たった一つの言い訳
男女の学生。
銀座通りを歩いていてスマフォが振動した。
三田茜から、話があるので今晩の夕食を一緒にどうかと。
池野洋二と茜は同じキャンパスの学友だったが、彼女はミスコンで優勝し女優になった。
彼女は学生時代から他の女性達に一目置かれた存在だった。
というのも、其の容姿の美しさから画家のmodelや写真のmodelなどを依頼され、着物姿で其れに応じる事が少なくなかったから。
そういった存在の彼女は、忙しい時間に追われ講義に出る余裕も無かったのは事実。
其の当時は二人の立場というものにつき、特段のこだわりも感じない友人に過ぎなかった。
其れで、洋二が彼女の分まで講義のノートをとっては時間が許す限り二人で共に復習を。
どちらかと言えば気の優しい洋二としては、兎に角彼女が一緒に卒業できなければ?と。
また、そんな洋二の行動を、将来を約束されている様な女性からすれば、通常は余計な事は必要無いからと断りそうなものだ。
実際、彼女は既に眩しいライトを浴びた世界の女性とし、洋二の親切心は理解できるものの、聊か戸惑いを感じていたのかも知れない。
おそらく百人中百人がそう言った立場であれば皆同じ様に考えるだろう。
だが、彼女が一般的な女性と異なっていたのは、露骨にそういう態度を示したり、洋二に迷惑であるかのような言葉を掛ける事はしなかった。
其れが、将来的に却って洋二を傷つける事になったとしても、彼はそうなればそれで良いと考えていた。
かと言い二人の間に恋愛感情が存在していた訳でもなく、洋二は純粋な友情で結ばれているだけと思っていた。
大学は名門と言われていたが、地方から上京した洋二に較べれば、彼女は田園調布に実家があるお嬢さんであるし、幼稚舎から大学までエスカレーター式に一流路線を歩んで来ていた。
偶々同じ学部であって、一年の語学の授業の時に第一外国語英語、第二外国語Germanyクラスに属したのが知り合うきっかけになっただけ。
その当時は同じクラスが約30人程の学生で構成されており、他の学友とも分け隔てない交流の場だったのは言うまでもない。
一~二年は日吉キャンパス、三~四年は三田キャンパス。
ところが、三年時に彼女の個性が花咲きそんな変化が生じた。
洋二のそんな奮闘があったせいもあり、彼女は他の学友と共に卒業する事が出来た。
其処から先は、彼女は女優として業界入りし、洋二は、一旦は実業界に入ったものの・・本心は・・物書きとなる事が頭にちらつく。
二人は別々の路線を歩む事になり、偶には連絡を取り合う事もあったが、忙しさに追われるに連れ、其々の世界で仕事に集中せざるを得なかった。
更に其々の仕事に慣れた頃、洋二は兼ねてからの念願であった物書きの道を歩み始めた。
其れでも、洋二は彼女の家の近くを通った際、懐かしくなり思わず立ち寄るなどという事もあった。
彼女の両親は学生時代の洋二を知っているのだから歓迎してくれ、珈琲をご馳走になりながら彼女の近況を聞いたりした。
何せ、洋二が物書きになって最初に書いた小説のmodelは彼女という事で、両親も其の事を知っていたくらいだ。
modelと言えば、彼女が女優になる前のエピソードは幾らもある。
当時、彼女が美しいからと、もっと華やかな世界で活躍したらどうかとの誘いもあり、彼女はしばしばその様な誘いに耳を貸す事も・・。
女優になる以前からmodelとして、マスコミで取りあげられた事もあった。
また、写真家の中には、彼女の写真集を作成し売り出そうと考える者も・・。
写真家にせよ画家にしても、彼女をmodelにする事で、彼女の美しい姿を世に知らしめる狙いと、且つ自らの名声も同時に評価させようと思うのも無理もない。
そして・・彼女はmodelだけでなく・・女優業をも志すようになった。
二人が卒業をしてから、連絡を取り合っていた時代があったが、そのころ、洋二はまだ一介の物書きに過ぎなかった。
二人で、互いに幸あれと湯島天神にお参りに行った事もあったが、洋二は物書きを始めたばかり・・まだ収入を稼げるとまでには至らなかった。
思わずストーリーが浮かび書き始めたり、作品の路線を絞ってイメージを沸かせるなど・・洋二は洋二なりに惜しみない努力を捧げたが・・。
何れにしても世に名を売るまでには計り知れない程の時間がかかるだろう。
また、話は代わるが・・通常物書きが、自らの作品のmodelになって貰うのにはそれ相応の相手の承諾と対価が必要となる。
著名な写真家などはその点何とも無い事であろうし、逆にmodelにしてくれと依頼される事も少なくはないだろう。
世の中、地位・名誉・金銭などが絡み合いながら、男女の中が其れ相応に結びつくという事もあるだろう。
だが、茜は自らの身分にも拘らず、洋二のmodelになる事を喜んで引き受けてくれた。
そういう点では美しさだけでなく、奢る事のない優しさも併せ持った女性と言えた。
ところが、世の中は彼女のその様な優しさにも拘わらず、必ずしもその思いを汲もうとするわけではない。
雑誌などでも彼女の名が頻繁に見られる様になり、何時の間にか彼女は不動の地位を・・。
書店に行けば彼女の写真集が並び、絵画でも彼女は人物画の対象として依頼されるなど・・。
彼女は、既に、一流のmodelであり、また女優でもある道を登り始めていた。
マスコミでは最早記事にする対象とし、彼女は欠かせない存在。
其れがmodelから女優が本業になるに連れ、立場は増々好転して行った。
女優としては、最初の主役作品が評価をされてから、次々に撮影の機会が増えていく。
押しも押されもしない大女優を目指し、まっしぐらに進んでいた。
やがて・・当然ながら・・其れに連れ、結婚話なども出始める。
もうその時には・・茜が大抵の事を選択する立場になっていた。
果たして・・そのお相手は・・といえば、業界人だったり、実業家であったり・・と、何人もの候補の名が並ぶ・・。
其れを茜が相手を選択し、一言、「お受けさせて戴きます」と言えば、誰も止める事はできないのは尤も・・。
業界の人間絡み故。マスコミなどは、寧ろその結論が何時で・・どうなるのか・・をスクープしたい。
彼女自身の結婚に関する意思とは別に、彼女と結婚を希望する複数の男性が凌ぎを削る事態になっていた。
誰にせよ、大女優が業界人ないしは相応の男性と結婚するのは目出度き事と思うのは当然。
・・彼女はふと考える。自らの心の何処かに・・洋二との想い出が存在する・・だが、業界人であるからには・・それ相応に祝福される結婚が理想であるのも至極当然・・。
そんな時、洋二はふと彼女の実家に立ち寄る機会があったのだが、彼女の家族も同様な心境のよう・・。
或る意味、家族としては、勿論、本人の意思が最優先なのだが・・洋二との過去の事も気にしてくれていたようだ。
では、洋二はと言えば、
「自分には・・今の茜を幸せに出来るなど無理というもの・・」
という心境しか浮かばず・・。
本心がどうあれ、彼女と結ばれたいなど・・今の身分では到底口に出せない。
其れは既に今となっては禁句であり・・結局、茜宛の送信文に・・、
「。。何か彼方此方から良い話があるようでおめでとう・・」
と茜の幸せを願う言葉で結ぶしか無かった。
その時点で、洋二の存在は単なる一人の同窓生にすぎなくなった。
茜を誰が射止めるのかは、最早、巷の話題とし、大事となっている・・。
茜は幾つもある目出度い話から最も合点がいく一つを選んだ。
その選択肢や過程やらを、マスコミが更に大袈裟に取り上げている。
「・・美人女優と・・業界人に限らず、実業家や著名な写真家との縁は何処に?・・」
更に話は二転し、実は監督からのお誘いがあった事も薄々知られる事となっていた。
取捨選択は本人の問題であるが、業界の過去の例をとれば、監督だから必ずしも良い・・とも言えない。
宝塚歌劇団から大映入りした八千草薫などの様に監督と結婚をしおしどり夫婦のまま、惜しまれつつ亡くなったという例。
かと思えば、人類の欲望が表面化し、高齢の監督から主役の座を貰う為に大部屋の女優が関係を持ったなど・・。
つまりは・・案外そう簡単な業界と言えそうもない・・。
その点だけに焦点を合わせれば・・茜は既に主役の座を貰ったも同然の地位にある。
茜は、その選択権を既に手に入れていた。
いよいよ・・マスコミに発表・・となった。
眩しいばかりの多くのフラッシュが焚かれる中、男女二人の笑顔が窺える。
都内の著名なホテルに於いて結婚式が行われる事になった。
当日になる。
大勢の列席者を呑み込んだホテルは・・諸氏の笑顔に包まれている。
夫婦の誓い。
司会も業界の大物が行っている。
式次第は順調そのものだ・・。
お色直しの為、茜が控室に戻る事があった。
控室に置いてあった茜のバッグの中から・・茶袋が顔を覗かせた・・。
片や・・既に祝電も・・式場に・・。
後は・・タイミング良く読まれるだけ・・。
其の中に・・宛名だけで・・送り主の記載が無いもの・・。
話は遡るのだが、茜の家に洋二が立ち寄り本人と話をした際、彼女が誰かと結婚するなどという事は・・洋二の胸の中で、十二分・・動かぬ存在・・。
洋二としては、如何しようも無い事であり・・自分は心底・・彼女の幸せを祈ろうと・・。
・・茜に、
「・・貴女が幸せになる事は僕が最も願っていた事だから・・」
と祝福した。
其の時の洋二の心中は・・、
「・・二度と茜と会える事が無くとも・・せめて・・自分はもう一度茜をmodelとして小説を書きたい・・」
との事だった。
以前から、茜に、
「・・君をmodelにして書いても良いだろうか?・・」
と告げている。
今は、其れを口に出すなど・・及びもつかなく・・。
学友としての二人なら、其れは・・結構な事である。
そして、今、花嫁である彼女に・・良き縁談に水を差しかねないような事をするなど・・とんでもない・・。
既に・・第一作は書き終えている。
何れにしても小説であるのなら・・。
丁度彼女の結婚式の前日だった。洋二は其れをもう一度読み始める。
実に長い間の・・いろいろな出来事が・・セピア色した時間と共に・・過去へ過去へと・・流れて行く。
書き上げた作品を、落ち着いたら茜に読んで貰えるだけで幸せだと思う。
二人が知り合ってから、最初の一冊が出来るまでの間にふたりの間にどのような思いが飛び交った事か?
親しくなり・・楽しく過ごしたあの頃・・彼方此方に行っては・・何でも親しく話し合った・・。
しかし・・筋書きは・・少し違う・・。
二人が結ばれ・・きっと洋二は茜を幸せに出来るなど・・一体・・?
・・実に様々な想い出が二人の間の宝物として存在した過去の事を・・書き記した・・。
小説とし、男女の恋愛ものとし、忠実に描かれている。
登場人物は、実名では無い。
だが・・茜にだけは、其れがあの頃の二人である事・・きっと分かって貰えると・・。
ところが・・其処で事実と物語の相違・・それが・・くるくると・・回転しだしている・・。
情けないことに・・寂しさだけが残っているとは・・あってはならない・・決して・・。
たかが・・都合の良い思いなど・・。
「・・若し、今でも茜の記憶の中に自分という存在・・?いや・・何という甘ちゃんなんだろう?迷惑極まりない・・何処まで愚かなのか・・」
式の途中で茜の姿が見えなくなった。
・・誰もいない控え室・・。
・・茶袋を開け・・。。
手にする・・一冊の本。
「・・時間が無いわ・・戻らなきゃ・・」
本のタイトルは・・「たった一つの言い訳」。
・・茜は・・席に戻る前に・・どうしても・・その本を読みたい・・と・・。
・・結婚式が終わってからで無ければ・・いえ・・そうではないわ・・今すぐ・・。
茜はTitleを見ただけで何が書かれているかが分かった。
「・・二人の気持ちは、二人にしか分からない・・」
・・ページを捲る・・文字が涙で滲んで・・読めない。
たった・・一文・・。
「・・何時までも・・君の事を愛し、君の幸せを願っている・・」
・・はっきり顔が浮かぶ・・。
あれ程、楽しい事があった日々が次から次へと・・まるで走馬灯の様に脳裏に浮かんでは消えて行く・・。
次の瞬間、茜は決心をした。
遅すぎたけれど・・忘れられない・・。
会場に戻ると、一斉に此方を見ている幾つもの顔に話し掛けた・・。
結婚相手には・・只管・・謝るしかない・・何と言われようとも・・悪いのは自分だ・・でも・・どうしても・・本当の気持ちは・・偽れない・・御免なさいで済まされないけれど・・皆さん許して下さい・・。
テーブルの上の花瓶の・・花がゆっくり開き始め・・その風情・・分かろう筈も無い愛の輝き・・会場は静まり返ったまま・・。
二人は、想い出のキャンパスを歩いている。
茜は女優を辞めた。
全ての仕事をキャンセルし・・其れでもなんとかなるわ・・そう言い聞かせる・・。
手を繋いでいる洋二の瞳が語りかける・・。
「・・悪い事をしてしまった・・取り返しがつかない事を・・」
茜は・・真白く美しい顔に微笑みを浮かべ・・。
「・・本があるでしょ・・?二人だけの事を書いた・・二人にしか分からないもの・・其れなら・・もう一度やり直す事が出来る・・私・・何でもするし・・何とかなるわよ・・」
其れから・・二人が何処でどうしているのかなのだが・・。
今宵・・澄んだ夜空に浮かぶ三日月・・そう、それであれば・・きっと二人も・・柔らかな光に包まれながら・・共に眺めているのでは・・。
作者より。
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たった一つの言い訳
二人のキャンパス時代。