Misatorei - "Te"  邦題 て

Misatorei - "Te" 邦題 て

自殺。

 安形秀樹は渋谷の新聞社に勤めている。
 社会部の記者をやっているから、彼方此方飛び回りいろいろな事件の記事を書くのだ。
 東京駅の中央線のホームに立っている。
 いや、正確には階段の壁に隠れている状態だ。
 此のホームから京浜東北線北行きのホームが見渡せる。ある人物を張っている。
 ホームに田中義男が見える。
 青い色の電車が入って来た。
 秀樹は階段を走しり降り隣のホームを駆け上り、田中が乗った電車に飛び乗った。
 時間的にそれ程混みあっていないから、同じ車両に乗れば気付かれてしまう。
 田中は三号車。秀樹は四号車に乗り人影から田中の姿を見失わないように。
 田中はD会社の社長だが、今回張っているのは田中がある女性を秘書にしようとしているという情報を得たから。
 田中には由紀という本妻がいるのだが、別の女性を気に入り秘書と偽り実は二号の様なものだろうという事。
 どうして新聞記者の秀樹が探偵のような事をしているのかなのだが、その秘書という女性は本間幸子と言い秀樹の元彼女。
 一旦は事情があり別れた二人だったが、先日地方裁判所で取材中に偶然幸子に会った。
 二人は用事を済ませた後外堀通りのカフェに入り話をする。
 秀樹は手に持っていたバッグを隣の椅子に置いた。
「久し振りだけど元気そうだね。まだ、あの会社に勤めているの?」
「いえ、あそこは辞めたの。今失業中なんだけれど、先日ある方の紹介で秘書の仕事があるからやって見ないかと言われたの。給料はいい様で新宿だから通勤も楽で、面接に行ってみようかと思っているの」
「今時景気の良い話だけれど、その会社何て言う会社?
「D会社」
 秀樹はその名を聞いた時に田中の顔を思い出したが、幸子の事を心配し未だに愛している自分を感じた。
 その会社の社長が田中で確かに高待遇らしいが、秀樹は幸子の話を聞き終えた時に記者独特の予感を感じる。
 高給をくれるだけで無く住まい迄探してくれるという事だ。
 秀樹は幸子に、「いい就職先だといいけれどね?」と席を立ち二人で店を出た。
「就職は早ければ今週にでも結論が出るかも知れない」 という幸子の言葉を聞き、190もある身長の半分だけの向きを変え手を挙げると別々の方向に。




 田中と言えば以前秀樹が或る殺人事件に係った時にその名を知った。
 被害者は中野良子という女性で田中の秘書をやっていた。
 死因は住まいのマンションの屋上から転落死したという警察の結論だ。
 屋上には靴が並べて置いてあり其の横に会社のパソコンのテキストでうったテキストがおかれてあった。
 良子は数か月前から心療内科に通っており鬱状態や不眠症になり何種類かの薬を貰っていたようだ。
 警察の調べでは他殺の線は先ず無いだろうという事。結局自殺ということで処理された。
 幸子はスマホ(iPhone)を持っていたが親しい友人には、
「無くして出て来ないから次を買わなくてはならない」
 と話していたという。
 事件の事が忘れ去られた頃の事だった。
 似た様なスマホが見つかったのだが少し気になるメールが残されていた。
「て」とだけ書かれたメールで送信する前の状態であったらしいから、そのメール文に特別の関心を持つ者などいなかったという事になる。
 そのスマホが何処にあったのかだが、住んでいたマンションの下の丁度良子の死体があった場所の坂の下。
 マンションから離れた場所にある金網で隔てられた公園内の落ち葉の下に埋もれていたようだ。
 秋が過ぎ去り落ち葉も少なくなってきた頃、僅かな落ち葉から顔を出しているスマホを公園で遊んでいた子供が見つけた。
 其れを拾った子供は交番には届けずおもちゃ代わりに遊んでいた。
 綺麗な色をしていたが土まみれになっていたから捨てようかと思ったのだが、近頃では子供の友人も皆持っているからと暫く持っていたようだ。
 そのうち飽きてしまったから捨てようと思っていた時、偶々通りかかった廃品業者から声を掛けられ、
「いらないのならくれないか?」
 と持って行ったという。
 何かパソコンもそうだが、基盤から微妙な金が取れると言われている。
 とは言え大量に集めた所で1トンからせいぜい200から300グラム程度の量しか取れないのだが、金には違いないから集める業者もいると聞いてはいた。
 その業者は秀樹の新聞社にも出入りしている廃品業者だった。
 新聞社を訪れた時、
「こんな物を子供から貰ったんだが、結構綺麗だよね」 と見せた。
 秀樹は記者で仕事柄好奇心が強い方で手に取ると。
「ほう?なかなか洒落ているが、汚れているし傷もあるから価値は無いな」
 と言った後機種に適合したアダプターがあったから電源に繋いでみた。
「何だ、まだ使えそうじゃない。こういうものは精密品だから駄目なのかな・・?」
 思ったより早く充電されたスマホの画面は『て』、メールの画面のまゝだ。
 秀樹はただ画面の文字を見ていたが。
「まだ送信前。という事は勘ぐれば誰かに何かを伝えたかったのかも知れない。しかし、『て』だけでは・・」
 業者に売ってくれないかと言ってみた。業者は随分吹っ掛け、
「千円なら譲るよ」
 と言ったが秀樹は業者に金を渡すとバッグに入れ呟いた。
「何れにしても此の文字だけじゃ訳が分からないな」
 秀樹は、早速手に入れたスマホをバッグに入れ、事故の現場であるマンションとその下のスマホが落ちていた公園に行ってみる事にした。
「阿佐ヶ谷」の表示板の下から改札口を出マンションまで歩いた。
 マンションを横目で見ながら公園まで下り、水飲み場で水を飲もうとした。
 上のマンションに白いセダンが走って来た。
 車はマンションの駐車場に止まる。
 車から降りてきた男女二人は田中と幸子。
 幸子がマンションを見上げ、
「なかなか綺麗なマンションだわね」
 と、田中に笑顔を見せている。
 秀樹は二人から見られないようにと木の影に隠れる。「此処が幸子の今度の住まい?あの事件があった同じマンションか。まあ、持っている物を有効利用しようというつもりなのかも知れないが。それにしても事故があったマンションなど手放すのが普通なのじゃ無いのかな」 と。
 先日の幸子の話の様に幸子は単なる秘書で其の住まいが此処であって欲しいと思った。
 田中が部屋を見せに来たのだろう。暫くし二人は再び車に乗ると走り去って行った。
 静かになった公園で秀樹はいろいろ考えた。
「どうして前の秘書良子が殺されたのか?自殺で無いとすれば?田中?しかし、殺すほどの理由も無いだろうに?又別の会社でも見つけてやり良子を追い出すくらいは訳もない事だろう」
 バッグから良子のスマホを出し画面を見る。
「送り先を指定するどころか、文章も打ち込む余裕も無かったのか?しかし、通常、送信しようとした人間が、こんな状態で弾(はじ)き飛ばされるとは不自然?正に何か文章を作成しようとする前に手から弾き飛ばされたようにも思える。そして、マンションから金網で隔てられた公園の離れた場所に落ちていたという事は、単純に考えれば本人が落下するのとほぼ同時にしかも本人から離れた場所まで飛ばされたという事になる。という事は、此れ自殺の可能性は無いんじゃないかな。自殺する人間が屋上で準備をしてからスマホだけ投げるというのはあり得ない」
 秀樹は、良子が飛び降りた屋上を見た。
「屋上の鉄柵は彼女の半分程度しかない。簡単に飛び降りる事は出来るが後ろから突き落とされたとも考えられる。
 確か事故があった時間は二十時頃で目撃者はいないし。そうだと仮定すれば寧ろその方が辻褄があっている。 先ず、そうと考え話を進めてみよう」
 秀樹は急な取材が出来たから直行すると社に連絡をした。
 そして二十時までマンションの周りで時間を潰した。
 警察が現場検証や近所に聞き込みをしているから、新たな事は何も出て来ないかも知れないが、兎に角、先ずは現場に張り付いてみようと。
 陽も落ちた頃公園に犬を連れた老人がやって来た。
 秀樹は「今晩は。散歩ですか」と、声を掛け乍ら、スマホのカレンダーを表示させ、
「この日に、何か変わった事など見かけませんでしたか?」と話を。
 老人は毎日朝と晩犬を散歩に連れて廻るという。
その日かどうかまでは分からなかったが、マンションの屋上で言い争う様な声が聞こえたと言う。
 老人は犬の糞に気を取られ屋上まで見上げる事は無かったらしいが、犬の糞を袋に入れた後公園から立ち去ろうとした際何か小さな光が公園の方に飛んでき、公園を出た時に後方で何か小さな鈍い音を聞いたと言う。老人は大きな犬が引っ張るから足早にマンションを後にしたので、それが何だったのかは分からなかったし散歩が済んだら後は家に帰るだけで、周りの事まで関心は無かったという事。
 確かにマンションの下は草が生い茂っておりクッションの様になっているし、公園までキツイ斜面になっていて、間に金網も張られているから気付かないのは当然。
 警察がその状況を聞かなかったのかと、老人に聞いたが、曜日によって散歩のコースを変えるから、次の日は此方とは違うコースを回っており、此処で何が起きた等という事など全く関心がなかったようだ。
 事故の日は水曜日。今日も水曜日。
 昼間秀樹が見た白いセダンが、今駐車場に止まっている様だが暗くてはっきりは分からない。
 老人は一人暮らしで犬だけが家族だと言っていた。
 その日のその晩に其処に居合わせなければ、警察も事情を聞く事は不可能という事だ。
 秀樹は、それでどうやら自殺の線は無いと思う。
 老人の話からし、田中が突き落とした可能性も。
 動機についても秀樹が調べるうちに、うっかりして由紀が漏らした愚痴から分かった。
「良子と田中の仲を、本妻の由紀が偶々会社に行った時の様子から、良子と関係があるのではと疑うようになり、内々の事だからと我慢をしていたのだが、火の粉が田中にまで飛んで来るようになり田中も外部には知られないようにと悩んでいたという事が分かった。由紀は外部や警察にもこの話はしなかったようだ。というのも本妻と二号の争いを知られたくなかった事。手切れ金で済ませる様にと指示をしていたのは由紀だったから。由紀は田中の事を愛していたのだが、そもそも、会社運営資金の殆どは由紀の実家から出ていたようだ」
 秀樹は、
「此処まで来ればあの事故は自殺では無かった」
 という勘を信じて疑わなかった。
 秀樹は此の件につき、再び警察に持ち込むつもりは無い。
 ただ、幸子と都内のホテルで夕食をとった時に、自分の推測を全て話し、二の舞にならないうちに田中とは縁を切る様にと話した。
「君は、やはり、僕にとり彼女でいて貰いたい」
 そういう秀樹の目を見、幸子も秀樹の話と秀樹が自分を心配してくれている事で決心をした。


 最後に秀樹はスマホの件について考えた。
 良子が付き飛ばされる直前に、スマホで誰かに自らの危機を知らせようとした事は間違い無いだろう。
 秀樹は良子が持っていたスマホ(iPhone)を持っている。
 其処で試してみた。
 若し、良子が誰かに、
「田中に殺される。助けて」というメールを送ろうとしどういう事になったのか。
 メールの宛先まで入れる時間は無かっただろうが仮に、
「田中に・・」
 と入れようとしたとする。
 秀樹も同じ事をやってみた。
 文字のキーボードのところで、「たな」まで入れようとしたが突き飛ばされたとすると、指が「た」から「な」にスライドされた時、「な」の上で指が離れれば、「て」の文字だけが画面に残る。
 それで「て」という文字だけが画面に残されたのではと理解した。
 何れにしても全文どころか、二文字目に指が離れたと同時に突き飛ばされたのだろう。



 弁護士会を通じ警察側に再度事件を洗い直すように言申立てがされた。
 田中が逮捕される事は確実となり、幸子の身に降りかかろうとしていた懸念も払しょくされた。
 良子の発信先は意外な人物、田中の最も近くにいる女性である事が分かった。


 暗い闇から闇へと流れていくものは、其れが何であろうと誰も分からない、知っているのは今も微笑んでいる大きな月だけだった。

Misatorei - "Te" 邦題 て

他殺。

Misatorei - "Te" 邦題 て

最も誰からも嫌われていた男の、ミスはすぐ近くにいた女性の心理を見抜けなかった事。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-01-29

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