Inferno
ショートショート3
「ここは自治会の当番がいろいろあるから」
安井久は、賃貸マンションに引っ越そうと思って下調べに来た。
家賃が安いし、と思い申し込みに来た。自分の家を出てからかなり時間が掛かった、やはり、遠い。もう夕方になろうとしている。
それに、最寄りの駅からも遠い。一時間に一本しかないバスを逃したら、三十分は歩かないといけない、山の上にある大きな団地だが。
駅から団地行のバスに乗ったら、運転手は愛想が無いから、何処のバス停で降りたら良いのか聞いても黙ったまま。口を開けたと思ったら、「音漏れがうるさいから切って」と注意され、音楽も聴けない。
何とか歩いて、途中何人かに聞いて、やっと棟を探す事ができた。棟のエレベーターは使わずに、わざと階段で各階の状況を見ながら最上階の十階まで辿り着いた。ドアに「班長」「棟長」その他何か良く分から無いが、大きめの看板のような物が貼ってある。久は、こりゃ何かいろいろありそうだなと嫌な予感がした。
詳しい事を聞いてみようと思ってドアをノックしても、反応が無い。昼間だから、働いている部屋が多くて留守なのかなどと思った。
やっと、チャイムに応えてくれた部屋があって、中高年の女性がドアを開けてくれた。
久は、「済みません。何かドアにいろんな物が貼ってある部屋が多いんですけれど、あれは何ですか?」
その女性は嫌そうな顔をしながらも、「いろいろ、当番があってね、順番に回って来るんだよ。詳しい事は自治会の五区の事務所がずっと向こうの棟の先にあるから、詳しい事はそこで聞いた方がいいよ」と言って早々にドアを閉めてしまった。
事務所までは、結構遠かったが、何とか人に聞きながら見つける事が出来た。
蛍光灯かLED電球か、良くは分からないが、文字の形に配列されていて、「<span style="font-size:1.4em;">じちかいごくしゅうかいじょ</span>」と書いてある。久はそれをちらっと見て、「電光掲示板のようだが洒落ているな」と思った。
久が、ドアを開けて、「済みません、何方かいらっしゃいますか?」と声を掛けたら、奥から中高年の女性が出て来た。
久が分からない事を聞き出す。「あの班長とか、棟長とか、その他ドアに貼ってあるのは当番という事でしょうが、どんな事をするんですか?」
女性は細かい説明を始めた。「班長は・・、棟長は・・」
久は、そのくらいなら何処もあるだろうから面倒でも仕方が無いなと思った。
しかし、女性の話はなかなか終わらない。話している最中に老人が入って来て、「あたしゃ、これ、出れないから」と弱弱しそうな口調で女性と話をする。
「先ずは、自治会費の集金、これは一軒一軒廻って集金ね」
「先程、何処の部屋のドアをノックしても反応が無かったんですが、まあ、昼間だからいないんでしょうね」
「違うんだよ。此処は、年寄りばかりだから、耳が聞こえ無いからね」
久は、こりゃ大変そうだなと思い、「それじゃあ、集金にかなり苦労しそうですね」と言うと、女性は何とも言えない顔付で、「まあ、やってみれば分かるよ」
久が次の質問をしようと思ったら、先程の老人が入って来て、先程と同じ事を。「あたしゃ、出れないからね」
女性が、「分かってるよ」
久が女性と話をはじめて暫くすると、また、あの老人が。久は四十分くらい集会所にいたが、その間に十回くらい、あの老人が同じ事を言いに来る。
久は自分の親で経験があったから、「あの方、認知症では?」
女性はぶすっと笑って、「此処は多いんだよ。ああいう人達が。皆、九十五とか百歳代・・だよ。あんたなんか若いから・・」
老人の度重なる訪問の合間に詳しい事を聞く。
久は女性の説明を聞いている内に、「こりゃ、半端じゃないな。しんどいぞ」
などと思った。
女性が喋る、「・・それに、建物の階段の清掃・建物の周りの清掃・集金・運動会・祭り・まだまだあるよ。ゴミ置き場の清掃に分別や・・他にもいろいろ・・」
久は思った。「ゴミ置き場など普通は業者が来て持って行くし、ある程度清掃して行くから・・、そんな事までやる所は無いけれどな」
「ゴミの分別と言っても、いろんな物があるからね・・死骸とか・・」
久は呟いた。「面倒だな。ペットの死んだ後まで処理しなきゃいけないのか・・」
女性は耳は悪くないらしい、久の呟きをしっかり聞いていた。
「ペット?違うよ。此処は年寄りが多いから・・」
久はこれ以上説明を聞いても仕方が無いと、挨拶をして、表に出た。引越し、此処はやめようと思った。
もう、外は真っ暗だった。
入る時に気付いた電光掲示板の看板が、闇の中で心細そうに輝いている、殆ど、電球か蛍光灯が切れているようだ。残った灯りは僅かに三文字だけ。
じ・・・ごく・・・・・・・
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