夢中

悪い意味じゃなくて

去年の十月に父が死んだので、その年の年末には年賀はがきを書かない事になった。
これが楽だった。
「あ、そうなんだ。ああ、そうだよねえ」
なんて思った。
それに最近知ったんだけど、誰か死んだ後の年明けは、いや、正確な所の時期というか、そういうのはわからない。例えばまあ、一月に死んだら、その年の十二月とか年明けの一月ははセーフだったりするのかもしれないし、どうなのかわからないけども、でも、とにかく身内が死んだ後の年明けの際は、
「あけましておめでとう」
を言わないでいいらしい。
これは最近知った。
「そうなのー」
って思った。知った時感動さえ覚えた。
あのあけましておめでとうってなんか意味あるのかなって思ってた。かねてより。おめでたくないし。おめでたい事なんて何一つねえ。って思ってた。でも、そういうものなんだと思っていたから、そう言われたらそう返さないといけないと思っていたから、年末は、
「よいお年をー」
って言ったし、年明けは、
「あけましておめでとう」
って言った。正直苦行だった。よいお年なんてないし、あけましておめでとうもねえ。生きてても辛い事しかねえ。それだから、父が死んだ年の年末と、年明けは随分と楽で。楽で楽で。なんというか、一つのシステムから解放されたような感じ。実際解放されたし。
だから、とても過ごしやすかった。年末はただの十二月だったし、年明け、正月はただの一月だった。なんて楽なんだろうと思った。
だからさ、思った。年明けてお正月も終わって、日常が戻ってきた時に思った。これは不謹慎でも何でもなく、ただ、思った。
「お父さん今年も死んでくれないかなあ」
って。
無論それは叶わない願いだ。たいていの場合父は一人。多くても二人、三人。位だろう。多い人は四人とか、五人とかもいるのかもしれない。私の父は一人だった。そしてその父はもう死んだ。去年の十月に死んだ。でも、父が死んだおかげで、とても楽だった。年末年始。
だから、これはもう、軽んじてるとか、先祖を侮辱しているとか、死をもてあそんでいるとか、そういうのじゃなくて、ただ純粋に。願い。ただ単純に願い。流れ星に願うみたいに。七夕に、短冊に書いて竹に吊るすみたいに。ただ願い。
「お父さん、もう一回死んだら、今年の年末年始も楽だなあ、もう一回死んでくれないかなあ」
って。
そう思う。最近よくそういう事を思う。
あと父との関係性は悪くなかった。仲は良かった方だと思う。だから、お父さんを嫌っているためにこう言うことを願うんじゃないという事だけは誤解しないでもらいたい。父本人にもそれは誤解しないでほしいと思う。
父のおかげで、とても過ごしやすい年末年始だったからさ。そう思うんだよ。
あと、それだからかどうかはわからないけど、最近、よその家で喪中の看板というか、そういうのをその家の玄関とかで見つけると、それが夢中に見える。

夢中

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  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-02-20

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