ニールの瞳
ニールの瞳に星が棲みついた。
そう教えてきたのは双子の片割れのセオで、またいつもの空想かと無視するにはあまりにも必死な様子で言うのだった。
ニールが星になってしまう。そうなったら、離れ離れになってしまったら、ぼくは生きてゆかれないよと。
違和感があった。セオは、こんな風なことばを使う子だったろうか。
気弱なニールを引き連れて、あちこちに冒険をしに行くのがセオ。やんちゃが過ぎてニールを困らせる、それがいつもの姿だった。生きていけないだなんて、この子が言うだろうか。それとも似つかわしくないことばを口にするほど、ニールが危険な目に遭ったのか。
彼に手を引かれるまま自宅へ赴けば、ろうそく一本の灯りをともした大部屋に、椅子に座ったニールがいた。や、来たんだね。優しく木々を撫でるような声に、特段変わったところはないように思えた。ニールとセオ、二人きりで暮らす家はいつ見ても殺風景だ。整理整頓が行き届いているどころか、まるで失踪直前の、身辺整理のようだとも思えてしまう。
掲げていたランタンをニールの顔へかざす。眩しそうに大げさなまたたきをしたのちに、涙に濡れた双眸が現れた。
「これが星だよ。……治して、お願いだから」
隣から聞こえた縋るような声に、首を振った。少し充血しているようだが、その他に異常は見受けられない。心配のしすぎではないのか。星なんてどこにもないが、しかし見間違いもありうる。夜が明けたら専門家に、ちゃんとした医者に診せに行こう。そう言えば、セオはほっと息をついた。
次の日、町一番と名高い医者のもとへニールを連れて行った。医者は彼を見るやはっと息をのみ、顔を青くした。
これは確かに星だ。ニールの目には星がいる。このままでは、彼は居なくなってしまう。
そう呟き、医者は進行を遅らせるという薬草を差し出した。近頃よく見かける、色とりどりの粒状の薬は処方されなかった。これは一般的な病とは違うから、と、医者は弱々しく言った。
帰る道すがら、ニールを見た人々は口々に言った。ある者は陰口のように、ある者は堂々と。
ごらん、あの目は星だ。
今に星に連れ去られるね。
よそ者、あんたの仕業かい?
怪訝に思って尋ねれば、古くからの言い伝えがあるらしい。何十年、何百年に一度、目に星を宿した子供が生まれるのだと。その子は、村にたぐいまれな幸福―もしくは不運を―もたらしたのち姿を消し、二度と人前に現れないのだと。
この言い伝えを信じているらしい者に適当な相槌を返し、双子を家へと送った。近所の者も世話をやいてくれると言うし、今日はもう安静にしているのが良いだろう。言うとセオは不満げな表情を見せたが、渋々ながら首を縦に振った。
夏が過ぎ、秋から冬へと季節は移り変わった。
村での出来事や同年代の子供が学校で学んでいることを、双子へ教える日々が続いた。双子はこちらの来訪自体がよほど嬉しいのか、行くたびに手製の茶や菓子でもてなしてくれた。もとより、二人は学校に通っていなかったらしい。読書のほか、たまにやってくる「先生」から読み書きを習っている、と二人はことば少なに語った。
ニールの目は徐々に星に近づいていると医者は言うが、正直、その変化はまったく分からなかった。
外に立っているだけで身体が凍りつきそうな日のことである。星月夜、という形容があてはまる、明るい夜だった。
恒星やいくつかの惑星が、雪が降り積もった道を照らしている。だからだろうか。雪をかき分けたどり着いたあたたかな家で待つニールの目に、確かに今日は星があった。
夜空を写し取ったような黒の中に、藍と銀とをたたえた二対の光がきらめいている。彼自身へそう言うと、やっと気付いたのか、と言いたげな視線が突き刺すように向けられた。
「セオは出かけているのか」
ニールは頷く。膝にかけられていた毛布の端が、音を立てて床へ滑っていく。
「夕飯は。済ませたのか?」
また、一つ頷くだけだ。はしゃぐセオを見ているときのように、にこにことしながら。
それにしてもセオはどこへ出かけたのだろう。明るいとはいえ、子供が一人で外出するような時間ではない。急用なのだろうか。
「……目が。……きみの目が星と言われる理由がやっと分かった。最初の頃と比べて、随分と症状が進行してしまったのか」
再び頷こうとするニールへ、ことばを向ける。
「それで―セオは、どこへ、行ったんだ」
ニールは動かない。
暖炉の赤い火だけがゆらゆらと、静かに踊っている。
「―違うな。ニールもセオも、どこへ行った。
きみは、誰だ」
座っているのは一体誰だ。震えそうになる声を押さえつけて問うと、双子によく似たそれはまた、にっこりと微笑んだ。
「あの言い伝えは本当だったんだよ」
だけど、星が棲むのはきまって双子の片方なんだ。そう、星が教えてくれた。
「それでどうしてお前の片割れがいなくなる。いいや……誰、ではないのか。きみは、どちらなんだ」
「私は私。ただ、この目はセオのものだよ。彼が初めてあなたのもとへ行ったとき、もう、彼は彼じゃなかった」
離れ離れになったら生きてゆかれない。
だからぜったいに離れないよう、生きてゆけるよう、二人で強く結んでおくことにしたのだと、ニールは―セオは―笑った。
「ぼくはあの日の前日に、深い川に落ちたんだ。雨が降った山道を、赤い実を採って帰る途中で……足を滑らせてしまって。いつもみたく、セオが助けてくれた」
けれど何もかもがいつも通りという訳ではなかった。身体をしたたかに打ち付けていたうえ、失われた体温は一向に戻る気配を見せなかった。
セオは願ったのだ。自分の身体を分けたって良い、ニールを助けてほしいと。暗い空に。神とも名の付かぬ存在に向かって。
「だから、この目の煌めきはセオのものだ。もっとも、セオは無意識だったと思う……冷たくなった私の身体にびっくりして、あなたを呼びに行ってしまったんだから」
「……光が強くなったのは、終わった、ということか」
「その通り。セオはぼくになったし、ぼくはセオになった。もう、何があったって離れ離れにならないよ」
だけどなんだってセオがばかだなぁ、とニールだったものは笑う。
「私が見たいと思うのは、セオと一緒に見る景色だったのに」
星になったらどうやって話をすればいいの。
そう泣きそうな声で言うものだから、思わず頭を撫でた。そして無言で手を引き外へと連れ出す。息を呑む音がした。
「片割れの選択を無駄にしたくないのなら、星を見れば良い」
それはかつて、自身に向けられたことばだった。
この身体に溶けた片割れが言っていた。ひとつ所で過ごすにはあまりにも永すぎる命を持て余さないようにと、思い出したいのなら空を見上げろと。
絶望するんじゃない。幻滅するんじゃない。
ともに見た空の一つや二つ。美しいものもあるだろうと。
「……綺麗だね」
自分に言い聞かせるような声音だった。
「あなたはこんな風に綺麗なものを、いくつも知っているの?」
「お前よりも長く生きている分は、な」
「じゃあ教えてよ。あなたの話を聞きたいよ。美しいもの、みにくいもの、楽しいこと、悲しいことすべて、あなたの知っているものを聞かせてよ」
二つ返事をする。あいにく、時間だけは山ほどある。
吐く息は白い。戻ろうと再び手を引いた。氷のようになった手は小さかったが、存外に厚みがあり、しっかりとしていた。
「……ねえ」
「何だ」
「セオは、あなたによく懐いていた」
そのようだった、と返す。互いに、顔を見ようとはしなかった。
「だからなのかな。ぼくがセオになったのではなくて、セオがぼくと一緒に私になったのは」
答えない。
「セオは優しいね。……優しくて、残酷だったね」
返事の代わりに、手を強く握り直した。
ニールの瞳