忘年会
今年もこの時季がやってきた。
年末が近付いた平日の午後、外はもうポツリポツリと店の明かりが目立ち始めた。明はこの日も仕事をサボり行きつけの喫茶店に入るといつものように窓際の席に座り、お気に入りのインドモンスーンのブレンドを頼む。
彼はここから、街を行きかう人々を眺めるのが好きで、季節ごとに変わる街路樹と人の装い、行きかう人々のさまざまな表情を見ては一人妄想に耽り、慌しく行きかう人の動きとゆっくりと過ぎる時間のコントラストを楽しんでいる。
マスターが運んできてくれたコーヒーは、いつものようにそのベースの豆の持つどこか紅茶を思い出させる芳醇な香りをたたえていた。一口飲むと午前中訪問したお客の無機質な顔が思い浮かんだが、その味と香りとともにそれが消えた頃、カランとドアのベルがなりひとりの男性が入ってきた。
「いらっしゃいませ」店の若いウエイトレスが声をかける。
男はそれが聞こえたのか、彼女のほうに目をやり店内をくるっと見渡すと明を見つけ近付くといつもよりかすれた声で声をかけた。
「まいど!」
窓の外を眺めていた明はその声に気がつき目をやると、脇に立つ同級生の隆の姿があった。
「おおっ、おまえか。こんな時間に珍しい、こんなところで油売らないで仕事しないか」
余計なお世話と思いながらも、明らしい歯に衣着せぬ言葉に彼なりのジョークで答えた。
「おまえこそ仕事ちゅうやろ」隆は向かいの椅子に座りながら笑いながら言った。
「確かにな」と二人は声を出して笑った。
オーダーをとりに着たウエイトレスに隆はコーヒーを注文し、それが来るまでの間二人は日常のたわいも無い話をする。いよいよ天皇杯の決勝を戦うチームが決まったと訳も無くサッカーの話をしていると、明は隆の声が擦れていることに気がついた。
「お前、声、おかしくないか?」
口に運んだカップを下ろしながら明がいった。
「ああ、ここのところ忘年会がおおくてしんどいねん。当然二次会のカラオケ誘われて・・声もかれるちゅうねん」
隆はいささか疲れたようすで、関西暮らしが長かったせいかすっかり関西弁になっている。
彼の頼んだコーヒーが運ばれると、一口のみ「ふーっ」と息を吐いてはようやく休めたと力を抜いた。
「お前、酒呑まないだろ」
明は隆が酒を飲まないことは長い付き合いで知っている。彼と一緒に食事をしても、ビール一本あれば済むような状況で、その後はお茶でも十分盛り上がれるので随分安上がりである。そんな隆が忘年会で二次会まで付き合う気が知れなかった。
「ああ、呑めないものはこの時季辛いな」
湯気のあがる、立ちたてのコーヒーを口に運び愚痴をいった。明は隆の言葉を聞いて一匹狼らしく、呆れたように
「お前相変わらずだなあ、嫌なら参加しなけりゃいいじゃないか」といってやった。
明は嫌な忘年会に参加する隆の気持ちがいつも理解できない。彼本人にも何件かの取引先と職場から毎年誘いは受けるが、そのような席で飲む酒の不味さを知っている彼は、場の雰囲気が暗くなることが分かっていても「ありがとう」といった後に「ごめん、その日は用事があって参加できません」とことごとく断ってきた。勿論そんな用事が有る訳もなく、誘う側も心得ているが礼儀誘っているまでの事。いつも普通に帰宅すると妻と食事をともにし、好きなCDをかけては自分の時間を楽しんでいるだけであった。
「そりゃ、そうだけど、お前みたいにいかんわけよ、付き合いとうのもあろうが」
隆はこれも大切な仕事のひとつなのだと、半ば諦めムードで明に言った。
「お前なあ、仕事って、忘年会ひとつ参加しないからそれで取引できなくなるような相手なら先は知れている。そうは思わないか?」
「そりゃわかるよ、わかるけどやな・・・」
「けど何よ」
「そこは付き合いも大事やろ」
隆は最後の一口を飲むとそう答えた。明も以前は隆同様誘われるがまま参加していたが、あるときバカらしくなりそれ以来付き合いは止めた、しかしだからといって取引先が逃げたわけでもなければ、取引き停止になったこともなく、今までと同じように仕事付き合いは行っているし、職場でも同じように仕事をしている。
「お前な、お前にこんなこと言っても仕方ないけど、自分が付き合いと思っているだけよ。
変わるのが怖いだけ、そんな時間使うなら嫁さんと一緒に食事して、その忘年会の一部はWFPや国境なき医師団にでも寄付したらどう?世の中食えない人一杯いるのに」
明らしく説教めいた言葉を吐いてしまった。もっともそんなことで隆が変わることがないくらい明も十分分かっての話。相手が隆だから言えるまでのことではある。
「まあな」隆は一言答えただけであった。
その話をはぐらかすかのように隆は現在の政治経済やスポーツの話に話題を変え、それに付き合うかのように明は冗談を交え中年男の会話が続いた頃、外はすっかり暗くなっていた。時刻が気になったのか隆は左手を少し上げスーツの袖から出た、ロレックスの時計を見ると慌てたように明に言った
「あかん、こんな時間や。これからいかんとあかんねん」
「こんな時間にどこへ行くの」
「これからまた忘年会やねん、ほいたら・・・またな」
小銭をテーブルの上に置くと軽く右手を上げ、脇に置いた黒い鞄を下げると、いそいそと店を出て行った。
「たく、相変わらずだな・・・」
歩道に出て、急ぎ足で去っていく隆の後姿を窓ガラス越しに追うと、彼は遠ざかり直ぐに見えなくなってしまった。
「明さんは気楽でいいですね」
話が聞こえていたのか、隆の飲み終わったカップを下げにきたウエイトレスが明に声をかけた。
「お前、盗み聞きしてたな」と冗談顔でウエイトレスを睨むと、彼女は笑顔を作る
「盗んだわけじゃないですよ、明さんの声が大きいから自然に耳に入っただけです」
彼女はソーサーに乗ったカップと水の入ったグラスを持ち、前に立っていて明をみた。
あはは、と笑うと
「そうだな、みんなかわいそうだな・・・分かっていても変えられない」
誰に言うわけでもないようにウエイトレスにそう答え、また窓の外に目をやった。
ぼーっと眺めると車道を走る車が点したヘッドライトは光の帯のように流れ、歩道には多くに人がコートやダウンジャケットを着て急ぎ足で通っている。
「さて、俺は帰るとするかな・・・嫁さんの待つ我が家へ」
そういうと立ち上がり、隆の置いた小銭を財布へ入れると
「ご馳走さま」と1000円札をウエイトレスに渡し釣りを受け取ると店を出る。
「二人とも・・・良いお年を」そう声をかけると
「そうですね、明さんも良いお年を」とマスタがーがいい、釣られるようにウエイトレスも「良いお年を」と明に言うと彼は振り向き、片手を挙げるとドア閉め店を後にした。
店内にはアラジンのストーブが青い火を燃やし、その熱で窓は少し曇っていて外にはちらちらと雪が舞い始めていた。
この日も多くの店で忘年会が行われようとし、多くの人がそれに参加しようと道をいそいでいるのだった、酒好きも、酒が嫌いなもの一応に。
忘年会