不思議の森のシン

 消えた。
 思った。
 これでよかったと。
(ありがとう)
 嘘ではなかった。
 しかも、自分を消してくれたその相手は。
(ありがとう)
 何度でも。
 止まらない。
 感謝の気持ちが。
 光の中。
(僕は)
 よかった。
 心から。
 出会えて。
 でなければ、きっといまも闇の中にいた。
(……いや)
 結局は。
 抜け出せなかった。
 だからこそ。
 光を求めた。
 光が。
 穢れなき輝閃(ひかり)がこの闇を打ち払ってくれるよう。
(わがままだったんだ)
 そのわがままに巻きこんだ。
 大切な。
 何よりも愛しい彼を。
(最低だ)
 こみあげる。苦さ。
 この思いも光と共に消える。
(無責任だ)
 親なのに。
 いまさらだ。
 わかりきっている。
 どこに、息子と本気で槍を交える父がいるというのだ。
(最低だ)
 くり返し。苦さと共に。
(……ああ)
 早く。
 この苦しみから解放されたい。
(だから無責任なんだ)
 どこまでも。
 悔恨と感謝とが層を織りなす。
 その螺旋の先。
(あ……)
 見えた。
 果て。
 そう呼んでいいのだろうか。
 そこへ向かって。
(………………)
 手を伸ばした。

「……様」
 目を開けた。
「森(しん)様」
 わかった。
「白椿(しろつばき)」
 軽く。白く長い髪をなびかせた美女が目を見張る。
「ふふっ」
 わかるよ。心の中でつぶやく。
(だって)
 愛馬だから。
 たとえ、その姿が馬でなかったとしても。
「どうしたの」
 ちょっと変わったことが起こった。それくらいの感じで聞かれ。
「い、いえ」
 さすがに戸惑いの表情を隠せない。
「ふふっ」
 美女だ。間違いなく。
「さすがは僕の馬だよね」
 誇らしい気持ちで口にする。
 さすがなのだ。当然だ。
 そう思える自分は騎士なのだと、いまさらながらに実感する。
「さてと」
 身体を起こす。
馬と寝起きを共にする騎士であっても、さすがに膝枕をされたのは自分が初めてだろう。
 などとのんきなことを考えつつ。
「んー」
 視線をめぐらす。
 森。
 もちろん、自分の名前のほうでなく。
 濃厚な木々の香り漂う。そこは見渡す限りの常緑樹の回廊だった。
 時刻は夜。
 枝葉の隙間から淡い月の光が射しこんできていた。
「森様」
 そっと。手を取られる。
「んー」
 愛馬に手を握られた騎士も自分が初めてだろう。感慨と共に思う。
「あ」
 違うのか。きっとここは。
「天国」
「えっ」
「そっかそっかー」
 身体を起こし。そのまま立ち上がる。
「僕はともかく」
 白椿がいる。きっと自分はそのおまけなのだ。
「ありがとう」
「? ?」
 唐突な笑顔とお礼にますます困惑するも、
「……森様」
 やわらぐ。
 こういう人なのだ。そう思い出したのだろう。
「お怪我は?」
「もー」
 ぽんぽんと。続いて立ち上がったその肩を叩く。
「いまさらだよー」
 いまさらだ。
 天国なのだから。
 怪我をしたもしないもありはしない。
「行こう」
「えっ」
 驚きの声を背に受けつつ。すでに歩き出していた。
「あ、あの」
 あわててついてくる気配と共に、
「どこへ」
「決まってるよ」
 決まっている。天国なのだから。
(いるに決まってる)
 彼女が。
 だから。
「行くよ」
 自分に言い聞かせるように。つぶやき。
 夜の森を行く。

「静かだね」
 言う。
「はい」
 斜め後ろでうなずく気配。
「んー」
 ふり向く。
「なんで?」
「えっ」
「なーんーで」
 にこにこと。笑顔のまま、
「ほら」
 手を差し出す。
「し、森様?」
 あわてているところ、その手をさっと取る。
「きゃっ」
 かすかな悲鳴。
 引き寄せられて。その目が泳ぐ。
「だめだよ」
「え……えっ」
「ほら」
 自分のすぐ隣に。立たせる。
「ねっ」
「………………」
 まだ瞳はゆれたままだ。
「行こう」
「は……はい」
 ついてくる。すこし遅れてこちらの後に。
「だーかーらー」
 ぷー。頬をふくらませる。
「だめでしょー」
「え……あ、あのっ」
「ほら」
 並ばせる。あらためて隣に。
「あ、手もつないだままでいよう」
「森様っ」
 頬を染め。あわてながらも、きっぱり。
「いけません!」
「なんで?」
「森様」
 冷静さを取り戻し。子どもに言い聞かせる母親の眼差しで。
「わたしはあなたにお仕えする馬です」
「そうだよ」
「主人と肩を並べるなどという恐れ多いことは」
「真面目だねー」
 にこにこと。まったく気を悪くした様子を見せず。
「さすがは、僕の馬だね」
「し、森様」
「でーも」
 笑顔のまま。
「だーめ」
「ぷ……」
「キミは僕の馬なんだから」
 かすかに圧をこめ、
「僕の言うことは聞かないと」
「………………」
 こうなるともう何も言い返せない。
「ごめんね」
 ふっと。圧が消え、たてがみをなでるように白い髪に手を当てる。
「僕のことを思って言ってくれてるんだよね」
「………………」
「いい子だね」
「『子』……と言われるような歳ではありませんが」
「もー」
 仕方ない。そんな風に笑う。
「小さいころから知ってるんだよ、キミのこと」
「……はい」
「だから、いいんだって」
 抱き寄せる。
「甘えてくれても」
「………………」
 逡巡。身体のこわばりは取れない。
「真面目なんだから」
 苦笑する。
 と、そのとき、
「!」
 白い髪を跳ね上げるようにして顔が上がる。
「森様……」
「うん」
 こちらは緊迫感こそ見せなかったが、さすがに笑みは消える。
「鳥、じゃないよね」
 大きな翼をはためかせる音。
 そこに明らかに〝人〟を思わせる敵意が感じられる。
「そっか」
 当然だというように。
「天国、だもんね」
 現れたのは、
「ぷ……!」
 いななきに似た驚きの息。
 力強い羽ばたきで生い茂る枝葉を押しのけ『それ』は姿を見せた。
「やあ」
 軽く。片手をあげてみせる。
 返事は、
「侵入者よ」
 冷たく。一切を拒絶する険しさをにじませて。
「ここを侵させはしない」
 煌めく――
「森様!」
 とっさに前に出る。
「こーら」
 肩に手を置く。
「だめでしょ」
「ですが!」
「だめだよ」
 冷静に。教え諭す目で。
「馬を失ったら騎士は負けなんだ」
「ですが」
 それこそ仕える騎士その人を失うわけにはいかない。目が訴える。
「一心同体」
 答える。
「僕たちは」
 並ぶ。
「一緒にいないと意味がないんだ」
「森様……」
 畏れ多い。そんな響きを感じ取り、
「だーめ」
 再び。言う。
「戯れ合うのはやめてもらおう!」
 ぶん、と。振るわれる。
 それは、
「ふふっ」
 笑みがこぼれる。
「天国に来てもか」
 宿命なのだ。そう思うしかない。
 向けられている。
 こちらに。
 その緊迫感が――たまらなく。
「白椿」
 呼ぶ。愛馬の名を。
「行くよ」
 逃げることはできない。
 彼女を駆ることができなくても。手に一振りの得物さえなくても。
 騎士としての。
 矜持――
(あったんだ)
 空っぽの。
 何もなかった自分の中に。
 確かに。
(これは)
 仲間たち。大切な人たち。
 彼らとの絆から生まれたものだ。
(だから)
 ゆずれない。
 きっと、魂にまで刻まれている。
 いや、この確かなものこそが〝魂〟なのだ。
「行くよ」
 たとえここにふさわしくない存在だとされても。
 なぜなら、
(いるんだから)
 確信をこめ。
(行く……)
 会いに。行かなければ。
「結真(ゆうま)」
 自分の魂の。その核に最も近い人のところに。

「ホント、情けないんだから」
 言われる。
「聞いてるの、森」
「うん」
 にこにこと。
「はぁー」
 思い切り。ため息。
「森」
 きっ、と。腰に手を当ててにらまれる。
「情けない」
「うん」
「って、そこでうなずくなーっ!」
 怒鳴られても笑顔は消えない。
「ありがとう」
「なんで、そこでお礼なの!」
「だって」
 うれしくて仕方ない。そんな顔で。
「怒ってくれたから」
「は?」
「僕が」
 たまらない。うれしくて。
 そんな風に両手の指をからめ合わせ、
「情けなくないって言ってくれたから」
「え?」
「しっかりしてるって」
「……い……」
 絶叫する。
「言ってなーーーーい! そんなことちっともーーっ!」
「もー」
 にこにこ。照れなくていいというように笑い、
「さすが、結真だね」
「なにがよ!」
「だって」
 言う。
「偉い」
「は?」
「ちっとも、自慢しないんだもん」
「じ……」
「カッコイイよね」
「……はぁー」
 ため息。もう何を言う気もしないというように。
「偉いよねー」
 こちらの言葉は続き、
「『うなずくな』って言ったでしょ? それって本当は情けなくないってことを言いたかったんだよね。励ましてくれたんだよね」
「もういいわよ、それで」
「ありがとう」
「はーあ」
 やはりため息。
「森」
 心持ち。真剣な表情で。
「このままでいいと思ってるの」
「うん」
 ためらいなく。
「僕は結真とずっと一緒にいたいな」
「……!」
 頬が染まる。が、すぐに怒った顔で。
「馬鹿っ」
「えへへー」
 こちらはまったく悪びれていない。
「あのね」
 真剣な顔つきに戻り、
「これからのことを考えないといけないと思うの。森の」
「僕の?」
「そう」
「うわぁ」
 心からの。喜びが笑顔となって花開く。
「さすが、結真」
「いや、私じゃなくてあなたの」
「優しい」
「っ」
「優しいよ」
 心からの。
「……森」
 言う。
「大丈夫じゃないんだから」
 ちょっぴり。叱りつけるように言う。
「一人になったら、どうするの」
「ならないから」
「………………」
「ならない」
 確かな。心からの。
「僕は結真から離れない」
「……ふぅ」
 ため息。これまでとは色合いのわずかに異なる。
「問題だからね」
「んー?」
「その発言。普通にストーカーだから」
「すとーかー?」
「ああ、いい、知らないんでしょ。考えなくていいから」
 あきらめたように手をふられる。
「森」
 またもにらまれ、
「とにかく、私は森みたいな森を一人にはしておけないの」
「わー」
 感動に。目が見開かれる。
「えへへー」
「だから、照れない、よろこばない!」
 叱られる。
「ごめんなさい」
「そうよ。そうやって、ちゃんとあやまれば」
 いいのか。そんな複雑な顔になる。
「……まったく」
「ごめんなさい」
 てへっ、と。舌を出してみせる。
「もー。そういうの無駄に似合うんだから」
「やったー」
 無邪気によろこぶ姿を見せられ再びにらむも、すぐあきらめたように肩を落とす。
「はあ」
 力のないため息。
「本当に」
 目を伏せ、
「無理なんだから。ずっとは」
 そのつぶやきは――
 やがて、現実のものとなった。


「森様!」
 我に返る。
 そう長い時間ではない。
「あ……」
 惜しむ息がこぼれる。
 結真。
 決して消えることのないその面影。
「やめてよ」
 不機嫌だった。
 軽く。
 首をひねっただけで突先をかわす。
「くっ!」
 悔しげな表情。
 知ったことではない。
「はああっ!」
 そこへ白い影が割りこむ。
 するどい後ろ蹴り。
 馬さながらの蹴撃に、こちらに槍を向けていた影は後退を余儀なくされる。
 槍――
 森たちの前に現れたその人物は騎士槍を携えていた。
 人物。それは正確ではない。
 翼。
 木々の間から降り立った影は、背に大型の鳥類を思わせる白い翼をはためかせていた。
 天使のように。
「なぁんだ」
 苦笑がもれる。
「こんなものなんだ」
 見切っていた。最初の一突きで。
「下がって、白椿」
「ですが」
「いいよ」
 にっこりと。愛馬に向かって微笑みかける。
「僕だけで十分だ」
「ほざくな!」
 こちらのやりとりが聞こえたのだろう。天使(?)が吠える。
「やだなあ」
 まったく天使らしくない。
(やっぱり)
 思う。
(結真だけだよね)
 きっと。天使と呼べるのは。
「えぃあぁぁっ!」
 猛々しき咆哮。
 突き出された。一切の容赦のない槍先が。

 止めた。
「お……」
 絶句。
 信じられないと。目を見開いて。
 槍を突き出した体勢のまま。
「弱い」
 静かに。
「槍を扱う資格なし」
 断ずる。
「な……かっ」
 瞬時に。端正な白皙の顔が染まり、
「あざけるなぁっ!」
 押しこまれる。
 その力にあらがうことなく。
「なぁぁっ!?」
 ひねる。
 押す力をねじ曲げられた手が、不自然な角度を強いられる。
「ぐはっ!」
 地面に突っ伏す。
「へえ」
 手にした槍を眺め、感心の息をもらす。
「悪くないね。騎石(きせき)は組みこまれてないのに力を感じる。槍そのものが器って感じだ」
「貴様……っ!」
 とっさに。手が延ばされる。
「何?」
 一瞥。
「……く……」
 動けない。
「返してほしい?」
「………………」
 返事はない。しかし、怒りと悔しさに満ちた目が内心を物語っていた。
 真剣白刃取り。
 ではない。
 剣でなく槍。刃でなく突先。
 それを。
 両手ではさみ止めた。
 振り下ろされる刀を素手で止めるのも十分に超人的な技だが、騎士槍に対してそれを行うのは難度の次元が違う。
 まず、長さ。
 人の背丈を超えるそれがまっすぐに突き出されるということは、当然、そのリーチ分の勢いが発生する。馬を駆っての騎士槍の突撃が無敵とされる所以だ。
 馬にこそ乗っていなかったが、それでも長さによる利は変わらない。
 止めるということ自体が、ただ両手ではさんだだけでは不可能なはずなのだ。
 腕力ではない。
 タイミング。
 突きが当たる寸前の一瞬のインパクト。
 そこをとらえた。
 不意の反動に、意思とは無関係に腕が委縮する。それでも完全に勢いがそがれるわけではないが、そこをまた巧みに力の抜き差しをくり返す。
 結果。
 一秒にさえ満たない瞬時の妙技が槍を素手で止める奇跡を可能としていた。
「く……」
 血の気が引いていく。どれほどのことが起こったかに気づいたのだ。
 そもそも、突きを手ではさめること自体が絶技。
 突くというのは、受ける側にとって点の動き。その先端を真横から正確にとらえるという行為がすでに常人の視力・反射神経でできることではないのである。
「化生か……」
「んー?」
 よくわからない。そんな風に首をひねる。
「くっ」
 顔が引きつる。しぐさのたわいなさがまた不気味に見えたのだろう。
「只事で済むはずはないと覚悟していた」
 小さく。一人ごちる。
 うつむきかけていた顔をあげ、
「しかし!」
「しかし?」
「くっ」
 軽く空かされたことにひるむも、
「月の庭園は我らのものだ!」
「んー」
 首をひねる。
「月の?」
「そうだ!」
 声を張る。
「あれー」
 ますます。首をひねる。
「違うよ」
「何を」
 言葉に詰まるところへ。
「天国」
 にこっ、と。
「だよね」
「む……」
 唐突な言葉に、理解が追いつかないという顔になる。
「天国だよ」
 言う。
 指をさす。
「キミがいるんだもん」
「それがしが」
「そーそー、それがし」
 にこにこと。
「天使だもんねえ」
「………………」
 まだ思考が追いつかない。そう言いたげに瞳をゆらす。
 構わず、
「結真がお世話になってます」
 深々。頭を下げられ、ますます言葉を失う。
「貴……殿は」
 ようやく、
「この世のものではない」
「それはそうだよ」
 苦笑する。
「あ、ここがいま僕の『この世』だから、この世のものではあるのか。じゃあ、あの世のものではないっていうのかな。んー」
「やはり」
 深々と。今度は向こうに頭を下げられる。
「無礼の償いはいかようにでも」
「だーかーらー」
 ひらひら。手をふる。
「いいのいいのー、結真がお世話になってるんだからー」
「ユウマ……」
「知らないの。それってひどいよ」
 ぷー。頬をふくらませる。
「天使なんだから。そこはちゃんとしてくれないと」
「ち、ちゃんと」
 ますますの困惑顔ながら。
「おおせのままに」
「いいよいいよー、素直な子って好きだからー」
「森様」
 そこへさすがにと、
「ここのことを聞かれたほうがよろしいのでは」
「天国でしょー」
「いえ、あの、それは」
 あまりに無邪気な決めつけに、続ける言葉を見つけられない。
 そこへ、
「悪魔め」
「えっ」
 不意に向けられた敵意に目を見張る。
「白い魔め!」
「白い……」
 またも。声を失う。
「白いよね、うん、白椿は」
「いえ、あの」
「『馬(ま)』だよね」
「それとこれとは」
 違う。明らかにそう響いて聞こえたが。
「魔め!」
 吠える。
「どこまで篭絡すれば気が済む!」
「したの?」
「そのようなこと」
 覚えがない。そう言いたそうに声をふるわせる。
「もー」
 ぷん、と。腰に手を当て、天使をにらむ。
「だめでしょー」
「えっ」
「白椿はいい子なんだから。僕の愛馬なんだから」
「愛馬」
「そー、愛馬」
 うなずく。
「………………」
 天使は、
「あなたは」
 おそるおそる、
「何者なのですか」
「騎士」
 言う。ためらいなく。
「〝熾騎士(セラフ)〟花房森(はなぶさ・しん)だよ」
 衝撃が走った。
「セラ……フ」
 信じられないと。
「まさか」
「えー」
 ぷん、と。
「そう見えないっていうの」
「いえ」
 おどおどと。いままでの強気さが嘘のように。
「そうか。いや、それなら」
「なに、ぶつぶつ言ってるの」
「………………」
 すっ。あらためて膝をつかれ、
「償いはいかようにでも」
 言われる。
「〝熾天士(セラフ)〟たる御方にそれがしのような位階の者が」
「え、位階?」
「はっ」
 兵士のように凛々しく頭を下げる。
「名乗りが遅くなりました」
「えー、天使でしょ」
「はっ。それがしは天士(てんし)」
 顔をあげて。きりりとした目で。
「〝大天士(アークエンジェル)〟モーシュ=ボーファにございます!」

「あれー?」
 首がひねられる。
「〝大(アーク)……」
「〝大天士(アークエンジェル)〟にございます!」
 再び。声を張る。
 上位の者に自分を知ってもらいたいという熱をにじませて。
「んー?」
 やはり。首をひねる。
 が、
「まー、いっか」
「し、森様」
 そんな簡単に。
「天国だからねー」
「はあ」
 あまりにも。あっさりと言う主人にそれ以上の言葉がない。
「ですが〝熾天士〟」
 ぎろりと。またも敵意に満ちた視線が向けられる。
「なぜ、そのような魔の者と共に」
「待って待って待ってー」
 ひらひらひら。手をふり、
「だめだよ、白椿をいじめたら」
「しかし」
 引きがたい。そんな顔で見やった先。
 そこには、かつての名残というか、馬の耳が白い髪の上に生えていた。
「この者はあきらかに」
「馬だよねー」
「魔です」
 引かない。
「このような化生が〝熾天士〟のお側に」
「あー、けしょー」
 思い出したと。
「それ、僕も言われたー」
「う」
 顔を引きつらせる。
「不覚の至りです。妄言でした」
「そーだよ、もーげんだよ」
 わかっているのか、いないのか。
「わかりました」
 なかば無理やり。自分を納得させる感も見せつつ。
「掌握されたのですね」
「ん?」
「月の庭園を」
 確信をこめて。
「さすがであります」
「ありがとー」
 わかっているのか、いないのか。
「掌握とは」
 何のことか。脇から質問しようとしたところで。
「っ」
 にらまれる。
「さすがであります」
 視線を戻し、
「不甲斐ないばかりに〝熾天士〟の御手をわずらわせてしまい」
「わずらってないからー。平気平気ー」
「そのような」
 うれしそうに。主人にほめられた愛犬のように顔をほころばせる。
「天上の住まい人たる御方に、慈愛に満ちた御言葉を」
「ねーねー、それよりも」
 にこにこと。
「早くつれてって」
「はっ」
 うなずいて。しかし、困惑は隠せず。
「お、おおせのままに」
「うん、おおせるからー」
 並んで。歩き出す。
「い……」
 いいのだろうか。
 そう口にしかけるもはっきりとは言えない。
 近づきすぎれば、またさっきのように牽制されてしまうだろう。
「〝熾天士〟」
 代わってというように。語りかける。
「〝熾天士〟はいつこちらに」
「わかんない」
 あっけらかんと。
「けど、ちょっと意外」
「えっ」
「天国って」
 月夜の。頭上を覆う枝葉越しに空を見て。
「もっと明るくてさわやかなとこだと思ってた」
「さ、さわやか」
 さすがにあぜんとした顔を見せるも。
「おおせのままに」
 取りつくろうようにかしこまる。
 つくろえてはいないが。
「うん、おおせのままる」
 笑顔で。言ったと思ったもつかの間、
「ねー、まーだー?」
「えっ」
「いつ、つくのー」
「そ、それは」
 やはり動揺を隠しきれない。
「森様……」
「もうすぐです!」
 なだめようとした。そんなこちらに張り合うように。
「もうじきに」
 本当に大丈夫か。思わず心配そうな視線を向けると、ますます反発する姿勢を見せ、
「おまかせください。〝大天士(アークエンジェル)〟が〝熾天士(セラフ)〟に従うのは当然のこと」
「いやいや〝大騎士(アークナイト)〟ねー」
「え」
「キミだよ。〝大騎士〟でしょ」
「………………」
 言葉を失う。言われたことがわからないというように。
 しかし、すぐ、
「おおせのままに」
 かしこまる。
(これは)
 おそらく間違いない。
 かけ違い――
〝熾天士(セラフ)〟と呼ばれるそれが自分たちの知る〝熾騎士(セラフ)〟とは違うのだ。
 偶然か。〝大騎士(アークナイト)〟の呼び方の違いがなければ、それに気づくのにもうすこし時間がかかっただろう。
 問題はこの状況が何を招くかということだ。
 彼が。
 己の考え違いに気づいたとき。
 突然襲ってきた〝天士〟に対してどのような態度に出るのか。
 逆についても同様の懸念がある。
 そもそもが。
 ここが本当はどこなのかもわかっていないというのに。


「やれやれ」
 軽く。指をふって。
 長い齢を経たと思わせる大樹の根本に身をひそめ、弱ったというように小さなため息をついた。
「なんということだろうな」
 くしゃくしゃと。白い髪をかきまぜる。
 思ってもいなかった。
 思うはずもない。
「……いや」
 思い出す。
 かつてもここ――〝月の庭園〟に迷いこんだ来訪者のことを。
「まったく」
 苦笑する。
 あれからどれだけの月日が経っただろうか。
「因縁だな」
 つぶやき。さっと周囲の様子をうかがう。
 立ち上がる。
 慎重に。歩き出す。
 まだかなりの距離がある――彼らのもとへ。

「初めてなんだよ」
「えっ」
 じょうろを手に。
 庭の花に水をやっていた結真が顔を上げる。
「森」
 近づき。
「あうっ」
 ぴっ、と。おでこを指ではじかれて悲鳴をあげる。
「痛いよー」
「イタい」
「うん」
「あなたがよ」
 びっ、と。指さし。
「いつもいつもそうやって。いきなり話を切り出したりとかしてたら、イタいやつって思われるんだから」
「そうなの?」
「そうよ」
「そうかー」
 にこにこ。
「ありがとう」
「だから、なんでそこでお礼?」
「だって」
 うれしくて仕方ないと。
「結真だから」
「私は、私です」
「結真が結真な結真だから」
「そういうこと言ってるのがイタいって」
「ありがとう」
 ひるまない。
「優しくしてくれて」
「……っ」
 心からの。笑顔を間近で見せられ、
「カン違いしないでよ」
 言ってしまう。
「私はただ」
「ただ?」
「………………」
 ぴんっ。
「痛いよー」
「痛いようにやってるの」
 ぷん、と。顔をそむけて花の水やりを再開する。
「結真」
 無視。しかし、構わず、
「初めてなんだ」
「………………」
「結真が僕を見つけてくれた」
 水やりの手が止まる。
「結真が」
 万感の。想いをこめて。
「言ってくれた」
「何を」
 思わず。ふり返る。
「弱いって」
「それは」
「情けないって。しっかりしてないって」
「い、言ったわよ」
 開き直るように胸を張る。
「だってそうだもの、なたは」
「見てくれた」
「えっ」
「僕のことを」
 万感の。
「キミだけが――僕のことを」
「森」
 その静かな瞳に。引きこまれるように息を止める。
「……ふぅ」
 かすかに。力を抜き。
「私だけじゃないわよ」
 笑みを返す。
「これから」
 確信に満ちた目で。
「あなたはあなたを見つめてくれる人にたくさん出会う」
 きょとんと。
 目を丸くした後、弱々しく微笑み。
「そうかな」
「じゃないと、おかしいもの」
「おかしいの?」
「そう」
 うなずき。
「森」
 指をさす。
「あなたは森よ」
「うん」
 心から。うれしそうに。
「僕は森だ」
「だったら」
 水をやっていた草花に目を向ける。
「ほら」
「んー?」
 見る。
 花びらや葉の上の水滴が陽光を受け宝石のように輝き、それに引かれるようにして蝶たちもまた集まってきている。
「きれいね」
「うん」
「命の」
 かみしめるように。
「輝きよ」
「うん」
 うなずきを返す。
「あなたにも」
「えっ」
「あるの」
 優しく。
「あるの?」
「あるの」
 くり返す。
「だって」
 微笑みが。こぼれる。
「『森(もり)』って書いて、森(しん)だもの」
「あっ」
 言われて気づいたというように、
「そうだよねー」
 微笑む。
 感謝があふれる。
 止まらない。
 様々な命が息づき重なり合う――森。
 その名前を。
 自分は。
 与えられた。
 目の前の少女から。
 空っぽだったそこに。
 そして、いまも水を注ぎ続けてくれる。
 だから。
「結真」
 言う。心からの。
「ありがとう」
 何度でも。
 何度でも――


「そうだ」
 ぽん。手を叩く。
「水をあげよう」
「は?」
 その唐突さにまだまだ慣れることなく。
「いま、なんと」
 問いかけに答えることなく。
「ねー、じょうろってあるー?」
「は?」
 またも目を丸くする。
「じ、じょうろ」
「うん」
 あぜんと。続ける言葉がなかなか見つからなかったが。
「ございません」
「えー」
 明らかに不満そうな反応にあわてて、
「申しわけございません!」
「あやまらなくていいけどー」
 と言いながら、口はとがらせたままだ。
「あの、その」
 あたふたと。
「も、もうじきです」
「んー?」
「もうじき本隊と合流します。そうすれば」
「本隊?」
 見つめる。
「何の?」
「我々のです」
 誇らしげに。
「みな歓喜することでしょう。こうして〝熾天士〟が御自ら」
「結真は?」
 心持ち。冷えた声で。
「僕、言ったよね」
 にっこり。
「結真のところへつれてってほしいって」
「それは」
 あたふたと。
「言ったよね」
 圧が増す。
「!」
 感じ取ったのだろう。
「あ……あ……」
 がくがくと。
 ふるえる。
「……も……」
 涙まで。目にためて。
「申し……」
「もー」
 つんつん。冗談めかして額をつつく。
「いじめてるわけじゃないんだよー」
 笑っていない。目が。
「ね」
「う……く」
 懸命に。居住まいを正し。
「失礼を」
「わかってくれればいいんだからー」
 にこにこと。
「じゃあ、もう嘘はなしで。騎士が嘘なんてついてたら恥ずかしいよー」
「それがしは天士で」
「あっ、天使かー」
 わかっているのか、いないのか。
「ほらほら」
「はっ」
 うながされてまた歩き出す。その背には、しかし、張り詰めたものが残っていた。
「会いたいなー。早く結真に会いたいなー」
「………………」
「会いたいな~♪ 早く結真にー、会いたいな~♪」
 節まで付き出す。ご機嫌なのだ。
「そしたら、また一緒に水やりするんだー。よかったー、天国がこんなに自然いっぱいなところでー」
「あ、あの!」
 さすがに。これ以上のかけ違いは危険と判断したのか。
「お話があります!」
「いいよー」
 ご機嫌のまま。
「〝熾天士(セラフ)〟!」
「うん」
「……で、間違いないのですよね」
「ないよー」
「でしたら」
 勇気を振りしぼって。そんな顔で。
「なぜなのです」
「なぜ?」
「なぜ」
 それ以上口にするのはためらわれる。それでも聞かずにはいられないと。
「情けないのですか」
「んー」
「あ、いえ」
 あたふた、あたふたと。
「なぜ、情けない者のフリなど」
「フリかー」
 てへへ、と。照れくさそうに笑う。
「どうなのかな」
「どう?」
「ねー、白椿」
「ぷる!?」
 突然、話をふられて、
「ぷる。ぷるぷる」
「馬語に戻っちゃってるよ」
「ぷ!」
「あー、馬『語』ってないのか。馬いななき?」
「ぷるっ」
 どちらにしても。
「ぷ……森様」
 軽くせき払いをして。言う。
「森様はわたしの主です」
「うん」
 瞬間、
「なんだと!」
 驚愕の。声がはじける。
「なんだとお!」
 二度目。
「うるさいよー」
「はっ、失礼を」
 口に手を当てかけ、
「いやいやいやっ」
 首がふられる。
「な、なんですとお!」
「丁寧になったね」
「はっ」
 頭を下げる。
 と、それがまたもふられ、
「いやいやいやいやっ」
「イヤなの?」
「そういうことではなく」
「イヤよイヤよも好きのうち」
「そういうことでもなく」
「だよねー、ヤらしいよねー」
「でなく!」
 たまらず声に力が入る。
 と、すぐに再びの動揺を見せ、
「あ、あの」
「んー?」
「主……とは」
「ご主人様ってことだよ」
「それは」
「僕のことだよ」
「なぜです!」
 つくろうことも忘れ。真顔で迫る。
「貴殿は〝熾天士(セラフ)〟です!」
「うん」
「それがなぜ魔の者を従えるなど!」
「〝熾騎士(セラフ)〟だから」
「はあ!?」
 そして。決定的な言葉を口にする。
「騎士だから」
「……!」
「馬は騎士の友だちだもん。ねー」
「ぷ……!」
 視線を向けられ、
「ぷ、ぷる」
 うなずくしかない。というようにうなずく。
「えー」
 そんな態度に不満げに。
「思ってくれてないの」
「ぷるぷるぷる」
 またもあわてて。首を横にふる。
「だよねー」
「ぷるっ」
 うなずいたところで笑顔を見せる。
 そこへ横から、
「そのようなことは」
「どうでもよくないよ」
 先んじて。言う。
「ねー、白椿」
「ぷる」
 同意をうながされ、再びうなずく。
「くっ」
 強く頭をふる。惑わされないぞというように。
「き、騎士と言ったな」
「言った」
「天士では……ないのか」
「えー」
 困ったように。眉根を寄せる。
「見える? 僕が天使に」
「言ったではないか!」
 声がうわずる。
「〝熾天士(セラフ)〟だと! 確かに言った!」
「確かに言った」
 うなずく。
「僕は〝熾騎士(セラフ)〟。騎士の位階、第一位だよ」
 がく然と。
「騎士の……位階」
「うん」
「そのようなもの!」
 ふるえる。
「知らない! 聞いたことがない!」
「ないの?」
「ない!」
 完全に。激昂する。
「そっかー。天国だもんねー」
「貴様ぁ!」
 ついに。
「戯れ言のくり返し! 我慢ならん!」
 槍を。再び向ける。
「あれー?」
 にこにこと。
「またするの? 僕はそれでもいいけど」
「くっ」
 ひるんだ顔を見せる。
 知っているのだ。強さは。
 それでも、怒りがおびえを吹き飛ばす。
「うわあああああああっ!」
 半分泣いているような雄たけびをあげ、槍を突き出すと同時に前に、
「ぷるうっ」
 パカーーーン!
 いななき。それに続くヒヅメの音。
「かっ」
 後頭部に。
 完全に不意をつかれた形で衝撃を受け、意識を失った身体が前のめりに倒れた。
「おー」
 パチパチパチ。
「すごいねー」
 あきれたように。
「ふぅ」
 ため息。
 警戒心のこもった眼差し。
「まったく驚いていないという顔だな」
 一方で、
「ぷる!」
 驚愕のいななき。
「あなたは」
「あー、やっぱり、白椿の知り合い?」
「いえ、その」
「そっくりだもんねー」
 言葉通り。
 再びの戦いになりそうなところを寸前で止めた影は、よく似た顔立ちに加え、つややかな白い髪をなびかせていた。
「お会いするのは……初めてです」
「へー」
「〝月の庭園〟」
 口にする。
「ここがそう呼ばれる場所だと耳にしたとき。そして」
 自分の〝手〟を見る。
「わたしがこのような姿になったとき」
「かわいいよー」
「森様っ」
 照れ交じりの叱りつけるような声。
 あらためて、
「思い出したのです。娘に聞いたことを」
「白姫(しろひめ)に」
「はい。まだ赤ん坊のころだったので、詳しいことまではわからなかったのですが」
「やはりか」
 納得したように。うなずく。
「しかし、母親とはな」
「でしたら、やはりあなたは」
「そうなるな」
 にやりと。
「えー、なーになーに」
 仲間外れはイヤだというように二人を交互に見る。
「ふぅ」
 再び。ため息。
「ひょっとして〝これ〟が」
「ええ……」
 どういう顔をしたらいいかというように。うなずく。
「苦労するな、これでは」
「『これ』って僕のこと?」
 まったく機嫌を害してないという顔で。
 あくまで無邪気に。
「しかし、礼儀としてあいさつくらいはしておくべきだろうな」
「あいさつ?」
「ああ。己に連なる者が世話になっているのだから」
 言って。
 胸を手に当て、思いがけず優雅に一礼する。
「お初にお目見えする」
「お目見えされる」
「わたしは」
 言った。
「馬法(まほう)使い・白楽(はくらく)。そこなる白馬のはるかはるか昔の先祖だよ」

「……んお?」
 目を覚ました。その直後、
「おおおお!」
 縛られていた。拘束されていた。
「お……おお!?」
 パニックになる。
 なぜこのようなことに。そんな顔で周りを見る。
「!」
 いた。
「よう」
 あまりにも。あっさりと手をあげて言われ、たまらず、
「んおっ!」
 開けない。口が。
 そこにも拘束具がかけられていたことにいまさら気づく。
「んおっ! んごっ!」
 それでも憤りは収まらず、声を出せないまま叫び続ける。
「あー、やかましい天士だ」
 肩をすくめる。
「ねー」
 同意のうなずき。
「おい」
 おまえが言うなという目で。
「そもそも、誰のせいだと思ってるんだ」
「誰のせいなの?」
「おい」
 どう相手すればいいのだと。視線を転じる。
「申しわけありません」
 ただただ恐縮する。
「いや、おまえにあやまれというのでは」
「そうだよ。白椿があやまることなんてないよ」
「だから、おまえが言うな」
 やれやれと。
「とんでもないな」
「とんでもない?」
「おまえがだ」
 と口にし、頭をふる。
「や、子孫の主に対して『おまえ』はなかったな」
「そうだよー」
「おまえに指摘されると腹は立つがな」
「えー」
「し、森様」
「はあ」
 三度。肩をすくめ。
「それでだ、主殿」
 ぐいと。身を乗り出す。
「どうする」
「結真に会う」
 ためらいなく。
「……説明したはずだがな」
 四度目の。
「ここは天国ではない」
「えー、でも」
「そいつは」
 噛みつきそうな目でうなっている相手を指さし。
「天士だ」
「ほーら、天使でしょ」
「違う違う違う」
 手のひらをふる。
「そういう一族というか戦士たちというか」
「戦士?」
「騎士と同じだ」
「おあう!」
 違う! そう主張するように吠える。
「あー、うるさい」
 指をふる。
「もがぐ!?」
 ぐぐっ。拘束具がよりしっかりと締まる。
「おー」
 感心して。
「すごいねー」
「ふん」
「さすがは魔法使い」
「この程度のこと」
「あっ〝馬〟法使いかー」
 そして。見る。
「馬法使いだよねー」
 拘束具。それは馬の手綱を思わせるものだった。口にはめられているのも、馬にはませる口輪そのものである。
「この者たちは」
 言う。
「天士だ」
 くり返す。
「見た通り、翼を持った戦士たち。そして厳格な階級によって統制されている」
「〝熾騎士(セラフ)〟とか?」
「そうだ」
 ふー、と。長いため息。
「偶然、ではないのだろう。騎力(きりょく)の流れによってこちらと似通ったことはかなりあるはずだからな」
「と言いますと」
「まあ、待て。わたしがそちらに詳しいわけではない。そちらにいたころのほとんどはただの馬だったのだから」
 しみじみと。自分そっくりの目の前の相手を見る。
「因縁だな」
「なのでしょうか」
「ぷる」
 うなずく。そして、
「ふふっ」
 笑みがこぼれる。
「つい、いなないてしまうな。同じ馬を前にすると」
「だよねー」
 脇から。同意する。
「白椿と白楽。ホント、親子みたい」
「血はつながっているからな」
「姉妹みたい」
「そのようなこと」
「もー、照れることないのにー」
 なごやかな空気が流れる。
「……ちょっといいか」
 気を取り直し。
「どうも事態をよく把握していないようだな、主殿は」
「申しわけありません」
「白椿があやまることないよー」
「だから、当の本人のおまえが言うな」
 やれやれと。
「いいか」
 教師のように。指を立て。
「ここはおまえたちのいた世界ではない」
「知ってるよ」
 にこにこと。
「天国だよね」
「だから!」
 いらいらと。
「これは天使ではないと言っているだろう!」
「そうだね」
「そうだ!」
「もうすぐ『変死』になるね」
「えっ」
 あわてて見ると。
「あっ!」
 きつくしめあげすぎていた。まともに呼吸もできず、青い顔でぴくぴくしている。
「ぷるっ」
 いななきと共に。指をふるう。
「ぐはっ」
 解放されて。
 そのまま、前のめりに倒れこむ。
「ふぅ」
「だめだよー、天使を殺(ぷりゅ)しちゃったりしたら」
「殺(ぷりゅ)すつもりなど」
 言って。
「ふぅ」
 またもため息。
「いかんな。わたしまでおかしなことになっている」
「申しわけありません」
 またも頭を下げる。
「だから、おまえがあやまる必要は……ああ、もういい」
 頭をふる。
「わかった」
 真顔で。
「まともではない」
「ありがとー」
「森様、ほめられては」
「だからこそ」
 言う。
「かの〝聖槍(ロンゴミアント)〟の扱い手ともなれるのだろうな」
「ぷ……!」
 ふるえが走る。
「そのことは」
「落ち着け」
 穏やかに。諭す。
「見えるからな」
「見える?」
「こういう馬だからな」
 かすかに。複雑そうに自分の胸に手を当て。
「すでに馬ではないと言うべきか」
「馬だよー」
 あくまでのんきに。
「こんなにかわいい耳があるもーん」
 さわさわと。白い髪の中から飛び出している馬の耳をなでる。
「ぷる!」
 驚きあわて、
「気安くさわるな! おまえはわたしの主では」
「しっぽだってあるしー」
「ぷるるっ!」
 同じく飛び出ている馬のしっぽにふれる。
「森様!」
「ほーら、白椿にもー」
「ぷるぅっ!」
「何をじゃれている!」
 足もとからの怒号。
「えー。だって、僕たち、仲良しだからー」
「くっ」
 にらみあげる。食いつきそうな目で。
 その視線は、二『人』にも向けられる。
「白い悪馬(あくま)め」
「そうだよ。白い白馬だよ」
「『悪』馬だ!」
 割れるほどに声を張る。
「この悪馬のせいで、我らがどれほどの苦渋をなめさせられたか」
「そうなの?」
「さあな」
「憎むべきその悪馬が、まさか二体も」
「わたしはそのようなことは」
 あたふたと。
「どのようなこと?」
「森様……」
「ねー、どのようなことしたの」
「このようなことだ」
 足もとの相手を見やる。
「あ……」
 気がつく。
 拘束。
 それをついさっき自分が解いてしまっていたことに。
「動くな!」
「きゃっ」
 跳ねるように。立ち上がり、背後に回りこむ。
「動くとこいつの首をへし折る」
「えー」
 困ったという顔で。
「だめだよ、天使がそんなことしたら」
「くっ」
 苦しそうな息をもらす。『天士』としても、人質をとるような行為は良しとはされないのだろう。
「無駄な抵抗をやめて、馬質(うまじち)を離しなさーい」
 やはり。まったく緊張感がない。
「悪いのは貴様たちだ!」
 苦しまぎれに。吠える。
「それは聞き捨てならないな」
 欠片もひるむことなく。
「一方的に攻め入ってきたのはそちらだろう」
「何を言う!」
 こちらもひるまない。
「この森はそれがしらのたどりついた聖地だ! そこに穢れし魔がいるなど! 許されたりはしない!」
「許されたらないのー?」
「ない!」
「平気だよー、汚れてないし。驚きの白さだし」
「魔だ!」
 断ずる。
「貴様も」
 憎々しげに。
「魔だ。魔をかばおうとするならな」
「えー」
 にこにこと。したまま。
「いじめたくないんだけどな」
「っ」
 びくっと。
「い、言っただろう。動けばこいつを」
「ふーん」
 にこにこと。
「いいよ」
「えっ」
「僕は人の自由を止めない。けど」
 にこにこと。
「僕も止まらなくなる」
「……っ」
「それでいいなら構わない」
「く……うう……」
 ふるえ始める。
「そのような」
 そこからは言葉にならない。
 感じている。
 本当だ。
 そこに脅しのかけらも感じられないだけに。
 逆に。
「離したほうがいいです」
 馬質にされている本馬も言う。いや、いまは人間の姿をしているので〝人〟質でも構わないのだが。
「森様をこれ以上は」
「黙るがいい!」
 やぶれかぶれに。声を張り上げると彼女の首に回した手を、
「!?」
 すべる。
「!」
 驚愕する。
「ぷ……」
 己の口からもれた〝それ〟にさらに目を見張る。
「ぷ、ぷりゅ」
 いななき。
「ぷりゅ! ぷりゅりゅ!」
 困惑。さらなるいななきがはじける。
「きゃっ」
 解放される。いや、すでに拘束できていなかったのだが。
 馬――
 加えて、背に翼をはやしたそれは、
「わー」
 まったく場にそぐわない歓声。
「ペガサスだー」
 まさに。それは天馬と呼ばれる生き物に酷似していた。
「初めて見た」
 あくまでのんきに。
 言っていた。

「かわいいねー」
「ぷ、ぷりゅっ!」
 そこだけかすかに黄金色をしたたてがみをなでられ、いやがるように身をよじらせる。
「どーどー」
「ぷりゅっ!」
 馬あつかいするな! そう憤るようないななき。
 しかし、
「ぷ……」
 じわじわと。
「ぷりゅー」
 絶妙な手つきでなでられ、心地よさそうに目を細めてしまう。
「骨抜きだな」
 にやり。
「は、白楽様」
 敬う態度は見せつつも。
「助けていただいて、このようなことを言うのは恐縮なのですが」
「そう、かしこまるな。やかましかったから、こうしただけだ」
「ぷりゅっ!」
 聞きとめたのだろう。怒りのいななきがあがる。
「やかましいのは変わらんか」
 苦笑する。
「思い出すな」
 遠い目で。
「アレも相当にやかましかったぞ」
「娘のときは本当にお世話に」
 会話をさえぎるように、
「ぷりゅーっ」
 パカーーーン!
「うわぁ」
「森様!?」
 蹴り上げられた身体が間の抜けた悲鳴と共に舞い上がる。
「ぐふっ」
「森様!」
 落下したところへあわてて駆け寄る。
「あはははー」
 やはりのんきに。笑って。
「元気な子だねえ」
「そのような」
 さすがに絶句する。
「馬にしたら、かえって暴れて手がつけられんか」
「白楽様!」
 そういうことを指摘したかっのだと。声が強まる。
「ぷりゅー」
 鼻息荒くこちらをにらみつける。
「ぷりゅっ」
「あっ」
 舞い上がった。
「白楽様っ」
 そうだ。当然のことながら、翼があれば飛べるのだ。
「逃がしは」
 指を立てた。その直後、
「ぷりゅーっ!」
 向かってきた。
 落下のスピードと合わせた驚異の突進を、
「こらっ」
 ドーーーーン!
「ぷりゅ!?」
 目が見張られる。
 受け止められた。
 馬体は人間よりはるかに質量がある。かつ、上空からの重力も加えた体当たりだ。
 それを止めた。
 大男でも筋骨隆々でもない優男が。
「どーどー」
「ぷ……!」
 頭をなでられる。体当たりで密着していたためとっさに逃げることもできず、
「ぷりゅ~❤」
 またも。とろけたいななきをもらしてしまう。
「手綱はいらないな、これなら」
 苦笑する。
「ですが」
 おそるおそる。意見する。
「なぜ、馬の姿に」
「ペガサスだな、結果として」
「なぜ、ペガサスに」
「理由がいるか?」
「それは」
 複雑そうに声がしぼむ。
「わたしの」
 視線を手元に落とし、
「この身体も何か意図したものなのかと」
「おいおい、そっちはわたしのしたことじゃないぞ」
「ですが」
「確かに、おまえの娘を人の姿にしたことはある。しかし」
 周りを見渡す。
「選ばれたのだな」
「えっ」
「森に。いや〝月の庭園〟に」
 見上げる。世界を薄明るく照らす月を。
「それはどういう」
「あまり理で考えるな」
 ひらひらと。手をふられる。
「ちょっと前までは人の姿をした槍の欠片が飛び回ってもいたんだ」
「それは」
 聞いている。もっとも、まだ赤ん坊だった娘からの伝え聞きなので、正確なところははっきりしないのだが。
「いまは天士と来たもんだ」
 細く長く。ため息がつかれる。
「あの」
 確認のため。そんな面持ちで質問がされる。
「なぜ、この地に」
「なぜだろうな」
「白楽様……」
「さっきも言ったな。確かなのはこいつらが〝負けた〟ということだ」
 なでられているのを見て。言う。
「負けた……」
「ああ」
 うなずく。
「さっき簡単には説明したな。卵土(ランド)には七つの大きな国がある」
 卵土――
 そう呼ばれる世界に自分たちはいる。
 聞かされていた。
「七大国の魔印(マイン)と争ってこいつらは敗れたのさ」
 魔印――
「魔の国……ですか」
「ああ」
 それが。
「わたしたちと」
 触れる。頭の耳に。
「同じ……」
「かどうかは、はっきりしないがな」
 あいまいだ。
「とにかく、負けた」
 話を進める。
「そして、再起をかける場所が」
「この〝月の庭園〟ということだな」
 やれやれと。
「迷惑な話だ」
「はあ」
 現実感がわかない。そもそも、自分がここにいること自体が考えられないことなのだという顔になる。
「いまさらだな」
 ぽんぽんと。
「まあ、元気を出せ」
「はあ」
「娘はのんきだったぞ」
「そ、そうですか」
「よし」
 ぱん。手を叩く。
「歌でもうたうか」
「は?」
「イケるんだろう」
「そのような」
 イケなくないことはない。娘にもよくうたって聞かせていた。
「月夜の下でうたうのもなかなか乙だぞ」
「は、はあ」
 ついていけない。
「向こうは向こうで楽しそうだ」
「えっ」
 見る。
「あっ」
 いない。
「ああっ!」
 いた。
「森様!」
 飛んでいた。
 暴れるペガサスにしがみついて。
「あははははー」
 楽しそうだ。確かに。
「ぷりゅっ! ぷりゅりゅっ!」
 明らかにふり払おうとしているのだが。実際、枝葉の密集したところにあえて突っこんだりもしている。
「あ……ああ」
 どうしよう。とっさに判断できない。
 万が一のことはない。断言できる。
 それでも、このまま放っておいていいものかと。
「あっ」
 不意に。
「あれ?」
 しがみついたまま、首をひねる。
「どうしたの」
 その問いかけに答えることなく、
「ぷりゅっ」
 急降下。降り立った場所にうずくまる。
「ぷ……ぷりゅ……」
 肩がふるえ出す。
「ぷりゅっ……ぷりゅっ……」
「……ねえ」
 案じるような吐息をもらし。その背から降りる。
「どうしたの」
「ぷりゅっ」
 ふんっ、と顔をそむけた瞬間、涙が飛び散る。
「ぷりゅ……」
 すぐに弱々しく。首を垂れる。
「よしよし」
「ぷりゅっ」
 手を払おうとする動きにも力がない。
「本当にどうしちゃったの」
「森様」
 ここは自分が。そんな思いと共に前に出るも、
「ぷりゅっ!」
 すかさず。元気を取り戻したかのように強いいななきがぶつけられる。
「どうして」
 あぜんとなる。
「それだけ許せない気持ちが強いのさ」
 そう言いつつ。横に並ぶ。
「わたしたち〝魔〟をな」
「え……」
 あなたまでそんなことを。そう言いたそうな目に。
「まあ、覚えがないのはわたしも同じだ」
「では」
「似ているんだ」
「えっ」
「近いと言ったほうがいいのかな」
「近い……」
「魔印の妖騎士(ようきし)たちだよ」
 息が飲まれる。
「わたしたちと」
「ああ」
 語る。
 魔印――それは人外の異能の力を持った者たちの集団。
 魔法と呼ばれるような術を駆使し、かつそれらを応用した様々な技法を用いて国家を形成している。
 そのことは日常にも及び、未知の機工や異形の獣たちが多く労役に用いられている。
 戦闘の分野にも特異さは活かされ、
「それが……妖騎士」
「ああ」
「馬と共に戦うのでなく、その力を自分の身に取りこんだ」
 手を見る。
「馬に限らないがな。わたしたちのように獣が人の姿を取ることもあるらしい」
「えっ!」
「とにかく、その者たちに天士は敗れたわけだ」
 そもそもの支配者は彼らであったらしい。
 現在の魔印を構成する者たちを「自分たちより劣る者」「悪しき異形の集団」として使役もしくは排斥していたらしい。
 当然、反抗の意識は生まれる。
 そこに力を貸したのが、二大軍事国家の一角である牙印(ガイン)だった。
「結果、魔の者たちは一国を打ち立てることに成功した」
「そして、敗れた支配者たちは」
 追放された。
 天士は流浪の民となった。
 まさに、天界を追われた神話の天使さながらに。
「それがこの森に」
「すべてというわけではないだろうがな」
 肩をすくめる。
「ですが、なぜ」
「都合がいいのさ」
 言う。
 この〝月の庭園〟は、卵土において隔離された場所なのだと。
 異空間なのだと。
「ここに潜んで、反撃の体制を整えようとでもいうんだろう」
 心底。ため息をつき。
「迷惑な話だ」
「……白楽様は」
 確かめる。
「どうして天士たちと争われるのですか」
「当然だろう」
 腰に手を当て。
「人の家に土足で入ってきたやつらだ。土翼か? まあ、どっちでもいいが」
 軽く。笑う。
「わたしも後から来た者には違いないがな。とにかくここを」
 面差しが真剣みを帯び。
「野心を持った者たちにゆだねるのは危険すぎる」
「ぷりゅりゅっ!」
 抗議するようないななき。野心などというものはないというように。
 自分たちは正義なのだというように。
「ぷ……」
 その目に再び涙がたまる。
「ぷりゅ……りゅっ……」
 うなだれる。
 悔しくて仕方ない。その思いをかみしめるように涙を落とす。
「よしよし」
 優しく。たてがみがなでられる。
 今度こそ、まったくそれにあらがおうとはしなかった。
 その気力も尽きたと。
「白楽様」
「お人よしだな、おまえも」
 ため息。
「戻してやってもいいがな。それはそれでこいつらには屈辱さ」
「そのような」
「こちらの問題じゃないんだ。どうしようもない」
「どうにかするよ」
 言う。
「僕、行ってくる」
 あまりにもあっさりとした発言に、
「なんだと」
 そろって目を丸くする。
「どこへだ」
「この子の」
 なでなで。
「仲間の人たちがいるところ」
「おい!」
 驚きあせり、
「何を」
「あっ、仲間の天使たちかー」
「おいっ!」
 声に力がこもる。
「何をしに行く気だ」
「んー、話し合い?」
「森様……」
 絶対にそうはならない。確信に早くも顔を青ざめさせる。
「無駄だ」
 断言する。
「大体、何を話し合う」
「この子のこと?」
「ぷりゅっ!」
 馬体が跳び上がる。
「ぷりゅぷりゅぷりゅぷりゅぷりゅっ!」
 必死に首を左右にふる。
「もー、遠慮しなくていいのに」
「ぷりゅりゅっ!」
 違う! そう言いたそうにいななく。
「まあ、戻れないだろうな」
 いじわるな笑みで。
「一人で突っ走ったあげく、このありさまだ」
「ぷ……!」
 反射的に怒りの眼差しが向くも、
「ぷりゅ……」
 すぐに力なくうなだれる。
 図星だったのだ。
「もー、いじめたらだめでしょ」
「いやいやいや」
「森様……」
「やっぱり行く」
 ぎゅっと。首すじを抱きしめる。
「ちゃんと話し合ったほうがいいよ。絶対」
「それは」
 言っていることは間違ってはいない。
 しかし、あまりにあっさり言われると、やはり不安しかないのだった。

「たのもー」
「し、森様っ!」
 さすがにのんきすぎると。あわてて止めようとする。
「!」
 ガサガサガサッ。
 深く生い茂った頭上の枝葉がゆれる。
「森様!」
 とっさに前に出ようとしたところを制される。
「話し合いだから」
「ですが」
「僕にまかせて」
 あくまでにこやかに。
 そのまま。視線を前に戻す。
「ぷ……」
 いた。
 憎々しげな表情の者たち。その敵意が向けられているのは、
「魔め」
 思わず下がりそうになる。
「違うよ」
 言う。
「白椿は僕の大切な愛馬だから」
 瞬間、
「!」
 一斉に。槍が構えられる。
 前後左右。
 さらに、上からも。
 翼を持った戦士たちに死角はなかった。
「やめようよ」
 あくまでにこやかなまま。
「僕からも説得してあげるから」
「何?」
 一団のリーダーと思しき者が目を細める。
「白楽にお願いするんだ」
 にこやかに。
「ほら、みんな仲良くここに住めばいいんじゃないかなって」
 シュンッ!
「森様!」
 崩れない。笑顔は。
 喉元に槍を突きつけられても。
「戯れ言を」
「あー、それ、あの子にも言われた」
「あの子?」
 そこに、
「ぷりゅーーーーっ!」
「あっ」
 驚き、ふり返る。
「どうして」
 まっしぐらに。木々の間を駆け抜けてくる。
「あー」
 ちょうどいい。そんな風に微笑み、
「あの子だよ」
 ぎろり。険しい視線が向けられる。
「ぷ……」
 思わず身を隠しそうになる。
 が、頭をふり、決意の面差しで前に出る。
「ペガサスだと」
 不審げに。目を細める。
「そー、ペガサス」
 にこにこしながら。
「どういうことですか、白楽様……」
 小さく。つぶやく。
 ここには来させない予定だったのに。
 いや、そもそも、本人――本馬が自分の変わってしまった姿を見せることを嫌がっていたはずだが。
「ぷりゅぷりゅっ。ぷりゅっ」
 いななく。リーダー格と思われる相手に向かって。
「?」
 当然のように首をひねられる。
「ぷりゅりゅっ! ぷりゅっ!」
 必死だ。
「優しいねー」
 たてがみをなでる。
「ぷりゅ~❤」
 その感触に心地よいいななきをもらす。
 と、すぐ我に返り、
「ぷりゅりゅっ! ぷりゅっ! ぷりゅっ!」
「なんなのだ、このペガサスは」
「この子だよー」
 誇らしげに。
「みんなのために一生懸命なんだ。僕たちと仲良くしたほうがいいって」
「ぷーりゅっ!」
 違う! そう叫びいななく。
「ぷりゅぷりゅっ! ぷりゅりゅっ!」
 明らかに。訴えている。
 危険を。
 つまり――
 いま、ここでにこにこ笑っている人物が恐ろしい相手だということを。
「フン」
 しかし。
 通じていない。
 最初から聞く耳を持ってはいないのだ。
「駄馬が」
「ぷりゅっ!」
 ショックがふるえとなり馬体を走る。
「ぷ……」
 涙。
「もうっ」
 めっ、と。リーダー格をにらむ。
「駄目だからね。そんなことを言ったら」
「フン」
 馬鹿馬鹿しいと鼻を鳴らす。
「戯れ言はここまでだ」
 槍を構え直す。
「最後に聞く」
「んー?」
「何者だ」
 また聞かれた。そんな笑顔を見せ、
「花房森」
 言う。
「現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)〝熾騎士(セラフ)〟花房森だよ」
 ざわざわっと。
「〝熾天士(セラフ)〟……」
 つぶやくも、すぐにはっとなって頭をふる。
「痴れ言を」
 いままでになかった憎悪がその目にこもる。
「天士の最高位を戯れに口にするとは」
「本気だよ」
 笑顔のまま、
「本当だし」
 シュン!
「っ」
 息をのむ。
 が、突かれた当人は平静な顔で、
「決めました」
 言う。
 顔を目がけて放たれた突先を軽く首をひねってかわした体勢で。
「ここは僕の国とします」
 ざわり。
「し、森様」
 何を。これまで以上に動揺を隠せない。
「……たわ言を」
 それだけを。ようやくというように口にする。
「この森は我ら天士の」
「いいよ」
 あっさりと。
「僕に従うなら」
 言う。
「ここにいさせてあげる」
 瞬間、
「かかれぇっ!」
 烈火。
 憤怒そのものと化した集団が、いっせいに翼をはためかせ突撃してくる。
「僕はね」
 言う。
「〝熾騎士(セラフ)〟なんだ」
 当たらない。
「一番強い騎士なんだよ」
 槍撃の嵐の中、
「キミは〝力騎士(ヴァーチャー)〟? いや〝能騎士(パワー)〟くらいかな。まあ、どちらにしろ」
 静かに口にする。
「僕より弱い」
 一閃。
「!」
 何が起こったのか。
 攻撃していた者たちはもちろん、離れて見ていてもわからなかった。
「あっ」
 風が。
 渦を巻く。
 かかげられた手を中心に。
 ただの風ではない。
 槍を持った天士たちを一凪ぎに吹き払ったそれは。
「ああ……あ」
 知っている。
 自分は。この感覚を。
「でも……」
 この世界に来る直前。『それ』は自らの分身ともいうべき存在とぶつかり合い。
 そして、自分たちは――
「そういうことか」
「!」
 いた。
「白楽様」
 心持ち。表情が険しくなる。
「交渉にはわたしと森様だけで向かう。そう決めたはずですが」
「そんな顔をするな」
 視線をそらす。その先には、
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
 頭も翼も抱えこむようにしておびえている姿があった。
「止めても聞かなかったんだよ」
「止められるはずです。白楽様なら」
「まあな」
 苦笑する。
「見たかったんだよ」
 正直に。
「おまえたちがここに現れた」
 真剣な面持ちで、
「その因果の。本当の意味を」
「本当の」
 息をのむ。と、
「ぷ……!」
 爆発。
 そう呼びたくなる風の凝縮と、直後の圧の放出。
「おお……」
 伝わる。目を見張る気配が。
「まさか」
 驚愕したのは、取り囲んでいた者たちも同様だった。
「そんな……」
「ああ……」
 次々とこぼれる驚嘆のうめき。
「わかってたよ」
 ただ一人。
「ここは」
 光り輝く一振りの――槍。
「キミたちの世界なんだ」
 そして、
「ああっ!」
 さらなる衝撃。
 翼。
 それが――
「ああ」
 微笑む。
「そうか」
 心から。納得したと。
「いてくれたんだ」
 そっと。
 肩越しに背中の翼にふれ、想いをかみしめるようにつぶやく。
「やっぱり」
 顔をあげる。そこに月光がやわらかく降り注ぐ。
「ここは天国だったんだね」
 その神々しいとも言うべき光景に。
「あ……」
「ああ……っ」
 次々と。
 月と。
 彼に向かって膝をつく。
「〝熾天士(セラフ)〟……」
 口にする。
 そこにためらいも卑屈さもない。
 当然であると。
 当然なのだ。
 自分たちと同じ翼を有する者。
 そして。
 伝説の騎士槍――〝聖槍(ロンゴミアント)〟を携える者。
「……ははっ」
 笑った。
 隣で。
 全身の力が抜けたというように。
「なんという」
 顔を覆う。
「はははっ」
 再び。笑って。
「そうか。そういうことか」
「白楽様……」
 平静を失ったと思える反応にさすがに不安になる。
「大したことじゃない」
 肩に手が置かれ、
「いや、十分に大したことではあるか」
 目をのぞきこまれる。
「わたしはな」
「は、はい」
「わたしとおまえの縁がここへの道を開いたと思った。だが」
 視線を転じ、
「誤ったな」
「えっ」
「誤ったとも言い切れないが……それよりも強い」
「強い……」
 見る。共に。
「おまえの主だ」
 言う。
「この空間の主と言ってもいい」
「え……」
「ここは」
 再び。目を見て、
「おまえたちのものだ」

「きゅおきゅお」
「あははー」
 野ウサギにじゃれつかれて。うれしそうな笑い声をあげる。
「あはははー」
〝月の庭園〟――
 そう呼ばれる場所は、夜明けを迎えていた。
「〝熾天士〟よ」
「んー」
 ずらりと。
 膝をつき、羽をたたんだ者たちが並んでいる。そこには、姿を変えられていた一人もふくまれていた。
「ご命令を」
「えー、いいよー」
 ひらひらと。面倒くさそうに。
「好きにしてくれていいから」
「それは」
 目を泳がせる。
「好きにとは」
「キミたちの好きなように」
「では」
 表情を輝かせ、
「卵土に再び天士の世界を」
「あー、そういうのはいいから」
「な……」
 がくっ、と。
「それでは何を」
「何もしなくていいよ」
「ええっ」
「ほら」
 なでなで。
「きゅお~❤」
「こうやって。のんびりすればいいんじゃないかな」
「のんびり」
「そーそー」
 動揺が広がる。互いに顔を見合わせる。
「強く抱きしめたらだめだよ」
 早くもの注意。
「自分がそうしたくてもね」
 しんみりと。己にも言い聞かせるように。
「ほら、こうやって」
 なでなで。
「きゅお~❤」
「優しくしてあげないと」
「それは」
 戸惑いを去れないまま。
「我らにもケダモノをかわいがれと」
「いいね、それ」
 にこっと。
 が、すぐ眉根を寄せ、
「その『ケダモノ』はだめだよ。こんなにかわいいのに」
「は、はあ」
「ほら」
 前に置く。
「う」
 ためらいを見せる。が、
「きゅ……」
 じりじり。
「きゅおーっ」
「あっ」
 逃げ出した小さな影を追って一斉に。
「いじめたらだめだよー」
 まったく、のんびり感なく。必死に駆けていく一同に向かって、こちらからはのんきな声が送られる。
「あ、そうだ」
 ぽんと手が叩かれ。
「おーい。ちょっと待って、モーシュ」
 ぴくっ。
「い……」
 足を止め。歓喜の顔でふり返る。
「いま、それがしの名を! 初めて!」
 しっぽをふる犬を思わせる勢いで駆け戻ってくる。
「ちょっとお願いしていい?」
「何なりと!」
 すぐさま膝をついたところに、
「馬になって」
「………………」
「なって❤」
「……は?」
 どういうことか。そんな表情を向けられるも、
「あー、正確にはペガサスか」
「いやいやいやっ」
 なぜ? いまここで!
「白楽、おねがーい」
「馬使いの荒いご主人様だ」
「使ってなんてないよー。お願いしてるんだよー」
「ふぅ。何なりと」
 おどけるように。芝居がかった調子で指をふるう。
「ぷっりゅーーーっ!」
 あっという間に。
「おーい、みんなー」
 すでに木々の向こうに消えかけている影たちへ声を放つ。
「そっちの子じゃなくて、こっちの子をかわいがってー」
「ぷりゅりゅ!?」
「小さい子をみんなで追い回したらかわいそうだからー」
 あぜんと。つぶらな目が見開かれる。
「ぷ……」
 そして、
「ぷりゅーっ!」
 いななきをあげ。取って返してきた仲間たちに追われ、ヒヅメと翼を総動員で逃げ出していくのだった。
「お互い飛べる同士だから、ちょうどよかったね」
「良かったのでしょうか」
 さすがにツッコんでしまう。愛馬ではあっても。
「さてと」
 腰かけていた木の根元から立ち上がる。
「行こうか」
「えっ」
 不意の言葉に。
「いえ、あの」
「行かないと」
 強く。ゆるぎのないものをにじませ。
「真緒(まきお)ちゃんのところに」
「……!」
「姫なんだものね」
 見る。
「ああ」
 うなずく。
「おまえたちの話とこちらの状況を照らし合わせた限り、そういうことになるだろう」
「白楽様」
 声がふるえる。
〝姫〟――
 それは、仕える騎士に無限の力を与えると言われる至高の存在。
 異世界・卵土において崇敬されていた彼女は、しかし、守護する騎士たちの激突の余波によって世界から消えた。
 以来、果てのない戦乱が数百年にもわたって続いている。
「姫の帰還こそ悲願だった」
 それが。
 果たされた。
「そうか」
 不意に。納得したように。
「同じことだったんだね」
「そうなるだろうな」
「ミゼルフにとっては最初から」
 軽く。唇が噛みしめられる。
 驚く。
 わずかとはいえこのような感情を見せることは珍しい。
「森様……」
「ううん。どちらにしろこうなってただろうから」
 手のひらをふる。
「いまは」
 双眸に。真剣な光が宿る。
「行かないと」
「……ぷる」
 こちらにも。否はない。
「何もできなかったからね」
 顔に何かを当てる。
「結真の娘に」
「!」
 あぜんと。
「し、森様」
「違うよ」
 あっさりと。
「姫のそばにはヒーローがふさわしい。だから」
 ビッと。仮面の騎士はポーズを決め、
「ファザーランサー!」
「………………」
 あぜんと。
「ははっ」
「は、白楽様」
「いいじゃないか、ヒーロー。魔法使いよりはふさわしいな」
「それは、その」
「魔法使いだって」
 ほがらかに。
「真緒ちゃんは友だちになってくれるよ」
「そうか?」
「しかも、馬法使いだし」
「そうか」
 明るく。笑う。
「いいと思うよー、仮面の馬法使い。自分のも作ったら?」
「いや、それはさすがに」
「恥ずかしいと思っているのではないですか。というか、白楽様が作られたのですか」
 驚きにあきれが入り混じる。
「だったら、白椿は」
「えっ」
「かーめーん」
「ぷ!」
 じっと。期待の目で見られる。
「ぷ……」
 じりじり。
「ぷるーーーーっ!」
「あっ」
 いななきをあげて逃げたのを、
「待てー」
 追いかける。天士たちと同じように。
「ははっ」
 笑ってしまう。
「何なんだろうな、これは」
 本当に何なのだろう。しかし、これだけは断言できる。
 変わる――
 これから。
 この世界は。卵土は。
(それは)
 望んでいたこと。
 争いの絶えない異世界に迷いこみ、そこを救うべき存在である〝姫〟を帰還させるためにこの〝月の庭園〟を足がかりにしようとした。
 その試みは思いもかけない出来事へとつながった。
 時を超えた子孫たちとの邂逅。
 さらには、
「〝伝説の騎士〟――」
 姫と共に世界の行方を決める鍵となる〝聖槍〟の扱い手まで招いてしまうとは。
「まあ、これもまた」
 微笑む。
 達観。
 そう呼ばれる域に、悠久の時を生きた白馬は達していた。
「さてと」
 久しぶりににぎやかになった。
 自分の〝庭〟とも言えるようになっていた森を見渡し、
「おい」
 呼びかける。誰にともなく。
「待っているぞ」
 それが誰に向けられた言葉かを、自分でも意識することなく。
「ははっ」
 笑った。

不思議の森のシン

不思議の森のシン

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-12-24

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二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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