憂える葦、考える人
この灰色の萎びた葦には、人のように考える脳ミソなんてありませんから、複雑な思索が絡まるような難しいことはよく分かりませんでした。ただ何故だか、ふつふつといつも物憂げな悲しい気持ちが何処からか湧いてきます。
それは根に浸る沼地の濁水が想わせるのかも知れないし、茎を食む虫の感触がシナプスの伝達によって葦にそう想わせているのかも知れません。
「あたし、こんな場所にいたくないわ。自分の足で歩いて、眼で見て、もっと綺麗な泉で口を濯ぎたい」
なんて、口の無い葦にはそんな言葉は吐けませんが、悶々とその言葉に近い感情が只管に墝る身体から湯気みたいに発せられます。
そのようにして毎日鬱々と過ごす葦は、今日もまた不安の種である殺伐とした生物の気配を、しっかりとその身に感じました。
家の裏手にあるちっぽけな池が好きだった。モネが描いてくれるような綺麗な池ではなかったけれど、その小さな自然の箱庭に潜む魚や鳥を見るのが好きで、よく悩み事があってはそこに訪れて、無為に呆けて過ぎる時間を楽しんだ。
そうした時間はなにも具体的な解決を示してはくれない。ただ、頭の切り替えとしては充分だった。言うなれば具体的な解決までの綺麗な助走をその池は手伝ってくれていた。
そして今日もまた、学校で配られた進路希望調査書なんてちり紙を摘まみながらそこにいた。
明日のことだって碌に分かりもしないのに、そんな遥か先のことを考える力も気力もなかった。
葦は近くに居座る人の気配をしっかりと感じていました。ただ勿論、葦には動物のような眼なんてものはありませんから、明瞭に存在を確認しているわけではありませんが、空気の流れをしっかりとその身体で感じて周囲を把握することが出来ます。
「まあ、人がいるわ」
なんて、口の無い葦は動物のなかでもとびきり蛮族な人の存在が怖くて堪らない怯えた気持ちを言葉に出来ません。
人という姿形が一体どういうものなのか、眼も耳もない葦にはちっとも分かりませんが、ただ彼らが現れたときに不意に千切られる身体の痛みや、他の草木が打ち倒されるその気配が堪らなく葦を不安にさせました。
「嫌だわ、嫌だ、嫌だ」
葦は畏れを叫ぶことも、身を捩り逃げることも出来ません。相変わらずヒステリックな負の感情を辺りに撒き散らすばかりです。
そんな身動ぎも出来ない葦をただ風が撫でて、絡む草葉がパサパサと鳴っています。
摘まんだ紙が風で靡いて、このまま指を離してしまおうかと思った。そうしてしまえたらどれだけ楽だろうかと何度も考えてはみるけれど、日和った精神が指に汗を滲ませてそれを許さない。
掌で慎重に靡く紙を掴まえると、それでいいって言われるみたいにピタリと水辺の冷えた風が止む。
将来なんて考えたくなかった。あえてそれを考えないことでうまく生きてきた筈だったからだ。
明日のことなんて考えずにただ目の前の物事を淡々と処理していた今日まで、なんの不都合もなかった。
無垢で無知にただ只管に空だけをみて歩いていたところに、ちゃんと足元をみろと頭を勝手に下げられる。そうして足元に散らばる石ころを気にしてしまえば、もう二度と晴々しく道を歩いていけない。
今手に握る紙切れはまさにその頭を引き下げる手に他ならなかった。
空を見た。今度は比喩ではなく本当に。ただ真に空を見上げれば、虚構の石ころからも眼を背けられる気がした。
そうして見上げた夕景の秋の空に数羽の雁が飛んでいた。
雁はこのちっぽけな池を気にもとめず、また遠くの空へクークーと鳴きながら消えていった。
葦は泣きたくて堪らない気持ちでした。勿論泣くことなんて出来ませんが、もし葦に眼があって声を発せたなら、子供のようにわんわん泣きじゃくって臥せってしまっていたでしょう。
葦の感じる人の気配が、大きく揺れ動きます。人は枯れ木や枯れ葉をパキパキと音を立て、踏みにじりながら此方へやってくるようでした。
葦は殆ど狂乱していました。
「ああ、次は私なのね! ふざけないでこの野蛮な獣が!」
なんて、口のない葦は近づく人を心で罵って、罵って、罵って、それでも心の外側では、憤懣する気持ちに反してサラサラと心地よい風に葉が擦れる音が鳴っています。
そうして物言わぬ葦に対面した人という獣は、おもむろに葦の茎を撫でて、葦の頭から五寸ほど過ぎた部分で手を止めました。それから撫でる掌は摘まむ指先に変わってしまうと、「ああ、このまま摘み取られるんだわ」なんて、葦はボソッと吐き捨ててクタリと気持ちを折りました。
首が疲れて視線を池に戻した。人生もこういうものなんだろうなと、少しクサイことを考えてしまう。ずっと上ばかり見ていられた楽なのに。
そうしてだんだんと自分に言い聞かせるみたいに、少しずつ握られた紙に納得をし始める。
別にこの紙にどう書いたところで、本当にそうなるわけじゃない。この紙は予言書でもなければ決意表明でもない。ただ行く道を決めると言うよりは、自分の向く方向を大体に提示するだけだ。後ろを向いていても、前へ歩くことはできる。
冷たい池は、斧を持った女神みたいに直接的な答えはくれないけれど、こうした考える時間と環境をひっそりと提供してくれる。
陽が翳って次第に冷たさが増してきた。また少し風が吹いてきてもう帰らなくてはと、ふと考えたときに、視線の先に葦が生えていることに気がついた。
近づいてよくみてみると、灰色がかった穂が少し垂れて風に揺られている。少し撫でるとサラサラと掌を払って、なんだかくすぐったい。
一つお守りとして葦を摘んでいこうと思えた。雁みたいにこの葦が握る紙きれの先を守ってくれたらななんて、そんなことを考えて。
ただ揺れる葦は、穂先から15cmほどのところに爪を立てていざ摘もうと考えたときに、サッと風が吹いて摘まむ指先から逃れた。
指から離れて揺れる葦を見てもう一度摘まんでみようかとも考えたけれど、風に靡く葦を眺めては少しまた考えて、暗く湿る池を後にした。
葦は風に救われて人の手を離れましたが、相変わらずその人に呪詛を吐き続けています。勿論心の中で。
人の気配は葦の前で止まって只管に刺さる視線を感じますが、その視線を避けようにも葦は風に流されて、ゆらゆら、ゆらゆらと垂れる頭を振るばかりです。
次第に人の関心が葦から離れていくことに気がつきますが、葦の心の罵倒は増していきます。
そうしてまた暫くして漸く人が背を向けると、葦はやっとほっと安心をして、緩んだ心を風に任せて身体を揺らしています。
ただ、人の脳ミソのような立派なものを葦は持ち合わせていませんから、またすぐにそんなことは忘れてしまって、暗く冷える夜の水辺で葦はこの世を憂いています。
「嫌だわ、嫌よ。こんな場所もういたくないわ、素敵な空を見て、もっと清らかな水で口を濯ぎたい」なんて、勿論口なんてありませんから、叫ぶに叫べずそういった憂える気持ちを抱きながら、今もまだゆらゆらと風に揺れています。
憂える葦、考える人