童顔の想い出
ふとした事に女性。
今川洋二は若い頃から童顔だったのかも知れない。
洋二が大学受験で、外語大を受験する時北区の遠縁の家に泊めて貰った。
既に私立大は合格していたから、遠縁の家に着いた時家人から、頑張っているね、と言われた。
実はその遠縁の家とどういう関係なのかは、父しか知らずかなり複雑な関係だったようだ。
洋二が幼少の頃小耳に挟んだ話によれば、父の関係がよく分からず、芸者と市会議員に縁があった様な事だ。
私立の合格から一か月近く経過をしていたので、緊張感が無かった半面、暗記物の歴史がうろ覚えだった。
大学に入ってから今は見られないチューリップのパチンコ台をやりに店に入った事があった。
ところが、当時は補導員という職業があり、所謂青少年の非行を監視し、見つければ注意をするという者。
パチンコ店に入るには18歳以上でなければならないのだが、童顔に見られてしまうと注意をされる。
「君、こういうところに来るには早過ぎないか?」
其処で、学生証を提示し納得して貰う事になる。洋二の学友でも同じ様に童顔であると注意された事があり、友人と一緒にいる時にそんな事を経験した。
若く見えるかどうかは本人にはどうしようもない事で、其れが果たして良い事なのかそうでないのかは不明。
其れとは直接関係は無いのだが、女性という人類も自分に危害を加えないだろうと思えば案外魔物の面を。
家の近くをふらふらと探索していた時、其処は小さな児童公園だったのだが。
用があった訳ではなく、ふらっと公園のベンチに座っていた時。
小さな公園であるから、周囲の建物の至近距離に位置し少し明るさに欠けているような気もした。
すぐ傍の家から風呂の湯を掛ける音がした。音の聞こえる方を見れば、スリガラスの様な窓の奥。
人の肌の色が窺えたのだが、其れはハッキリわからなく窓から離れていたせいでそう見えたのかも知れない。
其の後、窓がスライドされ女性が立っているのに気が付いた。
洋二も何も警戒感は無かったのだが、本来女性の方が警戒をする立場だったと思うのだが。
女性は全裸で窓の高さは地面から一メートル程度だったから、女性が湯船に立っていても脚の部分は見えず。
笑顔で外、つまり洋二の方を見ているのだが、洋二からすれば女性の黒い部分から上が丸見えになっていた。
こう堂々と見せ笑みを浮かべられれば、洋二としても何か準備をする暇も無くなる。
かと言い何もしないのもおかしな気がし、軽く頭を下げる仕種をしたのだが、女性は相変わらず笑っている。
此の当時は、此の国もまだ呑気な時代とも言え、今の様なニュース記事とは異なった内容の者が多かった。
つまり、最近始終記事になっているのに、例えば電車の中で男が下半身を露出し座っている女性に見せた。
当然、記事になったのだから見せられた若い女性が男の後を追って電車を降り駅員に突き出した事になる。
同じ様な事件や女子トイレで盗撮をしたとか、更に強制猥褻罪で逮捕されたという様な記事も多く見られる。
世の中が変わってしまっているのだろう。昔は人前で赤子に乳を飲ませるという事が普通に行われた。
乳首が黒ずんでいるのは黄色人種のせいと、男女の関係を済ませているからという証明なのだろう。
今でこそ、やれ巨乳だとか水着写真がどうとか等乗じられるが以前はそれ程の騒々しさは窺えなかった。
女性が乳を出すのはそれ程珍しい事では無く、赤子の為を思ってやっているに過ぎない。
人類の特徴は隠せば見たくなるが、堂々と見せていれば特段騒ぐ事はしなくなるという事が言える。
昔から痴漢は出たが、女性を襲う目的が多かった様な気がする。
今は、其れもあるのだろうが、男性が下半身を露出させたり、満員電車内で汚物を女性のスカートに付ける。
かなり、事情が変わってきており、犯罪の件数も増え犯罪の内容も異なる。
要は動物から折角進化したのにまた動物的になってしまうようだ。
犬や猫はそういうものを自然に露出させている事が多いから、路上や塀の上で直ぐに交尾が行われ鳴き声も。
どうやら、人類も同じ事になってきている様で、言葉こそセクハラ等変えていてもやっている事は同じ。
酷い記事になると都庁で仕事時間中に、空いている部屋で職員同士が交尾をした等が報じられる。
人類は増々levelを落としてきていると言えそうだ。其れに児童迄犠牲にされたり、猥褻動画・写真の存在。
其処まで来ると、先日の記事の通り、此の国の国民の平均知能指数は105とかも事実のようである。
知能も低下しており、漫画やanimationが流行るのも満更関係が無いとは言えそうもない。
漫画の少女は童顔だが極めて巨乳で実際にはあり得ない程、おまけにスカートから故意にパンツを見せる。
という事は、見る者に受けるからそうなると言え、世の中が幼稚化している事に他ならない。
此処まで来ると、正に世も末と言え若者の意見を真面に真に受けるのは正しくないと思わざるを得ない。
増してや若者にあらずおじさん迄関心があるのだから呆れてものが言えないと。
其れでは戦争がどうとか等の意見も宛にならないと思われても仕方がない事になる。
政府や都知事にも明らかにレベルが下がった言動が見られ、其れで次々に非難され支持率が下がっている。
何処でも露出が行われ漫画アニメ上でも社会の歪みが見られる時代になってしまったと言える。
冒頭の公園での一コマにはそういう猥褻さは感じられない。
学生であるから、関心があったにせよ露骨では無いから女性も警戒をせず露出をしたのだろう。
其れが無理矢理させられたのでは女性も露出などに抵抗をするだろう。
洋二の友人も同じ様な経験を話した事がある。家の裏に庭があり、其処にいる時に裏の家の風呂に入っているお姉さんを見たのだが美しかったと。
怒られる事も無く、何方の家の者からも何か言われる事が無かったそうだ。
実は、此の当時同じ様な事が見られた。洋二が会社員としてある公園の中を歩いている時だった。
公園に面したアパートがあり、其の二階の窓が開け拡げられ、洋二は何か見えたような気がした。
其処で、よく見てみると女性が全裸で窓際に立っている。
洋二が見た後女性は姿を隠した。警戒心が無いのは相手の様子から悪質なものが窺えないからなのだろう。
風呂に入っていた女性は洋二が学生で世間知らずだと判断し見せたところでどうなる事も無いと。
学生の洋二にとってはいきなりの出来事であるから、鑑賞をするという意識も無く、ただ、被写体に美しさのようなものを感じたとしてもおかしくは無い。
後から洋二がその家の正面に廻ったところ、どうやら芸者達の集まる場所であるようだった。
まだ、売春禁止法が施行される前の事だから、芸者も身請けをされたり二号さんにされたりという事が行われていた。
男が女を自由に遊びの道具にできた時代がたった60年程前に至る所で女性の立場が蔑まれていたという事。
NHKの大河「青天を衝け」の主人公である日本資本主義の父・渋沢栄一はドラマでは紳士に見えるのだが、実際の顔は妾が六人おり子供を孕ませ尚且つ吉原に女郎を抱きに通っていた。
最近のコマーシャルで良く流されるのに、強壮剤を呑む男達が言う。
「・・此れで男だと思う様になりました」
「何か増々自信が出希望が持てるようになりました」
というのだが、その程度の自信に果たして如何なる価値があるのかと笑いを誘い、異常では無いかと思ったりする。
人類の身体が芸術になる事もあるし、肉欲の対象になる事もあり、其れがコマーシャリズムに乗り公に公開されているという事は、やはり四つ足動物から進歩をしていないと言えそうだ。
公園の女性は明日の我が身がどうなるのか知っていて童顔の洋二に見せたかったのかも知れない。
小説などで表現をすれば美しい物語や、ちょっとした妖しさの様な美的感覚で書かれるのだが、其れが現実過ぎれば小説の域を超え、単に春本と吐き捨てられる。
夏目漱石達の様な文豪は、且つて春本が常識だった時代から、
「そういうものは小説にあらず」
と皆がわきまえlevelを上げたのが小説に繋がったと言える。
文豪達は耽美派と言い、女性を登場させ其の女性に何等かの拘りを感じるのだが、そこ迄で露骨な文章には至っていない。
田山花袋の「布団」や谷崎潤一郎の作品などもある線を引き書いている。
其れとは別に人類の生活の中で行われる行為はまた別のものとされている。
そう考えれば、洋二が見せて貰った二人の女性の裸体は、所謂ポルノ映画とは趣旨や感性が異なっていたと言えそうだ。
洋二は人類では無いから特にその様な目で見る事が出来、女性も何も洋二を誘ったのではなく、人類の別のフィルムの一コマだったのだろう。
此処で、洋二は思うのだが、何時まで人類は同じ事に執着するのかという事で、おそらく永遠に進化を遂げずに消滅するのだろうと感じた。
洋二が年をとってから、気が付いてみれば女性の本能に触れる事は無く生涯独身で通したのだが、其れは人類で無いからなのではなく、快楽に溺れるという感情に脅かされず、感性を高める事に徹したとも言えそうだ。
女性は美しいのだが、着物姿で例えれば真白いうなじを見せ手や脚から窺える美に気が付く事は、自然の暮色や風景に紛れている感動を味わう事と同じだと言えそうである・・。
其処で、洋二はいつも思うのだが、男性は化粧は芝居でも無ければする事は無いのだが、女性は常に化粧無しという姿を見せる事は少ない。
コマーシャルでも幾つに見えますか?と聞き、実は・・60歳などを見たにしても特段美しい共素晴らしいとも思えない。
同じ家庭にいるとすれば、家族は綺麗だね・・と、思うのか、それともどうせ本当の顔では無いじゃないと、感じるのかが、とても不思議に思える。
そして其れは、着物が美しいのは裏表がない事で、その着物を着る女性が化粧無しでも美しく映る事と同じと言えそう。
すっぴんで美しいに越した事は無いのだが・・難しい事なのだろう・・化けると言われたり魔物と表現されるのも其れゆえなのかも知れない・・。
今の世界に欠けているもののうち文学に限れば、成程、文学が容易に見つからない・・増して純文学を書けないという実情。
電子書籍は単なる小遣い銭稼ぎにしか能わぬ媒体として誕生したようである。
今まで此の国しかない小説サイトというものに幾つも触れてきたが・・試しに読者の反応なども確かめてみたが・・皆、純文学とは程遠い漫画・animation用の脚本に過ぎなかった。
私の世代は本物の文学を数多く読んできた。学友は言う・・やはり時代もの一つとっても・・一流は面白いと・・。
現代文学には素晴らしいものが欠けている。
宮部みゆきという作家がいる。
彼女は幼少時から本が好きで多くの本を読んできたと述べている。
彼女の職歴は様々で一時は法律事務所に勤務、其れで書き上げた作品「火車」というものを立ち読みした事があった。
相当厚みのある作品で、カード破産に関連していたと記憶しているが、私は法律家であったから立ち読みで法的な記述もさらっと流し読みが出来た。
本人曰く弁護士に聞きながら書いた部分もあるというのだが、其れでも現実の世界を描いたものであり、山本周五郎賞を受賞しTVドラマ・映画にもなっている。彼女の作品の中でも良く書き上げているミステリー作品である。
職業作家は、其れが生活の糧でもあるから当然売れなければならないのは自明の理。
現代では東野氏と並ぶ作家で、時代ものも書いているが此方の方はやはり、時代ものの作家には敵わない様で風情は出ているのだが。
要は、本を如何に沢山読み其れを自らの「感性」で書き上げるかが文学と言え空想の世界だけでは漫画・animationと同じ事になる。
職業作家で無いものに臨まれる事は、金銭に拘らず「純文学」に挑戦する事が面白い。
今の時代には難しい事は分かるが、漱石や芥川に志賀直哉の域に達する事を理想としている私には・・其れが生命体である事の証であると思わざるを得ない・・。
且つての文豪たちの素晴らしい作品を数多く読んで来なければ・・感覚的に理解できないばかりか・・筋書きのみにあらず・・美しい文章が生まれて来ると思う・・其れが小説を書く事の意味であると信ずる・・。
童顔の想い出
レベルダウンの時代。
漫画animationしか読めない人類の世界。