シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) XV 追記
シューティング・ハート
~彼は誰時(カワタレトキ) 追記
桜と蛍が他愛のない会話を交わしながら地下の訓練室へ向かった。
鷹沢邸の地階にある訓練室。
天井が高く、広いスペース、壁際に器具が置かれ、木刀や槍などの武具が揃っている。
今日は綾がいない。
背中の傷は順調に回復しているとはいえ、まだまだ無理はしないよう医師から伝えられているという。
いつものように二人同時に足を踏み入れて、そのつま先を引いた。
その異様な空気に会話は止まり、咄嗟に周囲を探るように気を巡らせて、お互いの背を護るように合わせて構えた。
背筋が凍る。
蛍が両手の平に見えない糸を隠し指先を微かに動かす。
桜が両腕の籠手を確かめるように撫でて肘を引いた。
来る、と思った時にはすでに二人の間を鋭い風が裂くように振り下ろされた。
不動がいつもストレッチに使っている特注の六尺棒だ。
材質はしなやかで強度がある。
かろうじて避け、体勢を整えようと踏ん張った桜の左半身に衝撃が襲う。
「遅い!!!」
鋭い怒声が壁に反響し、下段で構える直前で薙ぎ払われた。
吹き飛んだ身体を床に這うように低くして、相手を確認しようと顔を上げた所を、切っ先が襲う。
「桜!!! 引いて!!!」
蛍が叫んで右腕で弧を描き、微妙な指先の動きで相手の足元を捕縛しようとしたが、一瞬早く踵で受けられ、そのまま蹴り落されてしまった。
「緩い!!!」
言うが早いか一歩蛍に足を踏み出すと、顔面目がけて突き立てた。
間合いの狭い中で大きく振り回しながら、切っ先をピンポイントで打ち込んでくる。
ハイヒールを履いた女の身長よりも長い六尺棒をいとも容易く操っているのだ。
蛍は目前に迫る先端を間一髪で避けると、間合いの外へ逃れた。
それを見て、女の動きが一瞬止まる。
黒いパンツスーツに皮手袋。
豊かな長い髪を一つに編み込んで膝の辺りまで伸ばしている。
髪に少し癖があるようで、豊かな上にボリューム感がある。
微かに笑ったような気がした。
桜が視線を逸らさず、両腕を胸に位置で構えた。
その目前で六尺棒の切っ先がゆっくりと振り上げられて、傲然と振り下ろされた。
瞬時に下がった桜の腕を切っ先がかすめる。
当たると思っていなかったのか、表情を変えて腕を見た桜の右脇に打ち下ろされた衝撃を間一髪で受け止め、左へ一歩踏み込んだが攻撃には至らない。
女の攻撃をかいくぐるようにして左右の拳を繰り出すが、ことごとく打ち返され、徐々に追い詰められていく。
打ち込まれる間隔が縮まり、受ける手を繰り出すのがやっとだ。
「軽い!!!」
女の怒声が部屋に響き、バランスを崩した桜の顔面目がけて切っ先が振り払われる。
咄嗟に蛍が足元に重なる鉄アレイを投げて切っ先の軌道を変えた。
女が蛍を横目で捉える。
蛍がもう一方の手に触った鉄アレイを桜に襲いかかる女に投げつけた。
「甘い!!!」
軽々とかわされ、蛍の身体は大きく薙ぎ払われると、体勢を起こしかけていた桜に受け止められるようにして、二人重なって崩れ落ちた。
息が上がり、汗が頬をつたう。
訓練室に荒い息遣いだけが聞こえた。
女が大きく息を吸う。
棒を床に突き刺すように叩きつけ、仁王立ちとなり、二人を見下ろしながら低く唸った。
「弱い!!!」
その形相はまるで金棒を振りかざす鬼だ。
「いきなりなんなんですか、桔梗さん。心臓に悪いです、止まったらどうするんですか」
蛍の身体を起こしながら、桜が見上げて文句を言った。
女は仁王立ちのまま見下ろす。
「止まってないでしょ。甘ったれてるんじゃないわよ、桜。その隙だらけの意識が命に関わるのよ。思い知りなさい」
何を言われているのかは分かっている。
綾が傷つき、小さな姫君はまだ精神的に不安定だ。
記憶はないというが、どこかおびえた様子が見える。
その様子をただ見つめている綾や近江に姿を見ると、自身の無力さを感じずにはいられない。
しかし――。
「なんとか・・・姫様をお守りすることはできました」
かろうじて、桜は呟いた。
心のどこかで『違う』と思いながらも、何か言い返さないと収まらなかった。
そう言いながらも真っ直ぐ見つめる桜を見下ろし、桔梗は思い切り六尺棒を床に打ち付けた。
「助かった話をしてるんじゃないわ。未然に防ぐ行動がなかったことを言っているのよ」
「それを言いに、わざわざ来られたんですか」
桔梗は御前付きの影だ。
御前の信頼が厚く、側を離れることはないと聞いている。
乱れた長い髪をかき上げながらそう問う蛍の顔を見下し、桔梗は鼻で笑う。
「そんな訳がないでしょ。遊んでいられるほど暇じゃないのよ」
そう言い切られ、立ち去る桔梗の姿を二人はただ黙って見送るしかなかった。
桔梗が鷹沢士音の書斎から退出して時間が経つ。
士音の書斎に通じる扉を背に、伊集院は立ち尽くしていた。
視線は磨かれた自らの革靴よりもはるか奥底を見つめていた。
「どうかしたんですか、伊集院さん。顔色が悪いですよ」
吉野が気付いてそう問いかけたが、答えは返らない。
通りかかった近江も気遣うが、伊集院は唇を真一文字に結んだまま、微動だにできなかった。
細くほの暗い階段を上がり自室に戻った中津は、士音から聞いた言葉を胸の底で繰り返しながら、ネクタイの結びを解いた。
その手に白い指が絡む。
動作を止めて右肩に目を落とすと、薄い笑みを浮かべた冷たい頬がすり寄るように近づいた。
「桔梗」
「打ちひしがれた顔もいいわ、守弘」
中津の耳元に頬を寄せ、胸元で絡めた指をゆっくりと引き下ろした。
「このまま奈落の底まで届きそうね」
「さっきの話、御前は本気なのか」
「冗談で御前が私を使う訳がないでしょう」
「御前は、姫様を護る気があるのか」
「姫様を護るのは鷹沢の仕事でしょう。御前は鷹沢を捨て駒に使っても、助けることはないわ」
「姫様がどうなっても良いとお考えなのか」
中津は唸った。
桔梗は微笑を浮かべると、ネクタイを掴んだまま一歩引いた。
「御前にとって、姫様は溺愛していたお方の忘れ形見」
「・・・・・・」
「そして、御前にとって士音様は頼りにしていたお方を奪い去った憎い男」
一つ一つ念を押すように桔梗は語る。
視線だけを桔梗に向け、微動だにしない身体のどこかに怒りを秘めながら、中津は黙って聞いた。
薄暗く狭い部屋に、微かな月の光が差す。
だが、二人の身体に光は差さない。
桔梗は指に絡んだネクタイを放り投げた。
「私は、小さな姫様も、貴方の大切な小娘も興味はないわ」
含んだ言葉を投げて、桔梗は少し背を伸ばした。
「私が欲しいのは士音様だけ」
「・・・」
「貴方はどうなの。このまま影のままお嬢様に仕えるの。それとも――」
「選択肢はない」
言い切る中津に大きく息を吐き、桔梗は一歩扉へ向かった。
「あら、選択肢はいくらでもあるわよ。それを考えて、指折り数える作業を放棄しているだけでしょう」
言葉に嘲るような笑いが混じる。
「士音様のお傍で右往左往するだけの影に、私がどれほど憤慨しているか、少しは考えて欲しいものね」
「どういう意味だ」
「主の重荷を軽くして差し上げることが影の意味。傍にいるということがどれだけ大切なことか、もう一度考えなさい」
「で、どうしてこの人が乗ってるんですか」
運転する不動の横に座り、後部座席を気にしながら、迷惑そうな口調で柊が呟いた。
不動は苦いものを口に入れて無言で耐えるように肩に力を入れ、真正面から視線を逸らすことなく車を走らせた。
「聞くな、察しろ」
苦しい返答を絞り出す不動の後ろで、桔梗は足を組んで背もたれに寄り掛かっている。
「迷惑がらなくてもいいでしょ、柊」
「御前付きの影なんですから自重してください。だいたい乗って来た車はどうしたんですか。御前の御用で旦那様の所へ来たのなら、ちゃんと運転手がいたでしょう」
既に貝のように黙ってしまった不動の代わりに柊が呆れる。
桔梗は馬耳東風を決め込んで視線を窓の外に投げた。
「帰したわよ。たまにはゆっくりくつろいでもいいでしょう」
そう返されて、柊も早々に黙ってしまった。
咲久耶市の中心部から離れていく車窓は、段々行き交う車や民家、街灯が減っていく。
「葵はどうしているの」
姫君を襲った一件以降、葵は萩屋敷にお預けとなっている。
柊は鷹沢士音の指示で様子を見に行く途中だ。
「葵は落ち着いています。お父上の方が回復が早く、お母上をいたわりながら葵にはっぱをかけてますよ」
「そう、粟根は元気なのね」
「心配してたんですか、桔梗さん」
少しからかうような口調の柊に、桔梗は冷たい視線を投げる。
「状況を頭に入れているだけよ。姫様の子守りはどうでもいいわ。だけど父親の粟根は違う。三家の内情に一番精通しているのは粟根でしょう。粟根が離脱するならそのフォローをどうするかは、今後の鷹沢に関わること。知っておく必要があるわ」
事務的な口調は嘘ではないのだろう。
「柊、葵に言っておいてちょうだい」
「?」
「大切なものの為にいきなさい、と」
「・・・・・・」
「粟根の仕事の邪魔にならないようにね。だいたい自分に害を為すものの為に命を使うなんてもったいないわよ」
小さな少女の命を脅かした事件の背後には、結局三家がいた。
葵も葵の父・粟根も三家の思惑にハマった形になってしまった。
「人を苦しめて楽しむような三家の思う通りに動いたところで救われないでしょう」
冷静に言い切る桔梗に、柊は少し憂いを見せる。
「葵だって必死だったでしょう。気付いてやれなかった方も落ち度がある」
いつの間にか追い込まれ、その選択肢しか取れなくなったのだろう。
何か変化はなかったか、何か気付いてやれなかったのか。
その思いは常に心のどこかに燻っている。
「もし気付いていれば、他にやりようはあったのではないかと、あれからずっと考えています」
柊の言葉を、不動は無表情でハンドルを握りしめて聞いている。
桔梗は鼻で笑った。
「一人で生きていると思っていること自体間違っているのよ。いったい何人の人間が世の中にいると思っているの。中には自分を心配してくれる人の一人や二人いるってことに気付きなさい。わかっているなら、わかっているように行動しなさい」
「それができれば苦労しないのでは」
「できない理由ばかり言っているからいつまでたっても苦しいのよ。状況を悪くするのは勝手だけど、傍で見ているものにとっては迷惑なのよ」
「・・・そうなんですか?」
とても、迷惑そうとは思えない態度の桔梗に、柊が問い返す。
「信じるのね」
「何を」
「何でもいいわ。確かなものなんてないんだから」
理解に苦しむ。
柊が苦笑で反論した。
「不確かなものを信じるんですか」
そんなこと、できる訳ないでしょうとでも言いたげな口調だ。
桔梗はしれっと言い切る。
「何かを信じている『自分』は確かにいるでしょう。それで充分だと思うけど」
困った柊は、不動の横顔を見やった。
「解決してますか? 不動さん」
「考えろ、柊。俺に分かる訳ないだろ」
あくまで不動は傍観者を決め込んでいる。
納得はいかない様子の柊だが、その表情のどこかに割り切ったようなスッキリとした感情も見え隠れする。
車は萩屋敷の近くで停車した。
柊は、型通りの挨拶を不動に投げ、視線を後部座席に向けた。
「他に聞いておいた方が良い事がありますか、桔梗さん」
口調を抑えて答えを待つ。
桔梗はあくまでも御前付きの影だ。
滅多に会うことはなく、また会ったとしても誰に憚ることもなく話をすることができるとは限らない。
桔梗は柊に視線を向けると、少し気怠そうにため息をついた。
「そうね。死なないでちょうだい、誰も。始末が面倒だから」
「――」
「いいわね、柊」
特に返事が欲しいとも思えない念の押しようが、柊の口元を少し上げた。
何か言いかけようとしたが、柊は肩をすくめて軽く頷くと、そのまま無言で視線を伏せ、静かに車のドアを閉めた。
柊を降ろしてしばらくは無言が続いた。
「どうして御前のところの運転手をわざわざ帰らせて、俺がお前を送らにゃならんのだ」
沈黙に耐えられなくなった不動がポツリと不満を漏らした。
「いいじゃない、暇そうだし。たまには話し相手になってくれてもいいでしょ。同級生なんだから」
「三十もとうに過ぎて『同級生』もないだろう。ましてお前は御前の信頼厚い筆頭だ。俺に話し相手は務まらんよ」
「影としての筆頭は中津よ。常に士音様の側にいて、すべてが手の届く所にある。私は単に士音様から遠ざけられてるだけ」
苦々しい口調が混じる言葉に、不動は困った顔を見せてルームミラーに映る桔梗の横顔に視線を向けた。
「桜と蛍をのしたそうだな」
「甘いのよ、誰もかれもが。意識が低い。不動、お前もよ。士音様に甘えているということをもっと自覚してもらいたいわね」
言い切る言葉に含みがあった。
だが、その感情を汲むつもりは不動にはなかった。
半ば捨て気味に訊いた。
「三家はどうにもならないのか」
この度の襲撃事件について、三家が裏で糸を引いていたことは明白だが、証拠と言われれば何もないに等しい。
だが、それでも三家の動きは問題視されて然るべきだと思われるが、不問であることが信じられない。
「どうにかなると思っているの、不動」
「いや」
「甘い考えは適当にしておくのね。この先どれだけ煮え湯を飲まされるかわからないんだから」
桔梗の言葉に、不動は呆れて一言呟く。
「やれやれ」
「相変わらず呑気ね。寝首を掻かれるわよ」
護る役目を負う者が倒れれば、いなくなれば、護られてきた者は生き延びれない。
「俺は、俺より後に生まれた者がみな幸せであればいいと思うよ。せめてこの手の届く範囲はな」
不動は、ハンドルを持つ手に力を込める。
どれほど願っても、この手の隙間からすり抜けていく大事なものは山のようにある。
だからせめて護れるものは、護りたい。
「私以外のみんな――と言いたいのね」
「別に、お前は俺が守らなくても平気だろう」
十分、怖い。
「可愛くないわね」
本当に可愛くないと思っているような口ぶりで、桔梗が流し目をくれる。
不動は動じない。
「オッサンにカワイイを求めるな」
速水家では、文化祭が終わり、生徒会の仕事も少し落ち着いて部活三昧になった介三郎が、一人遅い夕食をとっていた。
「遅いな、介三郎」
濡れた髪をタオルで拭きながら、鴨居をくぐって入って来た総二郎が声をかける。
大きな冷蔵庫から缶ビールを取り出し、介三郎の前に腰を下ろした。
風呂上りの濡れた髪が目元にかかり、それを首にかけたタオルで軽く拭うと、小気味よく缶ビールを開けた。
「どうしたの、総兄ちゃん。珍しいね、総兄ちゃんが明日仕事なのにビール飲むの」
総二郎は平日の夜にアルコールは摂らないことにしている。
二人ともかなり長身だが、面差しはあまり似ていない。
介三郎は少し間延びした顔立ちでおっとりした性格が全面に出ているが、総二郎は目鼻立ちも整いかなり見栄えが良く、すっきりとした男前だ。
三男の介三郎は容姿が父親似で体形は母親似、次男の総二郎は容姿も体形も母親似というのが家族内での見た目評価だ。
総二郎は大学を卒業するまでバレー部に所属していたが、会社員になってからもバレーは続けている。
長身で見栄えが良くスポーツマン、加えて性質も温和とくればさぞ周囲が色めき立つだろうと思われるが、本人は呑気なもので独身を楽しんでいる。
「介三郎、おまえ、学校は楽しいか」
「いきなり何なの。何かあったの」
介三郎は首を傾げた。
いつも穏やかで端然としている総二郎の表情に微かな曇りが見える。
「もしかして、また京四郎が何か吹き込んだの。俺がバカやってるとかなんとか」
速水家四男の京四郎は、介三郎が好きすぎて何かとうるさい。
「総兄ちゃん、京四郎の言う事は半分程度にしておいてよ」
「違うよ。母さんだよ」
「母さん?」
介三郎はきょとんとした表情で動作を止めると、帰宅してから見た母の様子を思い返した。
特に変わったことはない。
いつものように汚れたソックスのまま廊下を歩いて怒られたし、風呂から出てつまみ食いをしようとして手をはたかれた。
挙句に台所を追い出されてやっと夕食にありついた。
いつものことだ。
「何も言われないけど」
「何も言わないからって、何も考えていないわけじゃない。心配してる素振りを見せるとお前が気にするからだろう。でも心配してるよ」
真っ直ぐ見つめる総二郎を見返しながら、介三郎は学校での自分の様子を俯瞰した。
「楽しいよ。授業も部活も生徒会も全部。友達いるし、先生方も個性的で面白いし」
「マドンナとか鷹沢とかいう女性はどうなんだ。聞いているとおまえがこき使われているようで不安になるんだが」
総二郎は少し声のトーンを落として、手元に視線を落とす。
なんだ、そのことか。
介三郎は笑った。
「マドンナも綾も別に無理は言わないよ。それにけっこう好き勝手やらせてくれるし、ハメ外しても無礼講って感じもあるから、どちらかというと甘やかされていると思うよ」
「――」
「もちろん、それに甘えてばかりじゃダメなわけだけどさ」
介三郎はそう付け加えた。
澱みのない様子に、総二郎は微かに安堵する。
「正直、心配していたんだよ。介三郎。おまえは中等部時代からけっこうなんでもこなしているだろう。それが、おまえの意思だけなら何も言わないけれど、誰かにさせられているとすれば問題だ。おまえが他人の下に組み敷かれると思うのは、兄としてツライ」
「そんなこと気にしてたの、兄ちゃん」
「おまえはどちらかと言えば引っ込み思案だから、自分の意見を何も言わせてもらえず、便利に使われているのかと思ったんだ」
苦笑交じりに顔を伏せる総二郎に、介三郎が屈託なく笑って見せる。
「兄ちゃん、俺は嫌だと思ったことはしていないよ。何を言われても、誰が相手でもね。自分が納得しているから行動するんだ。そして、俺の行動は責任を持つ。誰が言ったことでも、自分が納得してしたことにはね。だから兄ちゃん、心配いらないよ。綾はけっこう褒めてくれるし、俺ってバカだから真面目にしかできないけど、それって悪い事じゃないだろ」
そう言って唐揚げを一つ頬張って嬉しそうにモグモグさせる。
「真面目は悪いことじゃないよ、介三郎。ただ、覚えておいてくれないか。おまえに何かあれば心配する家族がいることを。決しておまえの意思がおまえの命を削らないように」
覚えておいてくれと繰り返し、総二郎は真剣な眼差しで介三郎を見つめた。
このかわいい弟が危険なめにあわないように。できるだけあわないように。
介三郎はしばらく大きく目を見開き兄の顔を見ていたが、ふいに破顔した。
「大丈夫だよ、総兄ちゃん。俺は大丈夫だから」
どこからくる自信なのか、さすがに総二郎も破顔した。
「あ、総兄ちゃん、ズルい」
何がズルいのかよくわからないが、パジャマ姿の京四郎がバタバタと現れてわざわざ介三郎の横にピタリと椅子をくっつけると、椀を持つ左腕の下をかいくぐり、脇腹にピタッとくっついて座った。
「僕も仲間に入る」
「京四郎、もう寝る時間だぞ」
「介兄ちゃんが食べ終わったら、寝る」
「もう食べ終わるよ。京四郎がおしゃべりで俺の邪魔しなきゃ」
と言っている傍からあれこれと話し始めて止まらなくなる。
「なんだ。なんの集会だ?」
同じ顔が二つ戸口を覗いた。
介三郎の間延びした顔をもうひと押し地味にした顔で色白だ。
「土産だぞ」
白髪交じりの世帯主である速水父が、近所の老舗のパン屋の袋を掲げながら入って来た。
「またこんなに買ったの、父さん」
苦笑交じりに受け取った総二郎が、中を確かめて肩をすくめた。
切り分けられていない食パンが兄弟分入っている。
「食べるだろ」
「食べるけど・・・」
「俺はあそこのアンパンが食べたいんだけど、さすがに残ってないよな」
間延びした口調で後から入って来た長兄の一太郎が、ノソノソとテーブルを回って京四郎の隣に座り、ポケットからミニカーを取り出すと、京四郎を誘うように揺らして見せた。
「お前は、これ」
低い声で一言呟くと、介三郎に引っ付いていた腕を放して飛びついた。
「やった―」
無邪気な笑顔を満面に浮かべてミニカーを掲げた京四郎が興味津々に細かい細工を細い指先で確認する。
総二郎はその様子を笑って見ながら、缶ビールを二本、父と兄の前に置いた。
台所から母が二人分の食事を運んで来る。
父と長兄の夕食が並ぶと、またひとしきり日頃の他愛ない会話が始まり、夜が更けていった。
鷹沢士音は考えた。
何度も何度も考えた。
どうすれば守りたいものが守れるのか。
考え抜いた答えが、果たして正解なのかどうか。
士音は卓上の写真を手に取り、愛おしそうに妻の頬を撫でた。
「すまない。いい親にはなれそうにないよ」
シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) 完
シューティング・ハート ~彼は誰時(カワタレトキ) XV 追記