還暦夫婦のバイクライフ10
リン、久しぶりのジビエ料理を堪能する。
ジニーは夫、リンは妻の、共に還暦を迎えた夫婦である。
11月上旬、その日は朝から雲一つない上天気だった。しかし絶好のツーリング日和なのに、二人はいつまでもぐずぐずと寝ていた。前日までに予定を決めていないと、いつもこんな感じなのだ。
朝9時、リンが寝床から起きだして、外をのぞく。
「あ~、いい天気。ジニー起きて起きて。すごくいい天気。どこか行こう!」
「う~ん、おはよう。天気いい?」
昨日遅くまでYouTubeを見ていたジニーが、眠そうな目で外をのぞく。
「あ~・・・。本当だ・・・。どこかいこうか・・・・」
ジニーがあまりにも気のない返事をするので、リンが機嫌を悪くする。その気配を敏感に感じ取ったジニーが一気に覚醒して、ぼやけた頭をたたき起こす。
「むむむ・・、そうだ!久しぶりにDに行ってみるかい?」
「D!」
不機嫌だったリンが、一瞬でご機嫌になる。
「この前はイベントがあって予約できなかったから、今日は予約出来たらええねぇ」
「うん。早速電話・・・あ、まだ早いな」
「予約出来なかったら、いつものお散歩コースでもええよ」
「それもアリだけど、やっぱりDやな」
Dというのは、ジビエ料理を出してくれるご飯屋さんだ。高知の山奥にあって、お店から見上げる源氏ケ駄馬はジニーのお気に入りの風景だ。すごく小さなお店で、6人で満席になる。週に3日しか営業していなくて、しかも知る人ぞ知るお店のため、事前予約は必須なのだ。二人にはとっておきのお店なので、ツーリング仲間にも教えていない。
「完全装備じゃないと、寒いよね」
「うん」
「そう言えば、スマホホルダーバイクに付いた?」
「うん。昨日付けた」
「じゃあ、早速やね」
二人は支度を始める。ジニーは朝食を作り、リンは顔を作る。
「いただきます」
手早く作った目玉焼きと炒めたウインナーを、昨日の残ったご飯と一緒に食べる。コーヒーメーカーに出来上がったコーヒーをカップに注ぎ、一口飲む。
「ふうっ」
ジニーは一息ついてから、残りのコーヒーを一気に飲み切り、おもむろにスマホを手に取った。
「もしもし・・・ジニーと申しますが、予約をお願いしたい・・・はい、2名で。13時30分くらいに・・・はい、お願いいたします」
ジニーはスマホを置いた。
「取れた?」
「うん。13時30分で」
「よかったねー。続けて2回取れなかったから、久しぶりやね」
「3か月ぶりかな?とにかく用意していきますよ」
完全装備に着替えた二人は、外に出た。ジニーが車庫からバイクを引っ張り出し、リンは自分のバイクのセッティングをする。ジニーはバッグをバイクの後部シートに固定して、スマホホルダにスマホを取り付ける。短い充電ケーブルでバイクにつなぐ。それからヘルメットを被り、インカムのスイッチを入れた。インカムはスマホとのペアリングを完了して、それからリンのインカムと通信を始める。
「リンさん、聞こえる?」
「聞こえるよ。ナビ様起こしたん?」
「いや、まだ。ガソリン無いからスタンド寄りますよ」
「わかった。出れるよ」
「はい。じゃあ、行きます」
10時40分、ジニーはバイクを発進させた。リンが後に続く。家の近所のスタンドで給油を済ませて、久万高原町目指して走る。松山環状線から天山交差点を右折して、R33に入る。
「11時前か。さすがに混雑しとるね」
「13時30分に間に合う?」
「十分間に合うよ。少し早着するかもね」
二人は自動車の流れに合わせて、ゆっくりと走る。やがて砥部町に入り、三坂の登り口にたどりついた。
「ジニー、今日はどっち行く?」
「う~ん、旧道に車が行かなかったら旧道、車が行ったらバイパスかな」
「了解」
やがてバイパスの分岐点まで登って来た。前を走っていた長い車列は、全部バイパスへとなだれ込んでゆく。二人は旧道に入って、少しペースを上げる。
「リンさん、チャリマンがいるから気を付けてね」
「うん。それにしても、道が悪いねー」
「バイパスができたからなあ」
「それでもよ。生活道路なのに」
リンは不服そうだ。
「そう言えば、西日本豪雨の時に、一か所谷側に崩落して完全に通れんかったやんか。あれ、直すの早かったなあ」
「当然でしょ。生活道路なんだから」
「まあ、つまり完全に放置しているわけでは無いってことやね」
そうこう話しているうちに三坂峠を越え、道は下りになる。先行車もなく快適に走っていたが、バイパスとの合流点で信号につかまり、停止した。
「あ、あの車はさっき先頭を走っていた呑気さんだ。バイパス走って来たのにこっちと同じ時間って、いくら何でも呑気すぎるんじゃないか?」
「後ろの車はかなりイライラしたんじゃない?あ、ほら。黄色線なのに、追い越してる車居るし」
「捕まってしまえー」
目の前を車列がぞろぞろと走っていく。信号が青になったので、その車列の後ろに付いてゆく。久万高原町を通過する間に車がぱらぱらといなくなり、先頭を走っていた呑気さんもどこかにいなくなった。短くなった車列のペースが一気に早くなる。
「リンさん、美川で休憩する?」
「いや、スルーしていいけど」
「じゃあ、そのまま行きますよ」
二人は美川の道の駅を通り過ぎる。バイク乗りが何人か居て、こちらを見ていたので手を挙げて挨拶する。
「そろそろバイクも減って来たなあ。みんなもう冬眠か?」
「まあね。真冬でも走ってるのは、ウチらみたいなアホだけじゃないの?」
「そうか?でも、寒いのはいやだなあ。なんだかみじめな気分になる」
「じゃあ夏は?」
「暑いのも嫌だけど、それでも夏の方が良いや。冬みたいに重装備にならないから」
「それは私も同意するわ。でも、汗がすごいから私は夏も嫌」
「そんなこと言いながら年中走り回ってる僕たちは、やっぱりアホやな」
「うん」
道は高知に向かってゆるやかに下っている。気温も少しづつ上昇しているのがわかる。美川を通過してしばらく走ると、ループ橋が見えてきた。ここで左折して、R440に乗り換える。ループ橋を駆け上がり、柳谷へ向かう。道沿いには全国的にも珍しい超軟水が湧き出る福地蔵の湧き水や、八釜の甌穴とかがある。それらを通り過ぎてどんどん奥へ走ってゆく。一か所だけ狭い所があるが、後は二車線の快適な道だ。やがて、地芳トンネルが見えてきた。四国カルストに上がる時は、トンネルの手前を右折するが、今日はまっすぐ走ってトンネルをくぐる。
「リンさん、意外なことに寒くないな」
「うん。夏なんか半端なく寒いのにね」
「寒いねー。ここと新寒風山トンネルは、夏通ると凍死しそうなくらい空気がつめたいよなあ」
「冬は重装備だから、寒くないだけかもね」
「まあ、それはあるな」
ひたすらまっすぐな長いトンネルを抜け、高知県側に出る。ここから梼原町までどんどん高度を下げていく。やや早いペースで走り降りて、梼原の街中に入った。
「ジニー、何時?」
「13時ちょっと前。休まなくても大丈夫?」
「あと20分くらいね。そのまま走る」
「わかった」
ジニーは街中の交差点を右折して、川の対岸に渡る。わき道を走り、谷沿いに大野ヶ原へ続いている道に出る。しばらく上流に向かって走り、集落をいくつか抜けた先にあるT字路を右折する。その道をさらに上流に詰めたところにDがある。店の前を通り過ぎ、少し離れたところにある駐車場にバイクを止めた。
「13時20分、やっぱり少し早着だった」
「ここから見上げる初冬の源氏ケ駄馬は、相変わらず絶景やねえ」
そう言いながらリンは、スマホを取り出し、何回もシャッターを切る。
「りんさん、行きますよ」
ジニーはリンを急かして、お店へ向かった。
丁度前のお客さんが出てくるタイミングで、店内に入る。
「予約していましたジニーです」
「ありがとうございます。先般お電話いただいていたジニーさんですか?」
「あ、そうです」
「あの時はすみませんでした。高知市内でのイベントに参加していたので、お店を臨時休業していました」
「いえ、全然お気遣いなく」
店主に席を案内されて、二人は席に着いた。
早速メニューを見る。店主一人でやっている店なので、種類はそんなには無い。そのなかで、ジニーは鹿の和風パスタのコース、リンはジビエハンバーグコースを注文する。オーダーを受け取った店主は、厨房へ向かった。
「ジニー、今日はシュークリームがある。帰りに買って帰ろう」
「うん。パンも何点かあるからあれも買って帰る」
パンだけを買いに来るお客さんもいるから、帰るまで残っているかはわからないが、残っているときはいつも何点か買って帰るのが恒例となっている。
ここはソフトバンクが圏外なので、スマホが見れない。そのおかげで、ゆったりとした静かな時間が流れてゆく。
「お待たせしました。ドレッシングは文旦を使っています」
店主がサラダをテーブルに置く。何でもないサラダに見えるが、実はこの野菜がすごくうまい。これを食べるために通っているといってもいいくらいだ。ドレッシングも毎回違っていて、それが野菜によく合う。
「うまいねー」
リンがつぶやく。
「うまい。自家製って言っとったね」
「うん。ドレッシングもおいしい」
二人はサラダをゆっくりと味わう。お皿の野菜をきれいに平らげてからしばらくして、スープが出てきた。
「紫イモのポタージュです」
やや控えめのカップで量的には少し物足りなさを感じるが、これもおいしい。スープも毎回違うものが出てくる。やがてメインディッシュが出てくる。ハンバーグもパスタの鹿肉も、少し癖のある食感だがおいしく調理されている。ジニーとリンはお互いの料理をシェアしながら、ゆっくりと味わった。
「ふう。ここに来るとのんびりとくつろげる。料理もおいしいし」
リンはすっかり緩んで、満足そうな表情になる。還暦を迎えてなお正社員のリンは、常に仕事の緊張感を引きずっているように見える。たまには気持ちを緩めることも必要だろう。
メインを完食した後、コーヒーとデザートが出された。
「リンさん、やっぱりコーヒーは水のいい所で飲むべきだね。久しぶりにうまいコーヒー飲んだ」
「そりゃあ、300g400円くらいの安いコーヒーを、水道水で淹れたのとは全然違うやろ」
「うん。近年うまいと思ったコーヒーは、ここと伊野町のケーキ屋さんのコーヒーかな」
「あそこはケーキも絶品だもん。風変わりなお店だけどね」
「このデザートのお菓子もかなりおいしい」
うまいコーヒーとデザートのお菓子にすっかりご機嫌になった二人は、シュークリームとパンを山ほど買って、お店を出た。
「ジニー今何時?」
「14時30分。時間があれば、四国カルスト上がってもいいかなと思ってたけど」
「無理無理。今から上がると、帰り真っ暗で寒くてやってられんよ」
「だよねー。帰ろ」
ジニーはスマホをホルダーに固定した。
「ナビ様のご機嫌伺ってみるか」
ジニーはスマホを操作して、グーグルナビを起動した。でも繋がらない。
「そういえば、電波無かった。でも、スマホの音声はなんか聞こえるなあ。音が小さくて何言ってるのかわからんけど」
「ジニーそれ、初期設定のままでしょ?帰りにPART'Sに寄って、設定変えてもらったら?」
「そうする。じゃあ、PART'Sまでいきまっせ」
Dを出発して、山道を下ってゆく。梼原まで戻り、R420を愛媛県向かって走る。地芳トンネルを抜け、呑気な車をパスし、ループ橋をぐるっと回ってR33に乗り換える。美川の道の駅を横目に見ながら通過して、久万高原町を松山へと走り続ける。
「リンさん、休憩は?」
「全然平気」
「じゃあ、天空の郷もスルーで」
「いいよ」
R33をさらに進み、帰りはバイパスを使う。三坂峠を一気にかけ下り、砥部町を抜けて重信川を渡り、松山市に戻る。環状線をぐるっと回りこみ、PART'Sに到着したのは、16時丁度だった。
「思ったより早く着いたな」
「さすがに疲れた」
「何度も言うけど、そのSS乗って疲れないのは、リンさんだけですから。岩角さんだって無理って言ってたし」
「そお?みんなが言うほどしんどくないんですけど」
リンはちょっと首をかしげて、ヘルメットを脱ぐ。ジニーは自分のヘルメットを持って、店内に向かった。店員さんにお願いして設定を変えてもらう。その間、二人は店内を見て回った。
「そうだ。シールド壊れてたんだ。交換しよう」
ジニーはスモークシールドを手に取り、レジで会計を済ませる。
「交換しときましょうか?」
「お願いいたします」
店員さんにヘルメットとシールドを預け、再び店内をうろつく。リンがウェアの試着をしたり、違うメーカーのインカムを見たりしている間に、シールド交換とインカム設定変更が出来上がった。店員さんにお礼を言って、店を出る。
「どーれ、早速」
ジニーは再びスマホをセットして、ナビ様を呼ぶ。
「おう!かなり大声だな」
「使えそう?」
「うん。大丈夫」
二人はすっかり日が暮れて暗くなった街を走り、15分ほどで家に到着した。
「リンさんお疲れ」
「お疲れ。今年Dに行くのは、今日で終わりやね」
「うん。雪が降るからなあ」
「来年は3月かな?」
「たぶん、4月でしょう」
「4月かあ~」
リンが残念そうにつぶやいた。
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