誰にもわからない言語で
冬の星
隣の席の生徒が塗っていたネロリのハンドクリーム、いつもより濃く香るインドカレー屋、わたしを青くしたヘアカラーの薬剤のつんとしたにおい。だんだん純潔でなくなるのが(広がっていく星間距離が)こわくて、色素が少し抜けて明るくなった前髪を切りすぎた。冬は薄着してしまって寒がるあなたに会えるから好き。わたしたちはみんな不器用で、星になったらきっと蛍光灯みたいにちかちかするし、オルゴールみたいにきゃらきゃら歌う、誰にもわからない言語で。そうやっていつか何もない空間でただただ離れていくだけの存在になってしまうならば、どうしても抱きとめていたいのです、春になってしまう前に。
だいすき
だいすき、ということばはいつから頭にあったのか。赤いおりがみの裏にクレヨンで書く、朝の校庭の砂を指でなぞって書く、飛行機雲がふっとあらわれて春空に残していく。知っている、赤子だったころの、足裏のあたたかさ。今はその足で地に立ち、電車に乗り、舌の上で愛のことばを転がしてあたためておきながら、結局言えずに、飴玉を飲みこんでしまう。おやすみなさい、だいすきな人。電車が、夜風が、あのころは知らなかったきもちが、きっと遠くまで運んでくれるよ。
馬鹿みたいだね
いつもこわがっている、わたしを未来のわたしが否定することを。いつか過去の自分を裏切るかもしれない、いつかあなたのことも愛さなくなるかもしれない。マジックカットを手で開けることに固執することよりよっぽど愛の方が不確かだなんて馬鹿みたいだね。意図せず道端の石ころを蹴ってしまってどこかの家の塀にかつんと当たってしまったのをいつまでも悪く思っているのも馬鹿みたいだね。月明かりを縫ってこちらを凝視する暗闇。いつからかこの駅のホームの椅子は線路の方を向かなくなって、座ると知らない人と顔を合わせるようになった。ささやき、のささ、の部分でもう耳を塞いでしまいたいし、やさしさ、の全然やさしくない語感が心に棘を突き立てる。いつかこの星が再び氷に覆われて、人の善意も悪意も全て冬の中に閉じこめられてしまう時を待っている。その時が来るのはとてもこわいけれど、来てしまえばもう何もこわくないだろうから。
誰にもわからない言語で