Arthur Rimbaud アーサーランボー
詩の天才と言われた
姿啓二はひたすら歩いている。
見慣れた街とは違い、広漠とした原野が拡がっている。
眼がおかしいのか、何故か景色がハッキリと見えない。
暫く進んで行くと古ぼけた標識が一部割れて立っている。
「神と・・」
標識を過ぎると次第に辺りの状況が分かって来た。
広漠の原野だと思っていたが、何処かの街の中に辿り着いたようだ。
風に漂い新聞紙の様なものが脚に絡みついた。
手に取ってみると、日付は「・・・Juillet 1872」とある、日本でいえば明治5年。
記事の片隅に「Saison de l'enfer」の文字が見える。
啓二は新聞紙を手に取りながら呟いた。「ランボーの地獄の季節か」
「ランボー、あんな男ちょっといない」というキャッチフレーズが思い出された。Jean Nicolas Arthur Rimbaud。
16歳にして第一級の詩をうみだし、数年のうちに他の文学者の一生にも比すべき文学的燃焼をなしとげて彗星のごとく消え去った詩人ランボー。ヴェルレーヌが「非凡な心理的自伝」と評した散文詩『地獄の季節』は彼が文学にたたきつけた絶縁状であり、若き天才の圧縮された文学的生涯のすべてがここに結晶している。
確か、愛人ヴェルレーヌと二年程過ごした後、彼女に拳銃で撃たれて怪我をして、二人の関係も其れで終わった筈だ。
夕暮れの街の街灯が次第に近付いて来る男の姿を照らし出している。
どうやら男はランボーのようだ。
「 Rimbaud?」
男は頷いて啓二に微笑んだ。
まさかあのランボーに会えるとは・・。
啓二も筆を持つ者として、こんなに光栄な事は無いと、笑顔を返した。
と、此処はParisという事になる。
何時の間にか時空を超えて素晴らしい世界に入り込んだようだ。
詩と小説とは異なると考える人もいる。
若し訴えようとするところが同じだと仮定すれば、詩は其の凝縮された文章の中に魂をぶち込むとも言えるかも知れないし、全く異なった解釈も出来るが、天才ともなれば・・・。
啓二は海外の小説はあまり読まない、やはり日本の同じ明治時代の文豪ものを好んで読む。
其れだから余計にランボーの様に優れた人物の詩を読んでは感激するのかも知れない。
記録には無いが、過の日本の文学界を代表する夏目漱石は二年遅く生まれている。
漱石の「そうしてその中に冷然と二十世紀を 軽蔑 ( けいべつ ) するように立っているのが倫敦塔である。」とうたっている此の作品は1915年の作だが、其れ迄は海外になど行く事も無かった。
若し、二人が会っていれば、互いに一体何を感じ、天才同士の間にどんな会話がされたかは興味深い。
啓二はそんな事を考えながら、ランボーをカフェに誘ってみたら、ランボーのお気に入りの店「Cafe de l'Univers」に行こうと言う。
Parisと言えば、現在ではファッションや芸術面では数々の素晴らしい絵画が見られる。
啓二は西洋絵画は何でも好きだが、特に印象派の作品は好きだ。
1873年の後半に、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、セザンヌ、ベルト・モリゾ、 エドガー・ドガなどは「画家、彫刻家、版画家等の芸術家の共同出資会社」を組織し、自分たちの作品の独自の展覧会を企画した、大体同じ時期だ。
テーブルを挟んでランボーと向かい合って話を始めた。
十九歳で詩を放棄したランボーにとって詩とは何であったのか。詩とは何。ランボーは直感していたが解けなかったという説もある。ランボーが人生と刺し違えた情熱がありながら、詩を放棄せざるを得なかった原因はそこにあると。
啓二はランボーの前で試しに「Une saison en enfer~地獄の季節」の一部を話してみた。
Elle est retrouvee.
Quoi ? - l'Eternite.
C'est la mer allee
Avec le soleil.
見つかったぞ!
何がだ?
永遠。
太陽にとろけた
海。
ある晩、おれは膝の上に「美」を座らせた。―そいつは苦々しい奴だとおれは思った。―だからおれは罵倒した。
啓二は「此れって随分大胆で、私なりの解釈では、好きな部分なんだが」と言いながら表情を窺った。
しかし、ランボーは何も語ろうとしない。
ただ、微笑んで、啓二の顔を見ている。
一言だけ。「私が何をどう思ったかは、読む人の解釈に任せるだけ。何故なら、一人として同じ人生を歩んだ者はいないから」
二人の会話は、殆ど交わされなかったが、ランボーが、「此処のコーヒーは美味いんでね」と言った時、天才とは思え無い素敵な笑顔を見せてくれた。
何時の間にか、陽が傾いて来、店内の二人をボウっと照らし出していた。
Arthur Rimbaud アーサーランボー
数奇な運命。