モモカニ合戦
大岡越前(三方一両損)に某妖怪アニメと桃太郎侍を足して2で割ってみました!!
赤鬼一座の今日の演目は桃太郎同心である。五郎ニャンは財布の中の一文銭を全部かき集めて木戸番に渡した。しかし、木戸番の男は眉間にシワを寄せて首をふった。
「あと三文足りやせんね」
「ニャニャ~? 三文くらいオマケしろニャン」
「木戸銭が払えないんなら、どうぞお引き取りを」
「べらんめえ! おまえ、それでも江戸っ子ニャンか!」
「おい、いつまで待たせるつもりでい。はやくしねえと、日が暮れてまうでウィスよ」
うしろに並んでいる客がイラついた口調で言った。
「うるさいニャンね。いま勘定払うからもうちょっと待つニャン」
財布の中にあるのは小判が三枚と四文銭が一枚。五郎ニャンは四文銭を木戸番に渡してお釣りの一文を受け取った。
「はじめから素直に払やあいいんだよ」
うしろの男がボソリと呟いて舌打ちをした。
「ニャんだと~?」
五郎ニャンはうしろの男をにらみつけた。
「ニャッ、ニャニャー!?」
五郎ニャンは思わずギョッとした。真一文字につながった太いまゆ毛。そしてまっ白な顔に紫色の唇。ほとんど死体である。
「オ、オタマジャクシのオバケニャン!」
「なっ、なんだとこのジバ野郎……じゃなかった、ゴロツキ野郎。てめえだってバケネコだろが!」
「オレっちはゴロツキじゃないニャン。大工の〝ゴロニャン〟ニャン!」
「ちょっと、お客さん。ケンカならよそでやってもらえやせんかねえ」
木戸番の男が迷惑そうな顔で言った。
「ケンカなんかしてるヒマはないニャン! オレっちは『桃太郎同心』を観るニャンよー!」
五郎ニャンはオタマジャクシを無視して芝居小屋に飛びこんだ。
「おぬしもワルよのう、大口屋」
「なにをおっしゃいます、お奉行様。ワルはお互いさまではございませんか」
「こやつめ、言いおるわ」
ふたりで高笑いをし、奉行が杯を呷ったときである。鈴の付いた小柄が奉行の顔をかすめ、畳の上に高く積まれた千両箱に突き刺さった。奉行は険しい顔つきになって大口屋にアゴで指図した。大口屋が障子を開けて辺りを見回す。
「だっ、だれだ、そこにいるのは!」
中庭の隅にある松の木のまえで、何者かが薄衣を被ってうずくまっている。いよいよ桃太郎同心の登場だ。
「待ってました!」
大向こうを飛ばしたのは例のオタマジャクシである。しかも、なぜか五郎ニャンのすぐとなりに座っていた。
「おまえ、なんでオレっちのとなりにいるニャン! キモいからあっち行けニャン!」
「やかましいやい! 勝手にとなりに座ったのはテメーだろが!」
五郎ニャンとオタマジャクシが揉めていると、まえの席も騒がしくなってきた。
「おのれ、奉行の要職に在りながら不届千万! 身共成敗してくれるカニ!」
はりきって舞台に乱入しようとしているのは南町奉行の大岡越前のカニだ。
「お、お奉行、これはお芝居だギョ。落ち着くだギョ!」
そして越前のカニをなだめているのは南町奉行所同心のフナ侍だった。
「おまえらうるさいニャン! 静かに観るニャンよー!」
さて、話を桃太郎同心にもどそう。
桃太郎がすっくと立ち上がり、薄衣を掲げて二、三歩まえへ進み出た。
「きさま、何奴じゃ!」
奉行が吼えると、桃太郎はパッと顔を上げた。にわかに奉行と大口屋が狼狽する。そして、客席からも響きが上がる。薄衣の下から現れたのは、恐ろしい般若の面であった。
「桃から生まれた、桃太郎!!」
桃太郎が般若の面を脱ぐと、客席からワっと歓声が沸き、舞台の上には〝おひねり〟の雨が降り注いだ。
「むしろ鬼ニャン!」
五郎ニャンは突っ込まずにはいられなかった。
「なんと! 桃太郎の名を騙る鬼め。これでも食らうカニ!」
越前のカニが桃太郎に向かっておひねりを投げつけた。
「鬼退治でウィス!」
オタマジャクシも調子に乗っておひねりを投げはじめた。
「鬼は外ニャン!」
五郎ニャンもおひねりを投げまくった。しかし、お金を投げるのはもったいないので中身は石ころだった。五郎ニャンは豆まきでもするかのように、どんどんおひねりを投げつづけた。
「ニャニャニャニャ……ニャニャアッ?!」
桃太郎のおでこにおひねりがひとつ当たってしまった。しかも、いちばん大きな石ころが入ったおひねりだ。
「し、しまったニャン」
おでこの真ん中にできた大きなタンコブは、先っぽが角のように尖っている。桃太郎は足元に落ちたおひねりを無言のまま拾い上げ、中から取りだした石ころをギュッとにぎりしめた。桃太郎の顔が見る見る赤く染まってゆく。
「……ゆるさん!!」
桃太郎の鋭い眼がギラリと光った。
「あ、赤鬼ニャン!!」
あまりの恐ろしさに五郎ニャンはイカ耳になって戦慄した。
桃太郎は舞台から降りると、五郎ニャンたちのほうへジリジリと歩み寄った。
「こっ、ここコこっちに向かってくるでウィスーっ!!」
オタマジャクシも小便をちびりながらガタガタと震えていた。
まるで般若の面を張り付けたような顔で桃太郎が迫ってくる。
「人を鬼呼ばわりした挙句、おひねりに石を仕込んで投げつけるとは言語道断! 桃太郎、天に代わって鬼退治いたす!!」
桃太郎が越前のカニのまえで立ち止まり、模造刀をスラリと抜いた。
「ぶっ、無礼者!」
越前のカニをかばうように立ちはだかったのはフナ侍である。
「ここにおわすお方をどなたと心得るギョ。恐れ多くも南町奉行、大岡越前のカニ様にあらせられるギョ。ええい、頭が高い! ひか――」
―― バシ!! ――
「エラッ!!」
言い終わらないうちにフナ侍は斬られてしまった。
「ひとぉーつ! ひとくち、カニ味噌すすり!」
桃太郎が鬼の形相で凄む。
「ヒッ、ヒィぃ~!!」
越前のカニは腰を抜かし、ペタンと尻もちをついた。
「まっ、待つカニ! みミッ、身共がわるかったカニ。堪忍してくれカニ。かんにん……カッ――」
無情にも必死に命乞いをする越前のカニのあたまに容赦なく模造刀は振り下ろされた。
「カニッ! ナ……べ」
越前のカニはばたりと倒れ、口からブクブクと白い泡を吹いて気絶した。
「ふたぁーつ! ふざけた〝チャリ〟を掛ける!」
桃太郎がギロォッ、とオタマジャクシをにらんだ。
「ちょっ、待つでウィス! なんでアッシまで?!」
チャリとはウケを狙ったヤジのことである。ただ、チャリを入れたのはどらちかといえばオタマジャクシではなく五郎ニャンのほうだった。
容赦なく相手に切っ先を向ける桃太郎。退治する相手はちがうが、なんとなく芝居の筋に沿った展開になってきたな、と五郎ニャンは思った。
「よっ! 日本一!」
まわりの客たちも芝居のつづきを観ているかのように楽しんでいる。一方、オタマジャクシは真っ白になって死後硬直がはじまっていた。
「たっ、助けて! だれかっ、たたた 助け……」
だが無情にも太刀は振り下ろされ、オタマジャクシは「ケロッ!」と鳴いた。
「カエルになったニャン!」
このままでは五郎ニャンも斬られてしまう。そう思った瞬間、鬼もとい桃太郎の鋭い眼が五郎ニャンに向けられた。
「みぃーっつ! みにくい化け猫どもを、退治てくれよう。桃太郎!!」
「こ、こうなったらしかたがないニャン。者ども、であうニャン!! であうニャンよー!!」
五郎ニャンは悪の奉行と大口屋に助けを求めた。
「ニャッ、いないニャン!!」
ふたりの姿はすでに舞台の上から消えていた。
もはやこれまで。ここは江戸っ子らしく、正々堂々と勝負するしかない。五郎ニャンは覚悟を決めた。
「べっ、べらんめえ! 二本差しが怖くてケンカができるかニャン。どドどっ、どこからでもかかってくるニャン!」
威勢よく啖呵を切ったが、五郎ニャンの足はガクガクと震えていた。
桃太郎が柄をグッとにぎり、一歩まえへ踏み出す。おなじ歩幅で、五郎ニャンは一歩後退りする。
「かかって……くるニャン。くる……ニャ、ニャ……」
桃太郎の眼がカッと見開き、太刀風が鳴る。
「ニャロメーーーッ!!」
そして五郎ニャンの断末魔が轟くのであった。
五郎ニャンは身も心もボロボロになりながら長屋へもどった。
「てやんでえ、バーロ、ちくしょう! こんなことなら、もっと大きな石ころをぶつけてやるんだったニャン」
五郎ニャンはおでこの真ん中にできた大きなタンコブをそっと撫でた。
「なんだかムシャクシャするニャン。機嫌なおしに一杯やりに行くニャン」
そして五郎ニャンが腰高障子の引き戸に手をかけたときだった。
「もし、ごめんなすって」
だれかが障子をどんどんと叩いた。
「やかましいニャンね。いったいだれニャン」
五郎ニャンはバッと障子を開け放った。
「そんなに叩いたら戸が壊れて……ニャニャァー?!」
五郎ニャンは思わず面食らった。戸口の外に立っていたのは、なんとオタマジャクシのオバケだった。
「お、おまえは……!」
「アッシは左官職のウィス太ってモンんだ。オタマジャクシじゃねえぜ」
「おまえの名前なんて聞いてないニャン。一体、なにしに来たニャン? ってか、どうしてオレっちの住まいがわかったニャンか?」
「そのマタタビ組の袢纏さ。街で見かけたマタタビ組の大工に訊いたら、すぐにわかったでウィスよ。それにしてもおまえさん、あんまり評判がよくないでウィスねえ」
たしかにケンカや博打で町方にしょっ引かれたことは何度かある。
「そっ、そんなことはどうでもいいニャン。用があるならさっさと言えニャン!」
「べつに大した用じゃないんでウィスがね。ただ、こいつを拾ったから届けに来ただけでウィス」
そう言ってウィス太が懐から取りだしたのは、青海波の道中財布だった。
「ニャニャニャ? それはオレっちの財布だニャン!」
「やっぱりそうでウィスか。芝居小屋に並んでるときにチラッと見たから覚えてたんでウィスよ」
ウィス太の話によると、芝居小屋の客席に落ちていたらしい。おそらく、桃太郎にやられたときにでも落としたのだろう。
「そ、そうだったニャンか。一応、礼だけは言っておくニャン。ほかに用がないなら、その財布をもってさっさと帰ればいいニャン」
「ウィス~? そりゃあ、一体ぇどういう意味でい?」
「一度落としたものは、もうオレっちのものじゃないニャン。だから、その財布はおまえにくれてやるって言ってるニャン」
「なんだと~? やいやいやい! せっかく届けてやったってのに、なんでい、その言いぐさは!」
「わからないやつニャンね。それが余計なことだと言ってるニャン。これ以上ガタガタ騒ぎやがると、鉄球が飛ぶニャンよー!!」
五郎ニャンは固くにぎりしめた肉球をふり上げた。
「上等だ。おもてに出やがれ!」
「身の程知らずニャンね」
「さあ、どっからでもかかってきやがれ化けネ――」
「百烈鉄球!!」
ウィス太が言い終わるまえに五郎ニャンの鋼鉄と化した肉球が火を噴いた。
「ニャニャニャニャニャニャ!!」
すさまじい速さで繰り出される無数の鉄球。ウィス太の顔が、見る見るデコボコに崩れてゆく。
「ばぼぶべっべっペプシッ!!」
ウィス太が井戸のほうへ豪快にふっ飛んでゆく。
「うっ、うわぁーっ!! う わ ら ば!!」
そしてウィス太の悲鳴は井戸の底へと消えてゆくのでした。
「井戸を死に場所に選んだニャンか。やはりカエルの子はカエル、ニャンね」
いろんな意味で疲れたので昼寝でもしよう。五郎ニャンは大きなあくびをしながら部屋へもどっていった。
翌朝。
……ドンドンドン……ドンドンドン……
「もし、ごめんなすってズラ」
……ドンドンドン……ドンドンドン……
「もし、五郎ニャンさんはいるズラか」
「ん……ニャぁあ~……?」
五郎ニャンは布団から這い出ると、眠い目をこすって戸口へ向かった。
「うるさいニャンね。いったいだれニャン。こんな朝っぱらから」
引き戸を開けると、人のよさそうな顔をした職人風の男が立っていた。
「おまえズラね。ご機嫌ナナメの猫さんは」
「ニャ? そういうおまえはだれニャン」
「オラは左官屋の棟梁で狛三っていう者ズラ」
「それで、狛三さん。オレっちになにか用ニャンか?」
「じつは、この財布のことで来たズラよ」
そう言うと、狛三は懐から青海波の道中財布を出して五郎ニャンに見せた。
「そっ、それはオレっちの……。ってこたあ、ひょっとして」
「そうズラ。ウィス太はオラが雇っている職人ズラ」
狛三がよこを向いてだれかにうなずいた。すると、長屋の角からタンコブだらけの白い顔が現れた。五郎ニャンはふてくされた顔でウィス太にそっぽを向いた。
「事情はこのウィス太から聞いてだいたい知ってるズラ。オラも五郎ニャンさんの気持ちはよくわかるズラよ。さすがは江戸っ子ズラね」
「いや~、それほどでもないニャン」
五郎ニャンは照れくさそうにあたまをかいた。
「でも、五郎ニャンさん」
と、狛三がつづける。
「ウィス太も一応、江戸っ子ズラ。五郎ニャンさんがやると言ったから、はいそうですかと貰うわけにはいかないんズラよ」
「親方、一応はないでしょう。アッシも筋金入りの江戸っ子ですぜ」
ウィス太が苦い顔をすると、狛三は「すまんズラ」と少しはにかんだように笑った。
「アッシはね、ガキのころからおふくろによーく言われてたんだ。人間、正直じゃなくっちゃいけねぇよ、ってね」
ウィス太がしみじみと語りはじめた。
「親父は、アッシが生まれてすぐに死んじまってよ。おふくろも、まだ赤ん坊だったアッシの面倒を見ながら昼も夜も働きづめで、暮らし向きは楽じゃなかった。来る日も来る日も、大根の葉っぱの浮かんだ雑炊ばっかでよ。それすら満足に食えないときもあった。そして、アッシが八つになった年のある日、おふくろは長年患っていた持病が悪化して、とうとう寝込んじまった。アッシはおふくろの看病をしながら働いた。まだ日が昇るまえから天秤棒をかついでシジミを売って……それでも、貧乏からは抜け出せない。その日を食うのがやっとだった。おふくろに薬を飲ませることもできなかった。なら、せめてなにかうまいものでも食わせてやりたい。アッシは近所の魚屋へ出かけると、一番生きのいい大きな鯛を手に取り、いそいで長屋にもどった。その鯛を見ると、おふくろはびっくりして布団から起きあがってよ、『どこから盗んできたんだい』ってね。とても悲しそうな目で訊くんだ。アッシは『大川(隅田川)で釣ってきたんだ』ってごまかそうとしたが、所詮は子供の噓。すぐにバレたさ。大川で鯛なんか釣れるわけねーからな」
寂しそうな顔でフッと笑い、ウィス太がつづける。
「アッシはおふくろに連れられて、鯛を返しに行きやした。とても歩けるような体じゃなかったのに、アッシのせいで無理させちまってよ。何度もあたまを下げて謝るおふくろを見ているうちに、アッシはだんだん自分が情けなくなってきたんだ。おふくろをよろこばせるどころか、逆に悲しい思いをさせちまって、そのことがつらくって、アッシは声を上げて泣きじゃくった。そのときに言われたんでさァ。どんなに貧しくても、人間、正直じゃなくっちゃいけねぇ、って。おふくろが死んだのは、それから間もなくのことでやした」
ウィス太が話し終わると、狛三は涙を流しながら鼻をかんだ。
「そんなことがあったズラか。もんげー立派なおっ母さんだったズラね」
「それで正直に財布を届けに来たニャンね」
五郎ニャンも涙を浮かべて感心していた。
「そういうわけでウィスから、どうか素直に財布を受け取っちゃあくれねえかい? でなきゃあ、アッシはおふくろとの約束を破ることになっちまうんだ」
だが、五郎ニャンも江戸っ子のはしくれ。簡単には引き下がれない。
「そう言われても……こまったニャンね」
「おめーも頑固なやつだな。自分の財布なんだから素直に受け取りゃあいいじゃねーか」
呆れた顔でウィス太が言った。
「それはお互い様ニャン!」
「相変わらず口の減らねーヤローだな、このすっとこどっこい!」
「ニャニャァ? またぶんなぐられたいニャンか!」
「ふたりとも、落ちつくズラ。オラにいい考えがあるズラ」
狛三がドヤ顔で言う。
「お奉行様にたのむズラよ」
お奉行様とは、名奉行ならぬ迷奉行の呼び声の高い南町奉行・大岡越前のカニのことである。
「でも、あのお奉行様で本当に大丈夫ニャンか?」
「このままじゃあ、いつまでたっても埒が明かねえしな。お白州で決着をつけるでウィス」
下手をすれば余計に話がややこしくなるかもしれないが、どうやらほかに手はなさそうだ。
「ま、どうせだめで元々ニャン。好きにすればいいニャン」
いささか投げやりな気持ちになる五郎ニャンなのであった。
そしてお白州の日がやってきた。
――大岡越前のカニ様、御出座ー!!
いよいよお奉行のお出ましである。五郎ニャンとウィス太は砂利の上に敷かれた筵に座り、顔を地面に伏せて控えていた。
公事場に入ってくると、越前のカニは「えっへん」と大きな咳払いをした。
「これより、落とし主に受け取りを拒ばまれし財布の件につき吟味いたすカニ。一同の者、面を上げるカニ」
五郎ニャンはダルそうに顔を上げた。ウィス太は体をもじもじさせて、どことなく落ち着かない様子だ。
「さて、左官職ウィス太。訴えによると、それなる五郎ニャンの財布を拾い、それを届けてやるも受け取りを拒否された、とのことであるが、左様相違ないカニ?」
「へい。まちがいございやせん」
ウィス太が答え、越前のカニがつづける。
「では、五郎ニャンに訪ねるカニ。この財布は、その方が落とした物にまちがいないカニか?」
越前のカニが五郎ニャンに見えるように財布を高くもち上げた。青海波の道中財布。まちがいなく五郎ニャンの物である。
「まちがいないニャン!」
「左様か。ならば、なぜ受け取ろうとしないカニ?」
「一度落とした物は、もうオレっちの物じゃないからニャン。だから、その財布はウィス太にくれてやるニャン」
「冗談じゃねえ!」
ウィス太が吼えた。
「そんな小汚ぇ財布、アッシは死んだって受け取らねえぜ」
「ニャニャ!? オレっちの財布は汚くないニャン!!」
「これ、控えるギョ。お白州だギョ!!」
突這同心のフナ侍が慌てて仲裁に入った。
「いや、恐れ入ったカニよ、ふたりとも」
越前のカニが感心したように呻った。
「世の中、己が利欲にのみ走る者が多い中で、得をするどころか損をしてまで江戸っ子の意地を張るとは、まことに天晴れカニ」
「それが江戸っ子ってもんニャン」
五郎ニャンは得意そうな顔で鼻を鳴らした。
「やせ我慢しやがって」
ウィス太は小声で五郎ニャンを罵った。
「では、五郎ニャンにいまひとつ尋ねるカニ」
越前のカニが五郎ニャンの財布をもち上げながら言った。
「その方、この財布はいらぬと言ったカニね?」
「言ったニャン」
「ならば、財布の中身は受け取ってくれるカニね?」
「ニャッ……中身もいらないニャン!」
「しかし、四両もの大金、本当にくれてやってもいいカニか?」
「……よ、四両?」
はて。たしか三両だと思ったが、記憶ちがいだろうか。
「いかがいたしたカニ、五郎ニャン?」
「な、んでもないニャン。どうせ猫に小判ニャン。全部くれてやるニャンよー!!」
「アッシだって、意地でも受け取らねーぜ。なんの因果か、今日はおふくろの命日だしな」
「これこれ、そう意地を張り合っていたのでは、収まるものも収まらないカニ。譲るべきところは譲り合ってこそ、世の中、はじめて丸く収まるカニよ」
越前のカニの言い分も尤もだ、と五郎ニャンは思った。ウィス太も納得はしていないが、一応理解はしているらしかった。
「ところで、ウィス太」
越前のカニが訊ねる。
「その方、いま母親の命日がどうのと申したが、此度の一件となにか関わりがあるカニか?」
「へい。じつは……」
ウィス太はこのまえ五郎ニャンたちにした話を越前のカニにも語って聞かせた。
「なるほど。そうであったカニか」
越前のカニはそっと目頭を拭った。
「その方らの言い分はよくわかったカニ。そこで奉行から五郎ニャンに、ひとつ頼みがあるカニ。どうじゃ、聞いてくれるカニ?」
「頼み?」
「今日はウィス太の母の十三回忌。どうかその四両で、盛大に法要を執り行ってはもらえないカニか?」
「お奉行様!」
ウィス太はパッと顔を上げると、驚きと感動の入り混じった表情で奉行を見た。
「どうじゃ、五郎ニャン」
奉行は静かな顔で五郎ニャンの答えを待っている。
「……わかりやした。香典ってことなら文句はないニャンね? ウィス太」
「余計なおせっかいしやがって。あとで返せなんて言うんじゃねーぞ」
「おまえも素直じゃないニャンね」
それにしても、この奉行。どうやらただのバカではなかったようだ、と五郎ニャンは秘かに感心していた。
「では、この財布は持ち主である五郎ニャンに返却するカニ。フナ侍」
「御意!」
フナ侍は奉行から財布を受け取ると、五郎ニャンのところへ運んできた。
「では、たしかに」
五郎ニャンはかしこまった態度で財布を受け取った。
裁きがついて一件落着すると、さっそく法要の準備がはじまった。できるだけ盛大に行うので、ウィス太の長屋ではなく料亭の部屋をひとつ借りることにした。
「遠慮はいらねえ。じゃんじゃんやってくれニャン」
「てめーもどんどん吞めよ」
ウィス太が五郎ニャンに酒を勧める。相変わらずオタマジャクシのオバケのような顔をしてるが、まるで憑き物が落ちたように明るい笑顔を浮かべていた。
「このお寿司、もんげーうまいズラ」
狛三も楽しそうにやっている。
「このカニ、なかなかいけるカニ」
大岡越前のカニもよろこんでいる。
「このトロ、脂がのっててうまいギョ」
そしてなぜかフナ侍も参加していた。
「ニャニャ?」
五郎ニャンはウィス太のまえにある鯛の刺身の皿を見て首をかしげた。
「その刺身、ぜんぜん手をつけてないニャンね。食べないニャンか?」
すると、ウィス太はなんとなく寂しそうな顔でフッと笑った。
「これは、おふくろの分でウィス」
「……そうニャンか。それで鯛を」
「こんどは、食べてくれるさ。こんどこそは、きっと……」
「ウィス太……」
五郎ニャンはだまってウィス太のお猪口に酒を注いだ。ウィス太もだまってお猪口をかたむける。ウィス太は涙と一緒に、ゴクリと酒を吞み込んだ。
「それじゃ、オラは用事があるから、ここで失礼するズラ」
狛三が席を立った。
「親方、今日はお忙しいところ足を運んでいただき、ありがとうごぜぇやした」
「ウィス太。おめーは、おっ母さんの言いつけを守ってまじめに生きてきたズラ。だから、これは天国のおっ母さんがくれたご褒美ズラ。オラは、そう思うズラよ」
「親方……」
ウィス太は涙に声を詰まらせながらあたまを下げた。
「明日も早いズラよ。あんまり吞み過ぎて寝坊すんじゃねーぞ」
狛三が帰ったあとも、法要という名目の宴会はしばらくつづいた。
「おまえら食べすぎニャン。いい加減にするニャン」
それぞれの席のまえには天井まで皿が積み重なっていた。
「もうこれでお開きニャン。これ以上食べられたら、とても四両じゃ間に合わないニャン」
それにしても、不思議である。芝居小屋で確認したときは、たしかに三両だった。それがどうして一両増えて四両になったのか。
ウィス太たちは酔いつぶれて寝てしまったので、とりあえず五郎ニャンは番頭を呼んで勘定を払うことにした。
「しかし、よく召し上がられましたねえ」
番頭が呆れた口ぶりで勘定書きを差しだした。
「しめて三両になります」
「ニャッ、ニャニャァ~!?」
勘定を払うと、手元に残ったのは小判が一枚だけだった。
「とほほニャン」
そして財布をしまおうとしたときだった。
「ニャ?」
よく見ると、財布の真ん中に家紋の刺繍が入っている。無論、五郎ニャンは財布に刺繍など入れた覚えはない。
「この家紋は、ひょっとして……」
丸に桃。
「もっ、もモモももっ、桃太郎ニャン!!」
そう。これは五郎ニャンの物ではなく、桃太郎の財布だったのだ。
「あっ、あいつ! なんでオレっちとおんなじ財布を持ってるニャン~!!」
殺される――五郎ニャンは真っ青になって震えあがった。
「こうなったら、ヤツにバレるまえにオレっちの財布を見つけるしかないニャン」
そのときである。
「もんげー!! 大変ズラー!!」
狛三が血相を変えてすっ飛んできた。
「どっ、どど どうしたニャンか?」
「五郎ニャンさん、まずいことになったズラよ。じつは……」
狛三の話によると、家に着くなり、ふいにひとりの鬼のような顔をした浪人が訊ねてきたというのだ。聞けば、その浪人も五郎ニャンとおなじ青海波の道中財布を落としたらしく、奉行所に届いていないか毎日通っていたのだという。そして偶然今回の裁きの一件を聞きつけ、もしや自分の財布と取りちがえられたのではないかと五郎ニャンの住まいを尋ねたが、あいにく留守だった。それで狛三のところへ五郎ニャンの居所を聞きに来たのだという。
「そそそっ、それでヤツはいまどこにいるニャン」
「それが、いまここに向かってるズラよ」
「ニャニャーッ!! なんでここの場所を教えたニャンか!!」
「だって、もんげーおっかねー顔で訊くから、しかたなかったズラよ」
もはや万事休すである。
「そっ、それじゃあ、オラ急ぐから、あとはよろしくズラ」
狛三はそそくさと帰って行った。
「まっ、まずいことになったニャン。はやく逃げないと――」
「もんげー!! 来たズラー!!」
店の外から狛三の悲鳴が聞こえてきた。
「ニャニャニャニャーッ!!」
五郎ニャンはどうしていいかわからず部屋の中を右往左往した。
「者ども、ででっ、であうニャン!! であうニャンよー!!」
五郎ニャンは三人を叩き起こした。
「ムニャ……。もう朝でウィスか」
「も……もう呑めないギョ」
「た、たのむカニ。あと五分だけ寝かせるカニ」
「おまえら、寝ぼけてる場合じゃないニャン!! はやく逃げないと、手遅れに――」
それは障子の外から飛びこんできて、すさまじい速さで五郎ニャンの頬をかすめ、柱にもたれかかって酔いつぶれている越前のカニのほうへ飛んでいった。
「ニャニャ?!」
……チリリン……
「そっ、その鈴のついた小柄は……」
五郎ニャンはガタガタと震えながら、柱に突き刺さった小柄を肉球で指し示した。
「うるさいカニね」
大きなあくびをしながら越前のカニが目を覚ました。
「これ、五郎ニャン。もう少し寝かせて……カニ?」
越前のカニはマゲの上にぶら下がる鈴に気がつくと、あたまから突き出た半開きの眼をグルリと内側に回した。
「あぶないカニね。こんなものでウィリアム・テルごっこをしちゃいけないカニよ、五郎ニャン」
「だから、オレっちじゃないニャン!! ヤツが来たニャンよー!!」
「ギョギョッ?! この殺気は……!!」
フナ侍が勢いよく障子を開け放った。すると、薄衣を被った何者かが、いきなり中庭に飛びこんできた。
「あ、あいつニャン!!」
五郎ニャンは指差しながら叫んだ。
「な、なんであいつがここにいるでウィスか?」
「じっ、じつはこういうわけニャン」
状況がのみ込めないウィス太に五郎ニャンは事情を説明した。
「ウィスーッ!? じ、じゃあ、あの財布は、あいつのだったでウィスか」
「そうニャンよ。だから余計なことするなって言ったニャン!」
しかし、いまさら騒いでも、もう遅い。
「む? お主は、あのときの……!」
越前のカニが相手の正体に気がつくと、その浪人は薄衣を抛り捨てて般若の面を外し、名乗りを上げた。
「桃から生まれた、桃太郎!!」
「もう知ってるニャン!!」
五郎ニャンが突っ込む。そして桃太郎がつづける。
「大岡越前のカニ。その方、町奉行という要職にありながら、それなる化け猫どもと共謀し、落し物の金をネコババするとは不埒千万。桃太郎、天に代わって鬼退治いたす!!」
桃太郎が模造刀を抜きはなつと、フナ侍も抜刀して斬りかかった。
「おのれ! 覚悟するギョ!!」
フナ侍の刃が空を斬り、相手の刃が鈍い音をたてた。
「うっ! な……ぎ」
フナ侍は、あっけなく斬り伏せられてしまった。
桃太郎がジリジリと迫ってくる。越前のカニとウィス太は部屋の奥でガタガタと震えながら怯えていた。
「くっ、来るなニャンー!!」
五郎ニャンは皿を投げまくって抵抗した。しかし、桃太郎は五郎ニャンの攻撃を難なくかわし、部屋に乗り込んできた。
「もっ、もうだめだニャンー!!」
五郎ニャンも部屋の奥に避難した。桃太郎が五郎ニャンたちに鋭い視線を向けたまま箱膳の徳利に手を伸ばす。
「ひとぉーつ! ひとくち、生き血をすすり!」
桃太郎は飲み残しの酒を呷り、越前のカニをギロリとにらみつけた。
「まっ、待つカニ! 身共はなにもしてないカニ。だから、たっ、たすけて! たすけ……」
だが桃太郎の刃は容赦なく越前のカニに振り下ろされた。
「たラっ……ば!!」
越前のカニはばたりと倒れ、ブクブクと白い泡を吹いて気絶した。
「たっ、助けてニャン~ッ!!」
五郎ニャンは部屋の隅に後退りした。
「い、いやだ!! 死にたくないでウィス~ッ!!」
ウィス太も失禁しながら畳の上を這うようにして逃げる。
――ドス!!
「ヒィッ?!」
ウィス太の動きがピタリと止まった。ウィス太の鼻先をかすめて畳の上に桃太郎の太刀が突き刺さったからだ。ウィス太が恐る恐る桃太郎を見上げてゴクリとつばを飲み込む。桃太郎は鬼の形相でウィス太を見下ろしながら、ふたたび箱膳に手を伸ばした。だが、こんどは酒ではない。彼が目をつけたのは、大皿の上に咲く白い菊の花。まだ箸のつけられていないフグ刺しだった。
「ふたぁーつ! フグ刺し、食べ放題!」
桃太郎は口いっぱいにフグ刺しを頬張った。
「そそっ、それはアッシじゃないでウィス! ゴロニャンが注文したものでウィス! そ、それにアッシは下戸だから、酒なんか一滴も吞んじゃいやせんよ!! ほホほ、ホんトでウィス~!!」
「ウソつくなニャン!! おまえが一番呑んでたニャン!!」
あっさりと母との約束を破るウィス太に五郎ニャンはドン引きした。
桃太郎が口をもぐもぐさせながら頭上に太刀を構える。
「ウソじゃないでウィス!! アッシは下戸でウィス!! 下戸で……ゲコ、ゲ――」
そして太刀は振り下ろされた。
「ゲコーッ!!」
「またカエルになったニャン!!」
ウィス太も斬られ、とうとう五郎ニャンだけになってしまった。
桃太郎が五郎ニャンに切っ先を向ける。
「みぃーっつ! みんなの勘定払い、退治てくれよう、桃太郎!!」
「ご、誤解だニャン、許してくれニャン!! 財布は返すから、見逃してくれニャン!! お金もちゃんと返すニャン!!」
桃太郎が太刀をふり上げる。
「この通りニャン!! 後生だから、許してくれニャン!! 後生だから、ごご……ゴ――」
桃太郎の鋭い眼がギラリと光る。
「ゴロニャーァァオ!!」
夕焼け空に、五郎ニャンの断末魔が轟いた。
―― おしまいニャン!! ――
モモカニ合戦
*エンディング
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*提供クレジット(BGM)
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【おまけ】
晴れときどき鬼(五郎ニャンのテーマ)
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「仮面ライダー222(ニート)」
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