Letters

第2章 閉ざされた森と幻の春より

『某月某日 冬
 日がな一日石を割る。
 ヤーコフが訪ねてきて話のつづき。
 夕餉はクズパン、味のないシー。中に赤いもの発見。ニンジンの皮と思はれ。
 今朝わずかに陽が射すのを見た。風に舞ふ雪が桜の幻影に見え。
 故郷は遠くにありて思ふものなり、か。黙らっしゃい。
 ………

 某月某日 冬
 日がな一日石割り。
 ヤーコフ訪ねてくる。通訳の要請、ドイツ人たちの仲裁。ここのドイツ人は喧嘩ばかりしている。
一人喧嘩に乗じて歌う陽気者あり。
「ダモイダモイダモイはウソだ、ウソっぱち」といふ歌詞。
 君に幸あれ。
 夢の中で桜餅を食ふ。
 ………

 某月某日 冬
 猫車の日。
 赤痢の嵐止まず。
 ………

 某月某日 冬
 黒パンに塩スープの朝食。
 ヤーコフ、『カチューシャ』を口ずさみながらご機嫌であらはれる。
 春になったらトウキョウダモイだそうだ。
 でもおまえはここに残れよと言う。私もダモイしたいのか分からない。奉天で会った女のことを思い出す。
 頭の中で『ラクリモーサ』を弾く。
 ………』

 古びた大学ノートを閉じて、僕は一旦空を見上げる。秋の夜空はつめたく澄んでいた。今夜は新月で、そのぶん星屑が明るく見える。
 小鍋に赤ワインを注いで焚き火の火にかける。オレンジを切って入れるつもりだったが、心を落ち着かせたくなってスターアニスと生姜を入れる。この数日で秋の虫は随分と数を減らした。おかげで森は静か過ぎてどこか恐ろしい。
 大伯父の日記(回想録だろうか?)の存在は知っていた。知っていたが開くのが恐ろしく今日まで封印していた。本の持ち主が見つからなければそのまま破棄していたかもしれない。けれど見つかったから開くことにした。なにか重大なことが書かれていたらいけないから。
 正直な気持ちを言えば荷が重かった。けれど親族の中で、この役目を引き継ぐことになったのが僕でよかったとも思う。父や母、あるいは叔母たちならば、あの本を見つけもしなかっただろうし、真っ先にこの山荘をぶっ壊すか売り飛ばすかしか思いつかないだろうから。僕は背後を振り返り、最後に手入れをしたのがいつかもわからないせいで廃屋にしか見えないその山荘を見る。ここでかつてなにがあったのか、僕はまだなにも知らない。
 とにかく、まあいまはワインだ。僕はそう思ってカップに鍋の中身を注ぐ。そうやって心をあたたかいワインだけにしていると、ゆっくりと静かに、けれどまっすぐこちらに向かって来る足音が聞こえた。獣だろうか、と正面を見つめていると、シルエットだけになった木々の間から、一人の老女が現れて立ち止まった。森の中でばったり遭った獣同士のように、僕らはしばし黙ってお互いの目を見つめ合った。
「グーテン・アーベント」
 と僕は不慣れなドイツ語で言った。
「あなたは亡霊ですか?それとも森で迷子に?」
「グーテン・アーベント」
 と老女も言った。
「私は亡霊でも迷子でもないわ」
「それはよかった」
「ええ」
 彼女はそれきり黙り、僕も黙った。やがて彼女は探るような目をして、
「アスカ……?」
 と呼びかけた。アスカ、あるいはオスカーと、彼女は呼んだのだろうか。
「ホットワインはいかがですか?」
 僕がカップを示してそう言うと、頂くわ、と物怖じせずに老女は言って、こちらに歩み寄って来た。

 ***

「こんなあばら屋で申し訳ないですわ」
 とタカギさんは言った。
 そこはあばら屋というほどの代物ではなかったが、山手の家に比べると確かにあばら屋に近い佇まいはしていただろう。だが住んでいた場所を追われ、家を貸してもらう立場の僕ら一家は不満を言ったりはしなかった。そして後々に知ることだが、タカギさんの貸してくれた山荘は、僕ら強制疎開を余儀なくされた外国人たちが暮らした家の中では随分マシな部類のものだったのだ。そこにはちゃんとした炊事場もあったし、日本式ではあったがトイレもあり、五右衛門風呂もついていた。一階の和室(両親の寝室になった)の畳はまだ新しかったし、二階の唯一の部屋である洋室(僕の部屋になった)には空のベッドも用意されていた。ただ、どこの家も大抵そうだったが、陽当たりはあまり良くなく、暗くて湿気も凄まじかった。だが僕らは家族だけでそこで暮らしたし、タカギさんのおかげで音楽を手に入れることさえもできたのだ。
 タカギさんは僕ら家族の誰よりもきびきびと手早く引っ越し作業を指示し、手伝い、粗方の荷物がすべて片付くと、三人の人夫をどこかへ行かせ、自分は母の料理を手伝った。スープを作りながら、タカギさんは実は自分の実家は軽井沢にちゃんとした別荘を持っているのだが、自分の父親がすでに他の人にそこを貸すことを決めてしまって、こんなところしか僕らに提供できないのだと謝った。ここは正確にはタカギさんの旦那さんの持ち物であるらしく、みっともない家で申し訳ないですわ、と彼女は何度も謝った。その度に僕らは住むところを貸してくれた彼女に感謝したが、彼女はどうやら自分の父親がその別荘を譲ってくれなかったことをかなり不満に思っているようだった。やがて外で呼び声がしたかと思うと、どこかへ行っていた人夫たちが、驚いたことに一台のピアノを運んで来ていた。僕ら一家は顔を見合わせて驚き、タカギさんはしてやったり、という顔で悠然と、
「さ、あともうちょっとよ!頑張って中に入れてちょうだいね」
 と人夫たちを励ましてピアノを家の中に運ばせた。それは小さめのグランドピアノだったのだが、いざ家の中に置かれるとリビングの半分ほどを占領してしまった。しかし本物の、美しいベヒシュタインのピアノだった。僕らは誰一人、それを邪魔などとは思わなかった。もちろん、父は涙ぐんでタカギさんに感謝をした。どうやらそれは例のタカギさんの実家の別荘に置かれていたピアノらしいのだが、
「どうせ音楽なんてなにもわからない人たちが住むんです」
 とタカギさんは鼻に皺を寄せて言った。
「ピアノだって、先生みたいな音楽を愛している人の傍にいたいでしょうから」
 タカギさんの心尽くしに僕らは感謝してもしきれなかった。彼女はそれらのすべてをなんでもないことのように言って見返りも求めず、母と作ったスープとパンを食べて一心地着くと、夜になりかけた森を人夫を引き連れて東京へと戻ってしまった。彼女は数日したら夫の待つ満州に行くとのことだった。満州と聞いて、僕はおサンのことをタカギさんに話した。おサンが嫁いだはずの食堂の名前も伝え、タカギさんはもしそこに行くことがあったら必ず僕らのことをおサンに伝えると約束した。
「元気でね、坊や。ご両親を守るのよ?また会いましょうね」
 タカギさんはその小さな手で僕の頬を挟み、微笑んだ。明るく強く、実に懐の深い女性だった。

 タカギさんからはときどき手紙が届いた。しかし僕らは結局再会を果たすことはできなかった。日本を去ることが決まったあと、僕らはタカギさんの実家に手紙を出し、そしてこの山荘にも置き手紙を残したのだが、彼女の返事が僕らの元に届くことはついになかった。
 彼女が僕らと別れたあとでどうなってしまったのか、おサンには会えたのか、日本には無事戻って来られたのか、なにもわからない。
 ただ彼女が僕らのために運ばせてくれたピアノは、最後まで僕らを何度も励ましつづけてくれた。
 彼女は確かに音楽を愛していた人だった。音楽がどん底にいる人間をどれだけ慰めてくれるか、彼女はきっと知っていたのだと思う。

 タカギさんたちが行ってしまい、家族三人だけになると、森の中にあるその家に静寂が一気に押し寄せてきたかのようだった。
 僕らは口数少なくなり、急に移動と作業の疲れを身体に重く感じ、早目に床に入ることにした。眠る前にラジオを聞き、父はバッハの六つの小前奏曲の1番を奏でた。神に祈りを捧げ、僕らは「おやすみ」を言い合った。僕はラジオを持って二階に上がり、床に腹這いになって手探りでベッドの下のその場所を探した。指先に手応えを感じ、力を込めると、床板の一部が浮き上がった。僕はその暗い小さな床下の空間にラジオをそっと収めると、また床板を元に戻した。
 この床下の秘密の場所は、引っ越し作業をはじめてまもなくタカギさんが人夫に命じて作らせたものだった。この部屋の窓にカーテンを吊るし、ベッドを移動させると、タカギさんは床を吟味して一ヶ所を指し示した。すると人夫の一人が掌に収まるほどの非常に小さな鋸のようなものを取り出して、床板の継ぎ目に沿って刃を上下させた。そうやって床板の一部がきれいに剥がされると、そこに小さな空間が現れた。僕らはそこになにを仕舞うべきなのかをちゃんとわかっていた。
 我が家にはラジオが二台あった。一台は大型のものでリビングの窓辺に置かれたが、これはカモフラージュみたいなもので、重要なのはこの床下に収納できるサイズの小型のラジオだった。それは短波ラジオで、外国の放送を聞くことができたのだ。もちろん、日本政府はそれらの所持を全面的に禁止していたし、もしも所持していることが露見すれば逮捕されるだけじゃ済まないこともわかっていた。でも僕らはそのラジオを手離すことはできなかった。そうでなかったら日本の外で本当にはなにが起きているのかを知ることができなくなるからだ。日本軍の最高機関が発表している戦果がどんどん水増しされ、嘘にまみれていることを、僕らはそのラジオによって知り得ていた。異邦人である僕たちは危険を冒してでも正確な情報を手に入れておきたかったのだ。それは自分たちの動向を決める助けになるはずだったから。
 ラジオを仕舞い、床から立ち上がると、僕は固いベッドに横たわった。疲れていたが、慣れない場所での最初の夜に、なかなか寝つくことができなかった。僕は何度も寝返りを打ち、今朝早く離れた山手の家のことや、おサンや、離れ離れになってしまった何人かの同級生のことを考えた。これからこの森の中の山荘で、どんな毎日が待っているのか僕にはまだなにもわからなかった。
 あまりに寝つけないので上身を起こし、カーテンを少しだけ開けて外を見た。窓の向こうには真っ暗な森と夜空があり、闇の中でしか活動しない鳥の啼き声が遠くから聞こえていた。そして、500メートルばかし離れた隣家の窓に、小さな灯りが灯っているのを僕は見つけた。それはここよりも小さな山荘で、昼間には人影も見えなかったからてっきり無人なのだと思っていた。けれど灯りがあるということは、誰かはあそこに住んでいるのだ。
 朝になったら、あの家の前まで行ってみよう。
 僕はそんなことを考えながら再びベッドに横になり、気がつくと深い眠りに捕らわれていた。

 翌朝、僕は寒さに目を覚ました。しかし身体が疲れていたせいか、いつもより一時間以上の寝坊だった。
 階下に行くと父と母もいましがた起きたようすで、おはよう、寒いわね、よく眠れた?などの挨拶を交わした。母は肩に羽織ったショールの前を掻き合わせ、ケッセルに水を入れて湯を沸かしはじめた。確かに森の中の朝は寒かった。まだ秋のはじまりと言ってもいいような時期だったが、冬の朝の寒さを僕らは思い出していた。
「ここは夏用の家だからね」
 と父は言った。
「涼しく過ごせるようには造ってあるけど、寒さの対策はしていないんだろう。必要ないから」
 つまりこれから冬にかけて、この家はどんどん寒くなっていくわけだ。確かに日本の蒸し暑い夏にはここは天国になるだろう。けれど冬にわざわざここに住みたがる者はいないということだ。
「人間も冬眠できないかしら、熊みたいに」
 冗談めかして母はそう言ったが、半分はこれからの寒さを憂いて本気のようだった。
「人間が冬眠する生き物だったら、春に目覚めたときには戦争なんてどうでもよくなってるかもしれないね」
 父も冗談のように言い、僕らは笑ったが、人間が本当にそんなふうだったらいいと本気で思っていた。
 僕は世界中の兵士が武器や軍服を脱ぎ捨てて、春の陽気の中で転げ回る姿を想像した。やがて打ち棄てた戦車や自動小銃を植物が呑み込んで、花を咲かせる――。そんなことは起きないとちゃんとわかってはいたが、頭の中だけでもなにか明るいことを想像してみたかったのだ。
「食事にしましょう」
 と母は言った。
「タカギさんに言われたとおり、食べ物はなるべく節約しないとね」
 そういうわけで、軽井沢の最初の朝の食事は蒸したジャガイモと薄い一杯の紅茶となった。ジャガイモにはほんの少しだけ塩を振った。僕らは祈りを捧げてそれらを食べた。あっという間に無くなってしまったが、それでも少し身体はあたたまった。

 食事を終えると僕は散歩に行くことにした。新しい棲家の周辺のことを知っておきたかったし、ついでに昨夜見た隣家の前も通るつもりでいた。
 僕はコートを羽織って表に出た。朝靄がまだ落ち葉の積もった地面を漂っていて、嗅ぎ慣れない森の匂いがした。僕が慣れ親しんだ海の匂いはどこからもしなかった。それはそうだろう。ここから一番近い海岸までは150キロメートル以上の距離があるのだ。ここは深い森の中だった。
 僕は落ち葉を踏みしめながら歩いた。森はどこまでもつづいていて、僕は『ヘンゼルとグレーテル』のように通って来た道になにか目印を落としていくべきだろうかと考えた。だが、まあ大丈夫だろうと高を括って散歩をつづけていると、例の隣家の前の玄関ポーチの階段に、人が一人腰かけているのを見つけた。大人の男の人で、手になにか飲み物が入ったカップを持っていた。カップからは湯気が出ていた。目が合ったので、僕は立ち止まった。なにを言うべきなのか(何語を遣うべきなのか)迷っていると、
「Guten Morgen」
 と男の人は言った。
「Guten Morgen」
 と僕も返すと、男の人はにっこりと微笑んだ。白に近い金色の髪をした、美しい顔の男の人だった。
「よかった、ドイツ人だ」
 男の人は安心したように言うと、こっちに来るように僕に手招きをした。行くべきかちょっと迷ったが、敵意は感じられなかったので傍に行った。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ」
 と男の人は笑った。
「僕らはドイツ人同士だし、君はひょっとして、きのう越して来たんじゃないの?うちの隣っていうか、隣と呼ぶのには離れ過ぎてるかもしれないけど、まあ隣に」
「そうです」
 と僕はこたえてから、
「隣っていうか、まあ隣に」
 と男の人の言葉を借りた。
「そうじゃないかと思ったんだ。きのう夕方に帰って来ると、あの家に灯りがついてて、でももう遅かったから、明日挨拶に行こうと思ってたんだ」
「そうなんですか」
 僕はきのうの夜中に自分の部屋からここの灯りを見たことを話そうか考えた。だが考えているうちに、
「君はいくつ?」
 と男の人は訊いた。
「14才です」
 とこたえると、
「いいね」
 と男の人は笑った。なにが「いい」のか、僕にはさっぱりわからなかったが、
「じゃあ、コーヒーは飲めるよね?」
 と男の人は嬉しそうに立ち上がった。
「コーヒーといってもあれだよ、本物の豆を挽いたやつじゃなく、どんぐりで作った代用コーヒーだけど」
「どんぐり?」
「そう。まずいんだ、これが」
 男の人は困った顔をする。
「でも大量にもらっちゃってね、君も消費に貢献してくれると助かるよ」
 僕が呆気に取られていると、男の人は思い出したように左手を差し出してきて、言った。
「忘れてたけど、僕はヨハン・ライヒシュタインだよ、新しい隣人さん」
「オスカー・シュトゥッツマンです」
 僕はそう言って、差し出された新しい隣人の手を握った。マグカップを包んでいた彼の手は、とてもあたたかかった。

 それからライヒシュタインさんは僕の分のどんぐりコーヒーをカップに入れて持って来た。
 家に入れてあげたいけどとっ散らかってるんだ、とライヒシュタインさんは謝り、それに中と外がほとんど同じ寒さなんだよ、それなら空が見えた方がいいだろ?ということで、僕らは玄関ポーチの階段に並んで腰かけ、それを飲むことにした。確かに、どんぐりコーヒーはお世辞にもうまいとは言えない代物だった。僕がその泥水のような苦さに顔を顰めると、
「ね?まずいでしょ」
 ライヒシュタインさんは嬉しそうに、僕の顔を覗き込むようにして笑った。
「このまずさを誰かと分かち合いたくてね」
「身体はあたたまります」
 と言うと、
「いいね」
 とライヒシュタインさんはまた言った。
「そうやってどんなときにも物事の美点を見つけていこうか」
 僕は微笑んだライヒシュタインさんの瞳が美しいエメラルド・グリーンであることに気づいた。それは思わずはっとするような、まだ誰も触れたことがない森の奥の湖の水面のような、静謐で澄んだ美しい翠色だった。

 まずいどんぐりコーヒーで身体をあたためながら、僕とライヒシュタインさんは話をした。どこから来たのかとか、日本にはどれくらいいるのかとか。彼は僕より十個以上は歳上だったが、父や教師のような大人然とした振る舞いはせず、親しげな兄のような態度で僕に接してくれた。僕はこの親しみ深く善良そうな「兄さん」が新しい隣人となったことを幸運に思った。僕らは互いに、望まざるも不慣れな場所に越してきていて、その不安や孤独を分かち合える相手を必要としていた。特にライヒシュタインさんは独身だったから、この一月あまりをたった一人で寒々しく過ごしていたのだと言って苦笑した。
「あと一月も一人だったらきっと頭がおかしくなってたかもね。現に僕は毎朝家の柱に挨拶をしてたんだ。〝おはよう〟とか〝おやすみ〟とか〝今朝は寒いね〟とか。これからはそれを君に言えるわけだ」
 ライヒシュタインさんは微笑んでまた手を伸べてきた。僕はその手をもう一度握りしめた。
 君のご両親にも挨拶に行かなくちゃ、ということで、ライヒシュタインさんは空になった二つのカップを持って再び家に入り、今度はどんぐりコーヒーの粉と日本製の煙草の箱を手に戻って来た。
「君のご両親、煙草吸う?」
 と訊かれ、ちょっと困ったが正直に、
「吸わないんです」
 とこたえた。
 ライヒシュタインさんはするとにっこり笑い、
「そりゃあいい。どんぐりコーヒーだけが手土産じゃ申し訳ないからね」
 と言った。
 僕がよくわからないという顔をしていると、
「煙草は物々交換で人気なんだよ」
 とライヒシュタインさんは言った。
「ここでは現金より物の方がずっと価値があるんだ」
 不要な煙草も、近くの農家に持っていけば交渉次第で食べ物や必需品なんかに交換できることを彼は教えてくれた。だがどんぐりコーヒーのやつは日本人にも大変不人気で、それは一回こっきりの使い捨てのカードなのだそうだ。一度どんぐりコーヒーをあげた家の人は、二度とそれをなにかと交換しようとは思わなくなるから。
「ライヒシュタインさんは、煙草は?」
 と僕は訊いた。するとライヒシュタインさんは僕の肩を軽く小突いて言った。
「ヨハンでいいよ。それと、僕も煙草は吸わない」

 並んで歩くとヨハンさんはとても背が高かった。朝靄はいつの間にかどこかに去り、森の木々の間からは太陽の光が射し込んでいた。いい天気になりそうだった。疎開してきていることを忘れられればもっとこの森を美しく感じるのだろうと、僕はそんなことを考えた。
 家に帰り着くと僕はヨハンさんを一旦外に待たせて中に入った。家の中では父はピアノの手入れをしていて、母はきのう整理しきれなかった荷物の片づけをしていた。僕がお隣の人に会って、その人も同じドイツ人で、ここに挨拶に来てくれていることを話すと、両親は二人とも顔をほころばせて喜んだ。まあそうなの?とか、それはすぐ中に入れてあげなさい、とか言って、三人でぞろぞろと玄関にヨハンさんを迎えに出た。僕たち一家を見るとヨハンさんは微笑みを浮かべ、礼儀正しいお辞儀と挨拶をした。 最初の握手が交わされ、簡単な紹介を済まし、両親はすぐにヨハンさんに家の中に入るよう促した。大したもてなしはできないけれど、とか、引っ越して来たばかりで雑然としてるけれど、とか言う両親に、ヨハンさんはにこにこ笑って応じていた。感じのいい人が隣人でよかったと、両親が安堵しているのが僕にも伝わって来た。
 僕たち四人は家の中に入り、僕が最後に後ろ手で玄関の扉を閉めた。母は台所へ歩き出し、父はリビングの椅子をヨハンさんに勧めようとしたときだった。それまで感じのいい好青年だった彼は突然姿勢を正すと、あの独特の右手を挙げる敬礼をして言った。
「ハイル・ヒトラー」

 僕ら一家はその場に凍りついた。誰もその挨拶に応えることができず、気まずく重い沈黙が一瞬で霜のように寒い家の中を覆った。ヨハンさんは小首を傾げて微笑み、氷った空気に不似合いなほどの明るい透き徹った声で、
「あなたがたは党員ではないんですね」
 と確認した。
 僕ら三人は空に視線を彷徨わせ、この場に最もふさわしい言葉を探したが、誰もそれを見つけられず気まずさが重みを増した。
「あの…、私たちは…」
 父がなんとか言葉を紡ごうとすると、
「僕も最近入党したばかりなんですよ」
 とヨハンさんは言った。それからふっと表情を解いて、
「だから、ヘタクソだったでしょう?僕の敬礼は」
 と、あの元の感じのいい青年に戻って言った。凍った空気が弛んだのを感じ、僕はそっと息をついた。ヨハンさんも安心したように息をついて言った。
「あなたがたがナチス・ドイツの盲目的な信奉者でないとわかって、安心しました。けれど、ここではその信条は命取りになります」

 僕らは紅茶のカップで暖を取りながら、ヨハンさんの話に耳を傾けた。彼は二月も前に大阪から軽井沢に越して来ていて、ここでの生活の有り様を熟知していた。それはどうやら、僕らが想像していたよりもずっと厳しいものになるようだった。
 配給はあります。
 とヨハンさんは言った。
 けれどそれは決して充分な量ではなく、足りない分は自分たちでどうにかしていくしかないとのことだった。
 畑をやろうと思っているのよ。
 と母は言った。実際母は最初からそのつもりだったし、その家庭菜園への取り組みを密かに楽しみにもしていたのだ。しかしヨハンさんは気の毒そうに眉を下げると、母の試みは僅かな成果にしかならないだろうと告げた。
 残念ですが、ここの土は農業には向いていないんですよ。土壌の基本が火山灰なんです。浅間山の噴火で降り積もった灰がここの土を作っているんです。火山灰は肥料になることもありますが、あまり作物を育てるのには向いていません…。それになにより、ここにはあまり陽が射さない。
 だから農作業よりも確実なのは物々交換なのだとヨハンさんは言った。配給される物資もうまく利用して、近隣の農家で必要な物を手に入れること。ヨハンさんは僕を見て、
 君は日本語は得意?
 と訊ねた。僕は大きく肯いた。日本語は僕にとって第二の母国語みたいなものだった。
 じゃあ、日本人のところへ行くときは君が行った方がいい。彼らは日本語しか話せないし、日本人は基本的に子ども好きだから、大人よりも歓迎してくれるよ。
 僕は自分に重要な役目が課されたのを誇らしく感じた。母は僕にそれができるのか心配そうにしていたが、僕はやるつもりだった。餓えるくらいなら自分にできる役目を全うしてみせる。
 ヨハンさんは他にも配給物の内容や、男には日本政府からの強制労働があること、軽井沢の冬は相当に厳しく燃料である薪の確保にいまから重点を置いておいた方がいいことなどを教えてくれた。そして最後に、これは最も重要なことなのだが、と前置きをしてから、秘密をそっと打ち明けるように前かがみになり、声を小さくして言った。
「ここにはゲシュタポが潜んでいます」
 ゲシュタポ――、と聞いて、僕ら一家三人は背中に冷水を浴びせられたような恐怖に縮こまってしまった。ナチスの忠実なシェパード犬である彼らの噂は日本にまで届いていたのだ。彼らが反ナチス、ヒトラー政権への批判、レジスタンス、スパイ、ユダヤ人たちに容赦の欠片もない行為を働いていることは聞き及んでいた。そのゲシュタポがこの軽井沢の森にまでいると聞いて、震え上がらない者はいなかっただろう。
「彼らの目的はもちろんスパイの摘発、秩序を乱す者の監視です。僕らは常にやつらに見張られていると思ってください」
 固い表情で肯く僕らに、ヨハンさんはさらに追い討ちをかけた。
「それから、注意しなければならないのはゲシュタポだけじゃありません。僕らは常に日本の憲兵の監視下にあります。彼らは見廻りをかかさず、怪しいというだけで連行をし、やってもいない容疑の自白をさせるために拷問を行います。大阪にいた頃、僕の同僚の一人が憲兵にやられました。もちろん、彼に身に覚えはなにもなかった。けれど彼は三ヶ月あまりも軟禁され、帰って来たときにはもう以前の彼ではなくなっていました」
 その同僚は帰って来た三日後に自殺しました。
 その悲惨な話に、僕らは声も出せなかった。
「注意してください――」
 ヨハンさんはその緑色の目を真剣に光らせて、暢気な転居者たちだった僕らに再度忠告を促した。
「ここでは注意をしない者は生き残れません」

 ヨハンさんは僕らに積極的に入党を勧めたりはしなかった。けれどナチへの入党がここでは優れた隠れ簑になってくれることに最早疑いの余地はなかった。それに、入党しているか否かで配給の内容にも随分な違いがあるのだった。父は自分が音楽を教える以外になにもできないことをわかっていた。そしてここ軽井沢で以前のように音楽の教師をつづけることは難しかった。父には母と僕を養う責任があり、加えて僕は14才という成長期の只中にあった。父と母は苦悩の末に決断をした。ナチスの思想は決して相容れるものではなかったが、一家が軽井沢で生き残るためにはでき得る手段を取る必要があると判断したのだ。
 それで、軽井沢に来て三日目に父と母はナチへの入党をし、僕はずっと避けて来たヒトラー・ユーゲントの日本版である「JDD(日本ドイツ青少年団)」への加入をした。いずれ東京のドイツ人学校が軽井沢に移動してきたときには、そこへの編入をすることになった。
 生き延びましょう。
 とヨハンさんは言った。
 生き延びさえすれば、いずれ悔い改める機会を神が与えてくださいます、と。

 最初の緊迫した会話を終えると、ヨハンさんはふっと表情をほどいて、僕らを励まそうとするような微笑みを見せた。それから急にそわそわとした素振りで、自分の背後にある、この部屋には不釣り合いな大きさのグランドピアノを振り返って訊ねた。
「あのピアノは、誰かお弾きになるんですか?」
 私が、と父がこたえ、父が先日まで東京の音楽学校で教鞭を取っていたことを話すと、ヨハンさんはああ!と感嘆の声を上げた。
「こんなところで音楽家に出会えるなんて!」
 その喜びの声に、僕ら一家は恐怖と緊張に凝り固まった心を少し融かすことができた。
「音楽がお好きですか?」
 と父が訊ねると、
「好きじゃない人っているんでしょうか」
 とヨハンさんは言った。
「よかったらお弾きになりますか?」
 父がピアノを示すと、しかしヨハンさんは頑なにそれを固辞した。
「先生の前で披露するほどの腕前は、僕にはありませんから」
 あまりに遠慮するので、父はでは自分がなにか弾こうかと申し出た。するとヨハンさんはピアノを見て(音楽を愛している人の目だった)、おずおずと躊躇いがちに申し出た。
「では……ショパンの『ノクターン』、第十三番、お願いできますか?」
「もちろんです」
 父がピアノの前に座り、最初の鍵盤に指が走らされると、ヨハンさんはとても小さな、けれど幸福に満ちたため息をついた。

 翌日、僕たちは午前中いっぱいかけて庭の隅に小さな畑を作った。ヨハンさんは僕たちにその菜園作りのアドバイスをするだけじゃなく、自ら鍬を持って土を耕してくれさえした。彼の働きぶりには無駄がなく、始終親切そうな微笑みを浮かべて、不慣れな僕たちに苛立ったりもしなかった。彼は誰よりも土を耕し、柵を打ち立て、水を撒いた。こちらが申し訳なくなるほどの立派な働きぶりだったが、彼は特に見返りも求めず、ただ昼食だけを一緒に摂って、それ以上の礼は受け取ろうとはしなかった。彼はこの森の中で、音楽家の一家が隣人になったことを幸運に思うと語ったが、僕たちの方こそ音楽を愛する人が隣人になったことがどれほどの励みになったことだろう。その上彼は親切で礼儀正しく、頼りない僕たちにほとんど無償であらゆる手を差し伸べてくれた。
 母は家族だけの時間になると、よくヨハンさんが独身なのを不思議がった。あんな素敵な人をいままで女の人が放っておくかしら?と。親切だし、ハンサムだし、申し分ないじゃない?と。
 父はそれに、モテ過ぎると却って慎重になるものだよ、とこたえた。僕はその手の話には口を挟まなかった。挟むべき言葉もまだよくわからなかったのだ。

 僕に物々交換のノウハウを教えてくれたのもヨハンさんだった。彼は僕を連れて近所の農家の事情を一軒一軒丁寧に教えてくれた。どこを訪ねればどんな作物を手に入れやすいかとか、人の足元を見てくる偏屈な人がいる家や、逆に親切なお婆さんがいる家、木材が必要なときはあの家、衣類や布が必要なときはあの家、というふうに。
 そしてヨハンさんは一軒の農家を指して、あの家は僕が出入り禁止になってる家、と言った。事情を訊ねると、そこには若い娘さんが住んでいるらしいのだが、どうやらヨハンさんに片思いをしてしまったらしく、その家の父親に敵視されるようになり上がり込めなくなったらしい。煙草と米を交換してくれてたんだけどね、と残念そうに言うヨハンさんに、モテるんですね、と僕は言った。するとヨハンさんは少しさみそうに笑って言った。
 僕のことをなにも知らない人にはね、と。

 僕らはその日、息子が全員出征してしまい一人で暮らしているという老婦人の家で、いくつかの食べ物を手に入れた。彼女は寂しさもあったのだろうが僕らにとてもよくしてくれて、物よりもヨハンさんの親切や他愛もない会話を喜んでいるようだった。彼女は僕らが「コンニチハ」と言って現れるとすぐに歓迎し、寒いだろうから火鉢に当たるように言い、あたたかい湯を出した上に、火鉢の灰の中を探って焼いた栗の実を食べさせてくれた。指先で火傷しそうに固い栗の皮を割ると、見るからに甘そうな黄色の実があらわれて、火傷しそうなのもかまわずに口に放り込んだ。それは実際とても甘く、僕とヨハンさんは顔を見合わせて、甘い!熱い!という思いを分かち合った。
「なつかしいな、焼き栗」
 とヨハンさんは言った。
「満州でよく食べたよ」
 その土地の名に、僕はもちろんおサンのことを思い出した。
「ヨハンさん、満州にいたの?」
「いたよ。大阪に住む前にね。本当はそこからシベリア鉄道に乗ってドイツに帰る予定だったんだけど、ソ連との戦争がはじまっちゃったから、帰れなくなったんだ」
「……満州って、どんなところ?」
「満州に行ってみたいの?オスカーは」
「ちょっとね、」
「なぜ?」
 それで僕はおサンのことを話した。ほとんど生まれたときから一緒だった彼女のことを。僕らが軽井沢へ行く少し前に、彼女は結婚のために満州へ渡ってしまったことを。
「心配なんだね」
 とヨハンさんは言った。僕はそれに肯き、心の中だけで、それにやっぱりおサンちゃんがいないとさみしいんだ、と呟いた。彼女がこの寒い見知らぬ土地にいてくれたら、僕たち一家はもう少し心強くなれただろう。
「満州はいいところだよ」
 僕を励ますように、ちょっと声を明るくしてヨハンさんは言った。
「僕がいたのは新京だったけど、いろんな民族が集まってて、いろんな国の物や食べ物を売ってて、おもしろいところだったよ。都会だけどきれいな街だったし、僕みたいな外国人にとっては日本よりも住み心地がよかったかな。確かに冬の寒さは厳しかったけど、ちゃんと寒さに適した家の造りをしてたからね。ここみたいな夏の避暑地の家じゃなく」
 そう言ってヨハンさんは苦笑いをした。僕も苦笑いした。
「夕方になると馬を引いたコークス売りが来るんだ。中国人のおじさんでね、いつも顔が墨を塗りたくったみたいに真っ黒だった。そのせいで笑うと夕闇の中に歯だけが浮かび上がって、まるで『不思議の国のアリス』のチェシャ猫だったよ」
 僕は笑った。
「奉天には行ったことある?」
「もちろん、よく行ったよ。奉天にはダンスホールやブロードウェイまであったからね、休みの日や仕事終わりに鉄道に乗っては遊びに行ったなあ。秋になると駅前にはいつも焼き栗を売る中国人が立っててね、そこで栗を一袋買って、寒空の下で歩きながら食べるんだ」
「楽しそう」
「楽しいところだったよ。食堂も人気だったから、きっと君のその初恋の人も、忙しく働いてるんじゃないかな」
 初恋の人、と言われて僕はちょっと顔を赤くして抗議した。
「おサンちゃんは、そういう人じゃないんだ」
「そうなの?」
「うん」
「そっか」
 ヨハンさんはからかうみたいにくすくすと笑う。僕は話題を変えたくて、
「ヨハンさんこそ、結婚とかしないの?」
 と質問をしてみた。
「しない」
 と彼は即答した。
「どうして?」
 と訊くと、
「忘れられない人がいるから」
 と少しさみしそうに微笑む。
「まあ、ずっと忘れられないとは思うけどね」
 ヨハンさんは僕にはまだ解き明かせない微笑みを見せ、僕らの食べた栗の皮をハンカチにきれいに集めた。
「これも持って帰ろう。煎ったらお茶にして飲めるし、発酵させたら畑の肥料にもできるから」

 軽井沢に来てしばらくの間、学校のなかった僕の生活はこの原始的な営みに終始した。畑仕事、燃料や木の実なんかの採集、物々交換。
 軽井沢の日本人たちは概ね、外国人である僕たちにとても親切だった。交渉がうまくいかないときでも、大抵の人は家に上げて火鉢で暖を取らせてくれたし、お茶や、ちょっとした食べ物を振る舞ってくれることもあった。僕がまだ子どもだったというのもあるだろうけど、風邪を引かないようにとか、日本語が上手ねえとか、にこにこと労るように優しく接してくれた。
 それに、母の収集癖が軽井沢では大いに役に立った。母がこつこつと溜め込んでいた着物や陶器、衣類や小物類はとっくに市場から姿を消していて有難がられることが多く、僕はそれらで必要なものを手に入れることができた。
 それでも、戦争がいつまでつづくか、軽井沢での軟禁生活がいつ終わるかわからない僕らはできるだけ物を節約せねばならなかった。そんな中で、毛布にくるまって父の奏でるピアノを聴く時間は確かに心をあたためてくれるものだった。
 僕は学校こそなかったが両親に言われて毎日勉強はしていた。山手にいた頃の教科書を使い、わからないことがあるとヨハンさんに訊ねた。彼は両親よりも実にうまく数学の世界を教えてくれた。歴史に対する知識も深く、物語の解釈もより複雑に理論を組み立てる助けをしてくれた。
 僕はいつしか、彼のことを〝ヨハン先生〟と呼ぶようになっていた。彼も最初の方こそその呼び名を恥ずかしがっていたけれど、最終的にはまあ森の中の教師も悪くはない、というところに落ち着いた。

 僕は午前中に畑仕事(芋類と根菜を植えたが成長は芳しくなかった)と勉強を済ませ、午後になると昼食を摂って、必要があれば農家に物々交換にでかけ、そうじゃない日は森に採集にでかけた。食べられそうな木の実があれば取り、薪にできそうな枝を集めた。動物の糞らしきものを見つけると紙に包んで持って帰り畑に撒いた。
 その日、僕はいつものように森へ採集にでかけた。しかしいつもとはちがうルートを開拓したくて、森の奥深くへと入り込んでしまった。ヨハン先生が前にブルーベリーに似た果実をその奥地で見つけたことがあるという話を聞いて、なんとか見つけてみたいという野心も募ってどんどん奥に進み行ってしまったのだ。
 そして、気がつくと僕は同じ森の中を何度も行き来している感覚に陥り、すっかり迷子になってしまっていた。頭上を見上げたが、秋の厚い雲の中に太陽はすっぽりと隠れてしまっていて、方角すらもはっきりとしない。
 どうしよう。
 僕は森の中でしばらく途方に暮れた。どこを見渡しても木々と落ち葉以外なにもなかった。
 こういうとき、闇雲に動くのはよくない。
 不安だったがそう判断をして、僕は一旦木の根に腰を降ろして歩き過ぎた足を休めることにした。夜になれば月が昇るかもしれないし、あまりに帰りが遅ければ父かヨハン先生が探しに来てくれるだろう。
 落ち着こう。
 僕は幹に凭れ、膝を抱えてできるだけ体温を逃がさないようにした。そうやっていると疲れから眠気がやって来て、僕は膝に顔を埋めたまま、短いが深い眠りの中へと引き摺りこまれてしまった。
 僕はその眠りの中で、おサンの夢を見た。

 おサンと僕は知らない街を歩いていた。大きな通りがあって、左右には西洋風の建物が並び、洋装の白人たちや中国服のアジア人たちが通りにたくさんいた。車もときどき通り、立派な馬車がいくつも通過した。通りでは物売りが声を上げて客を捕まえようとしていた。
 おサンは山手の家にいた頃と同じ着物を襷掛けに着て、下はモンペだった。その横顔は幸福そうに微笑んでいて、僕を見るとにっこりと笑った。
『ここはどこ?』
 と僕は訊いた。
『奉天でございますよ』
 とおサンはこたえた。
 へえここがそうか、と僕は感心して改めて辺りを見渡した。大きな駅らしき建物があり、その前で中国服のおばさんが鉄鍋を回しながら焼き栗はいらんかと声を上げていた。
『いいところだね』
 と僕が言うと、おサンは静かに肯いた。
 夢の中の常で僕は自分がどうしてそんなところにいるのかまるで疑問に思わなかった。おサンは駅前を黙って通過し、そのおサンに僕も黙ってついて行った。幼い頃に散歩をしたときのように。おサンは始終幸福そうな微笑みを浮かべ、ときどきどういうわけかお腹に手を当てたりして、僕ににっこりと微笑みかけた。そして彼女が急に足を止めたかと思うと、目の前に立派な桜の大木があった。それは花を満開に咲かせた少しあとらしく、そよ風が吹くといくつかの淡紅の花びらが宙に舞った。
『泣いているみたいに見えるでしょう?』
 とても美しい光景だったのに、そんなかなしいようなことを、おサンは微笑んだまま僕に言った。
『だけど、花はいつか必ず散るものなんです。そうじゃないと、次の花が咲けないから』
『……そうだね』
『だから、かなしまないでくださいまし、坊っちゃん』
『なにをかなしまないでいるの?』
 僕がそう訊ねると、おサンは黙ったまま僕に頭を下げた。その背後では、桜が術もなく花を散らしつづけていた。
『冬は永い、けれど永遠ではありません。また必ず、春は訪れて、桜は咲きます』
 おサンは顔を上げると、僕に笑顔を見せた。どんなときも僕を安心させてくれた、あの笑顔だった。
『さようなら、坊っちゃん』
 おサンがそう言うと、急に辺りがふっと暗くなった。そして闇を切り裂くような巨大な爆発音に、僕はびっくりして目を覚ました。
 そこは軽井沢の閉ざされた森の中で、桜も、奉天の街並みもどこにもなかった。頭上を見上げると曇天の空から、花じゃなく落ち葉が舞い降りて来た。
 もちろんおサンはどこにもいなかった。けれど僕は確かに彼女と会って話をしたような、そんな感触を身体の奥に感じた。
 根っこに押しつけられて痛んだ尻を上げ、もう一度空を仰ぐと、灰色の空に一本の煙が棚引いているのを、僕は見つけた。

 煙の出所はそんなに遠くではなかった。きどき頭上を見上げて位置を確かめながら、十分ほども歩くと少し開けた場所に出て、焚き火の主がそこに座っていた。意外だったのは、彼が僕と同じ年頃の少年だったことだ。
 麦藁色の髪をしたその少年は、僕と目を合わせたままどう見てもそこら辺に生えている草にしか見えないものをむしゃむしゃと食べていた。その姿にはちょっとこちらを気後れさせるものがあり、またなんの言語で声をかけるべきなのか迷って、僕は黙ったまま少年を見ていた。彼もまた草を咀嚼しながら、黙って僕を見ていた。沈黙の間に、鴉が一匹啼いてどこかへ飛んで行った。その羽音が過ぎ去ってしまうと、
「道に迷ったんか?」
 と、日本語で少年が言った。方言なのか、妙なイントネーションの日本語だった。
「うん。迷ったみたい」
 僕も日本語でこたえると、少年は僕に手招きをした。
「まあ、こっち来て火ぃに当たれや。寒いやろ?」
 僕はそっと少年に近づいて行った。顔の造作がはっきりとわかるところまで来ると、座れ、というふうに少年は自分の傍の切り株を指した。僕はそこに腰を降ろし、小さな焚き火に手をかざした。
「これ、食うか?」
 少年は持っていた草を、ぶっきらぼうな仕草で僕に突き出してきた。
「それ、なに?」
 と訊くと、
「草」
 と言う。
「食べられるの?」
 と訊くと、少年は笑った。
「食べられるから食うてんねん。俺が兎か鹿にでも見えるか?」
「見えないけど、」
「クレソンや」
「クレソン?」
「クレソン知らんか?まあ俺もここに来るまでこんな野菜食ったこともなかったわ。別にうまいもんちゃうけど、腹の足しにはなんで。うちなんか毎日クレソンや。スープやパンにまで入ってる」
 うんざりする、というように少年は顔を顰めて首を振った。
 まあ食べてみ、と言われ、僕はその草を齧ってみた。苦みと、あとからカイワレダイコンのような辛みもきた。僕の歪んだ表情を見て、少年は面白そうに笑う。
「おまえ、いつここに来たんや?」
「食べ物探してたら迷ったんだ」
「そやのうて、ここや、軽井沢。どうせどっかから疎開しに来たんやろ?」
「ああ、二週間くらい前かな」
「ほな、俺の方が先輩やな。俺んとこはもう一ヵ月くらいになるからなあ」
「どこから引っ越して来たの?」
「神戸。おまえは?」
「横浜」
「はん。どおりで、気取った喋り方や思たわ」
 そんなことを言われたのは初めてだったので、僕はちょっと面食らった。少年は構わず、今度は僕に立ち上がるように言う。なにがはじまるのかわからなかったが、素直に立ち上がると、少年も立ち上がった。そして僕を見て舌打ちする。
「なんや、おまえの方が背ぇ高いやんけ」
 少年が座ったので、僕も座った。
「でもたった2センチくらいの差やったなあ。それならすぐ追い越せそうや」
「追い越したいの?」
「追い越したいけど、毎日クレソンじゃ難しいやろなあ。ホンマ忌々しい草やで」
 僕が笑うと、なにが可笑しいねん、と言いつつ少年も笑った。
「おまえ、どこに住んでんの?」
 少年が訊いて、僕は新しい住所を教えた。すると少年はきょとんとする。
「なんや、俺んとこより近いやんけ。そやのに迷ったんか?」
「道がわかるの?」
「当たり前やん。こっち来てから毎日食べ物探してうろうろしとるからなあ、森の地図もここにちゃんと入っとるわ」
 少年は自信ありげに、自分の頭を指でこつこつと叩いた。道がわかる、と言うので僕は安心して、残ったクレソンを食べた。やっぱりおいしくはなかったが、さっきよりも食べているという実感があった。僕はふと、少年の傍らに本が落ちているのに気づいた。落ち葉と似たような色だったから気がつかなかったが、確かに本のようだった。
「それは君の本?」
「うん?ああ、そうやで」
「なんの本?」
「『こころ』。夏目漱石の」
「どんな本なの?」
「大人の本や」
「大人の、」
「スケベェな本やないで?」
「うん、」
「おまえ信じてへんやろ」
「信じてるよ、」
「ウソや」
「本当だよ」
「ほな貸したるわ、これ。自分で読んだらわかるやろ。漢字と平仮名読めるか?」
「うん。読めるよ」
 そう言うと少年は僕に本を押し付けるように渡して来た。物を借りるということは、いずれまた返さなくてはならないということだ。
「おまえ、歳いくつ?」
「14」
 少年はまた舌打ちをした。同じやんけ、と。
 僕らは互いに、なかなか名前を名乗ったり訊ねたりできなかった。怖かったのだ。お互いが敵国同士だったら、このはじまったばかりの友情が立ち消えになってしまうのではないかということが。だが、最初に勇気を出したのは少年の方だった。
「あのさ、名前訊いてもええか?まあもし……あれやっても…またこうして森で会うたらええし、本も返してもらわなあかんからなあ」
「……そうだね、森でまた会えるよね」
「俺、エルマー」
 と少年は言った。
「エルマー・マイアー」
 僕はほっとして手を差し出した。
「僕はオスカー。オスカー・シュトゥッツマンだよ」

 陽が落ちる前に帰らないと、ということで、僕とエルマーは歩きながら話をした。驚いたことに、彼は僕と同じアメリカ国籍だった。両親はドイツ人だったが、アメリカ生まれで、七歳の頃までニューヨークで暮らした。そのあと船で横浜まで来て、鉄道で神戸へと移動した。だから俺は神戸育ちなんや、とどこか誇らしげにエルマーは言った。
 その本は日本へ行く船の中の図書室で見つけたんだ、とエルマーは語った。船の中の図書室、というのが気になって、僕はその場所について詳しい話を聞かせてもらった。実に興味をそそられる話で、僕は家に帰ったらその図書室を絵に描いてみようと思った。
 エルマーは僕に、父親はなにをしている人なのか訊ねた。ここに来る前は音楽の教師をしていたと言うと、ええなあ、と羨ましがった。君のお父さんは?と訊くと、エルマーは心底がっかりしたように、牧師、と小さくこたえた。牧師さまがここにいると聞いて、僕は寧ろ喜んだ。きっと両親も喜ぶだろうから、早くそのことを教えてあげたいと言うと、エルマーは呆れたような顔になって、牧師なんか鈍くさい仕事やで、とぼやいた。
 エルマーはまた、僕が一人っ子だということをものすごく羨ましがった。聞けば彼には七つになる妹がいるそうで、妹は泣き虫で病弱でうるさいだけで役立たずだなどと言うので、そんな言い方よくないよ、と言うと、兄妹おらんおまえに俺の苦労はわからんわ、と言い返された。
 エルマーは森の奥にまで響くような大きなため息をついて、
「いまからでもおまえんとこの子になりたいわ……」
 とがっくり首を項垂れた。
 森には弱い夕陽が差しはじめていて、僕らは焚き火の場所からもう二十分以上は歩いていた。確かエルマーは十五分もすれば道に出ると言っていたのに。
「ねえ、この方向に歩いてて間違いないの?」
 と僕は訊いた。
 僕はてっきりエルマーが激しく言い返してくるものと思っていたが、彼は僕を見ると弱々しくにやっと笑うだけで、なにも言わなかった。寒気がして、僕が立ち止まると、エルマーも立ち止まった。
「ねえ、本当に道、わかってるの……?」
「一人より、二人ならいけると思たんやけどなあ」
「もしかして――、」
「ああすまん。ホンマはな、俺もあそこで迷子になってたんや」
「………ウソだろ?」
「すまん、ホンマなんや」
 すまんじゃないよ!
 と声を上げそうになったときだった。僕らは薄暗くなりつつある森の片隅から、足音がこっちに向かって来ているのに気づいた。二人で同時にそちらを振り返ると、緑の制服を着た、長身の憲兵が一人、こっちに向かって歩いて来ていた。

 突如厳めしい雰囲気の憲兵が接近してきて、僕とエルマーは同時に二、三歩後退った。しかし逃げるのは得策ではないだろうし、 逃げ切れる自信もなかったから、二人して心臓をばくばくさせながらその場に突っ立っていた。これまで、家の近くに彼らがいるのは何度か見かけたことはあったが、こんなふうに近づいて来たことは一度もなかった。僕はいまからなにが起ころうとしているのかわからない恐怖と、ヨハン先生が憲兵について話していたことを思い出して、足が震えそうになった。少しずつ、落ち葉を踏む足音が大きくなり、長身の憲兵は僕らの目の前で足を止めた。見上げた顔は帽子の下でもはっきりとわかるほどに冷たい目をした、無表情だった。
「……こんばんは、憲兵さん、」
 引きつった笑顔でエルマーが言った。黙っているよりは挨拶した方がいいと思ったのだろう。僕にもそうしろ、というふうにエルマーは僕の背中をこっそりつねってきた。
「こ、こんばんは……」
 僕もそう言ってみたが、憲兵は眉一つ動かさなかった。僕は憲兵の腰にぶら下がる恐ろしげな刀を見た。見るなよ、というふうにエルマーが肘で僕を小突いてきた。
 憲兵は黙ったままだった。だんだん空気が薄くなっているのじゃないかと思うような苦しい沈黙を充分に与えたあとで、憲兵は突然あらぬ方向を、その白い手袋を嵌めた手で指した。
「貴様らの家はあっちだ。オスカー・シュトゥッツマン、エルマー・マイアー」
 予想もしていなかった言葉に、僕もエルマーも返事ができなかった。彼がなぜ僕たちの名前を知っているのかもわからなかったし、どうして道に迷っていることを看破されたのかもわからなかった。
「あまり森の奥深くに入るな」
 無愛想だが澄んだ美しい低音の声で憲兵はそう言うと、僕らに背を向けて、自らが指した方向へと歩きはじめた。何歩か進んで、黙ったままこちらを振り返る。僕とエルマーは目を合わせ、憲兵はどうやら僕らに付いて来るように言っているらしいと了解し合って、彼のうしろを進むことにした。僕らが歩き出すと、彼もまた前に向き直って進みはじめた。
「おまえ、あの憲兵と知り合いなの?」
 歩きながら、エルマーがドイツ語で僕に囁くように訊いた。
「いや、知らないよ」
 僕もドイツ語でこたえた。
「俺たち、本当に家に帰れるのかな…」
「帰ってるんじゃないとしたら、どこに連れて行くの…?」
「知らねえよ、考えたくもねえよ……。もしもあいつがなんか変な動きしたら、森の中をバラバラに走って逃げるぞ」
「変な動きってなに?」
「変な動きは変な動きだよ」
 僕らがこそこそ相談していることは憲兵も気づいていただろう。だが彼はドイツ語がわからないのかなにも言わず、こちらを振り返りもしなかった。ただ迷いもなく、森の中を進んでいく。
 エルマーは最初こそ緊張していたが、憲兵がただ歩いているだけのこの状況に早くも飽きてしまったのか、突然彼の背中に向かって日本語で話しかけだしたので僕はぎょっとなった。
「ねえ憲兵さん、あとどんくらいで着きそう?」
 憲兵は返事をしなかったし、振り返りもしなかったが、エルマーはやめなかった。
「ねえ、この森にベリーって生えてる?生えてる場所知ってたら教えてほしいんだけど」
「ああ腹減ったー!憲兵さんて毎日なに食ってんの?俺んとこは毎日クレソンなんだ、そのうち身体が緑色になりそうだよ」
 エルマーはどんどん勝手に喋ったが、憲兵はすべての言葉を黙殺した。エルマーは小さく舌打ちまでして、やめろよ、と僕はドイツ語で注意した。なんだよ、とエルマーが僕に抗議したとき、静かに歩いていただけの憲兵が突然機敏な動きで立ち止まったかと思うと、素早く刀に手をかけたので僕もエルマーも声も上げられず縮み上がった。だが彼は依然前を向いたままだったし、その左腕はまるで僕らを庇うかのように拡げられていた。僕は憲兵の背中越しに、その前方を見た。夕闇の迫る森の中に、ヨハン先生がぽつんと立っている。
「ヨハン先生!」
 僕が声を上げると、
「オスカー?どこまで行ってたんだ、遅いから心配したよ」
 とヨハン先生もこたえた。
 憲兵は左腕を下ろしたが、右手は刀の柄を握ったままだった。憲兵がいるからか、ヨハン先生もそこから動かない。
「ヨハン・ライヒシュタイン」
 憲兵はそう先生の名前を呼ぶと、僕らとヨハン先生の間を塞ぐように立っていた場所から動いて、僕らがまっすぐヨハン先生のところへ行けるように道を通した。
「貴様はオスカー・シュトゥッツマン、エルマー・マイアー、迷子の少年二名を家まで送り届けるように」
「Jawohl! Herr Gendarmerie!」
 ヨハン先生は軍人のようにドイツ語でそう返事をすると、僕らの方に歩いて来た。ヨハン先生の姿が目の前まで来ると、僕は安心してその場に座り込んでしまいそうになった。
「さ、帰ろうか」
 ヨハン先生は僕らにやさしく言い、無表情のままじっとこちらを見ている憲兵に向かって頭を下げた。
「ゴクロウサマデス、ケンペイサン」
 そうにっこり笑うヨハン先生に、もちろん憲兵は眉一つ動かさずなにも言わなかった。
 ヨハン先生に促されて、僕たちは歩きはじめた。エルマーはなにを思ったのか、まだこっちを見ている憲兵に、
「なあ憲兵さん、クレソン食べる?俺いっぱい持ってるからあげるよ」
 と言い出した。憲兵はそれにただ一言、
「いらん」
 とこたえた。
 エルマーはなんだよ、という顔をしたが、
「それじゃあ、どうも。ここまで送ってくれてありがとうございました」
 と雑な言い方で礼を述べた。僕も思い出して、彼に頭を下げた。
「ありがとうございました」
 彼はやはりなにも言わず、僕らは走ってその場から立ち去りたいのを我慢しながらそろそろと歩いた。
 しばらく行ってからエルマーはうしろを振り返り、
「まだこっち見てるぜ、あの憲兵さん」
 と小声で僕らに報告した。
「じろじろ見ないの」
 ヨハン先生は注意し、すっと空に指を伸ばした。
「ほら、もうルーナが顔を出してる、急いで帰ろう」
 ヨハン先生の指の先、暮れはじめた空に白い月が浮かんでいる。
「ルーナってなんや?」
 とエルマーは訊いた。
「ロシア語では月のことをルーナっていうんだよ。ドイツ語のモントゥより、美しい響きだと思わない?」
「なんや、露助の言葉か」
「露助だなんて言葉、言わないよ」
 やんわりと忠告をしたあとで、ヨハン先生はきょとんとエルマーを見て、それから僕を見て、訊ねた。
「ところで、この子は一体誰なの?」

 ***

『某月某日 冬
 幾度目だがもうわからんが死の淵より帰還す。
 ヤーコフ、私を不死身と称賛する。
「地獄からダモイね」と笑う奴をこちらは地獄に道連れにしたい所存。
 いよいよを持って恐ろしく、奉天であの女の言ったことが本当ではないかという確信に至り。

 ……
 死の淵を彷徨っている間、夢でユーリに遭う。
 なぜだか知らんがシュトゥッツマン氏の家にて二人で味のない林檎を貪っていた。
 ユーリはなにか喋っていたがその声は私の耳には一切届かず。
 ただ「ルーナ」と、私に呼びかけていたことだけわかるのみ。

 ………
 またいつ死ぬともわからないので〝奉天の女〟のことを記しておく。
 記したところで意味があるかは不明なり。ただ、いずれ必要ある予感のためにそうする。
 私は直感を信ずる。
 良いも悪いも。

 〝奉天の女〟

 私はその女と奉天にて出逢った。
 ときにソ連進攻の翌日であり市街地は無惨を極めた酷い有り様であった。
 私は野戦病院に薬と気休めを貰いに行った。病院とはいえ元はなにかのオフィスらしき跡地であり、ボロ切れに口紅らしきもので赤十字を描いた旗だけが夏空に揺れていた。私が訪れたときには中はすでに半分死体置場と化しており、蠅と蛆ばかりに活気があった。
 床に寝かされた人々の間を蛆を踏みながら歩いていると、ふと誰かが私の足首を掴んできた。なかなかの力だったので、その手の持ち主が女性だったことに少々驚く。
 仰向けに寝かされたその女の顔を見ると、女は静かに泣いていた。そしてその濡れた目で私をまっすぐに見て、女は言った。
『やっとお逢いできましたね』
 私は膝を折り、その憐れな見知らぬ婦人の耳元に告げた。
『ご婦人、残念ですが人違いのようです』
 女の下半身は布に覆われていた。しかしながら血にまみれたその下がどうなっているかは容易に想像がついた。気の毒なことだが機関銃にやられたのであろう。はっきり言ってまだ息の根のあることが残酷なことのようにさえ思われた。ましてこうして泣いたり喋ったりできていることが不思議なほどだ。手の力も異常のように強かった。死に際して稀に出せる怪力のようだ。
 女は私の足首を掴んだまま静かに首を振った。
『いいえ、あなたです。私はずっとあなたが来るのを待っていました』
 今際の際の妄言にしてはいやに確信に満ちた目で、女は尚も言う。だが私の方にはてんでその女に見覚えなどなかった。
『ご婦人、残念ですが私はあなたの待ち人ではありません。私にはまだ行かねばならない場所があります。失礼――』
 私はそう言って立ち上がり、女の傍から行こうとしたが、女の手は喰らいついた鼈のように私の足首を放さない。私はもう一度膝を折り、女の指を一本ずつ引き剥がそうとした。私がしゃがむと女は微笑みを見せた。なぜだか不気味には思われない、母親のような穏やかな笑みだった。
『あなたはまだ死ねませんよ』
 と女は言った。
『あなたは死ぬおつもりなんでしょうけど、これからまだまだ生きることになるんです』
『ご婦人、私の命は国に捧げるためにあるのです』
 女は見透かしたように笑って言った。
『国なんかどうでもよいくせに』 
 私は構わず女の指を剥がしにかかった。女も構わず喋りつづけた。
『あなたは生きます。永い冬の中で、あなたは何度も死の淵を往き来する。けれど必ずまた、あなたは桜を見ることになる。必ずです』
 女の指をようやく離せたので私は行こうとした。立ち止まったのは、女が私にこう呼びかけたからだ。
『ルーナ』
 と。
 驚愕の顔で振り返った私に、女は尚も言った。
『あなたは生きることでしか罪を償えません』
『ご婦人、いまなんと――』
 女は笑うだけで、私の疑問にはこたえなかった。
『後生です』
 女は片方だけになった手で着物の胸元を探ると、折り畳んだ白い紙のようなものを震える手で必死に私に差し伸べて来た。
『後生です、兵隊さん、どうかこれを、あなたと一緒に日本に連れて帰ってくださいまし――』
 私はほとんど無意識のうちにその紙を受け取っていた。受け取ると、折れるように女の腕が落ちた。
『Ich vermisse dich.』
 聞き間違いでなければ、女はドイツ語でそう呟いた。
 私は託されたものがなにか女に訊ねることはできなかった。
 女はすでに事切れていた。
 私は膝を折り、その婦人の涙に濡れた顔を布で拭ってやった。落ちたままの腕を胸に戻し、女がどこの信仰かは知れなかったが、その片方の手と自分の手を組んで短く祈りを捧げた。

 白昼夢のような、幻覚のような、一瞬の出来事であった。しかしながら、女は確かに私のことを〝ルーナ〟と呼んだ。私のことをそう呼ぶのは世界に唯一人、ユーリだけだったというのに。

 そして女の言葉は確かに私の中に消えない刺青のように残ったのだ。
 
 私は生きる。
 生きることでしか罪を償えない、と。

 現に私はまだしぶとくも、この凍ったシベリアの地で生きていた。

 春は遠く、花はまだ匂いもしない。
 雪花だけが、散る桜のよう』

Letters

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  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-12-04

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