よりみち

 虫が眠る季節。途方もない、だれかの祈り。冬が深まってゆくあいだに、星に光の矢が降ったおよそ千年前のことを、すでにさまざまな歴史を忘れかけている老齢のわにが、砂糖とミルクでたっぷり埋めたコーヒーを飲みながら思い出している。わたしのご先祖さまのなかには、じっさいに光の矢が、からだをつらぬいたひとがいるらしい。

「痛みはないのよ。ただ、なにかをうばわれていく感じがするの。生きる気力とか、そこまでおおげさではないのだけれど、でも、たしかに、希望よりは、絶望に近づく気分ね」

 ドーナツやさんで語る内容としては、いささかヘビーだと思いながら、わたしは、チョコレートドーナツをひとくちかじる。となりの、となりの席の、仕事帰りらしい女のひとたちは、席に着いた瞬間から、職場の上司について、あれやこれやと愚痴をこぼし、注文したドーナツが一向に減らない。白砂糖がまぶされたドーナツを食べ終えて、わにが、手についた砂糖をていねいにおしぼりで拭う。

 あなたも光の矢に、つらぬかれたの?

 わたしがたずねると、わには刹那、にやりと微笑み、すぐ真顔になって、尻尾をちょっとかすったのよ、と答えた。
 女のひとたちはいまだ、上司の愚痴に夢中で、どんな場所でも、上司という立場のひとは憎まれるものなのかしらと思いながら、わたしは、チョコレートドーナツをもぐもぐとかじりつづける。
 今日のわにのスカートは、ころんとした林檎柄である。

よりみち

よりみち

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2023-01-10

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