喪主の挨拶

私も一応聞かれた

本籍地にお住いの親戚が死んだという事で、実家の母親から連絡が入った。今はもう顔も思い出せないけども、子供の頃お世話になった。お正月とかお年玉とかくれたある親戚の方がお亡くなりになったそうだ。
「行きます」
母親からのその連絡を受けて、私はその葬儀に行くと言った。
「いいの」
母親が困惑気味に聞いてきた。再度私は、
「行きます」
と言った。その通話を終えるとすぐに、パソコンでえきねっとで新幹線の切符をとって、実家に帰省する準備をした。
というのも、去年やった葬儀が面白かったなって思って。
去年死んだ父の葬儀が面白かった。子供の頃大叔母が死んだ時は憎しみとか、つまらなさしか感じなかったけど、大人になって、しかもこうしてなんかお話なんかを書くようになって、その上で行った父の葬儀がとても面白かった。だからもう一回葬儀とか参加したいなって思っていた。だからまあ願っても無い話だった。
新幹線の窓側の席に座って、父の葬儀の事、父の葬儀のアフターの事を思ったり思い出したり、考えたりした。
去年は父の葬儀があったおかげで、その最中に書いた『私と父とそんなに知らないおじさん』っていう話がイグBFCのイグ7になった。後はまあ、また別の話が、まあ本戦にはいかなかったものの、BFCの最終候補に残ったりした。これも父の死に関しての話だった。それにまあ、それからことあるごとに父の死、葬儀に関しての話を書いてあっちこっちに投げてる。
勿論、父が死んだっていう事に思う所が色々とあったのだろうなとは思うんだけども、でも葬儀自体もなかなか体験できない事であって、私からしてみたら新鮮だったし、楽しかった。やはり楽しかったっていうのが私の中で先行する。
葬儀ホールも面白かったし、火葬場も面白かったし、御寺も面白かったし、納骨も面白かったし。遺影も面白かったし。残った家族三人でその後にした酒盛りも面白かった。父の話が色々と出た。あと、ぶっちゃけ終末病院に入院していた父の見舞いも面白かった。何もかも、なかなか体験できることではなかった。新鮮だった。コロナ禍の最中の見舞い、今思い出してもたまらない記憶だ。抗原検査をしてから見舞いに行った。その時の気候、天気も良かったし。
だから父の死、父の死に関しての葬儀やらなにやらの全てが私の中で楽しい記憶になっている。これは決して父の死が悲しくないという事ではなく、ただ、全体的に面白かったっていう事。
それにたった一回の葬儀で、沢山話を書けたのも私の中でよかった。父の葬儀をベースにして、色々な話が私の中で発生した。それだからまあ、また葬儀とか参加して、実際に体験したら、また話を思いつくかもしれないじゃん。そんで、それがまた今年のBFC関係に使えるかもしれないじゃない。

そういうことを色々と考えていると、いつの間にか新幹線は秋田に、本籍地に到着していた。

そうして実家に戻り、母との挨拶もそこそこに父の葬儀の時に使ったユニクロで買った喪服に着替えて(実家に置きっぱにしていた)、母の運転する車に乗り、その親戚さんの葬儀に向かった。

葬儀ホールに到着して、向こうさんの親戚の方々に母共々恭しく頭を下げたりしていると、その内に火葬場に移動するという事になった。死んだ親戚は御棺の中に綺麗に納まっており、既にその御遺体にお花が添えられていた。父の葬儀の時に葬儀社の方から頂いた明細を見たけども、ああいう花も意外と値段が高かった事を思い出した。

そうして喪主の人が、霊柩車の助手席におさまって故人の写真、遺影を前に出しておかなくてはいけないんだけど、そういう風にすると車が出発した。父の葬儀の時は一応私が喪主だった。だから、あれをやった。あれは恥ずかしかった。父は別に有名人でもないから、こんな事しなくていいのになあって思った。今回の喪主さんも同じ気持ちでいると思う。

そして火葬場に到着すると、さっそくどっかの御住職の方が来て、そこで祈り、念仏を唱え、私達参加者、参列者はその後ろで頭を下げたり手を合わせたりする。した。

それが済むと、火葬場の係の人が、
「それでは喪主様の御挨拶です」
と言った。ちなみに私も係の人に何か最後にあいさつしますかと聞かれた。私の時はありがたいことにコロナ禍のまだギリ最中で三人だけの家族葬だったので、何もないですって答えたんだけど。今回は一応喪主の人が何かしら挨拶をするらしい。

喪主の人が、私達参列者の前に立った。顔は幾分か憔悴している。うちの父と違って、今回お亡くなりになった方は、親戚の人は、突然逝ったのかもしれない。うちの父はもう死ぬ前から死ぬってわかってたから、私達家族はまあ、それなりに気持ちの準備が出来ていた。これもまたありがたいことだなあって思った。

そんな事を思いながら立っていると、その喪主の人はその憔悴した顔のまま、突然に、
「あなたひとりーにー」
と、なんか歌い出した。

長崎は今日も雨だった、だ。

すぐに分かった。カラオケで歌ったことがあるから。内山田洋とクール・ファイブの『長崎は今日も雨だった』じゃん。なんで?なんでそれを唄い出したの。長崎ならまだしも秋田で。

なんで?

でも、とにかく、喪主の人は、長崎は今日も雨だったを唄っている。私は小声で隣にいた母親に、
「これ、故人の人が好きだったの?」
って聞いた。

「さあ?しらない」
母親はそう答えた。

「るるるー」
火葬場の係の人が歌に合わせて、るるるーって言ってる。そんで、喪主の人は長崎は今日も雨だったを唄ってる。

故人の肉親の人達は、それを聞きながらなんか泣いてる。泣いてた。

私は泣かなかったけど、でも、こういうのでもいいんだ。って思った。喪主の挨拶って。こういうのでもいいんだ。父の時、私も歌えばよかったかなあ。父親何が好きだったかなあ。ジプシーキングスのインスピレーションとか好きだったなあ。唄えばよかったかなあ。

喪主の挨拶

喪主の挨拶

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-02-28

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