紙ヒコーキ

紙ヒコーキ


 放課後になってから屋上に出ると、いつものように入口に背を向けて笹原がせっせと紙飛行機を折っていた。白くてすらりとした指先が器用に動く。流れるような動作で紙飛行機を折っていく。二つの紙飛行機を折り終えた彼女は、立ちあがって当たり前のようにフェンスを乗り越えた。これもいつもの事なので、その行動に対して、とくに咎めずに、ただジッと彼女の後姿を眺めていた。フェンスを乗り越え、淵のギリギリに立つと、彼女は二つのうちの一つの紙飛行機を、そっと飛ばした。風に乗っていく紙飛行機は面白いくらい、ぐんぐんと進んで行き、最後には見えなくなった。その紙飛行機が飛んで行った方角を彼女は暫くの間眺めていて、手に持っている二つ目の飛行機を、いつまでも飛ばそうとはしなかった。そんな彼女に、後ろから声をかける。

「調子はどうだ?」
「あまり、良くないみたいなの。」

 振り返らずに彼女は答えた。周りから見れば、十分なほど飛んでいるはずだ。俺にも、そこ等辺の奴等にも、あれ程まで飛ぶ紙飛行機は造れないだろう。しかし、造った本人にとっては、納得できないデキだったようだ。

「うまく飛んでくれない。なんか駄目。」
「今日は、なんの紙で折ったんだ?」
「答案用紙」
「…恥ずかしくないのかよ。」
「私は恥ずかしくないよ。だって、小田君の答案だもの。」
「何してくれちゃってんの!」

 まさかと思いながら、慌ててかばんの中身を確かめようとした。そんな俺に向かって彼女は、けろっとした様子で「嘘だよ」なんて言った。本当に、性質が悪い。気を取り直して俺はまた彼女に声をかけた。

「そっちの紙飛行機は飛ばさないのか」

 彼女の手にはもう一つの紙飛行機が残っている。彼女は、その手にしている紙飛行機を目の前に持っていき、ジッと眺めた。だがすぐに手を降ろして「うん。」と言った。

「じゃあ、今日はもうあの人に、届きそうにないんだな。」

 何気なくかけた俺の言葉に、彼女は何の反応もしない。気に障ったのかもしれない。自分でも、今のは意地が悪いと思う。けど、素直に謝る気は無い。面白くないのだ。

俺は、笹原が好きだ。だから、面白くない。

 時々見かける紙飛行機が気になって、この屋上にやってきた俺は、紙飛行機を飛ばしていた人物が、前々から気になっていた笹原だったと知った。その時、屋上で二人きりだという事もあって、とにかく何か話したかった俺は、始めに「何故、毎日のように紙飛行機を飛ばすのか」を尋ねてみた。すると笹原は「此処にはいないある人に向けて飛ばしている」とだけ答えた。その時の、どこか悲しそうな笑顔は、今でも忘れられない。馬鹿な俺でも「どうやら、笹原には忘れられない人がいるらしい」と分かった。「此処にはいない」とはどういう事なのかは、分からない。引っ越してしまったのか、死んでしまったのか。それを聞いても、きっと彼女は答えないだろう。
 告白する前に、いや、仲良くなる前に、失恋してしまったのも同然の俺は、それでも諦められなくて、あの笑顔が忘れられなくて、こうして毎日のように屋上に通っては、彼女に話しかけ、彼女の紙飛行機を折る姿から、飛ばす姿まで見守っているのだ。我ながら、なんて諦めの悪い男なのだろうとは思う。でも、やっぱり俺は笹原が好きだ。好きだから、しょうがない。いつか、俺に振り向いてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、俺は笹原を見守っている。彼女も彼女で、毎日やってくる俺を邪険に扱うこともしないで、受け入れてくれている…多分。それに、先ほどのように、冗談を言い合うような仲にもなった。でも、彼女は、今日も紙飛行機を飛ばしている。誰かを想って、紙飛行機を飛ばしているのだ。このままでは、いつまで経っても、肝心な事は何も変わらない。

「なぁ、あんたさ」
「なんですか?」

「忘れるっていう選択肢はないのか」なんて、勿論言えるわけもなく、俺は「やっぱり何でもない」とだけ言って、足早に屋上を出た。彼女は最後まで俺の方に、振り向こうとはしなかった。
 誰もいない階段を駆け下りていく。自分の足音だけが、やけに大きく響いた。根性無しめ。分かってはいるけど、今の関係が壊れてしまうのは、やっぱり怖くて、何も言えないのだ。でもいつか、白いすらりとした指先で、流れるような動作で造られた、あのよく飛ぶ彼女の紙飛行機が、俺に届けばいいのに、なんて願ってしまう。



 次の日、久しぶりに部活に顔を出すつもりでいる俺は、放課後の校庭を歩いていた。その時、一瞬だけ足元が陰ったように感じて、上を見上げた。紙飛行機が一つだけ悠々と風に乗り、飛んでいた。今日も飽きずに彼女は紙飛行機を飛ばしているらしい。

「まったく、人の気も知らないで」

まぁ、彼女にとって俺の事なんて、どうでもいい事であるから仕方がない。俺は落ち込みかけた気持ちを誤魔化して、部活へと向かった。どんなに落ち込んでも、結局は後で屋上に行く事になるのは分っている。そんな自分はやはり馬鹿だと思うが、嫌いではなかった。



 自分以外、誰もいない屋上で溜息を一つ。毎日飽きもせずに屋上にやってきて、私の可笑しな行動に対しても、笑いもしないで居てくれる彼は、今日はまだ屋上に来ていない。その彼である小田君の顔を浮かべてから、また溜息を一つ。彼は、まったく分かっていない。いや、気付いていない。

「鈍感」

 そう一言小さく呟いてから、手元にある紙飛行機を見た。昨日の最後の紙飛行機だって、本当は、小田君が言っている『あの人』に向けて飛ばすつもりでいた物ではなかったのだ。

「まったく、人の気も知らないで」
 
 いつからだろう、紙飛行機を飛ばす相手が変わっていたのは。この紙飛行機を誰に届けようとしていたのか、彼はまだ知らない。彼はまだ、気付いていないのだ。



                      終

                      

紙ヒコーキ

紙ヒコーキ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-30

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