Buda misterioso 邦題 毘沙門天
旧い町で起きたある事。
水木正樹は仕事で或る人間に会う為に午後の電車で出張に出かけた。
出張とはいっても正樹の事務所の在る街から百キロくらい離れた京都市。
正樹が好きな古い・風情のある街だ。
今日は一件法廷があったのだが、正樹の知り合いの明石司法書士から依頼された案件は明日午前の約束だったからMホテルに予約をした。
明石司法書士とは同じ大学の同級で長い付き合い。今まで彼から依頼された案件は少なく無い。
その明石から詳しい状況は会ってから説明をするという事。正樹も幾らか旅行気分だ。
明石から聞いた限りでは、田宮ゆかりという女性から案件の依頼があったという事。
ゆかりは女性とはいえ、この地域の幾つかの市で複数の会社を経営しているとの事。
彼女は明石と共にこの街に下見に来、G高級ホテルに滞在しているようだ。
Mホテルのフロントに予約をしてある旨話してから表に出た。
一階まで下りるElevatorの中で何処かの老人が正樹に話しかけて来た。
「あなた、この街の人じゃないね。仕事でやって来Mホテルに泊まるのかな?」
正樹はどうしてMホテルに泊まる事を知っているのかなと不思議に思う。
「まさか仙人でも無かろうに?何かの弾みでそんな言葉が出てもおかしくないが、この街じゃ仙人がいたとしてもおかしくはなさそうだ。歴史のある街で寺社も多い」
ビルが立ち並ぶ大通りを歩いているうちに、そんなに遠く無い所にT寺の五重の塔が見えるのに気付く。
正樹の好きな大きな寺だ。寄ってみたい所だが。
近くの蕎麦屋で昼食を取る。
店を出た後、ついでに知り合いの和服店に寄ってみるかと。
店の女将・崎田昌枝に会い、お茶を戴きながら世間話をする。
今晩何処に泊まるのかと聞かれ、Mホテルだと答える。
一瞬だが何か昌枝の表情が変わったような気がした。
昌枝はどういう訳か憂いに満ちた表情をした後取繕った様に笑顔に代える。
店を後にし歩き始めると暫くし雪がちらつき始めた。少し肌寒く感じたのでMホテルに戻る事にする。
Mホテルの玄関前に救急車が止まっている。回転する赤いランプの脇を抜けフロントに向かう。
入社したての様な若いフロントマンから無造作に部屋のキーを貰い、前払いで宿泊代を払った。
正樹はフロントマンに、
「あの救急車、何かあったの?病人でも出たのかな?」 と聞いたがフロントマンは、
「館内で急に倒られたお客様がおられまして・・」
と、今度はパトロールカーが赤いランプを回転させ、ヘッドライトを付け到着した。
サイレンは鳴らして無かったが車のドアが開くと、二人の警察官が急がしそうに此方に歩いて来、フロントマンに事情を聞き始めた。
入れ替わりに救急車が、騒々しくサイレンを鳴らし乍ら出て行った。
正樹はエレベーターで十階まで上がると1002号室の鍵を開けた、いや、開けようとした。
ドアのロックが解除されていない。高級ホテルだから立派なロックが付いていると思ったが、何度やっても解除されない。
内側からロックが掛かったままの様だが、よく見たら1001号室となっているから部屋を間違えた事に気付いた。
今度は間違い無いと思い1002号室の鍵を開けようとしたが此れも開かない。
その時エレベーターが開き警察官が現れた。
警察官はエレーベーターから一番近い部屋1001号室に近付くと、鍵を開け室内に入って行く。
正樹は、
「あれ?俺が間違えた部屋で何か事件でもあったのか?」
と呟き、エレベーターでフロント迄戻った。
先程とは違う、コンシェルジェがいるから、正樹が、「この鍵で、1002号室に入ろうとしたんだけれどロックが解除されないんだ。そうしている内に、警察官が隣の部屋に入って行ったんだが何かあったの?」
と、尋ねるとコンシェルジェは慌てながら、
「済みません。この鍵はまだ入りたてで慣れていない従業員が間違って渡した物で・・。此れは1102号室の鍵でした。本当に申し訳ありませんでした」と、如何にも間が悪そうな表情をしてから、重ねて謝り、もう一つの鍵を渡そうとする。
そこで正樹は、夕食の予約をしていなかった事に気が付き、
「ああ、此れは後で貰うよ。腹が空いて仕方が無い。此れから夕食を食べに出掛けるから。私も夕食の事が頭にありつい見間違ったのかな?」
と話しホテルを出る。
辺りは夜の闇が降り始めておりうす暗くなっている。
再び街に。飲食店を探し食事を済ませる。
ところが、かなりホテルから離れた所まで来てしまっていたから、帰りの道が分からない。
ホテルの住所はメモしてあるからスマフォでナビを使い戻るつもりだ。
画面の矢印や青いラインのとおりに歩き始める。
正樹は、半時ばかり歩いてから呟く。
「このナビおかしいのかな?俺もまだ操作の方法を完璧にマスターしている訳じゃ無いし・・。若い連中は、何でもすぐに覚えてしまうが、歳かな?」
其処で気が付く。
「これ、先程見た景色。どうなっているのか?」
どうやらホテルに近付くどころか、離れて行ってしまっているような気がする。
昼間見たT寺の前まで来てしまっている。
目の前に五重塔があり、広い境内には正樹の好きな毘沙門天を祀った館がある筈。
いきなり寺の小さな木戸が開き、昼間Elevator内で会った男にそっくりな老人が出て来る。
正樹は暗闇ではっきり見えない老人の顔に、
「此処のお寺の方だったんですか?何かよくお会いしますね?何処かに行かれるのですか?」。
老人のやはりよく見えない口から突然。
「此処の仏は兜跋毘沙門天立像と言ってな、四天王の「多聞天」が単独であらわれるときの別名でもあるが。道真もよく祈願したものじゃよ、それで、後に文章博士になるなど道が開けたんじゃがな。唐から渡来したと。 正樹は書物で読んだ仏像に関する記憶を辿りながら、「確か、此処の毘沙門天は此の国では最古のもので、国宝に指定されていると聞いています。この街の北方を守るとされている、素晴らしい毘沙門天だったかな?」。
老人は正樹に尋ねる。
「北の方角で何か起こると、私の頭の中にいろいろな事が浮かぶ。嘘では無い。あんた水木正樹と言うんだろ?あのホテルに泊まったのは・・少し不味かったかな?あの方角で様々な事が起きるのだが、特にあそこはいわくつきでな。あんた、ひょっとし、道に迷ってここまで来たと?邪鬼に惑わされたんじゃよ。私が案内をしてあげようついて来なさい」
途中、和服店の早苗に会った。
早苗は二人に店の中に入れと。
店の灯りで窺える老人は穏やかな顔。
あの方角の事には何でも詳しいようだが?
早苗が店の中に二人を入れ、早苗が先程は話さなかった事を話し始める。
「あのホテルは前に事件があった。それを知っている者も、昔は多かったんだけれどね。実は、あのホテルはそもそもは十一階だったんだ。それが或る時大地震が起き、ホテルの建物はいい加減な造りだったんだろうね?傾いてから、少し地に沈む様になった。潰されるようにね。それで、地下の客室は使えなくなり、その後改築工事が行われ十階建にこしらえた。それだけならそんなに大騒ぎにはならなかったんだろうが、宿泊客が何人も亡くなりその話が広まった。尤も、ずっと前の話だから、今話題にする人はいないけれど・・」
店の灯りが照らし出した老人の皺一杯の顔が、後を繋ぐように話し出した。
「潰された・・実際には踏み潰されたようになったというのは、わしに言わせれば、毘沙門天は、邪鬼を踏み潰しているだろう?つまり、建物の崩壊は邪鬼の仕業だという事じゃ。こんな事はわししか分からない事。人類には分からないだろうが?それだけじゃ無いんだ。その亡くなった人類の魂が新たな事件を起こす。今日、あんたがホテルに行った時、何か起きなかったかな?例えば、病人が出るとか死者が出るとかその手の事?」
正樹は驚きながら頷く。
「いや、あった。救急車やパトカーが来ていた。誰かがどうにかなったんだと思う。それにしても、お二人共流石にお詳しいですね?待てよ!十階しか無い?やはり、俺が最初に渡されたキーは、元は十一階だったから、コンシェルジェが訂正した様に1102という部屋の鍵だったのかも?」
早苗が笑いながら、
「だから、それは改築前の十一階の部屋の鍵だったんだよ。ホテルの昔の出来事を思い出させる様なそんなドジをするなんて、きっと新米の従業員か何か知らないがとんでもない間違えをしでかしたんだろうね?」。
早苗の話でかなりいろんな事が分かった。
正樹は老人と一緒に歩きながら、何時の間にか明石達が宿泊しているGホテルの前迄来ている事に気が付いた。
正樹がビルに貼られてある表示を確認しながら呟く。「此処は、明日仕事で来る予定のホテル?」
老人は頷くと。
「あんた法律関係の仕事をしているんだろう?あんたが明日相談に乗るのは田宮ゆかりという女性じゃ無いかね?」
正樹は明石からの依頼だからゆかりの事を詳しくは知らないが、それが関係あるのかと思い老人に尋ねる。
「こんな事は、わしにしか分からないから無理も無いが、大いに関係があると言っても・・」
老人がそう言った時、丁度スマホが鳴った。
正樹のスマフォから聞こえてくる声は明石。
「いやあ、ちょっと田宮さんに代わる。何か身内に不幸があったようなんだ・・」
電話の向こうから、震えているようなゆかりの声が。
「水木先生ですか?実は、今日私の会社の者が急に倒れ病院に運び込まれたんですが・・亡くなったという連絡が・・。明日お話しようと思っていたんですが、今回この街に来たのも或るホテルの事で・・」
正樹はそれとなく彼女の言いたい事が分かるような。「ホテルで倒れて亡くなった?そのホテル、ひょっとしMホテル?」
電話の向こうのゆかりの表情が。
「どうしてMホテルだと?分かったんですか?」
正樹は自分が見た救急車の回転しているランプを目に浮かべながら。
「実は、今晩私が泊まるホテルがそこなんですが、救急車が来、人を運んで行ったんですが、ひょっとしそれなのか?」
「明日お話しようと思っていたホテルというのは其処なんですが、一日早めに社員を泊まらせておいたんです。それが、まさかこんな事になるとは・・。あのホテルでは、以前事故がありまして、私の両親が観光旅行に来ていた時に、巻き込まれ亡くなった・・まさか二度あるなど・・」
電話は再び明石に代わる。
「実は、話して無くて悪かったが、今回の案件というのはそのMホテルを解体し、全く別の施設に建て直すという話だったんだ。あまりにもいろいろな事が起きるので不吉だからと。田宮さんは幾つかの会社を経営しているんだ。その系列グループの中に福祉関係の施設があり、それで施設にしようかという話が持ち上がっていた矢先だった。詳しい話はまた明日するからそのつもりでいて欲しい。不動産業者なども呼んである」
正樹はあの場面を思い出した。
「あの時来ていたのは救急車だけでは無かったが、警察がどうして来ていたのか?」
電話口に再びゆかりが。正樹の疑問を明石から聞き、相変わらず落ち着かなそうな声で。
「病死では無かったようで、というのもこれといった病にも冒されていなかったし。一時は殺人では無かろうかと、でも何の凶器も見つかってはいない。警察もはっきりとは教えてくれないのですが。私は、以前の事もあったのであそこには行きたくなかった。其れでうちの関連先の会社の社員に病院に急行して貰ったんです。その社員は、運ばれた時犠牲者の身体に潰されたような痕があったと。良くは分かりませんが。それで警察が来たのでしょうが、犯人らしい者を見た人間もいない。警察の捜査はこれ以上進展しないのでは?不思議な事」
電話は、そこで終わったが、正樹は怪訝そうに呟く。「僕があの1001号室の部屋の鍵を誤って開けようとした時、内側から完全にロックが掛かっていた。となれば、完全な密室で起きたという事になってしまう?まさかそんな?」
老人は電話の内容を聞いていた訳でも無いのだが。
「地天女及び二鬼や鬼神などの悪さでは無かろうかな?武器は持っていなくとも鬼どもは悪さをし、それを、持国天、増長天、広目天と共に四天王としては多聞天と言われる兜跋毘沙門天の様な武神が守っていた。あの場所の一部には昔、寺があった。天変地異で無くなったと言われている。そんな事もあり、何か良からん事が起きたのかも知れん?まあ、建て直して施設にでもなれば、悪さも無くなるんじゃ?」
翌日、正樹達は建て直しの話を進める事で話をまとめた。
施設だけで無く毘沙門天を祀る建物も傍に造る事に。
それから?あの老人が現れたという話は無い。
一体何者だったのかは謎・・。
Buda misterioso 邦題 毘沙門天
泊まったホテルが偶々・・?