奇想詩『トンネルを抜けても小田和正は歌い続けていた』
父の運転する日産サニーの後部座席で
小学生の僕は寝転がって
トンネルのオレンジの照明が
ビュンビュン通り過ぎていくのを見ていた
ラジカセからはオフコースの曲が流れていた
芳香剤の匂いがこびりついた座席
ドリンクホルダに刺さった飲みかけの缶コーヒー
開いた窓から入ってくるトンネルの熱気
小田和正のどこまでも澄んだ声
そういうものをいっしょくたに感じながら
僕は自分の左の薬指にある根性焼きを触った
べつに痛くも痒くもない
自分で根性焼きをしたわけではない
父が幼い僕を抱いたまま煙草を吸って
パチンコ屋で台を選んでいるときに
誤って僕の小さな薬指に
煙草を落としてしまったせいだ
それが今でも僕の左の薬指に残っている
幸いなことにそれに関する記憶は僕には一切ない
だから僕にとってその根性焼きの痕は
持って生まれた何かしらの刻印みたいなものなんだ
もし今ここに根性焼きの神様が降りてきて
根性焼きのある人生と
根性焼きのない人生の
どちらかを選べるとしたら
僕は迷わず根性焼きのある人生を選ぶ
だってそのほうがなんとなくタフな感じがするでしょ?
さっきまでビュンビュンしていたオレンジの光が
消えてなくなった
トンネルを抜けても小田和正は歌い続けていた
奇想詩『トンネルを抜けても小田和正は歌い続けていた』
〈あとがき〉
BGMはオフコースの『Yes-No』でどうぞ。
月刊ココア共和国2020年12月号掲載作品(佳作集)