僕とおじさんそして「前半」・「後半」
以前「series前半」を掲載しましたが、此処で前半も掲載し、「後半」に続け読み易くしました。
僕と叔父さんそして「前半」を再度掲載し、続いて「後半」を載せます。
僕と叔父さんそして
前半
諏訪満男は、静岡駅で及川泉と待ち合わせをしている。
満男は時計を見ながら、
「十一時か。もうじき、電車が来るな」。
名古屋からひかりでやって来る泉と東京からやってきた満男は、以前から東京との中間点である静岡で会ってみようかと話し合っていたから。
駅のアナウンスが、ひかり号の到着を伝えている。
電車は、ゆっくりとホームに停車する。ドアが開いて、泉が、手を振りながら降りて来た。満男が笑顔で泉に近寄ると、
「お疲れ。バッグは僕が持つよ。静岡はこの辺りでは大きな街だから、いろいろと見たりして楽しめると思うよ」。
泉は満男と並んで階段を降りながら、
「満男さんは静岡に詳しいの?どんな所があるのかな?楽しみだな」。
満男が改札口を出た所で泉に、
「帰りの電車の席を取っておこうか?九時には間に合い乗れると思う。楽でいいからね?」。
二人は緑の窓口に向かい歩き出すが帰りの席の切符を買うつもりだ。今日は静岡市にある浅間神社の祭りがあるからという事で、席はまずまず埋まっているようだ。
二人の前に並んでいた女性が窓口の職員と話をしている。どうやら二人の帰りの電車と同時刻の東京行き・夜九時の電車の予約を取っているような会話が聞こえてくる。
満男は女性の顔をチラッと見て呟いた。
「凄い美人・・」
泉が、
「何か言った?」。
満男は被(かぶ)りをふると、
「いや、何でも無い・・切符取れるかな?」
と、それを聞いていた女性が、
「あなた達は何処まで?東京夜九時?それならまだ空いているようよ?」
と、満面の笑みを湛えながら教えてくれた。
結局、二人の席は偶然だが女性と近くの席になったのだが、その辺りはまだ空席きがあるようだった。
二人が静岡駅前に出ると、満男が、地図を拡げながら泉に説明をしだした。
「目の前にあるのが松坂屋デパート、繁華街にはもう一つ三越伊勢丹があるし、此処には東京にある店は殆どあるよ。さてと、泉ちゃんは、どんな所から見て行きたいのかな?」
泉は、地図を覗き込みながら、
「観光名所として載っているのは、東海大学海洋科学博物館・日本平動物園・徳川家康を祀ってある久能山東照宮・浅間神社といろいろありそうね。満男さん、バスで回るの?」
満男が地図上の泉が挙げた名所を指差しながら、
「これだけ廻るにはレンタカーを借りなきゃ。そう思って駅レンタカーを予約しておいたんだ」
二人は静岡駅の脇にあるレンタカー会社で車を借りた。勿論運転は満男の役目だが。
満男は車を発進させながら、
「ちょっと早めだけれど、昼食を取ってからゆっくり回ろうか?」。
泉は笑みを浮かべると。
「そうね。先ずは腹ごしらえしてからの方がいいわね。静岡で何か美味しい物が食べられるところって満男さん知ってる?静岡と言えば、有名なのはお茶・山葵(わさび)に静岡おでんやシラス、それから・・?」
満男の運転する車は駅前の大きな道を真っ直ぐ北に走りだす。
「鰻は格別美味しいよ?緑ちゃん鰻なんて好きかな?」
「うん、大好き。いいわね、それにしよう?」
二人の乗った車は右手に家康のいた駿府城の外堀・県庁、左手に市役所・中央警察署を見ながら進んで行く。満男は、浅間神社の二つの赤鳥居の一つ目を過ぎた所で鰻屋の駐車場に車を止めた。
中川という鰻専門店(鰻しかない)の暖簾(のれん)をくぐる。
鰻屋にはお品書きというようなものは必要無い。何といっても鰻の味だけで勝負だから。満男は店員の女性が丸盆に載せてきて二人が向かい合い座っているテーブルの上に出されたお茶を飲みながら、
「静岡にも僕のお客さんがいるから何回か来た事があるんだ。浜松も鰻は有名だけれどこの店の鰻は比較にならない程美味しいよ?でも、もうじき店を閉めるらしいんだ。ねえ、おじさん?」
おじさんと呼ばれた店主が愛想良さそうな表情で・・。
「ええ、私一代で終わりなんですよ。うちは嫁に行った娘しかいないから、後を継いでくれる人がいないんで・・」
やがて、大きな鰻をのせた上鰻丼が二つ、二人の目の前に置かれた。この店の鰻の味が格別なのは自家製且つ作り方は秘伝のタレの味が違うからである。
日本全国何処に行っても鰻などあるとはいうものの、これ程の味の鰻には先ずお目に掛れない。これで、一つ1,750円なのだから正に安いとしか言いようが無い。
満男が早速鰻をいただき乍ら、
「静岡市という街は、静岡県の中でも工業都市の浜松と並び人口70万余りの大きな商業都市なんだ。日本で雪が降らない所って泉ちゃん知っている?」
と、泉は知らない様で被りをふる。
「沖縄と静岡市だけでね。静岡市の北には南アルプス山脈があるから雪は全部そこで落とされ、此の街には一滴も雪は降らないという事。徳川家康が隠居地に選んだのも分かるような気がするね。家康は小国であった三河の生まれで、幼少時に駿河の大大名である今川義元の人質に取られ此処にいた事があるから、住むには良いところだという経験を生かしたんじゃないかな?」
泉が、美味しそうな顔をし鰻を味わいながら、
「家康が関が原で勝った後、江戸に徳川(江戸)幕府を築いたんだったわね?それから、15代将軍徳川慶喜の大政奉還までの265年の間幕府は続いたんだったかな?大したもの。先程、車の中から見えた信号機の下に、「追手町」と書かれていたけれど、東京の「大手町」と関係があるの?」。
満男がお新香をポリっと音をさせながら、
「うん、此処には他にも江戸城と同じような地名があるんだ。同じ家康の城下町だからなんでしょ?泉ちゃん、少し休んだら出かけよう?いい?」
と、お茶を飲み干す。
二人は鰻屋を出た後歩いて5分程の浅間神社にお参りをするつもりだ。二人が訪れたこの時期・四月1日から5日までは、丁度、年に一度の浅間神社のお祭り。
五日間にわたる大きなお祭りだから凡そ百メートル以上延びている浅間通りや神社の境内(けいだい)には、たこ焼き・焼きそば・綿菓子・いろいろなおもちゃの類(たぐい)などありとあらゆる出店が並んでいるのは壮観といえる。
二人はじゃれ合う様に笑いながら並んで歩き、それらの出店を覗いては境内に向かい進んで行く。
突然・・。
「浅野匠頭(あさのたくみのかみ)じゃないが腹切ったつもりだ!はい! こんないいものが2000円!ダメか? 1500円だ1500円!誰も持ってかない? よ~し!もう1000円!!今日は貧乏人の行列ときたか?・・500円!持ってけ泥棒!」
そう言ってから満男に気付いたのか?
「・・あれ?お前、誰だっけ・・?」。
そう言われた満男も驚ろきの表情で・・。
「あれ?おじさん・・俺だよ、満男だよ!こんなところで何してんだよ?」
「何だよ、満男か?泉ちゃんも?」
寅は横にいる相棒に目を遣ると、
「おい、ポンシュウ、ちょっと店、頼む。満男、ちょっとこっち・・」。
満男と泉・寅は浅間通りの脇道に入る。
満男が笑いながら、
「俺、びっくりしちゃったよ。おじさんに会うなんて・・」
と、寅が二人を覗き込むように、
「お前達こそ、こんなところで何してんだよ?」。
泉が、笑顔で寅に、
「こんにちは」
と挨拶をする。満男はそんな泉と寅を交互に見ながら、
「今日は名古屋と東京の中間の此処で一緒に彼方此方廻るつもりなんだ。伯父さんこんなとこで商売してんだ?そう言えば、母さんが、おじさんがリリーさんと一緒に住んでいた鹿児島県奄美群島加計呂麻島からいなくなったでしょ?最後にテレビに神戸大震災の被災地を見つめているシーンが映った後音沙汰が無いからって心配してたよ!」
寅が小さい目を大きくし、
「さくらが?そういや、ここんところ帰って無いからな・・おいちゃん、おばちゃん、皆、元気か?」。
満男はすっかり安堵の表情。
「元気だけど・・伯父さん、一緒に帰らないか?」
寅は、首を傾げ、考え。
「う~ん、今日で祭りは終わりだから・・帰るか?しかし、夜になるぞ。お前達これからどうするんだ?」
満男が神社の鳥居を指差し。
「浅間神社にお参りしてから、水族館や動物園其れに・・え~・・」
泉が笑いながら。
「満男さん、そんなに廻るんだからあたし達も夜になるんじゃない?確か九時だったわね?」
満男が頷くと。
「そうだよ。日本平の夜景を見てから駅まで戻り、レンタカーを返し九時の電車に乗る。おじさん、駅で待ち合わせして一緒に・・」
寅はギクッとし。
「駅って、新幹線じゃないだろうな?俺はあれ苦手なんだよな」
と、目をしばたたかせる。
満男が口を尖らせ。
「大丈夫だよ、俺も泉ちゃんもついているし。ああ、そうだ、来る時に駅にすっごい美人がいてさ、少し話したんだけど、俺達と偶然同じ電車で東京に帰るって言ってね。指定席の予約をしていたからひょっとしたら・・」
寅は尻込みをする様に路地から浅間通りに出るが・・人とぶつかりそうに・・。
寅は相手の顔を見・・一瞬足が止まる。後を追い通りに出た満男と緑も足が・・。
噂の女性が。
「あら?あなた達、駅でお会いした・・浅間さんにお参りかしら?こちらはお知り合い?」
満男がほんの少し間をあけ頷く。
「ええ・・おじなんです・・ね?」
と、寅の顔を見る。寅の視線は一点に集中している。黙して・・。
満男がそんな寅に。
「ねえ、一緒に・・」
寅は澄ましたまま、か細い声で。
「そうね、久し振りだから・・帰ろうね・・」
女性は、そんな寅の表情を見、口に手をあて、思わず笑いだす。
「じゃあ、おじさん、静岡駅にみどりの窓口っていうのがあるから、其処で待ち合わせしようよ。八時半には来てよ!忘れないで!」
寅は美女の背を見ながら・・夢遊病患者の様に。
「・・まどぐち・・?」
満男が泉の顔を見。
「大丈夫かな?伯父さん?」
と言うと、泉は、笑顔を返す。
満男と泉は寅と別れ浅間神社に。女性も神社の人込みの中に紛れて行った。
背後から寅の声が聞こえる。
「ポンシュウ。俺、八時頃には引き上げるから、後は頼む。満男の奴、一緒じゃ無いと帰れないってうるさいから。ったく、子供と同じだよ」
二人は、境内に並んでいる出店以外にもお化け屋敷やオートバイサーカスを見て廻る。
お化け屋敷の中は当然ながら真っ暗。泉ちゃんが次から次へと姿を現すお化けに反応し甲高い声をあげながら満男にしがみつく。満男は笑いながら腕に泉の手応えを感じるから満更でもない。
二人が出口から出ようとした時、執念深いお化けが最後のサービスをと飛び出す。今度は満男が、
「何だ、まだいたのかよ!」
と泉にしがみつく。
オートバイサーカスは大きな樽の様な中の壁をオートバイが遠心力を利用して走り回る。オートバイが観客が覗いている壁の一番上に近付くと観客は身を仰け反るようにしながら歓声をあげて喜ぶ。
泉も仰け反りながら。
「これって、外に飛び出しちゃったら怖いよね。ああ、また・・」
次に、怪しげな見世物小屋。表に集客用に蛇女が座っており、男がマイクで。
「この、憐れな女の子は・・」
とお決まりの台詞を。満男が笑いながら。
「こういうの前に見た事があるよ。中に入っても大して面白く無いんだよな」
満男が的が並ぶ店を指差し、
「泉ちゃん射的やろうよ。俺、こういうの得意なんだ。絶対取ってあげるから」
と言いながら、銃の先にコルクの弾を詰め的を狙う。しかし、何発撃っても的は普通に当たったくらいでは落ちてくれない。満男は舌打ちをし。
「あれ、当たっているんだよな?おかしいよ?」
店のおばちゃんが、
「お嬢ちゃんもやってみるかい?」
と、泉が、
「やってみようかな」と、代わって銃で的を狙う。おばちゃんが、
「お嬢ちゃん、この辺りを狙って撃ってみて」
と、サービスをする。泉が狙った的は見事に落下・・。泉が手を打ち、
「やった、凄いでしょ」
と、おばちゃんから景品を貰い満男に見せる。満男は納得がいかない顔をしながら、
「何だよ、泉ちゃんの方が上手いなんて、まあ、いいけどね」。
境内は、人で溢れている。二人は「伝 左甚五郎作 叶え馬」という木製の白馬に向かって、並んでお願いをする。御利益(りやく)はあるのかな・・?
玉砂利を踏む音が響く中、二人は本殿に詣でるが、人垣で一番前には行けないから遠くから賽銭箱を目掛けてコインを投げる。柏手を打っては頭を下げる。
泉が満男の服の袖を引っ張り、
「ねえ、あの絵馬に願いを書いてみようよ」
と絵馬を手に取ると、スラスラと筆を動かす。満男はそれを覗き込むと。
「何て書いたの?ああ、いいね」
と顔を綻ばせる。二人の願いは一生仲良く元気で。
二人は、並んでいる出店を一通り見た後人混みを掻き分け乍ら浅間さんを後にし車まで戻る。さあ、これからが満男の腕の見せ所。
満男が一方通行の内堀のカーブにあわせハンドルを切りながら。
「これが、駿府城跡。江戸城に較べると随分小さいお城だけどね。この中は駿府公園という公園になっていて、一部近年建てられた城門なんかもあるんだよ?」
車は、国道一号線を抜け東海道線の線路の下をくぐり鐘紡通りに入る。真っ直ぐ進み「日本平」と書かれた標識のある交差点を右折する。満男がその手前で、
「これをまっすぐ行けば草薙という地名があって、『大昔、ヤマトタケルがヤマタノオロチを退治した』という所があるんだ。今日は右折して日本平動物園に行くから」
と、車を動物園の駐車場に止め、上野動物園とあまり変わらない広さの園内を見て回る。パンダやコアラの様な特別のモノは見られないが、昆虫・鳥類・猛獣から海獣その他何でもおり結構綺麗な動物園。二人は順路に従い園内を一巡する。
満男がちょっと関係無い話を始める。
「静岡というのは日本でも中くらいの標準的な町だから、昔は、煙草の新製品を全国発売する前に、先ず、此処で発売してみて反応を見たりしたんだ。本当に平均的なところだから、店などは無いものは無いけれど、逆に言えば、これといった特徴が無いんだよね。だから映画などの舞台として使われたことはないんだ」
二人を乗せた車は日本平パーキングウエイを軽快に登って行く。満男がアクセルを踏み込みながら、
「この道は元は有料道路。飛ばしやすいがカーブもあるので、僕の様なバイク族にとっては格好のローリング場所になっている。危ないけどね・・」
と言っていると、前を走っていたバイクが対向車線を走って来たバイクに片手を挙げて合図をしている。日本平の頂上に着いた。車を駐車場に止めた満男が、
「泉ちゃん、ロープーウエイに乗ろう?家康を祀ってある久能山まで簡単に行けるんだ」
と、泉と並んで、乗り場に向かう。ロープーウエイから辺りの山や谷を見ながらあっという間に久能山に到着。泉がゴンドラを降りながら、
「結構高い所を通って来たね。ちょっとスリルがあったな。あれ?海が見える。太平洋が拡がって・・」。
久能山の東照宮は日光の東照宮の親戚だ。何れも家康を祀ってある。満男が小さな神社を見ながら、
「家康の遺命によってこの地に埋葬されたらしいんだ。大きさは日光とは比較にならない程小さいけど。家康は、常に西の方角を気にしていたと言われているんだけど、まあ、京の都があったせいもあるんだろうけれど、幕末に幕府が無くなる原因となった薩摩・長州・土佐は全部西だったから、勘は当たったのかもしれないな?」
と言いながら泉の頷く顔を見る。
二人がロープウエイ乗り場に向かうと、泉が。
「この後は水族館かな?立派な水族館だって地図の観光案内にも書いてあったね?」
日本平を清水側に下れば羽衣の松で有名な美保に着く。東海大学海洋科学博物館は大きい。近頃は何処の町にも水族館はあるが、此処は海洋学部を持つ東海大学の研究も生かされており、恐竜博物館などもあるので、まあ、楽しめる。
うみの博物館では満男が。
「日本で一番深い駿河湾には随分多くの生きものがいるんだ・・面白い」
と言いながら、泉と一緒に館内を歩いては、互いに顔を見合わせる。
二人は満足気に車に。辺りはすっかり夕暮れ時。満男が運転しながら、
「さあ、これからがとっておきの・・泉ちゃん」
と、ニヤリと笑う。車は、来た道を戻り日本平パークウェイを登って行く。再び、日本平の頂上に着くと日本平ホテルに車を止める。満男が泉の背を押すようにしエレベーターで6階に。
ドアが開くと目の前にスカイテラスからの絶景が拡がっている。夕暮れ時から夜に変るあたりが二種類の景色が見れて最高だ。日本一の富士山をバックにし、眼下に拡がる清水港や街一体に陽が落ちていく。
やがて、十万ドルの夜景が現れる。
「わあ、綺麗!」
思わず泉が呟きながら満男の顔を見る。
満男は自慢げに、
「ねえ、いいでしょこの景色。何度見ても飽きないよ。お母さん達にも見せたいくらいだ。東京の高層からの夜景と違い、自然が造った壮大な景色だからね」
と言いながらスマホを取り出す。
先ずは、夜景を撮影し次は、
「泉ちゃん、其処に立って」
と、泉の背後に夜景が来るようにと、名カメラマンに変わる。それを見ていた男性が、
「君も一緒に写してあげるよ。はい、二人並んで、いい顔して」。
二人共、今度は最高のモデルになる。
七時も過ぎた頃、満男の運転する車はパークウェイを静岡に向かい一気に下って行く。満男が車の時計を見ながら、
「泉ちゃん、もう少し時間があるから寿司でも食べて行かない?御免ね?休み無しで引っ張り回しちゃってお腹空いたでしょう?」
と、泉が頷く。
「うん、お寿司・・いいわね。静岡は新鮮なお魚が食べられるから楽しみ」。
満男が、駅でレンタカーを返すと二人は駅近くの寿司屋に入って行く。
時刻は八時半になろうとしている。店を出た二人は待ち合わせ場所であるみどりの窓口に向かう。
と、満男が人混みの中で、
「あれ?あれ、おじさんだ。何してんだろう?」
と、一点を指差し泉に話し掛ける。
「あの~、『もぐら』の窓口って何処でしょうか?」
必死で辺り構わず聞いて回る寅の声が聞こえる。満男が走って寅に近寄るが泉は笑い転げている。満男は、
「さあ?もぐらの・・?分かんねいな。この辺りにはもぐらは出ないけど・・」
と真面目に話を聞いてくれている男性に、
「すみません」
と頭を下げながら、寅に、
「おじさんこっちだよ。みどりの窓口は」
と、寅の背中を押し泉も一緒に窓口に入る。
切符は取れた。やはり、二人と・・いや・・三人は比較的近くの席になった。静岡に止まる電車はひかりの指定席かこだまの自由席が比較的空いている。
さて、車内では寅さんの独り舞台。
「おい、満男。俺の席はどこだよ?」
と、言いながらも、美女に話し掛けやすいようにと、席はあっても無いも同然。通路に立ったまま女性に次から次へと喋りかける。女性が弁護士だという事も話題になっているが、襟の金属バッチを見れば知っている人なら分る筈。
女性の隣の席の年配の男性が気を利かしてくれ、笑顔で。
「何か話があるようだね。若い者はいいね。弁護士さんに何か相談かね?良かったら僕が君の席に移ってあげようか?何処だって座れれば同じだよ。
僕は判事をやっているから、また偶然会う事もあるかも知れないな。袖すれ合うも何かの縁と言う言葉もあるからね」
と、席を変わってくれた。
満男が寅の代わりに判事にお礼を言った時には、寅は話に夢中で・・。寅が女性に・・。
「本当に、甥の・・満男と言うんですが、お世話になりまして。まだ、ガキなんで、一緒に帰ろうって言うんで。あの、静岡には何かご用事があって?」
満男達二人の出番は無い。
女性は笑みを浮かべながら、
「ええ、裁判所に用事がありまして・・丁度お祭りだったんでついでにお祭りを見ながら神社にお参りをと思いまして」。
寅は驚いたように、
「裁判所?するってーと、遠山の金さんなんか・・『諸肌なんか脱いじゃって、おうおう!この背中に咲いた桜吹雪、散らせるモンなら散らしてみろい!』なんて、先生もやられるんですか?見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、たいしたもんだよ蛙の小便なんちゃって」。
弁護士高野ゆかりは、身体をくねらせながら大笑い。
満男と泉は、寅達二人のテンポのいい?会話に、
「何か違うんじゃない」
と思いながらも、「まあ、いいだろう」と、一緒に楽しんでいる。満男が、周りを見回すと、派手なアクションに大きな声で話し続けている寅にお客さん達も今日は多めに見てくれているようだった・・。
通路の背後から車掌がやって来た。
「切符を拝見・・」
素直に切符を見せる客達。
一人だけ例外が・・。寅は車掌にお尻を向けたまま、
「今、忙しいんだよ!」
と、力んだ弾みに車掌目掛けてガスが。「何?切符?あれ?」と腹巻の中に手を入れて探し出す。
車掌は、噴射され片手で扇ぎながら片手で鼻を摘まむ。
寅は車掌の顔を見。
「出物腫れ物所嫌わず って言うだろ、な!」
満男が立ち上がり。
「おじさん、俺がおじさんの分も持っているから」
と言い、車掌に三人分の切符を見せる。
車掌は其れを見、
「これ、一つ席が違うなあ?お客さん?こっちの席・・」
と先程の判事が座っている席を指差す。
満男が車掌に席を変わって貰った話をする。
寅は、そんな事は関係無し。車掌の顔に目を遣った後、ゆかりを指差し、
「この方を何方と心得る?弁護士の先生だよ!」車掌は、「それとこれとは関係無いが・・」とは思いながらも、「席はそういう事ならいいか」と呟く。
寅が車掌の肩を叩き、「そうよ、仕事ってのはね、何しても楽なものってのはないんだよ、うん。ご苦労さん」。
車掌は良くは分からないが励まされ車掌室の方に戻って行った。
寅はゆかりに自分の家が柴又だとか家族の話などをし、ゆかりは事務所は上野だが住まいは金町で帝釈天には最近は行っていないから、今度行った時に寄ってみるという所まで。話はトントン拍子に進んでいる。
寅が、「ええ、是非・・」と話し掛けた時、車内のアナウンスが、「間もなく終点東京です。中央線・・今日も新幹線をご利用くださいまして有難う御座いました。Ladies and ・・ 」。
ゆかりとは其処で別れた。
東京駅から柴又までは1時間程。四人は、「只今!」と深夜でも灯りが灯っている家に入る。満男が静岡から寅や泉も一緒に帰る旨の電話を入れてあったから、家族は勢揃い。
さくらが、
「お兄ちゃんお帰り。泉ちゃんもようこそ。二階に布団用意してあるからね、ゆっくりしてって」。
博も、「兄さんお疲れ様」、寅が、「おいちゃん、おばちゃんも相変わらず元気そうで・・」。
静岡の話はまた明日の晩に話す事にした。
翌朝、寅が二階から降りてくるなり、「腹減った、昨日から碌なもの食べて無いからな、おばちゃん頼むよ」。
泉は、今日は店の手伝いをしたりさくらと一緒に出掛けたり。明日は土曜だから満男も休み。二人で都心を彼方此方ショッピングなどをする予定だ。
満男のプロポーズは鹿児島県奄美大島加計呂麻島の海岸で事実上済んでいる。後は、結婚式を何時どうするかだが、これは、また次回お時間がありましたら。
寅は朝食を食べ終えると上着を引っ掛け出掛ける。神田の本屋に向かっている。
寅は、宝良堂と言う本屋に入るなり店主に、
「今、一番売れっ子の書いた本はあるの」
と聞く。
実は、寅は昨日の新幹線の中でゆかりから本は本当に楽しいものだから読んでみろと言われその気になっている。
店主は頷くと、
「お客さん、あんた売れっ子と言えば、ずっと売れっ子の凄い人がいるんだよ」。
寅が疑り深そうな顔をして、
「ずっと売れっ子?そんな人いるのかい?また、旨いこと言って詰まらないもの買わせようってんじゃないの?」
店主は手を払うように振ると、
「夏雅又北っていってな、かなり前に書いた本がまたブームになり、今は知る人もいない大先生。買いに来る人が後を絶たないよ。純文学だからね。つまり、今は若者でも文学的に価値のある表現は出来ない。だから、電子書籍など簡単にストーリーさえ面白ければそれには文章の味わいが伴っていない。出版社が、ただ、儲かればいいという考え方だからね」。
寅はふーんと感心しながら大きな声で、
「夏が又来た?変なおじさんだね」
と、狭い店の通路で動いた途端草履の上から痛いと言う程下駄で足を踏まれた。
弾みで小さな書店の棚に手を掛けたから棚が倒れてき本が雪崩のように飛び出し寅の頭にも。寅が顔をしかめ踏まれた足をさすりながら、
「痛っ、何だよう、おじさん」
と年配の男性に詰め寄る。
店主が散乱した本に困った顔をしながらもハット気付いたように、
「ああ、先生でしたか。よくいらっしゃいました。今日はまた何の用で?」。
先生と呼ばれた男性は、
「いやね、其処の出版社まで来たからついでに此処に寄ったら私の名が聞こえたから」。
それより寅の顔を窺い、
「痛そうだな、悪かったなついうっかりして。そうだ、どうだね、お詫びに、茶でも飲まんかね?」
と、寅に話し掛ける。
寅は、先生とは又来ただろうと思い、
「あんた有名な物書きなんだって?そうだな・・茶でもと来たか、行くか」
二人はごちゃごちゃになった本屋を後にして歩き出す。
後ろでは、店主が、
「何しに来たんだろうな?こんなになっちゃって」。
二人は並んで歩きながら、寅が、
「おじさんも又来たって変わった名前だな。そんなに夏が好きかい?」。
おじさんは顎髭に手をやると、
「いや、そうじゃ無いんだ、字は、「又北」北なんだな・・まあそんな事はどうでもいいが」。
二人は近くの喫茶店に入る。
店の店員達は又北が何者かを知っているし常連客なので何時もの席に案内する。
店員がコーヒーを持って来、
「先生、今度の作品読まして頂きました。私の好みなんですが、やはり純文学はいいですね。デビュー作の『吾輩は・・こ・・』から、全て読ませて頂いて来ましたが、今回の新作『あんたも辛いか』もいいですね」。
店員は邪魔にならないようにとすぐに引き下がったが、寅がその話を聞きかじり、
「吾輩・は・たこ?おじさん、たこならうちの裏の工場にもいるんだけどね、これが・・」
と、話し始めたが・・。
店内にいた女学生二人が慌てて二人の席に駆け寄ると、
「夏雅先生ですね。ファンです、サインをお願いします」と自分の持っているスマホや本とマジックを夏雅に押し付けるようにしながら頭を下げる。
夏雅は躊躇しながらもスラスラとサインを。
寅は目の前で何が起きているのか分からず、
「近頃の女学生は年寄り好みになったのかね?」。
夏雅は微笑みながら寅の話を聞いている。
寅は女学生が持っていた本の表紙をチラッと見ていたらしく、
「・・枕っておじさんの・・ああ、先生だったな。腕枕って・・先生も隅に置けないな?何処かの芸者か何かと・・?」
と細い目を一層細め口を歪まし笑う。
夏雅は飄々として寅の話を聞いている。
寅は、自分の名は車寅次郎、柴又に帝釈天の参道に家があり名物団子屋をやっている事、家族の事、帝釈天の話などをまるでその場にいるかの様に連発する。
夏雅がほうっと頷きながら、
「帝釈天か、何年も行って無いな、今度行ってみるか。団子は美味しいんだろう、くるま屋だったね」
と、寅の話も満更では無いようだ。
一時間以上いただろうか。二人は店を出るとゆっくり並んで歩きながらメトロの駅に向かう。
すれ違う人達が振り返って行く。
駅で、二人は其々のホームへと別れた。
寅はメトロ丸の内線に乗る。降りた駅は霞が関。階段を上がればすぐに地方裁判所。
1階ロビーの守衛ボックスに備えつけてある「開廷表」で、その日に審理される事件の時間や法廷番号等を確認しないとその日開かれている法廷・裁判は分からない。
寅は辺り構わず、
「あのさあ、高野ゆかり先生は何処にいるか知らないか?弁護士の先生」。
誰も知らんぷりをしているから寅は膨れ面で呟く。
「あんな綺麗な先生も知らないのか?」
寅は、随分派手な金バッチを付けた男がいるから近付くが、勘で、これは違うと気付く。(やくざ)
何とはなしに開廷している法廷の前の廊下に出る。
寅はドアを開け中を彼方此方珍し気に見廻す。
傍聴席に座り、寅は質問をしたかったのだろう、手を挙げた。しかし、もう法廷は終わりだ。皆、ぞろぞろと出て行く。
一段高い所の黒い法服を着た三人の内、真ん中に座っていた男性が寅に気付いたようで笑いながら寅に手を挙げる。
書記官たちは何事?何処の大先生?と驚いている。寅は、何処かで見た事がある顔だと思い近付くと裁判官は、
「その恰好じゃ、すぐに分かるよ。昨日のお友達かい?一回言ってみたかったな。判決!会えそうでござるぞ、『これにて一件落着!』」
と、金さんのポーズをとる。
寅は気が付いてみれば昼は何も食べていない。人に聞いたら地下に食堂があると言う。
地下の食堂で食券を買おうとした時、郵便局から、何とゆかりが出て来る。
ゆかりが一目で寅に気付き、
「あら、寅さん?どうしてこんな所にいらっしゃるの?あら?お食事・・私も食べようかな」。
寅は「お傍がいい」と思い蕎麦にした。ゆかりも。
寅は蕎麦をすすりながら、
「いや、俺さ、こういうとこ来たこと無いから一度来たいとは思っていたんだけどね。しかし、遠山の金さん名判決だったな」
ゆかりが水を飲みながら、「どうかされたの?」。
寅が水を一杯飲み、
「昨日のおじさんに会ったんだけど遠山の金さんをやってるらしいんだよ。ぴったんこなんだよな。先生も弁護士やって長いんでしょう?」。
ゆかりが考え事をするように、
「弁護士の仕事は長くやっているからいいんですけれどね・・」。
寅は、何故か、ゆかりが家族の話でもするのかと思っい少しうつむき加減で、
「俺なんかずっとこんなんだからいいけど、先生ともなれば、御亭主や子供さん達もいるだろうし家庭と裁判の両天秤。だからその天秤のバッチしてるんでしょ?」。
ゆかりは苦笑いをしながら、「ええ、主人は亡くなったけれど、母と二人よ」。
それを聞いた寅さん、「そうか、御主人にご不幸があったんだ」と、複雑な表情をする。
寅は、暗い裁判所の地下から出たくなり、「先生、この後事務所にでも帰るの?忙しいだろうからな」。
ゆかりは頷きかけ、「でも、まだ時間はあるし、寅さん、お茶でも飲む?」。
寅は今日はよくコーシーを飲む日だなと思いながらも、
「いいの?この先に『俺の門』ってのがあるから、其処辺りできっちゃ店でも行ってみようか」
と、マイケルのように軽くステップを踏む。
かくして、二人は虎ノ門の外堀通りにある喫茶店に入る。
寅がテーブルに並んだコーヒーカップのスプーンをいじくりながら、
「先生の仕事はいろんな人から相談受けるんだろ?でさあ、法律?てなものは掟みたいなものでしょ?『約束は破っても人を悲しませることがない、破っても注意されるだけで済むことだ。でも、掟は破ると人が悲しむ。だから命をかけて守らなきゃならないものなんだよね。約束と掟、これを上手に使い分けることが大事なんだな』」。
ゆかりが頷きながら、「約束も大事だけど、まあ、皆さんが、寅さんみたいな人だったら、いいんだけど」。
寅がそんなものかと思いながらも、「先生みたいなインテリというのは自分で考えすぎますからね。そのうち、俺は何を考えていたんだろうってわかんなくなってくるんです。つまり、テレビの配線がガチャガチャに混みいっているとすると、その点俺なんか線が一本だけですから、空っぽといいましょうか?」。
ゆかりがまた笑う。
大きな声で話す寅とゆかりの話を聞く気が無い店内の客も思わず聞いて笑っている。
遂に、寅は空になったコップの水を注ぎにきたウエイトレスを捕まえ、
「眉と眉の間の『いんどう』お嬢ちゃんあなた、ここがすばらしく輝いているね。いい愛情に恵まれておるかもしれない」。
謂われたウエイトレスは有難いやら照れ臭いやら何だか良く分からない。店内は、またもや寅のワンマンショーの舞台と化した。
寅はハッとし、
「あれ、俺、何しに来たんだっけ?そうだ、先生、そういう訳だから(どういう?)・・柴又に来たら、うちに寄ってゆっくりお話ししましょう。気兼ねがいらない者ばかり揃っているから、うん」。
ゆかりと別れた寅は、鼻歌を歌いながら柴又に戻る。
「お帰り」おいちゃん・おばちゃん・さくら・博・泉が出迎える。間も無く、満男も帰って来る。
泉は、今日は午前中手伝いをした後さくらと一緒に新しい生活にどんな物が必要か見に行った。明日は満男と一緒に不動産屋に行ったり、ショッピングをしたり遊んだりするつもりだ。
おばちゃんとさくらに泉も手伝って、食卓を飾る夕食をいただきながら昨日の静岡の話が始まる。
泉が先ず、「静岡っていいところ。食べ物は美味しいし、いろんなものが見れて良かった」。
満男が頷きながら、「やっぱり、俺の案内が良かったかな。でも、伯父さんに会うとは思わなかったな。祭りは何処もそんなに変わらないかも知れないけれど、泉ちゃん、あそこ最高だったでしょう」。
さくらがお茶を注ぎながら、「お兄ちゃんに会えてよかったわね。何?最高って?何処かの場所が良かったとか、ヒントは?無いの?」。
博が箸を動かしながら、「静岡と言えば、富士山じゃないかな、でも、ちょっと離れているけど」。
竜造が食卓を眺め、「静岡と言えば、昔からお茶に蜜柑や・・」。
常が寅のご飯のお代わりをしながら、「嫌だよ、この人は、食べ物しか浮かばないのかね」。
寅がお新香を摘まみながら、「俺も、祭りしか行った事ねえからな。もぐらか?」。
満男が笑いながら、「おじさんたら、みどりの窓口が分からなくて、人にもぐらの窓口なんて聞いてんだから笑っちゃうよ。答えは、お父さんが近かったけど、これ・・」と言うと、スマホを取り出し食卓の上に。
皆が覗き込んだスマホの写真には夕暮れ時の富士山や清水港や街が。
さくらが一声、「夕方のなんとも言えない色彩、いいわね、富士山は立派だし、下に拡がる街も」。
博が継ぎ足すように、「やはり、富士山は日本一だからな。薄暮に映えるってわけだな」。
竜造が、「食いもんじゃ無かったか」。
常が竜造に、「何時までも食意地が張ってんだねあんたって人は?」。
泉が満男のスマホを持ってあげると、「次は、また美しいものが見れます。はい」。
泉が画面を変えると十万ドルの夜景が現れた。「おー!」誰が言うでも無く、小さな歓声というかどよめきが。
博もさくらも持っていた箸の動きを止め、「夜景に見入られるようだな」。
更に泉が写真を変えながら、「満男さんが、私を取ってくれていたら、何処かのおじさんが二人を取ってくれたの」と、人物と夜景が見事にマッチした写真を。
満男が写真を見直すように、「これ、本当に皆に見せてあげたいと思ったんだ。今回の一番の収穫かも知れないな」。
黙っていた寅が、「お前達、俺が商売している時に、こんないいとこ行ってたんだ。俺も行きたかったかも・・」。
満男がスマホは泉に預けたままで、「それでさあ、新幹線の中で・・おじさんたら、何時もの癖が出ちゃってさあ」。
博が笑いながら、「大体、想像つきそうだけれどな」。
さくらも笑いながら、「あたしも、何となくわかるわ。ずばり、美女が・・」
寅が口を尖らせて、「俺は、何も・・」。
満男が弁護をするように、「僕は、尊敬するおじさんの事は黙秘します」。
裏庭の木戸を開けてタコ社長が、「寅さんお帰り、久し振りだね。お?何か盛り上がってるね。泉ちゃんも来てるんだ、こりゃ、何かいい事あったんじゃないの?俺さあ、今日、税務署に行ったんだけどね・・」。
寅が食卓の向こうから、「たこ!そんな話はどうでもいいんだよ、お前は引っ込んでろつうの」。
常が睨みつけるように、「あんたも、何時も同じ事ばっかり言ってないで、今、凄い景色を見ているんだからさあ」。
社長は皆が脱いだ履物を踏みつけ話題の写真を見ようと居間に上がろうとする。
寅がそれを見て、「ああ~、おい!俺の草履踏みつけるんじゃねえよ、汚ねえ足で」。
社長が、泉の持っているスマホを見ながら、皆に一コマ遅れ、「お~!こりゃ絶景だね。何処これ?香港並みの十万ドルの夜景だ」。
寅が手を叩き、「草履で思いだした。そういやさ、今日、神田で物書きの大先生に会ってさ、夏が来たっていうおかしな名前なんだけどね。これが・・」。
さくらが話に割って入ると、「ひょっとして夏雅・・あの有名な?」。
博が付け足すように、「兄さん、夏雅又北って言ったら、今知らない人はいない程の日本一の作家ですよ。会ったんですか?凄いじゃないですか」。
寅が話を続ける、「それがね、俺にお茶でも飲もうなんて言うから、付き合ってあげたんだけどね、ほら、俺も気を使う方だからさ。爺さんなんだけど、女学生なんかにモテちゃって、(女学生の顔真似をしながら声色を変えて)『先生、サイン下さい』、なんちゃってさ」。
社長がぷっと吹き出すように、「寅さんも、俺もモテたいななんて、思ったんじゃないの?ふ!」。
寅が脇にあったスリッパでタコ社長の頭を引っ叩く。「うるせえ、たこ!お前は卑しい人間だな、物書きってものは・・何だっけ?博?」。
博が笑いながら、「作家とは、芸術と言い、画家が絵を描き、音楽家が楽器を弾くように、人間が持つ才能の中でも文学と言う魔法を操る素晴らしい人たちなんですよ。特に、夏雅又北程になると、百年に一人出るか?という、まあ、正しく天才と言っていいんじゃないですか・・」。
食卓を囲んで皆が、「そうだよね」と頷く。一瞬、穏やかな、そして皆が芸術家になったような不思議なムードが・・。
後半。
翌日、満男と泉は結婚前に住む家を探しに行く。結婚式は何れ盛大にやる事になるだろうが、その前に取り敢えずという訳だ。
満男が泉を見て、「僕の会社の事はあまり気にしなくていいよ。泉ちゃんが住みやすい所が一番だから」。
泉が頷きながら、「うん、でもそう言っても、私は柴又くらいしか知らないし、皆がいるからこの近くでもいいんだ」。
満男がハタと考え、「この辺なら、不動産屋なんて通さなくても見つかると思うけどな。ねえ、母さん」。
店の奥からさくらが、「そうよ。御前様なんかに聞いてみれば。何て言ったって顔が広いだろうから。あたしも一緒に行ってあげようか?」。
三人が揃って店を出ようとした時、「此処がくるまやさんかね?」と、男性が店の前に。
さくらが店から出て、「いらっしゃい、あれ?夏雅先生!」と言うと、驚いたまま振り返り、「お兄ちゃん、夏雅先生がお見えになったわよ。お兄ちゃん!」。
寅が二階から楊枝を咥えながら階段を降りて来る。「何だよう。何回も呼ばなくたって・・」と、客に気が付いて、「あれ?又来たの先生か、」。
夏雅は微笑んで、「いやあ、団子を食べようかと思ってね。君が美味しいって言うから。邪魔してもいいかね?」。
店の奥から竜造や常が飛び出して来て、「大先生が・・こんな粗末な店に来て下さるとは、光栄の限りです。どうぞ、此方の席にお座りになって。今すぐ用意しますから」。さくらが慌ててお茶を出し、「それまで、お茶でも」と言いながら店の奥に。
こういう事には敏感な帝釈天通り界隈の人間がくるまやの周りに人だかり。
警察官も、源公もしっかり来ている。
丁度裏から現れたタコ社長は驚き工場に飛び込んで行く。
仕事中の社員達も我先にと、有名人を見たくて仕事をほっぽらかし、手にはめいめいサイン用の慌てて用意した何かを持ち。
寅がそれを整理するように、「お~、労働者諸君!ご苦労。此方がかの百年に一人誕生するかどうかと言われている大作家の夏雅先生・・」と、言いながら、集まって来た労働者諸君が持って来たものを見、「何だ?これ、俺の褌(ふんどし)じゃねえか!何だよお前も金槌(かなづち)なんか持って来て、これで殴るつもりじゃねえだろうな?」。
さくらが団子を持ち、「先生、此方で宜しいでしようか?」と腰を低くして夏雅の前のテーブルに名物団子を置く。
夏雅は頷くと、「悪いね、早速戴くとするか。うん、こりゃ旨い。わしゃね、古い人間だから子供の頃からこういうものを食(しょく)して来たが、これは、格別だな」。
寅が、労働者諸君に、「おい、大先生は食してらっしゃるから、ちょっと待て!食(しょく)すだと、流石に文学・・だっけ、博?俺なんかと使う言葉が違うからね、ほんとに・・」。
博が笑いながら、「先生も落ち着かないですね。済みません」と夏雅に頭を下げながら、寅の顔を見、「兄さん、この後は何方へ?」。
寅は労働者諸君を制止しながら振り返り、「うん、先生が帝釈天に行きたいっておっしゃっているから、おい、源公、お前が先導しなさい」。
夏雅が団子を食べ終えるのを待っていた人々が、サインを貰おうと思い殺到する中で巡査の交通整理が始まった。
流石にこういう事には慣れているのか、夏雅は、次々にすらすらとサインをしていく。
しかし、夏雅も鍋や茶わんにサインをした事は無かっただろう。次第に警察官のホイッスルと共に人々は引き揚げて行く。
源光が人混みを掻き分けるように通路を作り、夏雅・寅・満男・泉・さくらと帝釈天の境内に向かう。
途中、「寅さん記念館はこちら」という案内版を見て寅が、「何だよこれ?俺の記念館?」。
これだけの騒ぎになると、何事かと御前様も表に出て来ていた。
夏雅と御前様はほぼ同時に頭を下げにこやかに笑う。源光と寅が夏雅を案内し、夏雅が履物を脱ぐと回廊に上がる。料金を払おうとする夏雅に、寅が払わなくてもいいよと言うが、そこはキチンと払い回廊を歩いて廻る。
回廊を廻る三人。中庭の所で夏雅が立ち止まりじっと何かを考えている。寅が横から覗き込むように、「先生、どうかしたの?こんな庭なんか何処にでもあると思うけど、何か面白い事でもありそうかい?」。
源光が庭の掃除をしているから、「何か気になるものがありましたら取ってきましょうか?」。
夏雅は手で顎を受けて、「いや、そんなんじゃ無いんだ、ちょっとね」。
寅が感心をしながら、「ふ~ん、やっぱり大先生となると、ちょっとした事でも、もしかして、文章の参考になんて考えるのかもね?」。
夏雅は首を振りながら、「うん、まあ、それもそうだが、ちょっとトイレは何処かにあるかな?」。
源光が夏雅をトイレに案内する。寅も一緒にトイレに行く。二人で並んで用を足しながら寅が、「何か浮かんだんですか?」。
夏雅は水で手を洗うと、「私の古い作品の中で、『彼岸過・・』という此処が出て来るものがあったんだが・・それを思い出してね。少し間違っていたのかななど思ったので・・」と、寅が、「先生程の人間でも間違いなんてあるのかね?」。 夏雅は寅の顔を笑いながら見て、「君、人生なんて、間違いだらけのようなものとも言えるんじゃないかな、まあ、それで、いいんだが」。
寅はふと博の父の事を思い出し、「実は博のおやじっていうのが大学の先生でしてね、俺と二人の時にこんな事を言ったんですよ。『例えば、日暮れ時、農家のアゼ道を一人で歩いていると考えてごらん。庭先にりんどうの花がこぼれるばかりに、咲き乱れている農家の茶の間。灯りがあかあかとつき、父親と母親がいて、子供がいて、賑やかに夕飯を食べている。これが本当の人間の生活というものじゃないかね』、なんて言われたことがあるんだけど、やっぱりさっきの先生を見ていて、ちょっと思いだしちゃったんだけど」。
夏雅が少し笑いながら、「うん、人間の考える事と言うのは、ちょっと深く考えると同じ原点に近づくものなのかも知れないな・・」。
寅が夏雅の作品の一部を思い浮かべて、「しかし、あれだけ中身が濃く長~い文章を書くってのも肩凝っちゃうじゃないかな、俺なんか長い文章なんて学校の頃からかけなくてさあ、ちろちろっと書いてから先生に怒られたりして」
夏雅が思いだした様に、「文章は長ければいいというものでも無いんじゃな。私の知り合いで阿弥陀川君いうものがおったんだが、彼の作品で『蜘の・・』というものなどは教科書にも載っているくらいだ。子供でも読み易いものだが、たった原稿用紙八枚くらい程度の作品だが、素晴らしいものだ。
ストーリーは分かり易いし、表現力が豊かで無駄が無いから短くても本物と言える。
残念じゃが、他にも良い物があったんじゃが亡くなってしまった。
文章が綺麗だと言われた川志田君も優秀だったが、惜しくも亡くなった。
彼なんかは、『雪・・』という作品を早いうちに作り本になっているが、実にその後約三十年もかけて校正を繰り返していた、納得がいかなかったんだろう。出来上がった何年後に亡くなったがね。先日、電子書籍というものを見てみたが、誰でも簡単に書けるという事はいいが、文章の味わい・・か。まあ、そんな時代なんだろうから、どうでもいいが」
寅が神妙に聞きながら、「やっぱり、頭のいい人にはそれなりの考え方があるって事なのか、俺なんかには分からねえけど」。
一方、さくら達三人は、御前様に二人の住いの相談をする。御前様が自分で納得するように頷きながら、「そりゃ、二人の希望通りのものが見つかるかは、分からんが宛はある。早々に聞いてみるから、安心していなさい」。
それを聞き、満男と泉は顔を見合わせて笑う。さくらも顔を綻(ほころ)ばせ、「すぐに見て廻れるかも知れないわね」。
そう言ってる間も無く、帝釈天に家主がやって来た。家主の話では、「何処がいいかね?若し、さくらさん達が住んでいる近くで良かったら、取り敢えず二軒ほどあるから、早速見てみるかね?」。
さくらが、「泉ちゃん、うちの近くでもいいの?私や博さんは歓迎だけれど、気を使わなければいいけどね。どう?」。
満男が泉に気を使い、「泉ちゃん、無理しなくてもいいからさ、俺も何処でもいいんだけど」。
泉が手を振りながら、「場所は何処でもいいんじゃない、満男さんの家に近ければ二人共見慣れたとこの方が。でも、部屋の中がどうなっているのかをお母さんの意見も聞きながら、よく考えれば」。
さくらが胸を叩くように、「それは任しておいて、女同士で便利か不便か一緒に考えましょう?」と、満男が、「そうだよな、俺なんかは会社に行って帰って寝るだけだからどうでもいいけど、泉ちゃんは家の中でいろいろやる事があるだろうからね。ねえ、母さん」。
三人は、大家に先導され先ず一軒目を廻る。間取りは大事だ。何部屋あり、どの部屋で誰が何をするか?トイレは、風呂は、洗濯機置き場は、物干しは・・等。さくらと泉が部屋の中を見て廻る。大家は質問に答える。ざっと見てからさくらが、「もう一軒も見てみましょう」と、大家が、「そりゃ、較べた方がいいね、それでも足りないところがあったら、まだ他にも空き家やアパートはあるから、心配いらない。何なら、俺の知り合いも同じ様に物件を持っているから、そいつに聞いてみてもいいと思うよ。ほら、俺は真っ先に御前様から言われたからだけど、大丈夫だよ」。
二軒目を廻る。やはり間取りや日当たりなどは多少違って来る。
女性二人で同じ様に中を見て廻る。二軒とも広さ的には3DKだからまあ十分だろう。
大家が三人に、「戸建ての二階建てやマンションもあるから焦らないでゆっくり見てよ」。
満男が泉に、「泉ちゃんは名古屋でお母さんとマンションに住んでいたから、マンションって言う手もあるな。
どう、泉ちゃんマンションの方が慣れているんじゃない?」と、泉が、「うん、マンションは特に困る事は無かったけど、お母さんがスナックやってたからね、多少は家賃が高くても何ともなかった」。
満男が頭を掻きながら、「そう言われちゃうと、俺の給料なんか安いからな・・でもマンションでもいいよ、頑張って働くからさ、ね、泉ちゃん」と、さくらが、「そうね、マンションもいいかもね。足りない分は応援するから」。
それを聞いて泉が、「おばさん、それは大丈夫です、私もまだ若いんだから、働きますから」。
満男と泉は以前、泉の学校の先生の紹介で銀座四丁目の楽器屋に面接に行った事を思い出した。
満男がそれを気にしながらも、「泉ちゃん、今度はあんな都心で無くても、山手線沿線位ならきっと見つかると思うから心配無いよ」と泉の顔を見る。
大家が、今日の三人の見学を参考にしマンションなども探してくれるから、取り敢えず帰ってからいろいろ考えた方がいいよと言ってくれた。
三人で廻った二軒も決して悪くは無かったが、今日の所は、大家さんからの連絡待ちという事になった。
くるまやに戻った満男と泉は生活用品を見て廻る事にした。
昨日、さくらが泉と一緒に見てくれたから、今日は、満男に確認をして貰うだけだ。
ついでに、二人で上野の美術館も見て廻ろうという事になった。
二人はまだ昼食も取って無いから、普段家ではあまり食べない物がいいかと思い、満男が、「泉ちゃんカレー何か食べる気無い?」と、泉も賛成という訳でカレーの専門店に。
満男がメニューを見ながら、「近頃はカレーと雖も結構いいお値段だね」。
泉が頷きながら、「うん、でも、美味しそうじゃない。私はこれ、満男さんは?」。
二人で好きな物を頼んで食べ始めると、泉がスプーンを口に運びながら、「満男さんの会社は浅草だったよね?さっき浅草行きの二階建てバスが走っていたから思いだしたんだけど」と、満男が水を飲みながら、「うんそうだよ、靴の営業も慣れてはきたけど、給料が安くてね。転職しようかなと思う事もあるんだけど、社長はいい人だから。僕を採用してくれる会社なんてあるかな?前に就職では随分苦労したからな」。
泉が満男を励ますように、「転職?それは私には分からない事だけれど。若し、本気でそう思っているんなら、私も就職活動をするから、二人で探す事になるかな。でも、家を探すんなら会社が決まってからで無いと無理なんじゃないかな?」と、満男が、「そうなんだな、さっきも実はそう思ったんだけど、やっぱり今のところで頑張るべきかな。もうこれからは一人じゃ無いんだからね。タコ社長の工場よりはましだから・・あ、いけねえ余計な事言っちゃった」。
店を出た二人は松坂屋デパートに入る。
家具の売り場を中心に歩きながら、泉が、「昨日、おばさんと秋葉原の電気屋さんを廻ったんだけど。電気釜なんかは今は違う物に変ってしまっていたし、オーブンレンジや照明器具に暖房やエアコンなど、買わなきゃならない物は結構一杯あるね。でも、秋葉原は安いからあそこで買えばいいねって話をしたんだけれどね」。
満男が、「そうだよ、電化製品はあそこがいいね。家具も安い量販店があるからそういう所で買えばいいよ。折角だから此処で大体の家具なんかを見て参考にするだけ、デパートには悪いけれど」。
机やテーブル・本箱等を見ていく内に、二人は何とは無くこれから二人の生活が始まるんだなという気持ちを感じ、互いの目を見合わせた。
カーテン売り場なども覗き、必要な物の殆どは見て廻れた。
二人は、上野公園口の方に歩いて行く。満男が上野の説明を始める。「この広い公園には動物園や博物館に幾つもの美術館があるんだ。中でも国立西洋美術館はすぐそこにあって歴史も古い、本館は世界文化遺産にも指定されているんだ。この前は行かなかったけど、静岡にも美術館があって、この西洋美術館の表に並んでいるロダンの彫刻なんかは、静岡の美術館の方が「ロダン館」といって此処よりも沢山のロダンの彫刻が見れたんだけどね」と言いロダン作の「地獄の門」を指差す。
美術館は常設展として幾つかの絵画を飾ってある他に、特別展として他の絵画を飾ってある。泉が絵画の一つを指差し、「これ、美術の本に載っていた。綺麗だね。睡蓮って言ったかな。特別展も見てみよう?」二人は特別展フロアを見て廻る。
一、二時間もした頃、西洋美術館を後にし駅前の文化会館でコーヒーを飲む。
満男がカップを手に、「これからは、家探しに、いろんな物を買ったりするけど、二人で生活するっていう実感はどう?」と、泉は微笑んで、「うん、私も一人っ子、満男さんも一人だから、二人になるって事自体楽しくない、それに・・」と、満男が、「それに何?ああ、近くには、家族もいるし賑やかになるって事・・?じゃあなくて?・・そうか、僕が泉ちゃんを愛しているって事?そんなの当然だよ。一生、泉ちゃんの事は大事にするからそのつもりで安心して。今までは、僕も言いたくてもなかなか言えないような時もあったけど、あんな事があり、僕も思い切って言いたいことを言えたから・・前からずっと好きだったんだから、これからも何も変わる事は無いよ」と、満男は、泉の顔を真正面から見る。
二人は、上野公園をぶらぶらした後家に帰ろうとした時・・。
何処からか、「はい、これは安い、お買い得だよ。はい、皆さんどうだね」という声が聞こえて来る。
満男は一瞬、寅を思い出したが、寅の様に威勢が良く無く、啖呵も聞けないが、ちらっと覗いてみた。何と、寅と似た様な格好をしている男が店を拡げている。
満男と泉が顔を見合わせて笑い、満男が、「おじさんの偽物かよ。しかし、上手くないな。此れじゃあ買う人はいないだろうな。
でも、遂におじさんの真似まで出るとは?」。
取り巻いている客がいないどころか、通りかかった警官に説教を食らっている。テキヤ仲間では無いようだ。
二人は夕刻になり上野を後にし家に帰った。
車屋の前で常が、箒と塵取りで掃除をしている。
泉と並んで歩いていた満男が、「只今。おばちゃん、お母さんは?」と、常がニコッと笑って、「二人共お帰り?さくらなら奥にいるよ。博さんももうじき帰って来るんじゃないかね、ねえ、あんた?」と竜造に。
竜造が返事するよりも早く、タコ社長と博が一緒にやって来た。
寅も満男達と入れ替わりに夏雅を駅まで送りに行って帰って来、「今日初めて気が付いたんだけど、何だかさあ、俺と同じ奴が駅前で固まっちゃっていたんだけど、あれ、何だい?俺に似た様な銅像・・?」。
兎に角、家族が揃って店の中に入って行けば、「おばちゃん、腹空いたよ。さくら達も食べて行くんだろう。泉ちゃんもいるし、今日は俺は大先生のお世話、お前達は満男達の家探しだったんだろう?どうだったいいとこ見つかったか?最近は、ウォシュレット付とかな、俺なんか、糞する前にケツ拭いちゃったりして・・。でもなあ、何時までも、二階の俺の部屋って訳にもいかないしな」。
さくらや常が、手慣れたもので素早く夕食を作り始める。
満男達は食卓を囲んで座っている。
常やさくらが台所から夕食を運んで来、次から次へと食卓に並べて行く。「お待ちどうさま」。
寅はよっぽど腹が空いていたようで、早速箸を握る。皆も、「戴きます」と、常がさくらの顔を見ながら、「今日は、泉ちゃん好きかどうか分からないけど、お刺身の盛り合わせもあるよ、生きが良さそうだったから、ねえ、さくら?」。
さくらが、「泉ちゃんの御口に合うかしら、いろいろあるから遠慮なく食べてね」と言った時には、寅が凄い勢いで、食べ始めている。
「お兄ちゃん、皆の分は十分あるから、焦らなくてもいいのよ、ゆっくり食べて」。
寅が茶を飲みながら、「ああ、そうか、どうもテキヤの連中と一緒に食う癖が付いちゃって、泉ちゃんも満男も若いんだから、どんどん食ってな」と満男の顔を見る。
満男が箸を持ちながら、「ああ、そうだ、思い出した。叔父さん、さっき駅前の銅像がどうとか言ってたよね?」と、寅が、「何、ああ、駅前の・・誰があんな物造ったのか知らねえけど俺そっくりだからさあ・・」。
満男が笑いながら、「叔父さん有名なんだよ。今日、泉ちゃんと上野に行ったら、何と叔父さんに似た格好した男の人がさあ、道端に品物拡げて商売してるからびっくりしちゃって」と、寅が、「何?俺の真似?飛んでもねえ奴だな。明日行ってみるか。ところでさあ、家の話はどうなったんだよ?」。
さくらが、満男と泉を見て、「それがね、御前様が顔が広いから、次々に大家さん達が探し始めてくれたんだ。まあ、取り敢えずは、二階に泊まって貰う事にして。何か、今日の感じだと、早めに見つかりそうだったわね。後は、二人の問題、泉ちゃんに気に入って貰えるかどうか」。
泉も満男もそんなに気にはしていない。自分達の心がそう言っている。
寅が御前様の名を聞いて思いだした様に、「今日さあ、大先生が言ってたんだけど、阿弥陀川という大先生と川志田というこれも大先生なんだけど、凄い作品を幾つも作ったのに、突然亡くなっちゃったらしいんだよね」。
博が箸を止めると、「兄さん、それが偶然なのかどうか分かりませんが、確か他にも似た様な作家がいましたね。僕の様な凡人には分かりませんが、それにしても、書いた作品は素晴らしいのに勿体ない様な・・」
常が突然、「寅ちゃんは、大丈夫そうだね」。と、博が苦笑いをしている。
寅は満腹になったのか、「俺、何か疲れちゃったから二階に行く」とボーっと考え事をするように階段を上がって行く。
さくらは食卓に残った刺身を食べながら、「これ、美味しいかったね、泉ちゃんどうだった?」と、泉は、「うん、とても美味しかったから沢山食べちゃった。ところで、満男さん、明日は日曜、どうしようか?」。
満男が、「そうだな、二人で堀切菖蒲園でも行ってみようか?」と、さくらが、「この時分ならいいかもね。200種6000株の花菖蒲が植えられていて丁度今頃が見頃だ。
私達も近いからって行って無いけれから行ってみようかな?ねえ、博さん、どう?」と、博が、「映画ばっかり見てないで、偶には花見もいいな。行ってみようか」。
翌日、四人は菖蒲を見に行ったが、寅は、昨日、満男から聞いた上野の偽物の事が気になり見に行ってみようかと思っている。
寅が駅前の銅像を横目で見ながら電車に乗る。
上野の公園口の辺りで、「成程、俺の偽物っていうのはこいつの事か?ちょっと、見てってみようか」。寅さんに較べれば口上もお粗末だが、何処で覚えたのか似たような事を言っている。しかし、一目で、これは、テキヤでは無いと悟ったようだ。
男は、寅とは風体も服装も違う。
たどたどしく、「・・数字が三つ、ね、七つ長野の善光寺八つ谷中の奥寺で、竹の柱に萱の屋根、手鍋下げてもわしゃいとやせぬ。信州信濃の新そばよりも、あたしゃあなたのそばがよい、あなた百までわしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまで、と、きた、どう・・」と言いながら、拡げた本を売っている。しかし、客はちらっと見ては通り過ぎて行く。
どうやら、偽物は売れなくて気落ちしているようだ。
寅は公園の花壇の縁に腰を掛け暫く聞いている内に、真似事をされているという事よりも、あまり素人だからと、つい立ち上がり、「おい、お兄さんよ。何か事情が有ってこんな事やってるのか?いやね、俺達はこういうのが商売だからさ、あんたが大変だっていうのは分かるんだよ」。
男は、「私は、伊津迄やる野と言うんですが、実は、小さな本屋をやっていたんですが。人にお金を貸したまでは良かったんですが、相手が言うには、会社の景気が悪くて給料が貰えないから払えないという訳で。本を仕入れるお金も無くなるし、客は店から離れて行くし、仕方ないからこうして炉端で商いをと思いまして」。
寅が、やる野の顔を覗き込み、「家族は?女房と子供が一人か。それじゃあ、こんな事何時までもやってないで、真っ当な仕事を見つけて働くしかないな。俺が言える事じゃあ無いけどな」。
寅が拡げてある本を手に取り、「ほう、これ、大先生の本。こっちは法律の本か、バラバラだな。まあいいや」。
やはり、本家本元は違う。
「物の始まりが一ならば島の始まりが淡路島。泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、博打打ちの始まりは熊坂の長範、助平の始まりが小平の義雄っての。続いた数字が”二”。兄さん寄ってらっしゃいは吉原のカブ。仁吉が通る東海道、日光結構東照宮、憎まれ小僧世にはばかる。仁木の弾正、お芝居の上での憎まれ役。憎まれ小僧が出来ちゃいけねぇってんで、教育資料の一端としてお売りいたしましょう。続いた数字が”三”。産で死んだが三島のお仙、お仙ばかりが女ごじゃないよ。昔、京都は極楽寺坂の門前でかの有名な 小野小町が三日三晩飲まず食わずで野たれ死んだのが三十三。とかく三という数字はあやが悪い。三三六歩で引け目が無いよと」。
今迄素通りしていた客が立ち止まって覗いて行く。
その内、手に本を持って考えている客も。
次第に人垣が出来てきた。
遂に、「此れ貰って行くか」と、買っていく客も出てくる。
「続いた数字が”四”つ。四谷赤坂麹町チャラチャラ流れる御茶ノ水。粋な姐ちゃん立ちションベン。白く咲いたか百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。そこの綺麗な・・あれ?」と、人混みの中に一際(ひときわ)目立つ女性が。
寅が、笑いながら、「どうしたんですか?先生、こんなところで?」。
ゆかりも笑顔を返しながら、「あんまり、調子がいい声が聞こえるからつい、つられてしまって」。
寅が手に持っている本をポンと投げ、「先生、公園で気分転換でも?」。
ゆかりは片手で否定し、「やだ、この前言ったじゃない、事務所が上野に有るって、ところで今日は日曜でお休みなんだけれど、ちょっと用事があって来たんだ。良かったらこの後、久し振りに帝釈天にでも行こうかなと思っているんだけれど・・」。
寅は手を打つと、「そりゃ、俺が案内しなきゃ、ねえ、そうでしょ?」。
ゆかりは寅の顔を見、「寅さん、いいの?お仕事中じゃあ?」。
寅が振り返って、やる野に、「そうだ、おい、お前の貸した金の件、この先生に相談して見ろよ。弁護士の先生だよ、赤子の手を捻るようなものじゃないか?先生、お暇な時にこいつの単純に貸した金の件らしいから相談にのってやって貰えませんか?おい、お前からも何か言ったらどうだよ?」。
結局、やる野は頭を下げっぱなしで、名刺を貰い相談に行く事に決めたようだ。
寅はゆかりと並び駅まで。電車に乗り柴又へ。
電車の中で寅は落ち着かないように、吊り輪を持っては、別の吊り輪に持ち変え、顔だけはしっかりとゆかりの顔を見て話をしている。
電車が駅に着いた時、堀切に行った家族も丁度電車から降りてきた。
改札口を出た所で、寅が早速皆に、「此方が弁護士の高野ゆかり先生、ああ、満男達は知ってるよな。そうだ、おばちゃん、一足早く帰って、団子の準備なんかしておいてくれないかな。帝釈天を見た後寄るからさ」。
さくらも、「私も行くから、大丈夫よ」と、ちらっと「さくらの送る姿」の銅像を見る。寅がそれを見て、「何だよ、俺だけじゃなくさくらの銅像まであったのかよ?」。
寅とゆかりが歩いて行く姿を見た通りの両側の店から飛び出して来た連中が、「おい、寅と一緒にいる美人は誰なんだろうね。あいつもどういう訳か、よく美人を連れて来るなあ、どういうんだろうね。まあ、どうせいつもの・・」。
満男と泉も寅達と一緒に帝釈天に向かう。源公が飛び出してきすぐに中に戻って行くと、御前様が出てき、「何?今日は美人だと、昨日は大作家の先生だったが寅も隅に置けんな。まあ、商売繁盛、いや、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」。
寅が、御前様にゆかりを紹介し、「弁護士の先生だから、何でも相談事があったら、ここんところ客が減って・・とかでもいいんだよ?」。
寅が、「先ずは、拝んでから、回廊を見て廻りましょう。御庭も。御本尊は帝釈天となっているけど、昔は、本尊は帝釈天じゃなく、帝釈堂の隣の祖師堂に安置する「満更(まんざら)」だって?」、とゆかりが、「それって大曼荼羅(だいまんだら)のこと?他にも、柴又七福神の毘沙門天は、帝釈天の脇に安置される多聞天(別名毘沙門天)を指すと言われているそうね」。
寅がゆかりの顔を拝むように、「先生もなかなかだね。俺なんかずっと此処にいるけど、詳しい事は知らないからね」。
二人は回廊を廻り部屋を見る。ゆかりが彼方此方見ながら、「久し振りだけど、いつ来てもいいわね」と、寅が昨日の大先生がトイレに行った事を思い出し、「先生、こっちにトイレもあるから、我慢しないで・・」。
「うん、ちょっと拝借しようかな」と、寅も後からついて行たのだが、「ああ、そうか、連れしょんって訳にもいかねえな」。
一通り見終わり靴を履いた頃、御前様がひょっこり現れ、「どうでしたか?美人は・・いや、先生にはお気にいって貰えましたかな?」。
「ええ、前にも何度か来た事はありましたが、今日は、寅さんのせいか」と、笑いながら、「じっくり拝見できました、とっても良かったわ」。
そう言われた寅は、足をもじもじさせながら小さい目を瞬いている。
帝釈天を後にし通りを歩きながら寅が、「先生、今日は団子食べて、それから・・皆、気の置けない奴ばかりですからね、話してるうちに、腹も空くでしょうから、団子だけじゃあちょっともの足りねえから、晩も一緒に、ねえ、先生?」。
寅は、ゆかりとなるべく長くいたくて仕方が無い。
二人は、話に夢中で店を通り過ぎて歩いて行く。
通りの両側の店の常連が、「おい、寅、お前の家通り過ぎて何処行くんだよ。お前んところあそこ!」。
寅はとぼけて、「いや、ちょっと先生と散策、分かるか?君達に?」と、威張りながら家に戻って行く。
待っていたように、常が、団子とお茶を盆にのせてき、テーブルに並べ、「先生、詰まらないものですが、どうぞ」。
さくらが寅の表情を察し、笑顔で、「お兄ちゃん、先生はこの後何かお仕事でもあるのかしら?」と、ゆかりが団子を食べて、お茶を飲みながら、「いえ、今日はもう事務所に寄って用は済ませて来ましたから、特に用はありませんけれど・・でも、長居したらご迷惑でしょう?」。
竜造がさくらの言わんとするところを付け足すように、「とんでもない、弁護士の先生がお見えになるなんて初めてですから、御知恵でも拝借・・、と言うよりゆっくり寛いでいって頂ければ・・?」。
常も、頷き、「是非、一緒に、遠慮なさらずに。ねえ、さくら?」。
ゆかりもスマホを取り出すと、「母さん、今日は御呼ばれに預かっちゃったから少し遅くなるけど大丈夫?うん、そうなんだ。え?近所の人と一緒にお食事?なら、いいけれど。じゃあ」。
さくらが、常が、買い物に、とは言っても、この界隈なら何でも手に入るから、献立さえ決まれば手間は掛からない。
寅が常に、「おばちゃん、芋の煮っころがしじゃあ駄目だよ。鍋かなんか、ああ、サラダに・・」。
柴又通りの街灯に火が灯り始めた頃、丁度、満男も帰って来、泉が笑顔で出迎え、「お帰り。お疲れ様。今日はこの前の先生がいらっしゃってるから、一緒に夕食を戴く事になってるの?」。
満男が、先日のゆかりを思い出して、「今晩は。良くいらっしゃいました。どうぞ、ごゆっくりして行って下さい」。
台所では慣れた手つきで、包丁を使う音や皿に盛りつける音がする・・。
裏の工場から博が戻って来る。「ああ、いらっしゃい。兄さんが言ってた弁護士の先生ですね。先日は、兄がお世話になったそうで、有難うございました」。
木戸が、瞬く音が聞こえ、タコ社長が入って来、「寅さんが言ってた美人弁護士の先生かい?」とニヤリと笑うと、寅が苦虫を潰したような顔で、「うるさいんだよ、タコ?お前は黙ってろって!」とタコ社長の唇を摘まむ。
ゆかりが、店の奥から聞こえて来る声が耳に入ったのか、「何か、皆さん、仲が良さそうで・・賑やかで楽しそうね」。
竜造が店の奥から出てき照れ隠しに、「そうなんですよ。人数の多いのだけが取り柄でして・・」。
料理が並んだ食卓を取り巻くように上座も下座も関係なく輪を描く。
寅が先ず説明をと、「この方が弁護士の先生。この前ね、裁判所で、遠山の金さんにもあったんだけど、これが、名お裁き、『この後会えるでしょう、これにて一件落着!』。その後、裁判所の地下で先生に会えたんだけど、流石だな金さんは」。
博が寅に確認するように、「金さんって・・ひょっとしたら、判事の事ですか?黒い服着て、一番上の席に座っている・・」。
満男が泉に、「泉ちゃん、この前の新幹線の中で、席を譲ってくれた判事さんいたじゃない、覚えてる?其の人じゃないかな?」。
寅が、口を尖らせて博に、「お前、よく知ってるな黒い服着て・・なんて」。
博が、笑いながら、「テレビドラマで、裁判の場面とか出て来るでしょう。それで、・・じゃないかと思い」。
竜造が、箸を持つ手を止めると、「先生は、やっぱり高い席に座るんですか?」。
ゆかりが、「テレビと同じですよ。よく、裁判官を間にして、法廷の両側に立ってやり取りする場面を。あんな風に、裁判官の前で、両側から意見を言ったり、証人尋問などいろんな事をするんですよ」。
満男が、「俺も学校の授業で習ったよ。検事と弁護士が互いに争う・・ってのかな、そんで、裁判官が判決を下すって」。
タコ社長が、争うと聞いて、「じゃあ、先生も争う?・・戦士みたいな事もやるんですか?大したもんですね」。
ゆかりが微笑んで、「検事ばかりじゃ無いんですよ、刑事事件の場合なんかはそうですけれど。たいていは、弁護士同士でとかもあるんですよ?民事事件などでは・・。裁判は、民事事件の方が多いかな。ああ、本人であれば、裁判には出れるんですけれど、慣れて無いから弁護士に依頼する方が多いんですね」。
満男は頷いていたが、寅は、どうもよく分からないようだ。「俺は、あんまり、いろんな事を聞くと、タコじゃ無いけど足が絡まっちゃいそうだよ」
さくらが間をとるように、「どう?お気に召しましたか?」と、ゆかりに聞く。
「とても美味しいわ。やっぱり、大勢でお食事するってのは楽しいですね」。
泉も微笑んで、「私も、今まで何時も母と二人だったし、母は仕事で毎日遅かったから、楽しいな」と、ゆかりが、寅の以前話した時の言葉を借り、「じゃあ、私と同じ、母子家庭かな?」と笑う。
楽しい会話は続く。
何時までも続けば良いのにと、誰もが思った。
突然、ゆかりが、間をあけるように躊躇うと、話し始めた。「実は、私ね、来年、事務所と企業の指示によって、ヨーロッパに行かなければならないんです」。
皆が、ア~んと口を開けた中で、沈黙を破るように博が、「仕事でヨーロッパ?先生は日本の弁護士さんなんでしょう?それが、どういう訳で・・」。
さくらが、「私、聞いた事があるんだけど、国際弁護士とかいう・・」
ゆかりがゆっくりと、「いえ、国際弁護士という資格は無いんです。世界の国々で弁護士資格を持っていれば、その国で弁護士が出来る、つまり、アメリカやカナダは、州毎に資格が違います。私は、勿論、日本の弁護士の資格を持っていますけれど、EUの弁護士資格も持っているので・・かねてから問題があった事で、どうしても行かなければ・・」。
それを聞いた一同は、ビックリ超えた。
一番驚いたのが誰かは言うまでも無い。
常が、その静寂を掻き消すように、「大先生だと思っていたら、それどころじゃ無かったね」と寅の横顔を遠慮しがちに・・・。
ゆかりのヨーロッパ行きの事については詳しい事は分からない。例え、分かったところで、理解するには諸事情があり過ぎ難解だ。
ゆかりの母も一緒に行く事になるらしい。ゆかりの他に同じ資格を持った弁護士と、ゆかりの母の面倒を見てくれるメイドさんが同伴するらしい。現地には、日本人向けの施設も用意してあると言うが、二年位は掛かるかも知れないという事だ。
鍋の具が無くなると、口数も少なくなった。が、皆、淡々と食卓に残っているものを摘まんでいる。しかし、やはり場の雰囲気は・・。
ゆかりが言った。「私は、寅さんに会え本当に楽しかった。実は・・私は、本当はね・・・」。「だから、もし良かったら寅さんにも一緒に・・と思ったんだけれど・・」
その言葉はゆかりの気持ちを正直に現わしているんだろう。しかし、男女の関係がどうとかこうとかを飛び越えて、これは難問中の難問だ。
寅が、外国語が飛び交う全く見知らぬ国で、一緒に・・例え二年とは言え。
一番その事をよく分かっているのは寅かも知れない。
満男にしても、泉と結婚に至るまでには、本人なりに障害を乗り越えてきた事を実感しているし、今まで寅を見ながら育ったきたから。「おじさん・・」と、寅に何かを言いたかったが。
寅が、ポツンと一言、「俺は、飛行機が嫌いだから・・」。
寅は、ゆかりを駅まで送って行った。「じゃあ、先生もまだ一年あるだろうけど、準備やいろんな事があるだろうし、俺も応援しているから、何処に行っても身体だけは気を付けて、あと、お母ちゃんの事も」。
電車のドアが閉まり、車内にゆかりが立ち尽くしている。
電車が動き出しホームを離れる。
ゆかりは、ドアにピタリと身体をつけ寅の姿を見ている。顔が薄暗く電車の灯りの影になっている。
寅は電車の尾灯が遠ざかるのを見届け、振り返って歩き出したら、銅像にぶつかりそうになり、「この野郎・・」。
翌日は、月曜。満男も会社に行った。裏の工場からも音が聞こえてきている。 寅は、二階から降りて来ると、「おばちゃん、俺、出掛けるからさあ、商売・商売!」と言うと、上着を引っ掛け、鞄を持ち、柴又通りを歩いて行った。
何か月かした頃、彼方此方で秋祭りが盛んに行われている。
祇園・秩父火祭りと並んで、日本三大曳山祭りと言われる、高山の秋祭りは、人また人でごった返している。
「結構毛だらけ猫灰だらけ、お尻のまわりはクソだらけってね。タコはイボイボにわとりゃハタチ、イモむしゃ十九で嫁に行く、ときた、黒い黒いは、なに見てわかる、色が黒くてもらいてなけりゃ、山のカラスは後家ばかり、ね。色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよときやがった、どう、まかった数字がこれだけ、どう、ひとこえ千円といきたいが、ダメか、八百、六百、よし、腹切ったつもりで五百両、もってけ、オイ!」。
寅が、夕べ飲み過ぎて居眠りをしているポンシュウが枕代わりにしている瀬戸物が入った箱を蹴っ飛ばして、「おい、ポンシュウ、客だ」。
寅は、店を任せフラフラと歩きだすと、黒山の人で埋め尽くされている参道から、十月九日・十日と行われる、屋台(高山でいう山(だし)車)を引き回す様を見ている。テキヤにとっては見馴れた景色だが、季節の移り変わりを感じる。(春・秋と行われるが、巫女さんの髪飾りも春は桜のモチーフ・秋は菊のモチーフと異なる。)
その晩寝る前に、「祭りが終わったら、柴又に戻るか・・」と思った。
満男達が今後の生活をどうしていくのか、心配する訳では無いが、結婚を控えて気にはしている。
それとは、別に、おかしな予感がした。
もうじき八王子に着く。電車がゆっくり停車し、ドアが開く。
と・・、見馴れた顔が乗ってきた。
寅は、一瞬だけ間を置いたが、「おや、どこかでお目にかかったお顔ですが。姉さん、何処のどなたです?」
「以前、お兄さんにお世話になった女ですよ」
はて?こんないい女をお世話した覚えはございませんが」
「ございませんか!この薄情者!」
「何してるんだよお前、こんなところで?」
リリーは指に引っ掛けたサングラスをクルッと回すと、「母の施設に来たんだよ、相変わらず意地っ張りでね。お兄さんこそ何してんのさ、こんなところで」
寅は、「俺は、リリーの夢を見てたのよ」。
「へー、それはそれは」。
「あれ以来だな・・」、寅が呟いた。
リリーが、「・・元気でやってたんだろうね?」。
以前、リリーからさくらに届いた手紙には、「寅とリリーは穏やかに島で暮らしていたが、一週間前に些細な事で喧嘩になって、寅が飛び出して行ってしまったと」。
何もかも知り尽くしている二人だから・・、ずっと一緒にいたかの様。
寅が、大きな瞳を見ながら、「此れから、柴又に帰ろう?リリーも一緒にな」。
リリーは、微笑みながら黙って頷いた。
くるまやでは、満男と泉の希望通りのマンションが見つかって、間もなく結婚をするという話が当然の様に出ている。大家さんが、御前様からの特別な依頼で、二人が決めた物件については、確保しておいてくれたから、住まいも調度品なども全て用意万端、あとは何時から住み始めるかだけだ。
泉の就職も決まった。スカイツリーが近くに見える曳舟にある商事会社で、一般事務をやる事になった。京成線で通勤だから、不便は無いだろう。
帝釈天通りも、陽が沈んで、宵の口特有の蒼く冷えた甘い空気が漂っている。
灯りのついたくるまやに満男が帰って来る。
皆が、「お帰り」と出迎えるのとほぼ同時に、寅が、リリーを連れて帰って来た。
さくらが、顔一面に満悦らしい笑みを浮かべ 、「お兄ちゃん、お帰り!あら・・リリーさんも!いらっしゃい!」。
竜造に常、工場から引き揚げてきた博、幾つもの笑顔が出迎える。
タコ社長も、裏庭から姿を現すと、 「お!リリーさん、相変わらず綺麗だね!」と、社長も恵比須顔。
食卓は、もうじき女性三人で彩られる。
皆、何時もの様に食卓を囲んで座ると、さくらが、少し興奮したように、「リリーさん、元気で良かった。お兄ちゃんと何処かで一緒になったんだ・・?」。
リリーが、微笑みながら、「まあ・・」。
寅も、満足そうに顔をほころばせる、「まあ、・・さ。ちょっと予感が・・」。
満男が、家の事が決まった事などを話し掛ける。後を追う様に、泉も、その他に就職の事やらを話した。
名古屋の母もやってくる。
満男が微笑むと、「結婚はもうすぐだから・・」。
と、満男が、「・・おじさん達も・・?」。
そう言われた寅は、、「人生は夢のまた夢・・、うん、だがな、・・俺は、リリーを・・」。と言いながら、リリーの顔を見る。
リリーは、溢れる思いに身を任せるように・・ 、「そうね・・お互い様・・」。
食卓の周りに、喜びと感動の涙が・・。
いつも以上に、居間を・・灯りが明るく照らし出している。
外は、星が降ってくるような、圧巻の夜空。
裏庭から、今までぶらぶらしていた・・木戸なのだが・・。ぴたっ・・と閉まる音がした・・。
</span>
「 by europe123」」
<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/t0M8QrniQwk" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
僕とおじさんそして「前半」・「後半」
以前「series前半」を掲載しましたが、此処で前半も掲載し、「後半」に続け読み易くしました。
今の世代には興味が無いかも知れないが、寅さんキャラは借りたが、ストーリーは全てoriginal。
こういうのを二次作品と言います。