涼しげな・・

涼しげな・・

聞こえてきた琴の音。

  事務所のデスクには、外出・直帰の表示・・。
 銀座駅の改札を抜け丁度滑り込んできた車両に乗る。此れから、相談の要望があった先を何軒か廻るつもりだった。
 其れでも、二軒目のお屋敷で受け答えや説明をしていたらなんやかやで二時間余り。
 中途半端な時間帯になってしまった。其の邸宅を出てから住宅街を抜けて歩いていくと、通り掛かった家の中から琴の音。
 こういう住宅街では、時々ピアノの演奏が聞こえてくる事がある。
 たいてい、クラッシクでショパンなどが多い。きっと、若い女性が弾いているのだろうなどと思う事はある。
 紺野和彦の娘も一時はピアノ教室に通っていた。偶に発表会などがあり、ビデオカメラを片手に、演奏会の模様を写した。   
 娘の登場になると、舞台裏から登場するところから一部始終を映しながら、なかなかうまく弾けているじゃないかなど思う事があった。
 其のpianoも演奏者がいなくなり、調律もしないようになった。
 和彦はclassicを真面に練習した事も無ければ、レコードで聴く事はあっても、自らが弾いてみようと思う事は無い。
 好みの、というか今となっては、音楽・文学・絵画くらいしか趣味としての関心は無くなった。
 一時、絵画はeurope に滞在時に彼方此方の気に行った画家の作品を見て廻る事があったが、束の間の楽しみだった。
 帰国してからは、年齢的にも今更働こうとは思わなくなっていた。
 連絡があっても、案件を選ぶ習慣がついてしまっている。弁護士に依頼された案件には、前向きなものというか、明るい話題など無い。
 ・・何もしないというわけにもいかず、弱者の相談などを受けるようになった。
 其れでも、時々仕事から離れて、違う事に携わりたいと思う事もある。
 


 琴の奏者がどのような者かなど考えながら通り過ぎようとした時、琴の音がやんだ。
 夏の始まりで日差しは増々強くなっていくような気がする。静寂の中に風鈴が涼しそうに・・ちりん・・。
 大きな屋敷の門から拡がっている庭園を覗き込むと縁側が見えた。
 昔はこういう縁側・長廊下などがあり、其処に座ると小さな池が見えるなどと言う家もあった事を思い出す。
 池は水苔がすっかり深緑色に染め、色とりどりの魚の姿が窺え、周囲には花々が・・。
 丁度、同じ様に世界に入り込んだような気がし、暫し佇み、庭園の芝が奥に拡がっていくのを見ていた。
 座敷の奥から縁側に出て来たのは、着物姿の女性で・・先程の琴を弾いていた主かもしれないと思う。
 軒には風鈴が吊り下げられているから、その音が聴こえたのかと思う。
 和彦は、今時・・まるで、時間が止まったような景色に安らぎを感じていた。
 無断で人様の屋敷内を覗くなど、趣味の良い事ではないからと、歩き出そうとしたが・・視線が流れ・・。
 細面の色の白い、其の女性は、縁側の下の踏み石に置いてあった下駄・・つっかける様に・・池の淵迄・・。
 和彦は、何とはなしに、声を掛けていた。
「結構なお庭で・・」
 突然の来訪者に気づいた様に此方を見て軽く会釈をする。
「宜しかったら・・此れを・・」
 意味はよく分からなかったが、池に近付くと、すぐに気が付いた。
 一匹の黒い鯉が仲間とはぐれたように、水面に浮いている。おそらく半身を此方側にさらしているさまは、何かを訴えているような気がした。
 釣り人の針に引っ掛かかり、何とか逃げおうせたらと暴れるいきの良い魚とは似ても似つかない・・魚は・・どうして欲しいのかと思うが・・生き物には寿命というものがある。
 子供頃、飼っていた沢蟹が次々に死んでいった事を思い出す。
 最後の二匹になった時に、何ともいたたまれなくなり、車で水槽に入った二匹を・・約二時間も掛け・・奥多摩の上流の狭い川に放したのだが・・生憎の前日の台風の影響で泥水と化した早い流れに・・二匹は押し流され見えなくなった。
 出来ることはやったのにと悔やんだ。其れからは二度と、子供を喜ばす為に生き物を漁るという事はやめた。




 女性にバケツはありますかと尋ねると、女性は・・急いで持って来・・和彦に渡す・・。
 和彦は、鯉の片腹に小さな穴が開いているのに気が付き、鯉を両の手でわしつかみにすると穴に指を入れる。
 穴からは小さな虫のようなものが姿をあらわした。其れを取り除き、再び指の腹を穴の上に被せる。
 暫くし、元気が出たような魚は池の水を跳ね上げ、水底にみえなくなった。
 


 其れを見ていた女性は・・。
「え・・?」
 和彦は女性に微笑みながら。
「琴・・お上手ですね・・また弾いて貰えますか・・?」
 女性は笑みを返すと・・奥座敷に・・。


 
  
 
 
 和彦が屋敷を出・・歩き出すと・・琴の音が聞こえ始めた・・。
 



 歩き始め・・暫くし・・立ち止まり・・振り返る。
 もう・・かなり・・歩いている。
 



 
 
 見えなくなった・・屋敷からは・・何時までも琴の音が聞こえていた・・。
「・・人類を助ける事に較べれば・・魚の方がまだまし・・沢蟹は・・残念だったが・・」
 


 精一杯頑張っていた夏の陽も・・そろそろ・・と・・次に訪れようとしていた紫色の薄闇に後を任せると・・肩の荷を下ろしたようだ・・。
 俄かに・・一陣の風・・涼さを散りばめ乍ら・・通り抜けていった・・。 

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「by europe123」」
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涼しげな・・

涼しげな風情。

涼しげな・・

池の魚が何かを訴えているようだ。 指を添えれば・・蘇り元気よく泳いでいく。 一体、何が起きたのか。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-12-04

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