彼岸過ぎ

彼岸過ぎ

枕を買いに出たのだが・・。

 夜間に出版社の担当者が来たからカフェで待っていて貰い出掛けた。
 今回で最終回。彼には其の後は暫く休養するのでと誤魔化しておいた。
 八時頃から打ち合わせをし、結構な時間になってしまったが取り敢えず自由の身に。
 盛んに行き来している車のヘッドライトの光に紛れるように彼の姿は見えなくなる。
 もう、買い物をする気も無かったが、枕が無いのでは一晩でも眠れない。
 また、せかされるような夢を見て冷や汗をかきながら目を覚ますのは苦痛だ。
 住宅街を抜けたところにあるホームセンタ―でないと売ってはいない。
 滅多に来ない店だから看板の灯りはついているが、果たしてやっているのかと心配になったが・・やはり、閉店と断られた。
 すぐ帰るつもりで仕事時に着る和服のままで出たが、少し肌寒い感じがする。住宅街を急ぎ足で歩いている時だった。
 何処の家も50坪以上の大きさの区画で両側に整然と並んでいる。気分なのか時間的なせいなのか玄関だけを小さな門灯が照らしているのみで暗く感じる。
 下駄の歯のバランスが悪いと思いながら、躓(つまづ)きそうになり歩を止める。
 気が付くとそこはほんのりとした灯り。
 何処からなのかと灯りに沿い右手の住宅を見上げれば、二階の窓が開いておりそこからの灯りなのだが・・。 窓際に、灯りでネガのようになっている人影。
 此方からは影でしかないから、どんな顔なのかなどは分からないが、シルエットからして着物を着た女性だろうと思う。
 この時間に、特に用もなく偶々窓から路上の様子を眺めたのかも知れない。
 客でも無い者が見上げている事など気にもせず、夜間の戸締りの為にと窓や雨戸を閉めるのだろうが。
 今晩から雨という天気予報を思い出した。雨戸が音を立てて閉まると思い、再び歩き出そうとしたが音は聞こえて来ず、灯りだけが此方を照らしたまま、何とはなしにもう一度見上げる。
 同じ影が窓際から此方を見ているのは変わらない。唐突に鈴を転がした様に声が。
「何か・・?」
 其れを聞くなり少し驚いた。後先も考えずに・・見知らぬ人間に声を掛ける事などあるのだろうかと。
 其れに此方からは何も意思表示をしていない。
 声を掛けた相手は自分なのか、其れとも何処かに誰かいるのだろうかと辺りを見回してから、やはり影に視線を移す。
 二階の住人がもう一度。
「貴方、そんなに急いで何処かに行くのですか?」
 今度は間違いなく自分に話し掛けたのだろうと思いながら。
「はあ、少し寒いような気がして、いや、実は・・」
「宜しかったら此方にいらしたら。寒くは無いですよ?」
 其れは家の中だから、暖かいだろうが・・かと言い、この夜においそれと他人の家に上がり込むには聊かでも覚悟が必要だ。
 其処で、いや、結構ですと引き下がる事も考えたのだが、何とはなしに其れをさせまいとする行きがかりの事情が既に存在しているような気もする。
 引き寄せられるように返事をしていた。
「其れでは・・」
 しかし、上がり込んだところで何をどうするつもり、とは思う。
 まごまごしている間に、静かに玄関のドアが開くと、中の古風な電燈が自分の姿を浮き上がらせている。 
 暖かい空気が玄関から表に流れ出てくるなど感じながら既に灯りに包まれていた。
 歯の欠けた下駄を見られるのが憚(はばか)られたが、取り敢えずと断ってから上がり框(がまち)に素足を掛ける。
 後は、惹かれるように更に中に。既に灯りの下で見た女性の美しさに感心をしていたのだが、まだ、何某かの疑念が浮かぶのは仕方なかろう、と。



 二階までの階段をゆっくりと女性の白い脚を追うように上がれば、更に暖かい空気と良い匂いが共に漂って来る。
 香水でも付けているのだろうかと思うが、其れからさてと。
 考える間も無く女性のはからいで座卓の手前の座布団に座る。
 真正面から改めて彼女の美しさを堪能する。和服の柄が良く似合っている上に、やはり香(こう)か香水の匂いが程よく漂ってくる。
 其処で、さて、どう話しを。
「このお時間に買い物でも?」
 助け船が出て話し易くなる。
「ええ、ちょっと買い忘れたものがありまして・・」
 女性は卓の脇の丸盆に置いてあった急須に両手を添えると、湯呑みに茶を注ぐ。
 二つの湯気が並んで立っている。折角だからと断ってから、片手に持った湯呑みに口をつける。
 かなり、高級なお茶である事が分かる。
「結構なお点前でなどと、まるでお茶会のようで何を言っているのかと、買い物とは枕でして・・古くなったものですから朝方捨ててしまい、新調しなければと・・」
 女性は今川康介の顔を見ながら微笑むと。
「其れは其れは、無ければ不自由しますもの。其れで間に合ったのですか?」
 間に合ったとは、店の時間の事か枕を調達出来た事なのかと思ったが、何方でも良い事だ・・。
「いや、閉められまして生憎(あいにく)・・其れで諦(あきら)めて帰るつもりでしたが、其の帰りに貴女にお会いしてという」
 女性は藤村志保と名を名乗ると、其の後を。
「それで?お会いし、いきなり声を掛けられたら、驚くでしょうね?」
 其のどうかは端折(はしょ)る事にした。
「いえ、驚いた・・まあ、滅多にあり得ない事かも知れませんから、根は臆病な方なんですが、つい、お言葉に甘えてしまいました。というのは・・」
 其の後は聞くまいと、無視をする様に。
「お嫌で無いのなら、声を掛けたのは此方の方ですから・・何も、貴方が無断で、という訳でも無し・・」
 其れからは、別の話に切り替える。
「此方は立派なお宅で、さぞかし由緒など・・」
 そういう類の事は、少し、話の筋からズレていたのかも知れず、と志保が。
「私、一人住まいなんですよ?」
 この辺りの住宅に一人住まいとは、大きさや風情からして見合わないような気がした。
「其れは其れは・・気楽というのも結構な事ですね」
「気楽とはいっても時が過ぎ去るまで、一人で何をか思うなど迷う事もあるんですよ?其れで、表を・・」
「表を私が通りかかったのでは、・・思わんでは無くなり、変哲でも無しさぞかし詰まらなかった事でしょう」
 次の言葉。
「いえ、少しも?望みどおりでしたから・・と申し上げたら如何思います?」



 結局、志保の望みが何なのかという事は、話の中で聞く事が出来たのだが。
 望みどおりというのは、私であったのが相当だったという意味・・?であれば、何故(なにゆえ)?となるのだが、其れに一々拘るのでは、志保さんの話を聞くだけの甲斐性(かいしょう)は無い。
 康介は、只、枕を調達したくて出掛けて来たのだが、閉められた店のお陰で、案外(あんがい)な別の筋書きにすり替わる事になった。
 まあ、通常なら、おかしな話なのだろうが、其れであっておかしくがないという雰囲気にさせてくれたのは他ならぬ志保だ。
 志保は、恰も康介の目にトンボとりをする様に自らの眼(まなこ)で渦を描いてるような気がする。
 其れが、正に効果的であったのか、康介はすっかり志保の眼の中におさまってしまいそうな気がする。
 志保は空になった湯呑みに視線を移すと、改めて急須にお湯を入れ注いでくれた。
 そうしながら康介に謎かけを。
「枕なら、うちにありますから、良かったら・・」
 康介は、持ちかえって良いからと親切に言ってくれたのかと思った。
 そう、思っていると。
「宜しかったら、枕でぐっすりお眠りになっていらしたら・・其れとも・・枕が合いませんでしょうか?」
 そう言われ初めて記憶が蘇って来た。
 そういえば美しいとは思っていたのだが、誰かに似ている。
 そんな事はあり得ないのだが、それくらいしか・・。
「志保さん。あの、志保さん?」
 志保は微笑みながら滑らかな真白い手の甲を紅にあてる。
「ええ、康介さんの・・私です」
 其処まで聞いたら、映像ならより鮮明になる。
 自分が書いていた小説のモデルを誰にしようかと迷った挙句に、思いをめぐらしたモデルは確かに。
「そう。私は、貴女に決めていたのですが、其れを買い物如きで暫し失念(しつねん)を致しました。
 間違い無く貴女です。帰ったら早速書き始めるつもりでいたのが、何時の間にか何という事でしょう」
 そうであれば、家に帰り続きを。失礼ながら折角モデルを拝見致したのだから、その姿が湧いているのです。
 だが、彼女は泊っていけと言ってくれている。であれば、いや、モデルの勧めであれば、このまま其れに甘んじても良いのでは?
「お決まりになられました?床(とこ)は私が用意致しますからごゆるりと」
 此処まではっきり言われれば、家に帰って書き出す事など、最早必要無いのかも知れないが?
「・・其れでは、そうさせて頂く事に?最後のくだりを書きだすよりは、一晩良い夢を見てから書き始めるという方が文章が生きてくるというもの。が、其の機会が無いままでは?」
 志保は頷きながら、茶碗と急須の載った丸盆を手にし台所に向かう。
「暖かい風呂に入りさっぱりなされたら如何かと」
 志保の案内で、廊下の先にある木桶の風呂に向かう。



 風呂を上がり戻ってきてから襖を開けると、新しい伊草の匂いが快く感じられる青畳。
 彼女は押し入れから布団を降ろそうと。
 慌てて気が付いた康介が布団運びくらいは、と、二人分の夜具(やぐ)を交互に持つと青畳に敷こうとする。
 二人の夜具を揃えて並べる事が出来た。今何時?と、其のさまを眺めていた様な柱時計がボンと鳴り十二時である事を告げている。
 時は三時間余りを一足飛びで夜半に繋げている。
 志保が台所から盆に水が入ったすりガラスの瓶と透明なグラスを二つ載せてきて枕元にそっと置く。
 二人が横になる前に、志保が真上にある電灯のスイッチの垂れさがりを引く。
 暗くなると、気が付かなかったが枕元のやや斜め端に置いてある行燈(あんどん~和灯り)から柔らかい光が程よく辺りに拡がっている。
 横になってから、志保が微笑みながら此方を見るから、康介も頭を少し擡げ気味にし目を遣る。
 志保は身体をずらすと、康介をしとねにする。(褥~しとねは寝具だが、他意の比喩も可かな~女性が好きな腕枕)
 溜息をつくように薄闇のしんとした空気が揺れたのは肉体では無く、正に心がおさまるところにおさまったように納得した二人は深い眠りの底に・・。
 


 翌朝は窓からの陽の光で目が覚める。
 其れから朝食をとると、早速、出掛ける用意をし、康介も用意してあった和服に着替える。
 昨晩は、簡単な服装であったのだが、どういう訳か気が引き締まる思い。
 玄関を出並んで歩きだす。
 想い出の最後は、予報が外れ晴れているようだ。




 予め、ストーリーは決まっていた。
 丁度、彼岸だった。
 漱石の「彼岸過ぎまで」が浮かんでくる。
 やがて、目指すところまで来ると、墓に参る。
 約束だったのは。
「身に何かあったら会いに来て・・」
 母が、最後に残した言葉だ。
 


 母が、自分の身体を心配していた事を康介は思い出す。
 母と父、に、親族も、皆、小さな仏壇に眠っている。


 
 一通り参り、二人は顔を見合わせ微笑む。
 二人の姿が、次第に空色になると・・暫し・・大空へ浮かんでいく。



 一層、透明度を増し・・ほぼ見えなくなっている。



 二人は手を繋ぎながら、遥かな宙を上昇していく。



 康介は思わず呟く。
「・・書き終えるのも今少しなのだが・・記す手間が省けた・・まあ・・楽は楽・・此れで訳もなく物語を終えられる・・」
 そう言いながら志保の手を強く握ると、志保が握り返してくれたのが、完全に見えなくなる・・ほんの少し前だった。



 盆に行かれなかったら、彼岸にと思いながらも、どうしても行かれなかったのだが、とどのつまり、宇宙とは、そんなもの・・。

彼岸過ぎ

買えず仕舞いの帰りがてらの事。

彼岸過ぎ

思いもよらず屋敷に上がり込む事になった。 屋敷の主人は誰だったのか? 丁度、物書きが書き終える前、小説の主役の姿を垣間見ることに・・。 今暫しのところ・・しかし、その主人の女性は誰かに似ていた。そして・・結末は・・書き終える前に先に済まさねばならない事があった事に気が付く。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-12-11

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