強くて醜い泡沫
カランカラン、と涼しげで重い音が響く。開かれた扉から冷気が入り込む。
「寒いわ、閉めてちょうだい」
女のその言葉とほぼ同時に扉が閉まる。鎖に繋がれたような足取りで男が椅子に座る。
「初めての人ね、あなた」
女はテーブルに肩肘をついてじっと男を見つめる。男はその視線に気づかず下を向き続ける。女の視線は妖艶な熱をを帯びている。しかしその視線はすぐに冷める。
「まあいいわ」、何を飲む? 大抵なんでもあるわよ」
「好きに作ってくれ。とりあえず俺は酒が飲みたい」
「承知いたしましたわ、女色家さん」
男の肩が少し動いたのを女は見逃さなかった。しかしそれを見て見ぬふりをして酒を作
り始めた。
男は女が酒を作っているのを後ろから眺めた。先程の女と同じ熱を帯びた視線を送って
いたが、その視線もすぐに冷めた。そのあと、自分の喉をそっと摩った。
「お待たせいたしました」
女は男の前に珊瑚色をした酒を置いた。幼稚な悪戯だ、と男はため息を吐いた。
「ありがとよ、男色家さん」
男は不格好な笑みを浮かべて酒を煽った。女は瞳孔を少し開き、男を見た。
「あら気づいちゃった?」
「気づくんだよ、そんな体のラインが浮き出るような服を着てれば」
「ふふふ……あなたももう少し肩が広ければ騙せたのにね」
「そもそも騙そうともしてない」
「あらそう」
女はくいっと顎を上げた。喉に分かりやすく出っ張りがある。男はなんとなく自分の喉に
振れた。目立った出っ張りはない。おまけに首は細い。男はため息を飲み込んだ。
「でも喉を傷つけてまで低い声を出したかったんでしょう?」
「……なぜ分かる」
「さっきからずっと喉を気にしているんですもの。わかるわ」
女の言葉を聞いたあと、男は女に向けて首を見せた。女の視線がきつくなる。
「いいわね。何も無くて」
「そっちこそ。その出っ張り一つでいいから欲しい」
「あらどちらかというと欲しいのはこっちじゃなくて?」
女はそう言いながらテーブルに体を乗せ、手を体のラインに沿って滑らせ、腹の少し下で手を止めた。男は眉間に皺を寄せた。「下品だ」と口の中で言葉を転がした。
「そっちはもう諦めたんだよ。手術する金もねぇ。あんたはそれ、切っちまえばいいのに」
「私だってお金ないのよ。お金があればすぐにでもこんな邪魔なもの切ってるわ」
女は頬を膨らませた。その仕草はまるで女だった。
「ま、所詮こんな人生、すぐに消えて無くなる。俺は一生、このままの姿で生きていくつも
りさ」
「いいわね、それ。泡のよう」
「泡のよう?」
女の言葉に男は復唱した。女は後ろを向いてビールを注いでいた。そして泡たっぷりのビ
ールをグイっと勢いよく飲んだ。
「泡はいいよ。ビールの上にたくさんあれば見栄えがいいし、泡風呂は映えるし、基本綺麗だし」
「基本綺麗ね……俺らは綺麗じゃないってか?」
「そうね……綺麗じゃないかも」
女は寂しそうに言った。その声は少し低く、男の声に近かった。女は水滴が付いたグラス
をそっと指でなぞった。
「でもね、綺麗な泡ってすぐ消えるじゃない? なら醜い泡ならしぶといはずよ」
女は「ビールはいかが?」と男に問いかけた。男は頷いた。
「泡は液体なのか気体なのかはっきりしない……俺らとそっくりだよな。でも俺たちなら
すぐに消えてやらないな」
「そうね。世の中綺麗なものだけじゃ区別がつかないから。私たちみたいな醜いものが蔓延
っていくしかないのよ」
男は差し出されたビールを少し飲んだ。顔を顰めた男を見て女はケラケラと楽しそうに
笑った。女は男の手にあるビールを奪い取り、一気に喉へ流し込んだ。男の目にはただ上下
する喉仏が映っていた。
女は大きく息を吐くと、男の顔を覗き込むように見て綺麗に笑った。
「ねぇ、私たち今は醜いけど、死ぬまでには綺麗な泡になってるかしら?」
「さぁな。……少なくともあんたは醜くて綺麗だよ」
男がそう言うと、女は目をまん丸にした。そのあと、高い笑い声をあげた。
「いけないいけない、女色家さんに惚れそうになったわ。あなたも綺麗よ」
「そうかい」
男はそう言って立ち上がった。女はヒラヒラと手を振り、「お金はいらないわ。価値のあ
る時間を頂いたもの」と言った。男はその言葉に甘えようとしたが、万札を一枚取り出して、
女の手に無理矢理置いた。
「ここで払わないのは男らしくないからな。これで化粧品でも買うといい」
女はその万札をしばらく見つめていたが、そのあとにっこりと笑った。
「ありがとう。ちょうど新作のリップグロスが欲しかったのよ」
女の言葉を背に男は外へ出た。冷気が身体を刺す。空気中に白い息を吐き出し、喉を摩る。「今までで一番綺麗な女だった」と男は呟いた。
強くて醜い泡沫