Another end of the war もう一つの終戦。
既に70年も経った且つての終戦。
「私が、神様にお祈りしながら縫ったこの白いハンカチを・・」
大東亜戦争とは、北は凍れる大地満州に満州国という傀儡国家をつくり、東南アジアから南に広大な大東亜共栄圏を築いた・・最南端のNew Zealand近くのミッドウェイ海戦で空母を失ってからは敗北の一途を辿る。
大日本帝国憲法の元では天皇は国家元首であり、世界有数の勤勉且つ実直な国民。
現在のこの国は世代交代により、政府から国民までが西洋並みの休日をとり、当時の面影など全く無く大不況に遭遇しているのだが、当然と言えるのかも知れない。
其処は、他人のせいにしているのではなく、政府のやる事がお粗末すぎると言えるのだろう。
当時は休日が殆ど無い事もあったが、工業技術力はNazisGermanyと並び世界有数と言われた。
資本主義・全体主義国家では学校は6・3制ではなく6・5と旧制中学というものが存在。
敗戦した枢軸国に共通していたのは「持たざる国」と言われ、「資源」「食料」が無いのにも拘わらず大国を相手にした事が敗因とされている。
現在の争いでは、その轍を踏まなかった事が長引いている原因であり、大国は資源も食料も充分であるのは当然。
そもそもの大国の侵攻が発端とは言え、仲裁にも入らず世界を自由主義一色にせねば満足をしないというUSAの制裁・支援が結果的に世界不況に繋がったと考えるしかないようだ。
男達は、貨物列車に乗り込み九州の知覧その他の基地に向かう。
遡る事70年前の1944年10月25日、日本海軍の「神風特別攻撃隊」がフィリピン沖海戦で米海軍艦艇に初めて突入した。
生還を許さない航空特攻の始まりで帝国末期の壮絶な戦いの幕が切って降ろされた。
山田良夫を送るのは恋人の根上和子。1945年7月某日夕刻、良夫は品川から特攻隊員(人類史上類のない作戦で其の後の歴史でも同じ様な事が行われた国は皆無。)として列車に乗った。
爆装した様々な航空機もろとも敵艦に体当たり攻撃を行う陸海軍特別攻撃隊員。
特攻はUSA艦船でも「suicide bomber」と呼ばれ常識では考えられない事だと怖れられた。
特攻兵は二度と戻る事は無い。それを承知で見送る民間人の中に和子の姿が見える。
二人共手を大きく振り別れを惜しんだ。見送るのは高齢者に障害者・女性・子供。
その誰もが、列車が見えなくなるまでホームに立ち尽くしていた。
特攻兵は並んで敬礼を終えると、飛行機に乗り込む。飛行機も残り物のゼロ戦・隼・彗星・艦上爆撃機など。
勝敗は決していたのだが、諦めない日本軍は特攻を仕掛けるしかない。
B29の本土爆撃も日増しに激しくなっていく。
勿論迎え撃つ航空機は無し。紫電改がもう少し早めに増産されていたらまた違ったのかも知れないが、果たしてこの国が勝つ事が良い事と言えないという面もある。
ただ、忘れていけない事は、亡くなった多くの国民の屍の上に今の世代が生きていられるという事。
実数はハッキリは分からないが、当時の人口7000万の内民間人・兵士合わせ300万人とも言われている。
高射砲も届かない一万メートル上空を悠々と飛行し、大都市には爆弾・焼夷弾、地方都市には主に焼夷弾を投下する。
数十回の空襲が行われたのだが、東京では一日だけでも二時間で十万人の民間人が亡くなった。
因みに現在ロシア軍兵士の死者数は一年間の累計で十万人と発表されたが、比較の対象はどうだろう?
沖縄では唯一の本土決戦が行われ、戦わずして惨殺される前にとひめゆり学徒達は崖から海中に飛び込み自決をする。
良夫は知覧基地を出撃し、群がる敵機を交わしながら飛行するうちに、連合軍の艦船を見つける事が出来た。
艦船からの猛烈な対空砲火の中を、各機が降下して行く。
火達磨になる機。艦船に届かず海中に落下する機。
艦船に体当たりできた機は少なかった。
良夫の機も、艦船よりだいぶ手前で降下しRadarに探知されないようにと海面すれすれに飛び、目指す空母の手前で急上昇したが、雨霰と艦船から対空砲火が行われた。
主翼から操縦席にかけ被弾。
良夫は血塗れになり殆ど目が見えなくなった。
機は操縦不能のまま。良夫の意識も薄れていく。
良夫は呟く。
「和子。御免・・」
微かな意識の中で、微かに陸地と森が見えた。
初期の一部の特攻機を除き帰還する事を想定していない。
当然帰りの燃料を積んでおらずどのみち敵艦船周囲で玉砕する事になる。
燃料が切れプロペラが止まった。機は風切り音をたてながら森の中に墜落していった。
終戦が来た。
やがて、本国に「良夫戦死」の訃報が届いた。
和子は泣き崩れ・・それからは失意のどん底に沈む毎日が続いた。
焼野原の中で、和子は何とか生活を続けている。
特攻する直前に終戦で死を免れたとか、各地の連隊におり終戦を迎えた男達が列車に乗って帰って来た。
和子は、「若しや、良夫が・・」と微かな望みを持ち停車場まで見に行った。
しかし、其れを何度も繰り返すうちに帰る筈も無い事を知らされるに過ぎず。
家族に再会出来た男達は運が良かったのだが広い共栄圏の中で未だ終戦を知らず戦いを続けている者も少なくない。
力尽きた帰還兵でさえ、周りの目もあるからと、大袈裟な言動は慎んだ。
やがて、和子に縁談の話が舞い込んできた。
相手は、帰還兵だった。
和子の親は、
「いい話じゃない、お受けしなさいよ」
と勧めるのだが、和子はどうしても気が進まない。
和子は良夫の遺影の前で泣きながら呟く。
「良夫、今でもあなたの事は忘れられない。特攻して、敵に無残にも殺されたあなたの死ぬ直前の気持ちを思うと、ただ泣くしかできない自分が情けなくて。御免ね」
和子は、親から
「相手に何時までも黙っている訳にはいかないから」
とせかされたが断る事にした。
和子は断りに行った帰りに、何時もと同じ様に停車場まで行ってみた。
誰もいない時間帯だった。
和子は小さな声で線路の遠くを見ながら、
「良夫さん」
と呼んでみた。
それから、和子は毎日良夫が遠くに行ってしまった時刻に停車場に行くようになった。
雨が降っても雪が積もっても、毎日、夕方同じ時刻に停車場に通い続けた。
近所の人は、そんな和子を見、
「可哀想に、きっと気が触れたんだろうね。折角いい縁談だったのに断るし。毎日見に行ったって、死んだ人が帰って来る訳無いよ」
しかし、何を言われても和子の気持ちは変わらない。
和子は呟く。
「ハンカチを縫った時にお願いした神様は、私の心の中にいる。そして、良夫さんも私の心の中で生きている、だから停車場に通うんだ。良夫さんが頑張ってくれたんだから、私も頑張るんだ何時までも・・」
終戦から一年以上経ち汽車の時刻表も変わった。
和子が停車場に行く時刻は、以前は汽車の発車する時刻だったが、今はほぼ同時刻に汽車が到着する。
今日も和子は停車場に行った。
空の青色が霞んだ様に、次のオレンジ色の出番を待っている。
和子が見ている線路の遠くからほぼ時刻通りに汽車がやって来る。
小さな点が・・やがて大きな汽車になりグングン近付いて来る。
汽車の窓から男が身を乗り出し、和子の方に白いハンカチをちぎれんばかりに振っている。
和子は呟く。
「・・まさか、でも・・」
和子は思わず。
「あのハンカチ・・私が良夫に渡したハンカチ」
和子は手を振りながら大きな声で何回も叫んだ。
「良夫!良夫!・・」
汽車はまだホームの手前だ。
完全に止まる前に良夫は飛び降りて走って来る。
和子も走って行く・・涙が止め処なく流れる。
二人共笑顔で固く抱き合うと、良夫が和子を抱きかかえ歩いて行く。
もう、薄闇が迫ってき、月は驚いたように大きく見え、胸を撫でおろしたのか・・二人を照らしだしていた。
(同じ時代を舞台にした、君の名は、は、すれ違いの連続が受け、番組が始まる頃には銭湯に客がいなくなったとも言われた様だ。其れは、少し落ち着いてきた後の事である。終戦を内地で過ごしていた人達は兎も角、康夫の様に彼方此方で次々に発見された人も少なくなく、その極端な例が、中野学校の小野田少尉で、呼びかけにも拘わらず終戦を知らずにルパング島で逃げ伸びていたのが最後の兵士だった。
今の世代は平和が長く続き、俺たちは戦争など起こさないし拘わらない、と、思うのだろうが人類の感情というものは誰もさして変わらないとも言えそうで、その小さな一例が、いじめもそのうちだ。
此の国で在日朝鮮人のいじめが目の前で行われるのを見てきたが、或る意味、同じではないかと思う。
国が違うかどうかの話で、国内でも見解が異なると狂いだす世代・大人も多いのが・・そんな一コマだと断言できる。
残念である事に、争いが挙げられるが、争いは何処かでおさまったとしても、またどこかで起きるのが言動が感情で表現される人類の人類故の嵯峨と言えるのかも知れない。)
Another end of the war もう一つの終戦。
戦犯として処刑された者もいるが、人類の審判が必ずしも正しいのかどうかは、何とも言えない。