芥川龍之介作、純文学作品である「藪の中」の、正に薮の中なあらまし。

芥川龍之介作、純文学作品である「藪の中」の、正に薮の中なあらまし。

未だに一流作家にしては謎の多い作品。

 藪の中
芥川龍之介


検非違使けびいしに問われたる木樵きこりの物語

 さようでございます。あの死骸しがいを見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝けさいつもの通り、裏山の杉を伐きりに参りました。すると山陰やまかげの藪やぶの中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科やましなの駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中に痩やせ杉の交まじった、人気ひとけのない所でございます。
 死骸は縹はなだの水干すいかんに、都風みやこふうのさび烏帽子をかぶったまま、仰向あおむけに倒れて居りました。何しろ一刀ひとかたなとは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳すほうに滲しみたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口も乾かわいて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅うまばえが一匹、わたしの足音も聞えないように、べったり食いついて居りましたっけ。
 太刀たちか何かは見えなかったか? いえ、何もございません。ただその側の杉の根がたに、縄なわが一筋落ちて居りました。それから、――そうそう、縄のほかにも櫛くしが一つございました。死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。が、草や竹の落葉は、一面に踏み荒されて居りましたから、きっとあの男は殺される前に、よほど手痛い働きでも致したのに違いございません。何、馬はいなかったか? あそこは一体馬なぞには、はいれない所でございます。何しろ馬の通かよう路とは、藪一つ隔たって居りますから。

検非違使に問われたる旅法師たびほうしの物語

 あの死骸の男には、確かに昨日きのう遇あって居ります。昨日の、――さあ、午頃ひるごろでございましょう。場所は関山せきやまから山科やましなへ、参ろうと云う途中でございます。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。女は牟子むしを垂れて居りましたから、顔はわたしにはわかりません。見えたのはただ萩重はぎがさねらしい、衣きぬの色ばかりでございます。馬は月毛つきげの、――確か法師髪ほうしがみの馬のようでございました。丈たけでございますか? 丈は四寸よきもございましたか? ――何しろ沙門しゃもんの事でございますから、その辺ははっきり存じません。男は、――いえ、太刀たちも帯びて居おれば、弓矢も携たずさえて居りました。殊に黒い塗ぬり箙えびらへ、二十あまり征矢そやをさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。
 あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、真まことに人間の命なぞは、如露亦如電にょろやくにょでんに違いございません。やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。

検非違使に問われたる放免ほうめんの物語

 わたしが搦からめ取った男でございますか? これは確かに多襄丸たじょうまると云う、名高い盗人ぬすびとでございます。もっともわたしが搦からめ取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口あわだぐちの石橋いしばしの上に、うんうん呻うなって居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜さくやの初更しょこう頃でございます。いつぞやわたしが捉とらえ損じた時にも、やはりこの紺こんの水干すいかんに、打出うちだしの太刀たちを佩はいて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さえ携たずさえて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。革かわを巻いた弓、黒塗りの箙えびら、鷹たかの羽の征矢そやが十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。はい。馬もおっしゃる通り、法師髪ほうしがみの月毛つきげでございます。その畜生ちくしょうに落されるとは、何かの因縁いんねんに違いございません。それは石橋の少し先に、長い端綱はづなを引いたまま、路ばたの青芒あおすすきを食って居りました。
 この多襄丸たじょうまると云うやつは、洛中らくちゅうに徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。昨年の秋鳥部寺とりべでらの賓頭盧びんずるの後うしろの山に、物詣ものもうでに来たらしい女房が一人、女めの童わらわと一しょに殺されていたのは、こいつの仕業しわざだとか申して居りました。その月毛に乗っていた女も、こいつがあの男を殺したとなれば、どこへどうしたかわかりません。差出さしでがましゅうございますが、それも御詮議ごせんぎ下さいまし。

検非違使に問われたる媼おうなの物語

 はい、あの死骸は手前の娘が、片附かたづいた男でございます。が、都のものではございません。若狭わかさの国府こくふの侍でございます。名は金沢かなざわの武弘、年は二十六歳でございました。いえ、優しい気立きだてでございますから、遺恨いこんなぞ受ける筈はございません。
 娘でございますか? 娘の名は真砂まさご、年は十九歳でございます。これは男にも劣らぬくらい、勝気の女でございますが、まだ一度も武弘のほかには、男を持った事はございません。顔は色の浅黒い、左の眼尻めじりに黒子ほくろのある、小さい瓜実顔うりざねがおでございます。
 武弘は昨日きのう娘と一しょに、若狭へ立ったのでございますが、こんな事になりますとは、何と云う因果でございましょう。しかし娘はどうなりましたやら、壻むこの事はあきらめましても、これだけは心配でなりません。どうかこの姥うばが一生のお願いでございますから、たとい草木くさきを分けましても、娘の行方ゆくえをお尋ね下さいまし。何に致せ憎いのは、その多襄丸たじょうまるとか何とか申す、盗人ぬすびとのやつでございます。壻ばかりか、娘までも………(跡は泣き入りて言葉なし)
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多襄丸たじょうまるの白状

 あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。ではどこへ行ったのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お待ちなさい。いくら拷問ごうもんにかけられても、知らない事は申されますまい。その上わたしもこうなれば、卑怯ひきょうな隠し立てはしないつもりです。
 わたしは昨日きのうの午ひる少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子ひょうしに、牟子むしの垂絹たれぎぬが上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩にょぼさつのように見えたのです。わたしはその咄嗟とっさの間あいだに、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。
 何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。どうせ女を奪うばうとなれば、必ず、男は殺されるのです。ただわたしは殺す時に、腰の太刀たちを使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派りっぱに生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)
 しかし男を殺さずとも、女を奪う事が出来れば、別に不足はない訳です。いや、その時の心もちでは、出来るだけ男を殺さずに、女を奪おうと決心したのです。が、あの山科やましなの駅路では、とてもそんな事は出来ません。そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫くふうをしました。
 これも造作ぞうさはありません。わたしはあの夫婦と途みちづれになると、向うの山には古塚ふるづかがある、この古塚を発あばいて見たら、鏡や太刀たちが沢山出た、わたしは誰も知らないように、山の陰の藪やぶの中へ、そう云う物を埋うずめてある、もし望み手があるならば、どれでも安い値に売り渡したい、――と云う話をしたのです。男はいつかわたしの話に、だんだん心を動かし始めました。それから、――どうです。欲と云うものは恐しいではありませんか? それから半時はんときもたたない内に、あの夫婦はわたしと一しょに、山路やまみちへ馬を向けていたのです。
 わたしは藪やぶの前へ来ると、宝はこの中に埋めてある、見に来てくれと云いました。男は欲に渇かわいていますから、異存いぞんのある筈はありません。が、女は馬も下りずに、待っていると云うのです。またあの藪の茂っているのを見ては、そう云うのも無理はありますまい。わたしはこれも実を云えば、思う壺つぼにはまったのですから、女一人を残したまま、男と藪の中へはいりました。
 藪はしばらくの間あいだは竹ばかりです。が、半町はんちょうほど行った処に、やや開いた杉むらがある、――わたしの仕事を仕遂げるのには、これほど都合つごうの好いい場所はありません。わたしは藪を押し分けながら、宝は杉の下に埋めてあると、もっともらしい嘘をつきました。男はわたしにそう云われると、もう痩やせ杉が透いて見える方へ、一生懸命に進んで行きます。その内に竹が疎まばらになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。男も太刀を佩はいているだけに、力は相当にあったようですが、不意を打たれてはたまりません。たちまち一本の杉の根がたへ、括くくりつけられてしまいました。縄なわですか? 縄は盗人ぬすびとの有難さに、いつ塀を越えるかわかりませんから、ちゃんと腰につけていたのです。勿論声を出させないためにも、竹の落葉を頬張ほおばらせれば、ほかに面倒はありません。
 わたしは男を片附けてしまうと、今度はまた女の所へ、男が急病を起したらしいから、見に来てくれと云いに行きました。これも図星ずぼしに当ったのは、申し上げるまでもありますまい。女は市女笠いちめがさを脱いだまま、わたしに手をとられながら、藪の奥へはいって来ました。ところがそこへ来て見ると、男は杉の根に縛しばられている、――女はそれを一目見るなり、いつのまに懐ふところから出していたか、きらりと小刀さすがを引き抜きました。わたしはまだ今までに、あのくらい気性の烈はげしい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油断していたらば、一突きに脾腹ひばらを突かれたでしょう。いや、それは身を躱かわしたところが、無二無三むにむざんに斬り立てられる内には、どんな怪我けがも仕兼ねなかったのです。が、わたしも多襄丸たじょうまるですから、どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀さすがを打ち落しました。いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありません。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。
 男の命は取らずとも、――そうです。わたしはその上にも、男を殺すつもりはなかったのです。所が泣き伏した女を後あとに、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋すがりつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥はじを見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、――そうも喘あえぎ喘ぎ云うのです。わたしはその時猛然と、男を殺したい気になりました。(陰鬱なる興奮)
 こんな事を申し上げると、きっとわたしはあなた方より残酷ざんこくな人間に見えるでしょう。しかしそれはあなた方が、あの女の顔を見ないからです。殊にその一瞬間の、燃えるような瞳ひとみを見ないからです。わたしは女と眼を合せた時、たとい神鳴かみなりに打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、――わたしの念頭ねんとうにあったのは、ただこう云う一事だけです。これはあなた方の思うように、卑いやしい色欲ではありません。もしその時色欲のほかに、何も望みがなかったとすれば、わたしは女を蹴倒けたおしても、きっと逃げてしまったでしょう。男もそうすればわたしの太刀たちに、血を塗る事にはならなかったのです。が、薄暗い藪の中に、じっと女の顔を見た刹那せつな、わたしは男を殺さない限り、ここは去るまいと覚悟しました。
 しかし男を殺すにしても、卑怯ひきょうな殺し方はしたくありません。わたしは男の縄を解いた上、太刀打ちをしろと云いました。(杉の根がたに落ちていたのは、その時捨て忘れた縄なのです。)男は血相けっそうを変えたまま、太い太刀を引き抜きました。と思うと口も利きかずに、憤然とわたしへ飛びかかりました。――その太刀打ちがどうなったかは、申し上げるまでもありますまい。わたしの太刀は二十三合目ごうめに、相手の胸を貫きました。二十三合目に、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思っているのです。わたしと二十合斬り結んだものは、天下にあの男一人だけですから。(快活なる微笑)
 わたしは男が倒れると同時に、血に染まった刀を下げたなり、女の方を振り返りました。すると、――どうです、あの女はどこにもいないではありませんか? わたしは女がどちらへ逃げたか、杉むらの間を探して見ました。が、竹の落葉の上には、それらしい跡あとも残っていません。また耳を澄ませて見ても、聞えるのはただ男の喉のどに、断末魔だんまつまの音がするだけです。
 事によるとあの女は、わたしが太刀打を始めるが早いか、人の助けでも呼ぶために、藪をくぐって逃げたのかも知れない。――わたしはそう考えると、今度はわたしの命ですから、太刀や弓矢を奪ったなり、すぐにまたもとの山路やまみちへ出ました。そこにはまだ女の馬が、静かに草を食っています。その後ごの事は申し上げるだけ、無用の口数くちかずに過ぎますまい。ただ、都みやこへはいる前に、太刀だけはもう手放していました。――わたしの白状はこれだけです。どうせ一度は樗おうちの梢こずえに、懸ける首と思っていますから、どうか極刑ごっけいに遇わせて下さい。(昂然こうぜんたる態度)

清水寺に来れる女の懺悔ざんげ

 ――その紺こんの水干すいかんを着た男は、わたしを手ごめにしてしまうと、縛られた夫を眺めながら、嘲あざけるように笑いました。夫はどんなに無念だったでしょう。が、いくら身悶みもだえをしても、体中からだじゅうにかかった縄目なわめは、一層ひしひしと食い入るだけです。わたしは思わず夫の側へ、転ころぶように走り寄りました。いえ、走り寄ろうとしたのです。しかし男は咄嗟とっさの間あいだに、わたしをそこへ蹴倒しました。ちょうどその途端とたんです。わたしは夫の眼の中に、何とも云いようのない輝きが、宿っているのを覚さとりました。何とも云いようのない、――わたしはあの眼を思い出すと、今でも身震みぶるいが出ずにはいられません。口さえ一言いちごんも利きけない夫は、その刹那せつなの眼の中に、一切の心を伝えたのです。しかしそこに閃ひらめいていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――ただわたしを蔑さげすんだ、冷たい光だったではありませんか? わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたように、我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました。
 その内にやっと気がついて見ると、あの紺こんの水干すいかんの男は、もうどこかへ行っていました。跡にはただ杉の根がたに、夫が縛しばられているだけです。わたしは竹の落葉の上に、やっと体を起したなり、夫の顔を見守りました。が、夫の眼の色は、少しもさっきと変りません。やはり冷たい蔑さげすみの底に、憎しみの色を見せているのです。恥しさ、悲しさ、腹立たしさ、――その時のわたしの心の中うちは、何と云えば好よいかわかりません。わたしはよろよろ立ち上りながら、夫の側へ近寄りました。
「あなた。もうこうなった上は、あなたと御一しょには居られません。わたしは一思いに死ぬ覚悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすって下さい。あなたはわたしの恥はじを御覧になりました。わたしはこのままあなた一人、お残し申す訳には参りません。」
 わたしは一生懸命に、これだけの事を云いました。それでも夫は忌いまわしそうに、わたしを見つめているばかりなのです。わたしは裂さけそうな胸を抑えながら、夫の太刀たちを探しました。が、あの盗人ぬすびとに奪われたのでしょう、太刀は勿論弓矢さえも、藪の中には見当りません。しかし幸い小刀さすがだけは、わたしの足もとに落ちているのです。わたしはその小刀を振り上げると、もう一度夫にこう云いました。
「ではお命を頂かせて下さい。わたしもすぐにお供します。」
 夫はこの言葉を聞いた時、やっと唇くちびるを動かしました。勿論口には笹の落葉が、一ぱいにつまっていますから、声は少しも聞えません。が、わたしはそれを見ると、たちまちその言葉を覚りました。夫はわたしを蔑んだまま、「殺せ。」と一言ひとこと云ったのです。わたしはほとんど、夢うつつの内に、夫の縹はなだの水干の胸へ、ずぶりと小刀さすがを刺し通しました。
 わたしはまたこの時も、気を失ってしまったのでしょう。やっとあたりを見まわした時には、夫はもう縛られたまま、とうに息が絶えていました。その蒼ざめた顔の上には、竹に交まじった杉むらの空から、西日が一すじ落ちているのです。わたしは泣き声を呑みながら、死骸しがいの縄を解き捨てました。そうして、――そうしてわたしがどうなったか? それだけはもうわたしには、申し上げる力もありません。とにかくわたしはどうしても、死に切る力がなかったのです。小刀さすがを喉のどに突き立てたり、山の裾の池へ身を投げたり、いろいろな事もして見ましたが、死に切れずにこうしている限り、これも自慢じまんにはなりますまい。(寂しき微笑)わたしのように腑甲斐ふがいないものは、大慈大悲の観世音菩薩かんぜおんぼさつも、お見放しなすったものかも知れません。しかし夫を殺したわたしは、盗人ぬすびとの手ごめに遇ったわたしは、一体どうすれば好よいのでしょう? 一体わたしは、――わたしは、――(突然烈しき歔欷すすりなき)

巫女みこの口を借りたる死霊の物語

 ――盗人ぬすびとは妻を手ごめにすると、そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口は利きけない。体も杉の根に縛しばられている。が、おれはその間あいだに、何度も妻へ目くばせをした。この男の云う事を真まに受けるな、何を云っても嘘と思え、――おれはそんな意味を伝えたいと思った。しかし妻は悄然しょうぜんと笹の落葉に坐ったなり、じっと膝へ目をやっている。それがどうも盗人の言葉に、聞き入っているように見えるではないか? おれは妬ねたましさに身悶みもだえをした。が、盗人はそれからそれへと、巧妙に話を進めている。一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲も折り合うまい。そんな夫に連れ添っているより、自分の妻になる気はないか? 自分はいとしいと思えばこそ、大それた真似も働いたのだ、――盗人はとうとう大胆だいたんにも、そう云う話さえ持ち出した。
 盗人にこう云われると、妻はうっとりと顔を擡もたげた。おれはまだあの時ほど、美しい妻を見た事がない。しかしその美しい妻は、現在縛られたおれを前に、何と盗人に返事をしたか? おれは中有ちゅううに迷っていても、妻の返事を思い出すごとに、嗔恚しんいに燃えなかったためしはない。妻は確かにこう云った、――「ではどこへでもつれて行って下さい。」(長き沈黙)
 妻の罪はそれだけではない。それだけならばこの闇やみの中に、いまほどおれも苦しみはしまい。しかし妻は夢のように、盗人に手をとられながら、藪の外へ行こうとすると、たちまち顔色がんしよくを失ったなり、杉の根のおれを指さした。「あの人を殺して下さい。わたしはあの人が生きていては、あなたと一しょにはいられません。」――妻は気が狂ったように、何度もこう叫び立てた。「あの人を殺して下さい。」――この言葉は嵐のように、今でも遠い闇の底へ、まっ逆様さかさまにおれを吹き落そうとする。一度でもこのくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか? 一度でもこのくらい呪のろわしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか? 一度でもこのくらい、――(突然迸ほとばしるごとき嘲笑ちょうしょう)その言葉を聞いた時は、盗人さえ色を失ってしまった。「あの人を殺して下さい。」――妻はそう叫びながら、盗人の腕に縋すがっている。盗人はじっと妻を見たまま、殺すとも殺さぬとも返事をしない。――と思うか思わない内に、妻は竹の落葉の上へ、ただ一蹴りに蹴倒けたおされた、(再ふたたび迸るごとき嘲笑)盗人は静かに両腕を組むと、おれの姿へ眼をやった。「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか? 返事はただ頷うなずけば好よい。殺すか?」――おれはこの言葉だけでも、盗人の罪は赦ゆるしてやりたい。(再び、長き沈黙)
 妻はおれがためらう内に、何か一声ひとこえ叫ぶが早いか、たちまち藪の奥へ走り出した。盗人も咄嗟とっさに飛びかかったが、これは袖そでさえ捉とらえなかったらしい。おれはただ幻のように、そう云う景色を眺めていた。
 盗人は妻が逃げ去った後のち、太刀たちや弓矢を取り上げると、一箇所だけおれの縄なわを切った。「今度はおれの身の上だ。」――おれは盗人が藪の外へ、姿を隠してしまう時に、こう呟つぶやいたのを覚えている。その跡はどこも静かだった。いや、まだ誰かの泣く声がする。おれは縄を解きながら、じっと耳を澄ませて見た。が、その声も気がついて見れば、おれ自身の泣いている声だったではないか? (三度みたび、長き沈黙)
 おれはやっと杉の根から、疲れ果てた体を起した。おれの前には妻が落した、小刀さすがが一つ光っている。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へ刺さした。何か腥なまぐさい塊かたまりがおれの口へこみ上げて来る。が、苦しみは少しもない。ただ胸が冷たくなると、一層あたりがしんとしてしまった。ああ、何と云う静かさだろう。この山陰やまかげの藪の空には、小鳥一羽囀さえずりに来ない。ただ杉や竹の杪うらに、寂しい日影が漂ただよっている。日影が、――それも次第に薄れて来る。――もう杉や竹も見えない。おれはそこに倒れたまま、深い静かさに包まれている。
 その時誰か忍び足に、おれの側へ来たものがある。おれはそちらを見ようとした。が、おれのまわりには、いつか薄闇うすやみが立ちこめている。誰か、――その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀さすがを抜いた。同時におれの口の中には、もう一度血潮が溢あふれて来る。おれはそれぎり永久に、中有ちゅううの闇へ沈んでしまった。………
(大正十年十二月)
 

 芥川龍之介作「藪(やぶ)の中」という話は、古代の書物からヒントを得ているから、検非違使(けびいし)などが登場する。
 普通は藪では無く家の中になるが、藪ではやぶ蚊やぶよに刺される。
 縛られた主人は可哀想だが、新婚早々だからと言い、仲が良いかはかなり昔は疑問であったかも知れない。
 そうなると、主人が目の前で行われている事は其れほど気にならない事になる。 
 此の話はあくまでも、そういう状況下で各人がどう思いどういう行動に出るかという事だが、芥川は此れについても特定のこだわりを感じないから、おかしな事になる。
 夫婦と雖もそれ以前の光景が浮かばない・・ただ・・新婚・・と言う言葉で表現をしている。
 其れでは賊はどうだろう。
 今で言う連続強姦魔であれば兎も角、此の男にはそういう前歴が窺え無さそう。
 行き当たりばったりに、小便でもするつもりでそうなったのかも知れない。
 其れに、今の時代に例えても当時にしても、夜鷹もいれば遊郭もあったのに其れでは不可解だ。
 そうなると、芥川は新婚の妻を目の前で凌辱され・・其処だけにポイントを置いているのだが、妻は賊を欺くような発言もしている。
 そのくせ、本音は逃げ出すと言う事。ついでにあの主人を殺してしまえと言っている。
 その辺りの設定の矛盾が此の話の基になっている。つまりは筋書きがあるようで何も無い、空想の世界という事だが・・此の国一流の作家が?。
 此処にもう一人男が通りかかるとする。男はどうするか?
 賊を見て・・腕が立てば賊を追い払う・・が、其の後で妻のあられもない姿を見て賊と交代になる。
 其れとも、検非違使を呼ぶ?其れでは物語から外れてしまう。
 昔、下町の劇場で・或いは戦場では・男達が次々に女性を犯して行くという時代があった。
 女性も次第に慣れていくというより命に代えればそんなものなんでも無いと考えるようだ。
 其れと同様、通りすがりの男達が匂いに魅かれる様に次々に妻を犯して行くことも考えられる。
 ソープだなんだと、構えずとも、幾らでもその手の行為は行われているし犯罪も絶えない。
 其れでは・妻の心境は、夫を嘘では殺せとは言わないだろう・実は新婚では無かったのか、仲が悪かったかか?
 夫は、縛られて何を考えているのかの表情が見えない。
 各人の証言が一致しないと言うのはそういう設定で・・此れは先ず有り得ないだろう。
 例えば・見た?見ない・やった・やらない・殺せ・俺の妻にならないか?だが女は逃げる・簡単に妻になる訳がない・夫は抵抗できず・・。芥川は試験的に書いては見たが、漱石も「鼻」のようには絶賛も何もしなかった。
 
 つまりは・・芥川の設定の不可解と世間の反応・そういうものを簡単にすらっと書いただけの作品が薮の中と言うTitleだったと言う事になりそうだ。
 え?私が通りかかったら?私は全く女性のそういうものには関心が持てないので参加しない。
 何にしても結末はこんな具合に終わらせようか・・。
「歩を早め過ぎていく背後から、男女のああでもないこうでもないと言う声が聞こえたり聞こえなかったりしていたが、この辺りは藪が彼方此方に茂みを作っており、何とも味気ない風景に身震いをすると、なお一層足を早めた・・」
 因みに現在「藪の中」という言葉が、訳の分からないという意味として使われている事だけは、薮の中ではない・・。

芥川龍之介作、純文学作品である「藪の中」の、正に薮の中なあらまし。

其れでも、彼のよく参考にする古典作品などからヒントを得たのは事実のようだ。

芥川龍之介作、純文学作品である「藪の中」の、正に薮の中なあらまし。

文学作品・芥川龍之介作「藪の中」青空文庫。と、書かれた意図?推察。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-12-08

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