Actuación en un día lluvioso 邦題 雨の日の演奏
社の秘書で同窓生の女性。
銀座にある楽器屋に立ち寄ってみた。此処では展示してある楽器を勝手に演奏しても、店員が話し掛けて来る事は無い。
桧山洋二が少しばかり時間が空いた時など立ち寄る先は此処とデパートくらいしかない。
昼休みに近くにあるcafeに食事をするつもりで向かった。滅多にそういう事は無いのだが社の女性に会う。
殆どの社員は社員食堂を利用する事が多い。洋二は昼休み位社の連中と顔を合わせず一人でのんびりと思う。
其れで近くの其のcafeにはよく行くのだが、女性は秘書室の葉山涼子。
秘書室は役員一人に其々秘書が付くから役員の人数分の秘書で構成されている。
よくは知らないが秘書達は社員食堂を利用したり自前の弁当という事が多いようだが、彼女は偶に気晴らしにでもとカフェに来たのかも知れない。
洋二の法務室は専務の管轄で、其の専務の秘書である涼子とは共に仕事をしているようなもの。
秘書室の管轄である役員室にdeskがある専務には、時々大口の案件の決裁を頂きに行く事がある。
そんな時にはしばしば彼女の顔も見ているのだが、直接話をする事は案外少ない。
決裁を頂きに行く前には、秘書室の内線に電話をし専務が不在か在籍かを確認してから窺う。
法務室は営業部など契約をとって来る部門とああでもないこうでもないとやり取りをする事は多い。
其れに較べ秘書の涼子と仕事上の話をするなどは少ない。秘書室にdeskがある彼女は必要に応じ役員室に行く。
彼女は洋二が専務と話をする際にお茶を出してくれるのだが、彼女の仕事としては専務のScheduleの調整や頼まれた用事をするなどいろいろありそうだ。
cafeの二人は離れたテーブルで食事をとっていたのだが、食事を済ませてから洋二が彼女に声を掛ける。
迷惑かとも思ったのだが、義理立てをしているのか以外に話が進みだす。
彼女は専務や秘書室長以外との会話は殆ど無いだろうから、案外、孤独なのかも知れない。
仕事上、営業部や人事などとの話題に事欠く事は無いのだが、秘書となると共通の話題は見つからない。
其処で、仕事の話では無く趣味の話題に代えてみたのだが、趣味では思ったより共通点がありそうだ。
絵画や小説・音楽の話題になった時、すぐ横の楽器店に寄ってみようかと話してみた。
どうやら、涼子は子供の頃からピアノを習っていたせいで、今でもpianoを弾く事が多いようだ。
入りやすい店なのは皆知っているから早速店内に。電子楽器などはsettingが必要だからすぐには弾けないが、ピアノはその点座れば即弾ける。
彼女の腕前がどの程度なのかは知らないから、只、弾く姿を見る事にした。
洋二も且つては実家にピアノがあったから、学生時代には弾いた事があるが自己流。
中学の時に近くの教会でオルガンを教えて貰った時にはバイエルの後半くらいまではマスターしたが今は覚えていない。
pianoは勝手にjazzを弾いたくらいで正式に学んだ事は無い。
彼女はいきなりショパンの曲を弾き始めた。成程流石に正式に学習したのだなと思う。
幻想即興曲はショパンの中でも華やかさでよく知られている。
小学生でも即興曲が上手い子供もいるというが、其処はやはり慣れた手つきの彼女だけに難なく弾きこなす。
目立つ旋律だからと店内の客も聞いていた様で、演奏が終わると感心をしていたような気がした。
洋二も軽く拍手をし上手いねと褒める。ピアノを会得している者にとっては慣れた一コマなのかもしれない。
彼女は洋二に目を遣ると、貴方は?という表情を見せたが、また何れという事にした。
昼休みが終わり二人で社に戻りElevatorに。秘書室は十階だから洋二は途中の六階で降りる。
elevatorの中で偶には・・などと声を掛けようかと思ったのだが、彼女の素性は知らないから既婚者であったら?と思う。
どの仕事でも同じだが経験者が採用される事が多い。秘書ともなれば何処かの会社での経験がものを言うのだろう。
人事課長に少し用件があった際何気なく彼女の話をしてみたが、やはり既婚者という事で胸を撫でおろす。
洋二は離婚をしている。今後はどうしようかと考えあぐねているのだが、なかなか決心はつかないしそう簡単に相手が見つかるものと言えそうにない。
其れから暫くした頃、洋二は定時で上がろうと思い部員にその旨を伝えた。
まっすぐ帰っても此れといってやることも無いしなど思いながら銀座通りを歩き始める。
道行く人達の地下鉄の改札に吸い込まれていく姿が目立つラッシュの時間帯だ。
部員の川田久子が背後から歩いてき追い付いたようで、肩を並ばせながら一杯どうですかと。
どうせ暇なのだからいいよと頷く。
ふと目の前を歩いている涼子に気がついたが、家に真っ直ぐ帰るのだろうと思った。
と、突然、彼女が振り返りざま足を止める。
「・・桧山さんおデートかしら?」
久子がその言葉に笑顔で応え。
「いえ、桧山さんと軽く一杯と思いまして。良かったら葉山さんも如何ですか?」
洋二は、久子がよく彼女の名を知っていた?という事と、彼女は御主人が待っているから?
そう言い出す寸前。
「私もデートのお邪魔して宜しいでしょうか?」
と言い出したには少し驚く。
其れではきっとご主人が仕事か何かで遅くなり、時間潰しなのかとも思ったのだが、其れでも真っ直ぐ家に帰り家事や料理をと思う。
それとは裏腹な言葉が。
「葉山さんも一緒に?」
久子はよく誘ったものだと思うが、所帯持ちを知らないのだろうかなど。
三人は並んで歩き出した。
洋二は何処にしようかと考えたので二人に聞いてみたところ、日比谷のホテルなら眺めも良いしという事に決まった。
帝国ホテルなら歩いて十五分もあれば裏口から中に入れる。
大きなホテルであり老舗だから絨毯は足が踏みにくい程クッションが良い。
Elevatorが17階で止まりドアが開く。お馴染みの全面窓ガラス一杯に皇居方面から霞が関などの夜景が拡がった。
丁度、この時間帯にはピアノのソロ演奏も始まっている。
窓際のテーブルを挟み三人が座りメニューを手に取る。
適当にビールやカクテルに料理をオーダーする。テーブルに並んだグラスに涼子がビールを注いでくれた。
年代が違うから涼子はグラスワイン、久子はカクテル、其のまま乾杯を。
話は仕事の事から次第に個人的な事に変わっていく。久子は此処からそう遠くはない同じ大学の出身で後輩にあたる。
其の話をし始めたら涼子が。
「あら?でしたら私と同じということでは?」
其の通り三人は同じ大学の出身だった。涼子は一学年下のようだが久子はまだまだ若い。
洋二は久子がどうして一杯など言ったのかと考えながらも、結婚してからそう長くもないから、何かご主人の都合でなど思う。
久子が結婚はしたものの、なかなか意見が合わなかったり、仲が良い時とそうでない時があると言い出す。
「其れはそうだよ。長い結婚生活の間には色々な事があるから、まだ、此れからいろいろじゃないかな?」
と語りながら自分の経験を思い出していた。少し考え出しそうになったので気分を代えようと思った時。
斜(はす)に座っている涼子の顔が下を向いた様な気がした。
辺りの夜景に程よくあっている薄暗い照明がソフトな空間を醸(かも)し出している。
久子がスマフォを取り出してから見せた画面には二人男女が写った写真。
其れを見た洋二が楽しそうじゃない?と言うと、久子は少ししかめ面(つら)をし、案外、結婚してから?など言い始める。
気になったのは涼子が其の画面を遥かな彼方から眺めている様な笑顔を見せた時。
少し憂いが窺えるような気がする。
久子が洋二に目を遣り。
「桧山さんは、残念ながら、でしたね。葉山さんはお似合いの御夫婦のようで・・?」
洋二は違和感を感じる。
其の事に関しては、結局、久子がトイレに立った時に、涼子の口から。
「私、離婚しようと思っているんです。まだ他人には言っておりませんが、つい先頃の事。二人で話し合ったのですが・・?」
洋二は黙して彼女の目を見ていた。
其の理由は御主人の浮気が原因とかで、彼女のような美しい女性でもそんな事があるのだろうかなど思う。
別の会社での事の様で状況は全く分からないが、目の前の彼女は真剣な表情のまま。
久子が戻って来てからはその話は中断。久子に聞かせるような事では無いし、彼女にそんな事があって貰っては困ると思うだけ。
洋二が話題を変え。
「此のホテルでは、宿泊者には2時間無料でスタインウェイのグランドピアノを使用できるミュージックルームがあり、価格は700万から1300万ほどのものだが、其れがこのホテルの売りになっているというんでね。主に新婚さん用のsweetroomのようだけれど、一般でも予約すれば弾けるんじゃないかな?」
眼下に拡がっている景色を見ながらだが、雰囲気が元に戻った様には思えない。
何か、洋二は自分の事を思い出し随分疲れたような気がした。
その後の話題は学生時代の話から、久子の話や仕事の愚痴など様々だ。
洋二はそれ等全部を受け止めなくてはと思ったのだが、仕事の事は自分に責任がある。
反省として久子の苦情は此れからの業務に生かそうと思う。
充分に飲み食いし景色も堪能してからインペリアルルームを後にする事にした。
有楽町の駅で二人と別れる。
其れから暫くした頃、洋二は昼休みに例のcafeに行った。
すぐ後から来て自動ドア―のマットを踏んだのは涼子だった。
洋二は何か嫌な気がした。自分が上手くいかなかった結婚生活が思い出されたから。
しかし涼子の場合には浮気だという。今ではそんなに珍しい事では無くよく聞かれる言葉として不倫がある。
洋二は何から切り出したら良いのかと考えたのだが、彼女はやはりあの話を。
当然ながら真剣に悩み結論を出したのだろうに。同窓の女性が離婚の同窓では話にならないとも思う。
彼女の幾つかの言葉からは胸の内が手に取れる程の失意が感じられる。
同じ目に遭った者にしか分からない。食事もそこそこに先日も行った楽器屋に寄る事にした。
前回彼女が弾いたのは幻想即興曲。そして、今回彼女が弾き始めたのは、同じショパンの「別れの曲」。
華麗な曲が目立つショパンにしては、失恋でもした時の曲なのか?良い曲だが、如何にも寂しさが表現されている。
其れで彼女の気持ちが一層良く分かるような気がした。
昼休みが終わり二人で社に戻る。
状況が同じだった先日は、こんな事になるとは思っても見なかった。
洋二は考える。
「彼女は同窓の後輩でもある。そういう者は幾らもいるが、何とかし幸せにしてあげられる男性はいないだろうか?」
それとなく同期の連中や知人にも聞いてみた。
「こういう女性で同窓なんだが、ああ、上品で端正な美人だよ?」
其の話を彼方此方に持ち寄っては何人かに相談をした。
同時進行で、彼女の気持ちは変わらないというから、法的な慰謝料の事は洋二が進める事にした。
そんな或る日の事だった。良い話が友人から舞い込んだ。
「彼方此方あたってみたら、良さそうな縁談になりそうなんだがどうだろうか?」
洋二は早速、其の友人と詳しい話をし始める。
「同窓ではないんだが、年齢や収入に地位もこれ以上の話はないというくらいでね。どうだろうか?」
洋二も其の話に喜色を示し、同期の彼によく見つけて来てくれたと感謝の言葉を。
これまでに、何回も彼女とは飲みに行ったり話をしたりしている。
すっかり先輩とし、役目を果たせると確信を持った。
彼女から相談を受けてから早一年近く経過しているが、縁ものだから仕方がないとも思う。
彼女にはすべてを話し、彼女の気を引くようにと間に同期が入っている事も話をした。
其の話は順調に動いている。
日取りを決めようとの話しまで辿り着いた。
もうじき其の日が来る。
洋二は此れで八方円満と思った。
洋二は、内心彼女の事につき、何か気になる事もあるような気がする。
しかし、事は良い方向に向かっているのだ。
詰まらない事を考えるのはやめようと思った。
予定の日どりの何日か前だった。
仕事で遅くなり帰宅時間がずいぶん遅くなった。
おまけに土砂降りの雨の日だったから、家に着いた時にはびしょ濡れだった。
電子鍵盤で音色をgrandpianoに設定するとあの曲を弾いてみた。
「別れの曲」のタイトルで有名な「練習曲作品10第3番ホ長調」はポーランドの作曲家、フレデリック・ショパン(1810-1849)が作曲したピアノ曲で、作品10の練習曲は12曲からなり、その第3曲にあたる。
曲集は1833年に発表され、ハンガリーの作曲家でピアニストのフランツ・リストに捧げられている。
タイトルの「別れの曲」は1935年に此の国でも公開された若き日のショパンを題材にしたドイツ映画でも有名だ。
洋二は慣れない曲を弾き始めた。
胸の内は、自分でもよく分かった。いや自分だからかも知れない。
彼の曲は人により好みはあるだろうが、例えるのなら一つに。
Chopin: Piano Sonata No.2 In B Flat Minor, Op.35 – 1. Grave – Doppio movimento (Live)
24 Preludes, Op.28・24の前奏曲 作品28。
バッハの平均律クラヴィーア(フーガは除く)同様、ショパンの前奏曲集もまた厳格なルールに則って全ての調性を1つずつたどる曲集である。
それぞれの曲は短く1分に満たないものもあるが、バラエティ豊かで創造性に富み、多くの表現の魅力を持ち合わせている。
聴き手はただあっけにとられる素晴らしさだ。前奏曲第14番変ホ短調や第24番ニ短調の身の毛もよだつようなドラマをショパンはいったいどこから思いついたのであろうか。
そして第4番ホ短調では変化する半音階和音が連打される中で完璧なまでの旋律が奏でられるが、ショパンはいったいどうやってこのような旋律を生みだしたのだろう。
短いながらも無垢でシンプルな第7番イ長調はどこから産み出したのか。
何よりも、1人として同じように弾くピアニストがいないのがこの前奏曲集なのである。
洋二は自分が上手く弾けない事を承知していた。其れでも弾いてみたかった。
家の外は大雨になっている。
雨が叩きつける様に感じられた時、ドアを叩く音がした。
洋二は、鍵盤から手を離すと。
ドアを開ける。
こんな大雨の日に尋ねて来るものはいないだろうに。
開いたドアの向こうには。
涼子のびしょ濡れの姿。
「どうしたの?この大雨の中を身体を壊してしまうよ。まあ、取り敢えず中に入って。其処にいたんでは折角の君が台無しに見えるじゃない?」
涼子は・・一言・・。
「私・・あのホテルの、スタインウェイを弾いてみたいの?」
洋二は、其れがどういう意味なのかは分からないが兎に角弾きたいのなら弾かせてあげたいと思う。
「僕は君のピアノの腕は素晴らしいと思っている」
其の後を続けようと思ったのだが、涼子はその先を聞きたくないのかも知れない。
涼子は部屋の壁際に置いてあったピアノの鍵盤に手をのせると。
「・・Nocturne in E flat, Op. 9, No.2・・」
涼子の滑らかな真白い指が、鍵盤の上で自在に踊っている。
大雨の雨音、其れ以上にはっきりと流れていくmelodyが何かを話し掛けているようだった・・。
残念ながら、約170曲の内ショパンは何処にあるのか分からないので。
「by europe123 piano/boralent/E,pia.」
https://youtu.be/N6mykOAclrI
Actuación en un día lluvioso 邦題 雨の日の演奏
まさかの・・夫婦仲。