夜景2

夜景2

2は、銀座通りからデパートにソニービル。

夜景2

 一男は土曜日の十時前に田町の駅に着いた。
 優子は既に来ていて、ホームのベンチに座っていた。
 今日は黒いハットを被り、黒のジャケットに白いトップス、黒のスキニーパンツの裾をロールアップし白いソックスに黒のパンプス。
 優子は・・・贔屓目(ひいきめ)に見れば、夏目雅子に似ている。
 一男はというと、白シャツにネービーのカーディガン、ベージュのチノパン、茶色の革靴、服装については関心が無いので、不釣合いかどうかはわからなかったが、気にしないことにした。
 一男は・・・贔屓目に見れば・・ん?・・・やめておこう・・。
 ただ、今朝から気になっていたのは、天然パーマの癖毛がどうにも手に負えなく、ドライヤーやヘアーリキッドを使わない主義だったから、そのままにし慌てて出て来たことだった。
 以前、一度リキッドを使ったことがあるが、髪が糊で固めたようにぺちゃんこになってしまってから懲りてしまった。
 そういうことには無頓着というか不器用なのかもしれない。
「待たせちゃったかな」
「ううん、私もちょっと前に来たばかりだから」
 田町から電車で有楽町まで行き、銀座通りまで歩く。
 土曜日は銀座通りは歩行者天国になっていて開放的な雰囲気だ。
 横に並んで歩ける。
 名鉄メルサ(デパート)に入り、宝飾品売り場で宝石などを見る。
 優子は5月生まれだからエメラルド、一男は7月生まれだからルビーが誕生石だ。
 幾つもエメラルド陳列してあるショーケースを見ながら、一男は何時かこれをプレゼントする時が来るんだろうかなどと思った。
「優子さん、誕生石はエメラルドでしょ、どれがお好み」と言いたかったが、今は無理だなと諦(あきら)める。
 優子が、ショーケースの中を丹念に見回し、気に入った物を指差した時には、ドキッとした。
 メルサを出て、古くからある書店で本を見る、大学の図書館とは本の種類が違う。
「夏目漱石なんかが好きだって言ってたけれど、大抵は読みつくしたんでしょう?」
「そうね、文豪と言われる人達の物は大抵」
 文豪とは明治・大正・昭和の物故(亡き人)の人達を指すらしい、だから筒井康孝や大江健三郎などは文豪では無い。(今は知らないが。)
「僕も文豪ものは殆ど読んだつもりだけれど、漱石に限って言えば、作品はどれも素晴らしいと思うが、幼稚と言われるかもしれないけれど、何となく夢十夜とか好きだな」
 漱石の中では珍しく幻想的なテイストが濃く、『こんな夢を見た』という書き出しが有名だ。
「そうね、私も好きよ、特に第六夜がいいわね」
「そうそう、『運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから・・・』
 運慶が仁王像を彫っている。その姿を見ていた自分は、隣の男が「運慶は、木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」と言っているのを聞く。というあたりからいいんだな、それに、その場の見物人とかの情景描写も面白いというか軽々と表現してるのに、見事に的を得ているというかそう言う文章が・・・」
「ええ、わかる・・自分でも仁王像を彫ってみたくなり、家にある木を彫り始めるが仁王は出てこない・・でしょう?」
「おっ、流石、覚えてるんだ」
「ええ、・・遂に明治の木には到底仁王は埋まっていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由も略解かった・・」
「そうなんだ、そのあたりの終わり方も素晴らしい。」
「そう、小説というか・・文章の素晴らしさというものは、ただ筋書きを読ませるだけでなく、その文章から読者がどんな事を考えるのかというあたりに空白の余韻を残されるとグッと来てしまうのね」
「やはり、君も同じ様に考えてるね、文章に天才を感じるんだな、僕も」
 一男は何かとても嬉しくなった、先程のエメラルドを買ってやれば良かった・・。
 くらいに感激してしまったのだが、無理に決まっている・・。
 そして、ついでに、漱石の名言を思い出した。
『恋心というやつ、いくら罵りわめいたところで、おいそれと胸のとりでをでていくものでありますまい』
 優子とは、何か気が合うというか、ハーモニーを強く感じる。
「ところでね、その真似をした映画があるんだ?」
「・・そうなの・・?」
「うん、優子さんは見たこと無いだろうけれど、『男はつらいよ』、つまり寅さんの映画なんだ、知らないでしょう?」
「あら、見たことあるわよ、フーテンの寅さんでしょう・・?」
「えっ、優子さんでも寅さん見るんだ、まあいいや、それで、あじさいの恋という二十九作だったかな、有名な陶芸家が出てくるんだけれど、その人が・・勿論役柄でだけどね・・陶器が土の中から出してくれって泣きよるから・・という行(くだり)があるんだ、そこがそっくりなんだな」
 「そうなんだ・・面白いね、真似したのかな・・」
 話は弾んだ、一男はこれからもこんなだといいなと思う。
 以前も何人かの女性と交際したことはあったが、何かしっくりと行かなくて・・という経験があったから。
 本屋を後にし、昼食は通りに面したレストランで、二人共、店員が本日のお薦めですと言ったパスタを注文した。
 午後からは、銀座通りを並んで歩き三越デパートに向かう。
 三越デパートでは、服飾コーナーや催事場を見たりし一回りをした。
 紳士服売り場の前は一男が意識的に足を速めるが、婦人服売り場の前では優子が足を止め、幾つか商品を物色している。
 どんな服が好みなのかと思ったが、見ていてもよくわからない。
 優子の家は三越のお得意さんで、外商部(大口客相手の営業部所)の社員がよく家に来るそうだ。
 一男の親は一介の貧乏教師だから、自分とは違う世界かなと思ったりする。
 一男は以前、松坂屋と三越の地下の食料品売り場でアルバイトをやった事が有り、店内の事はある程度知っていたから、ゆっくり歩きながら説明をする。
「デパートではね、店員がお客に分からないように使う隠語(いんご)というものが有るんだよ、各デパートによって異なるだろうけれど」
「へえ、どんな言葉なの・・?」
「例えば、三越では不良品などはウロコ・トイレの事はエンポウ・食事はキザエモンなど、他にもあるけれど」
 女性店員が店員専用の出入り口から出る時は、透明で中が見える小さなバッグに所持品を入れて出るが、これは警備員に店内のものを持ち出さないか確認させる為だとか、女性店員専用の喫煙所があるが普段売り場では見せない態度で煙草を吹かし、灰皿には口紅がついた折れた吸い殻が山のように残されている事など、一男が印象に残ったことを幾つかぼやくように話した。
 地階から店を出、地下通路を抜け地下鉄銀座駅の脇を抜ける。
「この銀座線というのは昭和の初期からあるらしいよ?」
「知ってるわ、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)だったかな・・の小説に出てきたと思うわ」
「さすがに、文豪の作品は何でも詳しいね」
 階段を上がり地上に出、山野楽器に入る。
 楽器やレコード等が置いてある、一男はギターや鍵盤楽器を弾く事が多かったから、楽器については一男のほうが興味が有るかと思ったのだが、優子もピアノを弾くという。
 クラッシックでは、ショパンの幻想即興曲なども弾くというからびっくりした。
 幻想即興曲と言えば十六分音符の連続で、ショパンが若い頃得意満面な顔をして弾いていたというようなことが書かれた文章を見たことを思い出した。
 金色の光を放っている金管楽器に自分の顔が歪んで映っている。
 その横で、一男が聞いた。
「レコードなんかはどんな音楽を聴くの」
「クラシック以外ではジャズとか・・でも何でも聴くかな」
 オスカーピーターソンやサラボーン(何れもジャズシンガー。)なども好みのようだ。
「オスカーピーターソンって言うと、カナダ組曲のようなものから、ポピュラーな曲をアレンジしていて聴きやすいものもあるよね」
「そうね、サラボーンもいろんな曲を歌うわね」
「僕はよくジャズ喫茶に行くんだけれど、こんど行ってみない」
「いいわね、何処のジャズ喫茶に行くの・・」
「渋谷の百軒店(ひゃっけんだな)の方とか、代々木とかね」
 店の前では新譜レコードの宣伝をしていた。
 スピーカーから流れる音楽を聴きながら店を出る。
 晴海通りを有楽町方面に歩いて、ソニービルに入る。
 ここでは、いろいろなソニー製品が見れる他、メロディステップといって地下1階と1階を繋ぐ階段には、踏むと光と音が出る仕掛けが施されていて、3オクターブの音が出る。(このアイデアは世界中に伝播して好評を博している)
 ゆっくり中を見た後、有楽町マリオン(元の日劇)の前を通る頃には、陽は傾き正に落ちなんとしていた。
「さてと・・夕飯はどうしようか」
「ねえ、陽も落ちるからいい場所があるわよ、帝国ホテルに行かない・・」
「帝国ホテル・・?」
 一男は高そうだなと思ったが、今日は財布の中身は準備してあったから心配しなくてもよい。
 電車の高架線沿いに歩き、日比谷公園の方に曲がれば帝国ホテルだ。
 ホテルの前まで車で乗り入れ、ドアマンに車のドアを開けて貰うと気分が良いのだが、今日は歩きだ。

 



 優子が先に立ってエレベーターを呼び、中に入ると17階のボタンを押す。
 エレベーター内の表示には17階はインペリアルラウンジアクア(昔はレインボウラウンジ)とある。
 ドアが開き、ゆったりとした空間が目の前に現れる、足元は臙脂の絨毯張りで東西が全面ガラスに囲まれている中に間隔にゆとりをもたせてソファが置かれている。
 ピアノ演奏が流れる中、窓際の席が空いていたからそこに腰を下ろし、メニューを見る。
 ビールはハイネンケンやレーベンブロイなどがある一男はドイツのミュンヘン生まれのレーベンブロイにし、優子はカクテルのティンカー・ベルをオーダーした。
 一男は酒は好きだし強いが、優子はどうなんだろう。
「お酒飲むほう・・?強いの・・?」
「ええ、家族でよく飲むから、結構いけるかな」
 周りを見渡せばラウンジ内はやや薄暗くしてあるが、全面ガラスの外は日比谷辺りの夜景が拡がっている。   東京タワーとは比較にならないが、これはこれで大都会の象徴として充分に素晴らしい夜景だ。
 デパートで見た色とりどりの宝石があちこちに見えるようだ。
「綺麗だね、よく来るの?」
「うん」
「家族で・・?」
「・・家族でもよ」
 無粋なことを聞いたものだ、優子くらいならいろいろあったとしても不思議ではないし・・。
 軽食もオーダーし、雑談などをしながら1時間以上はいたであろうか、夜景を満喫できた。
「よかったら、僕の知っている店に行ってみない、ショットバーだけれど」
「いいわよ、一男さんの知っているお店ならいいんじゃない」
「そこ、実はかっては太宰治や永井荷風などの文豪も行ったという老舗で、一見(いちげん)のお客(初めていきなり来たお客)は入れないんだけれど・・僕は前に何度も下宿の先輩に連れられて行ったことがあるから大丈夫なんだ」(現在はそういう制限は無いようだ)
「へえっ、そんなバーがあるんだ、面白そうね」
 帝国ホテルを出ると西銀座の夜の姿が現れた。

 

 

 

 銀座4丁目方面に戻るように歩いて暫くすると、狭い路地の中にバーが見えた。
 灯りを燈した看板には怪盗ルパンの絵と下にはLUPINの文字が。
 中に入り14席くらいしかないカウンターに腰を掛ける、太宰治や坂口安吾などの写真が飾られている、秋山庄太郎などの写真家も出入りしていたそうだ。
 一男はウイスキーのロック、優子はウイスキーの水割りを楽しむ。
 「太宰治は、僕はあまり詳しくないんだ、走れメロスや人間失格に・・」
「斜陽・・、永井荷風は濹東綺譚とか・・ 」
 また文豪の話になったが、今度はすぐに終った。
「明日は引越しなんだけれど、今度はアパートだから気楽なんだ、良かったら遊びに来てくれない・・」
「ええ、いいわよ、でもその前に引越しを手伝うわ?」
「引越しって言っても机と本棚にテーブルくらいだけれど」
「いいわよ、本なんかもあるんでしょ、一男さんの好みもわかるというものだし・・、明日は何時から?何時に何処に行けばいいの・・?」
「照れ臭いけれど、ありがたい、そうして貰おうかな、来てくれるんなら十時からなんだけれど」
「東急目黒線の洗足駅に九時五十分位に来て貰えればいいんだけれど」
「てことは、東横線で横浜から田園調布まで行って、目黒線に乗り換えればいいのね」
「お願いします」
 一男は、優子と一緒に引越しができるなんて夢のようだなと思った。
 でも、それだけではなかった。
「よかったら私の家にも遊びに来て」
 一男は、家に行くのか、ちょっと肩が凝りそうだなと思う一方、優子の家に行ってみたい、前に東京タワーで聞いた家のこと、一男の家とは格違いの家ってどんなだろうという好奇心もあった。

 正に、不安と期待が入り混じっていた。

 二人は、店を出ると、手を繋いで東京の真ん中である銀座周辺の道を歩いた。

 
 地下鉄で新橋まで行き、地上に出てからJRの新橋のホームに着いた。

「今日もまた別々の電車か」
「今日は、品川まで一緒に行きましょう、品川で乗り換えれば」
 そうすることにした、間も無く青い電車がホームに入って来た。
 二人はその電車に乗る。

 一男は、引っ越せばこの同じ電車に乗るようになるんだなと思った。

 品川で一男は降りた。

 優子の乗った電車を、手を振って見送る、優子も電車の中から小さく手を振る。

 赤い尾灯が足早に遠ざかり、街の灯に溶け込んでいく。

 すぐに黄緑色の電車が入って来て、一男を乗せて滑るように走り出す。

 今日はいろいろあって楽しかったから、その興奮がまだ残っている。

 一男は、電車の窓から、流れていく街の灯を見ながら、明日また会えるのだという気持ちで不思議な感覚に浸っていく自分を感じた。

夜景2

帝国ホテルで飲食を・・更に、西銀座のルパン・・。 

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話は都内の各繁華街を巡って行きながら、小説作品の話をすると・・。 文豪の作品など読んだ事のない皆さんは、目ぼしそうな作品を見つけて下さい。 此の国が誇れる偉大な作家ばかりが登場します。筋書きは漫画やanimationでも良いが、小説とは全く異なる「芸術」である事を・・少しでも感じて頂ければ・・。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-11-30

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