を鳴らす。
「話が早い。そのとおりです。我々が助け合えば、またここでお会いすることができるのではないかと……」
「本当かぁ?」
「とにかく、お金は出しますから。あなたは近くの村をまとめて推薦されるようにしていただけませんか。それに、選挙に出られそうな貴族が近くの村にいたら紹介して欲しいんです。その人が超王党派でもいい、国民議会だけじゃなくて県議会議員や知事の成り手も探さないといけないから」
「あんたにも、緞帳さんが言う夢ってのがあんのかい」
 風采のあがらない、いい歳をして子供っぽさが抜けない青年は無邪気に残った若さを発露する。
「そうですね……。マリア・ベラスカにも、たまにはままならないことがあることを教えて差し上げようかなと、思いませんか?」
「あんた。怖いもん知らずだな……。でも乗った! 金はあんた持ちで、またペンタバーロで遊べんだろ?」
 農民の男に強く肩を叩かれ、織機屋の息子はせき込む。
「いいですか、私からすればあなたも、いえ、ここにいる議員ひとりひとりが、夢を夢で諦めないのなら。全員がマリア・ベラスカに負けない傑物なんですよ」
 ペンタバーロ最初の国民政党が生まれつつあった。

 マリア・ベラスカはバルコニーで演説を行い、人民を熱狂させ、そして西日差すテラスに残照を求めて戻ってくる。
 離れた日がまたもうひとつの日を追いかけて、ふたつの日が再び出会うことで、またペンタバーロにも夜の帳が下りる。
 マリア・ベラスカの頬は緩む。
 待っているなんて、本当は期待していなかったけど。
 ウルトラ公はいつも通りそっぽを向いたまま、マリア・ベラスカを出迎える。
「ここに来ると思って待っていたと言えば、君は喜ぶのかな。忍耐には自身があったつもりだが」
 悪態を吐いたウルトラ公に、マリア・ベラスカは表情を崩した。
「よかった。私の王子様は、私を待ってくれてた」
 ウルトラ公は彼女の表情に、悪態の続きを言うことができなくなった。
「……俺も、待っていて良かったよ。それで、何の用だ? 俺は君に用があったが、君も俺に用があるんだろう?」
「あなたがペンタバーロを出る前に、約束を守ってもらおうと思って」
 ウルトラ公は首肯する。
「なるほど。しかしどうする? 今日は家には帰らないが……」
「どうしてまた、大宮殿が名残惜しいの?」
 首を傾げるマリア・ベラスカを、ウルトラ公は鼻で笑う。
「俺は超王党派。今日のペンタバーロ市内に、俺の居場所はないからな。馬車は帰らせてある。今日は市民が飽きるまで、大宮殿にいるつもりだ」
「ひとりで?」
「いいや。他にも居ただろう? マリア・ベラスカ様の憲法の改正の呼び掛けに、最後まで立たなかった連中が。俺はあいつらと、これから第一回ヌーベルペンタバーロ王国御前会議をする」
 マリア・ベラスカは呆れる他なかった。
「酷いな。怪物が雁首揃えて、最悪のごっこ遊びだ」
 ウルトラ公は手を合わせる。
「そこで頼みがある。テラスで待っていれたのもこれが原因だ。食うばっかりのやつが20人もいて、晩餐会の人手が足りないんだ。食材はなんとか調達させているが、うちの料理人は共和派の馬鹿騒ぎに連れて行かれて、まともな食事を作れるのは俺だけだ。だから手伝って欲しい。君は革命前は炊き出しをしていたんだろう?」
 呆れ果てて何も言えないマリア・ベラスカに、ウルトラ公は追い打ちをかける。
「俺は今、よその国の王様なんだから、当然俺を国賓待遇にしてくれるんだろ? それが宮殿の厨房で、勝手に飯を作れはないだろうなぁ? 大統領閣下」
「マリア・ベラスカ様とか、大統領閣下とか……。そういう言い方はやめてよ。私の王子様。いいよ、手伝う。でも、今日だけだよ。あと配膳はしないから」
 マリア・ベラスカは、ウルトラ公が柄になくはしゃいでいるのを見た。
「いいな。まさに炊き出しだ。名だたる大貴族の面々が、皿を持って君の鍋の前に並ぶんだ。二度と見られない光景だぞ」
 二人で厨房に立つ。隣の部屋には、フルール公を始めとする超王党派の面々が座っている。
 マリア・ベラスカは汁物の準備を進めながら、ウルトラ公に語る。
「しかし、革命前はご飯が食べられない人に炊き出しをしていたけど、10年経ったら今度は料理人がいなくて困っている大貴族に炊き出しをすることになるなんて、思ってもみなかったな」
「まさしく革命が起きてるじゃないか、仕上げの仕事にふさわしいとは思わないか?」
「それは、ものは言いようとしか。ただ、私は食べれない人の味方でありたいから、矛盾はしないよ」
「そうか。じゃあ今日は極右の連中に、革命に対して平等に膝を屈してもらうことにしよう。ふふ」
 ウルトラ公は本当に嬉しそうだった。
「さて、パンを寝かせる時間がないから。発酵なしパンを……」
 彼はマリア・ベラスカの泣きそうな顔を見た。おかずを食べられなかった時代に齧った、塩すら欠けていた固い無発酵パンの味を忘れられないのだろう。
 ひとに食べさせるものであっても、不意に自分の思考が顔に出てしまったようだ。
「わかった。そんな顔をするな。じゃあ、クレープにしよう、卵も牛乳もある。で、君には先に約束のスフレを焼いてあげるから、それでいいだろう?」
 マリア・ベラスカの顔は朗らかになり、瞳が輝く。
 ウルトラ公は、朝、菓子パンを焼いて持って行っていた理由を噛みしめ、今度は彼が呆れた顔を作る。
「なるほど、俺は菓子パンで王冠を買ったわけか。ひどい話だ」
「それは、違っ!」
 顔を赤くするマリア・ベラスカに、ウルトラ公はほくそ笑む。
「食事を待ってる王党派の連中にも聞かせてやろう」
 ふざけて超王党派の仲間に知らせようと厨房を出るウルトラ公をマリア・ベラスカは追う。
「ちょっと、やめて!」
 最早二人に立場はなく、他愛もない話で向かい合って笑う。それらまた日が昇るまでの短い時間かも知れないけれど、昨晩の凄惨な光景を乗り越えて、これ以上互いに傷つけ合うまいとしたその心が通じ合ったことに安らぎを見い出して……。

5.共和国9年 単日期

 ペンタバーロの双日期もやがて終わり、ふたつの日は重なって、ひとつの日が登る。
 数多の英雄たちを押し退けて、ペンタバーロに冠するのは一体だぁれ?


 マリア・ベラスカが選挙中に忽然と姿を消した。人が彼女を最後に見たのは、彼女の故郷であるポルトベラスコの港。
 ウルトラ公の出立が重なっていたため、集まった王党派に暗殺されたのではないかという話も出たが、それならば王党派はマリア・ベラスカの暗殺を誇示するだろうし、死体も見つかるはずだ。
 消えた彼女の名前は連日新聞で報道され、そして。
「ロッテ、これを読んでみろ。傑作だぞ」
 フソウが差し出した選挙翌日の新聞一面は、党派の勝利ではなかった。
 大統領、不在。
 まだアリコンやトラスカラ、南レバント、ポンディシェリ、バヤールなどの海外領土からの選挙結果は明らかになってはいないが、これらの地域では未だ市民権保有者が少なく、割り当てられた議席も少ない。趨勢を決めるペンタバーロ本土および併合を予定している大陸占領地での大勢は既に決まっている。
 新憲法の国民投票は賛成2,200万票、反対300万票で可決。
 大統領選挙ではマリア・ベラスカが2,000万票を獲得。この得票は。海外領土を含めて人口9,500万人、有権者数3,200万人前後の国で、とりあえず書かれた数にしては多すぎる。彼女への崇拝とも呼べる支持が現れていた。
 2位はウルトラ公の300万票。王党派が大統領選挙をボイコットした結果、投票先として追放されたウルトラ公の名前が選ばれた。
 3位のロッテは200万票程度しか得票できていない。共和派は当然ながら、王党派からも投票先として見なされなかった事実は重い。
 ロッテは忌々しげに、烈しく応えた。
「どっちにしても、マリア・ベラスカもウルトラ公もいないんだから同じよ! まぁいいわ。マリア・ベラスカの頭を落とせなかったのはしょうがないけど、共和派はいくらでも湧いてるわ。あいつら全員、お母様にしたみたいに鋸で頭を落としてあげるんだから!」
「やめろよ。俺は、俺の理想のお姫様に、そんな下らない殺しをして欲しくないんだよ。わかるか?」
 ロッテは完全に頭に血が上っていた。自分は正当な王家の直系なのに、自分を選ばない臣民に烈しい怒りを隠さないのだ。
「フソウ、あなたは一体誰の味方なの。あなたは私の」
 フソウはロッテの言葉を遮る。
「理想のお姫様の忠実な臣下でございます。これは臣下からの諫言だけどな、今のお姫様より、鋸で頭を飛ばされた王妃様の方がいくらか可愛げがあるぜ」
 ロッテはフソウを一喝した。
「うるさい!」
 アンリエット・ダリコーンは母国に帰り、マリア・ベラスカは雲隠れ。王位を狙う競争相手のウルトラ公もアリコンの向かいに島流し。
 競争相手のマリア・ベラスカやウルトラ公はもういない。ならば、国王の王女である自分に、もはや敵はいないはず。
 第二共和政を廃し、王政を復古させるのに何の障害もないはずなのに。
 私こそがペンタバーロとファンシュハイクを1,500年ぶりに統一する聖王になるはずなのに。
 どうしてだろう。この心の底に埋め込まれた、恐怖と、いないはずの人間への嫉妬は……。
 控室のドアが叩かれる。権力者の密談が破られる日が来た。

 第二共和政憲法下で行われた選挙結果は、三者三様と評されるべきだろう。
 新憲法は国民投票で圧倒的な支持を得て成立。王党派に抗うすべはなかった。
 大統領選挙は勝者不在。マリア・ベラスカがただ圧倒的な力を見せ、王党派も白票の代わりにウルトラ公の名前を書き、第2位を占めて存在を誇示した。大統領は3位のロッテを繰り上げるのか、それとも再選挙になるのかは決まっていない。
 他方、130の県で戦われた県知事選挙では殆どが共和派と王党派の一騎打ちとなり、ペンタバーロやポルトベラスコなどの都市部では共和派が圧勝した。しかし、100を超える王党派の県では旧体制の大貴族が擁立されてペンタバーロから送り込まれた共和派の候補に勝利している。なお、ウルトラ公は自分の領地であった複数の県全てで立候補の届け出を勝手に出されて共和派の候補に圧勝している。これは繰り上げではなく再選挙が予定されている。
 この結果を見た百舌公爵ことフルール公は、もっと早くこうしておけばよかったとこぼした。
 彼は国王を拘禁し共和国宣言を行った革命政府への抗議を表明するために、県境に人間燭台を立てた。当然のことながら七年間の内戦は過酷だったが、今の今まで領民に支持されて最後まで勝つことができた。県知事選挙でもかつての自領たる全ての県で子や甥が圧勝できたのだから、肩肘を張って旧体制の補償の為にわざわざ柄でもない議員をやって、国民議会で抗争しなくても良かったのだと。
 彼は解散を機に引退する。フルール公から見ても、息子の場合は民選の知事の椅子の方が旧体制の領主の椅子よりも座り心地がよさそうだったのだ。
 今後、基礎自治体となる村にも首長の公選と議会の設置が広がっていくだろう。
 時代の移り変わりを見たフルール公は、旧時代の遺物らしくペンタバーロを去ることを決めた。
 彼は7年間の内戦で自分が戦争に強いことに気が付いたので、戦争以外にやることのない連中を連れてポンディシェリのペンタバーロ植民地に渡ることにする。遥か遠くのデカンでも、ひとつ征服してみるか。と老境に入り、これを人生最後の目標と定めた。
 フルール公の安堵を他所に国民議会選挙・県議会選挙は貴族主義の落日を確定させた。まず、普通選挙によって、マリア・ベラスカの使徒と見なされた都市部の共和派が次々と当選し、共和派は前回の3倍に躍進した。
 だが、すでに孵卵は行われていた。マリア・ベラスカに捨てられた共和派も、もはや過去の遺物と化しているのだ。
 選挙の真の勝者は前回の選挙で初当選した議員たち。アンリエットに買収されていただけでしかなかったはずの議員たちは、いつの間にか横のつながりを持ち、政党の組織化を行っていた。
 解散後すぐに彼らの一部は護憲・中道主義を標榜、旧王党派から中間派の大半を抱え込むべく都市部では学者や煽動家、産業資本家を擁立。農村部では前職の農民や貴族を擁立。また、票読みの上で立候補者を調整したことで票を食い合って落選した旧王党派から議席を吸い上げて行った。特に県議会議員選挙では王党派の県でも多数派を占めて、王党派勢力が中心になっているのに知事から見れば厄介な勢力になっていくだろう。
 彼ら「護憲協会」を標榜するペンタバーロ初の国民政党は選挙後も動きは早かった。共和派を掣肘するべくシャルロッテ・ルイーズ・ペンタバーロに大統領への就任を申し入れたのだった。3,200万人の有権者のうち、200万票しか獲得できていない第3位の候補者を、国民議会で追認することで国民議会の権威を高めようという魂胆である。
 ただし、大臣の名簿は彼らが予備投票で決めた議員で構成されており、フソウは希望する蔵相ではなく、再び筆頭書記官を務めざるを得なかった。
 大臣の名簿を持ってきた、恐らく農民出身であろう議員の態度は、彼らの隆盛を示していた。
「いや、いいんですよお姫様。別にお断りなすっても。ワシら、あんたの代わりにウルトラ公に帰ってきてもらって、王様して貰っても全然構やしねえんですわ。緞帳さんが見つからねぇのはもうしゃあねぇ。おっかねえから探さねぇけど、最多得票はあんたじゃなくて緞帳さん。次点はウルトラ公なんだからねぇ」
 ロッテは蒼白となったが、もはや選択肢はなかった。

 護憲協会の面々は密談の現場として有力政治家たちの間で使われていた控室やテラスを制圧した。議場だけではなく、日々控室やテラスで酒や煙草を飲み、議論とも言えないような政談を繰り返し、その中で政策を擦り合わせていく。
 解散直後から議員たちに声をかけていた機織屋の息子が、紫煙立ち込める控室で音頭を取る。
「革命はもう終わりました。マリア・ベラスカも、ウルトラ公もいません。時代遅れの王党派は駆逐されましたし、革命の成果は共和派のものではない。私達のものにしましょう」
 王党派から護憲協会に鞍替えした貴族が、時代遅れという言葉に反応した。
「いいや、貴族はまだ時代遅れではない。残ったのは称号だけで封建的特権ももういらんが、矜持だけは失っておらん。矜持を示すためにも、いち早く王を再び立てて共和政から脱さないといかんぞ」
 織機屋の息子が突っかかる。金を出しているのは彼だ。
「立憲君主制? これだから貴族は。矜持や王への忠誠で飯は食えませんよ。私のお金にも限界があるから、国民議会ではまずは国に歳費を要求しようと思っているのに……。まさかあなたも同じ意見?」
 織機屋の息子が話を振ったのは旧体制下の装いで座っていたのはウルトラ公の領土を管理していた男。彼は護憲協会と王党派から推薦を受けて旧ウルトラ公領を地盤とする県知事の補欠選挙に出ることが決まっていたため、あまり目立たないようにしている。
「いえ、私は陛下が戻られるまで御料を守るためにここにおりますので、お気遣いなく」
 農民の男がロッテに対して不満を言う。
「だいたい、あの子供に女王様が務まるかね。奇跡の一つも起こして貰いてぇもんだ」
 貴族の男は熱弁する。
「いやいや諸君。そりゃあ棚上げだ。ないものねだってもしょうがない。とりあえずあるものを持ち上げるだけさ。でも、「ペンタバーロさん」でだめなら。代わりになってくれそうなウルトラ公がアリコンにいるんだろう? その時になってから連れて来ようじゃないか。能力で理想を言うならそれはマリア・ベラスカだろうが、彼女に王冠を捧げると我々が首の締まる思いをするぞ」
「だめだめ」
 手を振って否定した議員がいた。彼は共和派から護憲協会に鞍替えした元派遣議員だった。
「マリア・ベラスカは駄目。そりゃあね。マリア・ベラスカは最高の為政者だし、俺もあんな美人に首を絞められて逝ってみたいよ? だから、マリア・ベラスカの下で働いてりゃ命がいくつあっても足りないのさ。爵の付いた貴族よりも派遣議員の方が銃殺か絞首刑になってる数は多いんだぞ。……もう革命は終わったんだ。好きにさせてくれ」
 農民の男は派遣議員だった男を睨む。
「共和派も駄目だァ。特にベラスコ会の連中なんか、俺たちは緞帳さんを育てました。革命の同志ですって面してやがる。うぜえうぜえ、顔も見たくねえよ。大体あいつら国会開ける度に毎回蜂起してるだろ? 今度もいつ蜂起するかわかんねぇぞ」
 織機屋の息子は場の空気をまとめにかかる。
「ペンタバーロさんというのはなかなか素敵な呼びかけですね。それでは、「ペンタバーロさん」を持ち上げて大統領にしておいて、それからお願いしてベラスコ会は解散、財産を没収してもらおうじゃないですか。あのお子様は共和派に恨みを抱いているようですし……。王様になるためには、共和派は邪魔でしょうからねぇ……」
 彼ら新時代の議員たちは、革命当初の共和派たちのように意気軒昂。これからのペンタバーロを築いていく自信に溢れていて……。

6.共和国14年 双日期

 その奸智は全てを見通していて、タピスリを紡ぐように物語を描き、王家、議員、人民……。いや、ペンタバーロの革命そのものを弄び存分に愉しんだものの、自らが書いた最後の一節を見届ける事ができず、主役と後日談を約束してペンタバーロを去っていったアンリエット。
 父を愛し、母を愛し、流れる血を信じた結果、血統により否定され自らも自己を否定し、ペンタバーロを追われたウルトラ公。
 革命を望み、革命にやがて苦しみ。人民の声を聞き、人民に力あることを教え、そして最後には人民を畏れ。すべての人にその力と威徳を見せつけたまま、自らの終わりを見てペンタバーロから逃げたマリア・ベラスカ。
 物語を、血統を、人民の声を、革命すら失ったペンタバーロで、最後に立っていたものが勝者だと言わんばかりに、唯一の太陽としてペンタバーロに君臨しようとしたシャルロッテ。
 拾い物の天下はそう簡単に続くことはあり得ないと、ペンタバーロの人々は知っていて……。


 その姿は真紅の緞帳のような第一共和政の時とは、違う。
 眼鏡を掛け、赤と白のコントラストを露悪めいて映えさせた、第二共和政の時とも違う。
 日焼けしたその顔は、5年を遥か南の国で過ごしてきたと一目でわかる。
 きわどい水着にホットパンツがトレードマークになった彼女に、この調子だと第四共和政では裸で登壇することになりますね。と新聞記者は問いかけた。彼女は、ヌーベルペンタバーロが暑すぎて、うちのテラスは日陰にあるんだぞ。そんなところより暑いところに行ったら裸になる前に干物だよ。アンリエットだってそんな脚本は書いてくれないさ。と苦笑して答えた。
 ウルトラ公はご一緒ではないのですか。との新聞記者の問いかけには、私の王子さまは意志が弱いから、古い方のペンタバーロに帰ったら自分の国を捨てそうだろ? 彼、冗談かも知れないけど絶対に言うから。待たせたな、君たちの王はここにいるぞ、ってね。だから今はアリコンで子守とお留守番だよ。もしかしたらデカンかマンダリンで皇帝になってるかも、そのときはごめんね。と、すこし恥ずかしそうに答えた。
 この5年の間に、マリア・ベラスカは世界を巡り、アリコンを手始めに海岸諸邦とトラスカラ、ポンディシェリを植民地から独立させ、それぞれの首相職を歴任してきた。
 講和条約のためにペンタバーロにやってきたのだが、ペンタバーロの政府から打診されたのは臨時政府の首班だった。
 ペンタバーロの惨状を知り、僅かに躊躇した後で、足元を見てきちんと旧植民地の独立と貿易についての協定を承認させてから、片目を閉じて言う。
 私の任期はまだ残ってるんだろ? じゃあ少しだけ大統領の続きをやろうか。
 彼女は今、ペンタバーロ第三共和政の大統領として、三度救国の英雄としての仕事を果たすべく、大宮殿の議場の壇上にいる。
「この議場にお集りの皆さん。そしてペンタバーロの全国民の皆さん。ただいま……。マリア・ベラスカは、共和国に帰ってまいりました」
 ペンタバーロの大宮殿が揺れている。議場の外からも歓声が聞こえてくるのがわかる。
「大革命、第二共和政への移行。私がここに立つとき、常に血が流れます。5年前のあの日、私は己の運命を恥じ、己の運命と向き合えず、この国を去ることを決めました。しかし、あの日の私の戦いは無駄ではなかったと信じています。ペンタバーロでは海外領土にすら奴隷はいません。人はみな自分の信ずる人に自らの運命を託すことができます。爵位や栄典は差別と暴力の温床ではなく、あらゆる人民に平等になり功績の象徴となりました。私はここで、昔話風に言えば、めでたし、めでたしと、物語の幕を降ろせるなら降ろしたかったのです。
 それは誤りでした。現実は絵物語ではありません。革命は血と暴力の物語でもなく、ペンタバーロだけのものでもなく、この世界全てに生きる人の未来のために行われ、その成果は永遠に受け継がれなければならないのです。
 大変言いにくいことですが、失政には相応の犠牲を払わねばならないということを、私は申し上げなければなりません。平和は既に失われ、我々は圧倒的な不利にあります。今後、ペンタバーロをファンシュハイクの侵攻から守るために、全国民は戦士となり、ペンタバーロの全土は兵器廠となり、全ては戦勝の為に傾けられます。そう、かつての革命戦争のように。沈みゆくペンタバーロの太陽を翻し、運命の天秤を傾け、失われるはずの国をこれから血で贖う。それが人民の総意となります。
 その上で、私は聞いたのです。もう一度私をペンタバーロに呼ぶ声を、私に救いを求める人民の声を。
 私はもう一度、ペンタバーロのために戦いましょう。もう一度、この国に光が差すように、人民の信託に足る戦いをすることを、私の大統領としての宣誓といたします。共和国万歳」
 議場は共和国万歳を三唱。
 共和国はシャルロッテ・ルイーズ・ペンタバーロが失敗したペンタバーロとファンシュハイクの、いやペンタバーロそのものの統合にも決着をつけなければならない。

 ペンタバーロの4度の共和政ですべて圧倒的な民意を得ながら一度も選挙を経ずに元首となったマリア・ベラスカの物語は、ここで一度筆を置くこととする。

おまけ 王国歴4989年 単日期


 太陽が動いているのか、大地が動いているのか。
 この世界にある太陽がふたつだとしても、真実を導く公理はひとつ。
 どちらが正しいのか、人は正しいと思いたいだけで平気で人を殺す。
 でも、争わなくてもひとつだけ明らかなことはある。
 そう。落日は来る。

 マリア・ベラスカ。
 その緞帳のような赤いドレスを引きずり、重たそうな赤い髪を気だるそうに靡かせて、彼女は演台の前に立つ。
 彼女が問われているのは、反逆の決起を企図したかどうか。
 すでに弾劾の提案も演説も行われ、彼女はあと一度の演説を残して、票決の上で恐らく議場を去ることになるだろう。
 本題に関して無駄な演説を長々とぶつのが彼女の流儀だった。
「すべての人民の命は等しく尊く、誰も彼もが幸福に生きる権利を持つ。その権利は、誰にも妨げられることはない。私はこの国で初めての憲法に書かれた言葉を、本当に尊いと思っているよ」
 命が惜しいか! 大逆者! と野次が飛ぶ。嘲笑が続く。
 マリア・ベラスカは嘲笑の中で、淡々と続ける。
「でも、この国には不要な人間が一人だけいるの。この議会はありとあらゆる問題と向き合って、苦闘しているのに、どうして? このただ一つの真実とは向き合おうとはしないの?」
 罵声が止んだ。
 発言の内容に明らかに大逆の意図があるのを議場のは察した。
 マリア・ベラスカは、野次が飛ぶ前に声を上げた。
「私は王権の停止と、憲法の改正と、国王の断罪を要求するよ」
 議場が震えている。マリア・ベラスカの大逆に戦慄しているのではない。
 本当に揺れているのだ。
 遠雷のように、大砲が鳴った。近い。
 銃声と怒号が続いた。王都の中心、大宮殿の周辺で、既に戦闘が起きている。
 怯える議員の中には、逃げるものが出始めた。
 マリア・ベラスカは淡々と続ける。
「それじゃ、私にかけられた嫌疑について質問に答えようか。弁解はしないよ。私はただ、ペンタバーロの人民すべての声に応えただけ。私はただ、ペンタバーロの全ての人民が、これから望むことを肯定したいの」
 大砲は鳴らなくなり、銃声は止んだ。残ったのは歓声。
「議場のみんな。聞こえるでしょう。これが人民の声だよ」
 ペンタバーロの民衆蜂起は、既に大宮殿の門を破っている。
「もし、この請願が受け入れられないのなら」
 マリア・ベラスカは短剣を手にする。
「私を捕まえなくてもいい、裁判も執行もいらない。私は、この剣で私の絶望を終わらせる。でもね、声を聞いて」
 歓声と
 革命歌と
 マリア・ベラスカ! と叫ぶ声が、議場全体を再び包む。
 人民の津波が大宮殿、劇場を囲むのがわかった。
 外に出た議員が惨殺されて首が放り込まれた。恐怖も議場を包む。
「もしここで私の言葉が無下にされるなら。ここにいるみんなも、ペンタバーロも滅びるかもしれない。でも、革命は終わらない。すべての人民の命は等しく尊く、誰も彼もが幸福に生きる権利を持つ。人は生まれながらに自由で、平等なんだよ。動き始めた人民の意志はもう、止めることができないから……」
 マリア・ベラスカは演台から一歩退き、採決を促す。
「さぁ、選びましょう。この剣にかけて、私は王政を廃し、共和国を打ち建てることを誓うよ。あなたは?」

ふたつ陽の国で

ふたつ陽の国で

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い反社会的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2023-03-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1.共和国7年 双日期
  2. 2.共和国8年 単日期
  3. 3.王国歴4988年 双日期
  4. 4.共和国8年 双日期
  5. 5.共和国9年 単日期
  6. 6.共和国14年 双日期
  7. おまけ 王国歴4989年 単日期