コメディーショート暦
作者のショートの中では珍しいblackショート。
鎌田進は、K大学の3年生。大学が暮の休みに入った昨日から、デパートでアルバイトを始めた。
地下の食料品売り場でケーキなどを販売するのだ。
昨日から始めたから、仕事を完全に覚えた訳では無いが、自分なりに自信はあった。
鎌田はケーキの入っているショーケースを見回しながら思った、「まあ、一日にしては、結構、いろいろな事が出来るようになった。ノロノロしているとお客さんから苦情を言われるから、スピーディーに、が原則だな」
しかし、新入りである鎌田にとって、はっきりと覚えていない事もあった。
デパートには客には分からない店員同士で使う「隠語」というものがある。店によって様々だが、有給休暇は「手伝い」万引きは「川中様」、食事は「喜左衛門」、そして、「暦」。その隠語の持つ意味は、「常連のクレーマー客」。
クレーマーといっても、デパートにとっては失礼があってはならない大事な客であり、クレーマー客は何人もおり、店員は、其々の特徴を暦に記すように覚えている。
暦にそういう客の来店する日の印を付けたら、幾つも付くだろうが、客は何故か、銘々決まった曜日に来る事が多い。例えば、ある客は火曜日と金曜日という具合に。 店員は、暦を頭に浮かべて各クレーマーに応じた対応をする。
普段は、ベテランの中田肇と学生アルバイトの鎌田進が二人で売場に立って、来客の対応をする。
其の日は、中田は有給だったから、鎌田は少し心細い気がした。
暮れだから、通路は流れていく客で込み合っている。
鎌田は、そんな光景を見ながら隠語を繰り返し覚えていた。
しかし、隠語は社員同士でしか使えない言葉、そして、間違えない事が大事だという事を忘れていた。
鎌田は、その客がクレーマーだとは知らなかった。そして、耳が遠いという事も。
客は鎌田の顔を見て尋ねる、「何時もの彼はいないのか」
「はい、本日は暦でございます」
それを聞いた70代位の客は、耳の後ろに片手を添えるようにあて、鎌田の言葉を聞いた途端、驚いて、「暦って、あなた、よく今日が私の妻の誕生日だとわかったね。気に入った。あいつとは大違いだ」
鎌田は呟いた、「あいつとは中田の事だろうか、客には、「暦」の部分だけが強調して聞こえたようだが」
客はショーウインドーを右から左まで眺めて、「さて、どれにしようか。よし、今日は奮発して、この大きな方のケーキにしよう。それを一つ、包み紙は誕生日用に綺麗なやつを頼むよ」
鎌田はケーキが入った白い箱をショーケースから取り出した。
包装紙にも何種類かあるから、鎌田は一番綺麗だと思うものを取り出すと、客に包装紙を見せながら、「お客様、この柄で宜しいでしょうか?」
客はニコッと笑って、「ああ、いいねえ、それならきっと妻も喜ぶだろう」
鎌田はリボンのような紐をクルクルと取り出しながら、小さな声で呟く、「さて、ここからが俺の腕の見せ所だ」
鎌田は自己流で白い大きな箱を縛っていく。
箱を縛ったあと、最後は自分なりにアレンジして、箱の上部に飾り付けをし、余った紐を鋏で切った。
そして、鎌田は出来上がった物を見て呟いた、「これなら上出来だろう。紐も包装紙も綺麗な物を選んだし」
最後の紐の部分が、箱の上で幾重にもアーチを描いているように見えた。
鎌田は、頭を下げながら、商品を客に大事に手渡した。
客は、一部始終を見ていたが、顔色を窺うかのように見る鎌田に、「おう、丁寧にやってくれて、しかも、持ちやすくしてくれたのかい。この上の方もリボンのようにしてくれたんだな、洒落ているじゃないか。」
そして、客は続けて言った、「あんた、なかなかのベテランだね。俺は、このデパートでは初めてだよ、いい思いをしたのは」
客は笑顔を見せながら、「あんたの上司に褒めといてやるよ。何時ものあの主任だろう?主任を呼んでくれよ」
客はクレーマーだから苦情を誰に言うべきかをわきまえている。
店員と話をしても埒が明かないからと、上司の食料品部門の主任に直に苦情を言うのだ。
鎌田は客にお辞儀をしながら、「少々お待ち頂けますか、只今呼んで参りますので」というと、主任の常駐している部屋へ向かった。
部屋のドアをノックして、応答を確認してからドアを開けた。
鎌田は、主任に事の次第を話しながら、内心思った、「褒めて貰うなど、まあ、当然かな」
主任が売り場内を歩いて行き、客に近付くと丁寧にお辞儀をした。
客が鎌田を指差して、主任に言った、「この店員は妻の誕生日を覚えていてくれたようだ。なかなか、客の妻の誕生日まで覚えている店員などいない。たいしたものだ」
瞬間、客の持っていたアーチの紐が箱から外れると、箱がフロアーに落ちて潰れ、ケーキがフロアーに飛び散った。
鎌田は思い出した、「暦」とは、最悪のクレーマーを意味するという事を。
コメディーショート暦
デパートでアルバイト中の学生の苦手は包装・・特に紐掛けは難しい。