吠えよ

 十二歳で考えた物語、当時の僕はそれを小説として完結させることができず、二十くらいで書きあげることができた。それを二十五くらいですこし書き足したものがこの小説です。
 十二歳当時講談社がやっていた、ヤングアダルト小説(思春期向けのライトな青春小説)のつもりです。

 渋谷南といえば、一部の夢みがちな少女たちからの評価をのぞけば、この中学校のものわらいの種、あるいは嫌われ者として有名な人物で、それはたとえば団地住まいであったり、きょくたんに勉強ができないことであったり、友達がいないから体育の時間でバスケなんかしている時ただ突っ立っている、そんなシルエットの夕陽の射すようなもの悲しさであったり、スクールカースト的なポジションをわきまえないやたらな喧嘩っぱやさであったり、挙げれば理由はたくさんあると思うのだけれども、なかでもかれが嘲笑の的となっていた最大のわけは、放課後、商店街の片隅で古びたギターをかき鳴らし、自作の歌をうたっていたことなのではとぼくにはうたがわれるのだった。
 というのも、まずギターとボーカルの音が、素人のぼくからしてもなんだか調和していない、ジミ・ヘンドリックスのPirple Hazeよろしく、ひずんだ不協和音がクールに響くんなら素敵だとおもうけれど。推測するに、あきらかに勉強量が足りていないのだ。思春期の情動をえがいたような歌詞はよしとしよう、そんな名曲だってあるさ、ぼくなんかは、そんなものだって好きだ。かれらには南とちがって、才能があるけれど。ところがかれのそれの場合、文法からしておかしい。「てにをは」からやり直せと指摘してやりたい。
 とはいえ、南の放課後の過ごし方が学校中に話題にされ笑われていた原因は、かれの作品のクオリティにではなく、そのあざとい自意識の希薄さと、そんな行動への真摯な態度にあったのだとはおもうけれど。

  *

 そんな南の歌を不覚にも最後まで聴きいってしまった日、あれはたしか、十四歳の夏の終わり頃だった。九月、残暑はまだきびしかった。
 夕暮、その時ぼくは部活を終え──何部であるかなんてどうだっていいだろう──友人たちと別れ、ひとり通学路である商店街を歩いていたのだった。
 夕陽が綺麗だったのをおぼえている、空がさながら燃えているみたいだった。商店街を突っ切る小川はがらすを散らすようにきらきらと陽を反映して、ぼくはここちよい運動疲れのままに、いくぶん上機嫌で帰路についている途中、ある、吠えるように空へ昇るような歌が、鼓膜をはげしくつんざいたのを自覚したのだった。
 それはこんな歌詞を繰り返すだけの歌だった。メロディだって繰り返しだった。
「そして、俺はここで生きている。そして、俺はここで歌ってる」
 なんて月並な歌詞だろう、この世におなじようなニュアンスの詞は、果たしてどれだけあるだろうか。そんな、ぼくらしい冷笑の感想はおのずと生まれてきたけれど、ぼくはなぜかしらその歌に、おもわず足が立ち止まるくらいの印象を受け、それはなんでだったのだろう、ぼくの愛する狼というけものが遠吠えする理由、それは、「ここで生きていることを示すため」、そんなネットで知った情報に、エモーショナルな心情を引き起こされたことをふと想いだしたからなのだろうか。
 歌が終わった、すると南はぼくに飛びつくように接近し、腰のギターをがたがたと揺らしながら、こう話しかけてきたのだった。
「秋津くんじゃん! 初めて俺の歌を最後まで聴いてくれたひとがいたと思ったら、クラスメイトだなんて、嬉しいなあ。ねえ秋津くん! 秋津くんは音楽好き? 好きなアーティストは?」
 ぴょんぴょん跳びはねている。満面の笑みを浮かべ、ぼくという人間の心との垣根なんて存在も知らないとでも言いはなちそうなくらいの、あまりに近すぎる距離である。
 そう、こいつは、基本的にひと懐っこく、いわゆる天真爛漫で、ぼくもうすうす勘づいていたけれど、デリカシーのなさと好戦的な態度さえのぞけば、カースト上の軽蔑くらいは仕方がないと思うけれど──とは、ぼくは思っていないけれど──べつに、学校中から嫌われなくったっていいやつなのだ。
 なぜかれが嫌われているか、それはぼくからいわせれば、嫌われているからだ。中学校なんて、そんなところさ。
「シド・バレット」
「へえ! どんなひと?」
「ぴょんぴょん跳びはねる君みたいなひと」
 かれが家でWIKIを検索して、かれの生涯を調べ、そいつを自分の未来に重ねませんように。そしてシドの発狂後の隠居生活が、じつはそれなりに幸福で楽しいものでありましたように。
「俺みたいなひと? 照れるなあ。CDある? 貸してよ!」
 なんてうっとうしい奴なのだろう、ぼくらは、けっして友達じゃないんだ。一クラスメイトにすぎない。そしてシドのCDは希少なのだ、お前みたいに乱暴な人間に、すこしだって手渡せるわけがないだろう。
「どっちかの家で聴くだけならいいけど。とりあえず触るなよ」
「え! いいの?」
「ちょっと待ってて、ここで。家から持ってくる」
 ぼくは、なぜ場合によってはかれなんかと友達になってしまうような提案をしているのだろうと、自分の感情を不審がっていたのだった。ぼくはそれを、シドの楽曲の素晴らしさを布教するためであると自分に信じさせた。いや、信じさせようとした。
「お前の家で聞こう。それでいい?」
「うん!」
 南を家にいれると、おそらく母親からの善なる忠告を受けるだろうと、ぼくは予想したのである。かれの悪評はもちろん、親たちにまで行き渡っていたのだった。

  *

「…なにこれ」
「Octopas。代表曲だよ」
「変な曲。…あれ、なんかずっと聴いてると癖になるね。天才っぽい」
 そうだろう、そうだろう。
 ぼくはとっくの昔にシドと自分に境界線を引けていなかったから、自分が褒められた気分で内心にんまりし、かれの知らない音楽を知っている優越感を存分にたのしみ、なんて可愛いやつなんだろうと南の無知を慈しみ、そしてそんな自分を悟らせないよう、クールな表情をきどっていたのだった。
「なんでにやにやしてるの?」
「してない」
 撤回。可愛くなかった。ムカつくやつだった。
「秋津くんって、クールな感じするけれど、じつはロマンチストだよね。そういうところ好きだなあ」
「は?」
 ぼくはぼうっと顔が燃えあがったのを感じた。誤解しないで欲しい、こいつはあくまで、羞恥によるものだ。思春期の少年少女にとって、自分の隠したいところを見透かされるというのは、ひじょうに心ぐるしいものなのである。
「ちょっとギター触りたくなった、あ」
 ぼくのゆびと、南の、まるで少女のようにほそくしろいゆびさきが触れた。その瞬間、ゆびさきから、甘く、ぴりりとした電流がはしったのだった。それはぼくの心を切なくした。
「ごめんね、俺、ひととの距離がとれなくて、柔らかいものどうしが、いつもぶつかっちゃう」
 比喩だろうか、なかなか巧みだ。
「コドモみたいだよね、渋谷って」
「え?」
「そういうところ、べつに、素敵だと思う」
「…へへ」
 南の頬も、赤く染まった。
 しばらくふたりで音楽を聴いていて──南はThe Clash、なかでもジョー・ストラマーファンだった、最高の趣味だ──ふとかれは、「もうすぐお父さん帰ってくるから」、と、うしろめたげな様子でぼくに伝え、ぼくらは玄関まで向かった。
 それにしても、なにもないワンルームだった。ギターとコンポ、いくつかのCDがあっただけ。
「また来てね!」
「…考えとく」
 家を出ると、父親らしきひととすれ違った、挨拶をすると、かれはぼくを無視した。しばらく経って、ぼくは背中で、怒鳴り声となにかが打たれる音を聞いた。

  *

 それからぼくらは、たびたびふたりで遊ぶようになった。
 商店街の片隅で、歌う南の横で、電信柱に隠れつつひとびとに背を向けてボードレールを読むことだってあった。ぼくはまるでジム・モリソンだったのだ。
 ところで誤解しないで欲しいことがある、かれとゆびさきが触れた瞬間、甘美なる電流がはしったという表現をしたけれど、ぼくはけっして、南に恋をしているわけではないんだ。それはちがう。あの刹那にはしった感情、あれの正体は、きっと淋しさだ。ゆびさきが触れても、けっしてぼくらの魂は融け合うことがないんだという、一種普遍的な淋しさ、切なさのはずなんだ。
 たとえば以前作家が書いていたのだけれども、電車の窓から眺める風情のいい町並み、そいつを見たとき、みょうに淋しい気持になったことはないだろうか。あれは、みょうに惹かれてしまう庶民の美しい生活、とおくにあるひとびとの生活というもの、そいつと自分は不連続で、まだ他人同士なのだという、どうしようもない切ない感情が正体のはずなんだ。
 そもそもぼくには、好きなひとが、すでにいたのである。

  *

 告白しよう、ぼくは、荻原百子の横顔が好きだ、その、ぼくとは無関係なものをひたむきに見つめる、真摯な横顔が好きだ。その百合のように反った上唇が好きだ、聡明そうなしろい額が好きだ、そしてなによりも、渋谷南を見つめる、一途で愁(さみ)しい眸が好きなのだ。
 そう、南は、ぼくなんかとちがって、それなりにモテるのだ。ぼくは好きなひとに恋されている渋谷南という人物に、なんとなしに好意をもちながらも──こいつは認めよう──やはりにくしみのような、逆恨みのような感情だってもっていたのだった。
 そのときもぼくは、彼女の横顔を見つめていたのだった。ぼくは南と仲良くしはじめて以来、教室で孤立しがちだったから、それは随分と永い時間になった。けれどもぼくは、また友人グループに入り直したいだなんて思っていやしない、なぜって、あんなに可憐な奴を軽蔑し嫌い、そいつと仲良くする人間をだって排除しようとするクラスメイトたちのほうがF××Kなんだ、なんて、コドモっぽいにくしみがぼくにあったから。
 しかしそもそもぼくの南への友情にだって、おおきな軽蔑が混じっているはずなのだった。なぜって、ぼくはかれの不幸、そしてよわさを慈しむように、かれという人間へ、同情という感情を投げこんでいたのだから。
 ぼくは荻原百子への好意をさとらせないよう、いったん机に突っ伏して、寝たふりをした。
 …骨と骨の打ち合う音が響いた。
 ぼくは顔を上げた、南が、ぼくが以前所属していたグループのリーダー格の男を、拳で殴ったのだった。
「どうしたんだよ」
 ぼくはかれに近づき、南のほうへ話しかけた。
「こいつが、俺の家と、お母さんのことを」
 かれの母親は、南が小さい頃に家を出て行っていた。父親は働いていなく、生活保護でふたりは暮らしていて、しばしば父はかれのことを殴っていた。
 ぼくは冷たい眼を元友人へ投げ、けれどもなんだか怖くなって、すぐに眼を逸らしたのだった。
「秋津、お前だって、最近評判悪くなってるよ。ちょっと勉強ができるからって、周囲を見下してるってな」
 ぼくはふたたびかれを見ることができず、南の肩を抱いて、教室を出て行った。

  *

 校庭の木の陰。南は小柄できゃしゃな躰をまるまらせ、その柔らかい心を覆うようなポーズをし、いつまでも泣きじゃくっていた。ぼくからすれば、かれはまるでかよわい小動物だった、かれの不幸とよわさが、かなしく、切なく、かれの躰のふるえにぼくの神経だってふるえるようで、そしてなによりも、そんな南のことがいとおしいのだった。
 ぼくはかれの躰を抱いた、南は抵抗をしなかった。かれはもはやぼくのものだった。
「お母さんに会いたい、お母さんに会いに行きたい」
 お前の母親は、と、ぼくは冷たい心でかんがえる。お前を棄てて、家を出て行ったんだぞ。けれどもそんなこと言えやしない、ぼくは基本的に臆病で、そして狡いのだ。勇気がないのだ。
「どこにいるか知ってるの?」とぼくは訊く。
「分かんない。でも…県出身なことは知ってる。会いに行きたい、会いに行きたい」
 同情するんじゃない、ぼくは自分にいいきかせた。半端な同情、闘いのともなわない施しは、きっとぼくの心を卑しくし、そしてひとに役立つことだってできないんだ。
「会いに行こう」
「え?」
 眼をまるくして、南は顔を上げる。
「ふたりで会いに行こう。お母さんを探す旅に出よう」
「学校は?」
「そんなのとるにたらないよ。ぼくだって、こんな町には、嫌気が差していたところだ」
 ぼくらは指切りをして約束した、かれのゆびさきの、ほうっと浮ぶような体温は、ぼくにはいつもいとしくて、切なかった。生きているということはいとおしく、痛くて、そして切なかった。
 こんなかんがえ方は、おそらく、ぼくの自己憐憫を、人類ぜんたいへ投影しているにすぎないのだけれども。

  *

 こんな提案はぼくのエゴにすぎなかった。こんな中途半端なヤサシサが、くるしんでいる人間をもっとも傷つけることだってあるはずなんだ。
 けれども、そんならぼくは、かれへなにをしてやればよかった? この泣きじゃくる小動物のような親友に、なにを与えればよかったんだ?
 優しくなりたい、ほんとうの意味で、ぼくは、つよく優しくなりたい。
 ぼくはその夜、一晩をかけて、愛読しているグレート・ギャツビーを再読した。主人公のような注意ぶかい思慮をえたい、そう想った。そして、南はどこか、ジェイ・ギャツビーに似ているようだった。南も、だれかに恋をしているのだろうか? 緑の光りを求めているだろうか? ぼくはほんのすこし妬きながら、そんなことをかんがえていた。

  *

「お待たせ」
 かれは手ぶらで待ち合わせ場所で待っていた。かれはいつもなにも持っていなかった、いうなれば、手をぶらぶらさせながら生きていた。
 ぼくは自転車で来ていた、バッグにはパンと、財布と、そして疎外者の誇りとだけがあった。
「後ろに乗りなよ」
「うん!」
 かれのうすい躰が、ぼくの背中にはりつく。そのあたたかさが、いとおしい。
 空はまっさらな青で、セカイという背中をあたたかく覆いかぶさっていて、吹きつける風は心地よく、鳥たちは陽気に歌い、そんな風景のなかで、ぼくらはこの町から、ワガママ勝手な衝動のままに逃げだしているのだった。そんな罪の意識はぼくのお腹の調子をわるくするけれど、かれの上機嫌な顔を見ると、これで好かったのだという感慨がぼくを満たす。
 三時間くらい進んで、公園があったのでぼくらは休憩することにした。
「水飲み場があるよ」
「ほんとだ! 飲むのむー!」
 飛ぶようにかれはそこへ向かったのだった。
「おい、ぼくが漕いでるんだから、すこしは遠慮というものを…」
 蛇口をひねり、したたり落ちる水に口をあてた。
 南の、桜の実さながらの、ぷっくりとちいさな唇が、きらきらと光りを散らせる水に濡れ、煌々と、なまめかしく照っている。しろい陽があたり、かれの少女のように繊細な線の横顔、がらすさながら澄んだ眸、くたっと着古した、けれどかれが着るとみょうに清潔に見える白いTシャツ、ぼろぼろのブルーデニム、そんな古いアメリカ映画の粗野な若者そのもののような風貌を、いたましいくらいに透きとおらせる。イノセンス、そんな幻の、果敢ない言葉を想いだす。
 ぼくはかれの手をとった、指をからませ、ふしぎそうにぼくを見つめるかれの唇をそっと覆い、まるで小鳥がとっておきの果実をついばむように、その瑞々しく赤い実を、いくども唇でいとしげにはさんだ。
 南はいっさいの抵抗をしなかった。まるでぼくがこんなふうにするのを待っていたみたいだった、こいつはぼくの、自己本位な解釈にすぎないけれど。けれどもやがて、南もそのきゃしゃな躰をぼくにそっと押しつけた。ぼくらは無我夢中でキスをした。逃避の果ての後ろめたい接吻、そいつは、透明なしろい陽光によってきっとゆるされた。
 失いたくない。
 この、可哀相なかれのことを、けっして失いたくない。
「どうして泣いてるの?」
 南がぼくに訊く。
「泣いてない、」
 ぼくは後ろめたげに眼を逸らしこたえた。
「水が眼にはいって、痛かったんだ」
 ぼくはぼくの涙が、けっしてかれのために流されたそれではなく、自分のためのそれであると解っていたのだった。

  *

 真夜中になった。ぼくらは森で躰をやすめることにした。夏ももう終わりであった、夜はすこし寒かった。
「上着もってくればよかった」
 添い寝しながら南がそう言ったので、ぼくは自分のパーカーを脱ぎ、ふたりでつかえるように掛布団にした。
「へへ。ありがと。こんなに優しくしてくれるの秋津くんが初めて」
「亮って呼べよ。友達なんだから」
 友達がキスなんてするだろうか? いや、西洋ならするだろう、しかしぼくのキスは、あきらかに、燃ゆるような情欲によるものだった。
 ところでぼくは、優しいという言葉にいつも傷つくのだ、自分の優しさの根底にある卑しさ、臆病さ、無精さを知っているからである。けれどもかれの、「秋津くんが初めて」という言葉には、いくぶんの所有欲をくすぐられたのだった。ぼくの恋は──ああ認めよう、ぼくはとっくにかれに恋をしている、だってぼくは南とずっと一緒にいたいのだ──こんなふうな、不潔なエゴにすぎないのだった。無償でひとを愛してみたい、いまだにそんなことを欲望する、そんな齢。十四歳だった。
「焚火したいね、亮」と、かれはバカなことを提案する。
「警察来るよ」
 ぼくらは寝転がり、夜空を眺めながらくだらない話をした。
「そっか。でもなんか燃やしたい」
「魂を燃やしたまえ」
「もう燃えてるよ。燃え尽きそうなくらい」
「燃え尽きるのは二十七まで待てよ。ジミヘンみたいにギターを燃やして、その魂を追悼するんだ」
「嫌だよ、あれ不法のゴミ捨て場を探して偶然見つけたんだよ? そんな幸運のギターを手放すなんてできない。ギターっていくらくらいなのかな。一万円?」
「知らない。楽器できない」
「亮はバンドしたいと思わないの?」
「詩人になる予定だから。で、二十歳で死ぬんだ」
「へえ! 書いてるの? 読ませてよ」
「今度持ってくるよ。南はなんになりたいの? やっぱりパンクロッカー?」
「まずは生存が第一かな。パンクロッカーなんてなれなくていいけど、パンクには生きたい。おまえらに含まれてたまるかっていう反骨精神はもちつづけていたい。裸で生きたい」
 月が綺麗な夜だった。まるでぼくらをきんと突き放すセカイのように、冷たく硬く、銀に燦いていて、しかし僕の横には、今宵、渋谷南の姿があったのだった。ぼくはかれの手をとって、ふたたび南の唇を覆った。
「俺のこと好きなの?」
 お姫様みたいなことを訊く南だった。
「好きだよ。決まってるだろ」
「どこが好き?」
 こいつに睡っていた少女性というものを発見した気になった、けれども、はやそんなところだっていとおしかった。
「自分に正直なところ。他人にそうかは知らない。まあ、欠点だけどね」
 そのときざわつく音が聞こえた、ぼくはすぐに警戒し、ぼんやりとしている南にうごくなと言って、伏せたまま周囲をうかがった。
「君たち!」
 警察だった。
「野宿しているひとがいるって通報があったら、まだ少年じゃないか。名前は。学校名は」
 ぼくは無視を決めこんだ、視線を下に逃げさせて。南はじっと、かれらを睨みつけていた。
 けれどもなんの力もない十四歳の反体制なんて、なんの意味ももちえない。ぼくらはすぐさま自転車もろともあの町へと連れ戻され、ぼくは父と母から二度ずつ殴られて、南と遊ぶことを禁止された。
 理解のない親だ、ぼくがこんな行動をしたのは、けっして南からの影響なんかじゃない。ぼくのもちつづけていた疎外感による、衝動的な暴走がこれであったのに。

  *

 それからも南とはよく遊びつづけた。部活もやめた、かれとの時間をもっとつくりたかったからだ。成績も下がった、けれども当時のぼくには、そんなこととるにたらなかった。荻原百子への恋、そんなものだって、もはや遠くの空で耀く追憶の星のようにしか思えなかった。
 ぼくはかれに恋している、いや、愛しているんだと信じ込んだ。かれだってぼくを愛しているだろう、そうにちがいないんだ。かれのためにぼくはうごけるのだ、こんな自意識は、ぼくに歪んだ優しさをひきおこすこともあり、しばしばぼくらは衝突した。けれども、けっきょくぼくらは次の日になれば、仲良く商店街に座り込み、かれは歌い、ぼくは世間に背を向けて詩を読むのだった。そして暗くなると、物陰で後ろめたいキスをした。
「亮も自作の詩の朗読とかしたら?」
 そう提案されたけれど、ぼくの臆病な自意識はそれをするほどの勇気をもたなかった。ぼくはこうかんがえていた、南には、その踏み込む勇気と、自分の信じること、あるいは疑いを、世界へ問いかけ働きかけようとするつよさがあるのだと。なんの鎧も覆わずに、裸の肉体を傷つけさせてでも歌いつづける、生に対する態度があるのだと。
 ぼくはもはやかれを軽蔑なんてしていなかった、その愚かさが、滑稽さが、いかにもリアルで、愛くるしかった。南は可憐だった、この可憐さに気が付きもせず排除するクラスメイトたちは、ぼくなんかにいわせれば善人の仮面を被り、そいつを自分の素顔だと信じ込んでいる悪人だった。
 ぼくだけが、きっと、南のことを愛していた。一途に、そして烈しく。

  *

 教室に入ると、荻原百子が泣いていた。
 ぼくはざわつく胸をおさえ、そっと荻原百子のほうをうかがっていた。
「百子可愛いもん。ぜったいまたいい男現れるって。新しい彼氏なんてすぐだよ」
「無理。私にはあのひと以上のひとはいないもん」
「今はそう思うだろうけどさあ」
 嫌な予感がした。ぼくの心臓は調和を乱し、ばくばくと不吉な音を立てていた。
「渋谷くんよりいい男が、きっと…」
 ぼくはすたと立ちあがって南のほうへ向かい、机に突っ伏して寝ていたかれの頭を乱暴にもちあげ、激情のまま、つよく殴った。

  *

 こうして、ぼくはぼくの恋が、徹頭徹尾自己本位な欲望にすぎなかったということを知ったのだった。

  *

 そして、俺はここで生きている。そして、俺はここで歌ってる。
 淋しがりやの書く詞だ。ぼくはそうおもう。
 あの事件の真相は、荻原百子へ片想いするぼくの醜い嫉妬だという噂が立ったらしいけれども、しかし、そんなことはとるにたらないはずだ。
 ぼくの南への恋心は、南がぼくのキスをうけいれながらも荻原百子と交際しつづけ、それを隠していたことでは消えやしなかった。けれどもかれは、それ以来ぼくを徹底的に避けるようになり──ぼくがいえたことじゃないけれど、かれはやはり堂々としていないところがあった──ぼくらの関係は霧消してしまって、はや他人どうしのようになってしまった。失った友達はもどらない、ぼくは仕方がないのでひとり勉強に力を入れ、進学校に進んだ。南は定時制に入った。けれどもすぐに辞めたらしい。それ以来会ったことはない、音沙汰もない。中学を卒業してもしばらくまではくるしかった、まだかれが好きだったのだ。けれども、そんな感情はいつかなくなってしまうんだ。ぼくはいくぶん、楽にはなった。
 ぼくの足を立ち止まらせた、「吠えよ」という名の──ぼくがギンズバーグの詩集から借りてタイトルをつけたのだけれど──歌をくちずさむたび、ぼくの心を、傷のように刻む事実がある。あるいはこいつは、ぼくの信じたい願いにすぎないのかもしれない。
 それは、生きるということは淋しくて、いたくて、無意味でもあり、そのなかでも生き抜こうする人間はきっと憐れで、どこか愛くるしく、その姿により、ぼくらは可憐な花畑として林立しているということだ。

吠えよ

吠えよ

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-11-27

Copyrighted
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