手

 ほんのひと月ほど前に僕は彼女に告白をして、付き合い始めた。
僕は三十にして、初めて人を好きになり、木々の葉が青い、セミの鳴く、空の青が深い、夏の日に彼女と付き合い始めた。
付き合い始めたといっても、一緒に食事をし、散歩をし、公園のベンチに座ってたわいのない会話をするだけだった。女性とのお付き合いをろくにしてこなかった僕は他に何をすればいいのかが、まったくわからなかった。

ある日、いつも通りに散歩をし、茶色の色が落ちかけている、いつもの公園のベンチに座って、休憩をしていると彼女が少しだけ、こちらに寄って「私と付き合って楽しい?」と僕の顔を覗くようにきれいな瞳でこちらを見つめてきた。僕は戸惑いながらも「ああ、楽しいよ」と少し、はにかみながら答えた。

「私、魅力ない?」と彼女は少し、寂しげな表情で呟く。そんな彼女を見て、僕は無意識に彼女の両手をそっと握った。水仕事で荒れた肌でざらつきがあり乾燥していたが、そんな、彼女の手を僕は愛おしく感じ両手で優しくなでた。

「ごめんね。手も繋がずに不安にさせてしまって」「どう距離を縮めて良いかがわからなかったんだ」彼女の瞳は涙で少し滲んでいた。

「あなたの手って、固いのね」彼女は瞳に涙を貯めて、僕の手の平のマメや爪を優しく撫でてくれた。

そうやって、撫でたり、握ったりを繰り返し、お互いの温もりや感触を確かめていた。

今までの知らなかった彼女を少しづつ知れていく気がした。爪の形、指の長さ、手の大きさ、血管の位置。手を触れただけなのに、こんなにも距離が近づいていく。

僕は目を閉じて、しっかりと彼女とのこのひとときを感じ取っていた。

  • 小説
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  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-01-15

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