Charlon(別名・ノスタルジア)

Charlon(別名・ノスタルジア)

何処にでもいる勤め人の女性。

 
 封を開ける。「・・何回も話したとおり、僕は今、好きな女性が・・悪いな・・」



 セシル藤田は23歳、渋谷にあるB会社に勤めている。
 9時まで残業で、疲れた足取りで経堂にあるアパートまで帰って来た。蛍光灯をつけ、バッグに入れておいた一枚の手紙を、改めて見ている。
今日、会社の昼休みに、恋人だった奥田から手渡された手紙。
 付き合って三年目だった奥田は25歳、二枚目の類なのかも知れない奥田が好きだと。
 少なくとも、当初はそう思った・・。
 まさか、他に好きな女性がいるとは。
 この三年間交際し、幸せだった事が現れては消えていく。
 気持ちは地を這い始め、涙が滲み出てき、絨毯に落ちた染みが拡がっていく。
 電話口で別れ話を聞かされた上に。
 でも、もう、仕方がない。明日は土曜の休み、別れてから4回目の土曜。
 食欲も湧かない、何となく部屋のドアを開けた。
 闇の中に溶け込むように体が動いていく。 
 道端の街灯に照らされた腕時計の針は12時を指している。
 セシルの足は、まるで電池が切れかけたおもちゃのロボットのように、ゆっくりと街の方角に向かって行く。
 踏切が見えた。街に行くには駅から電車に乗るか・・其れともずっと歩いていくか・・此れといって宛ては無いが・・。
 遮断機が降り、赤いランプの点滅と踏切音が、電車が近付いて来る事を告げている。
 だが、線路を響かせる走行音、眩しい筈のランプも窺えない・・。
 セシルの前を通過しようとしている筈の電車は、何時もの電車では無かった。
 見たことも無い、流線型をした青い光の塊のような電車。
 セシルは自分が何時の間にか車内の椅子に座っている事に気付いた。
 乗客はセシルしかいない様だ。
 車窓から見える景色は、何時も見慣れている街の景色とは違う。
 あたかも映写機が壊れたように、凄いスピードで、良くは確認できない画像が流れていく。
 セシルの腕時計の指針は振り切れんばかりに高速回転をしているようで、見えない。
 どの位時間が経った頃か、腕時計は何時の間にか消えてしまっている。
 車窓から見える景色は超高層ビルが林立する街。


 今、セシルはビルのクリスタルオパールガラスの前に立っている。真上を見上げたセシルは思わず呟いた、「このビル凄い高さだわ、何百階もありそう」
 半透明の大きなドアの向こう側に見えた人影が、ドアが開いて外に出て来た。セシルとぶつかりそうになったその男性は、セシルを避けながら、「済みません、うっかりしていて」と軽く頭を下げる。
 身長は190くらいあるだろうか、スリムで足が長い、黒髪だが色白の顔に鼻の高さは外人を想像させる。
 セシルが彼の顔を見ているのに気付いたように、優しそうな顔に笑みを浮かべて、「どうぞ」と右手を半分あげ少し左右に動かした。セシルが中に入ると思っているらしい。
 セシルは一瞬躊躇したが、開いたドアからビルのエントランスに入った。
 大きなホールのような空間の天井には、見たことも無いシャンデリアのような照明が幾つもぶら下がっていて、その間に埋め込まれた小さな灯りが無数の星のように煌めいている。
 壁は落ち着いたグレーに細いダークピンクの筋が入った総クリスタル張りで、足元にはボルドー色の絨毯が敷き詰められている。
 セシルが立ち止まっている周りを何人もの人達が行き交う。
 洒落た帽子を被ったデパートの受付嬢に似た様な服装の女性が、セシルの方に近づいて来た。
 その女性は頭を下げるとセシルに慇懃に話す、「シャーロン様ですね、どうぞこちらのソファにお掛け下さい」と、横長のモスグリーンのソファに案内する。
 セシルは、その女性に人違いでは無いかと言おうと思って、「あの、私は・・」
 そんなセシルの様子など気にも留めず、女性はヘーゼルの瞳に微笑みを付け足した。
 ホールの1階と2階を結ぶ短い螺旋階段から、背の高い男が絨毯を踏みながら降りて来る。
 ソファに座っているセシルを見つけると、笑顔で近づいて来た。
「待たせちゃったかな?」男はそう言うと、セシルの隣に腰かけた。続けてセシルに話し掛ける、「今日は急ぎの仕事が入ったから、まあ、明日までに片付ければいいんだけれど。久し振りだね、元気そうじゃないか」
 セシルは自分が誰で、どうして此処にいるのかを説明しようとしたが、なかなか話をする機会を与えてくれない。
 そればかりか、男の話にイエス・ノーなどの単純な受け答えをしている内に、逆に、自分が誰であるのかが、次第にわからなくなってきた。
 この世に自分と同じ人間が二人居るという話は聞いたことがあったが、まさかこんな事になるとは。
 そして、可笑しな事に、自分はこの場に見合った人間だという意識の方が強まっていくのだ。不思議な電車を降りた時に、既に「セシル」では無くなっていたのかも知れない。
 自分の頭の中に既に潜んでいた記憶が、現実となっていくように。
 此処は、Europeとそっくりな大陸にある、「ノスタルジア国」の首都ウエスト。
 自分の名はシャーロンで皇族、この国の女王はエメラルダだが、シャーロンの王位継承順位は4番目。
 父はリッジ公爵エウリア、母はリッジ公爵夫人ニキャ。二人共ケトン宮殿に住んでいる。
 シャーロンは宮殿に住んでいるわけでは無い。
 民間人と同じように、プリゾーレという街に住んでいる、まだ独身、23歳だ。
 シャーロンはプリゾーレで、福祉院の院長をやっている。
 今日シャーロンが会った男性は、首都ウエストの、ポートアという建物内にある法務省に勤務している従兄のソビリアで、28歳。1か月くらい会って無かった。
 シャーロンが、福祉院の近くにある家に帰ると、いろいろあったせいか、どっと疲れが出て来た、眠い。
 ベッドにおさまった途端に、暗幕が落ちてきて、深く静かな闇がシャーロンを包みこんでいった。
 翌朝、目が覚めた時には、「セシル」という名は、完全に、記憶と言う棚から落ちていた。
 今日は、バシュム宮殿で皇族の集まりがある。エメラルダ女王と皇族達が一堂に会する。そして、皇族が久し振りに全員揃って食事の後、教会でミサと、その後パイプオルガンの演奏を聴く予定だ。
 昨日会った従兄のソビリアも、シャーロンより3歳年上の妻のアメリアを伴い夫婦揃ってやって来る。勿論、シャーロンの両親も。

 宮殿では、最初にエメラルダ女王の挨拶があった後、皇族一同が百席ほどの席に座り、女王と共に食事をとる。それも終わると団欒の輪が拡がっていく。
 シャーロンは両親のエウリア、ニキャに挨拶をした。リッジ公爵エウリアは微笑みながらシャーロンに、「どうだね、楽しくやっているかな。民間生活には慣れたかな」と、母のニキャもシャーロンにキスをしてから、「貴女がどうしているかって、気になる事があるのよ。偶には帰っていらっしゃいな」
「有難うございます」シャーロンは両親に挨拶をした後、従兄夫婦に近寄って行き話を始める。
 シャーロンがグラスのクジュールを飲んでから、アメリアに、「昨日、御主人と会ったわ。忙しそうだったけれど、家庭が一番良いって言ってたわ。奥様が素晴らしいからかしら」と、きちんと整った唇が、やさしい形に笑いをつくる。
 アメリアが照れ笑いをしながら、「そんな事も無いと思うわ、極当たり前の事をしているだけですから。私の作る料理は気に入ってくれているようだけれど。主人、事務所でそんな話をしていたんだ」
 シャーロンはアメリアのアンバーな瞳を見つめて、「いいわね、また私もご馳走して貰おうかな」とねだる様に言う。
「あんな料理で良かったら、何時でも来て、私も作り甲斐があるってものだから」
 二人の話も終わった頃、他の皇族達と一緒に、全員がすぐ近くに有る教会に向かい、オルガンの演奏を聞いた。それが終わると、次回の皇族会まで半年ほど期間が有るから、銘々が、好きなように集団でカフェに行ったり、或いは用事のある者は帰宅する。
 この国では、皇室の情報はオープンにされているから、ここからは、マスコミの報道も自由にされる。
 シャーロンはアメリア達にハグをした後、お抱えのドライバーのパス(車)で家に帰ろうとしたが、何となく、ターコイズブルーの海が見たくなってシズパオの海岸まで行って貰う事にした。
 海岸沿いのミオというホテルに入る。総ガラス張りの窓から、真夏の青い海・白い砂浜・青空に白い雲が見渡せる。今日は休日だから、海岸も家族連れやダイバーなど人が多い。
 フロアーの近くの席に座っていた男性が、ミオのコンシェルジュと何か話をしている。
 その男性が何気なく、シャーロンの方を見た。
 男性は、少し驚いたようにシャーロンに、「・・貴女は、昨日の」
 シャーロンは、自分が店に入った時に既に気が付いていた、550階建てのポートアですれちがった男性だと、グリーンの瞳にすらっとした背の高さが目立ったから。

 オリバーがシャーロンに、「カフェでお話でも如何ですか」
 シャーロンは、何となく自分もそんなつもりでいたから、「ええ、かまいませんわ」
 ドライバーに、ニュークレナードに在るカフェ・ティファニーまで送って貰って、ドライバーを返した。
 シャーロンはオリバーの顔を正面から見て、「偶然でも、二度も続けて会うなんて、昨日お会いしたポートアには何か用事があっていらしたの?」
 オリバー・スミスはカフェの椅子に凭れて、長い足を持て余すように少し斜めに構えるとシャーロンの黒い瞳を見て、「僕は多国資格の弁護士で、一月程前に、ユークレナ国の弁護士法人事務所からポートアの497階にある事務所に転勤して来たばかりなんだ。だから、まだこの国の事は良く知らないんです」
「弁護士・・偉いのね。私はプリゾーレで福祉院に勤めているの」
 二人は、話をしていくうちに、二人が何処に住んでいるのかという話になった。
 オリバーはグレーのスーツの内ポケットからスマホのようなメルを取り出すと、画面の地図を指で示し、「ここが、ポートアがあるウエスト駅で、そこからブルーメア(電車)で一駅行ったこの街が僕が住んでいるニューポルト。貴女が住んでいるプリゾーレは・・と、更に二駅行った此処か、すぐ近くだな」
 シャーロンは、シャーロンが見易いようにと、オリバーが向きを変えてくれたメルの画面を見ながら、「本当。近いわね、これなら私がこの国を案内してあげるのに便利」シャーロンは自分でもそんな言葉が出るとは思わなかった。
 オリバーはメルを内ポケットにしまうと、喜びを顔に輝かせながら、「いや、それは光栄だな、いいのかな忙しいでしょうに」
 二人は何となく、互いに、好意を感じていたようだ。
 シャーロンは呟いた、「どうして、私に好意を感じてくれたのだろう。私の・・どこが・・それとも誰にでもそうなのかしら」
 シャーロンはバッグからコンパクトを出して改めて自分の顔を映してみた。

 瞬く間に週末がやって来た。約束の待ち合わせ場所はウエスト駅。シャーロンは、プリゾーレ駅から乗ろうとしたブルーメアを見て思わず呟いた、「何処かで見た・・想い出があるような・・」
 何時かこのブルーの光に関係することが起こりそうな、一瞬そんな気がした。
 しかし、シャーロンがブルーメアに乗った時には、その事は既に頭から消えていた。
 そして、呟いた、「さて、今日の気分は薔薇色。オリバーを案内するんだから。待ち合わせは、一両目の一番前のドアでだった」
 滑るように入って行くホームの手前から、オリバーの姿が見えた。手を振っている。
 「お早う」と言いながら、オリバーが笑顔で乗り込んで来た。
 シャーロンがシートに座ったオリバーの横顔を見ながら、「朝食は済ませたの?」
 オリバーは首を横に振る。
「まだだったら、ピカリー通りのウルシーに行きましょう」
 オリバーは笑顔のまま、「いいね、先ずは下ごしらえと」
 シャーロンは、オリバーは身体が大きいから、きっと沢山食べるだろうと思って、ボリュームのあるブレックファーストで有名な、通の良く行く店を選んだ。
 シャーロンが可愛い店員を呼び、「フレンチトーストを。それから、ブリオッシュまで一揃いのブレックファーストを」
 この店の門構えからして中世風、店内は、小さな教会の天井を思い浮かべるような真っ白な素材が曲線を描いており、店内のいたる所に様々なガラスで囲まれた灯りが、吊る下がっていたりテーブルに置かれていたりと高級で上品な雰囲気を醸し出している。
 シャーロンは、オリバーの美味しそうに食べている姿をさり気なく見ながら、自分もそれにあわせるように料理に手をつけていく。
 食事もそろそろ終わりに近づいた頃、二人の会話は、再び、昨日ポートアで会った「運命の出会い」の話に戻っていた。
 オリバーが、「僕の事務所がポートアにあるという事は話したけれど、貴女はポートアに何か用事でもあったの?」
 シャーロンが、「昨日は、ポートアの52階にある法務省に勤めている従兄のソビリアに会いに行ったの」
 オリバーは、両手を左右に軽く拡げて、「それで僕に幸運が訪れたってわけか」
 シャーロンは、ナプキンで唇を軽く拭くと、「幸運・・」
 オリバーはシャーロンの黒い瞳をさり気なく見ると、一瞬硬い表情に変わり、「だから・・・」
 シャーロンはゆっくりとティーカップに手を近づけて、一口飲んだ後、まだ揺れている・・茶色の透明な液体の入ったカップを受け皿に置いて、「何か・・」
 オリバーは一転して相好を崩すと、「目の前にいる、美しい女性」
 シャーロンは、心の重心の置き場がないかのように、瞳を一瞬あてもなく
動かすと呟いた、「私が、美しい・・」
 オリバーが、人形のようになったシャーロンに優しく、「so, ・・ no qustion」
 心が解けたように、笑顔の絶えない和やかなトークが始まる。
 二人の仕事の話や、この国の話など。
 オリバーが長い足がうずいて仕方がないのか、「お腹が一杯になったね、次は何処だろう」
 シャーロンが頷きながら、「歩いて、先ずは宮殿から案内するわ。この国は、数百階建てのビルが林立し、高度な文明を築いているけれど、同時に先祖が残した遺産や伝統をそのままに残している、それが特長なの」
 二人は、ピカリー通りを歩き、バシュム宮殿の広い庭園を見て回る。
 途中、昔と変わらぬ制服の何人もの衛兵と会うが、シャーロンに敬礼をして行く。 オリバーは何となくだが、彼女が一介の国民では無いような気がした。宮殿の入口で、シャーロンが一応バッグから身分証を出し見せる。衛兵は直立不動で敬礼をする。
 シャーロンはオリバーと並んで、宮殿の入口の階段を上がり中に入る。
 オリバーは、今まで、宮殿を拝見するなどという事は無かったから、その内部の煌びやかなこと、とにかく絢爛豪華さには恐れ入ったようだ。「絵画の間」を歩きながらオリバーが、「素晴らしい絵ばかりだね、ベンスやブラントなど、そこらの有名美術館より上じゃないかな」
 オリバーの祖国にも有名なアルハム宮殿があるが、この宮殿の存在感は何れの国の宮殿にもひけをとらない。
 シャーロンが宮殿を後にする時にオリバーを見上げるようにして、「この国の王室は、観光料や不動産収入など自分達の稼いだお金によって生活しているの」
 それを聞いて感心するオリバー。
 時刻は12時を回っている。
 二人は、宮殿を後にした後、隣国料理のポーチュギーレストランで昼食を済ませることにした。この間にシャーロンがドライバーを呼んだ。
 食事も済んだ頃、パスは到着。
 二人が後部座席に並んで座ると、シャーロンがドライバーに行き先を告げる、「トワブリッジからロンド塔を曲がり、タムズ川の畔沿いに、大きな時計 の前を通ってメイン博物館に言って下さい」
 豊かな川が流れる脇の道をパスは軽快に走る。
 オリバーは左右の素晴らしい景色に目を奪われながら、「中世の情緒を残す貴重な遺産であると同時に、美的価値も相当なものがあるな」
 大きな時計から北にA3212を上がって行く。ナショナルギャラリーやトラヒューガ広場を更に北上し、ケブリッジ劇場を過ぎれば、やがてメイン博物館が正面に見えて来る。 
 オリバーの祖国とはまた異なった街の景色に、オリバーが済ました表情で、「やはり、国の伝統や美観というものは大事だな、君もそんな国にお似合いの女性だけれど」
 シャーロンは一瞬横のオリバーの腕に自分の腕を触れると、唇をほころばせた。
 シャーロンが巨大な石の柱で支えられた建物の中に入って、「ここは、歴史的価値の高い発掘品や美術工芸品が15万点以上もあり、外国人の観光名所となっているの」
 オリバーとシャーロンは並んで、時間を掛けてじっくりと館内を見て回った。

 やがて、ノスタルジアにも今日一日の終わりを告げる様に、高層ビルの谷間に、朱を含んだ紫陽花色の夕空がひろがる。
 それは、次第に濃い紫から墨を流したような漆黒の闇に変わり、オレンジ色の衛星が顔を出している。
「夕食を・・」二人同時に出た言葉に、シャーロンもオリバーも身体を揺らすように笑った。
 シャーロンが少し首を傾げて、「どんなお料理が好みかしら?お酒は?」
 オリバーが両手の掌を拡げると、「何でも、お酒もOK」
 シャーロンは頷くと、「マンハット通りにある、パストラミがいいかな」
 ドライバーにそこまで送って貰って、ドライバーは帰した。
 マンハットは、高層ビルが林立しているウエストでも一番の中心街だ。
 シャーロンが先に立って、ナイツホテルのエレベーターに乗る。
 590階にあるレストランパストラミは多国籍料理で有名だ。
 二人は深い緑色の絨毯を奥に進み、真四角のテーブルに座る。
 総クリスタル張りの窓からの景色は、半分は同じ様な高層ビルに遮られている。
 しかし、北方向にはライトアップされた公園や丘が、更にその先にはウエスト駅を望むことができる。
 ウエイターが挨拶をしてから、メニューを拡げる。
 オリバーが景色を眺めながら、「僕の国でも建物は同じくらい高層ばかりだけれど、此処の丘の夜景は綺麗だな。
 でも、国には、幾つも美しい場所はあって、トーレという所は画家グレの心をとらえて放さなかったくらい、川に三方を囲まれ、深い谷の上のひときわ美しいアルカ は、この景色にも似通っているな」と、故国の風景を思い出したように語る。
 シャーロンが想い出に浸っているオリバーの横顔にそっと、「そうね、ユークレナも素晴らしい国だから」
 オリバーが遠くに見えるバシュム宮殿の灯りを見つけると、シャーロンの顔を見つめるように、「君って、皇族に関係があるんじゃない?」
 シャーロンは真剣な顔をして、「正直に言えば、そういう・・」と、口籠った。
 シャーロンがその時思ったのは、その事実が知れてしまう事によって何か二人が離れて行ってしまうのではないかということだった。
 シャーロンは、ややトーンを下げてオリバーの目を見ながら、「皇族と言う言葉を使えばその一人です、父はリッジ公爵エウリアと言います」
 オリビアは少し心に波が立ったように、「ちょっと失礼」と、内ポケットのメルを取り出す。レストランの照明はロマンティックで適度に暗いが、メルの画面はくっきりとオリバーの顔を照らし出している。
 主要国の中で、女王が君臨しているのはノスタルジアだけだ。しかも、エメラルダ・その名は世界中に知れ渡っている。
 オリバーが画面をずらしながら、「シャーロン・オブ・リッジ、皇位継承順位4位だって?」オリバーも多国資格の弁護士だから各国の事情を全く知らないわけでは無い。
 突然、オリバーは椅子から離れると、おどけてシャーロンの手の甲に唇を近づける。
 シャーロンは笑いを噛み殺すと、「オリバーったら、冗談はやめて。ここは、エランス国では無いんですから」
 シャーロンが雰囲気を変えるように、床に落ちたナプキンを拾い、オリバーの膝に。
 オリバーは顔を子供のように輝かすと、「いやあ、びっくりしたよ。仕事で世界中を渡り歩いているけれど、なかなかお目に掛れないからね、皇族には」
 その時、オリバーのお腹が食事の時間だという合図をしたから、二人は思わず大笑いをした。
 顔を寄せてメニューを見ている姿は、誰が見てもお似合いのカップルになっていた。
 シャーロンが、テーブルのカラフルなクリスタルスタンドの灯りに顔の半分を照らされながら、「今のオリバーには、コースよりもアラカルトの方がいいんじゃないかな。前菜抜きでいきなりサーロインでもいいんじゃない」
 オリバーが大きく頷きながら、「いいね、それに、君も何か選んで、ドリンクも」
 少し大きめの白いテーブルクロスの上には、「フィレ・サーロイン」「スモーク・サーモンにビーツ&ワサビのソース」「鹿の肉、スモークした脊髄、野菜」などや辛口白ワインのイグレックの最新ヴィンテージにグラスが二つ。
 フロアーでは何時の間にか、ピアノの演奏が始まっている。
 やがて、華やかな食事と楽しい会話も終わり、オリバーが、「とても楽しかった。これからも二人の時間を持つ事ができれば、最高だ。取り敢えず今日は引き揚げようか?」
 シャーロンも頷きながら、「本当に楽しかった。時間を忘れてしまいそうだった。また、楽しくやりましょう」
 オリバーが、空間に文字を書くようなジェスチャーをすると、ウェイターがやって来た。
 二人共表に出、通りかかったパスに乗り込むと、プリゾーレまでオリバーがシャーロンを送った。
 シャーロンが片手を振り、車内からそれに応えるオリバーを載せたパスは、ニューポルトの自宅へ向かった。


 二人はそれから毎週のように週末には食事を共にし、弾む会話を楽しんだ。
 そして、二人はオリバーの家に行ったり、シャーロンの家で時間を過ごすようになった。
 外食もしたが、二人の家でシャーロンの手料理を食べる事もあった。
 数か月が経過した或る日、オリバーの家でシャーロンの手料理を食べながら、二人は、仕事の話やお互いの家族の話までしていた。
 食事が終わり、シャーロンはキッチンで後片付けをしている。
 オリバーがテーブル越しに、キッチンにいるシャーロンに言う、「僕は、何時までも、君の料理を食べれたらと思う。ねえ、シャーロン」
 シャーロンは、振り返ってオリバーの目を見つめる。
 シャーロンは、呼ばれたから振り返ったのでは無い。彼の言葉が何を意味しているのかが分かったから。
 オリバーは、席を立って、シャーロンに近付くと、どちらともなく、固く抱き合っていた。熱い抱擁には、熱いキスが似合う。
 オリバーがシャーロンを抱えたまま、薄茶色の大きなソファに移動する。キスの合間にオリバーがシャーロンの耳元で囁く、「今日は僕の家に泊まって行かないか」
 その晩、シャーロンはオリバーと愛し合った。
 翌日は、二人共、休日だった。
 朝食をとった後、オリバーが正式にシャーロンにプロポーズをした。
「僕は、君を好きになる為に生まれてきたのだろうと思う。結婚して下さい」
「貴方を最初に見た時から、何時かこんな日が来るのではと思っていた。私の愛する人は貴方だけ、喜んで受けます」オリバーは嬉し泣きで、緑の瞳の周りから涙を流していた。シャーロンも涙ぐんでから、優しそうな微笑みに変わると、オリバーの手を握った。
 その後は、結婚式をどうするかの話に変わった。
 皇族であるシャーロンが結婚するとなると、ちょっと、ややこしい事もあり得る。
 結婚式を何時にするかも考えなくてはならない。勿論、二人にとって、「なるべく早く」というのが希望ではあるが。
 何れにしても、二人の意思は固いのだから、一つ一つ解決していけば、何も恐れるものは無い。二人共、今までの数か月間、そう考えていたのではないか。
 その日の内に、二人は其々の両親に連絡をした。
 シャーロンは従兄のソビリアにも連絡した。
 電話口に出たのは、アメリアだったが、ソビリアには伝えるという事だった。


 シャーロンがウエストのポートアに行こうと家を出た時は、どんよりとした雲が空を覆っていた。
 メルの天気予報は「雨」。
 プリゾーレからウエストまではドライバーに送って貰った。
 ポートアに入って、総務省の直通パネルにタッチした。
 昨日、ソビリアから連絡があって、仕事でサイ国に行った際にお土産を買ったから取りに来てくれという事だった。
 ソビリアが二階から螺旋階段を下りてきて笑顔で、「結婚するんだって?何れは、エメラルド女王以降初めての女王が誕生するかも知れないと思っていたのに。とは言っても、何年後か分からないけれどね。それに、女王となると、人並みの神経では務まらない大変な皇位だから。
でも、民間人の男性と結婚したら皇族を離れる事になるね。
 アメリアと一緒に4人で祝賀会をやろうって事になっているんだ。皇族のイベントとはまた別にしてね。アメリアがどうしてもそうしたいからって聞かないから。何か、腕に縒りをかけてシャーロンの好物を作るから食べて貰いたいって言ってた」
 シャーロンは相好を崩して、「有難う。嬉しいわ。アメリアのお料理も素敵だし、楽しみだな」
「今週か来週の末にでもやろうかと思っているんだけれど、都合はどうかな?」
「そうね、私はOK、オリバーにも聞いてみる」
「これがお土産、持って帰って。大したものじゃあ無いけれど、今では珍しい古代の金貨やアクセサリーなど、結構貴重なものらしいよ。ああ、それから、この・・変わった・・土産物の屋台の年寄りが、【不思議な】って言ってたけれどね レインスーツ、これから雨になりそうだから、良かったら着て行ったらいいよ」
 シャーロンは軽くお辞儀をしながら、「いろいろ、貴重な物を有難う。アメリアに宜しく言っておいて」と、お土産がまとめて入っている袋を受け取り、片手を挙げながら螺旋階段を上がっていくソビリアに手を振って答えた。
 シャーロンは、タッチパネルでオリバーを指名した。パネルの横の画面にオリバーが映ると、笑みを浮かべて、「今晩どう?一緒に夕食を食べない?」
 シャーロンも笑顔で、「いいわ、今、ソビリアに会ったんだけれど、何か4人で結婚をお祝いしてくれると言ってたから、その話もあるし。何時頃がいいかしら」
 画面の中のオリバーが嬉しそうに顔をほころばせると、「今日は時間どおりに終わるから、今4時40分か、5時過ぎには行ける」
「分かった、じゃあ、あと20分くらいね、ウエストの駅のホームの一番前のベンチで待っているわ」と、シャーロンは画面に向かって手を振った。
 シャーロンがポートアを出ようとしたら、黒い雲の至る所から大粒の雨が降りだしてきた。シャーロンは、「天気予報が当たったわね」と呟きながら、ソビリアに貰った土産の袋の中から慌てて、無造作にレーンスーツを取り出した。スーツの最後のボタンをループに通すと、急ぎ足でウエストの駅に向かった。
 ホームのソフトベンチに座っている時だった。
 腰の曲がった高齢の年寄りが、杖をつきながらゆっくりとシャーロンの前を通り過ぎて行く。
 突然、年寄りはつんのめって杖を落としてしまった。杖はホームの上を転がっていく。
 その時、ブルーメアが入って来た、ホームの一番前だからスピードはそれ程落としていない。年寄りは、杖を追っ掛けてブルーメアに近付いていく。シャーロンは思わず、「危ない!」と叫びながら身一つで、ベンチから飛び出した。
 強烈な青い光の塊が拡がってシャーロンを包み込んだ。


 気が付いた時には、シャーロンは何処かで見た景色の中に溶け込んでいた。
 線路沿いの細い道を歩いて行くと、踏切音が聞こえる。赤いランプが交互に点滅して、電車が通過しようとしているのを知らせている。
 スーツ姿の男が踏切の脇に立っている。その後ろ姿には見覚えがあった。
 男は、もう其処まで来ている電車には目もくれず、踏切の中に立ち入ろうとしている。
 シャーロンは男が何をしようとしているのか瞬時に気付くと、「危ない!やめて!」叫びながら両手で男の腕と肩を掴んだ。
 男は夢遊病者の様な表情で振り返った。
 その顔が驚愕の表情に変わるのに時間はかからなかった。
「セシル!セシルじゃないか!」
 シャーロンは黙ったまま、奥田の目を見つめていた。
 シャーロンの記憶に、まだ過去の出来事が残っていたようだ。
 且つて、死ぬほど恋した自分を紙屑のように捨てていった男。
 奥田は涙を流しながらシャーロンに、「俺、もう駄目なんだ。何人もの借金取りに追っ掛けまわされ逃げ場もない」
 奥田はシャーロンの片腕を掴みながら、「セシル、もう一度やり直そう。・・金さえあれば、何とかなる・・」
 シャーロンは呟いた、「奥田の事を、以前の自分は愛した・・」
 奥田が哀れだと思った。過去の事とは言え、一度は愛した彼が、こんな事になっている、助けてあげたいと。
 シャーロンは、溢れる涙で顔をくしゃくしゃにしながら自分の前にしゃがみ込んでいる奥田に、「でも、お金は無い・・今の自分に、何がしてあげられるか・・」とだけ。
 通り過ぎる電車の風に、シャーロンの髪が流され、身体がよろめいた。
 寒気がしてレインコートのポケットに手を入れた。
 と、指に何か当った。
 金貨だった。
 ポケットに、何時の間にか金貨が入っていた。
 シャーロンは、ポケットから何枚か大きな金貨を取り出すと奥田に、「これを使って?きっと借金どころか、お金持ちになれるわ・・」
 奥田は不思議な物を見ている様な表情をしていたが、「これは本物の金のようだが、いいのかい?」
 シャーロンには、奥田の言葉は良く聞こえない。
「どうぞ・・」と言ったような気がした。
 自分はシャーロンだ、この世界の人では無い。其れ以上に、来た道を戻る事すら、もう、出来ないような・・。
 運命の徒にしても、あまりに落差が激し過ぎる。
 シャーロンは、その場に立ち尽くしたまま、呟いた、「もう、二度とオリバーに逢えない。オリバー・・愛していた・・」
 涙が止め処も無く溢れてくる。
 ただ、絶望感だけが、真っ黒な闇の中から大波のように、シャーロンを包み込んでいく。
 落ちていく涙がレインスーツに次々に染みを作っていく。




 と、闇の中の遠くに、点のような青い光が見えた。
 シャーロンは其れを見て呟いた、「遠い・・幻?」
 しかし、その点の様な光は矢のようなスピードで此方に向かって来る。
 シャーロンは目を疑った。
 強烈な青い光が大きくなる、眩しい程に。
 シャーロンは思わず、涙でびしょ濡れのレインスーツの片手を挙げて叫んだ、「ブルーメア!私は此処!」
 青い光は真っ直ぐに大きくなる、間違い無い。
 ブルーメアが、シャーロンの前に止まると、一番後ろのドアが開いた。
 シャーロンは其のドアに駆け寄ろうとした。
 シャーロンは、一瞬立ち止まり、奥田の方を振り返ると、「幸せにね!」。
 ブルーメアは音も無く動き出すと、青い光をいつも以上に輝かせながら猛スピードで走りだす。



 ホームの一番前のベンチに座っているシャーロンに、オリバーがゆっくりと近付き、「お待たせ。レストランに行こうか、お腹が空いたよ」
 シャーロンは何事も無かったかのような表情で、「お疲れ様。私もお腹が空いたわ」
 シャーロンは、何か今日は特別の日のような気がした。
 ブルーメアに乗るのはやめにし、ドライバーを呼ぶと、ウエストでも有名な多国籍料理のレストランがある、パークホテルに直行して貰った。
 770階建てのパークホテルからの夜景は格別だ。
 ウエイターがメニューを持って来ると二人でスペシャルなアラカルトを選んでオーダーした。
 やがて、テーブルには料理やワインが並ぶ。
「フォアグラのステーキ」「鶏レバーのテリーヌ」などランス料理やオリバーの国の「ベリア産生ハム」に赤ワインのロマネコンティ。
 シャーロンが、「従兄のプリゾーレ夫婦との祝賀会や、宮殿での結婚祝賀会の事について話をしなきゃね」
 オリバーがメルのカレンダーを見て、「プリゾーレ夫婦との祝賀会は来週末でもいいよ。君が都合が合えば。彼らにそう話をしておいて。楽しみだね、アメリアの手料理を味わえるのが」
「わかったわ、私もそれでいい、従兄に連絡しておく」
 オリバーが軽く手を打つ真似をして、「そうだ、宮殿と言えば、今日事務所で聞いたんだけれど、半年後くらいに「皇室典範」の一部が改正・施行されるらしいよ。
 シャーロンが少し身を乗り出して、「それはどういう事?」
「うん、皇女が民間人と結婚した場合、今までは皇族を離れるという規則になっていたけれど、改正後はそのまま皇族として留まる事になるらしい」
 シャーロンが傾げた首に片手を添えて、「という事は、私も皇族のままという事?
そして、貴方も皇族になるというわけね」
 その晩の料理もワインも最高だった。
 ドライバーを呼んで、ホテルまで来て貰った。
 パスの後部座席に二人、並んで座りながら、シャーロンは両膝を少しだけオリバーの方に向けながら、「一つだけ、貴方に聞いておきたいことがあるんだけれど。」
 街の灯りが、流れるようにパスの窓から中の二人の顔を照らし出している。
 オリバーがシャーロンの目を見て聞いた、「どんな事?」
 シャーロンはゆっくりと、「貴方、皇族にはなりたくないんじゃない?無理しなくてもいいのよ。私は、皇族でなくてもいいの。貴方さえいれば、それで、いいの」
 オリバーは頷いて、「よく考えてみるよ。ありがとう」
 ニューポルトで、オリバーがパスから降りる前に、二人は熱いキスを交わした。



 プリゾーレ夫婦の祝賀会は、正にアメリアの独り舞台だった。
 4人分の料理を作り終えて、最後に席についてから、乾杯。
 大きなテーブルの真ん中には、祝福の三段ケーキが置かれている。その周りに、「骨つきラム肉のハーブ焼き」「豚の心臓シチュー」「シェファーズパイ」その他豪華で味は格別だった。
 結婚式の日取りは半年後、正確に言えばそれより少し前に決まった。王室典範が施行される少し前に。
 皇族では無いシャーロンとオリバーの結婚式は、オリバーの祖国であるユークレナ国の800階建てのセニョールホテルで行われた。
 ノスタルジアから招待されたのは、シャーロンの両親にプリゾーレ夫婦以外は一部の皇族とウエストの事務所の同僚。
 オリバー家の両親や親族・ユークレナ事務所の同僚が招待されて、豪華に行われた。
 シャーロンにとって、ユークレナに来たのは、結婚式の打ち合わせを入れて今回が二回目。オリバーは、今はノスタルジアの事務所勤務だから、二人が住むのはノスタルジアになるが。
 オリバーがシャーロンの黒い瞳を見て、「久し振りに、祖国の景色が見れたけれど、また、戻らなきゃならないね。でも、僕には、君の顔を見ながら君の手料理が食べれる事だけで十分幸せだ」
 シャーロンはそんなオリバーの緑の瞳を見ながら、「さて、どんな料理が宜しいかな」と、笑顔を浮かべる。



 ユークレナも、もう、夕暮れ時。魔法の様なオレンジの光が、二人の周りの草木を燃やし、建物の窓ガラスにも次第に赤みを増しながら反射している。
 そして、漆黒の夜空に変わる頃、衛星も姿を現した。
 圧巻の夜空に、流れ星が一筋落ちて来る。
 真っ青な美しい光を放ちながら。

Charlon(別名・ノスタルジア)

一度は、失恋をした彼女だったが、案外、男の彼女を見る目が無かった様だ。
そんな彼女が見たものは・・。

Charlon(別名・ノスタルジア)

彼女が不思議なブルーメアに乗り辿り着いた先は・・摩天楼が林立する街。 其処で、彼女に何が待ち受けていたのか・・? 十分に彼女の夢が開花したような・・其れでいて・・少しはハラっとする場面も・・。 さあ、彼女を包み込んだ世界がどんなものだったのか・・好奇心があるのであれば・・どうぞ・・。

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更新日
登録日
2022-12-01

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