僕と坊ちゃん

僕と坊ちゃん

児童書。

 吾輩は犬である。
 名前は「ごろう」。雑種だ。名札を付けられた事は無いから、そう呼ばれるだけで意味は分からない。
 産まれてすぐに此の家に来たようだが、その当時の事は分からない。お父さんが餌をくれて朝・夕の散歩にも連れて行ってくれる。とはいっても何処のうちも放し飼いだから行きたいところに自由に行ける。でも表の通りで近所の連中と遊んでいると片目の「犬仕事人」のおじさんがやって来る事がある。おじさんは頑丈な針金のようなもので僕達を捕まえるのだが、戦っている内に口は血だらけになるし、檻に入れられて保健所に連れていかれもうじき殺される。
「あ、お父さんと坊ちゃんだ。助けに来てくれたんだ」



 無事家に帰ってからも何回も捕まったことがあったが、その度に助けに来てくれた。僕が「犬仕事人」と戦っている時に坊ちゃんが何度も「うちの犬だから連れて行かないで」と言ってくれたが、「表に出しとけば連れて行く」とおじさんは譲らないどころか犬達の口が血だらけになる程道具を使い強引に取り押さえた、其れを見ながら坊ちゃんは泣いていた。「僕の犬なのに・・」
 僕の事を小学生の坊ちゃんは可愛がってくれて、雨に濡れないようにと玄関の中に犬小屋があったんだけれど、坊ちゃんは狭い犬小屋の中に潜り込んできて一緒に遊んだ事も何回もある。
 表に出なくても、細い家の横の路地から裏の墓地に出る事が出来た。墓地は自由に運動が出来るし、其の中なら広い敷地の中を歩き回って竹林や草村や広い広場など何処にでも行ける。此れは僕だけの特権で近所の家の連中には出来ない事だ。



 或る日、坊ちゃんが学校に行く時に僕を誘う。坊ちゃんの学校は学区では無いから約1.5キロも離れた先にあった。僕は家を出てからすぐに家に戻ろうとしたのだが、坊ちゃんが盛んに誘う。仲が良かったから坊ちゃんの誘いは断れない。道には県庁や駿府公園や内堀などがあり此の町では一番きれいな場所だ。途中であの忌まわしい保健所の前を通った。其れでも何回か戻ろうとしたが、坊ちゃんは結局学校まで僕を連れて行った。学校に着いたら授業が始まるのだが、坊ちゃんの下校時間まで学校で待っていようとしたが、先生が出て来て坊ちゃんに「家まで帰して来なさい」と言っている。仕方なく坊ちゃんは再び僕の名前を呼びながら元来た道を家に戻る。家の門の中で僕は内心ほっとした。表は車も凄いSpeedで通るから気を使った。僕と坊ちゃんの仲は坊ちゃんが五年生になる頃まで続いたが、僕が病気になってしまった。多分もう助からないと思った。
 僕は自分が死ぬ事が分かっていたが、家族の前では死にたくなかった。其処で裏の墓場から竹林まで行き其処で横たわった。家族とのいろんな想い出が浮かんできた。
「ごろう、此処で亡くなっている。きっと家族に見られないところで死にたかったんだろうな」



 二匹目の犬を飼う事になったらしい。僕はまだ坊ちゃんたちの事が見える。
 坊ちゃんは僕が死んだから淋しかったらしい。一人で保健所に行って檻の中のもうじき殺される犬達の中から探している。何回も通ったけれど、見つからなかったらしい。或る日「犬仕事人」のおじさんが珍しく家に立ち寄った。坊ちゃんが犬を探している事を聞いて来たらしい。自転車には子犬が二匹、女の子と男の子。お母さんと坊ちゃんは表に出て来て二匹とも貰う事にしたのだが、おじさんはどうせ殺される犬の代金として三千円を小遣いにしたようだ。
 二匹目は「ぽんちゃん」と言う名前だった。此処から先はぽんちゃんに代わって話をして貰う。
 僕はまだ幼かったから足元もおぼつかなかった。ああ、女の子の方は犬を探していた遠くの町の人に貰われて行った。だから女の子と一緒にいたのは一か月くらいだった様な気がする。
 二回の廊下が日当たりが良かったから僕は段ボール箱に入って一日其処で過ごしていた。僕は丸々と太っていたが大きくなるに連れ普通の体型になった。坊ちゃんが学校に行ってお母さんが一階で小学生にアルバイトで塾を教えている時だった。僕は小さな段ボールを乗り越えて廊下に降りた。 廊下の先には急な階段がある。僕はまだ何も分からないから階段を降りようとしたような気がする。足が滑ったと思ったら音を立てて一番下まで転げ落ちていた。うんこも漏れていた。音に気が付いたお母さんが駆け付けて後始末をしてくれて二階に戻してくれた。
 坊ちゃんも小学校を卒業して中学校に更に高校へと進学していった。その頃の坊ちゃんは顔付も違った様に見えた。勉強が忙しかったからだ。高校に入学してからは、坊ちゃんもゆとりが持てたから僕と遊んでくれるようになった。坊ちゃんは自転車に乗りながら僕の綱を持って何処かに連れて行くのが難しいからと、夏休みに自分で板を何枚も繋げて僕が入れる大きさの木製の籠を作ってくれた。其れを坊ちゃんの自転車の後ろの荷受けに載せてからフック付きの伸び縮みするロープで
自転車にグルグル巻きに備え付けて僕を入れると自転車で走り出した。目指すは安倍川だ。家から安倍川までは一キロ以上あるし、川の前が急な上り坂になっているから坊ちゃんは立ち漕ぎで勢いをつけようとした。自転車のバランスが崩れ、僕は自転車ごと地面に叩きつけられた。坊ちゃんが僕の事を心配して僕の身体中を見ていたが何処にも傷は無かったし、僕が元気そうだったから安心したようにホッと息をつくと自転車を引っ張って僕を川淵まで連れて行った。
 僕は水が嫌いだったから、なかなか川には入らない。坊ちゃんが盛んに誘ううち、少しづつ川の浅い所に脚を踏み入れてはまた戻る。流れを見ていると目が回りそうだった。
 其れでも何回か川に行くうちに川に入れるようになったのだが、川の水は冷たい。何回目かの時にお父さんも一緒について来た時があった。その何日か前は台風が来ていたから、まだ流れは速かった。何時もの様に坊ちゃんが川に入って僕を呼んだから僕がゆっくりと川に入って行った時、流れに身体が浮いてしまって流されてしまった。坊ちゃんは驚いて僕を助けようとして川に飛び込んだ。坊ちゃんはクロールしか出来なかったようだから必死になって泳ぐうち自分も流されてしまった。僕は何とか岸に辿りついた、坊ちゃんもあとを追って岸に上がって来た。僕はうんこを漏らしてしまっていた。其れを見たお父さんが、「せつな糞(くそ)だな。可哀想に、腹が冷えたんだろう」と言っていた。
 坊ちゃんの高校生活も終わり東京の大学に行くようになった。僕はよく分からなかったが「もしかしたら暫く会えないのかな」と思った。其れから坊ちゃんは夏休み・冬休み・春休みと帰って来ては僕に声を掛け乍ら撫でてくれたが友達と遊ぶ事が多くてなかなか僕と遊ぶ事は無かった。東京から彼女を連れてきた事もあった。
 僕は坊ちゃんはいろいろと忙しんだなと思った。
お父さんが僕の事をよく面倒を見てくれたから僕は不自由は無かったが少し寂しい様な気がした。
 僕もこの家に来てから七年以上になる。何か最近身体の調子が悪い。お父さんが病院に連れて行ってくれたが蚊が媒介する病気に罹っていたらしい。
 僕は自分が死ぬんだという事が分かって来た。最後に坊ちゃんに会いたかったが無理かなと思った。坊ちゃんとの思い出が蘇って来た。
 僕は裏の竹林に行って横たわった。眠くなってきた。
 お父さんが夜になって帰って来て、僕がいないからと懐中電灯を持って竹林まで探しに来て僕が死んでいるのに気が付いた。お父さんが坊ちゃんから電話が来た時に其の話をした。坊ちゃんは電話の向こうで泣いている様だった。
 きっと僕の事を思い出してくれている事だろう。
 一緒にいろんな事をやったから。


 坊ちゃんは其のまま東京の会社に入ったから偶の休みしか来る事は無かった様だが、お父さんとお母さんがまた犬を飼う事にしたらしい。
「とんちゃん」「さんちゃん」達だ。皆、雑種だった。そしてとっても元気だった。
 でも、お父さんも歳を取っていたからさんちゃんが十年以上長生きしてから後は犬を飼うのはやめたらしい。僕達は大事にしてくれた家族の事を決して忘れない。家族もきっと僕達の事を何時までも覚えていてくれるだろう。でも、お父さんもお母さんも歳を取り過ぎた。
 犬小屋は無くなった。
 そして、お父さんもお母さんも亡くなった。



 命あるもの何時かは亡くなる。犬も人類も、家族も親族も皆亡くなった時、最後の一人も消えて行く、月は何事も無かったかの様に柔らかい光で辺りを照らしていた。

僕と坊ちゃん

児童書。犬と坊ちゃん。

僕と坊ちゃん

児童書。 雑種の犬たちと、遊んでくれた坊ちゃんやお父さん達の話。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-11-29

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