水槽の街

この街は水槽のようだと、誰かが言った。

第1節 epilogue

 からり、からりと車輪が回る。窓側の座席に腰かけて、ひとりその音を聞いていた。
 これで聞き納めだと思えば飽きもこない。

 もうすぐたどり着くのは、無音の世界だ。
 音だけではない。色も光も、匂いも味も、何もない世界へと俺は行く。それがきっと、最適解だと思うから。

 全てはあの日、政府が俺たちを「ヒトではないもの」と定義した瞬間に始まった。
 脳裏に機械を埋め込まれ、不必要な能力を押し付けられて。最後には、人としての権利すら失った。[能力者]なんて名前で呼ばれるのも、いつ破裂するかわからない爆弾を脳に抱えて生きるのも、自分で選んだ結果じゃない。
「全て奪われたのだ」と少女は嘆いた。
「この街は終着点だ」と青年は言う。
「許せはしない」とあの人は呪って。
「どうしてこうなったのだろう」と問うたのは、さて、誰だったか。

 そして、そんな緩やかな地獄はようやく終わりの日を迎える。
 自分で選んだ今の中で生きていける。
 不確定な未来を目指して歩いていける。
 そんな世界まで、あと少し。

 後は手を伸ばすだけでいい。

 そこに奇跡は存在する。
 シナリオのない物語が手に入る。

 俺は窓の縁に肘をついて、ぼんやりと外を眺めていた。昨夜から続いていた雨はいつの間にか上がっている。作り物じみた青い空をかける空想列車。乗客は俺一人だけ。
 これから起こることは、誰も知らない。
 それはそれで悪くないだろう。

 ふわりと眠気に襲われて、小さく欠伸を漏らす。窓ガラスに頭を預けて、俺は逆らうことなく両目を伏せた。目が醒めるころには、きっと何もかもが終わっているだろう。

 遠のいていく意識の中で、思い出す。
 いつの日か、未来視の少女はこれから起こる奇跡をこう呼んだ。

「ハロー・ワールド」と。

第2節

『5番ホームに列車が参ります』

カン、カン、カン。と遠くの方で踏切の音が響いている。

『この列車は7時30分発ーーーー……』

 風とともにゆっくりとホームに入って来た列車が目の前で止まり、その腹から沢山の人を吐き出していく。
 全員が降りたのを見計らって、乗車口のステップに足をのせた。
 誰もいない第四車両の座席の背もたれを返し、進行方向へ向ける。俺は、海が見える窓際の席を選んで座った。
 降りていく人は多いが乗る人は少ない。
 それがこの時間、この路線の常であり、現に発車時刻ギリギリになっても他に乗り込んでくる人はいなかった。
 手提げの荷物を隣の座席に置き、背もたれに体を預ければ、肺から押し出されるように吐息が漏れる。

 一度疲労から解き放たれた体は、更なる安らぎを求めて睡魔に逆らうのを止めた。こつり、と小さな音を立てて頭が冷たい窓ガラスに触れるも、閉じかけた瞼はなかなか開いてくれない。どうせ行き先は終着駅だ。少しくらい良いかと僅かに身じろいで、収まりの良い位置に体を落ち着かせると、俺は大人しく意識を沈めた。
 ヘッドフォンから響く少女の歌声に紛れて、頭蓋の内側で機械の軋む音がした。


〈2136年。人類は、超能力者の製造に成功した。〉

 入力装置と出力装置から成る極小の電子チップ[BAG]を幼児の脳に埋め込み、それによって脳機能を支配。そして、外部から入力された能力データを電気信号に変換し神経系へ出力することで、人為的に超能力を再現する。BMI技術を応用した、思い描くだけで動かす技術の完成形。という、口にするだけなら夢のような、想像すれば悪夢のような実験。
 人間には元より無限の可能性が秘められているという。成る程確かにその言葉通り、夢物語は現実のものとなった。実験過程で何百人分の命が失われはしたけれど、広い目で見れば実験は成功したといえるだろう。数千人の超能力者が誕生し、人類の夢は一時叶う。
 しかし結果からすれば、やはりそんなものは失敗だった。何百人を犠牲に生き残った数千人は、当初の予定程優れた存在にはなれなかったのだ。偉い大人たちが何度も何度も会議を繰り返し、導き出されたその結果は、“超能力者の廃棄処分”。負の遺産として、あるいは危険な兵器として、俺たちはまとめてとある街に“廃棄”された。失敗作として迂闊に殺すわけにもいかないからと、物として飼い殺されることになったのである。
 海によって隔てられた境界線を、越える術を俺たちは持たない。生きる為の金銭を得ようと、慈悲として与えられた工場群でひたすら働いた。

 ——それが、8年くらい前の話。

 人間とは案外強かなもので——といっても、もう俺たちにいわゆる“人権”とやらはないのだけれども——与えられた居場所がどれだけ不本意でも、それなりの暮らしを成立することは可能だったようで。廃墟同然だった商店街を文字通り建て直し、鉄道を復活させて、まるで小さな国のように俺たちの“街”は成立した。
 そこに金稼ぎの好機を見出した外の人間がこちらに立ち入って商売を始めているというのは、話のオチとしてはそれなりに愉快だろう。

 能力者の最高齢は24歳。それより前の世代の能力者は全員死亡が確認されている。能力者同士の殺し合いもあるけれど、大体は——[BAG]の不具合か、あるいは遠隔操作で脳ごと吹っ飛んだ。
 俺たちは頭の中に爆弾を抱えて生きている。それもいつ爆発するかわからない、とびっきり粗悪なやつを。


 がしゃん、と何かが落ちる音で目を覚ました。

 ヘッドフォンを外し、体を起こして周囲を見渡す。やはり他の客はいなかった。気のせいか。いや、でも、そうでなかった場合。ほぼ確実に——不意打ちを受けることになるだろう。俺が[BAG]に入れている能力はお世辞にも戦闘向けとは言えない。慎重過ぎるくらいで丁度いい。

「コード、————承認。『遠隔感応』」

 その瞬間脳内に流れ込んできた膨大な情報に、軽い目眩で視界がくらりと回る。おそらくは別の車両にいるのだろう乗客や駅員の思考と、それから、やけに近くにいる誰かの[BAG]の電磁波。なんらかの妨害をしているのかその思考までは読み取れないけれど。
 窓の外を伺えば、列車は丁度三千大橋の中央辺りまで来たところだった。研究塔ならぬ研究"島"が左側に見える。ということは、あまり派手に能力を使う訳にはいかない。この距離なら研究島に感知されるだろう——反逆行為と見なされれば、俺も相手も一瞬で頭蓋をぶちまけることになる。
 逆に言えば、向こうもそう大事にする気はないということだ。いや、まだ敵対していると決まった訳ではないけれど。
 とりあえず俺は席を立った。車両の規則的な揺れに足を取られないよう座席の手すりに掴まりながら、"誰か"のいる後方三列目の座席の影まで進む。
 そうして目標まであと1メートルほどに迫ったところで、起動したままだった『遠隔感応』——俗にいう"テレパシー"が、遠くの方の喧騒を受信した。そちらに注意を向ければ、何かと何かが争っているらしいということがわかる。すぐにその片方が能力を起動し、先頭車両の方向へ遠ざかっていく。
 一体何が起こっているのか。
 そんなことをぼんやりと考えながら、俺は"誰か"がいる座席の裏を覗き込んだ。隠れるようにしゃがみこんでいた"彼女は"、俺に気付いた途端顔を上げる。

「……見つかっちゃった?」

 焦げ茶色の髪がするりと肩を滑り落ちて、彼女の翠目が俺を見た。悪戯がばれた子どものようなその笑顔は無邪気そのもので、俺は思わず肩を竦める。
 彼女が相手なら、思考までは読みきれなかったことにも納得がいく。

「残念ながら。それで、こんなところで何してるの?」
「この時間ここを通る列車に君が乗っているのが"視えた"から、助けてもらおうと思って」

 立ち上がった彼女は一つ背伸びをして、傍らの座席に腰を下ろした。座っていた方がいいよ、と向かいの席を叩いて俺を促しつつ、片手で自分の端末を確認する。あと二分くらいかなぁなんて笑って、彼女は言った。

「もうすぐこの列車、緊急停止するんだよ。運転席に押し入った男の指示でね。トレインジャック、っていうのかな?この列車には結構豪華なメンバーが乗り合わせてるから制圧自体は問題ないんだけど、自決用に仕掛けられてる爆弾の処理をしなくちゃいけないでしょう?だから協力して貰えないかなぁ、ハルト?」

 その言葉にため息を吐いて、俺は訪れるだろう衝撃に身構えた。

第3節

『お客様にご連絡致します』
『西22番ドック発、中央駅行き急行列車は諸事情につき現在緊急停止しております』
『繰り返します。西22番ドック発————』

 車両前方のスピーカーから流れるアナウンスを聴きながら、俺は改めて彼女——"あい"に向き直った。

「……で、その爆弾とやらの場所は"視えて"るの?」
「ううん。私の『未来視』じゃあ、あんまり細かいところまでは見通せないんだよねぇ。だからハルトの『遠隔感応』で探して貰おうと思ったんだけれど」
「うーん。『遠隔感応』は元々テレパシー用のスキルであって、エリアサーチはその付属品みたいなものなんだよね。君の言う爆弾が思考するっていうなら感知できるだろうけれど」
「あはは、流石に爆弾にAI付けるほど人でなしじゃあないと思うなぁ。まぁ私たちも彼らも法律的には非人間なんだけどね。でもそっかぁ、私感応系入れてないからいまいちその辺の知識がなくって」
「……一応、『接触感応』で探せはするよ。ランクはB+しかないから一車両ずつで良ければ」

 おっけー。とうなづいて、あいは席を立った。それから窓の上に掲示された車両の全体図を見上げ、私はあっち、と後ろの車両を指で指し示す。確かこの列車は7両編成、ついでに、表示を見る限りここは4両目だ。俺は一旦能力を切り、立ち上がる。先程大雑把に探った感じ列車の前と後ろ両方で騒ぎが起こっていた。となると実行犯は二手に分かれているのだろう。俺も、おそらくはあいも戦闘に使えるような能力は入れていないはずだけれど——あぁ、そういえば。
 豪華なメンバーがどうとか、言っていたか。

「うん。二両目に"ルカさん"と"カグラさん"が乗ってるよ。五両目には"和佐さん"と"眠谷さん"がいる。豪華でしょう?」
「……偶然?」
「偶然偶然。ただちょっとだけ物騒な」

 軽い足取りで後方の連結部分に向かって歩き出したあいは、俺の横を通り過ぎてからくるりと振り返った。スカートの裾を翻して、未来を予知するという彼女は得意げに言う。

「大丈夫だよ。なんにも問題はないから、安心して。何故なら私は、この先の展開全てを知っている」

 ——なんてね。

 そうして彼女は、なんのためらいもなく後方車両へと続くドアを開けた。無人の車内は静まりかえっていて、誰の姿もない。最初からそのことを知っていたのだろう彼女が車両に足を踏み入れ、手を離した途端支えを失ったドアが自然と閉まる。その隙間で、片手でピースサインを作り悪戯っぽく笑う彼女の姿を見た。
 がこん、とドアが閉まるのを見送ってから、俺は前方の連結部分へと歩き出した。耳を澄ませてみてもなんの音も聞き取れない。残念なことに感覚強化系の能力は俺にはない——が、まぁどうということはない。先行き不透明も、行き当たりばったりなのもいつものことだ。

 俺は、目の前のドアを開けた。

第4節

「コード、———承認。『接触感応』」

 三両目には、2人の乗客がいた。
 1人は、筋骨隆々な色黒の男性。その背に隠れるように、小学生くらいの女の子が引っ付いている。男性がサングラス越しに俺を見たのがわかったけれど、構わず能力を起動して壁に触れた。
 脳に直接流れ込んでくる車両内の情報を処理しているうちに、左側の荷台に得体の知れないドラムバッグが乗っていることに気付く。他に怪しげなものがないのを確認して、壁から手を離した。
 空気を読んでくれていたのか黙ったままだった男性が、ここで初めて口を開く。
 いや、まぁ知り合いなのだけれど。

「お前もいたのか、柊木」
「実は隣の車両に乗ってまして。なんかこの列車占拠されてるみたいですけれど、情報届いてます?」
「……いや、初耳だな。そうか、それで緊急停止か。つまりそいつらを制圧しなければ運行の再開は無いと」
「そうですね。ああでも、あいが言うには二両目にルカさんとカグラさんがいるそうですし、他にも色々と物騒なメンバーが揃ってるみたいなのでそっちは任せていいと思いますよ」

 そうか、とうなづいて、男性こと斧上さんは自身の服の裾を握っている女の子の頭を、安心させるように優しく撫でた。すると彼女は強張らせていた表情を少しだけ緩めて、斧上さんを見上げている。この子はなんて名前だっけ。サキちゃん、と呼ばれていたような気がする。
 そんなことを考えながら、俺は先ほど見つけたドラムバッグに手を伸ばした。刺激しないよう慎重に床へ下ろし、ジッパーに手をかけて——あれ、そういえばこれ見つけた後どうすればいいんだ?
 内部構造は視えても、解体できるだけの知識はないぞ。
 俺は思わず手を止めて、斧上さんを振り返った。彼は俺の体越しにバッグを覗き込み、それから心底嫌そうな表情を浮かべる。

「……おい、お前まさかそれ」
「一応聞きますけど斧上さん爆弾の解体とか経験あったりしませんか?」
「あるわけないだろうそんなもの」
「サキちゃんの方は?」
「お前は何を言っているんだ」

 そりゃあそうか。
 いくらこの街の住人でも、普通に生活してて爆弾に相対する機会なんてほとんどない。
 それはさておき、いやはや、どうしたものか。
 俺は床に胡座をかいて、とりあえずバッグのジッパーを下ろした。すると案の定複雑な配線とまだ"00:00"を表示している液晶が顔をのぞかせて、おそるおそるこちらを伺っていたサキちゃんが小さく悲鳴を上げる。

「……ここから先のことは考えてなかったなぁ。適当にコードを切ってみましょうか?」
「何故オレに訊く。そもそも、爆弾というと間違った線を切ったら爆発するイメージなんだが」
「確かにそうですよねー。というか今思い出したんですけどこれ自決用だそうなのでそう簡単に解除できない気がします」
「それを早く言え」

 ふう、とため息を吐いて、斧上さんはバッグを持ち上げた。体格に似合わない丁寧な動作でそれを窓際まで運ぶと、視線だけでこちらを振り返り「窓を開けてくれ」と告げる。なんとなく意図を察した俺は彼の横を過ぎて言われた通りに窓を開け、落ち着かない様子のサキちゃんを連れて斧上さんから距離をとった。
 それを見た彼は一つうなづいて、窓から身を乗り出しバッグを振り上げる。

 鍛えあげられた筋肉にぐっと力が入り、勢いよく空中へ放たれたバッグは真っ逆さまに水面へ跳ぶ。
 一瞬の間を置いて、どぼんと高く水飛沫が上がった。
 爆発音は聞こえない。

「……壊れたと思うか?」

 眼下に広がる大海原の、落下点を見下ろしながら斧上さんは小さく呟いた。
 それに俺は「多分」と返し、もう一度『接触感応』を起動する。コードを入力して傍の壁に触れ、他にそれらしいものがないことを確認してから能力を閉じた。

「ありがとうございます。……万が一爆発しても水中なら上手く威力とか殺せそうな気がしません?」
「材料の種類や質によるだろう、おそらく。まぁあまり威力のありそうなものには見えなかったが」
「ですねぇ」

 かたりと窓を閉めた斧上さんの元へ、サキちゃんが駆け寄っていく。それを横目に俺は前の車両へと歩き出した。手伝うか?と問う斧上さんに大丈夫ですと返し、その横を通り過ぎる。

「無茶はするなよ」
「はーい」

 相変わらずというかなんというか、見かけによらず心配性な人だ。世話好きな、という方が正しいのかもしれないが。
 この人に憧れた時期もあったんだよな、なんて思い返しながら、扉に手をかける。結局、すぐに諦めてしまったけれど。身の程を知ったと言ってもいい。
 どれだけ鍛えたってあんな風に強い体を得られるとは思えないし。
 この人のように、誰かを心配することなどできはしないのだ。

「じゃあ、また今度」
「おう」

 そう言って振り返れば、軽く手を挙げて応えた斧上さんに倣うように、サキちゃんが控えめに手を振っていた。それに手を振り返し、扉を潜る。

 連結部を越え、そうして次の扉に開けた。
 その時。

 床に倒れ伏す数人の男達の中心に立つ青年の、蒼い瞳と視線が合った気がした。

第5節

 後で予約の電話を入れる予定だったのだけれど。

 俺を視認した直後、彼は——片桐ルカさんは、そんなことを呟いて笑った。
 だから俺は、折角ですし直接受け付けますよと返し、後ろ手に扉を閉める。改めて彼を見れば、もうすでにその瞳の色は鮮やかな蒼から炎に似た橙色へと変わっていた。

「あれ、ハル君やないの。ついてへんなぁ、お互い」

 次に口を開いたのは、俺たちと同じく偶々乗り合わせていたのだろう"歓崎カグラさん"だった。彼は車両前方の座席の肘掛けに足を組んで座り、かちかちと通信機を弄っている。
 彼が自分の城とも言える第六工場——通称「技術開発室」から出てくるのは本当に珍しい。
 何ヶ月ぶりかの外出でトレインジャックに遭遇したのだとしたら、なるほど確かに"ついてない"といえる。
 他の乗客が怯えたように隅に固まっているのを一瞥して、俺は二人の元へ近付いた。

「お二人が居合わせてくれて俺としては有り難いですけどねー。おかげ様で早めになんとかなりそうです」
「そら重畳。ゆうて、俺はなーんもしてへんけどね」
「あはは」

 ちらりと見下ろせば、床に倒れていたのは4人の能力者であることがわかる。全員の体には殴られたような痕が一発ずつだけ合って、昏倒の要因がそれであることは明らかだった。
 相変わらず鮮やかなお手並みで、なんて考えながら顔を上げる。

 あ。

「そういえば……ルカさんルカさん。ここに爆弾隠してあるかもしれないんだけど心当たりある?」
「爆弾?」

 腕まくりをしたままだった袖を直していたルカさんは俺の問いに首を傾げて、それから小さな声でコードの入力を告げた。そして能力名の"ラプラス"を呟いた瞬間、彼の両目は先ほどと同じ蒼色に変わりすぐにある一点で視線が止まる。

「ああ、あれか」

 そう呟いて、ルカさんはつかつかと躊躇いなく一つの座席に向かい歩き出した。しゃがみこみ、その座席の下に手を伸ばして、そこから例のドラムバックを引きずり出す。彼は一度目を伏せて、こちらを振り返った。やはりあの蒼色は、両の瞳から消えている。
 すると俺のすぐ隣で、カグラさんが面倒臭さを前面に押し出した声を上げた。

「うわぁ。ほんまろくなことせぇへんなこいつら」
「最悪このまま研究島につっこむ予定だったんでしょーね。さっきも一つ見つけましたし」
「あーあー。神風特攻隊でも気取ったつもりなんやろうけど、ええ迷惑やっちゅーねん」

 彼は背もたれの上に肘を乗せて頬杖をつき、ひどく不機嫌そうに端末の電源を落として白衣のポケットにしまった。何か用事でもあったんですか?と問うと、昨晩メンテに呼び出された帰りやねんと返して欠伸を漏らす。
 その様子に苦笑を浮かべたルカさんが、爆弾入りのバッグをカグラさんの足元の床へ置く。

「先輩なら解体できるでしょう、これ」
「出来るけどやりたないなぁ。眠ぅて頭働かへん。適当に海にでもぶち込んどいたらええんちゃう?」
「3両目にあったやつはそうしましたね」
「ん。じゃあまぁ、それで。……————コード、承認。『瞬間移動』」

 刹那、"ひゅん"と風を切るような音が鼓膜を震わせた。と同時に床に置かれていたドラムバックが跡形もなく消失する。今頃は水底にでも転がっているのだろうか、なんて考えたところで。

 あまりにも乱暴に、一両目へと続くドアが開かれた。

 反射的に振り返れば、その隙間からは銃口が覗いていて。次の瞬間、武骨な指がかちりと撃鉄を下す。

 不健康そうな唇が、小窓越しに歪むのが見えた。

「死ね」

第6節

 轟音。
 しかしそれよりも早く、ルカさんは動いていた。
『瞬間移動』か『念動能力』か、そのどちらかを使い一瞬にして距離を詰めると、伸ばした左手で力任せに銃口を払う。予想外の反撃に遭いされるがままに逸らされた照準は乗客の頭蓋ではなく通路に置かれたゴミ箱を捉え、銃口から吐き出された弾丸がアルミ製のゴミ箱を凹ませる。
 相手――おそらくこの騒動を起こした男は即座に銃撃を諦め、手にしていたショットガンを床に放ると車両内へ踏み込んだ。たん、とバックステップで一度距離を取ったルカさんの顔の横を、男の重そうな拳が通り過ぎて。
 その腕に掌を軽く添え、ルカさんはその場で身を翻した。膝をついて重心を下げ、男の拳の勢いを削ぐことなく力の向きを変える。
 俺の目で追えたのは、そこまでだった。
 その後何がどうなったのか、あるいは何をどうやったのか、男の両足が浮いて。次の瞬間、ぐるりとその巨体が空中で一回転した。
 体が床にたたきつけられ、男の口から息が漏れる。
 受け身も取れずに思い切り頭を打ったのだろう。ぴくりとも動かない男を見下ろすルカさんの頭上に、カグラさんの拍手が降る。

「お見事。えらいえらい」
「どーも。で、こいつで最後ですかね」
「さぁ?それはハル君に聞いてもらわんと」

 こちらに集まった視線を受けて、俺は『遠隔感応』を起動した。先頭車両を中心にあいが向かった後方の車両までを範囲に入れ、片端からそれらしい人物を探していく。すると、恐怖、動揺、苛立ち――それらに混じって、ドロドロとした怨讐の念を膨らませる人物に行き当たった。
 距離から考えて、居処は先頭車両。ついでにいえば、BAGと特殊な武器とを接続するための能力"武装スキル"の反応もある。
 大当たりだ。

「前に一人いますね。それも、武装スキル持ち」

 そう口に出すと、二人の表情が少しだけ強張った。
 武装スキルを入れている能力者はそう多くない。そもそも戦闘用の能力を高ランクで入れていること自体が少数派なのだけれど、なかでも武装スキルは別格だ。
 専用の武装端末と接続する以外に使い道はなく、応用は全く効かない。その割にBAGの処理容量の大半をそれに消費しなければ起動することもままならず、長期間の使用には端末の定期的なメンテナンスが必須となる。
 しかし代わりに、その性能は計り知れない。
 最先端技術の塊みたいな兵器を常識外の演算機能を持つBAGを使って運用しようというのだ。
 普通の拳銃だのナイフだのが子供の玩具と成り果てるほどの、圧倒的な暴力性がそこにはある。
 現にルカさんは大きく溜息を吐いて、それから『ラプラス』を起動した。

「……出来れば奇襲しかけたいですね」
「お前も持っとるやろ、武装スキル。端末持ち歩いてへんの?」
「生憎と今は定期メンテに出してて」
「……いちおードライバーと鋏くらいは持っとるけど要る?」
「じゃあ鋏借ります」
「あ、なら俺囮になりますよ。そのあいだに制圧してくださーい」
「了解」

 無茶はするなよ、と斧上さんと同じことを言って、ルカさんは『瞬間移動』を起動しふわりと消えた。車体の上にでも飛んだのだろう。『ラプラス』――いわゆる千里眼の使用中なら、"内から外へ"のテレポートも大したリスクにはならない。何しろ文字通り千里に等しい範囲を見通し、物体の向こう側まで透視できているのだから、座標の計算は容易にして正確だ。

「さぁて、と」
「俺も手伝おか?」
「んー……ありがたいんですけど、こっち放っておくわけにもいきませんしね。あそこの人たちのお守りお願いしまーす」
「はいはい」

 俺の方は『遠隔感応』を起動させたまま、後のことをカグラさんに頼んで通路を進む。
 足取りは軽い。
 勿論相手は充分な戦力を所持していて、機嫌を損なえば俺みたいなのはあっさり殺されてしまうだろうけれども。
 そんなものは、誤差の範囲だ。
 善とか、悪とか、やっていいことと悪いこととか。凶悪犯とか、人格者とか。
 俺には全部、同じにしか見えないのだ。
 きっとそういう大事な判断基準が、もしくは価値観のようなものが、欠けてしまっているのだろう。
 だから俺は知人に会いに行くように、あるいは偉い先生の講義でも受けに行くかのように、大した気負いもなく最後のドアに手をかけた。

第7節

 がちゃり、と音を立てて、銃口がこちらを向いた。
 見たことのない形状だ。その右腕に直接埋め込まれているような、少しグロテスクな外見。銃口自体も先ほど見たショットガンよりずっと大きい。銃、というよりは、砲に近いものなのだろう。引鉄があるようには見えない。ということはおそらく脳からの命令で体を動かすかのごとく発射する類のもので、ならばこれが彼の武装端末だと考えていいだろう。
 ただそんなことよりも、彼の髪型の方が気になって仕方がない。なんていったって、モヒカンだ。しかも金色。昨今漫画や小説でしか見かけないような、それでいて自己主張がやや控えめのモヒカン。ソフトモヒカン、というのだろうか。とはいえ、髪型を指摘していいような場面じゃないことはわかる。こういうのってデリケートな問題だったりするし。

 そこまで考えてから俺は両の手のひらを開いて顔の横に掲げ、分かりやすく降参の意思を示しながら口を開いた。

「ええっと、初めまして」
「……頭沸いてんのかテメェ」

 普通に挨拶をしたつもりだったのだけれど、それが気に食わなかったのかあるいは無意識に視線が髪型へ向かってしまっていたのか、苛立った様子でトレインジャック犯たる男は銃口を俺の額に押し当てた。バンダナ越しに硬質な金属の感触が伝わって、俺は小さく身じろいだ。
 無茶はするな、と二度も言われている。

「別に危害を与えるつもりはないですし、そんな力も無いんで……ちょっと落ち着いて会話しません?」
「お喋りに付き合うつもりはねぇ、失せな。――テメェらみてぇな人間サマの家畜共を、革命のための尊い犠牲に昇華してやろうっつってんだ。おれたちに感謝するかその辺でブヒブヒ言ってろ」

 おぉっと、そうきたか――なんて思いつつ、『遠隔感応』で彼の記憶を片端から読み取っていく。昨日の決起集会、三日前に仲間内での爆弾制作、二週間前に"革命軍"とやらを作って――数年前の、お姉さんの死。どうやらこれが動機ってやつらしい。見かけによらずシリアスな理由だ。正直、それ以上の感想はないけれど。

「まぁまぁ、そう言わずに。あなたがたの計画はつつがなく進行しているんでしょう?ちょっとくらいお話させてもらえません?」
「……ほんとになんなんだテメェは。この状況で一体なんの話があるっつーんだよ」
「そうだなぁ。貴方のお姉さんの話とかどうです?人間に慰みものにされて挙句に"処理"された、貴方の2つ上の――生きていたら今日が21歳の誕生日だったお姉さんのお話」

 刹那。
 男は目を見開いて――同時に、銃と同化した右腕が強張った。それを支える左手が小刻みに震えている。能力を使うまでもなく、動揺が見て取れた。
 青ざめた顔面で必死に平静を取り繕って、男は言う。

「"テレパシスト"か」
「正確にはサイコメトリーとのハイブリッドですけどね。――ああ、待って待って。言ってるでしょ、危害は加えないって」

 なんて。
 落ち着けと言われて落ち着ける人ってあんまりいないんだけれど。

「復讐ですか?お姉さんの敵討ち。悔恨を晴らすための弔い合戦。まるで物語みたいな話だなぁ」
「知った……知ったような口を!テメェになにがわかるってんだ!おれたちのなにがわかるってんだよ!!」

 堰を切ったように、あるいは箍が外れたように、また歯止めが聞かなくなったみたいに。
 男は右腕を振り回し、左手で胸元をきつく握り締めながらそう叫んだ。恐慌と、怒り。ダイレクトに叩きこまれるそれらの感情に弱い目眩を感じて、俺は能力を閉じた。
 どうせもう必要のない力だ、構わない。
 一方で男は未だ冷静さを取り戻せずに、聞いてもいないことを喚き散らしている。

「どいつもこいつも……!復讐はなにも生まないだとか、そんなこと姉ちゃんは望んでねぇだとか言いやがる!!うっぜぇんだよ綺麗事ばっか吐きやがって!そんなことはなぁ、被害者になったことのねぇヤツだけしか言えねぇんだよ。火事の起きてねぇ対岸で生きてっからそんな無責任なことが言えんだ!殺されたんだ、姉ちゃんは殺されたんだ。苦しい悔しい痛い助けて許してって思いながら死んだんだ。なのに姉ちゃん殺したヤツは生きてんだ、おかしいだろうが!!おかしいことはおかしいって言うべきなんだよ殺したヤツは殺されるべきだ!無関係な人間を巻き込むな?知ったことかよそんなもん!これは大いなる復讐だ、それと比べりゃあてめぇらなんぞ1銭の価値もねぇ命だろうがぁ!!」

 言い切って、吐き出して――言葉を失ったのか、そこで彼は静かになった。ゼェゼェと肩で息をして、まだ何か言いたげに口を動かしている。しかしその喉から明確な言葉は出てこない。出てこなかったから、今度は俺が口を開いた。

「あのさぁ……俺は別に君の復讐を否定してないじゃない?」
「あ、ぁ?」
「なにも生まない?お姉さんは望んでない?そりゃあそうだよ。復讐って初めからそう言うものじゃないか。どこまでも自己満足でどうしたって自己完結だ。生産性も追悼の意も、問うだけ無駄だよ。だから、」

 俺が一歩前に踏み出せば、ほとんど反射的に彼は後ずさった。大して常識はずれなことは言っていないだろうに、そんなに彼の周囲の人間は善人ばかりだったのか。

「俺は君の復讐を否定しない。もちろん君の境遇を理解はできないけれど、殺すべきだと思うのならそうすればいい。権利資格の話をするなら、遺族である君にはお姉さんの仇討ちをする権利があるともいえる。いいんじゃない?復讐すれば。無関係な人間を巻き込むなとも言わない。そもそも俺には、無関係と有関係で命の重さが変わるのかの判断がつかないんだ。全部同じに見えるからね。ただし、」

 俺と男との間にある距離は、いまだ一定を保っている。おぼつかない足取りで、それでも男は後退していた。怯えているというよりも、おそらくは単純に動揺が限界点を越えたのだろう。ここに彼の仲間が一人でもいれば、すぐに立て直せたのかもしれない。
 しかしここにいるのは、俺と彼との二人だけ。
 そして付け加えれば、俺だってただの囮に過ぎないのだけれど。
 そんなことは知りもしないその男は右腕をだらりと下ろし、焦点の定まらない目で俺を見た。

「君のためとか君のお姉さんのためとかで死ぬ気は無いんだ、ごめんね」

 そのうちにバランスを崩した男が座席の背もたれに手をかけて、体を支える。
 瞬間、意識していなければ気がつかない程に小さな、空間を裂く音がして。
 男の背後に『瞬間移動』で現れたルカさんが、その側頭部に鮮やかな回し蹴りを叩き込んだ。

『念動能力』を併用していたのかもしれない。男の決して華奢ではない体が座席の隙間に吹き飛び、鈍い音とともに壁へと衝突する。
 完璧な奇襲。
 ルカさんの元へ駆けよろうとした俺に、しかし彼は男から視線を外すことなくいつもより数段平坦な声で答えた。

「離れてろ、まだ動く」

 言うが早いか、ルカさんの手からハサミが消える。次いで男の絶叫が響いて、俺は思わず両耳を塞いだ。
 数秒おいて、ゆらりと、力無く男は起き上がる。右腕――銃身の中央あたりに、先ほどのハサミが深々と突き刺さっていた。なるほどあれなら銃撃は封じられただろう。ただし、銃というのは飛び道具でありながらも、普通に鈍器として扱える優れものだ。
 出血と痛みと、もしかしたら脳震盪くらいは起こしているのかもしれない。時折ふらつきながらそれでも男はしっかりと両の脚を地面について、ルカさんを睨みつけた。その目に、もはや動揺の色は無い。

「邪魔を、するな。……邪魔を!するなぁアアアア!!!!」

 咆哮。それから男は大きく右腕を振りかぶり、ルカさんの脳天を狙って勢い良く振り下ろす。片足を退いてそれをかわした彼に、今度はその右腕を横薙ぎに払って距離をとらせて、男は逆の手を懐に突っ込んだ。
 続いて、ボタンを押し込む軽い音。
 けれど、男が思い描いていたような地獄絵図は広がらない。
 俺は水底に沈んでいる爆弾と、それからあいがなんとかしたであろう数個の爆弾を思って――男も同種の結論に至ったのだろう。舌打ちを1つ漏らすと、取り出した起爆装置を床に投げつけた。
 そうして、ぐるりと俺を見る。

「テメェのせいだな、全部。全部テメェが仕込みやがったな。ざけんなよ。おれの、おれたちの復讐を、よくも」

 男の足が、床を蹴った。

 まだそんなに動けたのか、なんて他人事みたいに感心していた俺と、トドメを刺しに動いたルカさんと。
 殺気立って駆け出した男とが、丁度"一直線上からズレた"その瞬間。
 背後のドアが、静かに開いた。


 振り返る――暇もない。
 どころか、男が反応を示すよりもずっと早く、俺の顔の横で何かが風を切った。
 その正体を知ったのは、男の肩あたりに"それ"が突き刺さった後のことである。

 矢。

 当たり前にプラスチック製の玩具ではなく、木と鉄とで出来た本物の。
 二度目の絶叫が轟き、そこでようやく俺は振り返った。
 ドアの先。正確に言えば2両目と3両目の連結部に立つ、弓を手にした少女。彼女――和佐ソラは次の矢をつがえたまま弓を下ろして、短く自身の相棒の名を呼んだ。

「ユーリ」

 それに応えるかのように駆け出した人影が、脇目もふらず俺の隣を走り抜ける。男は慌てて態勢を立て直したものの、到底間に合うはずもない。
 一方で人影は男の1メートル程手前で体を縮め、下から上へと男の腹部めがけて拳を突き上げる。
 視界の端で、ルカさんがさりげなく二人から距離を取るのが見えた。

「必ぃっ殺!なんかすごいパーンチ!!」


 ――かくして。
 信念を持ったトレインジャック犯達の崇高な革命計画は、舞台の裏側などまるで知らない少女"眠谷ユーリ"の一撃によって幕を閉じたのだった。
 そして、先頭車両のドアを開けた張本人たるあいは、後に笑顔でこう語る。

「言ったでしょ?
 この先の展開は知っている、って」

第8節

『能力者』居住区、南通り。
 記録資料保存館。通称——"記憶書庫"にて。
 現在時刻、13時25分。

「これがBの棚の856番で、次がDの002……あ、"ぴーつー"さん。そっちのファイルくださーい」

 腕に抱えた数冊の本を机に置いて、丁度Dの棚を整理していた人物、正確には等身大サイズの人形に声をかける。するとその人形の、パソコンモニターの形をした頭が振り返り、白手袋に包まれた手がびしりとキレのいい敬礼を作った。
 俺は手にしたメモの内容と机に揃えた本のタイトルとを見比べながら、不足がないことを確認して小さく息を吐く。

 これが俺の仕事であり、"記憶書庫"の役割だった。

 街の誕生から今日までに起こったことの全て、また起こらなかったことの全てを記録し、資料として保存して。申請があれば、どんな相手にでも求められる情報を提供する。完全に中立で、完璧に平等な施設。

「これで全部、かなぁ。"うぉーくん"うぉーくん、ルカさんの予約時間っていつだっけ?」

 そうカウンターに向かって声をかけると、時計頭の人形が予約帳を片手に陶器の指先で自分の顔(?)にあたる文字盤の長針と6を順に指し示した。もうすぐか、と返せば、どこか満足そうにうなづいてみせる。
 ぴーつーさんやうぉーくんは、記憶書庫の主人——"館長"の能力で動く本物の人形だ。AIが備えられている訳でもないのに、ある程度は自分の意思で動いている。"館長"曰く、無意識のうちに読み取った彼らの残留思念から擬似人格のようなものを設定してしまっている、ということらしい。俺にはよくわからないけれど、それが心だというのなら、まぁ希望のある話といえるだろう。
 物にも心は宿るのだ。
 脳を代替する部品があれば。

 少しぼんやりとしてしまっていたらしい。

 いつの間にかそばに来ていたぴーつーさんは先ほど頼んだファイルを丁寧に机に置いて、体を屈めるとこちらを覗き込んだ。俺の額に手をやって、器用に頭を傾けてみせる。無機質な液晶が、わずかに光を反射している。
 なんでもないですよと笑えば、彼は少しズレた俺のバンダナを直してこくりと一つうなづいた。よくもまあその重そうな頭が転げ落ちないものだ、と思うけれど、口には出さない。
 と、次の瞬間。
 柔らかな午後の風が、ふわりと館内に吹き行った。

 やや古びた両開きの扉が軋むような音を立てて片方だけ開いて、隙間から砂色の髪が覗く。ぴーつーさんがぱたぱたと"お客人"の元へ駆け寄っていくのを横目に、俺は笑って言った。

「いらっしゃいませ、ルカさん」



「——あとはこっちが最近の"門"の通行履歴で、それがここ2、3週間で起こった傷害事件の概要です。他に必要な資料があったら言ってねー」
「あぁ、助かる。いつも悪いな」
「いえいえ」

 ルカさんは席につくと、早速数冊の本を開いて机に置いた。うぉーくんが奥から淹れてきたアイスコーヒーを彼の邪魔にならないところへ置いて、静かに戻っていく。その背に「ありがとう」と告げたルカさんにうぉーくんはカウンター越しに頭を下げ、名簿の整理を再開した。
 俺はルカさんの真向かいに座り、先ほど集めた資料たちを改めて見る。
 外から街へと入るための"門"を潜った人物の一覧と、通った時間。加えて、最近活発に動いている組織や集団の概要。それらは、先日のトレインジャックの際にルカさんが閲覧予約を申し込んだ資料だった。普通に生活する分には必要のない情報、または"何を今更"と思うような情報ばかりである。
 とはいえ、割と忙しい立場にあるルカさんがわざわざ直接調べに来るということは、それなりに緊急性のある問題なのだろうけれど。
 その視線に気が付いたのか、ルカさんはちらりとこちらを見ると「気になるか?」と尋ねた。素直にうなづけば、彼はページをめくりながら口を開く。

「最近の会議で、"西区"の能力者が不審者に度々襲われてると報告があったんだ。また"東区"の連中と小競り合いでもしたんじゃないかって結論で閉会したんだけれど、それにしては説明のつかない点が多くてな。ちょっと調査中」
「ふぅん?」
「例えば——ただの喧嘩にしては似たような事件が連続し過ぎている、とか。争いに発展するまでの経緯が一切確認されていないこととか、一方で状況からは犯人の自己顕示欲がまるで伺えないこととか」

 とん、とんとルカさんの指先が机を叩く。意識しているわけではなさそうだから、癖のようなものなのだろう。いつも嵌めているグローブが、今日は外されていた。
 さらに二冊の文書を同時進行で読み取りつつ、俺への説明をしていても彼の作業速度が落ちることはない。

「それはなんていうか、不思議な話だなぁ。無差別手当たり次第っていうならそれなりに格好いい大義名分掲げてそうなもんだけれど」
「だよな。そして、そういう奴らは総じて自分の行為を正当化したがる」
「うん、ううん?だとしたら何かしら残していくよね。自分がやったって証拠になるようなもの。猟奇殺人犯が連続同じ殺し方をするのと同じ。あとは、手の込んだ方法をとるとか?でもそういうのはない、んだよね」
「喩えが物騒だけど、まぁそういうことだな。他に考えられるとしたら?」

 彼のついでにうぉーくんが淹れてくれた自分の分のカフェオレをストローで掻き回して、俺は考える。四角い氷が擦れ合って音を立てるの横目に、背もたれに体重を乗せて。
 ふと目をやった窓の外で、工場から煙が昇っていく。春の青い空が、その部分だけグレーの煙に侵食された。

「いち、奇跡的に偶然が重なっただけ。に、報復を恐れている。さん、実はまだ見えていないだけでちゃんと法則性がある。そして、よん。
 目的以外は本当にどうでもいい——大義を果たすためならどんなことだってする。1番めんどくさいタイプ。俺としては、4番を推すかな。……ああそれで、その資料なのか」

 合点がいった、とうなづけば、ブラックのままでコーヒーを飲んだルカさんが小さく笑う。
 今彼の手元に開かれているのは、"街"で現在も活動している組織の一覧と"門"の通行履歴だった。
 きっとルカさんも、俺と同じ結論に至ったのだ。だから、いち早くその目的と集団の全容を看破するために動いている。
 ただし、この資料館で毎日を過ごしている俺は、普段西区で働いている彼よりも早く情報を手に入れていた。

「でも、ルカさんの探し物はそこには無いでしょ?組織一覧は一ヶ月前、通行履歴の方は昨日の夜に更新された筈だけれど」
「……そうみたいだな。ここ最近はどこも大人しくしてるみたいだし、それらしい人、あるいは荷物が街に入った形跡もない。また1から考え直しだ」

 ぱたんと資料を閉じて、ルカさんは1つ溜め息を漏らした。その様子を見ながら、俺は大変そうだなぁなんて内心ひとりごちて。
 カフェオレを1口飲み、そこでようやく思い出した。

「——あ」
「ん?」
「ほら、この間のトレインジャック。あの人、2週間前に"革命軍"っていうに入ってた」

 脳裏に浮かぶのは、『遠隔感応』で読み取った犯人の過去。
 やけに鮮明に彼の脳に残っていたその記憶は、確か古びたバーの中で刻まれていた。

 薄暗い店内のカウンターに腰掛けて、1人の青年が酒瓶を傾ける。それを彼は苛立ち混じりに見つめていて。

「姉ちゃんの復讐か、復讐ねぇ」

 青年がそう笑うと、胸の底から重苦しい感情が湧き出した。衝動のままに摑みかかると、青年は喉を鳴らして笑う。

「いいんじゃねぇの?やれば。してやれよ。姉ちゃんの敵討ち。その方が面白い。殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺せ。どいつもこいつも、人間サマだろうがカミサマだろうが殺せばいい。これからオレらは革命の徒になるんだから」

 俺は、否。彼は本能的な恐怖を覚えて青年を突き飛ばして。なおも狂ったように笑いながら、青年は起き上がる。背後のカウンターに背を預けて、それから、芝居掛かった演技で片手を広げてみせた。
 ——ああ。そして最後に、青年はこう言ったのだ。

「そんで、お前も死ね」

「2週間前なら、最後の更新日の後だ。資料には載ってないよね」
「……それだな」

 呟いて、ルカさんは残りのコーヒーを飲み干した。椅子を引いて立ち上がり、腕時計の針を確認する。何処へ、と尋ねれば、トレインジャック犯の収容施設と彼は答える。

「まだ生かされているかはわからないけれど、まぁ1人でも生きていればそこから辿れる。今ならまだ面会時間にも間に合うだろ。ありがとなハルト、助かった」

 いえいえ、と手を振ってから、そういえばあの青年についてを伝え忘れていたことに気付く。普段頭を使わないでいるとこれだから困る。
 俺は慌ててルカさんを引き止めた。

「リーダーらしい人は白髪の青年でした。身長はカグラさんくらいで、フード被ってたから顔までは視えなかったんですけど」
「了解、覚えておく」

 彼はうぉーくんへご馳走様でしたと礼を述べて、足早に出入口へと向かう。
 その背をぼんやりと見送っていると、ルカさんは扉に手をかけたところで振り返った。

「ハルト」
「はい?」
「あの一件で、お前がテレパシストだってことと、犯人の過去を見てることはもう相手にもバレてる。口封じのために、……いや、たとえそうじゃないとしても襲われる理由は十分ある」

 気をつけろよ、と告げて、ルカさんは資料館を出て行った。ああいう人だから、みんなに頼りにされているのだろう。そりゃあ俺と同い年には見えないよなぁ、なんて一緒に歩いていた際散々「弟さんですか?」ときかれたことを思い出していると、資料の整理に励んでいたぴーつーさんに手招きされた。
 そういえば、仕事が残っているんだった。
 俺は一息にカフェオレを飲み干して、二人分のグラスをカウンターに戻しに立ち上がる。



 そして。
 ルカさんの警告の重さを俺が思い知るまで、あと、9時間。

水槽の街

水槽の街

〈2136年。人類は、超能力者の製造に成功した。〉 脳内に超小型のメモリーチップ「BAG」を埋め込んだことにより、彼らは超能力者となった。しかしそれを危険視した政府に、ある街へと収容されることに。 それから約8年。 人権すら奪われた彼ら「能力者」は、今日もこの街で生きていく。

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-01-28

CC BY-NC
原著作者の表示・非営利の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC
  1. この街は水槽のようだと、誰かが言った。
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