Aの34

 俺は男爵に言われた通り、1階に降りて執事長の部屋を探した。

「どうかされましたか?」

 廊下を歩いていたとき若い執事に声をかけられた。

 俺は戸惑った。

「あ、いや……」

「誰かお探しですか?」

 なぜか以前より執事の態度が丁重になっている気がする。俺はありのまま伝えることにした。

「執事長のリヒャルトさんに用件があるんですけど。案内してもらえませんか?」

「なるほど。よろしいですよ。いま執事長に伝えますので、少しこの場でお待ちください」

 執事はそう言って近くの部屋に入っていった。

( 男爵にビンタを食らわせた人間に対する態度としては、ずいぶん優しい気がする )

 そのあたり不自然に感じはしたが、あまり気にしない事にした。

 やがて近くの部屋のドアが開いて、今度は白髪頭の老人が出てきた。

「お待たせ致しました。どうぞこちらへ」

 そう言われたので、老人に案内されて部屋の中に入った。

 席に着いたあと俺は部屋の周囲を見わたした。

 男爵の部屋に比べるとかなり質素な感じで、部屋の内装は料理人部屋とほとんど変わらない。ただし窓が多いのでかなり明るいし、外の大通りにも面していて人々が行き交う様子を見ることもできる。

 俺は外を歩いている青ネームのプレイヤー数人を見ていたが、やがて視線を移した。老人が席に着いたあと先ほどの若い執事が何かを運んできた。

 執事は木製の台車を近くに移動させたあと、ティーセットを俺たち2人のいるテーブルの上に並べた。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 執事が部屋を去ったあと、老人が口を開いた。

「ハチローさん。旦那様の様子はいかかですか? 最近は旦那様も乱暴なふるまいが少なくなって私も安心していますよ。ハチローさんのおかげです」

 どう返答していいのか分からず、老人から目を逸らしてテーブルの紅茶に視線を向けた。

「ところでご用件を伺いましょう。何か私に相談したい事があってこちらにいらしたと思いますが」

「……はい。実は調理場の焜炉が故障しているので、買い替えが必要だと思っています。それで新しい焜炉を買うための費用を用意していただきたいと思っています。検討していただけないでしょうか?」

 俺はできる限り丁寧な言葉を選んでお願いした。しかし老人は困惑した表情のまま黙り込んでしまった。

( 難しいのかな )

 老人は紅茶を一口飲んだあとティーカップを受け皿に戻し、ぼそりとつぶやいた。

「焜炉ですか……困りましたねぇ」

 俺は遠慮せずに返した。

「駄目ですか?」

「いえ、駄目ということは無いのですが。焜炉の買い替えとなりますと、おそらく二百万コルク以上は予算が必要でしょう。そうなりますと、私の一存で決めることは出来ませんね。奥様にも相談してからでないと……」

 そう説明されて、この家の微妙な権力関係が見えてきたような気がした。いちばん上位に男爵夫人がいて、その下に執事長がいる。さらにその下に男爵がいる。

( あの少年は男爵なのに何も決める権限を持っていない。もしかすると、この家の本当の主は男爵夫人 )

 老人がまた話し始めた。

「奥様は旦那様の浪費癖をひどく嫌っています。もともとは私がこの家の財産管理を任されておりましたが、今では奥様が自分でその役目を果たされています。旦那様が金銭を求めたときは、私が奥様に許可をもらいに行くわけです」

「それは、ちょっと。夫人に家を乗っ取られてる気がするけど」

 老人の表情が急に張りつめた感じがする。余計なことを言ってしまったかもしれない。

「夫人は私などよりはるかに有能なお方です。先代の頃から傾いていたこの家の財政を徐々に回復させました。今では他の貴族の農地も買収して、経営を拡大させていますから。大したものですよ」

 老人の話を聞いて感心しつつも、その何とも言えない寂しげな表情を見て、俺は男爵のことを思い出した。この老人は夫人を尊敬していると同時に恐れているようにも見える。

 俺は本題に戻した。

「リヒャルトさん。夫人に焜炉の予算のこと相談していただけますか?」

「はぁ、そうですねぇ……」

 老人はわざとらしく俺から視線を逸らし、ティーカップのほうに目を向けた。

「そうですねぇ……」

 老人は溜め息交じりにそう言うだけで、こちらの要望に対して返答する気を見せない。俺もさすがにイライラしてきた。

 このNPCはこれまで会った奴の中でもとくに嫌らしい人物だと思う。ようするに面倒くさいという事なのだろう。執事長のくせに自分の仕事を果たそうとしない。

 文句を言ってやろうと思ったが、いまこの場で口論したところで無駄に時間を費やすだけにも思えた。

「自分が奥様に焜炉のこと相談するのはどうですか? 厨房の事なので、じかに相談したほうが説明もしやすいはずですし」

 すると老人の表情が急に明るくなった。

「おお。それは良い考えですよ。ハチローさんに是非ともお願いしたい。奥様には私のほうからハチローさんが伺うと申し伝えておきます。日時が決まり次第、ハチローさんにその旨知らせましょう。いかかですか?」

( このゲス野郎が )

 老人の返答があまりにも早い。初めから俺に行かせる算段で話を練っていたに違いない。

 俺は素直に返答した。

「わかりました。よろしくお願いします」

 執事長の部屋を出たあと、スマホの画面を見た。すでにゲーム開始から35分ほど経過している。

( 今日はここまでにしておくか )

 俺はスマホのボタンを押してゲームからログアウトした。

・  ・  ・

 中断していた勉強を再開すべく、再び机の上の教材に目を向けた。それから10分ほど勉強を進めたところで急に眠気に襲われた。

 俺は教材を片づけたあとすぐに眠った。


【作者紹介】金城盛一郎、1995年生まれ、那覇市出身 

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-02-06

Copyrighted
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