眼の眩むような空

『五月二十三日』とうとうやってしまった。なぜあんな形で当たってしまったのだろう。頭がカッとなって、目の前の娘に、つい……。とにかく、その時はどうかしていた。自分が怖い自分が怖い自分が怖い。
 ――色の褪せた、古い日記帳。そこに書かれている言葉は、悉く息苦しい。ボールペンで書き殴るように記された右上がりの筆跡もまた、私の触れられたくない場所に潜り込んでくる。日記帳の持ち主は、この世界で唯一、私を乱暴に扱う人物であった。
「由理? 顔色悪いぞ、大丈夫か?」
 健吾の優しい声音に、意識が過去へと逆流していた私は、ようよう我に返る。窓の外を見ると、見知らぬ田園地帯が広がっていた。自分の町から離れたことに、僅かばかりの戸惑いが胸を突く。
「今どのあたり?」訊くと、健吾は前を向いたまま、
「うん……」と首を捻る。そしてハンドルを切りながら、「まあ、大きなところに出たら判るでしょ」などと呑気なことを云う、「……そろそろ、昼飯でも食うか?」
「まだ十時前よ」、私は苦笑まじりに答える。
「でも朝早く出たから、もう腹が鳴ってるんだけど」
「そうね。じゃあ、どこかで食べましょう」
 三十分ほど車を走らせたところにパーキングエリアがあったので、私達はそこの食堂に入った。健吾はラーメンを、私は軽めの定食を注文した。店内にいる行客は家族連れが多く、これから遊園地にでも行く予定なのだろうか、子供達はパンフレットを指差して何やら楽しげに云い合っている。眺めているうちに、知らず知らず目尻が下がる。
忘れた方がいいよと、目の前で美味しそうにラーメンをすすっている健吾に云われたのは、つい昨日のことだ。私の誕生日でもあったその日、初めて彼に、自分の生い立ちを話した。そして三カ月前に母が死んだこと、葬式には行かなかったこと、いまだ墓にも参っていないことなどを打ち明けた。すると健吾がいきなり口を開き、「忘れた方がいい、そのためにも墓に参るんだ、区切りを打つために一度参った方がいい」と云い出したのだ。ローカルのテレビ局に勤める健吾はスケジュールが不規則で、今日も夕方から出勤しなければならない。だから、母の墓へ行って帰ろうと思えば朝の五時には出発しなければならず、私は何度もかぶりを振ったのだが、彼は「いや、どうしても行くべきだ」と譲らなかった。
 友人の紹介で知り合って二年、付き合い始めてから三年、合わせるともう五年にも及ぶ関係だ。疾うに三十路を越えている者同士、大きな争いもなくゆったりと愛を育んできたが、しかし今回、彼の必死な形相には鬼気迫るものがあって、心底驚かされた。私が頑として頷かなければ、頬をはたいて腕を引っ張ってでも車の中に押し込んでやろう、という雰囲気が健吾からは感じられた。母の墓へ行くつもりなど一抹もなかったのだが、私はなかば気圧される形でここまでやってきた。
「このラーメン、案外うまいぞ。食ってみなよ」
健吾に勧められ、私はレンゲと箸を使いラーメンをすする。関西風の味付けであるそれは、農口醤油と鶏がらスープに、昆布や鰹だしのほのかな甘味を感じられるものだった。健吾は頬杖をついて店内を見渡している。私は、彼の思惑がいまだ掴めずにいる。
 再び車に乗り込んで、パーキングエリアを後にした。母の実家がある県にはもう入ってしまっている。もう少ししたら馴染みの景色が見られるようになるだろう。
二十四年――その数字が頭を過ぎるなり、にわかに心音が速まり出す。私はかすかな息苦しさに両手で胸を押さえる。おい、大丈夫か? と健吾がフロントガラスとこちらを交互に見やりながら訊いてくる。私はうっすらとした微笑みを返す。
「とりあえずどこかに停めるよ」
「ううん、大丈夫だから」
「でも……」、彼は舌の上で不安を転がす。
 私は時折過呼吸を引き起こす。ショックを与えられたり、何か焦るようなことが起こったり、遊び半分でも脅かされたりした場合、突然喉の辺りが圧迫されるのである。母の生家が、母の眠る墓が近づくにつれ、動揺し始めている私を、健吾は心から案じてくれているようだった。
「まだ話し切れていないこと、聞いてくれる?」、私は呼吸を整えながら云う。
「お母さんとのこと? いいよ、無理して云わなくても」
「ううん、聞いてほしいの。あなたに知ってもらいたいのよ」
 ギアを落として追い越し車線に移り、運送会社の大型冷凍トラックを素早く追い抜いた後で、健吾はゆっくりと顎を引いた、「判った。……だけど、苦しくなったらすぐにやめろよ」
 うん、と告げてから、私は時間をかけて慎重に記憶を紡ぎ出す。まだ小学生だった頃の映像が薄ぼんやりと浮かび上がってくる。三つ編みを垂らした少女は、アパートのベランダから入る陽射しを浴びながら黙々とクレヨンを動かしている。画用紙の中に広がる絵は、父と母そして私が、仲良く手を繋いで散歩しているものだった。
今思えば、それがいけなかったのだろう。台所から母がずかずかとやってきて、画用紙を取り上げてまじまじと眺めた。途端に眉が吊り上がり、唇は醜くゆがんだ。私が口を挟む間もなく、画用紙は縦に横に、斜めに千切られていった。木っ端みじんになった紙片が頭に降りかかり、それを拾い集めようとした矢先、母の足に胸を強く突かれた。私は痛みを堪えて、団子虫のように丸まった。それがいつの間にか身についた自衛手段だった。母はなおも攻撃の手をゆるめず、近くにあるもの――電話の子機やら裁縫箱やら分厚い雑誌やら――で私を痛めつけた。ごめんなさいと懇願するのは、もうやめていた。言葉など暴力の前では塵芥同然であると気づいていた。それは、母の体力と気力がなくなるまで続いた。
 だから私の体にはたくさんの青痣が残った。学校で隠すのが大変だった記憶がある。その反面、誰か早く気づいて、という願いもあった。しかし、青痣が顔にできると学校へは行かせてもらえなかったので、誰かに気づかれるようなことはなかった。私は過呼吸持ちであり体も強い方ではない。それが学校を休む理由に大きな説得力をもたらした。
 私に負けず劣らず、母も弱い人であった。とりわけ精神の弱い人であった。
その元々軟弱だった心にひびを入れたのは、まぎれもなく父の浮気だった。私が小学四年の時、父が唐突に「絹江」と母を呼んだ。母は焼き魚の身を口許に持ってきたところで静止した。無論、私も驚いた。父が母の名を口にするなんてことは滅多になかったからだ。そしてその次に吐き出された言葉は、
「好きな女ができた」という信じがたい響きを伴って、耳に届いた。しばらくの静寂の後、母がわっと食卓に泣き崩れた。悲鳴にも近い泣き声は、まさに獣の慟哭であった。父は三行半を突きつけたが、母は泣いてばかりいて頑として受け取らなかった。そのような張りつめた均衡が半月ほど続いたのち、ある女の出現で、あっけなく破られた。
「由理ちゃん?」ドアを開けると、開口一番にそう声をかけられた、「おいしいシュークリームを買ってきたわ。一緒に食べましょう」
女はドアの隙間をするりと抜けて三和土に入ってくる。どちらさまですか、という言葉を呑み込んだ私は、すでにお父さんの「オンナ」だと直感していた。そんな私を尻目に、女は勝手に侵入してきて、冷蔵庫や姫鏡台の抽斗を開けたり風呂場やトイレの中を見たりした。お母さんは今いません、と強い語調で云い放つと、だから来たのよ、などと女はしれっと答える。そして部屋を一通り調べ終えると、優越を浮かべて鼻で笑った。私は、その洋服から態度まで派手派手しい女を嫌いになった。
 それから何度か女は我が家にやってきては、愚痴とも自慢ともつかない話をして帰っていったが、ある日、とうとう帰宅した母とばったり鉢合わせしてしまった。スーパーの買い物袋を提げた母と、食卓でゆったりシュークリームを頬張る女は、しばしば見つめ合った。私は窓際で絵を描きながら、内心びくびくしていた。
「あら、あなたが絹江さん? 思っていたよりずっと下品な顔立ちをしていらっしゃるのね」口火を切ったのは女の方であった、「あの人、あたしがいいんですって。だから別れて下さいな」
 体が激しく痙攣している母は、しかし何も云わなかった。下唇を強く噛んだまま、僅かにこくりと頷いた。離婚していただけるのね、と女が念を押すと、母は融通の利かない体に鞭打つようにして、再び頷いた。それからである、私に暴力を振るうようになったのは。
虐待が始まってからいろいろと判ったことがある。一つ目は、母が内弁慶であるということ。他人には口答え一つできないくせに、実子の私に全力で牙を剥いた。二つ目は、密かに日記をつけるようになったこと。書いている内容は判らなかったが、夜遅くまで起きて黙々と書きつづる後ろ姿を幾度も見かけた。私の眼には、それはとても恐ろしい光景に映った。三つ目――私は母にこの上なく愛されている、ということ。矛盾しているかもしれない。でも、そう感じるのである。とりわけ虐待後の精根尽き果てた母は存外優しく、そして可哀相だった。
「私にはあなたしかいないのよ。もっとぎゅっと抱き締めてよ」、母は泣きながら哀願する。
私は素直に従う。泣かないで、と声をかけると、ますます泣き声に拍車がかかり、髪を梳いてあげると、母も私の髪を丁寧に撫でてくれる。「ごめんねえ、ごめんなさいねえ」という声に、「大丈夫だよ、お母さん」と答えてあげる。私達はそんな淋しい夜を際限なく過ごした。
 愛と憎は切っても切り離せないものだと云う。まさしく、母の手には二つの感情が宿っていた。愛する感情は相手を傷つけるために憎悪へと向かい、それは欲望の充たされる場所まで続いてゆく。その場所に行き着くと、今度は反対に渇望が芽生える。大地はからからに乾き切っており、そこには愛情という水が必要なのである。だから、母は暴力の果てに、むさぼるように愛情を求めるのである。
「――最低だ」と、ここで健吾は吐き捨てるように云った、「間違ってる」
「でも母は追い込まれていたのよ」、私はつい弁護する口調になる。
母のことは心底憎んでいる。が、理解してもいる。自分は一体母に対してどう思っているのか時々判らなくなる。今も、胸中で渦巻く感情の性質がどのようなものかよく判らぬまま、ただ喋っている。
 気づけば車窓から見渡す景色に、見覚えのある色が混ざり始めている。十四年もたてば建物も人々の身なりも大分変わってきているはずだが、でも、この町特有の色合いはずっと変わらないなと私は思う。町の雰囲気はそうそう変化するものではない。だから人々は故郷を忘れないのだろう。いくばくかの平静を取り戻した私は、
「ねえ。車は駅にでも停めて……歩かない?」と提案をする、「ゆっくりと町並みを見ながら歩いてみたいの」
「うん、そうだな。心の準備もあるだろうし」、健吾の洞察力は意外に鋭く、そして優しい。
 昔通っていた小学校付近に、今でもこぢんまりとした駅舎が佇んでいる。赤土の駐車場は狭く、公衆トイレだけが改装されていた。そこに車を停め、私は母の日記帳をバッグに収めて外へ出た。伸びと一緒に深呼吸をする。
決して悲しい思い出だけではなかった、と私は胸のうちで独りごちる。そう、楽しい思い出もあるにはあったのだ。
 例えば――買い物帰り、母と土手に座って川向うを眺めていた時のことだ。かさこそと音を立てて足許を這う蛇に気づき、私達は慌てて飛び退いた。母は靴下をはいていたが、素足にスニーカーをはいただけの私の足首には、赤いふくらみが二つできていた。母は短く悲鳴を上げた直後、私の足首を掴んでそこに唇を持っていった。血を強く吸い上げ、ぷっと道端に吐き出す。母は顔を真っ赤にしながらも、私の足首から何度も何度も血を吸い上げては捨てた。その時の嬉しさと誇らしさといったら、なかった。私は足の痛みも忘れて、ずっとこんな時間が続いたらいいのにと思っていた。
「だけど、それ以上の苦しみを与えられたんだろ」、健吾は苦々しい顔で云う。
 私達は今、ゆるやかな勾配の丘陵を上っている。遊歩道を一歩一歩進むにつれて、鉄柵の下に広がる町並みが小さく遠く離れてゆく。この丘の中ほどに実家はあり、頂上へ行けば母の眠る墓地がある。
「悪い思い出から逃れるために、いい思い出が強く残っているだけだよ」
「……そうね」と私は囁く、「きっと、そうね」
 父と離縁した年の、七月の終わり頃――そう、ちょうど母が暴力を振るい始めてふた月過ぎた頃、彼女の日記帳にはこのようなことが書かれていた。
『七月二十五日』腹の底には、様々な欲望の熱があるのだと判った。どのような悪事も発端は欲望で、それは誰もが腹の底に溜めている。ただ、一生のうちに引き起こすかどうかの問題でしかないと思う。私は今日、娘を自分のものにしたいという欲望のあまり、今でも身の毛がよだつほどのひどい仕打ちをしてしまった。私は明らかに欲望のやり場を間違えてしまった。
 私もその日のことは、はっきりと憶えている。それを思い起こそうとした瞬間、心臓が一度大きく跳ね上がり、やがて急き立てられるように早鐘が鳴り出した。息苦しくなり、呼吸の合間合間に悲鳴に近い鋭い音が混じる。咳をしながらうずくまる私に、健吾は慌てて手を伸ばす。私は笑って立ち上がろうとするが、咳はいよいよ激しくなってくる。過呼吸が始まったのである。
「待ってろ、すぐ戻ってくる!」と健吾は云い残し、どこかへ走り去っていった。
 私は地面に倒れ込み、まるで溺れるかのような息苦しさに必死で耐える。朦朧とする意識の中に、あの日の記憶がゆらゆらと甦る。七月二十五日。罵り合う母と男。襖の隙間から覗く私――。
 ひどく暑い日であった。台所では母と、恋人である男が、何やら口喧嘩を繰り広げていた。私は隣部屋の、細目に開かれた襖から様子を窺っていた。母は花瓶を床に叩きつけ、男もテーブルを蹴り飛ばし食器棚のガラスを割った。徐々にエスカレートしていった末、男はネクタイを外すなり、それで母の首を絞めた。そんなにダンナのことが好きなのか? だったら再婚しろよ。俺は所詮ダンナの代わりか? 男はそんなような言葉を吐いた。だいいち子持ちのオマエなんかをダレが相手にするんだよぉ遊びだよアソビぃ……。
やめて! と、私が涙声で男の膝にしがみついた時には、すでに母は解放されていて、咳き込みながら床に突っ伏していた。男は舌打ちをし、アパートを出ていった。母のそばに寄り、私は大声を上げて泣きついた。すると平手が飛んできた。一瞬、視界に砂嵐が流れる。あんたのせいであんたのせいであんたのせいで、と母は執拗に呟き続け、拳を振り回した。私はとっさに例の団子虫の構えをしたが、やがてそれすらもできないほど意識は遠ざかっていった。
眼が覚めた時には、目の前に母の尻が、あった。そこから小便が降ってきた。私には顔をそむける気力すら残っておらず、体が生温かいそれに濡れそぼつのをぼんやりと見ていた。どうしてそんなことをするの? ねえ、お母さん、どうして? 声無き声で何度も問うたが、無論返事は返ってこなかった。目前には、母の大きな尻が、ただただ浮かんでいた。尻は小刻みに震え、どうやら嗚咽を噛み殺しているようであった。
「……由理! おい、しっかりしろ!」、健吾の声が聞こえる。
間遠だったそれは、次第に現実味を帯びてくる。頬を二度三度、軽くはたかれる。
眼を見開くと、そこには真剣な面差しの健吾がいた。私の口許には紙袋があてがわれている。過呼吸は血流の二酸化炭素が低下して起こるものだ。紙袋を口に当て、自分の吐く息をまた体内へ戻してやるのが治し方の一つだと知っている彼は、
「近くに店がなくて焦ったよ。それで、畑で働いているおばあちゃんが紙袋を持っていたからさ、譲ってもらったんだ」と笑う。私も平静を取り戻すと、
「この袋の中、何だか甘い香りがするわ」と云って笑みを返す。
「桃が入っていたんだ。野良仕事の合間に食べるつもりだったんだろう」
 それを聞き、妙に嬉しくなった私は、もう一度紙袋の中に鼻を沈める。健吾も顔を近寄せてきて、しばらく二人して仔犬のように嗅ぎ合った。
 一時期、私は生きることに無欲だった。周りを見回せば、どの人も一瞬一瞬のまばたきの中で自分を満喫しているように思えた。そう思えば思うほど、私という人物がいかに荒んでいるかを実感した。
 小学校の卒業式が終わり帰宅してみると、部屋はがらんとしていた。姫鏡台や洋服箪笥の抽斗がどれも乱暴に開け放されていて、私の物以外は全部なくなっていた。私は卒業証書の入った筒を持ち、赤いランドセルを背負ったまま、茫然と母の残り香の漂う部屋を見つめた。翌日、翌々日……一週間たっても母は帰って来ず、食卓の上に置かれていたお金が尽きかけた頃、隣の県で暮らす伯母さんから電話がかかってきた。私の後見人になるよう母から手紙が届いたらしい。伯母さんは心根の優しい人で、絹江はあなたを捨てたわけじゃないのよ、と母を庇い私を慰めた。そして後見人をすんなりと引き受けてくれ、私は春休み中にそこへ越し、中学校生活は見知らぬ土地からスタートした。伯母さんがいなかったら、生きることに無欲だった私は、子供ながらに自殺を図っていたところだった。それほど打ちひしがれていた。何のために生まれたか、何のために生きているのか――母を待つ私は、日がな一日考えていた。体育座りした足許には、空白の答案用紙が置かれていた。私は鉛筆を持ちそれに向かうのだが結局一言も書けず、ただうなだれていた。
 その答案用紙は、伯母の元で暮らすようになっても空白のままだった。しかし中学校では友達が出来、美術部に入り絵の世界へのめり込み、あれほどしっかりと刻印されていた虐待の青痣が知らぬ間に消えていった。風呂上がりに鏡を見ると、私の体は若く潤いも張りもあり、どこかしこも滑らかで美しかった。時々母の影を忘れてしまうこともあった。
 とはいえ、強烈な孤独感に苛まれる日があった。特に、虐待を受け始めた五月と、母のいなくなった三月に、不定期で憂鬱の日が訪れた。生理の日と重なった場合、それはほとんど絶望に近い状態に陥った。周りのすべてが静寂になり、まるで深い水底にいるような感覚が続く、と思いきや、いきなり吐き気と眩暈に襲われ、髪の毛を掻きむしりたくなる衝動に駆られる。時間の秩序が乱れ、空間や周囲の雑音、記憶、感情などが引き延ばされたりねじ曲げられたりした。私は私ではなく、何かの記号のように感じられた。
 母は――母はどうだったろう。独りぼっちで苦しくはなかったのだろうか。勿論私には判らない。でも、家を出た二カ月後の日記にこのような記述があった。
『五月十九日』もうすぐ私が初めて娘に暴力を振るった日が来る。なぜか先週から体の節々が痛い、震えが止まらない。なぜかそこここがざわついて仕様がない。今日、十数年暮らしたアパートが取り壊されているという話を聞いたので、無理やり仕事を休んで見に行った。二十三日の方が都合がよかったのだが、由理と鉢合わせしてはまずいと思い、ずらした。アパートのあった場所は、やはり何もなかった。草花も欅の木も消えたただの更地には、解体機械の巨大な轍のみがくっきりと残っていた。取り壊される情景が脳裏を過ぎり、私は、娘との時間を否定されたような淋しい悲しい気持ちになった。
「お祖母さん達に挨拶しなくていいのか?」
「うん……ここで眺めるだけにするわ。手土産も持っていないし、大体連絡すらしていないのよ、いきなりお邪魔しても悪いじゃない」
 私は少し離れた場所から、母の実家を見渡した。小さな瓦付きの塀、そこから頭を覗かせる庭木達、二階建ての古めかしい日本家屋。正月や盆に何度か足を運んだが、最近は祖父母と顔を合わせる機会も減り、気軽に訪れることができなくなった。「それに」と私は胸のうちで呟く。それに、今の私は墓へ向かうことだけで精一杯だ。とてもじゃないが祖父母に挨拶し、仏間で線香を上げ、母について語る気力がなかった。「それに」と私は再び呟く。それに、葬儀にも四十九日にも参加しなかった私は、一体どんな顔をすればいいのか判らなかった。
「さあ、行きましょう」、健吾を促し、私は坂道を歩き始める。体の揺れに伴い、バッグの口から突き出た日記帳の角が、腕の裏側にいちいち触れる。
「高校三年の秋頃に一度、母から電話があったの」
「えっ?」
彼の驚いた顔がおかしくて、私はくつくつ笑いながら話す、「伯母さんの家にかかってきて、幸か不幸かたまたま私が出たの。それで母はいきなり、『一緒に暮らさない?』なんて云うのよ。信じられる? 六年間娘をほったらかしにしていたくせに」
「由理は……何て答えたんだよ」
 健吾が動揺すればするほど、不思議と私の心は落ち着いていった、「『愛はある?』って訊いたわ。『今度こそ私を本気で愛してくれる?』って。そうしたらあの人、黙り込んじゃって。やっと口を開いたかと思ったら、『ごめんなさい』ですって。私、頭にきちゃって、そのまま電話を切ってしまったわ。本当は文句の一つや二つ云ってやるつもりだったんだけど」
 眼についた花屋に寄り、店の方にお供え用の花を見繕ってもらった。待っている間、私は店内を見回しながら、こんなことを考えていた。花はどれも色とりどりで特別な輝きを放っている。それなのに値段を決められ、薄暗い空間に閉じ込められている。人間は価値をつけないと納得がいかない生き物らしい。母も、私に何らかの価値をつけていたのだろう。だからこそ私に狼藉を働き、故に慈しみ、その果てに結局自分自身が悶え苦しんで、娘の価値を汚すまいと家を出た。本当は価値などないのだ、何にも。父親がいない分、母は、私を意識し過ぎた。無論私にも、母を意識し過ぎていた嫌いはあったのだが。
真上に昇った太陽の光線を受けて、私達は丘の頂まで歩いた。風が少し出てきたようで、水分を含んだ生温いそれは、頬や首筋を優しく撫でてゆく。辺りの木々からささやかな葉音も聞こえてくる。
 三カ月前、伯母から母の死を知らされた瞬間、私の頭は真っ白になった。交通事故だということ、即死だったということ、事故原因は道に飛び出した母にもあるにはあるが、運転手側の業務上過失致死で落ち着いたということ――耳には入ってくるのだが、どこか現実味が足りなかった。
 あの時の感覚と同様、母の墓前に辿り着いた今も、頭の中心がぼんやりと淀んでいる。そんな状態のまま、苔むした墓石に花を手向け、線香を立てる。手を合わせ、お祈りじみたことをしているうちに、閉じた瞼の隙間から涙がこぼれ落ちる。鼠の鳴き声のような嗚咽が漏れる。自分の気持ちさえ判然としない中、私はネジがゆるんだようにゆるゆるとすすり泣く。健吾が両肩を支えてくれる。彼の骨張った分厚い手は、これまで幾度となく私を支えてくれた。
 墓石も卒塔婆も墓碑銘も、そもそもこの墓場自体――すべて空々しい。母は本当に死んだのだろうか。今さらながらに思う。母はどこかで、いまだに私を愛し続けているのではないだろうか。私を憎み、なかば呪い、一心に愛し続けているのでは、ないのだろうか。私はとうとう立っていられなくなり、その場に崩れ落ちた。
「とりあえずそこのベンチに座ろう。俺に掴まれ」
健吾に起こしてもらい、寄りかかりながら焼却炉わきにあるベンチへ向かった。足がもつれてうまく歩けない。
 母の四十九日が終わって間もない頃、伯母から大判の封筒が送られてきた。中には「絹江がその時その時何を考えていたか、感じていたか、少しは判ると思います。でも、見るのがつらければ一向に捨ててもらってかまいません」と書かれた便箋とともに、母の日記帳が入っていた。捨てるべきか捨てざるべきか悩んだ末、私は日記帳を開いたのだ。その時に、ある切れ端が足許に落ちた。その切れ端には、このような言葉が書かれていた。
『まだ見ぬあなたへ』たった今、あなたの名前を決めました。由理という名前です。前々から「ゆり」という音にしようと考えていたのですが、なかなかそれに相応しい字の組み合わせが見つかりませんでした。でも、私は今日「由理」に決めたのです。何とも怜悧な響きでしょう。だから由理、早く私の元に生まれてきて。あなたは無知ゆえにこの世界に怯えるかもしれない。でも、私が保証します。絶対に素晴らしいことがあなたを迎えてくれるはずです。何より、私は早くこの掌であなたを感じたいのです。
 多分、妊娠中に書いたものなのだろう。それを読み終わるなり、眼も体も心も涙でしとどに濡れた。私は部屋の片隅で一人泣き崩れた。母はその切れ端をどのような思いで、ずっと日記帳に挟んでいたのだろう。どのような思いで、時々読み返していたのだろう。母は確かに最低な人間だった。母親という重荷に耐えられる人ではなかった。しかし、母親でありたいと思う気持ちは、肌身離さず持ち続けていたその切れ端に、私は強く見出すことができた。嬉しかった、純粋に。
「ごめん、俺が無理やり連れて来たばかりに」、健吾が呻くように云う。
「ううん」、首を横に振り、私はベンチから起き上がる。
「もう少し横になってろよ」
 大丈夫よ、と私は答える。一瞬眩暈を感じて俯いたが、すぐに治まった。足許の木陰がゆらゆらと揺れている。
「ここに来られてよかったわ。いろんなことに整理をつけられたような気がする」
「……なあ由理」健吾は気難しそうな面持ちで云う、「俺が昨日の夜、区切りをつけるために墓参りに行った方がいいって云ったの、憶えているか?」
 私は微笑んで頷く。健吾は空咳を一つして、ポケットの中に手を入れる。
「本当は昨日の、由理の誕生日に渡したかったんだけど……」そう云いながらビロードの小箱を取り出す、「――結婚してほしい」
 上蓋が開かれると、そこには燦然たる輝きをたたえた指輪が据えられていた。
「そのためにも由理には、目の前にある問題を片づけてほしかったんだ。いろんな不安を抱えたまま決断させたくなかったんだよ」健吾は照れ臭そうに頭を掻いて、
「というか、いきなり墓でプロポーズされても困るよな……」と笑みをこぼす。
 私は心からありがとうと云う。健吾の持つ小箱に手を伸ばし、そのまま二人の掌で小箱を包むようにして、私達は石段を降り始める。墓地から離れていくうちに、背後に色濃くまつわりついていた母の気配が、希薄なものに変わってゆく。まるで呪縛が溶けていくかのようだ。駅舎が見え出した頃には、もう私は未来の方向を向いていた。
 歩きながら、そっとお腹を触ってみる。まだふくらんでいないが、そこには小さな熱が確かに宿っている。先日、産科へ行って確かめてみたのである。だから、私はこれからもう一つの命のためにも、うんと自分を楽しむ必要がある。
「実は、私からも健吾に伝えなければならないことがあるの」
「何だよ、そのもったいぶった口振りは」健吾は子供のように唇を尖らす、「早く云えよ」
 私はどんどん幸福に充たされていく。母になるのだ、と内心で独りごちる。うん、私は母になるのだ。
 三十六歳。ちょうど母が家を出た年齢である。私は我が子から離れたりはしない、絶対に。何があっても守り抜いてやる。それに、私には健吾がついている。だから大丈夫、きっとうまくいく――いかせてみせる。
足許に鳥の横切る影が映り、思わず空を見上げると、そこは眼の眩むような蒼穹であった。

眼の眩むような空

眼の眩むような空

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-28

Copyrighted
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