Dos imágenes 邦題 二枚の絵
雄二が小説家の北と飲み話す。
羽田の滑走路の振動が無くなり機は上空へ。
尾上雄二の今回の出張は都内周りで無く、遠方まで脚を延ばす事になった。とは言っても国外では無い。
担保不動産の調査があり・・と、其れだけでは無いが。連続し繋がっている灰色の雲の合間から気まぐれに姿を見せる海。
旭川は真っ白な衣を着ている様だった。
空港でレンタカーを借りる際、店員に札幌で乗り捨てる旨を告げ、雪で人影も疎(まば)らな街を走りだす。
三つ先の信号が赤になると、用心しながらストンピングブレーキを。
路面はアイスバーンとなっているからスケートリンクと変わらない。其れでもスパイクタイヤを履いている。
ヨーカ堂の屋内の駐車場に止め、何となく記念にとテレフォンカードを購入した。
店内で少しの間身体を暖めてから再びハンドルを握る。担保不動産を調査するだけなのだが、何故か2月の雪国に来たくなった。
物件は雪に覆われている更地。其の広さや地理的な利便性に周囲の環境を勘案し価額算出の参考にする。
社内でも公示価格や路線価は調べられるが、近くの不動産屋を二件ほど周り地図を見せ実勢価格を確認。
後は長所や欠点のプラスマイナスを加味すれば物件が担保として相応かの判断に至る。
予想していた通り時間に余裕が出来たので、折角来たのだからと名が知れている旭川測候所に寄り全体を写真に収めた。
自動車専用道路に出来ている雪の轍(わだち)に沿って走り、札幌で車を乗り捨てた時には薄闇が降りていた。
札幌は北海道では一番の都会だから華やかな街の灯りが雪に反射している。
其の晩はホテルに泊まり、翌日の便で羽田へ向かった。
羽田に止めてあった自らの車で会社に向かう。
出張報告や調査結果を纏めた一件書類を所定のロッカーに。表には契約者の名が表示されている。
社員に不在中に特別な案件が無かったかを尋ね特段何も無い事を確認。
白板に直帰と書き出掛ける事にした。疲れは感じないが此の不況の時代の到来で何かと手間がかかるとは思う。
不況の次に不動産価格の下落による担保価値の減少が二年後に訪れるという不況の連鎖の波が懸念される。
世間では一時的な不況だと考えているようだが、雄二達文明の予言では十年程度でおさまればまだましと。
このままでは人類の三次元空間は大揺れに揺れそうだ。幸い別の三次元空間では元の旧財閥系を基にしたコンツェルンの存在で頗る好景気との様相を呈している。
人類世界全体の大不況。此の国の政府も軍事費などの財源を求め国民に増税を強いるより手立てはない。
転職も難しいのが現状で勤め人も四苦八苦。此の国は勤勉実直がモットーなのだが旧祭日の増やし過ぎも。
目先の賃金ベースアップをしたところで誤魔化し程度。物価高・増税により実質賃金は低下している。
社を後にし知人の小説家に電話をしたところ軽く一杯でもという事になった。
夏賀北は一流の小説家。何故か文壇のトップになろうとはしない。其れは彼の信条なのかも知れない。
作品は現代小説と異なり奥が深い。筋書きもさることながら光景や登場する人物の描写はテンポよく・・其れでいて緻密。
彼は、且つて二大大賞の審査員をとの誘いを断ったのだが興味はないという。
恐らくは、現代の作品を自分の理想としてきた文学作品の尺度に当て嵌める事に意味の無さを感じたのでは。
雄二も彼の感性から窺える才を充分に理解でき共感を感じる。
実は雄二も物書き業に携わっている。其処で法務の世界とは異なる作家の北と会う事が楽しみでもある。
二人で近くの料亭で飲み交わしながら小説の話を。
北は現在ある作品を書いている。純文学的な恋愛がテーマのようでもある。
何かそのあたりは他の作家とは一味違うところのようだ。
その作品を本にするのではないという。其れでは如何なるためかと尋ねると、どうやら映画の原作の様でもある。
主役の男性の一挙一動から、相手の女性や周囲の者達の人間模様を映像にしたいようだ。
其の一組の男女を演じる役者の演技力が問われる程の内容のようだ。
単なる恋愛では無く、文芸作品としてのlevelであるから見る者を文学の世界に誘う。
雄二が今時の役者にしても観客にしてもおよそ文学など解さないのだからどうだろう?
あくまでも自らの知り得る世界のみでの役に応じた演技に留まるのではないかと。
北が言うにはそれでも文学作品の理解力がある女優であれば演技に支障はないという。
つまりは単に現代の時代を反映するのではなく・・現代であっても純文学に通じている演技ができる女優さえいれば・・。
自分の創り出す演技が現代風に脚本化されたシナリオとは異なり寧ろ女優の方が自在な味を出せればと。
雄二は北はやはり純文学の小説家らしい見方をすると感じる。
どうやら連続物で男女の純文学的な情景を描写しているようだ。
そんなものなのか?と感心をする。
彼の今迄書いて来た作品には確かに文豪達を彷彿とさせる内容。
或る時は泣かせ、そして悲喜こもごもを織り交ぜたにしても一度で読み捨てるようなものでは無い。
酔って来た北が、
「ところで、君は此れからどうしていくつもりなんだ?」
と、聞かれた時に雄二は、何だ、既に自分の事をお見通しではないかと思う。
北とは其処で別れた。
雄二は風が出てきた不忍の池沿いを廻って帰るつもりだ。
柳の枝が風に踊らされているのを見ていたが酒が廻ったせいか・・。
駅に向かっているつもりが、思いも掛けず随分古い家が見える。
窓の外にはさして大きくは無いが昔風の縁側が突き出し、家の中の灯りが其れを照らし出している。
ふと目を疑う。灯りが届いている手摺に白地に赤い模様が幾つか目立つ浴衣姿の女性がもたれかかっている。 雄二は眼を擦り・・幻なのか?
女性の手には団扇が。此れは絵になると思う一方しかし今は冬。
北の話のせいか、夢なのかなど思うのだが紛れもなく風情というものが目の前に。
夜空を池に映した様な黒い池の水面(みなも)が女性の姿を浮き立たせるように。
雄二は思わずその場に立ったまま。
しかも、冬であるのに・・暖かすぎる・・。
映画であれば正に心地良い場面を見た事になる。思わず口をついて出た。
「夕涼みでも・・?」
返事は帰って来ないのだが・・其処で雄二は気が付いた。
彼女の視線は雄二ではなく・・まるで学生の様な男性に注がれている。
其れに何処かで見た様な光景の様な気がする。
雄二ははたと胸の中で手を打っていた。
紛れもなく森鴎外の「雁」の一コマに相違ない。
となれば・・彼女の視線は・・岡田に注がれている事だろう。
帝大の学生である岡田。
舞台は不忍では無く無縁坂の寂しい家となる筈。
岡田は以前その家の前を通りがかった時、家の格子戸の戸を開けようとしている女と顔を合わせた。
その女は、それほど深い印象を岡田に与えはしなかった。
しかし、その二日後、再び無縁坂を通ったときに、その女の姿を再び思い浮かべた岡田は、その家の方に目を向けた。
そこにはこの前の女が窓の中から顔を出していて、岡田に向かって微笑みかけている。
それ以来、岡田がそこを通りかかると、決まって女は窓から顔を出していた。
岡田は、その女が自分が通りがかるのを待ち構えているのか、それともしょっちゅう窓の中から顔を出しているだけなのかと思案するようになる。
二週間も経つ頃、岡田はその窓の前を通るとき、無意識に帽子を脱いで礼をした。
すると女は顔を赤くし、華やかな笑顔を見せた。それから岡田はその女に礼をして通ることになる。
此処で、登場人物が増えるのだが、「末造には妻子がいたが、高利貸しで儲けるようになってから、妻のことを邪険に扱うようになる」。
更に結果的に。
「末造は、このお玉を思い出し、西鳥越の方を調べさせて行方を突き止め、自分を商人と偽り、妾にならないかと人伝てに頼む。お玉は妾になるのを嫌がったが、貧しい父親のために末造の妾になる事を承諾する。
其れが、思わずお玉が魚屋に買い物に行った際、魚やが「高利貸に売る魚は無い」
と言った事から、お玉は末造に騙されていた事に気が付く。
其れからいろいろな事があった。末造の妻に妾のお玉の事は内緒にしていたのだが、知れてしまい夫婦の仲が悪くなったりする。
お玉は、末造と、その末造に自由にされている自分を内心嘲笑うようになる。
彼女は、いっそう末造を手厚くもてなしながらも、その一方で、往来を通る学生の中に自分の境遇を救ってくれる人がいるのではないかと考えるようになった。
そのような時にお玉と見知りあったのが、岡田。
お玉は、岡田が美青年であるにもかかわらず、気障な態度がないことに気がつき、彼が通りがかるのを待つようになる。
彼女は名前も知る前から岡田に親しみを感じ、無意識に笑いかけるようになった。
岡田が帽子を取って会釈すると、お玉は胸が躍るのを感じ、その時の岡田のことを何度も思い出した。
お玉は、右隣に住むお貞という、四十を超えた裁縫の師匠と付き合いを持つようになり、その師匠に、それが上条に下宿する岡田という学生であることを知った。
お玉の家に紅雀が飼われるようになった頃、岡田は、どこへ行く当てもなしに無縁坂を通りがかった。
するとお玉の家に十人ばかりの隣家の裁縫の師匠の弟子の小娘たちが集まっていて、青大将が鳥籠の中に首を入れているのを見た。
すでに一羽の鳥は蛇に咥えられてぐったりとしていました。
お玉は蛇を退治してほしいと岡田に頼む。岡田は出刃包丁を持ってこさせ、蛇の胴体を切り離した。
蛇が籠に開けた穴を、生きている方の鳥が逃げないように縛ってやり、岡田はお玉に別れを告げた。
岡田が去った後、お玉は彼に近づきたいという想いを抱くようになり、末造に何を考え込んでいるのかと咎められた。
その三日後、岡田はお玉と顔を合わせたが、会釈をしただけで通り過ぎた。
岡田に声をかけられなかったお玉は、自分はなんと馬鹿なんだろうと考えた。
お玉は、岡田に礼を言うことができないまま、また以前のように会釈を交わすだけの間柄に戻った。
しかしお玉は、末造が来ている時も岡田のことばかりを考えるようになり、ふと現実に戻って泣くようなこともあった。
お玉と岡田の別れ
その年の冬の日のこと、お玉は寒さのあまり、遅くまで布団に入っていると、そこへ末造がやってきて、これから二、三日かけて千葉へ行く用事ができたのだと言いました。
末造が旅立つと、お玉は、今日こそは岡田に話しかけようと考え、下女に休みを与えた。下女が出て行った後、お玉は髪を結いに行き、岡田を待った。
不忍池へと行く小橋を渡ると、一面に葦の茂る湖面を見ていた石原という男に話しかけられた。
その葦の向こう側には、十羽ほどの雁が浮いていた。
石原は、雁に石を投げて捕らえようとしていた。石が当たっては可哀想だと思った岡田は、自分が石を投げて逃がしてやろうと考えた。
しかし岡田が投げた石は、不運にもそのうちの一羽に当たってしまった。
石原は、暗くなった後でその雁を取りに行き、ご馳走をすると言った。
暗くなるまで池を一周することにした岡田は、雁の死によって暗い気持ちになりながら歩いた。
岡田は、東洋の風土病の研究に訪れたドイツの教授に紹介されて雇われ、卒業前に洋行することが決まり、退学届を出した。
雁を外套に隠した岡田を目立たせないよう間に挟むようにして、学生たちは無縁坂を通り、巡査に見つからずにそこを通り過ぎることに成功した。
まもなく、学生は、お玉が岡田のことを待ち受けていることに気づいた。
岡田は顔を赤くして帽子の庇に手をかけただけで通り過ぎた。
お玉は名残惜しい表情になった。
雄二はすっかり「雁」の世界に入り込んでいた自らに気が付く。
突然、雄二の目の前の光景がすべて消えていた。
雄二は、昼に社を出た。
すると、焼き鳥屋の、匂いが漂ってくる。
いきなり、社で見掛けた事のある顔が、此方を見ている事に気付いた。
課員の岩下志摩が、何か話し掛けてきた。もう、終わったんですかと言っているような気がする。
其れなら、そうだねと答えなきゃと・・。
君、一人?と、志麻は、頷きながら、帰る途中ですと。
ああ、少し一杯やって行こうかと思ったんだが、良かったら・・、と、スラスラと言葉が出てくる。
志麻の事は以前から知っている、部下だから、でなく、女性、色白の端正な顔立ちを。
焼き鳥の匂いにつられるように、店の中に入り、騒々しさが迎えるのかと思ったが、カウンターに沿って奥に入ると、小さな個室が待っていた。
店の女性の店員がどうぞ此方にと、案内してくれたようだ。
居酒屋だから、何でも揃っている。
メニューを見ながら、好きなものを選んだ時には、既に、ビールのジョッキーがテーブルに並んでいる。
社内の話はあまり出なく、他愛無い事を話し、何時の間にか本や絵の話になっている。
其の時、初めて現実に飲んでいるという実感がアルコールの酔いと同時にやって来る。
志麻とは、そういえばそんな感じがあった女性だなと思う。
そうで無ければ飲み屋で、そんな話など敬遠されそうなものだ。
改めて志麻の顔を眺めたら志麻は照れくさそうに、空になったジョッキーを目で示し店員にお代わりを頼んでくれた。
正に気が利くとはそういう事だと思う。
酔いが気持ちよく、こんな良い事があるんだと言わせる。
北の小説の話をしたら知っていると言う。其れではと、此れはどうかなと、先日の不忍の池の畔の話をしてみる。
「ええ、まるで、鴎外ですね・・」
と聞こえた時に、此れは・・と思う。
其れなら、何を話してもと・・。
志麻は何でも知っている・・こんな女性がいたんだ。
店を出る時に志麻に、またやろうよと話し掛けたら、色白の端正な顔が紅潮した様に見えた。
これから、志麻との繋がりが続いていく。
そう思っているのは自分だけではないのだと、志麻の目が・・。
其れから、翌日、北に電話をした。
実はね、二枚の絵を見たんだ。
北なら分かると思った。
一枚は、其方に伺った帰り、不忍の池の辺りで・・。
・・もう一枚は、・・。
北にはもう少し詳しく話をした。
電話口の、北の顔が見える様だった。
小説も絵もおなじようなもの。
・・素晴らしいということ・・。
月は此の国独特のものではないし、星々もそうであろうが、美しさを競うものとしては・・、まだ、他に叶わないものがあると・・。
Dos imágenes 邦題 二枚の絵
北の言わんとするところは・・。