邦題 夢の中から飛び出した美しい妻の輝いた顔を再び・・。
何時の間にか足が向いていた古い校舎。
懐かしい風景画に添えられた宝物。
Le visage brillant d'une belle épouse qui a encore sauté d'un rêve...
邦題 夢の中から飛び出した美しい妻の輝いた顔を再び・・。
虎の門の駅から十分も歩くと、三田春樹の会社がある。
春樹は契約関係の仕事をやっているから、外回りが多い。
一日かけて五、六件の契約者宅を廻るが、遠い所もあるから、結構時間が掛かるし、今は夏の後半、まだ暑い。
今日も、午後三時過ぎに、訪問先を出て、バス停まで一時間くらい歩いている。
途中、春樹は、卒業した小学校の前を通った。
何十年ぶりにに来たからと、立ち止まって門の間から校庭を見てみた。
用務員が校庭の草刈りをしている横で、三年生くらいの女の子が一輪車で遊んでいる。
用務員は、草刈り機を使っているから、女の子に。
「危ないから、もっとグランドの真ん中に行って遊ぶように」
と、注意をしている。
女の子は、器用に一輪車でグランドの隅にある鉄棒まで行くと、鉄棒に摑まって用務員さんの作業を見ている。
春樹は、何となく懐かしくなって、校庭の隅を歩いて校舎に向かった。
用務員さんは春樹に気付いて、草刈り機のスイッチを切ると。
「何か御用事でもあるんですか?」
と春樹に近付いて来る。
春樹は微笑み。
「ちょっと教員室に用がありまして」
と嘘をついた。
何も用事などは無いが、校舎に入って見たかっただけだ。
校舎は建て直しされて鉄筋になっているのだが、隅にある小さな校舎だけは、未だに木造のまゝだ。
今時、建て直して無い校舎などというのは珍しいし、自分が通っていた頃のまゝだからと、覗いて見たくなった。
春樹が古い校舎に入ろうとした時、先程の女の子が何時の間にか脇に立っている。
女の子は一輪車から降りると、一輪車を手に持ったままで春樹に近寄って来た。
「おじさん、中に入るの?何か用事があるの?此処は勝手に入っちゃいけない事になっているんだよ。でも、私もよく入っているんだけれどね。一緒に入ろうか」
幸い、用務員からは、春樹の姿は見えないようで、注意をされそうも無い。
スリッパも無いところをみると、普段は使っていない様だ、というより出入りは禁止されているのかも知れない。
校舎の扉も閉まっているようだが、女の子が扉の近くにある窓が、ガラスが割れていて其処から入れると教えてくれた。
地面からは少し高さがあるのだが、女の子は一輪車を利用して中に潜り込んだ。春樹も、続いて中に入った。
入ってから、女の子は自分の名前を教えてくれた。
高野百合、学年は言わなかった。
廊下は、何故か埃を被ってはいなく、輝いている。
春樹は廊下を見ている内にいろんな事を思い出した。
春樹の父悦司は小学校の教員で、当時は「宿直」という制度があったのだが、春樹が小学校の頃、悦司は宿直は当番制で悦司だけだから、春樹にも来ないかと言われた事があった。
当時も、用務員はいたのだが、用務員は昼間だけ仕事をして、夕方帰宅する。
ガードマンなどいない時代だったから、教師が交代で泊まる宿直室という小さな建物があって、週に一度の休みの前日に、教師が校舎の横にある宿直室に泊まって、校舎やその周りを、一応、見て廻り、翌日帰宅する。
夕方、悦司の知人の男性が、春樹を学校まで車で送ってくれた。
もう、生徒も教師も皆帰ってしまって、校舎には二人しかいなかった。
春樹は女の子に其の話をしてあげた。
「夜の廊下を一階から二階まで、各教室を見て廻るんだよ。電気は付けないで、懐中電灯の灯りだけで廻るから、何もいなくても怖かったよ。でも、おじさんのお父さんと二人だったから、まだ良かったけれど、教員は普段は一人で廻るんだから大変だったね」
女の子は、暫く感心をして聞いていたようだが顔を顰めるながら言った。
「ふ~ん、そんな事があったんだ。でも・・。今日は二人だよね。同じ様に回ってみない?おじさんがいれば安心だし、私は、昼間は何回か此処に入った事があるから、丁度いいコンビじゃない。ねえ、そうしようよ」
春樹は、女の子の家族が心配するからやめた方がいいんじゃない、と言ったが、自分も宿直に同伴した想い出が懐かしく。
「じゃあ、百合ちゃんの家の電話番号だけ教えてよ?百合ちゃん、電話してご覧よ、遅くなるからって、お母さんが晩飯の準備をして待っているかも知れないじゃない。それに、何かあったら連絡しなきゃならないから」
と、言ってスマホを渡した。
百合は電話をしてから、すぐに春樹にスマホを渡した。春樹が代わって電話して見たが、誰も出ない。
本当に大丈夫なのかと再三確認したが、百合は頷くだけだ。
誘拐犯と間違われそうだなとか、勝手に侵入して捕まるんじゃないかなと心配にもなったが、不思議に、好奇心の方が勝っていたのは何故だろうか。
陽は落ち、校舎も辺りも真っ暗で何も見えないが、春樹は却って心が落ち着く様な気がした。
鞄からペンライトを取り出すと、百合の手を握りながら、音をたてずに木製の廊下を靴下のままで、歩き始めた。
悦司との思い出が次々に蘇って来る。不思議にあの時に較べて、恐怖心は感じない、罪悪感も。
百合も全く怖がっていないばかりか、喜んでいる様な気がした。
二人は、ミシミシと音をたてながら、二階への階段を上がって行った時、春樹は握っている手が大きくなったような気がした。
不思議に恐怖心を感じないのは何故かなどと思ったのだが、横にいる百合の姿を見てハッと。
手を繋いでいる百合は、子供では無い、大人の女性だ。
百合は微笑みながら。
「びっくりしないでね。今晩は二人でゆっくり過ごそうよ。何も怖い事なんて無いから、私の事分からない?」 と、ライトの光を浴びながら、ドレスを拡げると、春樹の顔を見て更なる笑みを浮かべる。
春樹は百合の顔に覚えがある、いや、覚えどころでは無い。
今迄は子供だったから気が付こう筈も無かったのだが、数年前に亡くなった春樹の妻夕子だ。
二人で理科室に入って、模型の骸骨を見たり、家庭科室や校長室を見て廻った。
そればかりでは無い、春樹は、どうしてそんな部屋がこの小さな壊れかけた校舎にあるのかと思ったが、不思議だとは思わなかった。
この校舎は、広い、廊下の滑りも良いところを見ると、掃除もマメにされているようだ。
何度かお世話になった保健室もあって、今にも保健室の先生が現れそうだ。
全く、昔と変わりがない大きな校舎を廻っている内に何時間か経ってしまった。
それからは、春樹の懐かしさが二つになった。
一つは、悦司と一緒にいた頃の記憶、もう一つは、病で亡くなった妻の優しかった記憶。
毎日一人で過ごして来たのに、今は家族と一緒にいる。
そればかりでは無い、この校舎で二人して廻って楽しむという事が出来た。
真っ暗な校舎を、月の光が照らし始めた頃、裏側の扉が開いている事に気付いた。
何故か、其処を出ればどんな景色が見れるか分かっていた春樹は、夕子に。
「外に出てみよう」
と誘う。
裏の細い道をちょっと歩いた所に小川があり、水は透き通っているから、水面(みずも)の中が見える。
沢蟹が何匹もいて、元気に歩き回っている。
そればかりで無い、蛍が小さなネオンを撒き散らすように一杯飛んでいる。
悦司と一緒に楽しんだ記憶がまた蘇ってくる。
それだけでは無かった。
二人が扉から校舎に入る前に、驚いた事に、宿直室があり、中には蚊帳(かや)が張ってある。
此れも悦司と泊まった当時と同じで、今と違って、自然は豊かでいろんな今では滅多に見られない生物が沢山いたが、蚊が多かったから蚊帳を張ってその中で食事をしたり、寝たりした。
春樹は、夕子にそこで待っていてくれと断ると、鞄の中から透明なビニール袋を取り出し小川に戻る。
透明なビニール袋で、そっと風を掴むように、蛍をすくって袋の中に入れた。
蛍は弱いから、手で掴んだりしたら潰れてしまう。
月の灯りが一層際立っていく暗闇、蛍が蚊帳の中で乱舞している。
春樹が再び夕子の手を取って、互の笑顔を確認した。
春樹は何時までもこんな事が続いていて欲しいと、心底思った。
しかし、二人で楽しんでいる時間は容赦無く過ぎ去って行った。
春樹は手を繋いだままで、夕子に思い切って言った。「僕は。君の事は片時も忘れた事は無かった。君が亡くなってから、こんなに楽しい事は無かった。何時までも一緒にいたいと思うんだ」
それを聞いた夕子は、一瞬、悲しそうな顔をした。
そして、深く考え込んでいるような。
夕子は涙を流しながら言った。
「実は、私がこうしてあなたと会う事が出来たのは、あなたにこの先振りかかる事が分かったから、何とか出来ないかと思ったの。でも、それが無理な事も」
春樹は、夕子が言おうとしている事が何となく分かるような気がした。
というのも、春樹は白血病だったから。
一度、高熱を出した時に、一時的に回復した事があった。
その理由は分からなかったが、妻がいた時だったからなのかも知れない。
しかし、病が完全に治る事は無かった。
やがて、朝陽がさしてきた。
春樹の魂は、身体を離れ、夕子と手を繋いだまま透明に近くなって行く。
二人は、互いに、これ以上無いという幸せ一杯の笑顔を見つめていた。
無数の光が散りばめられた様に美しく感じられる。木で蜩が鳴いている。
夏は足早に幕を閉じる準備をしている。
秋がすぐそこ迄迫っているのだろう。
しかし、大好きな夏は惜しい気もするのだが、愛している妻がそばにいてくれるのだ。
妻の手を強く握り、離れないようにと再び互いの目に視線を移した時・・。
随分高く迄上がっているのだろう。懐かしい景色が次第に小さくなっていき、脳裏に焼き付いたままになる。
「・・大丈夫・・もう別れはしない・・これからの二人が寂しさを感じる事はあり得ないのだから・・」
何処からか聞こえた声がそんな事を語ってくれる。
何もかもが昔のまま、そして、二人はあの当時のまま。であれば、これ以上の望みなど有る訳がない。
別に・・天使になったのではないのだが・・紛れもなく・・セピア色の記憶は・・不思議だなど感じさせず・・現実のものと感じられていた・・。
「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。夏目漱石」
「 完全に自己を告白することは、何びとにも出来ることではない。同時にまた、自己を告白せずには如何なる表現も出来るものではない。芥川龍之介」
「自由な、調和のとれた、何気ない、殊に何気ないといふことは日常生活で一番望ましい気がしている。志賀直哉」
「by europe123 method」
https://youtu.be/sJ0LmVuvYXw
邦題 夢の中から飛び出した美しい妻の輝いた顔を再び・・。
懐かしさが運んできた風情。