白花片と魔法の町 1

 カレンダー上の数字で想像する気温と、肌で感じる気温との差異に驚く。
 容赦なく照りつける太陽は苦手だが、あのじりじりとした日差しがないと物足りないのも事実だ。
 着慣れた白いシャツに緑色のベストを重ねる。制服として貸し出されたのは編み上げのショートブーツだけだ。まだシーツがかけられていないベッドに腰かけて紐を結び直す。この煩わしさに慣れる日は来るのだろうか、などと思いながら。

 備え付けのクローゼットを開け、中の鏡で全身を確認した。ボトムの裾をブーツへ入れるべきか、出すべきか。そんな些細なことで悩むのがおかしくて、少し息を吐き出す。
 緊張しているのかもしれない。
 半年限りといえど、見知らぬ土地での生活が始まるのだ。
「……っと、準備はできたか?」
 軽いノックが二回。返事をすると、色付きレンズの眼鏡をかけた長身の人影が顔を出した。彼は部屋に視線を巡らせ、「何というか」と眉尻を下げる。
「あいつ、ろくに部屋を片付けなかったんだな。申し訳ない」
「ははは……こういうの、慣れているから。大丈夫」
 奥の窓へ向かうように設置された椅子とテーブルが二揃い、ベッドは左右対称に壁際へ二組。寮生活にも、二人で一つの部屋にも慣れている。むろん、足の踏み場がない乱雑さにも。
 眼鏡の彼―この寮をまとめる上級生の班長はヒースと名乗った。寮は数か所に分かれており、ここは最も大きいのだと先刻軽く説明を受けていた。
「教材や日用品は後でまとめて運ぼうとしよう。管理長へのご挨拶が先だ。忙しい人だから、時間がない」
 言われるまま部屋を出る。ブーツは見た目ほど大きな音を立てることはない。夕暮れにはまだ早い時間だが、廊下にはオレンジ色の灯りが灯っていた。年季の入った石造りの外壁や床に、様々なかたちの薄い影が落ちる。
「ネストの案内は今日中に?」
「そのつもりだよ、留学生くん」
「……モクレン」
 名乗れば、高い位置から真っすぐに視線が下りてくる。
「失礼、モクレン。良い名だ。では俺は、君をマグノリアと呼ぶことにしよう」
「―え、いや」
 それは少し恥ずかしい、と声を上げようとしたが、ヒースの声にさえぎられてしまった。
「部屋のやつも同級生も色々と教えてくれるだろうから、心配をすることはないさ。この寮の連中は皆、親切だ。……慣れないこともあるだろうが、そこはおいおい」
「慣れるものかな」
「君が受け入れるのなら、あるいは」
 階段をのぼり二階へ向かう。踊り場の窓から見えたのは中庭だろうか。薄暗い中でも、花壇の華やかな色と噴水のきらめきは確認できた。水と共に―青や赤、白や黄色の光がまるでクラッカーのように吹き出すのも。
 足を止めてしまう。
 何だ、今の。
「―誰か、練習をしているんだな。なかなか筋は良いんじゃないか?」
 ヒースもこちらの頭ごしに窓を覗く。この光景は日常的だと言わんばかりの口調に振り返ると、「ようこそ」と彼はいたずらっぽく笑った。
「ここは魔法の町、魔法と共存する山麓のネストだ、マグノリア」
 彼の背後で、お辞儀をするようにランプの灯が揺れた。

 ネスト、と呼ばれる教育施設は各地に存在する。子供を保護し、生活に必要な知識を学ばせる場として、これ以上にうってつけな名前もないだろう。
異常気象を発端とした世界的な争いが収束したのち、子供は貴重な資源とされるようになったのだ。しかし地域によってネストの運営方法は異なっている。それが多様性ではなく格差になってはいけない、多様な学びの機会を与えるべきだ―というのが、留学生制度設立のきっかけとなった考え方だそうだ。
「ここは特殊な土地ですから。受け入れには当初反対だったんです」
 シンプルな黒いドレス姿のネスト管理長は、軽い挨拶ののち、穏やかな口調でそう説明した。さっぱりとした笑顔には、管理長室の分厚いカーテンや、紋章のような模様が彫られたテーブルの大仰さがまるで似合わないように思えた。
「ですがあなたの所属するネストから、是非にとお声掛け頂きまして。そこまで熱心にしてくださるなら、と……素敵な建物でしょう?」
「え? えっええ、はい」
 きょろきょろと部屋の内部を見渡していたことを咎めず、管理長は微笑む。
「大昔の領主さまが暮らしていた建物を改築しているの。お城、というより館ね。使えるものは大切に使わせていただく。それが、この土地の古くからの教えです」
「……大切にしているのは、魔力もですか」
 よく勉強していらしているのね、と彼女は頷いた。
「遥か昔、この近辺には魔法が―魔力が満ち溢れていた。時が経つにつれ、周辺地域では力が弱まっていったけれど、四方を山々に囲まれたここだけは違ったのです。地下水脈のように、魔力が流れている。ご先祖様の時代と比べるべくもない弱々しさで、だけど確実に」
「農作物がよく育つとか、災害が少ないとか。そういうことも、魔力の影響なのですか?」
 ネストへ来る道すがら、見かけたものを思い出す。豊かな実りの気配を感じさせる田畑や活気に満ちた市場は、「地元」では見ることができないものばかりだった。
「地理的環境が頗る良いとは言えませんので、そうなのでしょうね。……さきの争いでさほど被害を受けなかったのも、魔力によって土地を保護したからだと言い伝えられています」
「それは―」
 ずるいですよね、と言いそうになり、とどまる。
 瓦礫やアスファルトの塊に囲まれた自分の街を、みすぼらしいと認めてしまうことになる。
それは、この人に言ってどうにかなることではない。
「―管理長、いらっしゃいますか!」
 口を噤んだ私の代わりに声を発したのは、ドアの向こうの誰かだった。どうぞ、と管理長が促すのを待たず、二つの人影が勢い良く入ってくる。
 一人はネストの職員だ。襟のかたちが特徴的なジャケットは何度か目にしている。
 もう一人は職員に片腕をがっちりと掴まれている。上下真っ白な衣服に大量の埃が付いており、茶色の髪もぼさぼさになっていた。不服そうに力の抜けた姿勢で立っていたが、職員に促されて直立する。身長は私とさほど変わらないようだ。しかしひょろりとした手足のせいか、上背がある印象を受けた。
「……ミレ、今日はどちらにお出掛け?」
「図書館の、禁書庫の……でも汚したり壊したりはしてないですよ、調べ物があって」
 ミレと呼ばれた埃まみれは、凛とした声を張り上げる。
「それともあそこには僕らが見ちゃいけない疚しいものでもあるっての?」
「……その反論は、不適切、の意味を狭義に取り過ぎていますね。触れるだけで塵になるような古書もあると分かっているでしょうに」
 ペナルティはいつものように、と管理長は職員に告げ、「そうね」と手をたたく。
「このまま紹介さしあげましょう。モクレン、こちらが、あなたと同室のミレです」
 よろしく、と手を伸ばしたが、別室へ連れて行かれる彼は顎をしゃくって返すのみだった。

 ミレは寮内でも有名人のようだった。遅刻やさぼりの常習犯として上級生にも下級生にも名が知れ渡っている。「あれで成績が悪かったらまた違うんだろうけど」と、隣部屋のラダンは笑っていた。
 こちらへ来てから初めて迎える休日のことだ。食堂は閉鎖されているので共用スペースで一緒に昼食を食べよう、と誘われ―朝からミレの姿がないと相談すれば、彼はそう言うのだった。
「成績はむしろ良いし、大問題を起こす訳でもないし。そういうやつなんだなー、くらいで接してくれれば良いよ」
「寛容すぎない?」
「おれも同じ部屋だったことがあるけど、まあ、憎めないやつって感じでさ」
 風土の特徴か、ネストの人数の少なさか。寛容さはここの皆に共通するように思えた。
「だけど、講義で分からないことがあればおれたちに聞いてくれよ。ミレは悪いやつじゃないけど、そういうとこは全然頼りにならないぞ」
「うん。……大いに助けてもらうよ」
 正直なところ、魔力に関する講義は話についていくだけで精一杯だ。ミレは公共スペースの使い方などは教えてくれたものの、講義について訊こうとすると、何かを察知したかのように姿を消してしまう。
「態度が真面目なら成績には響かないと思うけどなぁ。ハンデありだろ、モクレンは」
「でも、基礎知識はちゃんと身につけたくて」
 魔法について知るのは、自分の身を守るためでもあり、自分以外の者を傷付けないためでもある。操れる力の大きさには個人差がある。ネストで暮らす年齢だと、魔力を扱い慣れていないものがほとんどだという。なにも魔法に限ったことではない話だろうが。
「……それに、知らないことが分かるようになる過程が好きなんだ、私は」
 全然苦じゃない、と笑うと彼も苦笑した。
 誘ってくれたことに礼を言い部屋へ戻る。左側のベッドに腰掛けていた人影が、ドアを開けるなり近付いてきた。
「ミレ? きみ、お昼は―」
無言で顔がつきそうな距離まで来ると、「食べた」と小さく呟く。
「付いて来て。見せたいものがある」
 脈絡なく言うと、ミレは数歩下がって床板を叩き始めた。ぽかんとその様子を眺めていると、不意に床板が大きく跳ね上がる。
 こっち、と手招きされて寄れば、そこには地下へと続く梯子が伸びていた。
 相変わらず無言の彼を追い、梯子を下りる。さほどかからず、足は地面についた。
「地下室? きみが使っているの?」
 ミレは頷き、片手を宙で軽く振る。あたたかな光を放つ球体が足元と頭上に現れ、部屋全体の様子を見ることができた。
 二人でいるには十分な広さだ。梯子の裏側にはみっちりとした本棚があり、図鑑や古びた小説などが収められている。なにかを書き付けたノートや雑貨が置かれたローテーブルは、刺繍が施されたクッションの山のすぐそばに―
「―痛っ、な、何!?」
 足払いをされた、と気付く頃には、クッションの山の上で天井を見上げていた。ミレは素早い動きで、起き上がろうとするこちらの肩を押さえつける。馬乗りで、長い脚で胴体を固定されてしまっては、身動きのとりようがなかった。
「ペナルティをこなしたりここを片付けたりで時間かかっちゃった。あんたに頼みがあるんだ、モクレン」
 無表情ともとれる真剣な顔つきで、ミレはささやく。近付いた顔の端から流れる髪が頬に当たり、くすぐったかった。
「人にものを頼む態度じゃないよ」
「こうでもしないと聞いてくれないと思って。君にしか頼めない」
 ここへ来ていくらも経たない人間に、いったい何を頼む?
 疑問を口にするより早く、ミレはことばを継いだ。
「お願いだ。消えた友達を探すのを手伝ってほしい」

白花片と魔法の町 1

つづき→
https://slib.net/116028

白花片と魔法の町 1

魔法なんてなんのこっちゃ!な主人公が、魔法が当たり前にある町に留学する話です。 続きます。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-02-08

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